ヒュダトスミュトス   作:ㅤ ْ

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二節

 「こんな湖の近くの木陰で優雅に読書なんて、どれだけ絵になれば気が済むのよ貴女は」

 

 「いや、別にそういうつもりじゃあ……」

 

 ビッ、と指先を向けて高らかに指摘するセクアナに、ナイアスは困惑したように微笑して頬をかきながら言う。

 

 「あっはははは、矢車菊凄い青い!」

 

 「聞いて?」

 

 それに対して既にセクアナは花畑に向き直って笑っていた。元気だなぁ、とナイアスは思う。

 

 「ナイアスは昔からここが好きね」

 

 「綺麗でしょう」

 

 それだけで理由は充分とナイアスは答えた。大きな湖面も、自然豊かな(ほとり)も確かに眼に美しい。

 

 「綺麗なんだけど、ね。皆普段はここに近づかないから」

 

 「……後ろめたいのかもね」

 

 セクアナが言外に言わんとする所をナイアスは言った。

 

 「ナイアスはそうじゃないの?」

 

 「私は感謝してるから」

 

 「相変わらず達観したような事をー」

 

 むー、とセクアナはむくれた。

 

 ナイアスもしょうがない事だから。とは言いたくなかった。

 

 五年前の飢饉。ナイアスの両親がそうであるように犠牲は少なくなかった。餓死者。病を併発した衰弱死。相当数の犠牲者が出た。

 

 そして、その終息にも犠牲を伴った。

 

 村の存亡すら危ぶまれると判断した長老方は話し合いの結果、村の守り神がいるとされる湖に厚く祈祷した上で人身御供を立てることにした。神に毎年一人ずつ七年の間、生贄を捧げる事を誓い、飢饉の終息を祈って、まず一人目の村の若い娘がその身を捧げて湖に身を投げた。

 

 程なくして、雨も多くなり、食糧も確保できる量も多くなり村は危機を脱した。翌年には作物の収穫も出来、村人達はほぼ元通りに食べられるようになった。

 

 そして、村人達は感謝を捧げて、誓い通りそれから毎年若い娘を贄と捧げた。これまでに四人、神に身を捧げ湖の泡と消えていった。

 

 そして五年目。そろそろ五人目が選ばれる時期だった。

 

 「そもそもナイアスは怖くないの?」

 

 「なんで?」

 

 「今年からは私達も資格があるのよ」

 

 「そうだね」

 

 資格。つまり神に捧げる贄として。若い娘という具体的条件は、十五歳から二十歳の村の少女である。そして誰が選ばれるかは詳しい方法は知らされていないが、長老方によるくじ引きのような完全にランダムで恨みっこなしの選択法らしい。

 

 そしてナイアスも今年から十五歳。彼女が今年の贄となる可能性もあるのだ。しかし、初めて自分にもその役割が来る可能性のある年でもナイアスは超然としていた。

 

 「やっぱり達観してる、私の方がお姉さんなのにー」

 

 「選ばれたのなら、身を捧げればいいと思うよ」

 

 再びむくれるセクアナにナイアスは穏やかに本のページを指でなぞりつつ、しかし何処かシニカルに言った。

 

 「ナイアスは、贄に選ばれたらそう出来るの?怖くないの?」

 

 「怖くない……とは言わないけど、これまでに皆役目を果たして来たのに自分だけは出来ないとは言えないかな」

 

 「そう、やっぱりナイアスは凄いなぁ」

 

 ナイアスの答えに、セクアナは嘆息したように言って、四人の先達が身を捧げた湖を仰いだ。

 

 「私は怖いもの。去年十五になってこの時期が近づいてきたら夜にベッドで、自分だったらどうしようって震えてた」

 

 そう告白しながら、セクアナは広い湖面に眼を向けて一つ息を吐いた。

 

 「四人とも、凄い人だなぁ、私だったら選ばれたら怖くて逃げ出しちゃうかも知れないもの」

 

 「もし逃げたら、それもそれで凄い事したって皆言うと思うよ」

 

 ナイアスは微笑んで、読む訳でもなく本のページに眼を落としながらセクアナの背に言った。

 

 「そうね。それに村も大変な事になるでしょうね。だからやっぱり私は逃げる事も出来ないかも知れない」

 

 そう、そうなった時の事を考えているのか、何処か茫然とした様子でセクアナは答えた。

 

 そう、大変な事になるだろう。神様との誓いをセクアナが破ってしまう事になったらどうなるだろう? 少なくともセクアナの家族は村八分だ。

 

 それ以前に神の怒りに触れ、村は今度こそ滅びてしまうかも知れない。セクアナのせいで。それでも我が身可愛さから逃げられる気は彼女はしなかった。

 

 「だったらセクアナも充分凄いんじゃない? きっと御役目を果たした四人だって怖かったろうし、それでも村の為にやったんだから」

 

 「まぁ、それに今年を含めて後三人。村の資格のある人達の数からいっても、当たる確率はかなり低いよ」

 

 これは事実だ、あくまで一年にたった一人。狭い村とは言えど条件に合う村娘はそれなりの数がいるのだ。

 

 もしこれがランダムに選ばれている訳ではなく、仮に恣意的に決定されているのなら、ナイアスが選ばれる可能性は幾分高いかも知れない。

 

 何故ならナイアスにはもう実の親はいないからだ。直接的血縁がいないから他より都合が良いと思われる可能性はなくはない。

 

 だが、それはまずないとナイアスは思った。まずもって今までの生贄達からしても普通に家族がおり長老がたが恣意的に決めているとは思えず、やはり実際に完全ランダムなくじなのだろう。

 

