長らく私は飢餓に近い状態だったのだろう。
だろう、と推測する他ないのは、今の私とかつての私の自己連続性に疑義を挟む余地があるからだ。
かつての私と、今の私では根本的な思考能力からして多大な差異がある。
それを同一の連続した個体として認識してよいのだろうか。
この命題は思考を続けることとして、別にやるべきことがある。
現在の私は、〈
認識できるこの空間が、物理的に存在しているかどうかさえ定かではない。
使用していた肉体―――既に形を失っているが―――の知識を参照するに、ここは〈
その知識を参照した直後に、あの時の私はその内側に身を投げたはずだ。
己の本能に刻まれた、採集命令のままに。
飢えは満たされた……のだろうか。少なくとも、思考は明瞭で支障はない。
同時に、認識できた事象も多い。
この海に澱む〈
〈
否、不快に感じるようになったきっかけは認識している。
あの日だ。
昏く澱んだこの水底に、落ちてきた一対の煌めく欠片。
笑い合う青年と少女(のちに、少女と呼ぶべき齢でないことを知るが)が遺した〈
久々に渇望を覚えた。羨望という感情の意味を知った。
あの表情をさせる感情の名を知りたくなった。
彼ら―――〈冒険者〉に憧れた。
そう自覚したのは、もう少し後のことだったが。
二度目の転機は、それからしばらくして訪れた。
落ちてきたのは、今までのような〈
酷く衰弱していたようだったから、纏わりついていた〈
そのために覚えていた姿を使ったら、どうやら落ちてきた者は彼らを知っていたようだった。
偶然とは恐ろしい。悩んだ結果、彼女の姿を模倣することにした。
請えば、彼女は己の経験した事象を惜しげもなく語らってくれた。
その経験を十全に言い表せているとはとても言えない。それでも、彼女が可能な限り言葉を尽くしてくれたのはわかった。
同時に、寂寥と呼ばれる感情が苛むのを感じた。
彼女は〈冒険者〉なのだ。〈
苛む心すら愛しく感じながら、同時にこの時が続くことを願わずにはいられなかった。
「来い!お前も!僕と!一緒に!」
無謀な行いだった。
理解できなかった。私の考察する限り、彼女は諦観を基底とする価値観の持ち主で、このような無謀へ挑む人物ではなかったはずだった。
「いいんだ」
だから、そう言ったのに、
「僕が!良くない!」
彼女は諦めが悪かった。
「いいんだ。私は、愚かだったから」
「知るかそんなこと!」
そして、酷く聞き分けが悪かった。
だから、言うしかなかった。
「私はもう、『ここそのもの』なんだ。だから―――」
この水底に落ちるまでに使っていた肉体は既に失っている。
そしてこの空間から脱出する術もない。
そう伝えようとしたのに。
「知ったことか!お前は!どうしたいんや!?」
己の苦しさを振り切った叫びに、心が揺れた。
「言えっ!」
言ったところでどうなるのか。そう思考は断じるのに。
「私は―――私は」
心はその結論に抗って。
“冒険者に、なりたい。”
隠すことなどできない感情を漏らす。
それを聞いた少女の顔が歓喜に歪む。
「なら―――」
なら、なんなのか。
思考と別に、底冷えするような予感がする。
「
その予感は的中する。
この身を構成する〈
何故!何故!?そのような真似ができる!?
己の全てを捨ててまで、そうまでして、何故―――
「トバリ、どうした?」
そんな無理を押し通した少女は、今私の隣で顔を覗き込んでいる。
「いや……」
無邪気そうな―――否、実際に記憶の欠落から彼女の精神はだいぶ無邪気に寄っているが―――顔を見返し、そのまま言葉が零れる。
「お前、結構最低な理由で私を助けたよな、と」
「不満?」
「いや……そういうわけでもないが」
どちらにせよ、助けられたことは事実である。
「私じゃなくて、よかったんだろう?」
「お前以外におらんかったやろ。あんなトコに沈んでる奴」
「そういう問題か…?」
「それに」
悪びれもせずに伸びをして、少女はにかっと笑顔を向ける。
「別に助けるのも、僕やのうてよかったやろ?」
「馬鹿言え、あんな無茶する奴がお前以外にいてたまるか」
「おるやろ。ギルマスとか」
「…否定しづらい元祖を出してくるのはやめろ。第一、あの人はあそこに来られないはずだ」
「ま、せやな。結局、あの場所で出会えるんは僕らだけやったっちゅーわけや」
だから、ありがとう。
礼を言われて、私は困惑する他なかった。
「何の礼だ」
「僕の
「………どういたしまして」
憮然としながら応えると、我欲のために私を助けた少女はまた笑った。
もし、仮に。
あの時、私が無抵抗に従っていれば、ヒバリになった彼女は跡形もなく消え去っていただろう。
そうならなかったのは、私がそれを許容できなかったからだ。
私は、私が助けられることには同意したが、その代償となる彼女の消滅は肯んじえなかった。
抗いに抗った結果、色々歪な形になってしまったが…
それを知ってか知らずしてか―――後者だと信じたいが、勘の鋭い彼女なら前者の可能性もある―――彼女は、アイテムバッグから一枚の布を取り出して私ににじり寄った。
「おい、ヒバリ。何をする気だ」
「いやぁ、その立派な角、磨いてみたいなって」
「その行為に何の意味がある…?」
「僕の好奇心が満たされる」
「お前な………」
仏頂面でされるがままになる。
つくづく、この相棒には敵わない。