閑散とした田舎町に人とも動物ともとれぬ絶叫が轟き、野生動物に似ても似つかぬ怪異が御刀――
少女は必要以上に斬った怪異の結末を見ることなく、次の討伐すべき相手へ目を走らせる。狐に似たような化け物が飛びかかってきたが、難なく切り捨てた。
降り注ぐ不純物から逃れるために立ち位置を瞬時に変え、回避。寂れた土の上に負の神性が叩きつけられ、分散される。再び結合しようと蠢く不純物だが、まだ生物の形に戻るまでには時間がかかりそうだ。
避けた彼女は素早く体勢を立て直し、眼前の物の怪へと肉薄する。まさしく怪物といった形相で睨む鬼面の妖怪は為す術もなく真っ二つになり、他のものと同じように元の不純物へと姿を戻す。地面は赤黒く染まっていく。
足の踏み場も多少は気をつけているとは言えども、彼女の勢いは留まることを知らない。立て続けに二体、三体と斬り祓い、荒ぶる魂を鎮める。こげ茶の双眸は静かにやるべきことだけに集中した力強い眼光で、残っている怪異を見据えた。
数えて三体か四体、終わりは見えてきたと言っていい。しかし油断できるほどの数ではないのは確か。少女は八相――普通なら切っ先を天に向けつつ半身を切るのだが、彼女のは肩に担いでいるような独特の構え――を取り直し、真っ直ぐ覿面を睨みつけたのちその場から消える。
現世から時間の早い層に潜り込んで瞬間移動をした彼女は、最も手前にいた狛犬のような物の怪へ一閃を走らせ、すかさず近くにいたもう一体にも白刃を閃かせた。全く対応できなかった怪異たちは今までのものたちと同様に生物としての形を留めることができずに、赤黒い液体のような原型に戻っていく。だが、やはり少女は見向きもせずに次へ次へと斬り進む。
淡々とした調子で人々の平穏を脅かす怪物――
ノロの結合をなるべく防いで待機すること、数分。回収部隊が到着し、引き継ぎを終えたあと荒魂を討伐した刀使――
鎌倉特別危険廃棄物漏出問題、世間一般には
だからか現在、赴任先の土地では明しかいない。激務、激戦区と呼ばれるような任務、任地に人手を多く割かれてしまっているため、比較的活発ではない僻地に刀使を余剰に送ることもできない――つまりは新人の育成も過酷な現場内で行わなければならず、落ち着いていると思われる田舎町には送る余裕がないといった現状。いやあったとしても、数日後には人手が欲しいところへと飛ばされている。
一人になることを繰り返す中、明は呑気に鼻歌を歌いながら夜道を歩く。田んぼの中にある蛙が定期的に鳴き、微妙に重なり合って合唱のように田舎風情を演出する。任務終わりに日本の原風景と呼べる景色を眺めながら帰路につくのが日課になっていた。
そろそろ自身が拠点としている宿舎まで半分といったところ、風が少しだけ騒ぐ。最初は何も気にせず呑気に明だが、小さき生物それぞれ鳴き声が途絶え、鳥が一斉に翼を羽ばたかせる音を聞いて身構える。じっとりとした暑さがまとわりついて鬱陶しく思うが、気にしなくなるほどピリピリとした緊張感が肌を突き刺す。
狙われている――剣士としての直感が臨戦態勢に入れと促すように叫ぶ。どこからか気配がする、一体どこだろうか。速やかに愛刀――同田貫清国を引き抜き、八相に構えて周囲を一瞥した。
