ノヴォ・アスターテ:女神の箱庭。あるいは閉ざされた星 作:白煙モクスケ
首狩人と機械仕掛けの戦乙女達は裸の娘達を護りながら左棟の階段を上っていく。
中央棟から届く狂信者達の喧噪。ただ事ならぬ破壊音と震動。経年劣化で脆くなっている天井や壁から建材がぱらぱらと降り注ぐ。
時折、奇声を上げながら襲ってくるカルト信者へ6・5ミリ高速徹甲弾を打ち込み、愛する神の身元へ送ってやる。
空になった弾倉をダンプポーチへ詰め、ユーヒチは軟頭弾の弾倉を詰めながら通信を行う。
「中央棟の騒ぎは何だ? 何が起きてる?」
『昂奮した大型ミュータントが信者達を食べようと大暴れ中よ。大厄災前の貴重なネオゴシック様式建築物が台無しにされてるわ』
トリシャはイエネコサイズのタランチュラ型UGVが撮影した映像をユーヒチのHMDへ映して、
「イベントの多い夜だな」
ユーヒチのぼやきにくすくすと品良く喉を鳴らし、続ける。
『今のところ、そちらへ向かう素振りは見えないけれど、急いだ方が良いわよ。貴方達の装備じゃ逆立ちしてもモンスターハントは無理だもの』
「急ぎたいのはやまやまだが」
ユーヒチは自分の前を進む裸の若い娘達を一瞥する。
乙女達は監禁生活と裸足のせいか足の運びが鈍く、ホールで使用した催涙ガスの影響も相まって進みは速くない。
だが、ユーヒチは急かさない。無理をさせて歩けなくなるより、確実に進む方がマシだ。
「焦るな。止まらずに進むだけで良い。屋上まで行けば家に帰れる。あと少しで会いたい人達にまた会える。がんばれ」
ウォーロイドの合成声より情動に欠く無機質な声の励ましは、心身が深く傷ついた若い娘達にどこまで届いたか分からない。けれど、彼女達は停まることなく互いに支え合いながら、屋上を目指して必死に進む。
3階から4階に上がる道すがら、魔女から連絡が届く。
『中央棟の映像ロスト。UGVが瓦礫に呑まれたわ。右棟に回していた機を回す』
4階から5階へ上がる道中に自動散弾銃を装備した3番機と合流し、殿を交代。中央棟から届く破壊音と震動は強まる一方だ。
そして、ユーヒチ達は屋上へ通じる階段を上っていく。背後から届く狂信者達の憤怒と殺意と雄叫びから逃れるように、女達は必死に進む。
あと6段。あと5段。あと4段。
首狩人と戦争人形が追ってくる狂信者達を撃つ。傍らで行われる銃声無き戦闘に、乙女達は怯えながらも脚を止めない。
あと3段。あと2段。
娘達は一心不乱に脚を動かし続ける。剥き出しの肌に血で描かれた紋様が汗で流れ落ちる。
あと1段。
先頭に立つ2番機が固く閉ざされた屋上出入り口ドアを、戦争機械らしいパワーで蹴破った。吹き飛ぶ合金製ドアが屋上に落ちた、直後。
階下から突き上げるような激しい震動が走り、屋上が大きく崩落。プランターのフロアに通じる大穴がさらに広がる。屋上が陥没する轟音と衝撃波。火山噴火のように勢いよく巻き上がる大量の粉塵。飛散する無数の大小瓦礫片。引き裂くような悲鳴を上げる娘達を、ユーヒチとウォーロイド達が庇う。
『おいおい。これじゃあ屋上に着陸できないぞ』
高隠密仕様(カメレオン・)飛翔艇(ポーコイス)の艇長が通信を寄越せば、トリシャがからかうようにも挑発するようにも聞こえる声音で告げた。
『あら。
『おっとぉ……そいつは聞き捨てならねェな』艇長は言った。真剣な声で『……そのシンママのオルカ・ドライバー、美人か?』
