希華は千舞から、オバケ廃墟の思い出を聞いていた。
千舞と流は幼馴染で、心霊スポットを探検していた。
ある日、千舞が危険な場所に行こうとしたため、
流が止めたが彼女は聞き入れず、そこで怪我をする。
その場所には、人間ではない何者かがいて、千舞の足首に手形のアザを残した。
この出来事がきっかけで、流は千舞を守るために戦う事を決意するのだった。
夏休みが終わり、新学期がやってきた。
希華は隠世で使うための特殊な銃を、丁寧に磨いていた。
この銃は、この世のものではない存在にのみダメージを与えられる特殊な銃で、
霊感を全く持たない彼女が、幽霊に対抗できる唯一の武器である。
希華は銃の部品を一つ一つ外して、油を塗る。
彼女はギャラリーに所属していた時に銃の仕組みを勉強している。
「これで大丈夫でありますね」
しばらくして、希華は銃の部品を元に戻して、引き金を引いた。
銃からは何も出なかったが、彼女はしっかりと撃っている事を確認できた。
希華は銃を肩にかけて、窓の外を見る。
「……自分が必ず、千舞殿を守るのであります」
「それじゃ、行ってきます」
千舞は学校の制服に身を包んで、旅行鞄を持って、父の運転する車の助手席に乗り込む。
足はすっかり元通りで、父も大喜びだったが、
リリー人形が千舞を呪っていたという話は内緒にしておいた。
もし話したら、リリー人形を捨てられるかもしれないからだ。
「千舞が次に帰ってくるのは、冬休み……寂しいなぁ」
「週末は帰ってきてるじゃない」
「時々週末も帰ってこないじゃないか」
千舞を学校に送る時、父はいつも寂しそうだった。
それもそのはず、千舞の通っている青翠学園は全寮制の私立学校である。
小学一年生で合格すると、そのまま高校卒業まで、
ずっと青翠学園で「自立した学園生活」というのを過ごす事になっている。
つまり、おはようからおやすみまでクラスメイトや教師と生活するので、
家に帰るのは長期の休みと週末だけ。
千舞は青翠学園初等部の五年生……つまり、小学五年生だ。
八歳までは希華と同じく普通の学校に通っていたが、
母が亡くなり、父は忙しくて、家に一人でいても暇なので、編入を決めた。
編入試験は難しかったが、千舞はとても勉強が得意なので余裕で合格した。
青翠学園への編入生は珍しく、勉強ができる事が分かっているため、
千舞にはあっという間にたくさんの友達ができた。
「じゃあお父さん、週末休める日があったら連絡してね。外泊届出すから」
車で校門の前まで送ってもらって、千舞は父の車を見送った。
「ちぃ! 久しぶり! 足、もう大丈夫なの?」
ぽんと背中を叩かれて、千舞は笑顔で振り向いた。
「キクノちゃん! もう全然大丈夫!」
彼女――鴻池菊乃は、千舞の友人の一人だ。
女子制服はスカートかズボンか選べるが、菊乃は後者だ。
「寮まで一緒に行こ。……ってゆか、ちぃ、なんか荷物多くない?」
菊乃は、千舞のキャリーバッグを見て首を傾げた。
「うん。ほら、インスタに上げてた人形あるでしょ? あれ持ってきたから」
「えー! あのヤバめの奴!? やめた方がいいよ!」
「ヤバめ?」
「絶対呪いの人形って感じだったじゃん!
わたし、ちぃの足が動かなくなったの、あの人形のせいだと思う」
菊乃は非常に鋭かった。
しかし「実はそうなの」と言ったら、菊乃を余計に怖がらせる事になるので、
千舞は曖昧に誤魔化した。
―ドン!
