推しのために死に続ける話。   作:三つ首黒虎

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お待たせしました。
本日は少し長めかな?
とはいえそう変わりもしないでしょう。

今回もお楽しみいただければ幸いです。



86話 共鳴

 

 

「――行くぞ、松戸さん……!

 僕は……貴方を、助けるんだ……!!」

 

 ……怒りは、あった。

 友人を傷つけられた。

 当然だ、これで怒らないのであればあの二人を友人とは言えないだろう。

 でもそれは……あの二人だって覚悟していた事だ。

 僕が傷つけばあの二人は怒るんだ。

 

 僕が助けを乞い、彼らの意思で僕を助けるために手伝い、そして怪我をした。

 だからそこに僕が怒りを覚えるのは筋違いだった。

 

「……助ける…………?

 なら、アレを探せ……」

 

 目の前の男はふらつきながらもその言葉を呟いた。

 

「…………アレは……間違いなく、殺さないといけないだろうが……!!」

 

「しなきゃいけないなんてことはな――」

 

 直後僕の右腕の中から響いた破砕音。

 

 ♦︎♦︎♦︎

 

 右腕の中で骨が割れ、同じ音が脳に走った――景色が、入ってくる。

 

 何かが見えた。

 それはとても暖かい景色。

 

 梢と……これは影人さん、そして松戸さん……?

 

 三人が笑い合い、一緒に食事を囲んでいた。

 

 ♦︎♦︎♦︎

 

 今のは――なんだ……?

 

 そんな疑問を覚えながら視界を破砕音の響いたその右腕に向けた――

 

 いやに腕が熱い。

 この感覚は何度か経験した……

 右腕はいつの間にかいた松戸さんの手に触れられズタズタに歪み壊れていた。

 直前に抱いた疑問を忘れるように走る痛み。

 

 赤い雫が指をつたい地面に染み込む。

 

「――ァガアッ」

 

 呻き声をあげそうになった。

 しかしそれをしてはならない。

 それをしてしまえば外の二人に聞こえてしまう。

 

 痛みは一瞬だった。

 次の瞬間には僕の腕は血液を消費してその姿を元通りに復元される。

 

「……あぁ、それでも直るのか――

 神経系を含め……砕いたはずなんだがな……」

 

「な、にを……」

 

「存外便利だな、その個性は……

 だが知っているぞ、それは限界があると――」

 

 松戸さんはそういうと今度は僕の腹部に一撃を与えた。

 

 腹部に走る衝撃。

 骨が砕け内臓が潰れる痛み。

 喉から血が逆流し口の中にそれは溜まる。

 

 ――呑み込まなくてはならない。

 僕の再生は血液を必要とする。

 これは、身体の外に出しては――

 

 腹部に二度目の衝撃が走った。

 思わず口から吐き出してしまった。

 腹部が熱い……熱いはずなのに、なぜか涼しい……?

 身体の中に吹き込む風、自分の腹部を覗き込んだ。

 

 松戸さんの手が貫通し僕の腹には穴が空いていた。

 そこから地面に溢れ落ちる血液と内臓。

 

 ♦︎♦︎♦︎

 

 また、見えた……?

 何で、さっきから……

 

 これは……結婚式場?

 いや……人が少ない。

 どうやら下見らしい。

 梢は楽しそうな表情で松戸さんは少し照れたような表情で、どんな結婚式にするか話し合っていた。

 

 ♦︎♦︎♦︎

 

 身体が修復された。

 今ので血が相当量抜けてしまったかもしれない。

 置換で逃げればよかったはずだった。

 

 試していないわけがない。

 だから、それは発動しなくて――

 

 一つの可能性に至った。

 ……僕の個性は同時には使えないのか。

 

 

 今思えば、血換を使っている間は置換が使えず、逆もまた同様だ。

 観測も、血換も、力の個性も、どれかを使っていると他の個性が使えない……?

