気を失った千舞は、箱の中で目を覚ました。
彼女は力任せに箱を揺さぶり、壁を蹴飛ばして外に出る。
千舞は男の子の悲鳴を聞き、部屋の奥へと忍び寄る。
部屋の中には化け物と男の子がいて、化け物は男の子の口を引っ張って取り、食べてしまう。
千舞は化け物に捕まり、口の中に落ちてしまうが、何故か地下室のような空間に目覚めた。
「どういう事……? わたし、食べられたのに……」
きょろきょろと、千舞は部屋を見回す。
化け物はどこにもおらず、タケミツもいない。
「あ、人が……」
天井からぶら下がっている裸電球で、薄暗い部屋の一部分だけが照らされている。
そこに、人が三人いるのが見えた。
一人は男の人で、手にナイフを持って立っている。
あとの二人は女の人と男の子で、二人とも縛られているようだった。
「あ、あの男の子……!」
寮で、千舞に話しかけてきた男の子だ。
それに、男の子と一緒に縛られている女の人は、あのイモムシの化け物と同じ顔をしている。
どうやら魂絡繰の記憶らしい。
「今からゲームをして遊ぼう」
ナイフを持った男の人が、縛られている二人にそう言った。
「簡単なゲームだよ。君は迷路が好きなんだろ? ずっとこれで遊んでいたもんな」
男の人はそう言って、迷路のおもちゃを取り出した。
おもちゃを傾けると、銀色のボールが転がって、真ん中のゴールに落ちる。
「この地下室も、迷路みたいだと思わないか?
背の高い棚がたくさん並んでて、どこが出口か、ここからじゃ分からない」
男の人は、迷路のおもちゃを、男の子の服のポケットに押し込んだ。
「君をこの地下室の迷路で遊ばせてあげる。
先生と二人で競走して、先に地下室から出た方の勝ちだ。
ただし、負けた方にはお仕置きが待ってる」
「お仕置きって何をするんですか?」
女の人が、泣きそうな声で聞いた。
しかし、男の人はニヤニヤ笑うだけで、質問には答えない。
「先生は大人なんだから、ヒロアキ君にハンデをあげないとな」
男の人は、女の人にハイヒールを履かせると、
その上からガムテープをぐるぐる巻いて、脱げないようにしてしまった。
あんな靴では、絶対に速くは走れない。
明らかに、彼の嫌がらせである。
「大丈夫だよ、先生。オレが支えてあげるから」
男の子が、女の人を優しく励ました。
先生と、ヒロアキ――二人は学校の先生と、生徒らしい。
ヒロアキがどんな気持ちで先生を励ましたのかが、千舞の心に流れ込んでくる。
いつも優しく、教え方も上手で、大好きな先生だった。
一人で同時に地下室から出れば、二人ともお仕置きされずに済むのだから、
競走なんてしなくてもいい。
一人でゆっくり、ここから出ていけばいい。
そう、ヒロアキは心から信じていた。
だが……。
「十秒数えたら、僕が後ろから追いかける。捕まったら、二人とも負けで、お仕置きだ」
ずきりと、緊張で胸の奥が痛くなった。
ゆっくりとは進めない。
「さぁ、ゲーム開始だ!」
男の人が、人を縛っている縄をナイフで切ると、二人は一緒に走り出した。
しかし、人を支えて走るのは、思っていたよりずっと大変だ。
「じゅーう、きゅーう、はーち」
男の人がカウントダウンを始めると、
どうしても焦って、足がもつれて、ヒロアキは転んでしまった。
ヒロアキと一緒に、先生も転んで足を捻ったようで、非常に痛そうだ。
だが先生は急いで立ち上がると、すぐにまた走り出した。
ヒロアキを、その場に置き去りにして。
「待って! 置いてかないで!」
ヒロアキは叫んだ。
先生は、振り返りもしないで行ってしまう。
まるで、ヒロアキの事を忘れてしまったように。
「さーん、にーい、いーち……ゼロ!」
カウントダウンがゼロになって、男の人の足音が、ゆっくりヒロアキに近づいていく。
その代わりに遠ざかっていく、先生の足音。
捻った足を引きずりながら、ハイヒールで走る音は、化け物の足音と同じだ。
ヒロアキが転んだまま立ち上がらずにいると、男の人が追いついてきた。
「どうして逃げないんだい?」
その質問に、ヒロアキは震えながら答える。
「オレが逃げなかったら、先生は逃げられるんでしょ?」
「バカだな。どっちも逃がさないさ」
男の人は笑った。
「僕に追いつかれたら、二人ともお仕置きだって言っただろ?