菊乃が怪しむような目で千舞のキャリーバッグを見ると、
キャリーバッグの内側を、リリー人形が蹴飛ばした。
「ひっ! ほらぁ、絶対ヤバいって! ……うわっ」
「どうしたの?」
急に菊乃が立ち止まったので、千舞も一緒に立ち止まる。
菊乃は顔をしかめながら、校門を見つめている。
「あ……キクノちゃんもしかして、あれ、見えてる?」
「え!? ちぃも!?」
千舞と菊乃は、校門の地面にへばりついている『それ』を見た。
黒い水たまりだ。
それに平べったい顔が張りついていて、ずっと「触れて、触れて」と繰り返している。
黒い水たまりからは腕が何本も伸びて、校門を通る生徒の足を掴もうとしている。
大体は掴み損ねているが、時々捕まれた生徒が転んでいる。
「うーん……入りにくいね。でも、避けて通ったら『見えてる』ってバレちゃうかなぁ」
「バレると追いかけられたりするもんね……っていうか、
ちぃって、ああいうの全然見えないタイプじゃなかったっけ?」
「うーんちょっと……夏休みに色々あって……」
「その激ヤバ人形とか?」
「まあ、そう寮で詳しく話すね」
隠世から帰ってきた千舞は、すっかり「オバケが見える人」になってしまった。
希華によれば、「オバケはいる」と確信したせいで、見えるようになってしまったらしい。
隠世から帰ってきて、オバケが見えるようになると、非常に怖がる人も多いらしく、
その場合は【ギャラリー】の職員がオバケを見た記憶そのものを消す。
しかし、千舞は安全な事が分かっているオバケは怖がらなかった。
今までの彼女が持っていた強さを、「小さい危険を無視する強さ」だとすると、
今の千舞が持っているのは「小さな危険に気づいて周りの人を守ってあげられる強さ」だ。
千舞と菊乃が、校門に進めずに立ち往生していると、
キャリーバッグの中でまたリリー人形が暴れた。
「出たがってるのかも……ちょっと出してみるね」
「え!? 呪いの人形を!? っていうか、出たがってるってどういう事!?」
「えーと……見た方が早いと思うから見せちゃうけど怖がらないでね。大丈夫、いい子だから」
千舞はリリー人形をキャリーバッグから取り出した。
ただの人形のふりをしているリリー人形を抱き上げると、
耳元でリリー人形がこそこそと千舞に話しかけてくる。
「避けて歩いて大丈夫。わたしが守ってあげるから」
「しゃ……しゃべ……!?」
「しー! バレちゃうでしょ!」
リリー人形に叱られて、菊乃は慌てて口を押さえた。
それからぎゅっと顔をしかめて「ちゃんと寮で説明してね……!」と千舞に迫る。
千舞はそんな菊乃を促して、
生徒の足を掴もうとしている黒い水たまりをそっと避けて校門を通ろうとした。
だが、急に周りが暗くなって、千舞は振り返る。
地面に張りついていた黒い水たまりが、立ち上がって千舞達を見ていた。
黒くて平べったい水たまりに、不自然に大きな二つの目と、
ギザギザの歯がびっしり並んだ口がある。
「入れて、入れて、中に入れてぇええええ」
「どうぞ? わたしのお腹の中に、いらっしゃいませぇ!」
リリー人形の首が、背中の方にぐるりと回転して、口を大きく開いた。
水たまりのオバケはガバッと開いたリリー人形の口に吸い込まれて、
リリー人形は「ごちそうさまでした」と優雅に口を押さえた。
「……え? 食べたの? その人形、オバケ食べるの?」
菊乃はガタガタ震えながらリリー人形を指差す。
「なんか、そうみたい」
リリー人形がオバケを食べるのを見たのは、これが初めてではない。
オバケを食べると呪力が強くなるという。
「でも、学校に入りたがってるだけのオバケなら、ほっといても別によかったんじゃない?
食べちゃうの、ちょっと可愛そう」
「何言ってるのちぃちゃん。あれ、学校に入りたがってたんじゃないわよ?」
「え? でも、中に入れてって」
「あれはねぇ、人間の中に入りたがってたの。
生きてる人間の中に入って、魂を食べようとする、とっても悪い霊。
だからわたしが食べちゃって正解なの」
「人間の中に……!?」
菊乃が、今にも倒れそうになりながら聞き返した。
リリー人形はつんと澄まして言った。
「オバケにとりつかれて死んじゃうなんて、よくある話でしょ?」
千舞は、今まで聞いた「オバケにとりつかれた人」の話を色々思い出して、
背筋がすうっと冷たくなった。
彼女と菊乃は、どちらからともなく手を握り合った。
「――ねえ、君達」
校門を抜けたところで、肩をぽんと叩かれて、千舞は驚いて振り向いた。
そこにいたのは、背の高い、メガネをかけた男の子だった。
中等部の制服を着ていて、ほっそりしていて、顔色も悪い。
「射守矢先輩!?」
菊乃が、ぱっと笑顔を見せた。
しかし、その笑顔が引きつって、みるみる青ざめていく。
千舞は菊乃と繋いでいる手にぎゅっと力を込め、菊乃も握り返してくれる。
射守矢の周りには子供の霊がずらりと立って、全員が射守矢を指差していた。
「キクノちゃん、この人と知り合いなの?」
「う、うん。タケミツ君のお兄ちゃんだよ」
急に叫んだり逃げ出したりして、変に思われないように、千舞は何気ない感じで会話を続けた。
「キクノちゃんと同じ、陸上クラブの子だっけ?」
「そう。ほら、初等部なのにちょー背が高い男の子。射守矢先輩、何か用事ですか?
