和泉元エイミの活動記録   作:有馬Hidden

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不定期投稿で内容も好みが分かれるとは思いますが、ご一読いただけますと幸いです


電話

 電話。それは人類の発明において5本の指に入るぐらいには偉大なものだろう。これのおかげで遠く離れた人と手紙よりもはるかに速く正確な情報のやりとりが可能となった。現代社会の成立において必要不可欠なものである。

 

 __しかし、スマホの依存症が社会問題となっているように、もしかしたら私たちは電話に支配されてしまっているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

「電話が壊れた?」

「そうなんだよね〜、アルちゃんがウキウキで電話取っても変な物音しかしないことが時々あるんだ〜」

「せ、せっかく良いもの買ったのに……」

 

 ある日、シャーレのオフィスに便利屋68のメンバーがトレードマークともいえる黒電話を握りしめながら現れた。どうやらその黒電話が壊れてしまったらしい。便利屋68は基本的に電話で依頼を受けているため彼女たちにとっては死活問題なのである。

 

「社長は買い替えるより修理したいみたいだから引き受けてくれそうなところを探してるんだ。……一応私たちって色々目をつけられてるから気軽に頼める生徒でもないし」

「本当はお金がないだけだけどね~」

「ちょっと!」

 

 いつもは快活な社長のアルだったが、その日は明らかに顔色が悪かった。目には疲労の色が浮かび、肩は落ちていた。便利屋の黒電話はアルの考える理想のアウトロー観に密接に結びついているアイテムであり、少しばかり無理をしてまで購入したものだと聞いたからかなり愛着があるのだろう。そんなものをブラックマーケットの怪しい人に任せるわけにはいかないが、ちゃんとしたところに依頼するにもお金が足りない。そういうわけでここに来たらしい。

 

「ならちょうどいいタイミングだったね。もうそろそろ戻ってくると思うけど……」

「エアコンの修理終わったよ……おっと、お客さんがいたのか。これは失礼したね」

「いや、ちょうどいいところに来てくれた」

 

 先生がエアコンの修理を頼んでいたミレニアムのエンジニア部部長のウタハがちょうど戻ってきた。彼女たちエンジニア部は開発のほかに色々なものの整備、修理を請け負っている。この状況においてはまさにうってつけの存在だった。

 

 

 

 

 

 

「どれどれ……ふむ、見た目は奇麗だ。随分と大切に使っていたんだね」

 

 シャーレからの依頼という形で便利屋から手渡された黒電話を眺めるウタハ、特に目立つような傷やへこみなどもなく壊れているようには思えない。

 

「変な物音しか聞こえないというならそっちの設置状況に何か問題があったとも考えられるけど……」

「いや、問題はそれだけじゃなくて……」

 

 便利屋の課長、カヨコが説明しようとした時だった。

 

 ジリリリリリリリ……

 

 突然、ウタハの手の中の黒電話から着信音が鳴り響く。

 

「……こんな感じに繋げてないのに電話がかかってくる」

 

 当然、ウタハが調べている黒電話は何も繋がっておらず、電気すら通っていないはずだった。それなのに着信音は鳴り響いている。

 

「……これは内部に電源があるタイプの置き電話かい?」

「違う、はずなんだけどね……」

 

 

 

 数分後、ウタハはようやく静かになった電話を分解して内部を調べ始めた。

 当然、置き電話に電源が内蔵されているなんてことはなく、いたって正常な電話としか言いようがない。何故先ほど着信音が鳴ったのか、全くの謎である。

 

「……申し訳ないけどこれは私じゃ力になれなさそうだね」

「いや、いいよ。変なこと頼んじゃった私たちも悪かった」

「この後エイミが当番で来るから引き取ってもらう?多分そっち方面の問題の可能性があると思うんだけど」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ということでで引き取ってきたのがこちらになります」

「なるほど……」

 

 先生とウタハと便利屋から預けられた黒電話を持ってエイミは部室に戻り、訳を話すと部長であるヒマリは早速アレコレ調べ始めた。

 ちなみにだが、便利屋はエンジニア部のところで代わりの電話を探している。エイミはエンジニア部部室から登っている黒煙を見なかったことにした。

 

「どう見てもごくごく普通の黒電話でしかありませんが、本当に電力の供給無しで電話がかかってきたとは……」

「まあ、実際にかかってこないと調べようがないよね」

 

 信じがたい話ではあるが、先生もウタハもこんなところで嘘をつくような人たちではないことは分かっている。

 

「そうですね、少し待ってみましょうか。私はちょっとヴェリタスのところに必要なものを取りに行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 

 部長が部室を出て数分、残されたエイミは静かに目の前の黒電話を見つめていた。そんな視線を気にすることなく黒電話は静かにそこに佇んでいる。

 電気も電話線も繋がっていないはずなのに着信音が鳴る、これはもはやホラーの域だった。そしてヒマリが好きそうな案件でもある。

 

 そして、エイミは似たような現象に心当たりがあった。

 

 

 

『部長、サーバーに誰か侵入してる』

『ミレニアムの特殊回線しか通っていない閉鎖空間であるこの場所に、入り込めた……?』

 

『ちょ、ちょっと待ってください。もしかしてこれは、ファイヤーウォールが全て……!?』

『緊急事態。電源を壊すから下がって』

 

『……いえ、既に手遅れのようです』

 

『……到達されましたね』

『電源は落ちてるけど……』

『特殊な閉鎖空間、電力も供給されていない……それでも……』

 

『……なるほど。まさに「特異現象」ですね。エイミ』

 

 デカグラマトン

 

 それは人智を超えた人工知能の名前であり、エイミたち特異現象捜査部が追いかけている存在でもある。

 

 初邂逅を果たした時、隔離されたサーバーにあっさりと侵入し、物理的に破壊して動かなくしたはずの機器を起動してこちらに語りかけてきた。それはまさしく「特異現象」と呼ぶべき存在だった。

 

 大した証拠もないのに決めつけるのは良くないのだが、エイミにはどうも関係があるように思えて仕方がなかった。

 

「それだと便利屋を狙った理由が分からないんだよなぁ……」

 

 

 

 

「ただいま戻りました。電話はかかってきましたか?」

「いや、何もなかった」

 

 ヒマリがヴェリタスの部室から何か装置を持って戻ってきた。

 

「私が少し前に作った電話の音声を盗ちょ…録音する装置です。他にも逆探知やら通話記録の保存などができるのでこれを取り付けてかかってきた電話の音声を記録していきましょう」

「分かった」

 

 装置を取り付けてそれから2時間近く、エイミは部長からのちょっかいを受け流したり、ネットサーフィンをしたり、黒電話の製造会社を調べてみたりしながら時間を潰していたが電話がかかってくることはなかった。

 

「申し訳ありませんがエイミ、私はこの後少し……いえ、数日間手が離せない用事がありまして……」

「分かった、任せて。記録しておけばいいんでしょ?それなら簡単だよ」

「ありがとうございます。一応時々様子は観にきますから」

 

 

 

 

 

 

 ジリリリリリリリ……

 

「……!!」

 

 ヒマリがどこかへ行ってから数時間後、夜も更けてきてそろそろ寝ようかと考えていた頃のことだった。それまで沈黙を貫いてきた黒電話が急に鳴り始めたのだ。もちろん、電気も電話線も繋がっていない。

 

 エイミは落ち着いてから記録装置を起動し、受話器を取った。

 

「はい、便利屋68です。ご用件は?」

 

