千舞達は怪物が住む血まみれ病院から脱出しようとしていた。
千舞は彼女が見た夢と、手に持っていた四つ葉のクローバーの栞から、
病院の院長が看護師に殺された少女、ヤマザト カエの死を隠していた事を知る。
院長にそれを告発すると、院長が怪物に変わり、千舞達は院長を退ける。
しかし、ヤマザト カエの怨念がまだ存在しており、千舞達は遺体安置室に向かうが、
その途中で花の怪物に襲われ、それを退けるのだった。
「ついたよ。遺体安置室」
ハルヤの道案内で、千舞達は遺体安置室に辿り着いた。
出入り口はもちろん人間サイズなので、千舞達を背中に乗せている十狼太は通れそうもない。
仕方なく、千舞達は一度十狼太の背中から降りる。
十狼太はぶるりと体を震わせると、全身の骨をゴキゴキと言わせながら、体を小さくしていく。
それから二本の足ですっくと立つと、背の高いオオカミ男になった。
いつの間にか服も着ているので、千舞は彼のこの変身をいつ見ても不思議に感じた。
「なるほど……確かにいるな。この中に」
十狼太は軽く空気のにおいを嗅ぐと、鼻の頭に皺を寄せた。
流は刀、希華は銃を構えて、遺体安置室のドアを睨む。
「オレ、十狼太、希華、サクリエルで中を見てくる。ちぃはリリー人形とここを守っててくれ」
「うん。分か――」
すると、千舞の体が、急に、ぐいと誰かに引っ張られた。
千舞が顔を上げると、全身が真っ黒に塗り潰された、
人の形をした影のような「何か」が、千舞の腕を掴んでいる。
それは看護師の服を着ていて、ボタンのように真ん丸な目が、虚ろに前だけを見つめている。
あまりに急に現れたため、千舞も、流も、希華も、
その場にいる全員が、何だか分からずに固まってしまった。
その間に、千舞はいつの間にかドアが開いていた遺体安置室に引っ張り込まれる。
「リュウ君、希華さん、助け……」
流と希華に向かって手を伸ばした千舞の目の前で、ばん! と遺体安置室のドアが閉まった。
そして、鎖で雁字搦めにロックされる。
「千舞殿! 千舞殿ー!!」
希華が、ドアの向こうから千舞を呼んだ。
ドアを切りつけたり、撃ったり、体当たりしたりする音が聞こえるが、中に入ってこられない。
影の看護師は千舞を、壁にずらりと並んだロッカーの前まで、物凄い力で引きずっていった。
「離して! いや! 離して!」
一番下の段の真ん中のロッカーが開いている。
死んだ人を入れて置くためのロッカー……ヤマザト カエが閉じ込められたロッカー。
「いやぁああぁ!」
必死に抵抗する千舞を、影の看護師はロッカーに無理やり押し込んで、
外からロックをかけてしまう。
「出して! お願い、出して! 出して、出して!」
千舞は大声で叫びながら、ロッカーの扉を内側から叩く。
しかし、鉄のロッカーは千舞が叩いたくらいではびくともしない。
人一人が、やっと横になれるくらいのロッカーに、千舞は閉じ込められてしまった。
狭く、息苦しく……遺体を腐らせずに保存するために、ひんやりとしている。
「大丈夫、リュウ君と希華さんが来てくれる……大丈夫、大丈夫……!」
ガクガクと震える体を自分で抱き締めながら、
千舞はパニックにならないように、ゆっくりと息をした。
その時だ。
足元に、何かの気配を感じたのは。
何か、いる。
この狭いロッカーの中に、千舞以外にも、何かが。
ひたり、ひたりと、千舞の足から、腰へ、腰から、胸へ。
「何か」の気配はじりじりと這い上がってきて、少しでも視線を下げたら、
暗闇の中で千舞に覆いかぶさっているそれの姿が見えそうだった。
千舞は目をぎゅっと閉じて、その姿を見ないようにする。
ずるり。
下半身を引きずるようにして、それはついに、完全に千舞に覆いかぶさった。
顔に、ひやりとした息がかかる。
千舞の頬をくすぐるのは、長い髪の毛だろうか。
「出られないの」
もごもごと、くぐもった女の子の声が千舞の耳から背筋に抜けて、
千舞の全身にぶわっと鳥肌が立った。
「くらいよ、さむいよ、くるしいよ……たすけて、たすけて」
声が千舞の耳元で囁くたびに、ロッカーの中はますます寒くなって、
息苦しさも千舞には我慢できないものになっていく。
だが、ふと、体のどこかから温かさを感じて、