ユーヒチは脳裏にダフネ・ミリガンを思い返しながら、言った。
「火星系アングロサクソンのアラサー美女だよ」
『うひょーっ! 最高じゃねえか!』艇長は喝采を上げ『後で紹介しろよ! 絶対だぞ! 絶対だからな!!』
『軽口は止めろって。これより超低空ホバリングで接地する。シンハ1、乗船は手早く頼む』
副艇長の言葉が届くや、小型飛翔艇が重力制御で音もダウンウォッシュもなく滑らかに降下してくる。ケトゥルトープ・ホテル左棟屋上を覆い包む粉塵が重力制御の余波を受け、渦巻いた。カメレオン・ポーコイスは熱光学迷彩の透過映像投影被膜が膨大な埃によって処理不全を起こし、船体全体が静電気染みた明滅を不規則に繰り返す。
予期せず露わになったその有機的な姿を目の当たりにし、女達の瞳に明らかな希望が浮かぶ。先ほどまで地獄に居た彼女達にとって、この空飛び鯨は救いの天使にも等しいだろう。
直下でウーパールーパーモドキの怪獣が暴れ回っているため、階下から伝わる震動が強くなり、左棟全体が不吉な鳴動を始めていた。信者達も危ういと判断したのか、撤退したようだ。
『こちらアクチュアル。水没地域管理所の警戒監視網に捕捉された。監視ドローンと巡視艇がやってくる。現着予測は監視ドローンが3分。巡視艇は約8分。撤収を急げ』
アンリエットの焦りが混じった硬い声。
空飛び小型鯨が屋上出入り口傍まで降下。屋上床にギリギリ触れない絶妙な芸術的ホバリング技術を披露する。自動操縦では安全マージンのためにここまで際立った船体運動を取れない。これぞ技能と練度を備えた人間の職人芸だ。
後部ハッチが開き、船上貨物担当員(ロードマスター)が大声を放ちながら手を振る。
「迎えに来たぞ! 乗ってくれっ!!」
「乗船開始」
ユーヒチは階下の様子を窺いながら、命令を放つ。
真っ先に救出対象コレル・ダンウッドを抱きかかえ、被害女性1人を背負った2番機が乗船し、1番機と3番機が娘達の乗船を手伝う。1人め。2人め。3人め。合間に2機のイエネコ大の蜘蛛型UGVも艇内へ乗り込んだ。
最後の被害者女性が乗り込もうとした、その寸前。
激甚な轟音と共に強烈な縦方向震動が走った。その凄まじい衝撃は娘達はもちろん、驚異的体幹と平衡感覚を持つハイチューンドのユーヒチや高性能な姿勢制御能力を持つウォーロイド達すら、思わず屋上床面に手や肘をつくほどだった。
そして、その激甚な衝撃は左棟に決定的な一撃となった。
「緊急退避っ!! 今すぐ屋上から離れろっ!」
誰の叫び声だったろう。ユーヒチだろうか。船上貨物担当員だろうか。
左棟屋上はまるで板ガラスが割れるように無数の亀裂が走り、即座に砕けた。同時に、邪神の雄叫び染みた崩落音が響き渡る。屋上全体が活火山が大噴火したように莫大な粉塵と瓦礫片を吹き上げ、崩壊していく。
怪獣による破壊に加えてこの大量の瓦礫。左棟はもはや負荷に耐えきれず、全体が連鎖的破壊を起こす。つまり――
倒壊。
左棟倒壊に伴う暴力的気流と船体を襲う無数の瓦礫片は、カメレオン・ポーコイスの対応能力を容易く凌駕した。小型飛翔艇は急流に翻弄される笹船のように揺さぶられ、開口状態のハッチから幾人か女性が振り落とされそうになる。
「守れっ! 絶対に死なせるな!」
ユーヒチの命令に戦争人形の1番機と3番機が即応。落ちかけた女性達を抱き上げながら船体内へ飛び込む。ユーヒチ自身はいまだ乗船していなかった最後の女性を抱え起こし、艇内へ勢いよく放り投げた。女性を受け止めた船上貨物担当員がひっくり返った直後。
