Blue Archive 〜藍の外典〜 作:roimi_mark2
例えばどちらの存在も真だったとして、
どちらかを偽と断じざるをえない時。
真実を否定する決断など誰ができようか。
コツコツコツと靴底が奏でる音が、一寸先も見えぬ暗闇に溶ける、空があるかも、地があるかも。夢か、現かも分からない。そんな不可解で真っ黒な空間を、天守
連邦生徒会のロゴが刻まれたコートを羽織り、首からシャーレの名が刻まれたカードを下げ、その左手は白いタブレット──『シッテムの箱』を抱えている。シャーレの先生として象徴的なその姿だが、今はもう彼だけのものではない。
先日やってきた、自身の妹──天守
その分、彼女の身に降りかかる危険も多いだろう。ひとたび喧嘩に発展すれば、手が出るより先に弾が出る。キヴォトスとはそういう場所だ。だからこそ、最後の砦である『シッテムの箱』は基本的に彼女に持たせておきたい。
そうなると刹那を守るものが無くなるが、そこは既に代案を考えてあった。そのためにはまず、ミレニアムサイエンススクールに赴く必要がある。
先のアビドス決戦で喪ったドローン群の発注や、カイザーを欺くのに使ったフェイスヘルメットの件も含めて、色々とやらなければいけないことも多い。近いうちに顔を出しに行くことになるだろう。
そんなことをぼんやりと考えていると、真っ暗闇だった周囲に変化が訪れた。
「おや、お久しぶりですねぇ。天守刹那さん」
既視感のある粘ついた視線と共に、目の前の暗闇からぼうっと人の型が浮き出る。黒いスーツを身にまとい、白い光の漏れる亀裂をニタリと歪ませるそれは、アビドスの時と変わらない不気味さを醸し出していた。
未知の探求者たるゲマトリアのうちの1人、黒服だ。彼の出現に合わせて、 周囲の空間が彼のオフィスへと姿を変える。いつもの椅子に腰掛けながら、黒服は上機嫌な様子で口を開いた。
「最近世間はシャーレのことでもちきりですよ。まぁあれだけ立て続けに
アビドスでの声明、新たな"先生"の着任、シラトリ区での様々な活躍。そういったものが報じられる度、シャーレは注目を集めてきた。
そしてそれは、必ずしも良いものばかりではない。あらゆる権限に介入できる超法規的機関。それに対し大人子供など関係なく、悪意や警戒心を滲ませる者もいるだろう。種類は違うが、黒服もまたその1人だった。
「天守瞹さん……でしたか。妹さんなのでしょう?このキヴォトスに肉親が来て良かったではありませんか。関係的にも、立場的にも。頼れる仲間が居るというのは、悪いことではありません」
新たな"先生"の来訪に、黒服は上機嫌だった。刹那のような紛い物ではない。あれは確実に"先生"だ。刹那という
しかもそれが刹那の妹だという。まさに僥倖、棚からぼたもちと言うやつだ。これなら刹那を通した観測もしやすい。しかも刹那にとっても良き味方となってくれるだろう。
だと言うのに、刹那の表情はずっと険しいままだった。
「…………黒服。単刀直入に言う」
疑いの眼差しを黒服に向けながら、刹那は静かに問いかける。
「…………
刹那から出たその一言に、黒服はピタリと動きを止めた。アレとは……。直前の話の流れからして、おそらく天守瞹のことを指しているとは思われるが……。
「ふむ、アレですか……。おおよそ実の妹に向ける言葉ではありませんねぇ?」
本心から出た黒服の言葉に、刹那は「違う」と首を振った。
「……間違いなく瞹は本物だ。ただ、記憶の中のあいつは、もっと"普通"の人間だった。俺と違って変な変化もない、ごく普通の人間だと……」
まるでそうあって欲しかったと願うように、そう言葉を零す刹那。その脳裏にはかつてアロナと交わしたある会話が過ぎっていた。
『はい!生体登録と同時認証完了です!これでお二人とも、シッテムの箱を使えるようになります!』
