刀使ノ巫女 習作集   作:巻波 彩灯

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実直の太刀その2

 初対面から数日経ったある日、二人は戦場に身を置いていた。日が高い時間帯に荒魂が出現し、刀使である彼女たちは町民を守るために討伐する。目視で確認できる範囲の数は二人でも対処可能なぐらい。

 

 先に走るのは、先輩である明。決して抜きん出た実力の持ち主ではないが、数々の困難を乗り越えただけの経験と練度があり、的確に斬り祓う。

 彼女の後を追うように、直が続く。剣を握ったばかりの新米は弱ったものや明の死角に回りそうなものを確実に倒し、サポートに徹する。

 

 お互いが自身の役割を理解した上で、ほぼ会話が発生することなく――というより直が声をかけても明が無言を貫くため――スペクトラムファインダーに表示されていた分をあっという間に討伐した。付近に待機していた回収部隊により、ノロも無事に回収され騒動は幕を閉じる。

 

「いやー、スグちゃん。いい動きしてるね」

 

 帰り道、温和な笑顔で明が話しかけた。先程の戦いで直が新人とは思えぬ動きでフォローをしてくれたおかげで、いつもよりも荒魂をスムーズに倒せたのは確か。

 けれど当の本人は称賛を拒むように首を振って、「私はただ自分がやれることをやったまでです」生真面目に返答する。

 

「謙遜しなくていいんだよー」

 

 苦笑いしながら明は言葉を継ぐ。「刀使になりたてだった頃の私よりも全然すごいんだからさー」思い返せば、さして活躍した覚えがない――今も、だが。

 だが謹直な彼女は賛辞を名前の通りに受け取らず、曖昧に濁した。「そういえば」話が一段落したところで、直は話題を切り換える。「加守さんはどうやって皆さんとコミュニケーションを取っているのですか?」

 

「へっ?」特に何も考えていない明は素っ頓狂な声を出す。

 

「戦闘中、ずっと無言でしたので……」真面目な相好で彼女は問う。合わせることはできたとはいえ、会話がなければ組む人間は大変そうであるし、そもそも無言で戦うこと自体が信じ難いと言ったところ。

 

「あー」

 

 自覚があるらしい感嘆を発したあと、苦笑いを浮かべて返答する。「私、流派の関係であんまり喋れないんだよね」後頭部を掻いて気恥ずかしさを誤魔化し「だから、みんなの動き見て何となく合わせてる」乾いた笑いを零した。

 

「えぇ……」当然、直は困惑。何となくでは困るのだ、チームプレイを行うにあたっては。

 

「まあ、なんとかなるよ」

 

 実に楽観的な先輩は明るく呑気に笑い飛ばす。「スグちゃんも大丈夫だったし、ね?」能天気に言問うた――瞬間、黒い影が視界の端を通り過ぎる。

 

 最初は気のせいだと思ったが、もう一度視界に映り勘違いではないと同田貫清国を抜刀し臨戦体勢に。隣の直も彼女の様子を見て、背中を合わせ愛刀――大倶利迦羅広光を抜き放って写シを張った。二人の周りを黒影が少しずつ間合いを詰めて飛び回っていく。

 影の動きを注視し、彼女たちは一瞬たりとも気を抜かない。延々と繰り返される円環運動はついに終わりを迎え、上空に飛び上がり黒い槍と化して降る。丁度二人の間を狙い澄ました一閃、二手に分かれたが故に地面を突き刺すのみ。

 

 黒一色の人物を挟む明と直。もはや布がどれだけボロボロでも頓着してなさそうなマントと右手に握られている御刀――間違いなく先日襲ってきた者だと明は察する。フードの隙間から覗く異形の眼光と対峙するのは、直――彼女も何かに気づき、顔を青ざめた。

 

 如何なる手を使ったとしても消せない記憶、眼前で親友があっけなく斬り殺される光景、頽れる友人の先で見た無感動な眼差し。間違いなく覿面にいる者が自分を刀使の道を選択させた元凶だと本能が叫ぶ。でなければ今握っている御刀は、親友が振るい続けているのだから。

 

