黒岩百合という一人の女性に対して、四宮幸三があれほどにまで入れ込む理由が未だに分からない。薬学部出身の技術士官である彼女は、親族と呼べる家族も存在しない女性だ。
確かにそうした経歴があれば四宮幸三という個人であれば何かと目を掛けることだろう。
しかし彼は仕事と家庭は分別をつける性格であると子供ながらに把握していた。何より当時の彼は南部方面の参謀を務めていた。そんな中で防衛装備庁で揉め事を起こした彼女を保護し、一時的には自分の部下に収めていた。そして大和からも言われ、適当な理由をつけて昇進をさせた上で宿毛湾泊地に送り出していた。
一体どうしてそこまで入れ込むのかと彼の一人息子である四宮裕翔は疑問に思った。
「まさか…いや、あり得ないか?」
「どうかしましたか?」
執務室でぶつぶつ呟く裕翔に漣が話しかけた。
「ああいや、少しな…」
彼好みの焙じ茶を提供されると、それをありがたく飲みながら彼は思考していた。
「大尉の事ですか?」
「…流石にバレるか」
そこで同じ執務室で仕事をしていた大和が聞いてくると、裕翔は潔く認めた。
「大尉?」
「ああ、俺の個人的師匠の山郷提督のところにいる艤装技師だ。黒岩百合大尉って言ってな」
設置されたばかりで、まだ十分な施設の建設すらできていない東京泊地。その初代提督に就任した彼はその泊地で肩を小さくして挨拶をしてくれた黒髪が特徴的な女性士官を思い出す。
「今は提督をするための教育を受けている」
「あら、大尉は昇進試験を?」
この前、教育施設で出くわしたことを言うと大和はやや驚いていた。そしてそんな二人の会話から漣は邪推した。
「むむっ、これは女の匂いがしますね〜」
「んな野暮な話じゃねえよ、色気沙汰だったら俺がクビになる」
漣の茶化しも入った予想を立てられ、思わず反論してしまうと旗風が決算書類をまとめ、パソコンのキーボードを叩く。
「そうですね、司令が色気沙汰などに振り回されるほど余裕があるとも思えませんし…」
「笑えんからやめてくれ」
「ふふふ、裕翔さんは昔からそうだったではありませんか」
執務室に集う四人。これが今現在の東京泊地の戦力であった。これを見て本当に大和を動かすためだけに設置されたんだなあと思わざるを得ない。
施設もプレハブで、建造ドックもなく、艤装修理に必要な工廠は明石学校に頼み込むという超突貫仕様だ。
まあ外れ枠ではないし、そもそも裕翔は派閥抗争に巻き込まれたくない人間であったのでちょうどいい逃げ道かもしれないと思っていた。
「ん?」
そして今はプレハブで本当に泊地なのか?と思わせるほどの施設しかないこの泊地に立てる施設の確認を行っていると、彼が持っている個人用の携帯が鳴った。
「…」
連絡をした相手を見てすぐに確認をすると、彼は軽くため息をついた。
「漣、すまんがちょっと仕事頼んだ」
「はいはーい、お任せあれご主人様〜♪」
「…せめて提督と呼べ」
そして残った仕事を艦娘達に任せると、日頃の行いの良さからか漣達は何をするのかと聞くこともなく裕翔を見送ると、彼はロッカーで着替えた後に退勤のタイムカードを押してから駐車場の私用の車に乗って走り出していく。
「全く、反抗期の妹の出迎えとはな…」
自分もかつて似たようなことをしたもんだと若干の懐かしさを思い出しながら、彼は家に帰ってこないと家政婦から連絡を受けて異母妹を探しに向かう。
提督とは言え、緊急事態になった際はすぐに業務に復帰できるように離れるつもりはない上に、大和達のことを全幅に信頼していたので万が一の際でも指揮は取れるようにしていた。
「…流石に灯火管制がかかっているか」
そして市街地を走ると、そこでは街灯の灯りが以前に比べて半減している様子で、この時期であればかつては煌びやかなイルミネーションが通りを照らしていたはずだと懐かしむ。
しかし現在、そうした目立つ照明は灯火管制によって一切消され、道路を走る自動車の数も目減りしているようだった。
「西洲が言ってた通りだな…」
そこで彼は、秋の東京襲撃によって急速に北陸などの日本海側など、関東圏を脱していく国民が増えてきたという情報をふと思い出す。
既に関東圏に本社を構えていた企業も、リスク分散のために次々と本社を大阪や名古屋、福岡、札幌などに移転しており、関東圏に集中していた経済活動の拠点が移りつつあるという。
「…そろそろか」
そして市街地を何個も信号を越えて走ると、都内の繁華街に到着する。
その場所は戦時下であろうと何とか人々に快楽を与えようと努力するように灯火管制で煌めいた灯りが使えない代わりに色とりどりの看板を下げ、大声で人を呼び込んでいた。
「…」
自分もかつて学生だった頃、よくこの場所に訪れていたと振り返る。
そして今も戦時下でありながら、それでも青春を送っている学生が多くたむろしていた。
「藍那」
そしてそんな学生が多く集まる中、彼は一人の少女に話しかける。
その娘は学生服を着ており、呼びに来た裕翔を見上げた。
「…兄さん…」
迎えに来た裕翔に彼女は少し面倒そうな顔をして小さく舌打ちをしかけていた。その後ろでは複数の同じ制服を着た女学生がいかにもな雰囲気で着飾り、化粧をまとっていた。