外灯たるものが乏しい田舎道ではよほど夜目が利く者ではない限り、完全に周辺を把握することは難しいだろう。実際、明も見落としている可能性を考慮しながら右へ左へと目を走らせた。だが風に揺らめく草木しか見当たらない。
微かに風の流れが変わったのを感じた瞬間、頭上を見上げる。月明かりに照らされた銀刃が煌めいて迫っていた。回避が間に合わないと判断した明は、写シを瞬時に張ると同時に頑丈な清国の刀身で受け止めることを選ぶ。
甲高い音が響き、愛刀を支える両腕に衝撃が伝わる。頭上を睨むこげ茶の瞳に映るのは、自身の命を奪おうとした正体――御刀と宵に溶け込みそうなほどに黒さと見るからに使えればいいと言わんばかりの無頓着さを兼ね備えたコート、深く被ったフードから垣間見える異形の眼光と人と怪異が入り交じった肌。何と言えば分からぬ人間が今自分に襲いかかってきたという事実だけが彼女が理解できる現実だ。
奇襲に失敗した素性不明の人物は軽やかに舞い、静かに畦道に降り立つ。切っ先を明の方へ迷いなく向け、
人間らしからぬ形相を見たとはいえ、まだ人ではないという確証を得ないこと、御刀を扱っているのに写シを張っている様子がないことから明は迅移で後方へ。人を斬るという行為に抵抗がある、いや斬ってはならぬという鋼の意志から彼女は防戦に徹しようと試みた。結果、次々と繰り出される斬撃を相殺するだけに至る。
だが易々と全てを受けたわけではない。強勢な一閃を受ける度に両手が痺れ、対応に微かな遅れが生じていた。相手の剣撃を相殺するという迅速さ、力強さを求められる――本来は相手の呼吸や拍子などを読み取って対処するのだが彼女の流派は読み合いを是としない――が故に、受け太刀が間に合わなくなるのは死活問題。
銀弧が迫る度に歯を食いしばって御刀を振るう。また手の感触が消えつつある。それでも彼女の太刀筋は若干の遅れを見せても完全に衰えることはなかった。
――否、相手の剣に慣れてきたと言わんばかりに速度が上がる。もちろん手は痺れており、柄をしっかり握っている感覚はない。されど時間が経てば経つほど、彼女の太刀は鋭さを増して白刃を弾き返していく。
徐々に自身の攻撃に対応されているのにも関わらず、襲撃者の呼吸から驚嘆や焦燥は読み取れない。しかし銀弧が機を窺うように少しずつ大人しくなる。恐らく予想以上に粘られているため、策を練り直す必要が出てきたからなのだろう。
一撃、二撃と刃を合わせ、完全に互角の勝負になっていく。けれど、すぐに幕引きとなる――明の剣が確実に弾いた瞬間、襲撃者は大きくバックステップを踏み、さらに上空へ跳躍。人間離れした身体能力で瞬く間に明が追いかけられない距離まで離れ、暗闇に姿を消す。
突然の逃亡に驚くことなく明は最後に見えた方向へじっと睨み、静かに同田貫清国を鞘に収める。一瞬にして夜の田舎道は元来の静謐さと呑気さを取り戻した。
「――ってことがあったんですけど」
宿舎に戻って一息入れたあと、明は襲撃された経緯を電話口に向かって話した。スピーカーの先の相手――自身の所属先である警察庁特別刀剣類管理局“特別祭祀機動隊”の本部長――は頼りがいのある語勢で『分かった、その刀使のことはこっちで調べておく』と告げる。『あと別件でお前に頼みたいことがあるんだがいいか?』すぐに話題は切り換えられ、明は二つ返事で了承して続きを聞く。
『明日、お前のところに新人の刀使を送る』