 動揺している刀使に対し、襲撃者は容赦なく襲いかかる。「スグちゃん!」明の声で我に返った直は慌てて銀狐を受け止めた。足を止めてしまった黒影は一瞬の虚を突かれ、背後の明に肉薄されるが跳躍して難なく躱す。

 着地地点を予測して、直が迅移で待ち構える。彼女の迅速な対応に、襲撃者は焦りを見せることなく上空からの落下速度を活かして御刀を振り下ろす。強引に弾き飛ばすほどの力を持たない直は、冷静に迅移で後方へ。

 

 入れ替わるように明が飛び込む。しかし彼女にはまだ迷いがあり、一閃が鈍かった。やはり異形と言えども人かもしれない、救える可能性があるかもしれないという躊躇が普段の冴えを抑えてしまう。

 当然、襲撃者は難なく弾き、がら空きになった胴へ銀狐を描く。本来であれば迅移で後方や横手に移動して躱す、あるいは強引に受け止めるしかないだろう。一歩先で詰めるように黒影は次の動作へ意識し始める。

 

 だが、予想通りにはいかなかった――何と明が無理矢理得物を引き込んで突きに転じたのだ。想定外の行動に襲撃者は途中で弧を止めて後方に逃げていく。切っ先は届かなかったが、無感情だと思われた黒影の双眸が驚嘆と焦燥で見開かれ、揺れている。

 誰が死が見えている状況下で突きを選択するか。何故防ぐか避けるという生を選ぶことをしなかったのか。きっと黒影は理解できないのだろう、彼女が学び得た剣術――雲弘流の真髄を。

 相討ち覚悟の一撃を避けた先、襲撃者にさらなる災難が降りかかる。これまた先を読んだ直が斬りかかってきたのだ。けれど普段の冷静さはなく、恐怖や憎悪が入り交じった険しい形相と気合いで御刀を振るう。

 

 力みすぎている――付き合いはほんの数日程度ではあるが、彼女の太刀筋を見ていた明はらしくないと感じ、慌てて止めにいく。今の直は完全に心が乱れている、確実に斬られてしまうだろう。剣士としての直感が、経験が、警告している。

 ひどく力の入った一閃はあまりにも愚鈍だった。しかし直自身は気づく余裕がない。刀身が相手に到達する前に、黒影がカウンターとして放った銀狐が彼女の身を割るのが先に見える。

 

 だが、甲高い金属音が響く。無理矢理二人の間に割って入った明が凶刃を受け止めたのだ。大倶利迦羅広光も彼女の身体に触れる寸前で停止する。

 何故、と問いかける前に敵は素早く間合いを取り、瞬く間に逃げ出す。直も追いかけようとするが、目の前にいた先輩に阻まれ、黒影を見失う。

 

「どいてください!」いつになく恐慌する直。平時の落ち着いた素振りは完全に鳴りを潜めてしまう。

 

「……行かせない」対して明は普段以上に平静な口調で制止する。焦げ茶の双眸には決して意志を曲げないと言わんばかりの強い輝きが宿っていた。

 

「どうしてですか?」直は問う。「どうして邪魔をするんですか!?」自身の裡にある情動のままに言葉を強く叩きつけて眼前の先輩へ切っ先を向ける。

 強勢な問いかけに明は「スグちゃんを人殺しにしたくないから」動じることなく答え、八相を構えた。

 

「なら力づくで……!」

 

 言い終えると同時に直は振りかぶって踏み込む。やはり力みは抜けておらず、動作は鈍い。明は容赦なく真っ向斬りを弾き飛ばし、喉元に切っ先を突きつけた。

 自身の状況を理解できないほど、流石に直も愚かではない。追うべき対象を追えない悔しさに歯噛みし、大倶利伽羅広光の柄を強く握りしめる。彼女が冷静さを取り戻すまでには時間はかからなかった。

 

 

 

 

『――なるほど、今回も同じ奴が襲ってきたと』

 

 騒動が落ち着いた頃合い、一旦宿舎に戻った明は今回の経緯を本部長へ連絡。彼女の反応は至って平静だった。『それで支倉の様子は?』

 

