空と君のあいだに   作:苗根杏

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7.ただわけもなく

 俺たちが『流星堂』に来たのは、寒さも極まる夜7時のことだった。ちょうど青美堂と同じく、流星堂も閉店する時間だったようで、依頼人『代理』のお孫さんである市ヶ谷さん、もとい市ヶ谷有咲さんが中に従業員を呼びに行ったようだ。

 

 と言っても、従業員は店長ひとり。その店長こそが、俺の親父と親交があった方。

 

「青美堂、店長の香月進です」

「おや、よくいらっしゃいました」

 

 店の出入口から出てきた人は、一見ただのおばあさんであった。ただ、俺はこの人を知っている。昔と比べてずいぶん白髪になっているが、その優しい目元と佇まいを、俺は知っている。

 

 現・流星堂店主、市ヶ谷万実さんである。

 

 俺が店の名前と自分のフルネームを名乗ると、万実さんは目を細めて俺をじっと見る。

 

「……青美堂の香月、と?」

「はい。万実さん」

 

 何やら後ろで月夜美がジャンプしながら、『あの! アルバイトの! 死戻月夜美ですけども!』と言っているが、俺はそれをサッカーのマークのように抑えている。

 

 ここばかりは、彼女に真剣に思い出して欲しいものだからね。

 

 少し俺を眺めた後に、彼女は「ああ! 進ちゃんねっ!」と平手を拳で軽くぽんと叩く。

 

「見ただけじゃあ分からなかったよ。大きくなったねえ」

「最後に会ったのは、親父の葬式ですからね。約12年振りです」

 

 覚えていてもらえたようで何よりだ。もみじ屋のおやっさんよりも年上なのに、今でも店長をしているだけあって、まったくボケてはいないようである。

 

「もうそんなに経ったのかい」

「あっという間ですね」

「……そうだねえ、本当に……」

 

 どこか遠いところを見ているような目をする万実さんを、お孫さんである市ヶ谷さんがじっと見ている。

 

 多分、市ヶ谷さんは万実さんからは俺の親父のことを聞いていないんだろうな。当たり前と言えば、当たり前ではあるが。

 

 少しして、万実さんは優しい近所のおばあさんといった目から、流星堂店長としての眼差しを取り戻す。鑑定人の目だ。

 

「『あの時計』を、直しに来てくれたのかい」

「はい」

「有咲に頼んだのだけど、まさか進ちゃんが来るとはねえ」

 

 そう言って万実さんは、蔵の方へと歩いていく。少し遅れて市ヶ谷さんも。俺たちはそれに、後ろからついていく。

 

 蔵の門は、戸締りは古典的な打掛け錠だったが、扉自体は両開きの扉だった。

 

 そこまで物々しい音も立てずに、門は開いた。中は人工の明かりが一切なく、ただ小さな窓──というか穴──から月明かりだけが、令和版るろうに剣心OPのように差し込んでいた。

 

 その月明かりが当たっているのは、蔵の奥にある長細い何か。そこそこ広い蔵の中、目を凝らしてみると、ようやくそこであれが『依頼品』だということが分かった。

 

 万実さんは、入口のフックに掛けてあった懐中電灯をつける。より一層照らされた時計の針は、動いていなかった。

 

「これは、うちの姉が持っていたものなんだよ」

 

 時計の方に向かって歩く万実さんが、そう話す。

 

「お姉さんが、ですか?」

「ああ。それを貰ったんだ。無駄に大きな家を建てて、無駄に大きな買い物をして……あんな無駄に大きい時計を買ったんだ」

 

 姉のことを気に入っていないのか、それとも何やら訳アリのようだが、触れないでおこう。

 

 確かに大きい。時計の真ん前に来ると、予想通りてっぺんは俺がギリギリ触れるくらいなので、190cmほどだろう。横幅は60か70cm。

 

 腹のあたりには大きな金色の振り子がついており、鳩が出てくるタイプではなさそうである。

 

 年季はそこそこ入っているな。細かい傷が目立つ。外装の木は茶色く塗られているのか、塗装剥がれが裏側に少しだけある。

 

 部品たちを取り出す場所は、振り子のスペースからだろう。仰向けに寝そべって、顔を少し中に突っ込んで上を見ると、目立たないような場所にネジがある。

 

 ここからカラクリを取り出せなければ、頭くらいの位置にある文字盤を外すしかない。

 

「店長より大きいですね」

「ふむ」

「……直せそうかい?」

 