 便利屋68を狙ったものであるという可能性は十分あるため、一応便利屋と名乗る。

 

『ザ…ザザザ……』

 

 しかし、電話の向こうからは壊れたラジオのような音しか返ってこない。

 

「もしもーし」

『ザザ…ザ……』

「……返答なし、と」

 

 念の為もう一度呼びかけてみるもやはり反応はなく、ノイズ以外何も聞こえてこなかった。

 

【記録終了】

記録時間 04:32

 

【メモ】

呼びかけへの反応なし

 

 

 

 

 

 

 

 ジリリリリリリリ……

 

 次の日。まだ太陽すら布団から出てきていない早朝、ニワトリの代わりに鳴き始めた黒電話にエイミは叩き起こされた。目が完全に開いていないまま、ぼんやりと目を擦りながら眠気で重たい頭と体を無理やり動かして受話器を取る。

 

「……もしもし」

『ザザザ……』

 

 こんな時間に人を叩き起こしておきながら電話の向こうの相手はこちらに何かを伝えてくるというワケでもなく、ただただノイズを垂れ流すだけだった。目覚めの音楽のチョイスとしては最悪の部類だろう。

 

『…………』

 

 2分後、エイミは静かになった受話器をフックへと戻して記録を停止すると、やや不機嫌気味になりながらベットへとうつ伏せに倒れた。このまま寝ても良かったのだが、あの電話のせいで完全に目が覚めてしまい二度寝をする気が失せてしまったのだ。

 

【記録終了】

記録時間 02:14

 

 

 

 

『ザザザ……』

 

 エイミは完全に目が覚めてしまったので、仕方なくいつもよりもかなり早い時間に朝食を摂ることにした。先ほどの録音を聞きながら栄養補給のみを目的としたバーをドリンクで腹の中に流し込む。

 

『ザザ…ザ……』

「…………」

 

 ほとんど船を漕ぎながら聞いていたから何か聞き逃したことがあるかもしれないと思い確認作業をしているが、やはり耳障りなノイズが聞こえてくるだけで、エイミには何か意味のある情報のようには思えなかった。

 

 __いや、繋がっていない電話にかけてきておいて全く意味がないなんてことあるのか?

 

 調べてみたら何か隠されたメッセージとかが出てくるのかもしれない。本来こういったことは部長の役目なのだが、どうやら数日間手が離せない用事があるようで、ただ電話がかかってくるのを待つだけでは手持無沙汰で仕方ない。エイミはせっかくなので調べてみることにした。

 

「……よし」

 

 エイミは部室のPCを起動してヒマリが趣味で使っている音声編集ソフトを開いた。中には部長が途中まで作っていた自分の声と物音だけで作った曲*1のデータが入っていたのでそれを保存し、新しいプロジェクトファイルを開いて先ほどの録音したデータをドラッグ&ドロップして読み込ませる。数秒待てば正常に読み込まれて編集画面に音声波形が表示された。

 

「…………」

 

 使ったことのないソフトだったのでエイミは多少手こずりながらも操作方法や解説動画を見ながら音声データをアレコレいじくり回す。音域を削り、逆再生をし、Vocal抽出を試みたり……とにかく思いついたことを手当たり次第に試していった。

 

「あれ、この辺だけテンポが一定だな……」

 

 音声を弄り始めて2時間ほど経過し、エイミが適当に音声を伸び縮みさせていた時のことだった。

 2分間の録音データのうち15秒ほどの間でしかなかったが、編集ソフトに表示されたグリッド線と音声波形の位置がピッタリと綺麗に揃っていることに気がついたのだ。グリッド線はBPM *2に合わせて並べられており、これと音声波形の位置が一致しているということはそういうことである。

 

「BPM150か、規則性があるということは何か意味がありそうなものだけど……」

 

 とりあえずその15秒ほどの音声を切り出し、何度も繰り返し聞いてみるが、特に何も思いつかない。

 

「……休憩するか」

 

 かれこれ2時間近くPCと向き合い続けていたので、立ち上がって体を伸ばす。調査も行き詰まってしまったのでリフレッシュと気分転換を兼ねてソファに寝ころびスマホを特に理由もなくいじり始めた。

 エイミはSNSのタイムラインを目的もなくただただ無意味に眺めていた。もしかしたらあの電話の内容もこんな風に意味なんてないのかもしれない。そうして思考の片隅に電話のことを追いやりつつ、ぼーっとしているとひとつの動画が目に入った。

 

『トン・トン・ツー・ツー』

 

 それは最近動画サイトで流行っているらしいモールス信号を基にした楽曲だった。正確にはそれをベースにしたネタ動画*3だったのだが、エイミにとっては今重要なのはそこではなかった。

 

「モールス信号か……」

 

 モールス信号。それは音や光などを用いて、短点と長点の組み合わせで意味を伝える信号のことである。

 

「もしかしたらあの電話のノイズも……」

 

 エイミは、あのノイズがモールス信号になっているのではないかという可能性に思い至った。急いでPCの前に戻り、スリープモードになっていたPCを再起動する。画面に映し出された編集ソフトを開き、15秒の音声とモールス信号の翻訳表を見比べようとした、その瞬間だった。

 

 ジリリリリリリリ……

 

 不意に黒電話が甲高い音で鳴り響いた。不意を突かれたエイミの心臓が一瞬止まりかけるも冷静に録音の用意をして受話器を取る。

 

『ザ…ザザ…ザザ…ザ…ザ…ザ…ザ……ザ…ザザ…ザ…ザ……ザ…ザザ…ザ…ザ…ザザ…ザザ…ザザ…ザ…』

 

 モールス信号だと思って聞いてみれば確かにモールス信号に聞こえるかもしれない。

 

【記録終了】

記録時間 01:35

 

【メモ】

モールス信号かも?

 

――

 

 まるで宮殿のような壮麗な建物が立ち並び、どこからか風に乗って漂ってくる庭園の花々の香りを楽しみながら先生はトリニティ総合学園の敷地内を歩いていた。すれ違う生徒に挨拶しながらレンガで舗装された通りを進み、古書館へと向かう。

 時刻は14時を少し過ぎた頃。

 この日、先生は別に古書館へ用があったわけではなく、たまたま学園を訪れたのだから図書委員会に顔を出そう、と考えたに過ぎない。

 ところが、古書館の入口で思わぬ一人の女子生徒とばったり会ったのである。

 

「エイミ?」

「あれ、先生だ」

 

 紙束を抱えたエイミが現れた。彼女はこのトリニティの生徒ではないためなぜここにいるのか先生は少しだけ疑問に思ったが、すぐに何かの調査だろうと結論づけた。

 

「ここにいるなんて珍しいね。何か調べもの?」

「そう。こないだの黒電話、覚えてる?」

 

 エイミがそう問うので、先生は無言で頷いた。先日彼女に預けた例の黒電話のことだろう。あの時の不気味な出来事が脳裏に蘇る。

 

「あの黒電話から聞こえてくる音声を調べていたら、ノイズがモールス信号になっていることに気が付いてね……」

 

 エイミは携帯を取り出し、録音した音声を流し始めた。実際のところ先生にはただのノイズにしか聞こえなかったが、エイミが調べた上でモールス信号だと断言するなら間違いないのだろう。

 

「解読したらこの古書館で保管されているある文献によく似た文章が出てきたんだ。それで何か関係があるんじゃないかと思って調べに来たってわけ」

「なるほど……」

 