「一応落ち着いてはいます」傍目で縁側に座っている直の背中を確認し、「何か近寄るなオーラが出ていますけど」経過を報告する。そりゃあそうだろうなと合点の言葉が返ってきた。

 

「あー本部長、一ついいですか?」間を置かず、明は言問う。「スグちゃんの経歴って知っています?」

 

『ああ、知っているよ』

 

 流石は刀使らをまとめているだけ頼もしい返答をする。『あいつが刀使になった経緯もな』しかし声のトーンが微かに下がった。

 

「じゃ、本人に訊いてみますね」

 

 質問した本人は気ままに返す。『おいおい、私じゃないのか?』本部長も驚きを隠せず、呆れ混じりに訊ねる。

 

「そうですけど、本人と話したいので」

 

 だが明の口調は真面目だった。「本部長はダメだったときの保険です」平然と自身の上司にあたる人物に対して“保険”と呼ぶあたり、彼女の自分勝手さが如実に表れている。

 もう一度嘆息がスピーカー越しから流れ、『分かった』収まらない呆れが伴いながらも彼女は許す。『引き続き、頼むな』どことなく期待も寄せられた言葉に、明は力強く首肯して通話を切った。直後、最も話を聞きたい人物の元へ歩み寄っていく。

 

 彼女は明が近づいてきても全く身じろぎもしない。ずっと悲しげな背中を見せたまま時を止めていた。きっと自身の過去と先程行おうとした行為について自責しているのだろう――言葉にしなくとも心情が何となく読み取れる。

 

「スグちゃん」明は微動だにしない背へ呼びかけて「あの時、どうして殺そうとしたの?」何一つ飾らない疑問をぶつけた。声音は微かに低く鋭利で怒りの感情を表す。けれど返答はない。

 

「私さ、あの人が本当に荒魂になったのか、それともまだ助けられる人なのか分からないんだ」

 

 続けて自身の中にある迷いを吐露。死んだ人がノロに呑まれて荒魂と化す現象は、現代においては珍しいがあり得ないことではない。ただ生きている人間が荒魂を内に封じ込めていた事例もあるため、荒魂というものは決して死物に取り憑くわけではない。

 正体不明の黒影が実は生きている人間で、高濃度のノロに侵されて荒魂に近しい状態であれば助けられる可能性がある。少しでも前向きな未来があるならば助けたいし、人を斬りたくない。刀使として至極真っ当な感情がひたすらに躊躇を生み出していた。

 

「あれは……人ではありませんよ」

 

 ようやく直は口を開く。だがいつになく重々しくも苛立った口調で言葉を継いだ。「簡単に人を殺せる人を、あなたは人と呼べますか?」あえて明は何も返答せずに押し黙る。それでもまだ人ではあるかもしれないという答えが裡にありつつも、今は彼女の気持ちを素直に受け止めたい。

 

 沈黙が続く。一言発することさえ憚れるような緊迫感が二人の首を締めつける。息苦しさは当たり前のように存在していた。

 

「……この御刀は元々友人のものでした」

 

 緊張感溢れる静謐の間に、ぽつりと直が漏らす。隣に置いていた大倶利伽羅広光に手を触れ、話を継ぐ。「私は警邏科の方にいましたが、意外と仲良くなって学科関係なく遊んだり、勉強したりしていたんです」昔を懐かしむかのような眼差しを愛刀に向けた。

 

「彼女は本当に刀使、だったんです」

 

 実に誇らしげに友人のことを語る。「大切な人みんな守りたいと常々言っていて、鍛錬を怠ることなんて一切しませんでした」思い浮かべるは、大倶利伽羅広光を握って戦う親友の背中。「だからこそ彼女を支えたいと私も警邏科として実習や勉学に励んでいたのです」自身も元々は戦場での後方支援を志していただけに、より一層身が引き締まる思いで己の使命に向き合っていた――力を持たない者としての戦いに従事するために。

 

 一旦話を区切るように、一呼吸置いたあと直はゆっくりと振り向いて問う。「私が、いつ刀使になったのか知っていますか?」

 

「半年前、だっけ」本部長から聞いた話を頼りに、明は答えた。

 

