キクノと千舞は手術室からの脱出を試るが、
ダクトの中で道が突然変わり、遺体安置室に迷い込んでしまう。
そこで彼女達は、ロッカーの中から泣き声を聞き、全身に目がある怪物に遭遇する。
彼女達は何とか怪物から逃げ出し、リリー人形の力を解放して怪物を倒す。
しかし、その後、廊下に奇妙なノイズが響き渡った。
『ザザザザ。アー……アー。緊急のお知らせです。
病院内で暴れた患者さんがいるので、カクリョビョウトウを開きます。
穏やかで安全な患者の皆さんは、病室から出ないようにご注意ください』
―ブツリ
そっけなく放送が途切れて、千舞達はなんとも言えない不安の中で立ちつくした。
「ねぇ、カクリョビョウトウって……何……?」
キクノが不安そうに聞くと、カズハも首を傾げる。
「たぶん、“隔離病棟”の事だと思うけど……
他の人に移る病気を治療するために、面会とかを禁止してる場所の事」
「……ううん。『かくり』とは言ってない。絶対に『かくりょ』って言ってた」
千舞はそう言って、腕の中のリリー人形を見る。
リリー人形も頷いた。
「隠世病棟」
口に出した瞬間、全身に鳥肌が立った。
千舞は今まで、何度か隠世に行った事があるが、
この病院は何となく「ただのオバケが出る病院」という感じで、隠世という感じがしなかった。
もしかするとここは、この病院は、隠世への入り口でしかないのかもしれない。
そして、院長が「隠世病棟」への入り口を開くとしたら……。
「ちぃ、見て……! 壁が……!」
キクノが、廊下の壁を指差した。
じわじわと、赤いサビが壁全体に広がっていく。
病院のあちこちから、呻き声が聞こえた。
「おおぉん、うぉおん……苦しい、痛い、助けて、助けて……」
「今……隠世に、入った」
千舞が呟くと、千舞達はお互いを守ろうとするように、誰からともなく体を寄せ合った。
ふっと、廊下をぼんやり照らしていた照明が消える。
チカチカと何度か瞬いて、また照明がついた時。
目の前に、怪物がいた。
歯を剥き出しにした、手足が長くて目のない怪物と、全身が目玉だらけの怪物が。
その後ろにも、おぞましい怪物がずらりと並んでいる。
倒した怪物が、リスポーンしたのだ。
「――逃げて!」
叫んだのはリリー人形だ。
千舞達は同時に走り出す。
しかし、あっという間にシズカが遅れた。
「みんな、立ち止まらないで! わたしが抱いてく!」
キクノは鋭く言うと、シズカを抱き上げて走り出した。
それでも、走るスピードは誰よりも速かった。
オバケの世界である隠世では、心の強い人が一番強い。
キクノは誰よりも、自分の足の速さを信じている。
だが、廊下を曲がった瞬間、キクノが急に立ち止まった。
千舞達も合わせて立ち止まって、ギクリとする。
廊下の先で、院長が待ち構えていた。
診察室で見たような穏やかな笑顔ではなく、憤怒の顔で。
「どうしよう、挟まれてる……!」
「……大丈夫! 間に合ったから!」
千舞が泣きそうになると、リリー人形はいつも通り自慢げに、千舞の腕から飛び降りた。
「ま、間に合ったって? 何が?」
「まぁ見てて」
そして、ぴたりと地面に両手を突くと――
「サプラーイズ!」
いきなり、地面からドアを引っ張り出した。
「え、ドア? どうして!? どこから!?」
驚いている千舞の前で、ドアが勢いよく開く。
飛び出してきたのは、流、希華、十狼太だった。
「呪言をもって命じる! 呪術封緘……解! 十狼太、希華、一つ目を追い払え!
