ヒュダトスミュトス   作:ㅤ ْ

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六節

 村の端に流れる小川。緑の多いその側の木陰で、膝に開かれたままの本を置いて座ったナイアスは瞠目してせせらぎに耳を傾けていた。

 

 せせらぎに混じって足音が聞こえた。足音は短音で、音が小さく軽いが蹴り足が強い。足腰が強く綺麗な歩き方の人物の音だ。

 

 歩き方が汚い人は村には少ないが、そういう人はズッズッと擦るような音を立てたり、人の身体操作の技量は割と足音に出る。

 

 「……寝ているのか?」

 

 ナイアスの傍らまできた足音の主は、そう声をかけてきた。それに応じてナイアスは目を開けた。

 

 木漏れ日に、矢車菊が咲き誇る小川沿い。斜め前にいたのはアイテルだった。

 

 「起きてるよ」

 

 「こんな所見られたらまたセクアナに、絵になって、っていわれるぞ」

  

 くっと笑ってアイテルは一つ揶揄(からか)う。

 

 「それはちょっと食傷気味かなぁ」

 

 ぼんやりと微笑してナイアスは答える。

 

 「何をしてたんだ」

 

 「川の、水の流れの音を聴いてたの」

 

 「水の音を聞いていると、煩わしい事が抜けていって頭の中を空っぽに出来るから、好き」

 

 サラサラと音を立てて流れる川の水に目を向けて言った。

 

 「どう思う? 先日の婆さんの話」

 

 問いかけられて、ふっ、と目線を一つ空に泳がせてナイアスは答える。

 

 「参考にするには情報は少なかったね」

 

 「もう少し何か分かればと思ったが、まぁ思った以上に村と外は隔たりがあるのかもな」

 

 そう二人は言い合った。

 

 「でも、俺も婆さんと同意見だな。夢だけ見て外に出ても痛い目にしか合わないだろう」

 

 「夢がない話という意味ではアイテル好みだったよね」

 

 「揶揄うなよ全く」

 

 クスリと笑って言うナイアスにアイテルは苦笑いして返す。

 

 「まぁ、現実はそんなものだよね。セクアナは少し気落ちしていたけど」

 

 「あいつが本気で出たがっているなら、勿論協力してやりたいんだかな」

 

 しかし、とアイテルは続ける。

 

 「なぁ、セクアナが漫然と外に出たがる理由。やっぱりあれか?」

 

 「……怖いんだろうね。贄に選ばれる可能性が」

 

 「やっぱりそれはあるよなぁ」

 

 そう、ナイアスはセクアナが怖がっているのを知っている。今年を含め後三回。自らが人身御供に選ばれるかも知れないという可能性。

 

 無論、単純な外への憧れも大きいだろうが、村にいる限り付き纏う死への恐怖からの逃避も理由にある筈だ。

 

 「セクアナはああ言っていたけど、夢を見るってのは現実逃避もあるよな」

 

 「うん。夢は現実の上に成り立つからね」

 

 「男の俺は役目がこないから、その恐怖は共有出来なくて申し訳ないんだが」

 

 「まぁ、女しか子供が産めなかったり、人間は生まれや立場で役割が違うからしょうがないよ」

 

 「落ち着いているな、ナイアスは怖くないのか」

 

 醒めてさえ見える達観したナイアスの様子にセクアナは問いかける。

 

 「うん、実はあんまり怖くないんだ」

 

 「……そうか」

 

 「正直、お父さんとお母さんが死んだ五年前、私も死んでいた筈だと思っているの。だから今更怖くない」

 

 「……あんまりそういう事は言うな。ご両親も悲しむだろう」

 

 「うん、ごめんね」

 

 アイテルが諌めると、ナイアスは謝ったが、その上で続けた。

 

 「ねぇ、アイテル」

 

 「なんだ?」

 

 「死んだ人って悲しむのかな?」

 

 その問いかけにアイテルは絶句せざる追えなかった。あの世の理を答えられる者はこの世にいないからだ。

 

 「……死んだ者が悲しむのかは知らないが」

 