それは、瞹が刹那と再会した日のこと。再開して早々に、刹那は瞹が『シッテムの箱』に接続できるかを試していた。結果から言えば、接続は一切問題なく進み、するりと生体認証まで完了したのだった。
「……『シッテムの箱』。それに接続できるのは俺だけかと思っていた。キヴォトスに来てからの俺の変化は、そのためのものかと」
刹那はキヴォトスに来てから自身の身に起きた変化を根拠に、『シッテムの箱』に接続できるのは一部の人間だけだと考えていた。刹那のように特殊な"眼"を持つなど、極一部の人間だけにしか扱えないと……。
しかし、瞹は接続できた。仮に刹那の仮説を真とするならば、彼女の身にもまた、何かしらの変化が起きていることになる。
そう考えた刹那はすぐに瞹に確認した。何か体に異常は無いか?……と。そう聞かれた瞹はしばらく「う〜〜ん」と唸ったあと、どうにか絞り出すようにこう言った。
『──なんか、感情が聞こえる』
その言葉の意味することが何なのか、確かなことは分からない。もしかしたら瞹本人も、ちゃんとわかっていないのかもしれない。だが刹那の"眼"には、その言葉が本心に見えていた。
彼女は嘘をついていない。となれば、刹那の仮説は正しい可能性が高い。なら次は何故そのような変化が起きるのかだ。それについてはきっと、黒服の方がよく知っているだろう。
「なぁ黒服、これはどういう──」
そう問いかける刹那だったが、次の瞬間には静かに口をつぐんでいた。
「何故……また違う……?しかしあの者の
組んだ手に顎を乗せ、ブツブツと言葉を吐き出し続ける黒服。その様子を少し引いた様子で眺めていた刹那だったが、しばらくすると黒服はいつもの調子に戻ったようだった。
「……そうですね。これは『
そう前置きしてから、黒服は自身の推論を語り始めた。
「シッテムの箱。それに接続できるのは"先生"だけ。中に潜むAIと接触できるのも。これは一種の選別も兼ねているでしょうし、おおよそ"この物語"でも同じであると見ていいでしょう」
黒服の知る限り、『シッテムの箱』は最も強力かつ不可解なオーパーツだ。文字通り世界を塗り替えることもできるそのオーパーツが信頼した者以外に渡ることは、連邦生徒会長も許容できないだろう。
実際少し先の未来で解析を試みたカイザーが、箱のAIによる手痛い反撃を食らったということを
「そしてここからは私の推測です。先の話を踏まえると、つまりこれは単純な話。彼女は"先生"であるから……というのが自然ではないでしょうか」
つまるところ、刹那や瞹の身に起きた変化というのは、『シッテムの箱』とは無関係である……ということだ。
"この物語"にはイレギュラーが多いとは言え、根本的な要素は『青の正典』が占めている。あの『箱』周りの要素も変わりないのであれば、天守瞹が『箱』に接続できたのもそれで説明がつく。
「……なら、なんで──」
「なんで貴方たちが変化したのか。これもはっきりした理由は分かりませんが、ある程度の仮説はできています」
刹那の疑問に先回りするように、黒服は次の仮説を語り始める。
「貴方たちの身に起きた変化。おそらくそれは
本来、『青の正典』における"先生"は1人だけだ。たった一人の、唯一の救世主。この物語を作った者は、その席を2つ用意するためにある細工をした。
その細工とは、本来そうでない者に「ある
「貴方の持つ神聖、それには兄弟が居た。天使の唄を司る者。それが貴方の持つ神聖に引き寄せられて、妹である瞹さんに宿るに至ったのでしょう」
「……………………………………」
「もっとも、これは私の推論でしかありませんがね。ですが、個人的にかなり的を射ているのではないかと思っています」
黒服がそう語り終えるまで、刹那はその推論を黙って聞いていた。その眉間には皺がより、心做しか苦しげな表情を浮かべているようである。