 

 気づかなかった。

 僕は、複数の個性を獲得したけど……

 今まで同時使用していなかったかもしれない。

 

 観測したから人を置換出来るようになった。

 でもこれは、観測は見た後に置換の個性を使っていたからできた……

 

 ……この戦いで使う個性を縛らなくてはいけない。

 数が多ければそれだけ選択を失敗する可能性がある。

 僕はそう戦闘経験が豊富ではない。

 そして、失敗を是として繰り返してきた人間だ。

 

 だけど、もう失敗出来ない。

 今死ねばいつに戻るかわからない。

 

 

 使う個性は――

 置換はダメだ、殺すしか無くなる。

 僕はもう……人を殺したくない。

 

 観測……はこれ単体では何の意味もなさない。

 

 力の個性は、これも殺すことにつながるだろう。

 いくら弱くなったとは言え人の身には余る力だ。

 

 だから……血換だ。

 これと今まで培った技術を使って、直らなくなる前に勝負をつける――!!

 

 ……自爆特攻もいいところだ。

 二人に見られたら怒られるかもな……

 

 でも、彼を救うにはそれしかないんだ――

 

 僕は力の個性は使わずに彼に殴りかかった。

 

 殴る、それは破壊の技術。

 しかし個性でないが故に手加減を自分の任意にすることができる。

 正しい姿勢、正しい動き、正しい力の込め方、

 突く時の捩れ、拳の握り、全てが揃って必殺の一撃と化す。

 ――で、あれば。意図的にどれかを欠けさせれば……?

 角度をずらす。拳を捻らない。骨は折らず、痛みだけを置いていく。

 それだけで、それは必殺ではなくなる。

 ただの殴打、物理的な外装の破壊にしか繋がらない。

 故に手加減、そしてその一撃は――簡単に命中する事になった。

 

「――がっ」

 

 なぜ……?

 そんな疑問を抱いたがそれはすぐに解消される。

 自身の中から生まれた回答。

 

 ……違う。

 ダメージがあるから今までと同じ動きが出来ないんだ。

 今も視界は反応していたのに身体が追いついていなかった――!

 

 

 

 ♦︎♦︎♦︎

 

『どこに行く、梢――』

 

 そう追い縋る松戸さんと嗤いながら立ち去る血に染まった梢。

 

 

 ♦︎♦︎♦︎

 

 彼の痛みが僕に響く。

 今の、僕と同じ――?

 

 

 拳を受けて一瞬怯んだが、松戸さんはすぐさま僕に攻撃を返した。

 しかし拳の一撃は先ほどより軽くなっている。

 故に警戒するのは個性のみ。

 

 そしてその個性も……壊れた瞬間に直せば問題ない。

 いや……勝手に直るのだ。

 血換という個性はオートだ、マニュアル運転はまだできない。

 できることと言えば傷口に意識を向けて再生速度が上がるくらいだ。

 

 僕の身体を衝撃が襲う。まるで銃弾をいくつもその身に受けたような衝撃に一瞬息が止まった。

 

 身体に痛みが反響する。

 

 だけどそれも一瞬、覚悟を決めていた以上すぐさま僕は攻撃という返答を返した。

 

 さっきから何度も松戸さんは苦しそうに何度も何度も蠢いている。

 

 ♦︎♦︎♦︎

 

 これは……やけに新しい記憶のように思える。

 

 この場所は……試験会場……?

 景色も暗い、夜だろうか。

 頭から血を流している松戸さんと梢がそこにいた。

 

『やっと見つけたぞ、梢――』

 

『なしたん……?全くしつこい男やねぇ』

 

『……いや、違うな梢ではない。

 俺は……何処か違和感は感じていた。

 お前は――誰だ……』

 

『あ、ひゃひゃ……あひゃひゃひゃひゃひゃ!!!!

 何いうてるん……?うちやん。

 どこからどう見ても梢やろ――?』

 

『いいや違う。

 今日確信した。

 置換隷の記憶を読んだ……と言ったな。

 ……梢にそんな個性は存在しない。

 記憶を読む……?あいつの個性はそんなものではない――!!』

 

『……そう、俺は何かを忘れていた。

 だから、それを……その封じていた"それ"を壊した』

 

『お前に関する記憶だ。

 お前と付き合い、結婚するはずだった記憶が欠けていた』

 

『ほんで……?』

 

『それを思い出した今なら……

 お前に対する違和感は疑念へと変貌する』

 

『……はあ……、つまんな。

 なんや、あんさん……それが、

 愛の力とでもいいたいん……?』

 

『……いいや、今まで気づかなかった、忘れていた俺が愛を語るなど片腹痛い』

 

『そりゃ、そやなぁ?