 気を取り直してアイテルはゆっくり口を開いた。

 

 「お前が死ぬと、俺は悲しい。おそらく他の人達も」

 

 「……うん、ありがとう」

 

 微笑んで、瞠目しナイアスは言った。

 

 そう想われているだけで、幸福だったのかも知れない。

 

 「アイテルは死ぬのは怖いの?」

 

 逆に問い返されて、アイテルは少し驚きそれから考えた。

 

 「……五年前の飢饉。あの時は死ぬ思いをした。もう二度と味わいたくないという意味で怖い」

 

 「だが……考えてみれば、怖いのは死に向かう苦しみなのであって、考えてみれば死ぬ事自体を恐怖していたのではない気がする」

 

 「死に向かう苦しみは、死ぬから苦しいんじゃなくて生きているから苦しいんだよね」

 

 苦しみは死の側にはない。人の生の側にいつだってあるとナイアス。

 

 「あの時飢えて死んでしまった人達は飢えが極限に達した時飢えも苦しみも消えて、そのまま死んでいった」

 

 人間、案外最後は安らかで静かなものだとアイテルは思う。

 

 「あの飢えの日々の中で、俺もいっそそうなれば楽になれたのに、と思った」

 

 「そういう意味では、俺も死ぬ事自体は大して怖くはない、のかも知れない」

 

 と、慎重に考えを述べるアイテルにナイアスは一つ嘆息した。

 

 「困ったなぁ、これじゃ私達セクアナに寄り添えないね」

 

 「いや、俺だって湖に身を投げたくはないが」

 

 そもそもお呼びじゃないんだが。とアイテルは続ける。

 

 「何の話してたんだっけ?」

 

 「大分話がズレていっている気がするな」

 

 「何の話をしているのかしら?」

 

 二人が言い合っている中に、いつのまにか側に来ていたテミスが横合いから話に入ってきた。

 

 「それを忘れちゃったの」

 

 「姉さんなら覚えているんじゃないか?」

 

 「私、今来たばっかりなのよ?」

 

 若いのにボケるのが早いわね、とテミスは頬に手を当てて呆れるように微笑した。

 

 「あぁ、そうだ。村の外の事を聞いたんだった?」

 

 「婆さんにな」

 

 そう言って二人は先日の老婆とのやり取りをテミスに話した。

 

 「確かに、あんまり分かる事はないみたいねぇ」

 

 そうテミスは間延びした口調で感想を漏らした。でも、と続けていった。

 

 「外の世界は厳しいけれど……本気ならやっていけない事はないんじゃないかしら?」

 

 「そう、かも知れないけど」

 

 むしろ一寸先には闇しかないような内容を聞かされて、そんな事を言ってのけるテミスにナイアスは当惑する。

 

 「姉さんの剛毅さにはいつも驚かされる」

 

 「しかもポジティブ」

 

 そうナイアスとアイテルは言い合った。

 

 「そうよ、人間気合いと根性があれば何処ででも生きて行けるわ!」

 

 バッ、と手を上げて高らかにテミスは宣言した。お淑やかな外見とは裏腹に、結構ノリが良く明るい人であった。

 

 「私なんて五年前、お母さんも死んじゃって、私も殆ど逝きかけたけど、死んでたまるかって底力が湧いてきちゃって無事生き延びたくらいよ」

 

 「耳が痛い」

 

 飢えの苦しみに、生を諦めかけたアイテルは言った。あの苦しみの中、底力を発揮したテミスはアイテルにとっても心底尊敬に値した。

 

 この娘は、やはり雰囲気に似合わず豪胆であった。もっとも危機的状況などでは往々にして男より女の方が肝が坐っているものだが。

 

 「でも、その話を纏めるとキーパーソンになるのは一人じゃないかしら」

 

 「()()()()だよね」

 

 テミスの言いたい事をナイアスは引き継いだ。

 

 「外へと出たいと相談して、話を聞いてみる、か? 婆さんも言っていたが正直憚られるけどな」

 

 かなり後ろ暗い背景がありそうだし、藪を突いて蛇を出す。なんて事になりかねないとアイテルは言った。

 