千舞は自分の体をごそごそとまさぐり、服の胸ポケットに触れる。
触ると、四つ葉のクローバーのお守りがある。
「ぎゃ!」
千舞が栞を胸ポケットから引っ張り出すと、鋭い悲鳴が上がって、急にロッカーが開いた。
力強い腕が千舞の肩を掴んで、ロッカーから千舞を引っ張り出してくれる。
「リュウ、希華! 開いたぞ! お嬢ちゃんは無事だ!」
何が起こったのか分からず、千舞が目を白黒させていると、
十狼太の声が、遺体安置室に響いた。
千舞をロッカーから引っ張り出してくれたのは、オオカミ男姿の十狼太だった。
「ちぃ!」
「千舞殿!」
流と希華も、武器を片手に千舞に駆け寄ってくる。
二人は千舞がケガをしていない事を確認すると、ぎろりとロッカーを睨みつけた。
「貴殿が血まみれ病院の呪いの真犯人、ヤマザト カエでありますね?」
ロッカーはしんとしていて、何の反応もない。
「ヤマザト カエ……お前の怒りは理解できる。だが、お前は罪のない人々を巻き込みすぎた。
【ギャラリー】のコレクターとして、オレと希華がここでお前を祓う!」
流が刀を突きつけて宣言すると、ロッカーの全てが勢いよく開いた。
開いたロッカーの向こう側は、黒い暗闇だ。
その暗闇に、ぽっかりと白いボールが浮かび上がる。
それは暗闇の中でぐるりと回転すると、ギョロギョロと動き回る、赤く血走った目玉になって、十個以上の目玉が千舞達を睨み返した。
「十狼太、ちぃを守っててくれ!」
「自分も、戦うのであります! はぁぁぁっ!」
希華は自分が作った護符を、目玉に投げつけて、目くらましさせる。
次の瞬間、ロッカーから長い、大量の髪の毛が勢いよく飛び出してきた。
それが流と希華の手足に絡みついて、体をバラバラに引き裂こうとする。
「リュウ、希華!」
「オレは平気だ! お前が思うほど子供じゃない!」
「大丈夫であります!」
十狼太が心配そうに名前を呼ぶと、流は軽く舌打ちして、刀で全ての髪の毛を切り捨てる。
髪の毛は千舞や十狼太にも襲い掛かってきたが、
十狼太は千舞を抱えたまま大きくジャンプして、全ての髪の毛を簡単に避けてしまった。
流に切り落とされた髪の毛は、うぞうぞと生きているように寄り集まって、
いくつもの人形になる。
真っ黒に塗り潰した、影のような人形……先程、千舞をロッカーに押し込んだのは、
ヤマザト カエが髪の毛で作った人形だったのだ。
「千舞殿、ヤマザト カエが閉じ込められてたロッカーは!?」
「真ん中の一番下! わたしが閉じ込められてたところ!」
「なるほど、【呪核】はそこでありますね」
希華は、髪の毛の人形を二、三体、銃で撃つと、千舞が言った場所に銃を撃った。
「ギャァアァアアァァ!」
すると、鼓膜が破れそうな悲鳴が遺体安置室に響いて、
全てのロッカーの扉が激しくばたばたと開閉する。
それが静かになったかと思うと、
金属製のロッカーにじわじわと赤サビが広がって、全ての扉がはらはらと崩れ始めた。
廊下へのドアも自然に開いて、シズカ達が心配そうにこちらを覗き込んでくる。
扉も、骨組みも、何もかもなくなった床に、
メガネをかけた女の子――ヤマザト カエが膝を抱えて座っていた。
流は、刀をヤマザト カエに向かって突きつける。
「選ばせてやる。このままオレ達に祓われて消えるか、
【ギャラリー】のコレクションとしてオレ達の仲間になるか」
「……許さない」
流の言葉に、ヤマザト カエは短く答えた。
「許さない、許さない、許さない、許さない……」
「これは、純粋な恨みの塊であります」
希華は小さな声で呟く。
ヤマザト カエは、同じ言葉を繰り返しながら、膝を抱えて、ゆらゆらと前後に揺れている。
会話になっておらず、まるで流と希華の言葉が聞こえていないようだ。
「どうしたのかな……? 声が届いてないの……?」
千舞は十狼太の顔を見た。
十狼太はゆっくりと首を左右に振って言う。
「もう、怒りと恨み以外何も覚えてないんだ。対話ができない呪いは祓うしかない」
「でも……」
千舞はふと、胸ポケットの中に入れた、温かい栞の事を思い出した。
「十狼太さん、下ろして」
「危ねぇぞ?」
「ううん。もう大丈夫だと思う」
十狼太に下ろしてもらって、千舞は希華の隣に立った。
胸ポケットから栞を取り出すと、栞はふわりと浮かび上がって、