 後ろから鋭い声がする。見ると、万実さんがキツい目つきでこちらを睨んでいる。

 

 そうか、真剣な時はこんな目をするんだったかな。中学の頃、素行が悪かった俺にも、こういう目をして説教をしていた気がする。その眼力、今なお健在。どころか、あの頃を超えるプレッシャーだ。

 

 俺が「デカイのは数回しか直したことがありませんが、少しネットで調べれば、あとは応用で……」と口にすると、万実さんはため息をつく。

 

「自信がないんだったら、やめてもらっても構わないよ」

「ちょっ、ばあちゃん! そんな言い方!」

「これは姉の大事な時計だ。下手にいじくって壊すようじゃあ、触らないでくれ」

「ええ〜、呼んどいてそれですかあ……?」

「すみません、うちのばあちゃんが……」

 

 ふむ、一理ある。市ヶ谷さんは慌てて謝罪するが、俺は怒りもせずにひたすら様子を見る。月夜美はヤバ客かと思ってドン引きしているが……。

 

「いえ、そう言う気持ちは分かります」

 

 俺だって、今まさに懐中電灯を持っている腕につけている、親父の形見を修理でぶっ壊されたら多少は腹も立つ。大事にする気持ちは分かる。

 

 これを俺の腕に巻いてくれた時の、親父の顔を思い出しながら、俺は言う。

 

「それこそ俺を誰の息子だと思ってるんですか」

 

 寝そべっている状態から立ち上がり、改めて万実さんと目を合わせる。

 

「香月先介(せんすけ)の息子、香月進ですよ」

 

 少しばかし驚いた様子の万実さんは、俺を見て一息つき、ふふっと小さく笑う。

 

「分かった」

「え?」

「よく分かったよ。進ちゃんも、れっきとしたあの子の息子だってね」

 

 認めて貰えた、ということだろうか。俺は胸を撫で下ろす。

 

 少し背中の丸まったタイミングを狙い、後ろから腕が肩に乗っかり、そのまま子供におんぶをする時のように被さる。

 

「あのあの、依頼人さんのおばあちゃん。ちょっといいですかあ?」

 

 お前か。俺の耳元で、月夜美は生まれつきの大きな声量で喋る。

 

「ん? なんだい」

「店長のお父さんと知り合いなんですか?」

「ああ……私の教え子だよ」

 

 市ヶ谷さんと月夜美が同時に、「ええっ!?」と驚く。俺はもう既に知っている話なので、時計の様子を見るフェイズに戻ることにする。

 

「高校の時、あの子は中学時代の進ちゃんに似て、手のつけられない子でね。どちらかというと、先ちゃんに進ちゃんが似たのかね?」

「ま、そうっすね」

「最初に時計屋をやるって聞いた時は、どうなるかと心配だったんだよ。でも、向かいのおじちゃんの手助けがあったり、私がしばしば質に出された壊れた時計を持っていったりしてたら、いつの間にか軌道に乗ってね」

 

 今は客足も落ち着きすぎているほど落ち着いて、暇なくらいだけど。

 

 でも、父が頑張ってくれたおかげでうちにはあれだけの数の時計──ざっと300種類ほどか──が並んでいると考えると、あの人の貢献度の大きさは嫌でも分かる。

 

「そっかあ……教え子さんだったのか……っていうか店長、昔はヤンチャしてたんですか?」

「そこそこにな」

「なぁにがそこそこだよ。賭け麻雀狂いだった癖に」

「賭けっ……!?」

「菓子とか飯を賭けてたんですよ、現金よりはまだマシです」

 

 自分でもビックリするほどに、今の言葉に反省の色はない。既に死ぬほど反省したからな。

 

「そういえば、これを貰った時の状況はどうだったんです? 挙動がおかしかったり、ここに来て大きく衝撃を与えたりとかはありました?」

「だってよ、ばあちゃん」

「そうだねえ……特に異常はなかった。そう、なかったんだけどね……姉の家にあった時は動いていたんだよ。でも、不思議なことに『この蔵に置かれた時』から『止まっている』んだ」

「搬送方法は?」

「トラックだよ。4トンの。他にも貰ってきたものは何個かあったからね。そこのトーテムポールなんかもそうだ」

 

 万実さんが指さす方を懐中電灯で照らすと、1.5メートルほどの、トーテムポール界では小さい方であろうそれが鎮座している。蔵の隅っこだ。

 