 「()()()()

 

 そうテミスは言った。

 

 「それでも、セクアナが外の世界へ出たいのなら、話をするべきだわ」

 

 「現状、外と村を繋ぐ人はその人しかいないみたいだしね」

 

 「……姉さんの言う事ももっともか」

 

 テミスの意見に一考して、頷くアイテル。

 

 「ともかく、二人だけで考えてないで、セクアナと相談してみたらどうかしら」

 

 あの子の夢なんだから。と結んだ。

 

 「話通りならそろそろ旅人さんも、もうすぐまた訪れるだろうしね」

 

 そのナイアスの発言に、アイテルの表情が僅かに強張った。

 

 「そろそろ()が決まる時期だからね」

 

 柔らかく笑ってテミスが言った。つまり五年目の人身御供はもうじき決まるのだ。

 

 それは、ここにいるアイテル以外の者とセクアナ。その内の誰かかも知れなかった。

 

 「神様も、犠牲を強いるなんて残酷なものだよな。俺らはただ穏やかな日々を生きたいだけなのに」

 

 そんな当たり前の事の代償に神は未来ある若い娘四人を水の泡にした。そうアイテルは考えてしまう。

 

 「そういう事を言うものではないわ、アイテル。その穏やかな日々も正しい意味で有難いものなのよ」

 

 そう、平穏無事な今の在り方は(かた)い。奇跡のようなものなのだ。その日々を授けて頂いた神への感謝を忘れるべきではない。

 

 「アイテル。神様だって私達と同じなんだよ」

 

 テミスに続いてナイアスも、そう言った。

 

 「同じ?」

 

 「私達は、家畜を殺したり、植物を刈り取ったりして食べるでしょう? 私達は人間以外の命を一方的に奪って、それでもそれらと共存しているの」

 

 そう、訥々とナイアスは語る。

 

 「神様と私達の関係もそれと同じ。私達は人間以外から一方的に奪っておいて、自分達だけは一切代償を払わなくても日々が約束されるなんて、烏滸(おこ)がましいでしょう」

 

 「私達の平穏な毎日の為に身を捧げてくれた四人を、ただの()()だなんて言っちゃ駄目だよ」

 

 「……確かに今の発言は軽率だった。悪かったよ」

 

 二人から嗜められて、アイテルは素直に謝る。

 

 「そうだよなぁ。村の有難い日々の為に身を捧げた、か。感謝と敬意を捧げるしかないよな……」

 

 凄い人達だ、そうアイテルは空を仰いで言った——

 

………

……

 

 その夜、村の議場。

 

 長老方は揃って、ある儀式をしていた。

 

 やっている事は一種の卜術(ぼくじゅつ)である。ただ、これは()()為の卜術だった。

 

 それにより、候補の中からある一人の娘が示された。これにより今年度の人身御供が決定した。

 

 「決まった……」

 

 そう最長老は呟いた。それは呻くような押し殺した声だった。

 

 「どうしてこんないい娘が……」

 

 「よせ、私達が言えた事ではない」

 

 卜術(ぼくじゅつ)を用いてとは言え、選んだのは自分達には変わりはない。自分達がこの娘を犠牲にするのだ。

 

 「そうだよ、私達がいえた事じゃあない。私達のせいなのに、娘達に犠牲を強いている」

 

 長老方の一人の老婆はそう言った。

 

 「忍びない、忍びないねぇ。私ゃ自分が情け無くて仕方ないよ」

 

 そう涙を滲ませながら口惜しやと続けた。

 

 「何故私達のような老骨な生き残って、娘達は……」

 

 それを取り決めたのは自分達なのである。村ごと滅びるよりは、背は腹に変えられないと。

 

 それでも割り切れない悔しさがあった。だが、決まった事は覆らない。神への願いと誓いを破る事は許されない。

 

 今を持ってして今年の人身御供は、村でも特に器量良しで性格も芯が強いと皆に表される美女、テミスに決定した。

 

 数日後、正式に今年度の人身御供がテミスである事が村に発表された。

 

 それと時を同じくして、今年も旅人が村を訪れた——

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