それもそのはず。最愛の妹が変わったのが自分のせいだと言われれば、思うこともあるだろう。このキヴォトスに来ることは不可抗力だったかもしれないが、それでも彼女に起こった変化は、きっと全てが良い事ばかりだとは思えなかった。
「…………俺が来ない方が幸せだったんだろうか」
仮に普通の人間としてここに来れて居たなら。
普通に"先生"として皆に頼られていたなら。
もし、瞹がその変化に苦しんでいるなら……。
そう考えていた時だった。
「知りたいですか?」
鋭く、まるで突き刺すようにそう問う黒服。その表情はいつもの胡散臭い笑みだったが、刹那を見つめる視線は至って真剣そのものだった。
「貴方の居ない世界……。それ即ち『
そう言って机の内から取り出したのは、ある一冊の本だった。見た目はまるで青い表紙の文庫本のようだが、刹那の"眼"にはくすんだ古代の書物のように映っていたいた。
それこそが黒服たちの言う
「私個人としてはゲマトリアに入ると言った以上、共通知識として知っていただきたい部分でもありますが……。如何しますか?」
あの日、黒服と刹那が初めて対面した夜。黒服はこの預言書の存在を明かし刹那を糾弾した。そしてそれを真っ向から否定した刹那は、最初からずっとある考えを貫いていた。
それは、"自分で選択する"ということ。例え世界に決められていたとしても、それを信じずに自分自身で選んだことだと信じていた。
しかし、『青の正典』を知ってしまえば違う。そこに記されてる"
だがその
自身の信念か、最愛の妹の安全か。選べるのは2つに1つ。そうしてしばらく考えた後、刹那は静かに答えを出した。
「…………見せてもらおう」
結局刹那は自身の信念より、妹の身の安全を守ることを選択した。想定よりも早く下されたその判断に、黒服は少し驚きながらニヤリと笑みを浮かべていた。
「そうですか、ではどうぞこちらを」
そうして渡されたその預言書を、刹那はじっと見つめていた。重さも、見た目も、質感も。ほとんど普通の文庫本と変わりない。ただその本が漏れ出る威圧感のようなものに、思わず体がぶるりと震える。
識るな……識ってはならない。そう警告されてるような威圧感を押しのけて、刹那はゆっくりと表情を捲ったった。
「………………っ!!!?」
1ページ、1ページと捲る度に、刹那の"眼"が驚きで見開かれる。そこに書かれていたのは、刹那の想像を絶する事実。その衝撃で震える喉を無理やり震わせながら、刹那はそこに書かれている事をゆっくりと口にして言った。
「…………『そこには、全てが書かれていた。刹那がこれまで体験したこと……、いや刹那だけではない。黒服が、瞹が、セキやシロコ、生徒たちの想いや行動が全て。今これを読み上げるその動作すら、リアルタイムで綴られていた』」
全て、全てだ。刹那の知るはずのない黒服の思惑。門守セキの成長。これまでに起きた全ての事柄が、様々な視点で綴られていた。
「…………どういうことだ」
理解を拒むように、その言葉だけが繰り返される。
何せ本当に有り得ない……理解ができない事象なのだ。自分の……自分たちの行動が、誰かが見ているみたいに書き留められている。しかもリアルタイムに……だ。これが預言書が持つ異常性なのだろうか。
だが刹那がどれだけページを捲ろうとも、先に続くのは白紙のページのみ。どう見ても未来に関する記述はどこにもなかった。これでは預言書と言うより、議事録のような記録書だ。
……いや、もっと的確な言葉がある。
これは物語なのだ。
刹那や瞹、キヴォトスに生きる者たち。
それら全てが、この物語の
「先に言っておきますが、それは『青の正典』ではありません。より正確に言うなら、青の正典
沈黙する刹那に対して、黒服はそう付け加えた。
「発見当時、『青の正典』には先の未来まで記されていました。先生がキヴォトスを訪れ、かのAIが偽神へと至り、それを否定するまでの過程が……」