 先生はエイミの持つ紙束に視線を向けた。そこには細かい字がびっしりと並び、難解な文献を調査していることが察せられる。専門外なので全く理解できないが、その真剣な眼差しからただ事ではないことを感じ取った。

 

「調査は順調みたいで良かった。何か手伝えることがあったら何でも言ってね。力になれることだったらなんでもするから」

「分かった。それじゃあ先生、私はもう行くよ。何か分かったら連絡するから」

「うん、頑張って」

 

 エイミは紙束をしっかり抱え、手を振って別れを告げるとそのまま調査を続けるために通りへと消えていった。それを見送った先生もまた、自分の役割を果たすために動き始める。

 ……といってもウイにダル絡みするだけなのだが、それはエイミの知るところではない。

 

――

 

 コンコン、と軽く部室のドアをノックするヒマリ。

 数日間取り掛かっていた「寝ている人の脳波を読み取り欲望や願望をゲームとして出力する装置」がまだ試作機とはいえ完成したので一度エイミの様子を見に戻ってきたのだ。

 まずは資料集め、かかってきた電話の音声資料を集めることから。数日経過したので2、3件はサンプルが集まっただろう。ヒマリはそう考えていた。

 

 ……返事がない。

 

「寝ているんでしょうか…?」

 

 コンコン、念のためもう一度ノックするもやはりなにも反応はない。

 

「開けますよ……あら」

 

 部室へ入ったヒマリの目に飛び込んできたのは大量の資料に囲まれ何かをぶつぶつと呟きながらPCを叩いているエイミの姿だった。部室の床には何かの資料と走り書きされたメモが散乱し、ゴミ箱には栄養ドリンクの空き瓶が一瞬ヴェリタスの部室へ来てしまったのかと思うほどに大量に突っ込まれている。

 ヒマリは資料を慎重に避けながらエイミの側へ向かった。どうやらエイミはヒマリの存在に気がついていないらしい。

 

「わっ!」

「……っ!?」

 

 少しだけ魔が差し、ヒマリはエイミを脅かしてみる。ヒマリの存在に全く気が付いていなかったエイミは肩をビクッと震わせてヒマリの方を向くとそのまま3秒ほど固まっていた。

 

「……何だ部長か。びっくりしたなぁ」

「随分と頑張っていたようですね。何か分かったんですか?」

 

 ヒマリは明らかにおかしい量の資料の山を見つめながらエイミに問う。エイミはその問いかけを待ってましたと言わんばかりに答えた。

 

 

 

 

「__で、その法則に従って並び替えるとこの論文のここの部分と一致して……」

「なるほど、それはそれは……」

 

 正直に言うとヒマリは驚いていた。かかってきた電話の音声を録音してくれていればそれで充分だと思っていたのに、この後輩は自力で調査を進めある程度のところまで辿り着いてしまったらしい。

 

「こういう分析は私の仕事だと思っていましたが……」

「でも、最初にノイズがモールス信号になっていると気が付いてからは芋づる式に色々分かってきて……それが楽しくて……」

 

 エイミはヒマリがいない間にも特異現象捜査部の1人として立派に活動してくれていたのだ。ならば今回はエイミのサポートに回っても良いのかもしれない。ヒマリはそんなことを考えていた。が、

 

「それはそれとして……エイミ、あなた寝てますか?」

「え、そりゃあ……」

 

 エイミは言葉を詰まらせる。それもそのはず、エイミが最後に寝たのはヒマリが部室を離れたその日のみ。そしてその日も早朝に叩き起こされて十分な睡眠がとれているとは言い難い。その後もいろんなことがどんどん分かっていく楽しさで気が付けば朝を迎えていたり、寝ようと思っても電話で叩き起こされたりとエイミは睡眠らしい睡眠をとっていなかったのだ。

 

「あ…………、うん」

「……体を洗って寝ましょうか」

 

 ヒマリは有無を言わさぬ口調でエイミに指示をする。エイミはシャワー室に向かうべく、ふらふらした足取りで歩き出した。

 しばらくして シャワー室のタイルに叩きつけられる湯の音が聞こえてくるとヒマリは部室のPCで作業を始めた。

 

「モールス信号……とは言えなくもないですが……うーむ……」

 

 ヒマリはエイミの研究の成果を確認していた。エイミのことを信頼していないという訳ではないのだが、やはり部長としては気になるところ。ヒマリはエイミの分析を1つずつ調べていく。

 

「……戻りました」

 

 部室の扉が開くとエイミが石鹸のいい香りとともに部室へと入ってきた。

 

「見てたの?」

「ええ、一応部長として確認しておこうと」

「……そう、何かあったら教えて」

 

 そう言うとエイミはそのままソファに倒れこみすぐに寝息を立て始めた。数日間の疲れが一気に来たのだろう。

 ヒマリはと作業を中断し、すうすうとかわいらしい寝息を立てるエイミを少しの間愛おしそうに眺め、頭を撫でると仮眠室のベッドへと潜り込んだ。

 

 

 

 

 次の日、エイミはとある指名手配生徒の確保のために何人かの生徒と共に市街地を駆け、ヒマリは後方から支援を行っていた。

 

 ヒマリがエイミの気分転換のためにシャーレへと連れだして特に理由もなくのんびりしていると、突然シャーレへ緊急の連絡が入りとある指名手配生徒集団が暴れているから何とかしてほしいとのことだった。

 そこでその日の当番だった忍術研究部のミチルとイズナとツクヨ、偶然その場に居たヒマリとエイミ、なんか呼んだら来たアルの6人でその生徒の元へ向かうことになり、現在に至る。

 

 

「がっ……」

「くそっ……一旦引くぞ!」

 

 アルの狙撃によって事前の情報にあったリーダー格の生徒の頭を撃ち抜き、気絶させる。

 遠方からの攻撃で戦力を削られると、集団は戦意を喪失し逃走を開始した。

 

「みんな追って!」

 

 しかし、それを逃がすはずもなく、先生は追撃するためにエイミと忍術研究部の4人にインカムで指示を飛ばす。

 

「彼女たちが逃げるルートはすでに私が分析しておきました」

「ありがとうヒマリ。……それじゃあアルは先回りして狙撃できるよう待機してて」

「ふふっ、この私に任せておきなさい」

 

 ヒマリが逃走経路を割り出し、アルが再び狙撃ポイントに移動する。これで後ろからエイミと忍術研究部が追いかけ、その先にはアルが狙撃ポイントで待ち構えている挟み撃ちの形になった。

 

 即席の寄せ集めチームとはいえ先生による的確な指示で確実に相手を追い詰めていく。ここまで特に問題もなく、相手も戦意を喪失して逃げ惑うのみ、このまま無事に終わる。誰もがそう、思っていた。

 

 

 

 

 ピピピピ……

 

「はい、もしもし」

 

 エイミは突然走るのを止め、ポケットから携帯を取り出して耳に当てた。頭と肩で携帯を挟み、慌ててメモを取り始める。

 

「エイミ、エイミ?どうした?」

 

 異常に気づいた先生はインカムで呼びかけた。忍術研究部の3人には追跡を続けるよう指示を出していたため問題はない。しかし、エイミは先生の声には応えず、電話の内容を手帳に走り書きしている。

 

「まさか……!」

 

 エイミの様子を見てヒマリは何かに思い当たり、すぐさま手元の端末を操作し始めた。

 