 彼女の返答に、直は首肯して再び御刀に目を向ける。「その半年前に、友人は私の目の前で亡くなりました」悲しみも憎しみも押し殺して淡々と言うが、「()()がいとも簡単に斬り殺したんです」最後は感情が軽く爆ぜて語気が荒くなった。

 ()()、とは恐らく先程戦った黒影のことだろう。何かしらの任務後に襲われ、斬殺された――自身の経験を踏まえて明は料簡を立てる。

 だからこそ何も言わなかった。友を殺された者に投げかける言葉はないと知っているから。

 

「……私が刀使になったのは、誰かを守るためではありません」

 

 少しの間を置いて、直ははっきりと告げる。「私の大切な友人を殺した人を殺すためです」力強い語調を生み出しているのは、復讐心。「きっと大倶利迦羅もそれが理由で私を選んだのでしょう」鯨が描かれた絢爛な鞘を握りしめ、選ばれた事由を言い切った。

 

「私は、スグちゃんの御刀がそんな理由で選んだとは思えないかな」

 

 大倶利迦羅広光の傍らに座りながら、明は否定する。「多分、その亡くなった子の想いを繋いでくれると思ったからじゃないかなって」あまりにも真っ直ぐで明るい推測に、直は俯き加減で再び閉口。また場が静けさを取り戻す。

 

「……加守さんは、どうして刀使になったんですか?」おもむろに直が訊ねる。灰色がかった黒の双眸は暗く、揺れていた。

 

「私は単純に昔助けてくれた刀使さんみたいに、誰かを助けたいと思ったからだよ」

 

 相手の意図を探ることなく、明は率直に答えを返す。「あとその人と約束したのもあるけどね」はみかみながら左頬に走る刀傷を掻く。滅多に話さない事柄だけに少々気恥ずかしい。

 

「約束?」しばらく動かなかった首が動き、話者の横顔を見つめる。

 

 こくりと頷き、「未来を繋いで欲しいって」明は空を見上げて言った。「誰かが繋ぎたかった想いを繋いで、未来に引き継いで欲しいって言われたんだよ」今までも、きっとこれからも彼女の刀使としての行動方針として息づく信念だろう。

 

「私と全く違いますね」当然、直が述べる感想は比較による悲嘆だった。

 

「そんなことないと思うよ」彼女と目を合わせ、明は言問う。「スグちゃんにだって、あるんじゃないかな?」

 

「……どうでしょうね」

 

 三度、直は俯く。先程まで迷いのなかった口調に翳りが見える。「とにかく私は復讐したら、刀使を辞めるつもりでいますので」これ以上踏み込ませないと言わんばかりに、鋭利な語勢を取り戻して告げた。

 

「復讐なんてさせないよ」

 

 至当、明は力強く制止の宣言をする。「刀使の力をそんな風に使わせない」かつて刀使に助けられ、今度は自身が誰かを助けるために振るう――裡に秘めた使命感と正義感から確固たる否の意志を伝えていく。

 

「なら今度こそあなたを斬ります」

 

 対する直も毅然とした態度で応じる。「私には私の為さねばならぬことがありますので」焦げ茶の瞳とぶつかる双眸は揺るぎようのない強い光を湛えていた。

 

 

 

 

 一方、刀剣類管理局では様々な現場にいる刀使とのやりとりや一般市民からの通報など多量の情報が飛び交い、オペレーターや参謀の面々が的確に捌き、指示を伝える。多忙を極める中で、刀剣類管理局“特別祭祀機動部隊”本部長及び長船(おさふね)女学園学長である真庭(まにわ)紗南(さな)は管理局内の小会議室にて資料を眺めていた。

 

「思っていたよりも調書が取れてるし、保存されているな」

 

 パイプ椅子に腰掛けた紗南は一部を手に取り、流し読み。半年前に鎌府女学院が所有する学外の研究所にて起きた荒魂大量流出事件についての供述や調査報告が事細やかに記載されている。犠牲者の中には彼女が学長を務める長船女学園の生徒も含まれていたという記述も多数見受けられた。

 

