記録の地平線~記された器~   作:Chirumori

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閑話 反転-水底の孤児

長らく私は飢餓に近い状態だったのだろう。

だろう、と推測する他ないのは、今の私とかつての私の自己連続性に疑義を挟む余地があるからだ。

かつての私と、今の私では根本的な思考能力からして多大な差異がある。

それを同一の連続した個体として認識してよいのだろうか。

 

この命題は思考を続けることとして、別にやるべきことがある。

現在の私は、〈共感子(エンパシオム)〉の澱みの底に居る。

認識できるこの空間が、物理的に存在しているかどうかさえ定かではない。

使用していた肉体―――既に形を失っているが―――の知識を参照するに、ここは〈神酒(ソーマ)の海〉で間違いはないだろう。

その知識を参照した直後に、あの時の私はその内側に身を投げたはずだ。

己の本能に刻まれた、採集命令のままに。

 

飢えは満たされた……のだろうか。少なくとも、思考は明瞭で支障はない。

同時に、認識できた事象も多い。

この海に澱む〈共感子(エンパシオム)〉は、酷く穢れた―――絶望、諦観、或いは慟哭―――形を孕んで沈んでいるようだ。

共感子(エンパシオム)〉に飢えていた頃には想像も付かなかった不快感さえ感じる。我ながら贅沢になったものだ。

否、不快に感じるようになったきっかけは認識している。

あの日だ。

昏く澱んだこの水底に、落ちてきた一対の煌めく欠片。

笑い合う青年と少女(のちに、少女と呼ぶべき齢でないことを知るが)が遺した〈共感子(エンパシオム)〉。

久々に渇望を覚えた。羨望という感情の意味を知った。

あの表情をさせる感情の名を知りたくなった。

彼ら―――〈冒険者〉に憧れた。

そう自覚したのは、もう少し後のことだったが。

 

 

二度目の転機は、それからしばらくして訪れた。

落ちてきたのは、今までのような〈共感子(エンパシオム)〉の欠片ではなく、完全な形を保ったままの生命体だった。

酷く衰弱していたようだったから、纏わりついていた〈共感子(エンパシオム)〉を払った。

そのために覚えていた姿を使ったら、どうやら落ちてきた者は彼らを知っていたようだった。

偶然とは恐ろしい。悩んだ結果、彼女の姿を模倣することにした。

 

請えば、彼女は己の経験した事象を惜しげもなく語らってくれた。

その経験を十全に言い表せているとはとても言えない。それでも、彼女が可能な限り言葉を尽くしてくれたのはわかった。

同時に、寂寥と呼ばれる感情が苛むのを感じた。

彼女は〈冒険者〉なのだ。〈採集者(ジーニアス)〉である自分とは、住む世界が違う。

苛む心すら愛しく感じながら、同時にこの時が続くことを願わずにはいられなかった。

 

「来い!お前も!僕と!一緒に!」

無謀な行いだった。

理解できなかった。私の考察する限り、彼女は諦観を基底とする価値観の持ち主で、このような無謀へ挑む人物ではなかったはずだった。

「いいんだ」

だから、そう言ったのに、

「僕が!良くない!」

彼女は諦めが悪かった。

「いいんだ。私は、愚かだったから」

「知るかそんなこと!」

そして、酷く聞き分けが悪かった。

だから、言うしかなかった。

「私はもう、『ここそのもの』なんだ。だから―――」

この水底に落ちるまでに使っていた肉体は既に失っている。

そしてこの空間から脱出する術もない。

そう伝えようとしたのに。

「知ったことか!お前は!どうしたいんや!?」

己の苦しさを振り切った叫びに、心が揺れた。

「言えっ!」

言ったところでどうなるのか。そう思考は断じるのに。

「私は―――私は」

心はその結論に抗って。

“冒険者に、なりたい。”

隠すことなどできない感情を漏らす。

それを聞いた少女の顔が歓喜に歪む。

「なら―――」

なら、なんなのか。

思考と別に、底冷えするような予感がする。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

その予感は的中する。

この身を構成する〈共感子(エンパシオム)〉が、目の前の身体に急速に取り込まれていくのを感じながら、私は絶叫した。

何故!何故!?そのような真似ができる!?

己の全てを捨ててまで、そうまでして、何故―――

()()()()()()()()()()()()()()()()()なんて願いのために!!

 

 

 

「トバリ、どうした?」

そんな無理を押し通した少女は、今私の隣で顔を覗き込んでいる。

「いや……」

無邪気そうな―――否、実際に記憶の欠落から彼女の精神はだいぶ無邪気に寄っているが―――顔を見返し、そのまま言葉が零れる。

「お前、結構最低な理由で私を助けたよな、と」

「不満?」

「いや……そういうわけでもないが」

どちらにせよ、助けられたことは事実である。

「私じゃなくて、よかったんだろう?」

「お前以外におらんかったやろ。あんなトコに沈んでる奴」

「そういう問題か…?」

「それに」

悪びれもせずに伸びをして、少女はにかっと笑顔を向ける。

「別に助けるのも、僕やのうてよかったやろ?」

「馬鹿言え、あんな無茶する奴がお前以外にいてたまるか」

「おるやろ。ギルマスとか」

「…否定しづらい元祖を出してくるのはやめろ。第一、あの人はあそこに来られないはずだ」

「ま、せやな。結局、あの場所で出会えるんは僕らだけやったっちゅーわけや」

だから、ありがとう。

礼を言われて、私は困惑する他なかった。

「何の礼だ」

「僕の特別(あいぼう)になってくれて」

「………どういたしまして」

憮然としながら応えると、我欲のために私を助けた少女はまた笑った。

 

 

もし、仮に。

あの時、私が無抵抗に従っていれば、ヒバリになった彼女は跡形もなく消え去っていただろう。

そうならなかったのは、私がそれを許容できなかったからだ。

私は、私が助けられることには同意したが、その代償となる彼女の消滅は肯んじえなかった。

抗いに抗った結果、色々歪な形になってしまったが…

それを知ってか知らずしてか―――後者だと信じたいが、勘の鋭い彼女なら前者の可能性もある―――彼女は、アイテムバッグから一枚の布を取り出して私ににじり寄った。

「おい、ヒバリ。何をする気だ」

「いやぁ、その立派な角、磨いてみたいなって」

「その行為に何の意味がある…?」

「僕の好奇心が満たされる」

「お前な………」

仏頂面でされるがままになる。

つくづく、この相棒には敵わない。

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