『エイミ!』

『……何するのさ、せっかく記録してたのに部長のせいで中途半端になっちゃったじゃん』

 

 ヒマリはエイミの携帯をハッキングし、無理やり通話の相手を自分に変更した。ヒマリが問い詰めると、エイミは若干怒気のこもった声で答える。

 

『今何してるか分かってるんですか!?』

『今?そりゃあ……あ、れ?』

 

 エイミはヒマリの声でようやく自分が何をしていたのかに気づいた。そう、今は指名手配生徒を追いかけている真っ最中なのだ。こんな電話をしている場合ではない。

 

『……ごめん』

 

 エイミは一言謝ると再び走り出し、先に進んでいた忍術研究部と合流、その後はアルとの挟み撃ちによって指名手配されていた生徒を全員確保し、ヴァルキューレに引き渡すことでひとまずこの一件は終わりを迎えた。

 

 しかし、ヒマリと先生、そしてエイミはまた別の、それもかなり奇妙な事件の始まりを告げる予兆を感じ取っていた。

 

 

 

 

 既に犯人たちはヴァルキューレに引き渡され、忍術研究部の3人は帰宅している。が、エイミとヒマリと先生の3人はヴァルキューレが去ってもその場に残っていた。

 

「エイミ、急にどうしたんですか……?」

「いや、その……自分でも分からないや。なんで急に電話なんか……でもかかってきたし……」

 

 心配するヒマリの追及にエイミは困惑したように答える。本人もどうして自分が電話に出たのか分かっていないようだった。

 なぜあの時自分は電話を取ったのか、そしてその時すべきだったことをすべて忘れてメモを取り始めたのか、エイミには何も分からなかった。

 

「……やっぱりあの電話のせいでしょうか?」

「そう、かも。いや、それしか考えられない」

 

 困惑しているエイミを見ながらヒマリは自身の脳内で原因を探っていた。

 エイミも分かっているようだがこの現象はあの「黒電話」によって引き起こされているとみて間違いないだろう。だが、黒電話は部室へ置いてきているし、エイミがとったのは自身の携帯電話だ。ターゲットが便利屋から変わった?いや、特定の相手に対して電話をかける怪異だとすればこの現象のトリガーは恐らく……。

 

「あ、あの……」

 

 ヒマリがそこまで考えたところで、後ろから声をかけられた。その声はヒマリにもよく聞き覚えがある。いや、先ほど聞いたばかりの声だった。

 

「もしかしてそれって私のせいなんじゃ……」

 

 ヒマリは思考を中断し、声のした方へと振り返るとそこにはおどおどとした顔でこちらを伺うアルが立っていた。

 

「アル……」

 

 先生がアルになんと声をかければ良いのか迷っていた。確かに今のところこの現象を引き起こしているのはアルたち便利屋から預かった例の黒電話としか考えられない。だが、それだけのこと。原因は黒電話であり、それを預けてきたアルには何の非もないのだ。

 

「私たちが押し付けてしまったって……こと……?」

 

 しかし、アルは優しい子供である。自分が預けた黒電話によってエイミが危険な目に遭ってしまったと、自分を責めていた。アルが悪いわけではないのに、それを伝えてもすぐには納得してはくれないだろう。

 だが、このまま放っておく訳にもいかない。そのためにも先生は言葉を紡ぎ始めた。

 

「違うよ。アルは……」

 

 ……しかし、そんな先生の努力もむなしく、事態は思わぬ方向へと進んでいくことになる。

 

「その通り。あなたが私にあの電話を預けてきたから私は今こうなってる」

「え……」

 

 突然、エイミがアルに追い打ちをかけるように突きつけた。

 

「エイミ……?」

 

 悪寒。エイミの信じられない言葉にヒマリは背筋に冷たいものが走る感覚を覚えた。

 そう、確かにアルが黒電話を預けたからこそこんなことになっているのは事実である。だとしても、エイミだってアルのことを悪者だとは思ってはいないはずだろう。だが、今の言い方にはそれとは違う悪意が見え隠れしているような気がした。

 ヒマリと先生の知る限り、エイミが無闇に人を追い詰めるような言葉を吐くことはない。だが、今のエイミにはその普段の姿からは想像もつかないほど冷たく、そして鋭い言葉が口から漏れていた。

 

「でも、そのおかげで少しずつ()()できるようになったんだ」

 

 困惑する3人をよそにエイミは話し続ける。

 

「それに私があなたから電話を預かったのは14:32、これは『マルソブレの法則』に当てはめると……」

 

 そこまで言ってエイミはいきなり自分の口を手で塞ぎ、これ以上訳の分からないことを言ってしまう前に自らその口を閉ざした。

 

「違う違う!黙れ!!」

「エイミ……大丈夫ですか?」

 

 心配するヒマリの言葉にエイミは何も返さず、必死に自分の口を抑え込む。

 自分の言葉でない言葉が自分の口から出てくる。それはエイミにとって自分が自分で無くなっていくようで恐怖そのものだった。

 

「なんで、どうして……」

 

 口から手を離し、エイミは膝をついて震えだした。

 

「私が、私じゃなくなってく……」

「大丈夫。大丈夫ですよ……」

 

 そんなエイミをヒマリは優しく抱きしめ落ち着かせる。

 

「私が今抱きしめているのは和泉元エイミです。他の誰でもありません。だから落ち着いて……ゆっくり深呼吸して……ね?」

「うん……」

 

 抱きしめたエイミの頭を優しく撫でながら深呼吸させて落ち着かせる。

 大丈夫。この腕の中の温もりはエイミ以外ありえない。

 ただ、それはそれとして先ほど起こったことについてはどうにかしないといけない。

 今わかっている情報だけで推理するなら相手は電話を通じて洗脳してくる「特異現象」。たまたま便利屋の黒電話にかけていたがそれをエイミが調べたことで標的がエイミに移り、現在に至る……といったところか。

 

 ならば今はこの仮定に基づいて対策をとるのみ。

  

「先生、セミナーに連絡して反省部屋を開けておくよう伝えてください。そこでエイミを隔離して物理的に電話から引き離します」

 

 

 

 

 

 

 

 反省部屋。それはミレニアムで問題を起こした生徒が入れられる部屋。しかし、これから入るのは問題を起こした生徒ではない。

 

「エイミ、携帯と銃はこちらで預かっておきます。……何かあったらこのボタンを押せばセミナーに繋がるので呼んでくださいね」

「……うん」

 

 ガシャン、と大きな音を立てて金庫のような分厚い扉が閉じられる。閉まる前に見えたエイミの表情は少し寂しそうだった。

 

「何かあったら私か先生を呼んでください。では、後はお願いします……」

「はい」

 

 エイミのことをセミナーに頼み、先生と共に特異現象捜査部の部室へ向かうヒマリ。歩いているわけではないがその足取りは重かった。

 特に会話をすることもなく、無言で進み続け部室へ入る。そこにはエイミが残した大量の資料とメモが未だに散乱していた。

 

「これが私の不在中にエイミが調べたことです。昨日寝る前にある程度は目を通しましたが……もう一度見てみましょうか。それと念のため録音した音声は聞かないようにしてください」

「分かった」

 

 電話を聞いてしまうとおかしくなるという仮定で改めて調べ始める。預かった黒電話とエイミの携帯電話にかかってきた電話を自動で記録できるようにし、慎重にエイミのレポートを読み進める。

 

 

 