タケミツ君に届け物とか?」
「いや、そうじゃない」
菊乃の質問に、射守矢はそっと校門を指差した。
「あれ、いきなり消えたように見えたけど……何かしたの?」
「え!?」
千舞と菊乃は、同時に声を上げる。
「み……見えてたんですか? あれ」
「うっすらとね。君達がお祓いか何かしたの?」
「そういうわけじゃ、ないんですけど……」
とっさに、千舞はウソをついた。
門の幽霊が見えていたという事は、自分の周りにいる子供達の幽霊にも気づいているはずだ。
なのに射守矢は、そんな事を全然気にしていないようだ。
千舞はぎゅっとリリー人形を抱きしめる。
射守矢の目が、そのリリー人形をじっと見つめた。
「その人形」
「え……?」
「ちょっと見せてもらっていいかな?」
「えっと……ダメです。困ります」
「少し見るだけでいいんだ。それ、昔流行ってたリリー人形だよね?
僕、怖い話系には結構詳しいんだけど知ってる? 持ち主を呪い殺すリリー人形のウワサ」
「この子はそういうのじゃありません! 怖い話するならもう行きます。キクノちゃん、行こう」
千舞は菊乃の手を引っ張って、ほとんど逃げるように女子寮に駆け込んだ。
「ちぃ、今の見た? 見えてたよね?」
「うん、見た。なんだったんだろう、あの子達……それに射守矢先輩、なんでリリー人形の事、
見たがったんだろう? 喋るとこ、見られたのかな?」
「……実はわたし、タケミツ君から、
ちょっとだけ射守矢先輩について、聞いた事があるんだけど……」
「え? 何? どんな事?」
射守矢先輩って、曰くつきのアイテムを集めるのが趣味だったんだって。
心霊スポットで拾った手鏡とか、ネットで落札した、
本物かどうかも分からない呪いの仮面とかをコレクションしてて、
タケミツ君は「気持ち悪いからやめてほしいんだよな」って、クラブのみんなに話してた。
それで、夏休みに入る直前くらいかな……
射守矢先輩がどこかから大きなナイフを拾ってきたんだって。
興奮した感じで、「凄いものを見つけた。これは殺人に使われた凶器なんだ!」って。
錆びてボロボロになってたけど、ところどころ血の跡もあったりして。
その日から射守矢先輩がコレクションするアイテムの雰囲気がガラッと変わったらしくて……。
ただのガラクタにしか見えないようなもの。
例えば、お風呂で遊ぶアヒルのおもちゃとか、昔のアニメに出てくる変身ステッキとか、
フリマで百円で売られてるような奴。
どうしてそんなの集めるの? って聞いたら、射守矢先輩こう言ったの。
「このおもちゃの持ち主はさ、全員小学生で、しかも殺されてるんだよね」
そんな事ってある?
だって、それが本当だったらさ……家族にとっては形見になるわけだし、
そんなの簡単に集められるわけないよね?