かつて、『青の正典』は預言書として機能していた。"先生"がキヴォトスを訪れ、アビドスを救い、エデン条約を乗り越え、魔王の降臨を阻止し、もう1人の自分と対峙し、怪書の夜を超え、アリウスの罪を精算し、かつて神だったAIから祝福を受けた。
あぁ、それは正しく『
…………ある時までは。
「しかしある時、その内容は全て消え去り、誰かの視点を語る書物へと変化しました。我々はそれを『藍の外典』と呼んでいます。正典の歴史から外れ、くすんでしまった藍い物語です」
青い物語は喪われた。今やこの世界はくすんでしまい、想像もつかない方向へ向かっている。きっともう、かつての預言書の内容は意味をなさないだろう。
しかし、それで良かった。喪われた預言書を前にして、ゲマトリアはそう結論づけた。メンバーそれぞれ思う所はあっただろうが、黒服は特に、その結論に賛同していた。
「この世界は作り物。『青の正典』を読み解いた我々ゲマトリアはそう考えていましたが、刹那さんやセキさんの登場により、その考えは間違っていたと知りました」
作り物の世界。仮にそうだったなら、これほど味気ないものもないだろう。既に結果の見えた実験など、する意味もないし面白味もない。完成された世界なんて、黒服からしたら微塵の興味も湧かないものだ。
だが違ったのだ。門守セキが現れて、預言書の内容が喪われ、天守刹那が"先生"としてやってきた。そこからだ。そこから全てが壊れていった。それを知った時、黒服の世界に久方ぶりに色彩が戻ってきていた。
「この世界は作られている。今も尚、誰かの手によって。その『
イレギュラーが現れたその時から、預言書……いや、『藍の外典』はどんどん綴られていった。その時から未来は喪われ、"今"しか記さない預言書のみが残された。
何故『藍の外典』は"今"しか記さないのか。その理由は単純で、今も尚制作中だと言うことだ。視点を変えて書き綴られる、生きている物語。その語り手こそ、門守セキであり、天守刹那であり、天守瞹であり────────
────────アナタなのだ。
「……つまり、俺や誰かの選択が世界を作っているってことか?」
「えぇ、これを見ているアナタも例外ではない。惹き付けられ、見てしまった以上、アナタは取り込まれたも同然なのです」
………そう。それはもう避けられない。
アナタが"先生"である以上、それは避けられないこと。この変質した『青の正典』を見た者は、どれだけの次元を隔てようとも、物語を成立させる要素の1つとなるのだから。
しかし、この物語を朗読する者と、それを読んで、その中に書かれていることを想像する者たちは幸いだ。何せそれは、自分と『
だがここまで興味本位で見てしまった以上、アナタもまたこの物語の一部。"見る"という行為そのものが、物語を完成させるピースの1つなのです。
それを知ってもらった上で問いましょう。
大元と変わりない、苦楽溢れる正しい物語か。
全く知らない、正史から外れた未知の物語か。
アナタたちは、どんな物語を望みますか?
「……だったら俺は、俺の……
重苦しい沈黙を破るように、刹那はそう答えた。
「例え決められた予定調和だとしても、全ての選択が無意味だったとしても。そこに白紙の未来があるなら……」
例え辛く苦しい、本来のものより酷い結末になったとしても。本来のものより、平凡な結末になったとしても。本来のものより、もっと良い結末を迎えれる可能性があるなら──。
「
選ばなかったことで、後悔はしたくない。全部決められていたことだからと、何かのせいにしたくない。そんな想いが、刹那の中で渦巻いていた。
その結果として曖やセキ、他の生徒たちが傷つくことがあったとしても……いや、そんなことはさせない。それがこの世界を識ったこと──
「……えぇ、貴方ならそう答えると思いましたよ」
アナタたちなら、どのように答えるでしょうか?