「鎌府で起きたことなので、てっきりもみ消されているかと思いましたけど……」グレーブラックの艶やかな髪に細いフレームの眼鏡とスーツ姿が理知的な印象を与える女性が、紙束を胸に抱えてながら堆く積まれた紙の山へ一瞥を投げかける。「案外残っているものなんですね」感嘆の言葉を漏らし、「あ、頼まれていた事件の資料はこれで全部です」持っていた資料を丁寧にテーブルの上に置いた。

 

「ご苦労だった」部下――といっても偶然手の空いた刀剣類管理局職員だが――を労いつつも、次の句を継ぐ。「あと追加ですまないが……」

 

「事件の要点を洗い出して欲しいのですね?」

 

 続きを察した女性はすぐに続きを言い、「おまかせください、これでも分析官の端くれですから」張った胸を軽く拳で叩いて自信満々に答えた。

 如才ない彼女の返事に満足そうに首肯すると、紗南は「そういえば」と話柄を切り換えていく。「お前も確か支倉(はせくら)だよな?」職員の名札を見て、相手が頷いたのを認めてから「支倉直ってお前の妹か?」質問を投げかけた。

 

「ええ、そうです」

 

 彼女――支倉(はせくら)(みのり)は肯定して、「真面目で努力家、常に誰かのために全力を尽くせる自慢の妹です」さらりと妹自慢を語ったあと「それで直がどうかしましたか?」本題に入る。

 

「あ、いや実はな――」

 

 簡潔に紗南が直の身の上を話すと、実は驚きを隠せず目を大きく見開く。「刀使になったことは知っていましたが、そこまでは知りませんでした」姉ではあるものの、年が離れているため中々連絡が取りづらく、ましてや話題が話題なだけに本人から語られるのは難しい。だから実は妹のことも自身のことも責めず、己の使命を全うすると宣言する。

 

 本部長は切り換えの早い彼女にあとを託し、司令部の方へ戻っていく。まだ戦いは始まったばかりだ――。

 

 

 

 

 正体不明の刀使に襲われた日の夜、辺鄙な土地の当事者たちは明日に備えて就寝――したはいいものの直はすぐに目が覚めてしまう。未だに環境に慣れず、浅い眠りを繰り返すばかり。ただ今日はいつもと違った。

 

 隣に寝ているはずの先輩がいない。どこに行ったのだろうか、辺りを探してみる。見当たらない、外出してしまったのだろうかと衣服類にも目を向けた。

 制服は布団の傍に置かれたままだったが、同田貫清国は姿を消している。稽古しているにしても風切り音は聞こえない。では何をしているのだろうか。

 

 答えを求め、何気なく隣の部屋と繋がっている引き戸を開けた。電灯をつけていない部屋の障子側、見慣れた焦げ茶の後頭部が目に入る。

 しかし戸を開けられても彼女は一向に振り返ろうとしない。耳を澄ませば何かをしていることが分かる――御刀が彼女の手元にあると考えれば、手入れをしているのだと察した。わざわざ暗い場所でやらなくてもと思い、直はさっさと電灯のスイッチを入れる。

 

 一気に明るくなったことにより、急激な変化に耐えられず目をやや細めていく。だが明は全く動じることなく手入れを続けていた。作業を横から眺めれば、彼女の口に懐紙が銜えられており、細心の注意を払っていることが見て取れる。

 真剣に愛刀を見つめる横顔に、直は刀使として見習わなければいけないと襟を正す。御刀は手入れを怠っていたとしても錆はしないと言われているが、彼らには意志というものが存在しており、己を整える時間というのは必要だ。でなければ刀使として重要な神力を引き出す効率が悪くなり、しまいには愛想をつかされてしまう。

 

 ――と言っても、手入れが行き届いていないことが直接の原因で御刀に見放されるという事例は、少ない。だからといって惜しんでいいというわけでもないが。

 見学すること少し、拵えを身につけた清国を鞘に収めた明は一息ついてから灰色がかった黒瞳と目を合わせる。「起こしちゃった?」先程の熱誠な表情は打って変わって、緩やかな笑みを浮かべていた。

 

「いえ、別に」

 

 首を横に振って直は硬い声音で答える。「それよりも今度から私に構わず電気つけていいですから」自分の眠りが浅いのは仕方ない上に、気を遣われるのは慣れない。対する先輩は苦笑いするだけで何も言わなかった