ヤマザト カエのところにひとりでに飛んでいく。
そして、パジャマ姿の女の子になった。
千舞が見た夢の中で、院長から栞をもらっていた女の子だ。
「わたしは許すよ」
女の子は、ぎゅっとヤマザト カエを抱き締めると、笑いかけた。
ヤマザト カエは前後に揺れるのをやめて、涙で濡れた顔を上げる。
「あなたが院長を許せなくて、院長を苦しめるために、関係のない人達を呪い殺した事。
わたしを呪い殺した事。他のみんなは許してくれないかもしれないけどわたしは許してあげる」
「……どうして?」
女の子の言葉に、ヤマザト カエは聞き返した。
パジャマ姿の彼女はにっこりと笑う。
「わたしの名前、知ってる?」
「知らない」
「わたしね、ヤマザト ノゾミっていうの。あなたが死んだ後に生まれた、あなたの妹なんだよ」
千舞は衝撃のあまり、何も言えずにあんぐりと口を開けた。
「……伏線無しであります!」
ヤマザト カエも何も言えずに、妹を名乗った女の子を見つめる。
「そんなのウソ。わたしに妹なんていない」
「お姉ちゃんが死んじゃって、お母さんは具合が悪くなっちゃったの。
でも、その時にはもうお腹にわたしがいてね。
お母さんはわたしを産んで……すぐに病気で死んじゃった。
だからわたしはお父さんに育ててもらったの」
「あ! だから、あの時……!」
千舞は、はっとして声を上げた。
ヤマザト ノゾミと院長が話していた、あの夢で、彼女の父が院長に向かってこう言っていた。
「あんたは何度、オレの娘を奪えば気が済むんだ!?」
ヤマザト ノゾミはくすくすと笑う。
「お父さんは、わたしをここに入院させるの、凄く嫌がってた。
でも、わたしが学校で倒れて、救急車を呼ばれたせいで、
ここに入院する事になっちゃって……それで、わたしは死んじゃった。
わたし、お父さんにずっとお姉ちゃんの話を聞いて育ったの。
どんなお姉ちゃんだろう、会ってみたかったなって、ずっと考えてた」
ヤマザト カエの目に、じわりと涙が滲んで、溢れた。
「それじゃあわたし……妹を呪い殺しちゃったの?」
「そうだよ。自分の妹も、自分以外の誰かの妹や、弟や、
お父さんやお母さんを、カエお姉ちゃんは呪い殺しちゃったんだよ」
「ごめんなさい……わたし……ごめんなさい!」
ヤマザト カエは声を上げて泣き出す。
その涙がぽたりと床に落ちると、赤サビが溶けるように消えて、綺麗な病院の床が現れた。
ヤマザト カエが涙をぽたぽた落とすたびに、
暗くて不気味な隠世が少しずつ消えていって、千舞達は現世に戻ってきた。
血まみれ病院……様々な町の空き地に現れて、
新しい患者を集めては、またどこかへ消えていく呪いの病院。
ヤマザト カエや、院長の呪いの力で、隠世と現世を行き来する魂絡繰。
「これって……病院が祓われたって事でいいのかな?」
千舞が流を見上げると、彼は「そうだな」と呟いた。
「全部の呪いが消えたわけじゃない。でも、呪いの力は弱まった。
この血まみれ病院の始まりとなった、ヤマザト カエと院長を無力化できたからな」
「……ひとまず安心、でありますね」
「ねぇ、あなた」
ヤマザト ノゾミが、ヤマザト カエの手を握ったまま、千舞にそっと近づいてきた。
「わたしの声を聞いてくれて、ありがとう。
この病院に来て、わたしの声が聞こえたのはあなただけ。わたし、霊としては物凄く弱いから」
「でも、わたしの事を守ってくれたでしょ? 二回も」
院長を祓えたのも、ロッカーの中で千舞をヤマザト カエから守ってくれたのも、
四つ葉のクローバーの栞だった。
「あれはあなたの力。あなたの生け贄の力が凄く強いから、わたしのお守りが強くなっただけ」
ヤマザト ノゾミはくすくす笑って、千舞の胸にそっと手のひらを押し当てた。
死者でありながら、彼女の手は温かった。
「二人は、これからどうするの?」
千舞の質問に、ヤマザト ノゾミはヤマザト カエを見る。
「この病院に残るよ。わたし達が消えても、この病院はもう消えない。
わたし達以外の霊が、新しい仲間を増やそうとして暴れるだけ。
だからわたし達がここに残って、そういう奴らを押さえておく。ね、お姉ちゃん?」
ヤマザト カエは頷いた。
「わたし、たくさん間違えた。