「ほら、迎えに来たぞ」
「…」
私服で迎えに来た彼に藍那は何も返すことなくその友人と別れると、停めていた車に乗り込んだ。
「どうして兄さんが?」
「婆さんに言われもんでね」
そして東京の繁華街を抜けながら二人は話すと、後部座席で藍那は窓の外を見つめていた。
「兄さん、指揮官やってて忙しいんじゃないの?」
「ご生憎様、必要な書類は提出し終わったものでね」
おそらく家政婦が探しにくるだろうと思っていたのだろう、予想外な人が迎えに来たことに対して彼女は驚いた様子で、同時に嫌悪もしていた。
まあこと彼女に対して母親が探しにくることはないだろうと裕翔も分かっていた。
「どうして習い事をサボった?」
「…別に、やりたいと思ったから」
「なるほど…」
そこで家政婦が裕翔に探させた理由を聞くと、彼女は素っ気なく答える。
「あまり迷惑をかけるんじゃないぞ」
「…」
ハンドルを回して見覚えのある道路を曲がると、裕翔は先ほど見た女学生達を思い出しながら軽く忠告する。
「あと友人選びにも気をつけろ。高校生の頃にできる友人は大学生でできる友人ともまた違うからな」
その言葉に彼女は『余計なお世話だ』と言わんばかりに少し並んでから車のドアを開けた。
「どうせ高校生の友人なんて将来会うわけでもないでしょうに」
「どうだろうな?案外、心を許せる話ができる相手ができるぞ?」
運転席の窓を開けて彼は返すと、彼女は家政婦に引き取られる。
「今日はお泊りになられますか?」
「悪い、まだ仕事が残っているものでね」
顔馴染みの家政婦に話しかけられ、彼はそのまま走り出そうとしたが、一人で玄関を上がっていく妹を見て聞く。
「今日、親父は?」
「本日は遅くまでお戻りになられません」
家政婦から聞き、裕翔は少し考えた。
「…すまない、藍那と夕食を頼めるか?」
「畏まりました」
彼の頼みに家政婦は承知をしてからすぐに準備を始めると、裕翔は車を降りて家に上がる。
「仕事があるんじゃないの?」
「偶には家族で食うのもありだろう?」
軽く肩をすくめて言うと、彼女は何も答えず、しかし少し足音がいつもより大きくなりながら屋敷の奥に消えていった。
無論、自らの身を切り落として財源を確保した日本も無事で済むことはなかった。
目下、国土再建に必要な予算を確保できたが、海外資産を償却したことによって日本は外貨を一から稼がなければならなくなってしまった。
「…寒い」
その日、その場所では一人の老人が包まっていた。
「ママ?」
「大丈夫よ」
その老人の近くで寒さに凍える親子の声がする。彼らは長い列に並んで配給を待っていた。その長い列はどこまでも続いているかのように見えた。
「どうして戦時下なのに不況が起こっている!!?」
そう怒鳴るのは某国の政治家であった。彼は市街地で無料配給を受け取る市民の列を見て戦時特需が起こらないことに困惑していた。
「長年の戦争と物流が止まったことによるインフレによるものです」
その疑問に答えるのは招致された経済学者であった。彼はこの戦時下で巻き起こった不況に対し、その対応策を取るために政治家の元を訪れていた。
「現在、我が国の金融市場では投資家による買い支えによって辛うじて耐えているに過ぎません」
欧州や米国で似たような状況が発生しており、その対応として配給券による価格統制を行おうとしていた。
「現在の東アジア諸国おいては、多くが日本による投資を受けております」
「…この不況を作った連中から金を借りているのか?」
信じられないと言ったような表情でその政治家は聞くと、学者は答える。
「国土が深海棲艦によって破壊された上、日本は西太平洋地域における安全を担っております。その安全を担保に彼らは国債を購入ぜざるを得ないのです」
そう言った上で学者は議員に言う。
「ですが、これはチャンスでもあります」
彼は議員に提案する。
「現在、アメリカ軍が撤兵をしたことでドルに対する信用は落ち、産油国の間ではドルと円による資源売買の兆候が見られております」
その提案はまるで悪魔の囁きかのようなものだった。
「そこで石油市場に我々のユーロを流すことを提案します」
「…米国がそれを許すと思うか?」
その案に対し懐疑的に議員は見る。今まで石油取引においてドルこそが基準であったことで超大国たらしめていたアメリカ。そんな大国を相手に堂々と喧嘩を売りかねない行為に議員は恐れていた。
しかしその学者は心配なさげな様子で言う。
「今の米国は南北のアメリカ大陸の防衛に戦力を割き、見返りに彼らの裏庭から資源を受け取ることでしょう。大西洋が封鎖された現状であれば、戦争が続く限りアメリカは中東地域の石油取引に口出しはできないと推測します」
それはまさしく地政学でもあった。海という人類が越えるために道具を必要とする物理的な分断。アリューシャン列島という細い蜘蛛の糸以外にユーラシア大陸と接続していない現状で、彼の国はまず自分たちの足元を盤石なものにしようとしていた。
「…分かった」
学者の話を聞き、議員はゆっくりと静かに頷いた。
今後の展開、読んだらどれかに投票してほしいです。
-
ハッピーエンド
-
微ハッピーエンド
-
モヤモヤエンド(?)
-
全部書け。