「ありがとう、助かったよ」
とりあえずパンパンと服についた埃をはたきながら目の前の少女にお礼を言い、禁書庫の中を見渡す。そこには、想像していた通り壁一面に本がぎっしり詰まっていた。さながら大図書館のようだ。
「ここは禁書庫だよね?そして君が大精霊ベアトリス様かな」
「そういうお前は誰で、どうしてベティーの名前を知っているのかしら」
「セレス=ティンゼルっていうんだけど...なにぶん、聖域出身なものでね、ロズワール辺境伯からいろいろと」
それを聞いたベアトリスは露骨に嫌そうな顔をして「はぁー」とため息をつくと、
「あいつも口が軽い奴かしら。とにかく、聖域出身だというならここから聖域まで飛ばしてやるからありがたく思うがいいのよ」
「それはどうも。ありがとう...そういえば聞かないんだね」
「何を...」
「スバル君の安否だよ。彼を助けるために、禁書庫の入り口を近くにしていたんじゃないのかい?」
「...そんなわけが、ないかしら。今日初めて会ったお前に何がわかるというのよ、ニンゲン。」
ニンゲンじゃなくて、獣人のクォーターですとかいう屁理屈こねてもしょうがないか。
「これは出過ぎた真似を、失礼したね」
「分かれば、いいのよ。とにかく、今入り口を作ったからさっさと立ち去るがいいかしら」
気が付くと背後にはブラックホールのような空間の裂け目ができていた。やっぱり彼女の陰魔法は凄い。いつかご教授願いたいものだ。
「それじゃあ、お世話になったよありがとう」
「お前、さっきから気になっていたけどそのしゃべり方は...」
「しゃべり方?」
「いや、なんでもないのよ。早く行くがいいかしら」
それを聞き届けて、何となく軽く会釈しながら異空間の入り口へ足を踏み入れた。最後に見たベアトリスの顔は、まさに親に置いてけぼりにされた子供のような悲壮感に満ちていた。
*
まず、最初にスバルの意識に割り込んだのは不快感だった。
「うぇっ! おえ! うべげっ!」
口の中で砂利を噛んだような異物感、それをせき込むように吐き出しながら目を開ける。
視界には闇が広がっている。ここがどこなのか考えるよりも先に、まずひんやりとした冷たさが体の全体に触れている。どうやら、自分は横倒しで寝ているらしいと分かったところで、スバルはここがどこなのか理解した。
「墓所の中、か...?」
どうやら最初の試練の直後まで戻ってきたらしい。あの時も、意識の覚醒と同時に同じようなシチュエーション陥っていた。しかし今はそんなことより、
「...エミリア!」
スバルのすぐ傍らに倒れている銀色の少女を見つけ出す。その表情が苦悶に彩られているのを見届け、その寝顔に指先を伸ばすことを思わず躊躇した。
眠っている少女に他者が触れると、試練がどんな状態であったとしても中断されて戻ってきてしまうのをスバルは知っている。だが、
「今回がダメなのはわかってるんだ...」
意を決してエミリアをそっと抱き起こす。途端、苦しげだったエミリアの表情が急速に遠のきそのまま意識が覚醒へと導かれて...
「す、ばる...?」
「ああ、そうだ。俺だよ、エミリアたん。大丈夫か?」
そうして、エミリアが現状を認識してから...幼子のように泣きじゃくり始めるのを、スバルは何もできずにただ優しく抱きしめていた。
死に戻りをしたのだ、とスバルが落ち着いて事態の整理に入れたのは泣き崩れたエミリアをリューズの家に運び込み、ラムが彼女を寝かしつけたのを確認してからだった。
エミリアを一人にしてから家の外で黄昏ているスバルの頭の中は、脳裏に張り付いて離れない死ぬ間際の声と人影。
『言ったでしょう?約束をしたでしょう?』
一人はいつぞやの聞いたことがある艶やかな女の声だった。スバルはその声も、そして腹を切られる感触も嫌というほど身に覚えがあった。
「エルザ、だよな?やっぱり...ここで腸狩りの再登場ってことかよ、勘弁しろや...」
スバルの命を二度奪った異常者兼殺戮者だが、実時間一か月前にラインハルトに撃退された彼女の傷は浅くはなかったと思う。すでに完治しているのかそれともスバルを殺す難易度が低すぎるのか...