急な増員、喜ばしいことだが新人というのが驚きの要素となる。『そいつの面倒を見てくれないか』
「はい?」明は思わず耳を疑った。「私が面倒を見る……?」どちらかといえば自分が見られる側なのに、と首を傾ぐ。確かに自分の方が刀使になった時期は早いだろうが、面倒見がいい方ではないため務まる気がしない。
『ああ、お前が面倒を見るんだ』
しっかりともう一度力強く念を押される。『安心しろ、まだ半年しか経ってないが筋はいいぞ』喜色に富んだ口調で評価を言ったあと、『ということで頼むぞ、先輩』くだけた調子を最後に通話が終わった。
驚嘆と反論を続けようとした明はスマートフォンの画面を見つめて、切れちゃったよと呟くもまっいっかと気にせず明日に向けて準備したあと就寝。不穏な一日があっけなく終わる。
翌朝、昨日の連戦などなかったかのように明は元気よく支度をし、新人を出迎える準備を整えた。彼女が寝泊まりしている宿舎は古びた宿で代々常駐する刀使らの寝床となっている。特別祭祀機動隊――刀使が一般的に所属している部隊であり、警察組織の一員として荒魂を討伐する――の駐屯地がないため、使われていない古宿を借りる形に。
ただ寝泊まりするに使う分ぐらいにしか手入れはされておらず、ややカビ臭い。さらには虫がたまに出てくる、傷みが激しい箇所がある、電灯が届かない暗い場所があると年頃の女の子――いや自然溢れる中で古びた家に住み慣れていない者全てと言った方が正しいか――には厳しい条件が揃っている。気に入るかどうかはともかくとして、現地での生活が苦にならなければいいなと明は思っていた。
表に出て待つこと、十数分。一台の乗用車が目の前に停車する。瞬く間に後部ドアが開くと、一人の少女が降車し、ドアが閉まったのを確認してから車は切り返して走り去った。
残されたのは明と新参者の二人だけ。沈黙を待たずして新入りから口を開く。
「
あまりにも規律的すぎる行動に明は動じることなく丁寧に一礼してから頭を上げていいと告げる。グレーブラックのカーテンが開かれた先に見えたのは意志の強さを表すかのような灰色がかった黒の双眸、几帳面な性格が窺える整然とした顔立ち――実に名前の通りらしい実直さを体現していた。
「私は加守明」間の抜けた笑顔で部隊長は名乗り、「美濃関学院の中等部二年だよ、よろしくー」握手を求めて右手を差し出す。よろしくお願いいたします、と生真面目に返答してから新人の直は手を握り返した。
握手を解いた直後、明は早速話題を広げようとしたが何と呼べばいいのか分からず名前が呼べない。支倉直です。動揺することなく彼女は平静に答える。
「すなおってどう書くの?」明は興味深そうに訊く。
「真っ直ぐの“
「おおー、じゃスグちゃんだ」早速あだ名をつける明。
「はい?」思わず直は聞き返す。
「真っ直ぐの“
理由を笑顔で語る隊長に「私は直です」彼女は生真面目に訂正を口にするも「じゃまずは町の案内からするね」完全に流されてしまった挙げ句、言った本人はすぐに歩き出してしまった。
「話を聞いてください」自由気ままな先輩の言動に当惑し、後輩はついていけるのだろうかという先への不安を表情に出しながら後を追いかけていく。
向かった先は
刀使のねーちゃんだ、明お姉ちゃん一緒にあそぼー。新しい人もいるー! お姉ちゃん、名前なんて言うのー? いつまで一緒にいられる?