 あんさんのとこから離れて五年ってとこやな。

 その間なーんも気づかんで今更愛とか言われたら笑ってまうわ』

 

 

 

 ♦︎♦︎♦︎

 

 記憶を、封じた……?

 あの時の松戸さんは梢のことを……恋人のことを忘れていた……?

 それはなんて――ひどい。

 

 松戸さんの手が僕の頭に伸びる。

 故に個性を切り替え置換で距離を取った。

 

「貴方は……」

 

 彼は、あの時まで婚約者を忘れていた。

 

「貴方は、梢の事を……忘れていたのか……」

 

 僕は悲しみに満ちた声でそれを呟いた。

 

「ッ、何故……それを」

 

 松戸さんは息を呑む。

 直後彼は何かに気づいたように僕を睨みつけた。

 

「お前、何を観た――?」

 

 その瞳は殺意に満ち溢れていて、どこか震えていた。

 

「貴方が、梢と婚約していた事……

 梢を追っていた事……

 そして梢の事を忘れていた事を……

 僕は知った……いや、観えたんだ」

 

 見れば見るほど、彼の痛みが僕には具体的に見える。

 それは過去の自分が歩いた地形に、目の前の足跡を重ねる感覚だ。

 今の彼は……まるで“もう一つの僕”だ。

 このまま進んで彼女を救えなかったなら、きっと僕もこうなっていた。

 

 敵を殺し、殺して殺して殺した先、殺戮の荒野に一人でいた……あの時の僕だ。

 

 復讐は何も生まない、それは間違いない。

 少なくともその悲願を叶えたその瞬間気分はスカッとする。

 自分の区切りとして復讐が必要な人もいる。

 

 でも彼は僕と同じ。

 だから復讐を遂げたら後は止まるのみ。

 そのマグマのように煮えたぎる熱は消え去る。

 悲願を叶えた後その人は無気力で無感動な存在に成り下がる。

 

 だから、止めないといけない。

 それに……まだ梢……さんも、救えるのかもしれない。

 睡さんに乗り移ったアレをどうにかできるのなら――

 

 松戸さんの表情が無になった。

 

「そうか……なら、わかるだろう?

 アレは、殺さなくてはいけない。

 これ以上被害者を増やさないために」

 

 そう、それもあるのだろう。

 だけど本質は違う。

 彼のそれは復讐だ、怒りだ、他人の事なんて考えてすらいない。

 

「――違う。

 貴方のそれは虚飾だ。

 ただ、貴方の婚約者を奪ったあの人を殺したいだけだ」

 

「……そうだ。

 何が悪い……?奪われたから奪い返す。

 俺はアイツを殺しあの時の日常を取り戻すんだ」

 

「……あの人を、殺したら梢さんが帰ってくると思うんですか!!?」

 

 そんなはずはない。

 人は死んだら帰ってこない。

 あそこに寝ている彼女は……もう、生きていない。

 生命維持装置に繋がれてただ生物学上生かされているだけだ。

 

「……あぁ、戻ってくる。

 梢はここにいない。

 なら、まだ中にいるんだ。

 アイツを殺せば中の魂は解き放たれるんだよ」

 

 見えていない、今の彼は……現実が見えていない。

 だから僕は伝えなくてはいけない。

 その辛さを知っている僕が、もう一人の僕を止めなくてはいけないんだ……

 

「――違い、ます。

 もう、あの人が乗り移った時点で混ざり合うんだ。

 僕だからわかる。

 もう朧げだけど、観える僕だから……わかるんだ」

 

 そう僕は静かに呟く。

 

「――」

 

 松戸さんが大きく目を見開いた。

 顔を両手で覆うと狂ったように呟き出した。

 

「……ちがう、違う違う違う違う違う違う違う……」

 

「――そんなはずはない……!!!」

 

 その声を発すると松戸さんが目の前にいた。

 彼の眼からは涙が溢れ頭から垂れた血が頬を伝う。

 まるで、血の涙を流しているようだった――

 