どちらにせよ考えるべきはエルザが屋敷にいた理由か。それと、考えるべきはもう一つ...
「『すまないね、間に合わなかったみたいだ。残念だが私は回復魔法を使えないんだよ』だったか...?」
エルザの他に確かに聞こえてきた謎の声。そして死ぬ直前に見た後ろ姿は、
「フレデリカそっくりだったんだけどな」
長身で金髪の女性といえば、最近緊急でやってきたロズワール邸のメイド、フレデリカが思い出されるが、どうもしっくりこない。
「エルザが殺し損ねたとは思えないし、それに喋り方が明らかに違うしな...別人と考えた方がよさそうだ」
回復魔法が間に合わないと言っていたことから敵ではなさそうだが、今のところそれくらいしか手掛かりがない。とりあえず謎の女について考えるのは後回しにしてまずはエルザの対処が優先だろう。
結晶灯の灯りが夜まで残っていたということは、前日以前から屋敷が空って線は消していいはず。つまり、タイムリミットは...今から四日後。いや、三日と半日ってところだろうか。
その限られた時間を使ってスバルがしないといけない役割。それは、
「腸狩りからの屋敷の防衛、もしくは安全の確保ってところか...」
スバルが実際にエルザと相対したら瞬殺間違いなしなのは、身に染みている。彼女の実力は異世界に来てからまだ経験が少ないスバルでも、卓越した高みにあると感じるのだ。それこそ、ユリウスやヴィルヘルムさんレベル、スバルが逆立ちしても届く相手ではないのは明らかだった。たまたまラインハルトさんが通りがかるなんてファインプレーをお願いするには虫が良すぎる。ご都合主義に頼れるような甘い世界ではないのは、この一か月でよくわかっていた。
エルザの依頼主を考えてみるが、どうもしっくりくる候補者がいない。となると、エルザ本人から吐かせない限りは無理だろう。そして、それを吐かせる実力がこちらにはない。現状エミリア陣営が武力として数えられるのが、パックwithエミリアたんと健常のロズワールだけなのだ。こちらの戦力不足ゆえに堂々巡りに陥ってしまう。
となると、スバルの考え得る打開策は...
屋敷にいる計4名を連れ出して聖域に逃げ込み、エルザからの襲撃を回避すること。そして、もう一つは...
「こんなところでなァにをうだうだやってやがんだよォ?」
一人座って黄昏ているスバルを、いつのまにかやってきたガーフィールが見下ろしていた。
「いや、ちょっと整理したいことがあってな。考え事してた」
とりあえず返事をしながら立ち上がり、ガーフィールに向き直る。
スバルより頭半個分低い背丈、鋭い眼に額の白い傷跡。尖りすぎた犬歯と獰猛じみた全身から放たれる鬼気...そして、
「金髪か...」
「あァ?んだよ」
「いや、なんでもない...なあ、ガーフィール。お前は最強、なんだよな。誰にも負けない自信がある、そうだろ?」
「ったりめェだろうが。誰っだろうと俺様がぶっ潰して、ぶっ飛ばして、ぶっ殺して勝ち誇ってやんよ」
スバルの問いかけにやや不機嫌に応じながらも、ガーフィールの自信は揺るがない。そう、スバルのエルザに対処するための二つ目の手段はガーフィールのことだ。彼を連れ出すことができれば、対抗戦力として考えることができるかもしれない。
「この聖域からでたら、お前のその力が必要になる時が来ると思うんだ。そうなったとき、お前の最強に頼ることがあると思う」
「あんだと?」
「その言葉、証明してみせてくれよ。それが一番、頼りになりそうだ」
困惑顔のガーフィールの肩を叩き、エミリアたちと話し合いをするためリューズの家の中へ向かった。