矢継ぎ早に子供らの誘いや質問が飛び交い、初めて対面した直は困惑して、どれから答えればいいのか分からなかった。隣の明は子供特有の情報量の多さに気圧されることなく、誘いには二つ返事で答え、直のことを紹介する。先程のマイペースな言動とは打って変わって真摯な返答をする彼女に、新人は一体何者なのだろうと疑問と好奇心が混ざった眼差しで一瞥。
しかし新入りの関心を感じることなく、明は子供たちとの遊びに興じる。完全に職務を放棄していると言わんばかりに全力で相手している彼女を見て、直が呆れるのに時間はかからなかった。案内というか巡回とかどうするのだろうかと端で眺めながら、彼女も何だかんだおしゃべり盛りの女の子たちのおませな興味に応えていく。
しばらくしてドッジボールで遊んでいた明と活発な少年少女チームだが、一人がロングパスを試みようとボールを蹴り上げた結果、あらぬ方向に飛んでは妙な具合に木の枝にはまってしまった。「ありゃーあんなところまでー」ボールを所持している木の下へ明は近寄り、見上げて呑気な感想を漏らす。予備分がないため、誰かが高所まで取りに行かなければならない。
事態に気づいた直も駆けつけて状況を把握。中学生二人の身長を足しても厳しい高さにボールが枝に挟まっている。御刀の力を使うべきか。
「取れる?」蹴り上げてしまった子供が申し訳なさそうに明を見つめる。
「任せて」力こぶをつくるようなポーズを取って自信満々に答えると、明は軽い準備運動を始めた。
「何をするんですか?」柄を握る様子がなく、想像がつかない直はつい訊ねてしまう。
「木登り」返答は至って単純明快。誰もが容易く思いつき、難いとすぐに諦める手段が明示された。
「え?」当然、新参者は困惑する。他にも方法があるというのに、最も非効率で原始的な行動を選ぶことが理解できないのだ。
「今から木登りするんだよ」さも当たり前かのように古参はもう一度答える。手首足首を何回も回したあと、準備万端と言わんばかりに覿面の木を睨む。
「何を言って――」
新人が言い終える前に明は軽く助走をして飛び上がり一番低く頑丈な枝に掴まれば、滞ることなく登っていく。緩やかで何事も落ち着いていそうな第一印象を打ち砕く野性的な行動に直は固まるしかない。彼女の身体能力に驚いているのもあるが、飾り気がなさすぎる思考回路にも驚愕して言葉を失っている。
当惑と驚嘆が入り交じった視線を気にすることなく明は、身軽な身のこなしでボールが挟まっている枝の近くまで辿り着き、子供たちに声をかけてボールを落とした。彼彼女らがわいわい言いながらボールを確保したのを見届けると速やかに木から降りる。手慣れた様子で制服についた葉や埃を払い落として、何事もなかったかのように少年少女らのお礼に対応していく。
いきなり都会的な思考では考えられない――いや田舎でも大人に助けを求めることは至って普遍的だが――光景を見せつけられ直はまだ何も言い出せない。隣のおませな少女が明お姉ちゃんも女の子なのにーと呆れたような呟きを漏らした。男子や活発な女子に囲まれた人気者を眺めて、直はきっと日常的かつ元気のよい子らにとっては憧憬的な場景なのだろうと察する。
無事にボールが子供たちの元へ帰還したところで、時計の長短針が十二で重なった。お昼時になれば一旦彼彼女らも家に帰ることになり、それぞれの家まで送り届けて明たちも昼食を取りに町唯一の飲食店へ向かう。
人の行き交いが珍しいほどの大通りの中、ぽつんと静かに佇む建物に辿り着く。どうして潰れていないのだろうかと不思議に思ってしまうぐらい寂れた食堂、中にいる客は作業着に身を包んだ中老年ぐらいの男性らが主。彼らが二人に気づくと気さくに声をかけて、気になったことを問いかける――新しい子はどこから来たんだい? 今日はどこら辺を回る予定? 子供たちはどうだった?