「……改めて読むと主張がめちゃくちゃで、意見もまとまっていないですね」

「でも、このレポートはエイミが書いたものだし……それにこれはこれで何か意味があるんじゃ?」

「そうかもしれませんが……」

 

 ヒマリと先生はその後もしばらく話し合いながら資料を読み進める。しかし結局、これといった成果は得られず時間だけが過ぎていく。

 そもそも、エイミの書いたメモやレポートが何を書いているのか全く分からないのだ。目の前に広がる文字列はまるで異国の言語のようで、慣れ親しんだ言語で書かれているはずなのに、何一つ意味が理解できない。結論にたどり着くまでの過程も、結論から導き出される理論や理屈も何もかもが狂っている。

 ここに書いてあるのは人の思考ではない。論理ですらない。本当にエイミが書いたのか怪しくなってきた。

 ヒマリと先生が資料を読み進めている最中、ふとヒマリはとあることに気が付く。

 

「そういえば、寝る前に読んだ時はそこまでおかしなことが書いてあるとは思いませんでしたね……」

 

 昨日寝る前、エイミがシャワーを浴びている時にざっと目を通した時はここまでの違和感を抱いていなかった。せいぜい本当に音声がモールス信号になっているのか疑問に思った程度だった。

 もしや、この現象は単純な洗脳ではないのでは?ヒマリがそう考えた瞬間、部室にセミナーの生徒が駆け込んできた。

 

「先生!ヒマリ先輩!今すぐ来てください!エイミさんが……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 時は少し遡り、エイミが反省部屋に入って30分ほど経った頃のこと。

 

 エイミは部長や先生にセミナー、そして便利屋と電話と忍術研究部に迷惑をかけてしまったことを申し訳なく思いつつ、反省部屋に置かれた簡易的なベッドに寝転がっていた。

 

 この部屋の中では特にすることが無く暇だった。持ち込むことができたのは水2Lとハンディ扇風機のみ。電話はない。

 携帯電話は当然没収されているし、メモも取れないよう紙などの書けるものと筆記用具も持ち込めない。そして反省部屋なのでなにか娯楽や電話が用意されていることもなく、空調と簡易的なベッドとトイレのみ。アレコレ持ち込んでいた前の住民がおかしいのだ。電話もないし。

 

「暑い……」

 

 それにしても、暑い。

 エイミは反省部屋の中で服を脱ぎ、冷たい床に寝転がる。設定できる最低の温度にしているにも関わらず、異常な暑さを感じていた。

 いつも通りと言われればそうなのだが、どうしても気になってしまう。電話がないからかもしれない。

 

 飲み水として支給された2Lの水のペットボトルを開け、頭から被る。暑い。

 誰も見ていない閉鎖空間であるのをいいことに最低限人として身に着けていなければならない物以外を全て脱ぐ。暑い。

 そろそろ電話がかかってくる時間だ。違う。

 空調にしがみついて冷風を直に浴びる。暑い。

 設定は8度、これ以上は下げられない。暑い。

 8度ということは……なんだ。

 風速の設定があった。迷うことなく最大にする。暑い。

 電話に出なきゃ。違う。

 のどが渇いた。無い。

 

 ……さっき全部頭から被ったんだった。電話して持ってきてもらおう。

 空調から離れ、セミナーを呼ぶためのボタンを押す。

 

 そうだ、ついでに氷とか扇風機とか電話も持ってきてもらおう。こんなところにこのまま電話もない状態でいるのは暑すぎて厳しい。

 

 

 

 

 寝転がっているとセミナー生徒の足音らしき着信音が聞こえたので急いで服を着る。

 

『エイミさ~ん?どうしましたか~?』

 

 扉の外に居るセミナーの生徒がスピーカーで話しかけてきた。

 彼女と会話するためには扉についている受話器に向かって話しかければいい。これは扉の外に居る相手としか会話できないもの。それ以外の相手と通話する機能はない。

 

 でも、形は電話機だ。

 

『もしも~し』

 

 

 

 

 

 エイミは、受話器を取った。

 

 

 

 

『大丈夫ですか~?』

 

『返事がないですね……開けますよ?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 先生はミレニアムの校舎を走っていた。いつもだったらユウカあたりに危険だから止まりなさいと言われるところだが今は緊急事態。先生としてあるまじき行為ではあるがどうか許してほしい。

 ヒマリのことは呼びに来たセミナーの生徒に頼み、一足先にエイミの下へ向かわせてもらった。

 

 

「なっ……」

 

 反省部屋の金庫のような扉の向こうに居たのは右手から滴る血液で壁や床に何かの文字を書き込む、左手が受話器になっている怪物だった。

 

「いや違うだろ……!!」

 

 否、目の前に居るのは怪物ではない。和泉元エイミだ。

 大事な生徒のことを間違えてしまうなど廊下を走ることよりも先生として許されない行為である。だが、先生の脳は目の前のエイミのことを一瞬だけではあるがエイミではない別の何かとして認識してしまったのだ。

 

 いや、アレコレ考えるのは後だ。今は頭より先に体を動かせ、エイミを助けるのが先だ。

 

「エイミ……!!」

「待ってください先生、うかつに近づいて止めようとするのは危険です」

 

 エイミの下へ駆け寄ろうとすると誰かに肩を掴まれて止められる。先生が振り返ると、そこに居たのはC&Cのアカネだった。

 アカネのメイド服には赤い斑点が付いている。しかし、それは自身の血液ではなく、彼女がエイミのことを止めようとした痕跡だった。その時に右手で振り払われた時に付いたものである。

 

「アカネ、でも……」

 

 エイミは左手に受話器をコードで鬱血しそうなほどギチギチに縛り付け、それを耳に当ててぶつぶつと何かを呟きながら、右手の指先を噛み千切って流れ出る血をインクにして壁や床に次々と文字を書き込んでいく。このままでは両手がまずいことになってしまうだろう。

 まるで黒魔術や怪しい宗教の儀式、凄惨な殺人事件の現場を見せられているかのようで、その光景はあまりにも不気味で不安を掻き立てるものだった。

 

「エイミは今助けないといけないんだ」

 

 アカネの手を肩から優しく下ろして先生はエイミの方へ歩いていく。

 今目の前で起こっていることはエイミに電話の調査を丸投げしてしまった自分の責任でもあるのだ。先生として、大人として、自分が何とかしないといけないという責任感で彼は動いていた。

 

「……エイミ」

 

 呼びかけるも、聞こえていないのかエイミは赤いインクで壁に文字を書き続けている。

 左手の受話器は元々あった場所から引きちぎられたものだ。当然、どこにも繋がっていないので何も聞こえない筈なのだがエイミには何かが聞こえているのだろう。

 

「エイミ」

「……何?」

 

 次は肩を叩いて呼びかけてみる。今度は振り返ってくれた。だが、その声はやや不機嫌気味、そして目は焦点が合っていない。誰がどう見ても様子がおかしい。

 

「今は何をしているのかな?」

 

 脳内に「手遅れ」の3文字が浮かぶも、それを握りつぶして何事でもないように普段通りの口調で話しかける。まだ助けられるかもしれない。そう信じて問いかけた。

 

「あぁ、これは前にも言ったけど電話の調査の延長線で……」

 

 エイミは狂ってしまっているが正常でもあった。それが逆に異常さを引き立てている。

 

「それでこの前読んだ『宗教と二次創作に関するサイコパス的薬学論(著:大山ロジィ)』によると今かかってきている電話は……」

 