エミリアが起きてから、試練に対する話し合いは決して穏やかと呼べるものではなかった。前のループでの経験から、試練はスバルが受けようと考えたのだが、肝心のガーフィールに反対されてしまった。
スバルから出る魔女の臭い...それが怪しさを際立たせているようで、自覚のない自分からしたらどうしようもない話だった。
なぜか忘れていたエキドナの名前をラムと話しているうちに思い出し...いや、どう考えてもあの性悪魔女が意図的に記憶を奪ったに違いないが、とにかく翌朝墓所の様子を見に来たスバルの前には、案の定入り口前でふんぞり返るガーフィールがいた。
「朝から精が出るな」
「てめェこそ、朝っぱらから顔なんざ出してくんじゃねェよ。わっざわざ、俺様の気ィ立たせることに意味なんかあんのか、あァ?」
とりあえず手を挙げて朝の挨拶をすると、予想通りの反応。胡坐をかいて座る彼の隣には、小柄な人影があって、
「ガーフィールがいるとは思ってたけど、リューズさんがいるのは予想外だったな。おはようございます」
「ん、いい朝じゃな。スー坊も散歩かえ?」
「散歩っちゃ散歩だけど、ひょっとしたらと思ったのとあとはガーフィールを煽りに」
「てめェ...」
真正面から煽られ、ガーフィールの額には青筋。それをさわやかに無視し、
「俺もってことは、リューズさんも散歩?」
スバルの問いかけにふるふると、首を振るリューズ。どうやら一人で籠城紛いを決め込むガーフィールに朝食を持ってきたようだった。
リューズとガーフィールの間柄は、それこそ小さいころからの付き合いのようで...もちろんガーフィールの方がだが、どうやら生まれた時から聖域にいるわけではないらしい。
ガーフィールをどうにか動かそうと考えるスバルだったが、梃子でも動かなそうな彼を前に断念。出直すことにしたのだが、
「ガー坊の餌やりは終わったからの。少し、スー坊とも話がしたい」
「奇遇だな。俺もちょっとリューズさんに話聞きたいことがあったんだよ」
エミリアの顔を見てからにしたいところだったが、前回のループの記憶では昼頃に目を覚ましていたはず。今はまだ日が出たばかりということもあり、先にリューズさんとの話をすることにした。
「ちょっと話でも...はいいんだけど、目的地どこ? っていうか今さらすぎるけど、エミリアたんに寝床貸してるリューズさんってどこで寝泊まりしてんの? 草原?」
「そんなわけあるかいな。儂にだって家を借りる知人くらいおるわい」
「まあ、そうだよね」
「そうじゃな...ちょっと遠いんじゃが着いてこれるかの?」
「それはこっちのセリフなんだけど...足腰とか、大丈夫?」
「問題ないわい。逆に動かさんとガタがくるんじゃよ」
「切実!」
リューズさんの先導で歩き始めた方向は、町の外れ...と思いきや、町どころか森の方へ向かっていた。初めて来たところに少し怖さを感じるのも、また人間である。うっそうと茂る森というのは少々不気味だった。
「リューズさん、これ大丈夫?俺、森で遭難とかやだよ?」
「心配いらん、じきに着く。...ほら、ここじゃ」
森に入ってからしばらく歩くと、小振りの一軒家が姿を現した。どうやらここが目的地のようで「こっちじゃ」と手招きしてくるリューズのもとへ。
「ここが目的地?ずいぶん遠いところにあるけど」
「まあ、待っておれ。...セレス!おるか?」
え、セレス?それってまさか...とスバルが喋るより先に小屋の扉が開く。そこから出てきたのは...
「ふわぁぁぁ。おはよ、お婆ちゃん。どうかした...え」
寝ぐせで髪がぼさぼさ、そして寝ぼけ眼の...金髪の女性だった。