「具体的には、いつ?」

「この場所に置いた時には、もう止まっていたね」

「……中の歯車が狂ったか?」

 

 俺は中の下トーテムポールから、再び置き時計に懐中電灯と視線の照準を移す。

 

 強く置かれた形跡があれば、ここに来てすぐ止まったのも納得が行く。そう思い、床にめり込んでいないか、また時計側の土台が傷ついていないかを見てみる。

 

 すると。

 

「……『タウマゼイン』……」

「え? 何ですか、それ」

「ここに書いてある」

 

 時計の土台の右端に、そんな文字が見えた。『タウマゼイン』、表記は筆記体とも呼べないくらいの殴り書きで『Thaumazein』だ。彫ってあるわけではなく、上からペンでそう書いてある。

 

「時計の名前、ですか?」

「メーカーの名前、もしくはこいつを作った人の名前……オーダーメイドだったら後者だ」

 

 ほうほう、としげしげ見る月夜美。すると、何かしら閃いた様子で、スマートフォンを取り出す。

 

 画面を少しいじり、彼女は「じゃっじゃじゃーん!」と画面をこちらに見せる。

 

「なんでもレンズ〜!」

 

 にゃんちゅうの出し方で、ドラえもんのひみつ道具みたいな名前のものを見せてきたぞ。

 

 一見、ただのカメラ機能。外カメなので、画面にはスマホの向こうにいる月夜美と市ヶ谷さんが映っている。

 

「おおっ、その手があったか……」

 

 なんだなんだ、市ヶ谷さん。そんなに納得して。この場で何か役に立つものなのか。

 

「……月夜美、説明を。さっぱり何のカメラなんだか分からない」

「えっと、検索エンジン内にある機能です!」

「ほう、検索エンジンに?」

「そうです! 検索エンジンに!」

 

 俺もギリギリ納得出来るラインの言葉が出た。そして、俺と月夜美と市ヶ谷さんの3人は、何かを察して同時に万実さんの方を見る。

 

「……携帯にエンジン……が、ついているのかい……?」

「あ、ばあちゃんはそこからなんだ。あの、検索エンジンっていうのはな、あれだ。ヤフーみたいなもんだ」

「???」

 

 骨董品に囲まれている生活だと、スマホを触らなくなるのか。そもそもガラケーを使っているのか。それは分からないが、万実さんは本当にピンときていない様子だ。

 

「お、おっほん……機能説明っ! これで写真を撮ると、それが何なのかを検索エンジンが画像検索して『これじゃない?』って提示してくれるんです!」

「へえ、そいつは便利だ」

 

 それでこの時計を撮ればいいってわけだな。

 

「試しにそこら辺のを……あっ、これ撮ってもいいですか?」

「ああ、いいですよ」

 

 月夜美は、近くにあった、ギタースタンドに立てかけてあるギターを指す。

 

 懐中電灯を向けると、そこには変形ギターがあった。しかも、俺と同世代か一回り上の世代でロックを聴いていた人なら、もれなく誰もが知っている有名なギター。

 

「それなら俺、知ってるぞ。hideの……」

「言ったら意味ないんですって」

「あ、そっか」

 

 思わず言いかけてしまったが、月夜美が出しゃばる俺を静止する。

 

 そしてやたらと高いテンションで「なんでもレンズ! 撮影っ!」とシャッターを押す。

 

 そうして撮影してから約5秒。月夜美は、スマホの画面を見せ、そこに書いてある文言を読み上げる。

 

「出ました! 『FERNANDES』の『MG-380X CS』! カラーは『チェリーサンバースト』! 店長、合ってますよね!」

「ああ。Xのhideが使っていたモデルだ」

「検索エンジン内で似た画像を引っ張ってくるだけじゃなくって、その似た画像があるサイトまで教えてくれるから、すぐにそういう品番も分かるんだよな」

 

 市ヶ谷さんが追加説明をする。なるほど、そいつは便利だ。

 

 万実さんはというと、目をキラキラさせて拍手をしていた。新鮮だろうなあ、こういう現代の機能。

 

「おお〜、携帯が検索してくれたのかい?」

「そうですっ! ふふん」

「スマホはすごいなあ」

「店長、私も凄いんですよ」

「検索しただけだろ」

「も〜〜! さっきまでこの機能、知らなかったクセにぃっ!」

 

 ホコリが舞わない程度に地団駄を踏む彼女。完全に市ヶ谷さんよりも子供に見える。今年で23になったのに。

 