あんなハイヒールじゃ、どんなに走っても、ゼッタイに僕に追いつかれる」
「そんな……!」
「君はいい子だなぁ、先生を守ろうとするなんて。
それに比べて、生徒を見捨てて逃げるなんて、悪い先生だ。先にあっちをお仕置きしよう」
そう言って、男の人は走り出す。
「待って! お願い待って! 先生、逃げて! 先生!」
ヒロアキは叫んだ。
先生の悲鳴が地下室に響いて、ヒロアキは耳を塞いで蹲る。
しばらくして、先生も男の人も戻ってこない地下室で、ヒロアキは恐る恐る立ち上がった。
たくさんある背の高い棚の間を縫って、やっと出口に辿り着く。
そこに、男の人が立っていた。
床に先生が倒れていて、ピクリとも動かない。
「……先生、どうしたの?」
「死んだよ。転んで、階段から落ちたんだ」
ヒロアキは泣き出した。
怖く、つらく、寂しく、悲しい気持ちでいっぱいだ。
「オレはどうなるの?」
「ゲームオーバーだ。君はここから出られない」
「どういう意味……?」
「そのままの意味だよ。一生、死ぬまで、君はここに一人でいるんだ。それが君へのお仕置きだ」
そう言って、男の人はドアを閉めた。
金属の、重たいドアだ。
ガチャンとカギのかかる音がして、
ヒロアキは急いでドアノブを掴んでガチャガチャと動かしたが、
押しても引いてもドアは動かない。
「出して! お願い、出して! 誰か助けて!」
「誰も助けに来ないよ。君がいた事なんて、みんなすぐに忘れるから」
男の人の遠ざかる足音が、ドアの向こうで少しずつ小さくなっていく。
あまりの非道に千舞の悲しみと怒りは限界に達しようとしていた。
地下室に一人きりで、死んでしまった先生と閉じ込められて誰にも助けてもらえなかった。
お腹が空いて、喉が渇いて、死んでしまうまで、
ヒロアキはたった一人で、迷路のおもちゃで遊んでいた。
そのため、ヒロアキも、先生も、死んだ後もこの地下室から出られなかった。
先生とヒロアキの、二つの魂が混ざって迷路のおもちゃに乗り移り、魂絡繰になったのだ。
「とにかく……ここから出ないと……」
「出られないよ」
人の声が聞こえて、千舞は驚いた。
声の方に顔を向けると、床に倒れていたヒロアキの死体がむくりと起き上がった。
目はサインペンで塗りつぶしたように真っ黒で、どこを見ているのか分からない。
しかし、顔だけは真っ直ぐに千舞の方を向いている。
「君は一生ここから出られない。これから時間をかけて、先生がゆっくり、君の事を消化する。
そしたら君の魂は、オレと先生の魂と一つになるんだ。
タケミツ君の魂も、もうほとんどオレ達に混ざってる」
「そんな……」
「ほら、君ももう、ちょっとずつ混ざりかけてる。見なよ、その足」
「……え?」
千舞が自分の足を見ると、足元に黒い水たまりがあった。
足を持ち上げると、ねちゃりと糸を引いて、引っ張られる感じがある。
「やだ、何これ……!」
「君は凄く呪力が強いから、消化にちょっと時間がかかるかも。
君の魂と混ざったら、先生もちゃんと話ができるようになるかなぁ。
今はただの動物みたいだけどさ」
千舞は床にどんどん引っ張られて、引きつけられていく。
立っていられなくなって、千舞は膝をついた。
ついた膝が黒い水たまりにぐちゃっと浸って、浸ったところから千舞の体は溶けていく。
「助けて、リュウ君、希華さん!」
千舞が叫んだ、その時だ。
「ちぃ! 手を伸ばせ!」
「助けに来たのであります!」
上の方から、流と希華の声が聞こえた。
地下室の天井を見上げると、天井に亀裂が走って、そこから人の手が飛び出してくる。
流と希華の手だ。
すぐに分かって、千舞は思い切り手を伸ばした。
しかし、全く手が届かない。
立ち上がりたいが、膝がべったり黒い水たまりに張りついていて立ち上がれない。
「無理だよ、届かない!」
「十狼太! 中に入ってちぃを引っ張り上げろ!」
「おうよ!」
天井の亀裂から、十狼太が飛び込んできた。
狼男姿の十狼太は、千舞を力ずくで黒い水たまりから引き剥がす。
「逃がさない! そいつを食べて、オレ達は強くなるんだ!」
ヒロアキがそう言うと、地下室全体がどろりと歪んで、
床や壁から、黒く細長い手が、千舞を捕まえようとするように次々と伸びてきた。
希華は流と共に手と魂絡繰の本体を迎え撃つ。