 

 少し間を置いてから直が次の話題を切り出す。「御刀の手入れ、すごく丁寧ですね」

 

「そうかなー?」明は首を傾げる。「私は大雑把な方だと思うんだけど」

 

「加守さんは厳重に行っている方だと思います」

 

 懐紙まで用意して御刀と向き合っている人間を大雑把と評せる感性を直は持ち合わせていない。「そもそも御刀の手入れすらしていない人も多い印象ですし……」半年程度の記憶を辿っても、刀使という人種は道具を上手く扱うことに集中している節があり、自身の半身たる御刀の状態はさして気にしていないという生徒が多かった。大倶利迦羅の前の持ち主もわりと無頓着な気質で度々研師に怒られていた覚えがある。

 

「まぁ、御刀の手入れをするのは研師とかそういった人たちの役目だと思っている人が多いからねー」

 

 彼女よりも長く刀使という界隈にいる明は苦笑いするしかない。やらない友人もいたし、やっても懐紙を使わずに誰かと話しながら行う友人がいたほどで、刀使の本懐たる御刀を振るって事を為すこと以外に興味がない人が圧倒的に多いのは肌で感じている。

 

「あなたはどうしてそこまでやっているのですか?」当然、直の関心は物珍しい刀使の意図に至った。

 

「私は……」数瞬だけ間を空けて考えをまとめ、「清国ともっと仲良くなりたいから、かな」ややたどたどしくも答えていく。「何となくだけど、向き合っているような気がしてさ」実際、刀の声らしきものは聞いたことないが真剣に目を向けることで自身の迷いも悩みも不安も映し出して鎮めていった。

 

 けれど話は終わらない。「それに清国はお母さんのお姉さんも使ってたものなんだって」初めて聞く彼女の家系に直は驚きを隠せず目を見開く。「だからもっと大切にしなくちゃって思っててさ」大らかな笑顔を浮かべる明。どんなものにも魂は宿る――御刀は意志があると言われているし、数々の刀使の想いも込められてきたはずだからこそ、彼女はより真摯に全霊を賭す。

 

「あなたの伯母さんが……」

 

 思いがけない披瀝に、直はただ感嘆を漏らす。「加守さんが大切にしているから、伯母さんも喜んでいるのかもしれませんね」何もかもが自分と違う、輝かしい刀使の家系を見せつけられ彼女の心に影を落としていく

 

「だといいかなー」明は困惑したように笑う。「私、へっぽこだからさ~」恥ずかしさを誤魔化すかのように後頭部を掻いて、苦笑。

 

「もしかしてあなたの伯母さんは――」どこか曖昧な彼女の反応から察し、直は目を軽く見開く。

 

「亡くなってるよ」何の躊躇いもなく、明は答える。「二十年前の大厄災のときにね」珍しく少しだけ翳のある表情を見せた。

 

 当然、品行方正な後輩は心を痛め、正直に頭を下げる。先輩は苦笑いしながら大丈夫だとなだめ、今まで言ってなかったことに加え、自分が生まれる前の話だからと言葉を継ぐ。

 あとはどちらも続けることなく、微かに気まずさを孕んだ静寂が訪れる。数分、二人は互いの顔を見合うことなく沈思黙考。やがて音が立つ。

 

 清国を手にしたまま立ち上がった明が障子を開け、「月が見えなくなっちゃったね」縁側から空を眺めては残念そうに呟く。

 つられて直も縁側の方に向かい、彼女の傍に並び立っては同じように頭を擡げる。月が緩やかに漂う雲によって姿を消していた。今の発言や先程までの行動から推測するに、彼女が手入れをしている時間は月が出ていたのだろう――実に人の心を表しているかのようだと直は憂い混じりの所感を抱く。

 

「……あなたは刀使をやめようと思ったことはないのですか?」おもむろに関心を惹かれる横顔を見つめて、言問う。「その頬の傷が残るほど、痛い思いや苦しい経験をしたとお見受けしますが……」少し見下げた先、年頃の乙女に相応しくない刀傷が横一文字に走り、より彼女の特異性を際立たせる。

 