 しかし、この機能で『タウマゼイン』とやらを探せば、公式サイトなり何なりにたどり着いて、修理の手がかりが見つかるかもしれない。

 

 よし、早速撮ってみよう。俺は懐中電灯を時計に再びフォーカスオンして、少しだけテンション高めに言う。

 

「月夜美! セット!」

「はいなっ!」

「なんでもレンズ、撮影許可!」

「了解! なんでもレンズ! 撮影っ!」

 

 シャッター音が鳴る。そして、しばしの静寂。

 

「なんだ今の」

「今どきの漫画の真似かしら」

「あー、かもしれないな」

 

 ガッシュは今どきの漫画ではないが、漫画の真似というところは合っています。

 

 ごめんなさい、アラサーが調子に乗りました。このフリーターは常に調子に乗ってますが。

 

「一言余計ですね!?」

「月夜美! 検索!」

「はいはい……」

 

 乗ってきたクセに少しウンザリ気味なのは何なんだ。

 

 今回の場合、先程の変形ギターのように、おそらく有名でもなければ極めて特徴的なフォルムでもなく、普通ののっぽの置き時計。

 

 果たしてどうかと、月夜美の検索を待つこと数分。あっ、という声をあげる彼女。

 

「み、見つかりました?」

「どうなんだい、月夜美ちゃん」

 

 万実さんと市ヶ谷さんも俺と共にスマホを覗き込む。

 

「……多分これじゃないかな、っていうのはありました!」

「どれどれ」

 

 画面には、フォルムも振り子の大きさも全く同じものが映っている。色もそっくり、上にある控えめな装飾も一致している。

 

 モデル違いでもなんでも、同じところが作っているなら内部構造は似通っている。どちらにしろ手がかりならあるだろう。

 

 そして、表記されているメーカーは『θαυμάζειν』。それを検索エンジンで翻訳すると、月夜美は「『タウマゼイン』です!」と叫ぶ。

 

「これだッ。検索してみてくれ」

「はい! ……あっ」

 

 少しスクロールをしただけであろう彼女は、早速嫌な予感がするような「あっ」を口に出す。手術中に聞こえたら一番嫌なタイプの「あっ」だ。

 

 月夜美はギリギリとぎこちなくこちらを向き、冬だというのに冷や汗をかきながら言う。

 

「1923年、ギリシャで作られた時計らしいです。1925年廃盤……1929年に『タウマゼイン』は……無くなって……」

 

 つまり、ホームページに取説が載っている的な希望はもう消えた、ということか。

 

「あら、私よりも年上なのね。戦前よ、戦前」

「も……もうすぐ100歳って事か……」

 

 まあ、どっちにしろ、それだけ昔の時計なら取説など無いだろうな。俺はため息をつき、道具カバンを開く。どの道具を使ったものか、とりあえずあり物のドライバーで振り子の下から解体してみるか。

 

 俺は少し長くなりそうな気配を肌で感じて、厚いダウンを脱ぎ、「万実さん」と声をかける。

 

「なんだい」

「今日はひとまず中身を見るだけですが……やるだけやってみますよ。月夜美、後ろで照らしていてくれ」

「あらまんちゅ!」

 

 俺がそう言って振り子の下に寝そべろうとすると、市ヶ谷さんが写真を撮る。

 

「どうしたんです?」

「わ、私、もうちょっと検索してみます。なんでもレンズで」

「ああ、助かりますッ。すみません、遅くまで付き合わせてしまって」

「いいんです、明日から冬休みですし」

 

 愛想のいい笑いをする市ヶ谷さん。月夜美の明るく透明感のあるビジネススマイルに負けずとも劣らない。

 

「お願いします」

「じゃ、私はご飯でも作ろうかね。進ちゃん達も食べていくかい?」

「はいっ! ご馳走になります!」

「あ、俺もお願いします」

「一応、聞いたのは進ちゃんに向かってのはずだけど……」

「いいじゃないですかぁ〜! 有咲ちゃんもそう思いますよねー?」

「ちょ、まっ! なんでそんな近寄っ……抱きつかないでください!?」

「ふふ、まあ大人数の方がいいに越したことはないね」

「すみません、うちのアルバイトが……月夜美!もっと下から照らしてくれ!」

「あ、はーい!」

 

 年の瀬迫る12月半ば。色々な意味で、今年一番のビッグスケールの依頼を、俺は請け負った。

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