十狼太は千舞を下ろした後、素早く動いて間合いを詰める。
希華は距離を取って銃を構え黒い手を撃ち、流は刀で踏み込み突きを放った。
攻撃は手に弾き返され逆にダメージを受けるも、流が怯む事はない。
「くそ、多いなっ!」
黒い手が十狼太に襲い掛かり、十狼太は鋭い爪で反撃する。
流は黒い手の攻撃を食らいながらも刀で黒い手を切り裂いた。
イモムシのような化け物は滑空移動して間合いを詰めたサクリエルを攻撃する。
だが、サクリエルも光の力を放って化け物に反撃した。
「流石サクリエル! 早く倒さないと……」
希華は銃を構え直し、黒い手を狙撃する体勢に入る。
十狼太は希華が化け物を撃てるように、爪で黒い手を薙ぎ払う。
希華は隙を見て黒い手を銃で撃ち、流も刀で黒い手を斬りつけてとどめを刺した。
「もう一体いたか!」
流はもう片方の黒い手から攻撃を食らってしまう。
サクリエルは光の力を使って、流を攻撃した黒い手にダメージを与えた。
イモムシのような化け物は暴れ回って十狼太を攻撃し、十狼太は爪を大きく振って反撃する。
「そこっ!」
希華が放った銃弾が見事に黒い手に命中し大ダメージを与える。
流は弱った黒い手を刀で切り裂き、消滅させる。
残ったイモムシの化け物に、サクリエルは飛び掛かって光を浴びせる。
イモムシの化け物は、暴れ回ってサクリエルに反撃した。
「うおりゃあっ!」
十狼太は思い切り爪を振りかざすも、イモムシの化け物から反撃を受ける。
だが、その攻撃で隙ができたようで、希華が撃った二発の弾丸が命中する。
流はイモムシの化け物に袈裟斬りを放ち、サクリエルは光の力で攻撃し続ける。
「とどめであります」
「おうっ!」
そして十狼太が爪で隙を作ったところに希華の銃弾が命中し、イモムシの化け物は弾け飛んだ。
後に残ったのは、先程まで化け物の腹の中にいたヒロアキだけだった。
流がヒロアキに、刀を突きつける。
ヒロアキは顔を上げて、あの、真っ黒な目で流を見返した。
「なんだよ……なんでジャマするんだよ。お前なんか呼んでない!
オレが助けてほしくて、
誰か来てって思ってた時は来てくれなかった癖に……なんでこんな時ばっかり!」
「おまえが人を呪ったからだ。オレ達は【ギャラリー】のコレクターであって、警察じゃない」
「自分達の仕事は、人を呪う魂絡繰を調伏する事であります」
「ちょうぶく……? それって、オレを殺すって事だろ?
オレと先生を殺した、あいつみたいに!」
「そうじゃないよ!」
千舞は、急いで流と希華の隣に走り出た。
「ねぇ、わたし達、友達になれないかな?」
「ちぃ!」
流が驚いて千舞を見る。
希華は首を傾げている。
「寮でわたしに、友達になってって言ってたよね?
一緒に遊びたいんだって。あれは本心でしょ?
わたしもあなたと友達になりたい。十狼太さんやサクリエルさん、リリー人形みたいに」
「……友達になってくれるの? でも、オレと先生は君の事……」
ヒロアキは、もごもごと言葉を濁した。
丸のみにされた千舞は、もう少しで消化されるところだった。
しかし、死ななかったので、千舞は怒っていなかった。
「他にやり方が分からないんでしょ? わたしね、先生のお腹の中にいた時、
二人が何を考えてて、どんな気持ちだったのか、分かったの。
凄く寂しくて、悲しくて……誰かと一緒にいたかった。だからわたしが一緒にいてあげる。
その代わりに、もう誰にも酷い事しないって約束して」
ヒロアキは俯いた。
その後ろに、大きなイモムシの化け物……先生がリスポーンし、近づいてくる。
しかし、襲ってくる様子はなかった。
「先生。タケミツ君の事、現世に帰してあげて」
ヒロアキがそう言うと、先生はタケミツの目や口を、べっと床に吐き出した。
それはさらさらと崩れるように、どこかに消えてしまう。
十狼太が軽く笑った。
「あーあ、お嬢ちゃんに調伏されちまった。
リリー人形の時といい、お嬢ちゃんの方がコレクターの才能あるかもな」
「戦士としてはまだまだでありますがね」
「五月蠅いぞ、十狼太」
流は少々拗ねたように言いながら、刀を下ろす。
希華もまた、銃をしまった。
その時、突然。
地面に、大きな口が開いた。
ヒロアキと先生は、地面に開いた大きな口にぺろりと飲み込まれてしまう。
部屋の壁がどろりと溶け出して、千舞達は黒いねばねばの海に放り出された。