「ない、かな」

 

 躊躇いがちに明は答えた。「そりゃあ何度も死ぬかもって思ったことはあるし」思い出すのは今に至るまでの激戦――折神家当主に刃を向けた十条姫和と彼女を手助けた衛藤可奈美を追う部隊に所属する中、反折神勢力の刀使らと切り結んでいたときは特に命の危機を感じる場面が多く、頬の傷は彼女がどれだけ命がけだったかということを示す証拠の一つ。「戦うのが怖いって思うことだってあったよ」さらに深く追憶すれば、最初に荒魂と交戦したときは恐怖で身が震えたことも思い起こす。

 

「でも目の前で人が傷つくのはもっと嫌かな」

 

 どうして自分が戦場に立てるのか、という理由を口にする。「ましてや、私にとって大切な人だったら多分自分のこと嫌いになると思う」自身が弱いことは承知の上だが、刀使になった以上は使命を果たせねばならぬし、元から家族や友人たちを守りたい気持ちも強い故に手を伸ばさないこと自体が嫌なのだ。

 

「だからさ、やめたいって思ったことはないんだよね」芯の通った声で言い切る。「やっぱり困っている人は助けたいからさ」ようやく直と顔を合わせて笑う。相変わらず温和な笑顔だった。

 

 話を聞き終えて、直は俯き加減になり、ぽつりと零す。「本当にあなたは私と違いますね」真っ直ぐに刀使として生きる彼女の眩しさに、ただ己の一念を恥じる。「復讐のために刀使になり、続ける気のない私とは」自身をただ嘲笑い、卑屈になっていく。

 

 明は自嘲の言葉に対して何も返さない。空を見上げて一呼吸置いてから話し始める。「私もさ、考えてみたんだよ」えっと軽い驚嘆を漏らすとともに直は顔を上げて、普段と変わらぬ穏やかな相好で言葉を継ぐ彼女を目に映す。

 

「友達を目の前で殺されたら、どうするんだろうって」

 

 聴者からの熱誠な視線を気にすることなく、明の口は止まらない。「多分私は復讐しないけど、きっとずっと自分が嫌いになっているんだと思うんだ」焦げ茶の双眸が灰色がかった黒瞳とぶつかるとお得意の苦笑いを浮かべた。

 しかしすぐに直は手元へ視線を落としてしまう。「その方がずっといいんですよ」変わらず口調は暗く、「誰も傷つけませんから」自責と苦悩が満ち足りた声色が場の空気を重くしていく。

 

「……スグちゃんはさ、本当に復讐したいの?」少し間を空けて、明が穏やかに問いかける。

 

「したいに決まっているじゃないですか」当然、直は即答した。「敵を取る以外、私に生きる道はありません」

 

「だとしたら、なんで悩んでるの?」

 

 語勢こそは落ち着いているが、明は鋭く問いかける。「そこまで決めているなら、迷うことないように見えるけど」微かに相好が真剣になり、いつになく真意を知りたいという意図を示す。

 

「……迷ってなんかいませんよ」

 

 数拍黙するも、頑として直は否定する。「自分の行いが間違っていることぐらい分かっています」あくまでも冷静沈着だと言わんばかりの力んだ口調で胸中に秘めていた想いを吐き出していく。「けれど、あれを殺さないことには前に進めないんです」爪が皮膚を突き破ろうとするほど拳を強く握り締め、頑なに己の意志を曲げない。

 

 いや曲げてしまえば最後、弱い自分に呑まれてしまう。誰よりも親友を助けることができなかった自分を許せないのは自分自身。だから黒影とともに殺さなければいけないのだ、何もできなかった無力な己へ終止符を打つために。

 過去から逃れるように力み続ける後輩を見て、明は再び口を閉ざす。かける言葉が見つからないのが主だが、言葉をかける必要もないだろうとも察していた。どんなに説得したところで彼女は復讐を取りやめることはない、と。

 

「……私はもう寝ます」しばしの静寂を経て、直は口を開き「おやすみなさい」踵を返す。「おやすみー」と明は彼女の背を見送る。引き戸が閉まったのを見届けると、空を仰ぐ――まだ月は隠れているままだった。

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