席につきながら明はにこやかに一つ一つ答えて、時に向かい側に座る直への問いは彼女に振ってなるべく会話の内に入れるように配慮する。初対面の男性たちを前に緊張してぎこちなく返答する直に対し、一人がごつくて怖いおじさんばっかりでごめんなーと笑いながら言い出すと、もう一人がそんなに固くならなくていいんだって誰一人も怒らないからと優しく付け加えていく。明もみんな優しい人だから大丈夫だよと緩やかに笑みを浮かべれば、直もほんのわずかに顔の強張りを解いて微笑した。
他愛ない話を一旦中断し食堂を仕切る店主に注文を告げると、料理が届くまでの間に再び談笑を始める。ここら辺は何もないけど荒魂はいるんだよなー、本当に妖怪というか怪物ってのがいるから困るんだよ、一昔前なんて神隠しって言って子供たちが荒魂にさらわれて殺されるなんてしょっちゅうだったもんな。彼らが過去について語るとき、皆が少しだけ強がるように口の端をつり上げていた。
辺鄙な土地にも秘められた暗さを目の当たりにした直は少しだけ自身の役割について考える。刀使になりたての己にも彼らが抱える悲しみの思い出を増やさぬようにするのが使命か。理知的な思考で納得するが、裡にある暗闇が至極普遍的な役目を否定して結局答えは明確に出ない。
だからこそ私たちは頑張らないとねーと明は実に能天気に言う。事件を解決した先輩たちにもそれからずっと守り抜いてきた先輩たちが繋いだものを私たちが次の子に繋げれるようにさ。明るく呑気な口調で確かな決意が込められた言葉が、重く響いた。
場の空気が落ち着きを見せたところで料理がテーブルの上に並べられていく。二人揃って日替わり定食――白米や味噌汁、旬の野菜を使った副菜に近くの川で獲れた川魚を焼いた主食――を注文したため、メニュー内容が大きく相違していない。ただ明の分だけは白米が多め盛られており、いかに彼女が食べ盛りに正直なのがよく分かる。
大量の食を胃に詰めて大丈夫なのかと心配しつつ直はいつでも動けるように腹七分の量で頼んだ品物たちを食す。汗水垂らして生活する者が多いからか、味付けは濃いめであり、ときに水が一気に欲しくなるような乾きも覚える。だが午後も動けそうな活力を得ている気にもなり、なるほど辺境の地に住まう人にとって必要なエネルギー源だと味得した。
感服する新入りをよそに明は、矢継ぎ早に左手を動かしては掴んだものを美味しそうに頬張っていく。いやー今日もおばあちゃんのごはんが美味しいや。あっという間に大盛りご飯を含めた定食を食べ切る。
ごちそうさまでしたーと締めて二人は店を出た。昼過ぎ、午前中に温められた地面の熱気が跳ね返り、湿った空気も相まって蒸し暑さが増す。まさしく夏と呼ぶに相応しい。
炎天下の中、刀使たちは人通りの少ない町中を歩き回っていく。子供らの姿はまだないのは、やはり暑すぎる気候が問題か。しかし木造の小屋が一軒だけ建てられている区画まで歩くと少年少女らがアイスを求めて駄菓子屋に集結していた。
店主である年老いた女性がのんびりとした言動で子供たちと金銭のやりとりをしながら冷たい麦茶を用意するサービスまで行う。わいわいがやがやと賑々しい輪の中に明と直が混ざれば、一層賑やかになる。ついでに二人もアイスを買って、麦茶をもらった。
のどやかな午後の時間を過ごしながら、直は一年前の夏を思い出す。かつて親友とコンビニに寄ってアイスを賭けてじゃんけんしていた夏の日、勝ったり負けたりして最終的には分けて楽しんでいたのが懐かしい。もう今は過ごすことができないかけがえのない過去だと思えば、足元の影が少しだけ伸びていた。
明ねーちゃん、カブトムシいるよー! え、どこ!? あそこの木ぃー! よぉーし、捕まえるぞー!