 いつものように調べたことを報告するかのように話してはいるものの、その内容は支離滅裂。聞いたこともない生徒の明らかにおかしい論文を根拠に謎の理論が展開されている。

 

「ねえエイミ」

「ん?何か分からないことでもあった?」

 

 全部。と言いたいところだがそれは言わない。アカネの様子からして調査と無理矢理止めようとすると何か不味いことになるのだろう。

 

「指、痛くない?大丈夫?」

 

 和泉元エイミという少女は傷つくことを恐れない少女である。

 開放的な服装も相まってその体にたびたび傷を作り心配させていた。

 

 だが、ここで留意しておいてほしいのはエイミは目的を達成するために自分が傷つくのを躊躇わないだけであり、決して自分から傷つきに行くことを好んでいたりヒマリを心配させたいといった欲求に基づく行為ではないということだ。

 

 

「エ……イミ……?」

 

 遅れてやってきたヒマリが反省部屋とエイミの惨状を目にして声にならない声を漏らす。

 無理もない。症状を改善させるために隔離していたのにいつの間にか受話器を左手に括り付けて、右手からは血が滴り、壁や床はその血で真っ赤に染まっている。いったいどれほどの血を流したのかは考えたくもない。

 

「あ、部長だ。来るのが遅いよ、もう……。ほら、早く出して」

「え……」

 

 困惑するヒマリに近づき、血が滴る右手を差し出して何かをヒマリに要求するエイミ。その指先から垂れる血がヒマリの白いブランケットやスカートをを赤く染めていることには全く気が付いていない。

 

「あ、えっと……」

 

 ヒマリは一気に押し寄せる想定外に言葉が出なかった。

 

「携帯だよ、私のケータイ。部長が持ってるんでしょ?ほら」

 

 それをヒマリが何を要求されているのか分かっていないのだと解釈したエイミ。

 電話の調査をするためにこの部屋に篭ったのに、()()()()部長に預けてしまった電話を部長が持ってきてくれたのではないのだろうか。そうでなければ部長が何故ここに来たのかがエイミには分からなかった。

 

「携帯……あ、えっと、それは部室ですが……エイミ、あなたは……」

「もう……それじゃ何のためにここに来たのさ、私の調査が進まないじゃん。まったく、部長はおっちょこちょいだなぁ……まあ良いんだけどさ。ほら見て」

 

 何故自分がここに居るのか理解していないエイミは呆れながらヒマリに左手を見せる。

 

「じゃーん、左手を受話器にしてみました。これでいつでも調査ができるよ」

「だ、ダメじゃないですか……こんなことしたら鬱血してあなたの可愛いおててが……」

 

 左手をギチギチに締め付けているコードを解こうと触れるヒマリ、その瞬間エイミの目つきは急に鋭くなり……

 

 

「いけません!」

 

 アカネがそう叫んだ時にはすでに遅く、

 

 

 ヒマリの体は宙に舞っていた。

 

 

 

「くっ……」

 

 飛び出したアカネがヒマリの体を受け止め、その華奢な体が床に叩きつけられるのを何とか阻止する。ヒマリの座っていた車椅子は衝撃で倒れ、車輪がカラカラと空回りする音を立てていた。

 

「ゲホッ……エ、エイミ……?」

「喋らないでください!口の中が損傷しています!」

 

 左手から受話器を外そうとしたヒマリは体が宙を舞うほどの全力で、エイミに顔を殴られたのだ。ボクシングでいうところの「アッパーカット」に近い。

 殴られた衝撃でヒマリのスベスベで綺麗な肌は赤く腫れ、口の中に傷がついてしまったのか口元から血が流れている。

 

 そのあまりの出来事に、先生は呆然と立ち尽くすことしかできない。

 どうして、何故、エイミが。

 

「エイミ!」

 

 さすがにこれは度が過ぎている。

 だというのに本人はヒマリを殴りつけてケガさせたなんてことを気にせず無表情でコードを巻き直していた。

 

「動かないでください!」

 

 気が付けばアカネがエイミに銃を向けている。いや、その場に居たセミナーの生徒もエイミに狙いを定めていた。

 しかし、エイミはそんな様子もアカネの警告も気にすることなく、その場を離れて電話の置いてある部室へと向かおうとしていた。

 

 それを見たアカネたちが引き金を引こうとした、その時だった。

 

「み、皆さん銃を下ろして、ゲホッ……くれませんか……?」

 

 ヒマリが弱々しい声でアカネたちを制止させる。

 

「エイミを……いえ、エイミ()これ以上傷付けさせないでください……」

 

 ヒマリの懇願に、その場に居た全員は銃を下げざるを得なかった。

 

「それと……先生、お願いがあります。シャーレの権限を悪用するような非常につらい頼みになってしまうのですが……」

 

 

 

 

 

 

 【通達】

 校内での暴力事件発生を受け、以下の生徒1名を2週間の停学処分とする。

 なお、これはセミナーだけでなくシャーレによる決定でもあるため異議申し立ては受け入れない。

 

 1年 和泉元エイミ

 

 

 

 

 

 飛鳥馬トキは2km離れた最寄りのコンビニで購入した3()()()の食料と飲料を持って歩いていた。

 

 エイミは停学になったが、それがただの建前でしかないことを自分を含めた関係者は全員知っている。

 

 ああなってしまってもエイミは正常性を保っていた。朝になれば目覚め、朝昼夜の3食を食べ、風呂に入り、夜には眠る。

 異常なのはそれ以外の時間は全て、いや眠っている時以外は左手に巻き付けている受話器に耳を当てて訳の分からないことを話し続けていることだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヒマリとエイミはとある自治区の山奥に存在するヒマリの隠れ家で生活していた。

 何かあった時にヒマリが友人たちから隠れるために用意していたセーフハウスの一つだ。周囲に人工的な光は一切なく、携帯は圏外、インターネットも当然繋がらない。

 

 彼女たちがミレニアムを離れてこんなところで生活しているのはエイミとミレニアムを守るためである。

 これ以上エイミが電話の影響を受けないようにするため、そしてエイミが周囲に危害を加えてしまわないようにだ。

 

 

 ……と言っても、彼女の左手が受話器になってしまっている以上それは難しいだろう。

 

 彼女たちがここに来る前、C&Cとヒマリが協力してエイミの左手から受話器を外そうと試みたことがある。

 ヒマリが睡眠薬を飲ませ、その隙にトキが受話器を外してC&Cが電話の存在しないこの場所へと運ぶ作戦だった。

 

 

 結果は現状を見れば言わなくても分かると思うが失敗。

 トキが受話器を外そうと触れた瞬間、エイミは飛び起きてトキの首を締め始めた。常人に飲ませれば20時間は眠りから覚めない薬を飲ませたのにもかかわらずだ。

 

 その後はトキを助けるために外で待機していたC&Cの4人が乱入し、ヒマリと先生の援護を受けながら戦闘開始。

 

 ミレニアムサイエンススクールの校舎の一部が戦いの余波で崩壊、これ以上続けてもいたずらに被害が広げ続けるだけだとヒマリと先生は判断し、作戦続行不可ということで依頼自体が無かったことになった。

 

 

 __先生、ヒマリ、C&Cが力を合わせてもエイミの左手から受話器を外すことは叶わなかったのである。事実上のミレニアムサイエンススクールの敗北だった。

 

 

 

 

「ただいま戻りました」

 