オレは出口を作る!」
「了解であります!」
飛び出してくるなり、状況は全部分かっているという顔で、流は十狼太と希華に指示を出す。
十狼太は巨大な狼の姿になり、希華は銃を構えた。
「おらぁっ、食らえ!」
十狼太は大きく爪を振るって、一つ目の怪物を吹っ飛ばす。
希華は吹き飛んだ一つ目の怪物に、銃弾を二発放って攻撃した。
一つ目の怪物は素早く十狼太に近づき、十狼太を押さえつける。
揉み合っている間に、希華は銃で一つ目の怪物を攻撃した。
希華達が時間を稼いでいる間に、流が黒い木刀を一振りすると、
木の部分がぱらぱらと崩れて、キラリと光る本物の刃が現れる。
その刃で、流は何もない空間を切り裂いた。
そうすると、映像を映したスクリーンが破けるように、亀裂が走る。
「ここから外に! 早く!」
流に促されて、カズハと、シズカを抱えたキクノは亀裂の中に飛び込んだ。
「大丈夫でありますね」
「十狼太、もういい! 一旦引くぞ!」
「リリーも行こう! こっちに!」
千舞はリリー人形と共に、亀裂に飛び込む。
一瞬、世界が真っ白になって、何も見えなくなる。
気がつくと千舞は、一人でどこかの病院に立ち尽くしていた。
「ここ、どこ? みんなは……?」
千舞はきょろきょろと辺りを見回す。
恐らく血まみれ病院だと思うが、それにしては窓からは暖かい太陽の光が差し込んでいて、
穏やかな波の音が聞こえてくる。
千舞は、少しも怖い感じはしなかった。
ここは誰かの、病室だ。
それも個室。
窓辺のベッドに、女の子が座って本を読んでいる。
「……あ、あの」
声をかけても、返事はなかった。
肩を叩こうとすると、千舞の手は女の子をすり抜けてしまう。
千舞が困っていると、誰かが病室のドアをノックする。
「どうぞ」
女の子が返事をすると、白衣の男性が入ってきた。
「あ……!」
千舞は驚いて声を上げる。
彼は、あの院長だ。
頭は普通の大きさ、目も二つあり、手も長くないが、間違いなくあの一つ目の院長と同じ人だ。
「調子はどう? 手術の傷は、まだ痛い?」
「まだちょっと痛いけど、大丈夫です。ヒマすぎて、早く家に帰りたい」
「そうだね。明日には退院だ」
「はい、嬉しいです。院長先生がくれた、幸運のお守りのおかげかな?」
女の子はにっこりと笑って、押し花の栞を見た。
四つ葉のクローバーの栞で、いかにも手作りという感じだ。
「わたし、入院する前は、この病院が怖かったんです。
『血まみれ病院』なんて呼ばれてるし、庭にはお花も咲いてないし」
院長は楽しそうに笑った。
「ここは近くに海があるから、花を植えても枯れてしまうんだ。
サビた看板は見た目も悪いし、子供達に変なあだ名をつけられるから、
どうにかしなくてはと思ってるんだけどねぇ」
「だったら、病院を引っ越しちゃえば?」
「そんな事をしたら、ここの患者さん達が困るだろう」
クスクスと、院長と女の子は笑い合う。
「お花がたくさんある病院に入院したかった?」
「また入院しなきゃいけなくなって、血まみれ病院と、お花がいっぱいの病院が並んでたら、
絶対お花がいっぱいの病院に入院すると思います」
「そうかぁ……! じゃあ、風に負けないお花を探さないとなぁ。
そうしたらこの病院を選ぶだろう?」
「それだけじゃありません。『カエちゃんの呪い』の噂もなんとかしないと」
院長は、ぴくりと表情を硬くした。
「それ、どんな噂?」
「病院で、子供達がかくれんぼをしてたんです。
でも、カエちゃんって女の子だけが、どうしても見つからなくて……
警察も来て、病院中を探して……遺体安置室のロッカーで死んでるのが見つかったって。
どうしてそんなところで死んでいたのか、誰も分からない。
それ以来、カエちゃんが病院を呪ってるんです。
だからこの病院に入院すると、みんな死んじゃうんだって」
「誰がそんな、酷い噂を……」
女の子は肩を竦めた。
「学校のみんなが、この前、お見舞いに来た時に話してくれました。
でも大丈夫。わたしはそんな噂、全然信じてないから。
お父さんもそんな噂を信じるなって、凄く怒ってました」
女の子は少しだけ、不安そうに院長を見る。
「全部、ただの噂ですよね?」
院長は溜息をついて、よっこらせと椅子に座った。
「それはね……ただの噂じゃないんだよ」
「え……?」
「カエちゃんは視力が弱くてね。物の形はぼんやりと分かるけど、
メガネをかけても、字がぼやけて読めなかったんだ。
だから、みんなでかくれんぼをした時、自分がどこに隠れようとしてるか分からなかったんだ」
「……本当に、いたんですか? カエちゃんって」
院長は、悲しそうに頷く。
「最近の事だから、お父さんは知っている事件だと思うけど……」
「何も言ってませんでした。
家族に同じ名前の子がいるから、知ってても話したくなかったのかも。
私もちょっと嫌な気持ちになるもの」
「そうだね。私にとっても、凄くつらい事件だ。
遺体安置室に隠れてるなんて、誰も思わなくて……あの子を一人で死なせてしまった」
千舞は、ずきりと頭が痛くなるような感じがした。
院長はウソをついていると、直感で察した千舞は、病室を飛び出した。
廊下を走って、階段をおりて、地下に向かう。
遺体安置室に飛び込むと、メガネをかけた女の子と怒りに目をつり上げた看護師が立っていた。
女の子のパジャマには、ヤマザト カエと書いてある。
「病院でイタズラなんてしたら、死んでしまうんですよ。
あなたはもう死んだんです。だから今日からここで寝なさい」
「お願い! わざとじゃないの!