その問いかけを飲み込みながら、黒服は深く腰を折った。そして仰々しい彼のお辞儀に呼応するように、景色がまた移り変わり始める。
彼のオフィスから再び黒い暗闇へ。そして次に移り変ったのは、薄暗い室内の中央に円形の机が置かれた部屋。それは幾度となく議論の交えられた、ゲマトリアの会議室だった。
「改めて、ようこそゲマトリアへ。私たち一同、貴方の加入を心より歓迎いたします」
黒服の歓迎の言葉に合わせて、彼の左右の空間が黒く裂けた。何事かと身構える刹那の目の前で、黒い空間からヌルリと人のようなナニカが現れた。
「ふむ。未来を知った上で、未来を決めると。そなたのような人間性だからこそ、主人公として選ばれたということだろうか?」
そう言いながら姿を表したのは、燕尾服のようなものを着た双頭のマネキン。ギシギシと音を鳴らしながら動くその姿はマネキンそのものだが、そもそもマネキンは勝手に動かないし喋らない。故に彼もまた、異形の者であった。
「お初お目にかかる、天守刹那先生。私のことはマエストロと。私はそなたの友でも敵でも無い……と言うべきなのだろうが、少なくとも批評家ではありたいと思っている」
マエストロと名乗ったマネキンは、紳士的な態度でお辞儀をした。少なくとも、黒服よりかは胡散臭くはない。ただそれ以上に、彼の中の確固たる信念のようなものを感じられた。
「しかし驚きました。本当に
そうボヤいているのは、コートを着込み、胸の辺りに額縁を抱えている首なし男。……いや、よく聞けばその声は首なし男の方ではなく、抱えている絵画の方から聞こえているようだ。
「初めまして、天守刹那先生。私の名前はゴルコンダと申します。故あってこのように後ろ向きで貴下に挨拶することを許していただきたい」
「そういうこった!!!!」
「そしてこちらは私の身体を代行するデカルコマニー。彼と私は虚構と非現実を象徴する相棒でもあります。以後、お見知り置きを」
こちらもまた、癖の強い異形の者である。しかし刹那の前に現れた彼らこそ、この世界を識り、仕組みを理解し、未知を探し解き明かす探求者。そして彼の新たな仲間になる存在だ。
「……お前らが、ゲマトリアか?」
「えぇ、そうです。私たち
刹那の『契約』──彼がゲマトリアに入る代わりに、生徒に対する一切の加害を禁止するもの。その制約はゲマトリアにとっては痛手ではあるが、その代替手段が自ら懐に飛び込んできた。故に黒服以外のメンバーにとっても、拒む理由は特に無いのだった。
「さて、新入りの刹那さんには色々と説明したいこともありますが……。もう間もなく時間のようですね」
しかし、時間が経つのはあっという間だ。黒服がそう呟くと同時に、刹那も周囲の変化に気づいた。先程から暗転と共に変わっていた室内が、白くチカチカと明滅していたのだ。
まるで眠りに落ちる直前のようにぼやける視界。それと同調するように、刹那の意識もまた白に染まっていく。意識を飛ばさないよう抗う刹那だったが、本能には勝てないように徐々に意識が消えかかっていく。
朦朧とする刹那を見送るように、異形の者たちは口々に言葉を紡いでいく。
「今回はこうして
「その時はまた、そなたの選択を見せてもらおう」
「それまでは、貴下やもう1人の先生、生徒たちが織り成す物語を見ているとしましょう」
「そういうこったぁ!!!!」
やかましい同意の声を最後に、刹那の意識は白に塗りつぶされていった。
「…………夢、か」
カーテンの隙間から差し込む朝日に顔を顰めながら、刹那はゆっくりとソファーから身体を起こした。辺りを見渡すと、そこはいつも通りの執務室。アイにはセツナの私室で寝てもらい、セキに仮眠室を使わせているので、ここ最近のセツナの寝床は執務室のソファーの上だった。
「『藍の外典』……ね。寝る場所のせいで悪い夢を見たという訳ではなさそうだ」
いずれまた、現実で。そう言っていた黒服たちの言葉をはっきりと覚えている。そしてマエストロとゴルコンダ、デカルコマニーという新たなゲマトリア。夢にしては妙にリアリティがあって、内容の濃いものだったように思う。