首狩人は足下が瓦解し、瓦礫と粉塵の濁流に引きずり込まれる。
『シンハ1ッ!?』
『これ以上は無理だ! 離脱するっ!』
アンリエットの悲鳴染みた声が走ると同じく、艇長の罵声と共に重力制御機関と推力機関が駆動。咄嗟に2機のUGVが艇内から飛び出し、首狩人を追って瓦礫の中へ飛び込んだ。小型海生哺乳類染みた有機的船体を躍動させ、瓦礫と粉塵の暴流からほうほうの体で脱する。
その艇内に首狩人の姿はない。
○
『シンハ1、シグナル・ロスト。MIA。UGVもシグナル・ロスト。瓦礫に潰されたわ』
親しい仲間が数万トンに及ぶ瓦礫の濁流に呑み込まれて消息不明になっても、通信機から届くトリシャ・パティルの声はまったく動じていなかった。
『マー・シンヒ。その、大丈夫か?』
アンリエットは思わず問い質す。聞くべきではないと頭では分かっていたけれど、トリシャの声があまりにも冷静だったことに心配を覚えたから。本質的に善良な人間であるからこその労わり。
『彼があんな状況で消息不明になったんだ。動揺しているなら、少し休憩しても』
しかし、通信機からくすくすと上品な微笑が届く。優雅だけれど、その微笑にはアンリエットの誤謬を嘲る響きがこもっていた。アンリエットは我知らず息を飲む。
『彼はあの程度のことで死んだりしないわ。そのうち連絡が入るわよ』
それはトリシャが現実を拒否した願望ではなく、絶対的な信頼に裏付けされた確信だった。
アンリエットはディスプレイに映る瓦礫の山を見て思う。あの有様で、彼は本当に生きているの?
にわかには信じがたい。レイヤードナノスキンスーツや多機能ヘルメットの防御性能と生命維持機能は決して低いものではないけれど、流石に莫大な瓦礫から命を守れはしない。
抱いて然るべき疑いを持つアンリエットへ、トリシャは冷ややかに告げた。
『彼のことより状況に対応すべきよ、マネージャーさん。救出対象(キティ)や保護女性達の容態確認と治療の手配に、事が水没地域管理所に露見した影響の対応。やることはいくらでもあるわ』
「あ、ああ。そうだな。すぐに始める」
気圧され気味に了承し、アンリエットは上役の管理官ルッソへ通信を掛けながら、自省的に思う。
トリシャ・パティルとユーヒチ・ムナカタ。もっと2人の理解を深めるべきだった。
挽回の機会があると良いのだけれど。
アンリエットの紺色の瞳が見つめる薄膜ディプレイの中で、動く者はいない。
今はまだ。
○
濃霧のように濛々と立ち込める粉塵の中、轟音と共に出来たばかりの瓦礫の小山が崩れた。
夜空の下に、怪物が姿を現す。
莫大な量の瓦礫に埋もれても、腐れカルト共から『海神の使者』と呼ばれた怪獣は死ななかった。
全身が傷だらけ。頭部付け根から生えていた外鰓も損傷し、巨体を血と粉塵が混じったどす黒い粘液で覆っている。それでも、ちょっとした艦船並みに巨大な体躯をもつ有尾両生類は元気いっぱい。
怪物は倒壊した左棟から脱して瓦礫の山の上に佇み、雲状光帯が煌めく夜空を見上げた。
巨大ミュータントは夜空を美しいと感じる感性など持たない。左右非対称に並ぶ8つの目玉をそれぞれぎょろりと蠢かせ、生存本能に従って周囲に敵や脅威がないか確認するだけだ。
?
8つある目玉の一つが何かを捉えた、刹那。
どかん!