 彼の、怒りを受け止めなくては……

 だからこその血換だ。

 全ての怒りを受け止めて、

 彼に僕の感じたものを伝えるんだ。

 

 僕は彼の一撃を受ける。

 その上で悲しみを込めて彼を殴る。

 殴られるたびに殴るたびに彼の記憶が僕の中で蘇る。

 右腕の骨が砕けた瞬間、“痛み”に引かれるように映像が流れ込んだ――

 

 学生時代の二人、梢と松戸さんが出かけていた記憶。

 松戸さんが梢に告白し、涙ながらに頷いた梢。

 影人さんや他の友人からいじられつつも嬉しそうな松戸さん。

 花粉症の梢に、花の代わりにハーブを束ねて渡す。

 台所に爽やかな匂いが満ち、二人でスープを作った夜。

 梢の両親に頭を下げ続けた通い路。帰り道だけは遠回りして、コンビニの肉まんを分け合った冬の湯気。

 それでも構わず通い続けようやく認めてもらって二人して泣いた夜。

 さっきも見えた結婚式場を一緒に回っている場面。

 

 そんな優しい記憶、

 僕の身体に響き渡る痛みと反面心は温かく満たされる。

 

 松戸さんの前から血塗れで消えた梢……そしてそれを追う松戸さん。

 夜、静かに一人彼女を想い涙を流す男。

 そして、彼は梢を見つけ記憶を封じられた。

 僕と出会い、違和感を問いただした松戸さん。

 

 痛みの記憶。

 僕はそれを自分と重ね合わせる。

 大事な人を他人に殺され失った……他にも被るところはあるけれどその一点において僕たちは同じだ。

 

 様々な記憶が流れ込む、その理由はわからない。

 でもその記憶が僕の中に流れるのに呼応するように彼の攻撃の手はだんだんと緩んでいく。

 

「――お、まえ……は」

 

 松戸さんの完全に手が止まった。

 

「……どれだけ、繰り返した――?」

 

「……えっ」

 

 なんで知って――

 

「お前に触れれば触れるほどお前の記憶のようなものを流し込まれた」

 

 僕も、同じだった。彼に触れられれば触れられるほど彼の記憶が流れ込んだ。

 彼は一度咳き込むと口から血を吐き出した。

 

「ゴフッ……

 そんな経験をして尚……なぜアイツを殺そうと思わんのだ……」

 

 ……それは……

 

「……俺には、無理だ。

 アレが生きているだけで耐えきれない嫌悪がある。

 憤怒があり、憎悪があり、殺意が溢れる」

 

 当たり前だ、僕だってそうするし……事実そうした。

 だからこそ、僕は一度間違った。

 それに――

 

「僕は……」

 

「僕の知っているあの人は……梢に移られたあの人は……それを望まないから……」

 

「……それは――

 …………あぁ、そうだろうな。

 梢もそう言うだろうさ……だが、そう言うもんじゃないだろう?」

 

「要は納得の問題なんだよ。

 お前は経験して失敗した。

 だから俺を止めたい……まぁ、そんなところだろうさ」

 

「だがな、それはお前が実際に復讐出来たから言えたことだ」

 

「俺は……俺にはただのこの一度の生しかないんだよ」

 

「なぁ、俺も殺したいんだ……

 俺の最愛を奪ったあの害悪を……」

 

「……だが……

 ……残念だ、今までの無理が祟ったか」

 

 再び彼は僕の前で吐血した。

 

「……お前が繰り返した中で俺は長生きしなかった……そうだな……?」

 

「……そ、れは――」

 

「あぁ……答えはいらん、その表情が物語っている。

 そうか……死ぬか。

 ……まぁ、別世界とは言えアレを殺しているなら……

 それに、救える可能性が見えただけ重畳か……」

 

「――なら、俺は素直に終わろう。

 アイツを救える可能性を俺が奪うわけにはいかん」

 

 彼は大きく息を吐きだすと、僕に視線を向けた。

 それは弱っている身体と反面にとても鋭い視線で僕は真っ直ぐ見返せなかった。

 

「置換隷、お前は世界を繰り返している」

 

 松戸さんは……僕の記憶だけでそこに至ったのか……?