目がよく見えなくて、大事なものが置いてあるって分からなかっただけ!」
「ウソを言うんじゃありません! お母様から相談を受けてますよ。
もうすぐ妹ができると話したら、急にイタズラばかりするようになったって!」
「それはお母さんにちゃんと謝るから! こんなところに入れないで! お願い、お願い!」
看護師は、ヤマザト カエを壁にずらりと並んだロッカーに押し込んだ。
真ん中の、一番下。
千舞が泣き声を聞いたロッカーだ。
ヤマザト カエはロッカーの内側から何度も扉を叩くが、
看護師は無視してどこかに行ってしまう。
ぴったり閉まるタイプのロッカーは中の音をほとんど通さず、
ヤマザト カエが泣いている声は、遺体安置室の外には届かない。
看護師が戻ってきたのは、それから何時間も経ってからだった。
ロッカーを開けて、中を覗き込んで、看護師は悲鳴を上げた。
ヤマザト カエは、もう息をしていなかったからだ。
看護師に呼ばれて駆けつけた院長は、
ヤマザト カエが死んでいるのを確認して、がっくりと項垂れた。
「気づかなかった事にしよう。友達とかくれんぼをしていて、この子は自分でここに入ったんだ。
このロッカーは内からは開かないし、空気も通さない。
酸欠で意識を失って、そのまま死んでしまった事にしよう」
「でも、院長……!」
「この辺りには、大きな病院はここしかない。
看護師が子供をお仕置きで死なせたなんて警察に知られて、
病院を閉める事になったら、患者たちを見捨てる事になる。
隠す事が一番だ。この子の死を隠す事で、わたし達はよりたくさんの子供達を救える」
「そ……そうですよね……!」
そうして、ヤマザト カエは事故で死んだ事になった。
だがその日以降、病院ではおかしな事が立て続けに起こった。
「院長! 退院した患者さんが、帰りのタクシーで亡くなったって!
院長が手術を失敗したんだって、大騒ぎになってます!」
「院長! 引っ越して、大きな病院に移った患者さんに、新しい病気が見つかったそうです!
見落とすはずがないくらい大きい病気なのに、その治療がされてなかったって!」
血まみれ病院の評判は、どんどん、どんどん悪くなっていった。
自分を見捨てた院長を恨んだヤマザト カエは、病院を呪う事にした。
自分を殺して、その死を事故という事にした病院が許せず。
呪いは呪いを呼ぶ。
ヤマザト カエの呪いの影響で死んでしまった人達も、血まみれ病院に捕らわれてしまった。
院長はだんだんおかしくなっていった。
どんなに細かく検査をしても、
大きな病気を何度も見落とすものだから、ついに検査を信じなくなった。
検査で何も悪いところが出なくても、病気が見つかったふりをして手術をするようになった。
そしてできたのが、血まみれ病院の噂。
皆、「人を殺す院長がいる、怖い病院」という部分ばかりを気にして、
「何故、院長がそんな風になったのか」までは気にしない。
なので、キクノが千舞に話した血まみれ病院の噂には、
ヤマザト カエの話が出てこなかったのだ。
急にイヤな予感がして、千舞はまた、波の音が聞こえる病室に駆け戻った。
院長と、入院中の女の子が、
ヤマザト カエについてあれからどんな話をしたのか気になったからだ。
だが、もう話の続きは聞けなかった。
「あぁ……そんな……!」
病室に戻った千舞は、目に飛び込んできた光景に、へたへたと座り込んでしまった。
女の子は、ベッドに横たわったまま動かない。
顔には白い布がかけられていて、恐らく、死んでしまったのだろう。
家族らしき人達が女の子の遺体を囲んで、ワンワンと声を上げて泣いている。
「手術は成功したって言ったじゃないか! なのに、どうしてこの子は死んだんだ!
あんたは何度、オレの娘を奪えば気が済むんだ!?」
女の子の父親が、凄まじい剣幕で院長に掴みかかる。
「あんたがオレの娘を二人とも死なせたんだ!
あんたのせいでオレの娘はみんな死んじまった!」
院長は、泣きながら謝っていた。
恐らく院長は、本当に患者を助けたかったのだろう。
病院を守るために、患者を守るために、病院の関係者が女の子を殺してしまった事を隠した。
それがどんなに罪深い事か、分かっていたはずなのに。
当然、ヤマザト カエは院長を許さなかった。
院長が人の命を救って、誰かに感謝されて、いい人のような顔をするのは我慢できなかった。
そのため、院長が助けようとする人を呪い殺した。
それからほんの一年で警察がやってきて、院長は逮捕された。
しかしその頃にはもうとっくに、院長も、他の医者も、看護師も、
患者ですら血まみれ病院の一部になっていて、病院の外では生きられなくなっていた。
自殺して、魂だけ、血まみれ病院に戻ったのだ。
「――ねぇ、みんなを助けてあげて」
呼びかけられて、千舞は顔を上げた。
病室のベッドで死んでいたはずの女の子が、千舞のすぐ目の前に立っている。
だが、千舞は不思議と怖い感じはしなかった。
「助けるって、どうやって……?」
「間違いを正すの。分かるでしょ? 院長はいい人だったけど、やっちゃいけない事をした。
だからヤマザト カエは怒ってるの」
女の子は、千舞の手をぎゅっとにぎる。
そして、どろりと溶けるように、どこかに消えてしまった。
温かい光に包まれていた病室に、みるみる赤サビが広がって、
千舞は崩れ落ちた床から暗闇に放り出される。
目を開けると、ハルヤとナツキの待つ倉庫に戻ってきていて、
急に現れた千舞達を見て、ハルヤ達が驚いた顔をしていた。