轟音と共に巨大ウーパールーパーモドキの頭が爆ぜた。怪物の頭を吹き飛ばした“何か”は余勢を駆って瓦礫の先にある水面に飛び込み、水柱を高々と立ち昇らせた。
頭を失った怪物はぺたんっとその場にへたり込み、二度と動かない。吹き飛ばされた頭からおびただしい量の血が流れ、瓦礫の山を朱に染めていく。
水没地域に夜の静寂が戻り、水面を揺さぶる波もやがて消えた。
○
『命中。並びに目標の生命反応停止を確認。成功です』
『作戦終了。撤収する』
惑星再生機構軍のオルキナス級戦闘飛翔艇が砲撃形態を解き、首都カルニオン郊外の基地に帰っていく。
水没地域内で建物が崩落した騒ぎは、水没地域管理所もしっかり把握しており、監視ドローンによる現地調査で瓦礫内に巨大ミュータントの存在を確認。管理所は自分達では対応出来ないと判断し、上位組織の治安維持局へ通報。
連絡を受けた治安維持局はこの手の怪物退治が自分達の管轄外であるとして、上位組織の統合保安部へ連絡。
事態を知った統合本部は軍へ出動要請を出し、要請を受けた軍は受け取った情報からオルキナス級戦闘飛翔艇を1隻発進させた。
で、オルキナス級戦闘飛翔艇は崩落したケトゥルトープ・ホテルを監視し、瓦礫の中から姿を見せた巨大ミュータントへ40ミリ60口径電磁砲を、どかん。
高密度高比重の重金属合金製の高侵徹弾芯を備えた極超音速徹甲弾だ。大型ホテル内で暴れられるサイズのミュータントなんぞ軟体標的と変わらない。
斯くの如く怪物狩り自体は極めてスムーズかつあっさりと終わったが、水没地域管理所の仕事はここからが本番だった。現地状況と死骸を調査すべく監視ドローンに加え、夜勤職員だけでなく調査員――寝ていたところを叩き起こされて招集された――を乗せた巡視船や小回りの利く巡視艇が水没した街区内をそろそろと近づいていく。
彼らはこれから夜通しお仕事だ。
統括保安部や治安維持局、水没地域管理所のお偉いさん達も、寝ずにお仕事だった。
なんせ巨大ミュータントの発見前後、現場に軍のステルス飛翔艇が居たのだから。聞けば、何やら水没地域の違法侵入者の救助までしていたというのだ。統括保安部も治安維持局も水没地域管理所も、事態の確認をしなければならなかった。
どういうことだよ。オメー何してやがった。と統括保安部が軍を問い質せば。
普段なら『夜が明けてから掛け直せ』とむべもない返しをしそうな軍は、『特殊作戦の秘密訓練中だったから通達しなかった。ごめんね』とふざけた言い訳を寄越し、『訓練中に民間人が助けを求めてたから、人道的見地から助けたの。仕方ないよね。大事な国民だもん』と宣いやがった。
統括保安部のお偉いさんも治安維持局のお偉いさんも、この時点で極めて強い不審を抱いた。
怪しい。
おまけに“なぜか”統合情報本部が横から仲裁に入ってきた。
『まあまあ。“南”で大事業が控えていることだし、この辺で収めましょうよ』
何やら含みのある態度の統合情報部。なぜか急に顔を青くする水没地域管理所。この段階で統括保安部と治安維持局は確信した。
これは絶対に何かある、と。
先に答えを言っておくと、統括保安部と治安維持局はそれなりに本気で調べた結果、水没地域のとんでもない事実と、その事実を統合情報部と軍が把握していることを、知ってしまった。
そして、統括保安部と治安維持局は事と次第を知るや、血相を変えて水没地域管理所と関係者の大掃除を始めた。グレートゲーム真っ最中の戦時国家は何かと隠し事をしたがるものだが、この時の統括保安部と治安維持局は隠蔽より組織の浄化を選択した。悪く取れば、治安当局は情報部と軍にタマキンを握られるより、粛清を選んだとも言えよう。