 

「……あぁ、違う。

 世界は複数存在するのか。

 お前の存在がそれを証明した」

 

 松戸さんは言葉を続ける。

 

「世界が単一であるのなら未来は一つしかない。

 だが、お前は複数の先を経て今を過ごしている……か」

 

 彼が何を言っているのかその全てはわからない。

 しかしその言葉を聞かなくてはいけない。

 彼の表情はだんだんと青白くなっていく。

 

「……僕はあの人を救う。

 この世界で、だ……

 もう繰り返さない」

 

「――そうか。

 なら、アイツの中身を身体から分離させ救う方法を見つけろ」

 

「最後だ、先達であり後身として助言はしてやる。

 お前が戻らない、と決めているのもわかった。

 ……この世界での梢の救済は不可能だ……

 だが……もし、次戻ることがあったなら……アイツを、梢を救ってやってくれ……」

 

「……はい」

 

 まだ諦めてはいない。

 梢さんがアイツの中に混ざっていたとしても睡さんを救う過程で助けられる方法があるかもしれない。

 

そうじゃなくちゃ、救われないじゃないか。

 

「……いいか、梢についてまとめた研究データがここのデスクにあったはずだ。

 アレを見ろ、その上でアイツの個性が本当はなんのために生まれたのかを……知れ」

 

 まるで時間がないように彼は口早に話した。

 

「そして、俺の初見だが……次の身体に入れ替わる前であれば……

 コイツの……梢のようにならないはずだ。

 アイツの中身だけを封印する……あるいは、あの中身だけを抜き取る……

 それが出来れば……俺は……

 尤も……そんなことはできるはずもないか……」

 

「……さぁ、行け。

 俺は、ここで終わる。

 最期くらい二人にさせてくれ」

 

「……、ありがとう……ございました。

 ゆっくり……休んでください……」

 

 松戸さんは僕を一瞥するとすぐに梢さんに視線を戻した。

 とても大切なものを触れるような手つきでその頬に触れた。

 

「あぁ……」

 

「すまない……お前は、ここにいたんだな……

 一緒に、休もう……

 今度こそ絶対に――」

 

 僕は彼を横目に部屋を出る。

 背後から静かに扉の閉まる音が響いた。

 その後二人を連れて事務所から離れた。

 

 僕たちが事務所から出ると同時の出来事だった。

 事務所の天井からパラパラと石片が落ち、それは崩れるように一気に崩壊した。

 中から鈍い爆ぜる音――粉砕の個性が、静かに建物の骨を断ち切ったのだ。

 

「……なんで――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 白衣の男の最期

 拳を握ろうとしても、もう力が入らない――
 なのに、不思議と悔いはなかった。
 目の前に“可能性”があった。
 なら、俺は邪魔をできない。
 アイツを救えるなら俺は死んでもいい。

 建物に破壊を作用させる。
 眼前の大きな破壊音に続くようにパラパラと地面に石片が落ちてくる。

 そんな最中俺は彼女を抱きしめながら思考を巡らせる。
 

 置換隷は、個性で世界を繰り返している。
 それが巻き戻っているのか、自分だけが戻っているのかは定かではないが……
 仮に世界が一人の選択で分岐するのであれば、世界は無限に分岐するだろう。
 だが、そんなことは起こり得ない。
 この世界に、そんな膨大な演算を処理できるほどの器はない。

 ……もし、この世界が“神の設計した演算体”だとするなら、
 結末は最初から確定している。
 神の望んだ結末が、必ず訪れる。

 ならば、観測者の観測した場面は変えられない。
 観測こそが世界を定義しているのだから。
 観測された事実だけが現実になる。
 全ての観測者を騙す——それが世界を騙すことに他ならず……
それが出来るのなら――

 あいつの求める唯一の救済方法。
 死に定められた“彼女”を、救う唯一の手段……と言えるのか……?

 
「……は、全く……これじゃあ医者……ってより研究者じゃねぇか……」
 

 そう言うと同時に全身に重みを感じた。

 白く染まる世界の中、最後に見えたのは"彼女"の笑顔だった。
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