何も悪くない人を、たくさん呪い殺して……謝っても許されないかもしれないけど、
せめてできるだけたくさんの人を助けたい」
「……だってさ、リュウ君、希華さん」
千舞は、まだ少し緊張したように刀を握っている流の手に触れ、希華に声をかけた。
「それがお前の選択なら、もう祓う意味はない。
【ギャラリー】に名前を登録しておくから、オレ達以外のコレクターがお前を祓う事もない。
お前がまた、誰彼構わず人を呪い始めない限りはな」
「だからー、自分は戦士でありますっ!」
流は一瞬ビクリとなって、刀をしまう。
希華は「コレクターではなく戦士だ」と主張していた。
「六根清浄……俯仰天地に愧じず」
「前から気になってたんだけど、それってどういう意味なの?」
「自分には分からないのであります」
「六根清浄ってのは、心身共に清らかになったって事だな。
俯仰天地に愧じずってのは『オレは天にも地にも恥ずかしい行動は何もしてない』って意味だ」
十狼太が何気ない感じでさらっと説明してくれた。
「へぇー! 十狼太さんて物知りなんだね!」
「長く生きてるからな」
その時。
「……マヤちゃん!」
急に、廊下でシズカが大声を上げた。
千舞が慌てて廊下の外に駆け出すと、シズカが知らない女の子に走り寄るのが見える。
それだけではない。
看護師や、医者、病院の様々な他の患者が、人間の姿にもどっている。
「リュウ兄ちゃん! 見て! マヤちゃん、ちゃんと生きてる!」
シズカは大喜びして、泣きながらマヤを抱きしめた。
千舞と希華も嬉しくなって、流を見る。
「ねぇ、あれって、血まみれ病院に閉じ込められてた人達だよね?
あの人達も、家に帰れるんだよね?
神隠しに遭って、何年も、何十年も経っちゃってるけど、それでも帰れるんだよね!」
だが、流は答えず、ぎゅっと千舞の手を握った。
「リュウ君?」
「集堂殿?」
「病院を出よう。ちぃ、希華」
「う、うん……」
「……?」
「十狼太。行くぞ。ここはあの二人に任せよう」
十狼太は、また四つ足のオオカミの姿になると、
千舞、キクノ、希華、シズカとマヤ、最後に流を乗せる。
「ほら、みんなも早く」
千舞は、カズハと、ハルヤと、ナツキに手を伸ばした。
三人は顔を見合わせると、何故か千舞に「大切なもの」を差し出してくる。
保管庫から取り返した、カズハのシールブックと、
ハルヤのおもちゃの車と、ナツキの猫のぬいぐるみだ。
「どうしたの?」
「ごめん、ちぃ。あのね、あたし達思い出したんだ」
「え?」
「死んでるの、あたし達。ここは色んな病院で死んだ霊が集まってくるんだ。
中には、自分が死んでるって気づいてない霊もいる。あたしや、ハルヤや、ナツキみたいに」
「そんな……!」
「だからこれ、受け取ってほしいんだ。ちぃと、希華と、シズカに」
千舞は、十狼太の背中から思い切り体を乗り出して、皆の大切なものを受け取った。
シズカは何を言ったらいいのか、何を言いたいのか、
どうしたいのか分からなくなってしまったように、ぽかんとして皆を見ている。
「ありがとう、シズカ、希華」
「みんなが守ってくれたから、ボクも、ナツキも、怪物にならずに済んだんだ」
ハルヤが、「バイバイ」と手を振った。
十狼太が軽く地面を蹴ると、病院の窓が開いて、千舞達は外に飛び出す。
彼が少し空を駆けると、血まみれ病院はどんどん遠くに見えなくなって、
千舞が瞬きしている間に消えてしまった。
先程まで血まみれ病院があった場所に、
何が何だか分からない様子の人達が座り込んだり、横になったりしている。
「あの人達は、神隠しから戻ってきた人達だよね。シズカちゃんや、マヤちゃんと同じ」
「そうでありますね」
「あの人達はどうなるの?」
「ええと、後の事は、全部【ギャラリー】が引き受けるのであります。
自分みたいに戦士になるかもしれないし、【ギャラリー】の職員として働く事もできます。
【ギャラリー】の職員は、みんな訳アリであります」
「じゃあ、シズカちゃんは?」
「……」
流は少し黙ると、そっと手を伸ばして、シズカの頭をよしよしと撫でた。
「分からないけど……話し合うよ。たった一人きりの家族なんだ。
どうしたいのか、どうするのが一番いいのか――五年間話せなかった分、じっくりと」