でも、タケミツ君は笑えなかったって。
射守矢先輩、集めたコレクションを大事そうに撫でながら、
実際に見てきたみたいに、そのおもちゃの持ち主が、どんな風に死んだのか話したんだって。
そりゃ、ネットで調べれば、子供が死んだ事件なんていくらでも出てくるし、
タケミツ君を怖がらせるための作り話だと思うけど……。
でも、ちょっとやりすぎだなって思ったの。
だって射守矢先輩、タケミツ君におもちゃの迷路を渡して、こんな事を言ったんだって。
「この迷路、お前と同じくらいの男の子が、死ぬ直前まで遊んでたおもちゃなんだ。
だからお前にやるよ」
「キクノちゃん……それ、いつの話?」
「けっこう前から、ちょくちょく……でも、迷路の話は昨日聞いたの。
始業式の前に、クラブのみんなで集まろうって話になって、その時に。
やっぱりちょっと普通じゃないよね?」
千舞は、流か希華に相談した方がいいかもしれないと思った。
だが、千舞はスマホを取り出そうとして、ぎくりとした。
確か、スマホではないものがポケットに入っている。
取り出してみると、それは掌サイズのフェルト人形だった。
フェルトで作った顔と、ボタンの目、しかし髪の毛は……。
「本物の……髪の毛?」
「ちぃちゃん! それ、持ってちゃダメ!」
リリー人形が、千舞の手からフェルト人形を叩き落とした。
「ちょっと、何するの!」
いきなり叩かれて、千舞はむっとして顔を上げる。
しかし、そんな気持ちは一瞬でどこかに行ってしまった。
この場所は、学校の寮ではなかった。
「ここ、オバケ廃墟……!?」
非常に暗いのに、窓にベタベタ貼ってある新聞紙や、
床に転がっている鉄パイプは、どうしてかよく見える。
「どうしてわたし、こんなとこにいるの!? キクノちゃんはどこ!?
どうしよう、スマホも繋がらない……!」
「ちぃちゃん、落ち着いて! ここは隠世よ! わたし達、隠世に引っ張り込まれたの!
さっきの人形に呪われたのよ!」
リリー人形が、千舞の腕の中で緊張した声で言った。
急に吐き気がこみ上げて、千舞は咳き込んだ。
喉に、何かが引っかかっている。
それを掌に吐き出して、千舞は凍りついた。
「やだ……どうして……!」
千舞が吐き出したのは、長い、絡み合った黒髪だった。
どんどん息苦しくなってきて、また黒髪を吐き出す。
千舞は立っていられなくて、床にしゃがみ込んだ。
しかし、足音が――ぺたり、ぺたり。
裸足の足音が、どんどん千舞に近づいてくる。
千舞が顔を上げると、首が三つもある女の子が、操り人形のようにぎこちない動きで、
前後に、左右に揺れながら、一歩ずつ千舞に近づいてくる。
一つの首は笑っていて、一つの首は泣いていて、一つの首は怒っている。
どの首も、ガタガタのショートヘアで、まるでカッターで適当に切ったようだ。
このままここにいたら、千舞は髪の毛を喉に詰まらせて、息ができなくなってしまう。
「どうしよう、リリー……!」
「ちぃちゃん! あの呪文唱えて! リュウが十狼太に言ってた奴!」
魂絡繰の力を解放する言葉。
リリー人形の隠世で、流が使っていた言葉。
「じゅ……呪言をもって命じる! 呪術封緘……解!」
その瞬間、リリー人形の体はみるみる大きくなる。
首が三つある化け物よりも何倍も大きくなったリリー人形は、
逃げ出そうとした化け物の体をひょいとつまみ上げると、ぺろりと丸呑みにしてしまった。
「す、凄い……やっつけちゃった」
「あんなの、おやつ代わりにもならないわ」
リリー人形が自慢げに胸を反らすと、オバケ廃墟の景色がさらさらと消えていく。
気がつくと、千舞は寮の入り口に、菊乃と並んで立っていた。
「ちぃ、どうしたの? ぼーっとして」
「え、あ……ううん。大丈夫」
隠世と現世は、時間の流れ方が全く違う。
そのため、菊乃には千舞が一瞬ぼーっとしていたようにしか見えていなかった。
千舞は不思議そうな菊乃に笑顔を見せて、そっと、床に落ちているフェルト人形を拾い上げた。
「何、それ? 人形? その髪の毛って、本物だよね?」
「うん……」
リリー人形が食べたからだろう。
人形からはもう、呪いのようなものは感じられない。
ただの不気味な人形だ。
「ちぃのじゃ……ないよね?」
「うん。いつの間にか、ポケットに入ってたの」
……ぞくり。
ふと視線を感じ、千舞は振り向いた。
射守矢がじっと千舞を見ていた。
その唇がゆっくり動く。
「見ぃつけた」
そう言っているように見えた。
射守矢が、千舞のポケットに人形を入れた犯人かもしれない。
千舞は人形をゴミ箱に捨てると、菊乃と手を繋いで部屋に急いだ。