 トキは耳栓を付けてから山小屋の扉を開けて中に入る。

 中ではエイミが左手を耳に当てながらヒマリに向かって何かを話し続け、ヒマリはそれをニコニコしながら聞き流していた。こんな生活を彼女たちはもう1週間も続けている。

 

 トキが耳栓を付けているのはエイミの“妄言”に囚われてしまわないようにするためだった。

 ヒマリの分析によるとあの電話は「直接的には理解できないが、聞いた者の心理に影響を与えて狂わせ攻撃的な性格にする」「影響を受けた者による発言、文章も同様の能力を有するようになる」という特異現象らしい。

 

 だからヒマリは自分が何とかすると周囲に宣言してこんな場所にエイミと共に引きこもっているのだ。

 

 

 

 

 トキは3人分の食料をテーブルに置き、自分の分のパンに口を付ける。

 ある程度は正気を保っているエイミは停学と言われて素直に従ってここへ来ていた。トキにとってはそれが何よりも恐ろしかった。

 

 気が付いたら自分の性格が変わってしまっているのだ。だからおそらくエイミは自分はいたって正常でいつも通り、狂ってなどいないと認識しているはずだ。

 それに彼女の中ではきっと今ここに居るのは停学だからではなく研究合宿のためだとかに変換されているのだろう。

 

 もはや彼女の耳から正常な情報が入ってくることはない。それで思考は歪み続けていくのだ。

 ヒマリは何とかすると言ったがそんなことが出来るのだろうか? もしそれが出来なければ……いや、今は考えるべき時ではない。今できるのは解決へ向かうことを祈るのみだ。

 

 そう自分に言い聞かせながらパンを口に運ぶ。その味はいつもより少し薄いような気がした。

 

 食事を終え、持参した文庫本を開く。

 耳栓のおかげで静かな時間が流れていく中、トキは本を読み進める。しばらくはそうして時間が過ぎていった。

 

 

 

 

 

 文庫本を読み終わる頃、トキはふと違和感を覚えた。エイミとヒマリは互いに話し続けているが、何かが確実に変わっている。

 

 ……誰かが、外に居る。

 

 C&Cの一員であるトキの研ぎ澄まされた感覚は、耳栓をしていても外の異変を察知していた。

 

「……先生、でしょうか」

 

 いや違う。先生は今日メンタルケアに行っているはずだ。依頼主はエイミの現状を知って心を痛めているという。だとすると……誰だ? 考えられるとすれば……今はそんなことを考えている場合ではない。

 

 そっと窓際に近づこうとした瞬間、窓を突き破って何かが部屋の中に投げ込まれ、激しい光と共に、トキの視界は真っ白になる。

 

 (閃光手榴弾(スタングレネード)……!!)

 

 耳栓をしていたおかげで意識は飛ばなかったが、視界は潰れたままだ。

 

「う……いっつ……」

 

 一時的な失明だ。すぐに元に戻ると願いながら耳栓を外して状況を把握しようとすると、シューという音と共に甘い香りが漂ってきた。

 

(……ガス!)

 

 息を吸い込んだ瞬間、トキの意識が揺らいだ。充満する気体の正体は分からないが、催涙ガスかそれに似たものだろう。口を袖で押さえながら周囲を警戒、視界が元に戻ってくるとトキは襲撃者の正体を確認しようとした。

 

 そこにいたのは……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、何事……!?」

 

 ヒマリは投げ込まれたスタングレネードの影響をモロに受けて混乱していた。それに加えて部屋に充満しているガスのせいで意識が朦朧としている。いつもならこういう時にエイミが動いてくれるのだが、今は期待できない。

 

(いったい誰が……)

 

 ヒマリは気合で意識を失わないように耐えた。エイミに殴られた顎の痛みが逆に助けとなり意識を保つ糧となる。顎の骨にヒビが入っており、口を動かすたびに鋭い痛みを感じる。それを利用して必死に耐え忍んでいると視界が徐々に戻ってきた。

 

 襲撃者の正体を探るために、ヒマリはエイミの方を見た。襲撃犯はエイミに手を伸ばして何かをしようとしていた。

 

「や、やめなさ……っ!!」

 

 ヒマリは咄嗟に叫び、その瞬間にガスを吸い込んでしまった。

 

「エイミ……」

 

 視界が再び真っ白になり、力が抜けていく。エイミに手を伸ばすも、虚しくヒマリはその場に倒れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今度からは気を付けるのよ。……と言ったところで私のことは忘れてしまうのでしょうけど」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………んっ」

 

 ヒマリは割れた窓ガラスから差し込む暖かな朝の陽ざしを顔に浴びて目を覚ました。ふかふかのベッドの上で体が温かい何かに包まれているともう一度夢の世界へと旅立ちそうになる。

 

「……エイミ!!」

 

 だが、まどろみの中で昨晩の出来事を思い出し、一気に飛び起きた。ヒマリの叫びが部屋中に響く。ここは昨日襲撃された小屋の中だ。ソファーの上にはメイド服を着たままのトキが横たわっている。

 

 しかし、昨日までとは明らかに違う点があった。

 記憶が正しければヒマリは床で倒れたはず。ならば誰が彼女をベッドに運んだのか。

 

 その答えは一つしかない。

 

 

 

「耳元で叫ばないでよ。うるさいなぁ……」

 

 やや紫がかかったピンクの瞳がヒマリの顔を眠たそうに見つめていた。

 

「エイミ……?」

 

 

 ヒマリの隣にはエイミが静かに寝ており、()()()()()()()両腕でしっかりとヒマリの細い体を抱きしめている。

 

「えっと……大丈夫なんですか?」

「まあね。……あとそれはこっちのセリフ」

 

 短いやり取りの中で、ヒマリはエイミが元に戻ったことを確信した。昨日までのエイミだったら、こんな風にヒマリと普通に会話することはなかったからだ。

 

 エイミにしか聞こえない声に操られ、ヒマリに対して妄言を吐き、邪魔する者を容赦なく排除する機械。それが昨日までのエイミだった。

 

「ごめんね、いろいろ心配させたり、変なこと言ったり……」

 

 

エイミがギュッとヒマリを抱きしめる。

 

「殴ったり……」

 

消え入りそうな声でエイミは呟く。

 

「本当に……ごめん」

 

 少しだけ泣きそうになりながら、エイミはヒマリに抱き着く力を強めた。

 

「……ふふっ」

 

 ヒマリはその姿を見て安心感から思わず笑みがこぼれてしまう。

 

「いいんですよ、エイミが無事ならそれで」

 

 ヒマリも応えるようにギュッと抱き返した。

 

「……ありがとう」

 

 二人はしばらくの間、そうやって抱き合っていた。1秒でも長く、いつも通りの相手の存在を感じたくて。

 

 エイミの体温は温かい日差しのようで、安心感とともに心地よい温もりがヒマリの心に染み渡っていく。それはエイミも同じだった。

 

 二人の呼吸音と衣擦れの音しか聞こえない静かな部屋には、割れたガラスで日差しがまるで部屋全体を包み込むように広がり、かすかに聞こえる鳥のさえずりだけが二人の穏やかな朝を彩っていた。

 

 

 

 

 

 

 

(…………気まずい)

 

 甘い雰囲気の漂う小屋の中で約一名(トキ)が若干の居心地の悪さを感じながら、この件はひとまずの終わりを迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

『蛇足』

 

 

 

 

 

 

 

【活動報告】執筆者:和泉元エイミ

 ごめんなさい。頭がおかしくなっていたようです。

 

 でも、調べていたことは何も覚えていない。だからこんなことしか言えないけど、傷だらけの手やアゴの骨にヒビが入った部長を見てると相当不味い事態だったのが分かる。それに私がまとめたはずの調査レポートも今読むと何を言っているのか全く意味が分からない。本当に自分が書いたのか怪しくなるぐらいには意味不明だった。

 

 先生と助けてくれたどこかの生徒会長にもこれ以上追うのはやめろって言われたからこの調査は打ち切る。データも消してレポートとメモも焼却処分したし、便利屋には申し訳ないけどあの黒電話と私が使っていた携帯も一緒に処分した。あとで弁償しに行く。

 

【ヒマリからのコメント】

>『ごめんなさい。頭がおかしくなっていたようです。』

 エイミ、私たちに迷惑をかけたことは気に病まなくていいんですよ?