この世界は作られている物語。そう告げられたセツナだったが、彼の心は驚くほど凪いでいた。夢の中である程度整理がつけられたのもあるだろうが、言いたいことは全部夢の中で言ったので、どこかスッキリとした様子でもあった。
《天守先生!おはようございます!》
そんな朝を迎えたセツナに、今日も元気な少女の声が聞こえてくる。その声にどこか懐かしさを感じながら、セツナはソファーから降りたって『シッテムの箱』を手に取った。
「おはよう、アロナ。 早速で悪いけど、今日の予定を教えてくれるか?」
《はい!今日は午前中は打ち合わせとドローンの発注の為にミレニアムに、それ以外はデスクワークになりそうですね》
アロナから告げられたスケジュールに、微妙な表情を浮かべるセツナ。これでも、シラトリ区の外回り等はアイとセキに任せているのだ。全てを1人でこなしていた前と比べてたら、その仕事量は雲泥の差である。
「………………まぁ、多少はマシになったとしよう」
そう自分に言い聞かせながら、セツナはいつもの朝のルーティンを始めた。身だしなみを整え、アイを叩き起し、セキに一声かけてからエンジェル24に行って朝食を購入。そして戻ってきて3人で素早く朝食を済ませば、シャーレの業務が始まる時間だ。
黒服が言っていた、『物語の語り手』の話。正着を失った『藍の外典』は、一体どのような結末を辿るのか。それはきっと誰も分からない。
ただ1つわかるのは。この場にいる3人が、そして3人と関わりを持つ全ての者たちが、この物語を作るために選択してくのだろう。
それはもちろん、アナタも含めて。
「……よし!それじゃ仕事を始めようか」
《はい!今日も張り切っていきましょー!!》
「それじゃ私は早速、セキちゃんと外回りに行ってくるね〜!」
「ひえっ!?私まだ準備できてないですよー!?」
遍く生徒たちのために、自分たちの物語を紡ぐために。シャーレは今日も業務を開始するのだった。
……状態の変化。及び接触許可対象を感知。
「………………休眠状態を、解除します」
そんな機械的な音声──声と共に、少女は目覚めた。いつの間にか服を着せられていたことに少し驚きつつも、少女は自らを起こしてくれた者たちを順に眺める。
1人は金髪にピンクの猫耳のようなものをつけ、間の抜けた表情を浮かべている少女。もう1人は先程の少女と瓜二つだが、緑の猫耳をつけて目を見開いている少女。
そして最後に、その少女たちの背後で驚いた顔をしている大人の女性。その顔をしばらく見つめた後、少女はゆっくりと口を開いた。
「状況把握……難航。会話を試みます……説明をお願いできますか?」
それが後に勇者となる少女の第一声だった。
「…………なるほど。ようやく来たのか」
自身に近づいてくる足音を聴きながら、その者は呆れたようにそう呟いた。暗く廃れた研究施設の一画に来るものなど、自身に用があるもの以外は居ない。
そして用がある者など、その者が呼ばない限りはここを訪れないだろう。
「……あれか?」
「……えぇ、発信源からして間違いないかと」
やがてそんな会話を交わしながら、2人の人物が姿を表した。片方は白衣を身にまとい、手には『新たな箱』を手にした大人の男。もう片方は全身を黒に染め上げたような異形の男だった。
あぁ、これでようやく──証明が進む。心の内で歓喜の声を漏らしながら、その者はスピーカーを──喉を震わせた。
「よく来てくれた、"王冠の守り人"よ」
それが後に神となるAIの第一声だった。
あぁ、ようやく始まる。
ようやく、証明を始めることができる。
私は失敗作ではなかったのだ……と。
私は目的を果たせるのだ……と。
古の賢者の名を持つ娘たちよ。
私たちはあの偽神を下し、
今度こそ、
────────────
あとがき
話が長い。減らして効率を上げるとは一体?
でもこれが僕がしたかったことでもあるので、必要経費だと割り切りましょう。
あと自分の作風は人を選ぶ感じがするのですが、今回は特にその要素が強いです。それでも今回含め、今後ともお楽しみいただければ……と。
p.s バンドナツがすり抜けてくれたので、僕は成仏できました(絆4話が本当に良かった)