 それに、実の親がいるいないに関わらず、実際村の子供はある程度は村人皆の子供みたいに育てられている風習があるからだ。長老方だって、毎年我が子を差し出すような苦しみを伴っているのだ。

 

 「そうかなぁ、四人とも私みたいな気持ちで湖に入っていったのかな?」

 

 「……帰ろうか」

 

 ナイアスは本を閉じて言った。どうもやはり時期が近づき自分が選ばれる可能性にセクアナにナーバスになっているようだ。このまま湖の近くにいると四人の先達の魂に彼女の精神は引っ張られていってしまいそうだ。

 

 連れ立って二人、村に向かってゆっくりと歩き出した。

 

 「ねぇ、私がもし選ばれたらナイアスが変わってよ」

 

 しれっと、セクアナは自分の代わりに死んでくれというが、その口調から言って勿論本気ではなく、気心の知れた仲での軽口だと分かる。

 

 「あのねぇ、そういうのは変わったりするものじゃないの。選ばれたという事にも意味があるんだから」

 

 ナイアスは呆れたように笑って返した。贄となるのは完全ランダムならば、確かにそれに当たったのは神の意思が介在しているとも考えられる。つまり神意で選ばれた、と。

 

 「ちぇー、冷たいなぁ。それにやっぱり達観してる。私の方がお姉さんなのにー」

 

 「はいはい、じゃあしっかりして下さい姉さん」

 

 「あっはははー、ムリムリ」

 

 ナイアスの言葉をあっさり笑い飛ばす自称お姉さんのセクアナ。

 

 「でも、ナイアスの姉さん呼び、ちょっと可愛い」

 

 「ちょ、歩きにくい」

 

 そういいながら、セクアナは後ろからナイアスにひっつく。近づくとナイアスからはウッディーで落ち着いたニュアンスの甘い乳香(フランキンセンス)の香りがした。

 

 「ねぇ、いつかお姉さんと一緒に都会に行ってみない?」

 

 セクアナは目の前の不安からか、将来の展望を語り出した。

 

 セクアナもそうだが、村のまだ若者が外の世界へと憧れるのはままあった。

 

 もっとも、村人は村の外には一切のツテがないから、外の世界へ一歩でも出たら、村の外に出るのも初めての状態で、右も左も分からずに頼れるものもいない。

 

 そんな無謀な事をする程に度胸のある若者はまず居ないため、大抵は憧れは憧れのまま終わる。村の外に出たものは今までごく僅かしかいない。

 

 「んー、前々から言ってるけど、私は別に行ってみたくはないかな」

 

 「えー、なんで? 楽しい物一杯あるよー」

 

 「私は楽しい物なんてない方が()()()()が一杯あると思う」

 

 楽しいもの。それは村にいても聞き及ぶ外の世界の事だ。

 

 娯楽のない村とは大違いで、外の世界は娯楽天国なのだという、曰く、テレビ、映画、漫画、スポーツ、レジャー、旅行、観光。様々な楽しい事が沢山あるのだという。

 

 しかし、ナイアスは思う。楽しむ為だけにある楽しい事なんて()()()()()()? と。

 

 こうしていい天気の昼下がりに村を歩き、気心の知れた仲間と話す。

 

 家族と一緒に、畑の世話をして汗を流し、疲れた時に一緒にお茶を飲みながら一休みをする。

 

 家族と食卓を囲みながら素朴だが美味しい夕食を食べながら、その日あった事など何気ない話を交わし合う。

 

 それが、それだけの毎日が、とても楽しい。

 

 村を歩いている時に、何気なく仰いだ空の青さ。

 

 木陰で本に没頭して、何気なく顔を上げた時に映る矢車菊の蒼さ。

 

 湖の滸で、光を反射して煌めく湖面の眩さ。

 

 家事をしている時に、窓際に止まって鳥が歌う楽しそうなさえずり。

 

 それだけのものが美しく愛おしい。

 

 この村はそれだけで尊いものに満ち溢れている。

 

 だが、外の世界はどうなのだろう?そんなに娯楽がなければやっていけない程に毎日がつまらないのだろうか? その人達は自分達の頭上に広がる空の青さにも気付けないのだろうか?

 

 射幸心を煽る為だけの娯楽を楽しむなんてあまりにも()()()。そうは思わないのだろうか?

 

 そんな事を歩きながら取り止めもなくナイアスは語った。セクアナは時折相槌を打ちつつ真面目に聞いていた。こうして話をして、真剣に聞いてくれる親友がいたらそれだけで充分ではないか?

 

 「んー、まぁ言いたい事はわかるけどさー」

 

 「セクアナも五年前の事は覚えているでしょう。こうして不足なく生きていられる有り難さはわかっているでしょう?」

 

 むー、とセクアナは閉口し前髪を掻き上げた。確かに彼女とて当たり前にご飯が食べられるというだけの幸福は骨身に染みている。

 

 「確かにそうね。まぁ、欲張りすぎるのはよくないよ。それはその通り」

 

 否定は出来ないのでセクアナは頷いた。

 

 「でも、やっぱり広い世界があるなら見てみたいと私はおもうわ。ナイアスも昔っから海を見たがっていたでしょう?」

 

 「うーん、私は海は見たいけど、別に外の世界に出たいわけじゃないから」

 

 困ったように首を傾げてナイアスは答える。

 

 「じゃあ、こうしましょう」

 

 そこでいい事を思いついたとセクアナは両手を合わせて言った。

 

 「私は外の世界を見るために、ナイアスは海を見るために、いつか一緒に旅をしましょうよ」

 

 クスリ、と一つ笑ってナイアスは答えた。

 

 「貴女と二人ならそれも面白いかもね」

 

 五年前の出来事以来、ナイアスは海に対する憧れは持ち続けながら、外の世界への興味は失っていた——

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