アンニュイな追憶を吹き飛ばすようなやりとりが聞こえ、直は意識を明たちの方に向ける。既にアイスを食べ終えた明は両手が空いた状態で男子らが教えてくれたところへ。今度は何をするのだろうかと完全に不安視していた瞬間、ひょいと彼女が木の幹にいたと思われる黒い物体――間違っても人類の大敵ではない――を掴んだ。
もはや神業と呼ぶべき手腕だが、女子らしい女子らは頭を抱える。素手で虫を捕まえるな、ニコニコ笑顔でこちらに寄ってくるな、お前も女の子だろと言わんばかりに何名かの嘆息が漏れていく。もちろん新入り刀使は先輩の行動にドン引きして、もはや敬う存在ではないと内心思い始めた。
彼女たちの心情なぞつゆ知らず、明は活発活動的な子供たちにひとしきり見せたしたあと、直の方にも寄って捕獲したカブトムシを自慢する。見てみてー、すっごく格好いいの捕まえたの。満面な笑みだけなら良かったが、年頃の乙女が虫を素手で触ってはしゃいでいるのはいかがものだろうかと審議されるのは待ったなしだろう。
引きつった笑顔ですごいですねと精一杯の直。スグちゃんも虫はダメだったかーと彼女の反応を察してすぐに離れる明。虫では二人の距離は縮まらない――むしろ虫が苦手とする女子学生は多いのだから致し方ないし、明ほど虫を好きで捕まえる変人はそうそういない。
顔つきも普段の言動もおっとりのんびりしていて、いかにも自然と遊ぶのは不慣れっぽそうだというのに、実際は誰よりも野性的で自然と遊ぶしかない子供らと気が合う。まさしく人は見かけに寄らずと言ったところか、直は関心すると同時に先への不安をさらに募らせた。
ようやく日も沈み、少年少女たちと別れて二人は明かりが乏しい夜道を歩く。誰一人もいなさそうな路地、気だるげな暑さと自然の音も聞こえぬ静けさがいかに辺陬な土地なのかと証明する。延々と似たような景色が続くところも辺境の地ならではだろう。
「ずっとこんな調子なのですか?」田舎特有の静謐さに根気負けして直は訊ねる。いやのどやかさに生真面目な気質が空回りしてしまったから、つい口を開いてしまったとも言えようか。
「荒魂が出てないときはこんな感じだねー」
相変わらず間の抜けた口調で返答する明。「どう? 慣れそう?」意外にも先輩として頼りがいのある顔で隣を歩く後輩を気遣う。
「まだ何とも……」初日でしかも荒魂にも遭遇していないからこそ、彼女は何とも言えぬ微妙な反応を示す。町の空気も未だに掴み切れていない。
「あっ、あれ夏の大三角だ」自分で訊いておいて、明はすぐに興味の対象を空に移していた。質問された側はますます困惑して、ことさら先を憂う――彼女のマイペースさに順応できるのかが肝要なのではと。
「加守さん」
呆れの嘆息を吐いて気を取り直した直は呼びかける。夜空を眺めていた焦げ茶の瞳が生真面目な相貌を映す。「刀使って、どんな人がなるべきだと思いますか?」明は反射的にえっと返し、先は続かなかった。いきなり謹直に問われたからというのもあり、質問の意図を読み取れなかったからだろう。
だからすぐに直は謝罪し、満天へと目を向けて話題を切り換える。「ここの夜空は綺麗ですね」夏の大三角以外にも有名な星座を見つけつつ、都会とは違う辺境の地ならではの良さを実感してわずかに頬を緩めていく。
「でっしょー」ずっと硬かった相好が崩れた瞬間を目にして、明も緩やかに笑う。「だから、この時間に歩くのが好きなんだー」もう一度、夜空を見上げる。薄い雲が流れ、月や星が隠れていく――暗くなった夜道はやはり不安を煽った。
宿舎についてからは夕食に入浴、今日の活動記録などやるべきことを済ませる。就寝時間になれば、彼女たちは布団に潜り込んで寝た。一瞬たりとも無駄が発生することなく。
しかし草木も眠る頃合い、不意に直は目を覚ます。慣れない環境下では寝つきが悪い――というわけではないが、やはり緊張が影響して浅い眠りになってしまったのだろう。水を一杯だけ飲んでもう一度寝床につこうか思案していたところ、つと隣を見やる。
穏やかな寝顔で気持ちよさそうに寝ている先輩、朝から様々な顔を見せてどれが本当の彼女なのか分からない。否、どれもが彼女なのかもしれないが如何せん数が多すぎる。今まで出会った刀使の中でも癖が強い、いや掴みどころがないと言った方が正しいか。
「この傷は……」しばらく変人と形容できる少女の相好を眺めていると、頬に走る横一文字の傷を発見。荒魂らしい野性味を感じさせるものではなく、もっと鋭利な――それこそ御刀の切っ先のような――凶器によって切り裂かれた跡が穏和な表情と共存している。「あなたは一体……?」どのような経緯でできた傷なのか、彼女はどういった過去を歩んだのか、興味が尽きなかった。
この話、もうちょっと続きます。最後までお付き合いいただけたら幸いです。