エリッサがレイネシアに耳打ちするのが聞こえた。
冒険者の優れた聴力は、その内容がマルヴェス卿の来訪であることを容易く聞き取る。
隅で見守りながらワインを嗜んでいた僕は舌打ちをした。
想定より早い。すぐさまシロエに念話を繋ぐ。
『チノモリちゃん。動きがあった?』
「奴が来る。動ける?」
『……!わかった、すぐ行く。念話は繋いだままで』
了解、と小さく返してポーズを解き、意識だけで念話を維持する。
本来念話は、動作と必要とする機能である。が、そこはそれ、こちとらARKSである。
細かいことはマグに投げればいい、というのは最近学習しつつある処世術であった。
耳をそばだて、入ってきたマルヴェス卿とレイネシアの会話を小声でシロエに伝え続ける。
「……送り付けてもない(多分だが、まぁ確定でいいと思う)書類で言いがかり、か。古典的やな」
『必要なのは倉庫って?こっちで何とかする、レイネシア姫が致命的な事になりそうなら介入して。多少の嘘なら後で合わせる』
「合点」
視線を送れば、レイネシアの顔色は青い。
エリッサが部下のメイドに確認し、書類の不備がないことも確定してしまった。
レイネシアの返事がちゃんとあるのは、後で調査の必要もあるだろう(多分偽造だと思う。伊達に彼女の執務室に週一で通っているわけではない)。
それはともかく、今はこの場を切り抜けるのが先決だ。
「失礼いたします、レイネシア姫。そちらが、お話いただいていたマルヴェス卿でしょうか?」
突然、背後から鳴った涼やかな声に、レイネシアは驚いて振り返る。
いつの間に着替えたのか、パーティー用のドレスに身を包んだ知り合いの姿にか、そして普段からは想像もつかないお淑やかな振る舞いにか。
「なんだね、君は。私は今、レイネシア姫と話しているのだが」
「申し遅れました。
レイネシア姫と円卓会議の連絡役を務めさせていただいております、と続けられ、初耳のレイネシアは目を白黒させた。
どういうことか、とエリッサを見返しても、彼女はただ頷くのみ。
困惑の元凶を見返せば、礼をしたまま視線がこちらに帰ってくるのとかち合った。
"まかせろ"と口の形だけで言われ、その圧に屈してこくこく頷く。
無音のやり取りは、マルヴェス卿には気づかれなかったようだ。彼の視線はチノモリちゃんの豊かな双丘と、大胆に見せつけられた足に集中している。
冒険者の女性は足を見せるのが普通なのだろうか、と疑問が湧き出る。
「さて、倉庫の件でしたよね?その件についてなのですが、私の方から円卓会議の方に打診しておりまして…」
「ふむ、しかしだね」
「こちらの代表者が直接お目にかかりたいと申しておりまして。おっと、ちょうど到着したようです」
高圧的に口を挟もうとしたマルヴェス卿だが、チノモリちゃんの続く言葉に飲まれる。
ささ、とにこやかに案内していく後ろ姿を、レイネシアは慌てて追いかけた。
あの後、ギルマスの〈
僕は今、冒険者ルックで広場に引きずりだされたレイネシアの付き人として背後に立っていた。
ギルマスに「そのままついていってあげて」と頼まれたからだ。
僕も昼間着ていた服装に逆戻りである。レイネシアはレイネシアで、例によって強制御着替えだ。
流石に疲れてきたのか、即席で作られたベンチに寄りかかっている彼女は、その状態でもなお育ちの良さを伺わせる姿勢をしている。
「…割と損な性分してるよな、姫さんも」
小声で呟くと、聞こえたのか彼女が振り返る。
「どういう意味でしょう?」
「真面目やなってこと。なんやかんやちゃんとするとこ、僕結構尊敬してるで」
視線を返してそう言うと、ぱちくりとした顔が徐々に朱に染まっていく。
褒められ慣れてへんのかなぁ、と苦笑しながら、ふけてゆく祭りの夜空に視線を向けた。