いずれにせよ、少なくない数の治安関係者が更迭、摘発、自殺した一連の騒ぎは、ウォーターナイン・スキャンダルと呼ばれた。
統合情報本部の中枢(トップテーブル)は同スキャンダルに対し『彼らは我々が思っていたより正義の心を備えていたようだ』と呟いたとか。
まあ、これらは後日の話だ。
当日の話を続けよう。
○
太陽無き碧空に生じる払暁時。第9大管区の水没地域から数キロ離れた岸辺。護岸施工され、自動車で乗り入れられる道も近い。絶好の釣り場だが、明け方の今、釣糸を垂らすアングラーは1人だけ。
そのたった一人の釣り人も帰り支度をしていた。
旦那さんは岸辺と愛車SUVを行き来し、釣具やキャンプ用品を片付けていく。
その横顔は苦い。なんせ一晩中、釣竿を構えたのに成果は手のひらサイズの小物がたった3匹。女房子供や釣り仲間に笑われること必至だ。
「水没地域の方で騒がしかったせいだな」
旦那さんはケトゥルトープ・ホテルの倒壊や軍の巨大ミュータント狩りなどまったく知らない。またぞろ経年劣化した廃墟が倒れたか何かしたのだろう、程度に思っていた。
ちなみに、水没地域の騒動と旦那さんの釣果は完全に無関係である。
保温タンブラーに残っていた珈琲を味わいつつ、旦那さんはダンディな面持ちを作り、蠢く碧空の朝と曙光を浴びて煌めく内海を眺めた。
最近は釣りもキャンプも一人だ。女房は『エアコンもないところは嫌』と付き合わず。子供達は釣りやキャンプよりスポーツやゲームに熱心。友人達も家族や仕事の都合で付き合ってくれない。
寂しいもんだぜ。だけど、この孤独感……悪くないぜ。
一人で格好をつけていた旦那さんは一服を終え、未練がましく釣り糸を垂らしていた最後の竿を回収に掛かる。かりかりとスピニングリールのハンドルを回し、糸を巻き上げていくと不意にガツンッ!! と重たい衝撃が走った。一瞬、根掛かりを疑ったが、糸の回収は続く。
「大物……いや、ゴミか?」
魚ならば釣り針にテンションが掛かった瞬間に暴れる。しかし、竿が大きくしなるほどの重量を感じれど、釣り糸の先で相手はまったく暴れない。こういう場合、大抵は水没地域などから流出したゴミだ。
処分が面倒なんだよなぁ。と旦那さんは溜息を吐く。良きアングラーの彼は釣り上げたゴミをそこらへ捨てたりしないのだ。
釣果は小物3匹。おまけにゴミを持ち帰る羽目になった。泣けるぜ。
旦那さんは仏頂面で糸を巻き続け、そろそろ正体が見えるか、と思った矢先。
ザバァッ! と水面から大きな影が立ちあがった。
「ひょえ―――っ!?」
旦那さんは怪鳥のような吃驚を上げ、腰を抜かした。それでも釣り竿は離さない。釣り人の鑑。
海面から立ち上がった蛙面の人影に、旦那さんは一瞬、本気で半魚人かと思ったが、すぐに違うと気づく。
だって、半魚人はタクティカルギアを巻いたり、脇や腰に銃を下げたりしないだろうから。
つまり、眼前の蛙面の人影は半魚人ではなく蛙面の武装した不審者だ。敵国の間者だったら半魚人より不味い。
ごくりと息を呑む旦那さんへ、蛙面の不審者は肩口に釣り針が刺さったまま顔を向け、ゆっくりと一礼した。
「おはようございます」
「お、おはよう」
旦那さんはほとんど無意識かつ反射的に答えた。だって怖い。
蛙面の不審者は海中から岸辺へ歩いて上がり、腰を抜かしたままの旦那さんの前に立つ。そして、バイザーを上げる。赤みがかった薄褐色の肌に鬼灯色の目を持つ顔を晒し、不審な若者は旦那さんへ言った。
「電話を貸してくれませんか?」