 みんなエイミが悪いだなんて思っていませんし、実際のところ悪いのはエイミじゃありませんから。

 

>『あとで弁償しに行く。』

 そうですね、一緒に謝りに行きましょう。頼まれた調査を完了できなかったことですし。

 

 電話の正体は一体何だったのか、あの時襲撃してきたのは誰なのか、エイミはどうして元に戻ったのか。気になることはまだまだたくさんあります。

 

 シャーレの権限で調査を打ち切られてしまったので気になっても調べられませんが、エイミがあんなことになってまで調べたいとも思わないのでこれで良かったのかもしれませんね。

 

 

 

(音声入力開始)

 

 待ってください、「助けてくれたどこかの生徒会長」って何ですか。

 そんなこと今初めて知りましたよ。

 エイミ、なんで黙ってたんですか?

 もしかしてリオなんですか?

 

 じゃあ何ですか、リオがこの私に向かって閃光手榴弾と催涙ガスをぶん投げてきたってことですか?

 

 待って、あの時たしかトキは何もしていませんでしたよね。もしかして気づいてたんですか?

 あっこらトキ!逃げないでください!

 

 もしもし!?セミナーですか!?今すぐリオを指名手配してください!私への暴行罪で矯正局に入れてやりますよ!!

 

 

 

 __部長は今日も元気そうだ。こんな日常が続けばいいのに。

 

 

 

 

 

「……そっか、なら安心だ」

「社長も2人に焼肉に連れて行ってもらってからはニコニコして元気だから大丈夫そう」

 

 エイミが元に戻ってから数日後、シャーレのオフィスで便利屋68の一員であるカヨコが先生と話していた。

 先日、特異現象捜査部の2人が便利屋68を訪ね、黒電話の依頼を完遂できなかったこと、そして勝手に処分したことを謝罪するために焼肉に連れて行ったのだ。

 

「最初は渋ってたんだけどムツキが押し切って無理矢理連れ出したら楽しんでたし、久しぶりにいっぱい食べててこっちも安心した」

「それは良かった」

「……ところで、1つ気になったんだけどさ」

 

 カヨコが少しだけ目線を逸らす。

 

「……あの2人って、()()()()()なの?」

「え?」

 

 

 

 

「はいエイミ、あーん」

 

 便利屋が囲んでいる4人掛けのテーブルの隣ではエイミとヒマリが別の席で肉を焼いていた。

 だが、エイミは両手に包帯を巻いているので箸などが使えず、ヒマリは顎の骨にヒビが入っているのであまり食べられない。

 

「……いや、自分で食べるから」

「まあ!この美少女に食べさせてもらうチャンスを自ら棒に振ってしまうんですか!?」

「だって……」

「だってじゃありません!私はあんまり噛めないし、エイミは両手が使えない。ということは私がエイミに食べさせるのが自然な形でしょう?」

「……じゃあ何で焼肉にしたのさ」

「えいっ!」

 

 ヒマリがエイミの隙をついて口の中に焼いた肉をねじ込む。

 

「……どうですか?」

「……うん、美味しい」

 

 エイミが頷くとヒマリは嬉しそうに笑った。

 

「はい、次はこっちですよ。あーん」

「あむ……」

 

 ヒマリは楽しそうな顔で箸を次々とエイミの口へと運ぶ。エイミも観念したのか大人しく受け入れていた。

 

 

 

 

「……まあ、それは本人たちの自由だから」

 

 先生は否定しない。

 

「そっか、じゃあ私はもう行くよ。先生も体に気を付けてね」

 

 そう言ってカヨコは帰って行った。大丈夫だとは言っていたが一応アルのことも明日あたりに見に行ってこよう、そう決めて先生は残りの仕事を明日へ持ち越さないように気合を入れて仕事に戻った。

 

 

 

 

 

 ピピピピ……

 

 カヨコが帰ってしばらくいつものように書類の整理などをしていると突然電話がかかってきた。

 受話器に手をかけようとしたその時、ふとエイミのことを思い出してしまい嫌な予感が少しだけしたが、生徒からの相談だった場合、先生として無視するわけにもいかない。

 ふぅ、と息を少し吐き出して電話を取った。

 

『クックック……少しだけお久しぶりですね、先生』

「……何の用かな、黒服」

 

 相手は“黒服”だった。電話から聞こえてくるのがノイズではないことに安堵するも、気合を入れて損した気分になった。いったい何の用だろうか。

 

『飲みに行きませんか?大人の付き合い、というやつです』

「断る。そんな暇はない」

『おやおや、良いのですか?大人同士でしか話せないようなこととかがあるのでは?そう……例えばこうして今使っている“電話”の話とか』

「電話……」

『来たくなりました?』

「……どこに行けばいい」

 

 

 

 

 先生が黒服に言われた通りにとある路地を進むと寂れた扉を発見した。「本日貸し切り」と書かれた札が下げられているから集合場所はここで間違いないだろう。

 

「……いらっしゃいませ」

 

 扉を開けるとそこは静かなバー、カウンター席にテーブル席が三つしかないこじんまりとした店だった。しかし、店内に先に来ているはずの黒服の姿はない。

 

「知り合いが先に来ているはずですが」

「……どうぞ」

 

 グラスを拭いていたマスターらしきロボは一旦その手を止めて地下への扉を開き、先生をを連れてゆっくりと階段を降りていった。小さな電球で照らされた階段の角度は急で、それでいて人一人通るのがやっとの狭さ、薄暗さも相まって気を抜けば転がり落ちてしまいそうだった。

 

「……こちらです」

「お待ちしていましたよ、先生」

 

 降りた先は小さなテーブルが一つだけ置かれている部屋、そこで黒服がウイスキーを飲みながら先生を待っていた。その向かい側に座る。

 

「……ご注文は」

 

 マスターが注文を聞いてきた。先生は少し悩んだ後、明日も仕事だからあまり強い酒を飲むのも良くないなと水割りを頼み、黒服は追加のウイスキーを頼んだ。マスターは注文を聞き終えると静かにテーブルから離れ、部屋の明かりを落としていった。

 

 

 

 

 

 

「……ごゆっくり」

「さて、何から話しましょうか」

 

 運ばれてきたウイスキーを片手に黒服が先生に問いかける。

 先生はグラスに口をつけ少量の酒を口に含み、飲み込むと一番気になっていることを黒服に尋ねた。

 

「エイミはどうなった」

「……彼女の()()()()が助けようと必死になっていたので匿名の協力者として手助けしてあげましたよ」

 

 知り合い、先生はその正体に大方予想がついていたが本人(リオ)のためにも今は分からない振りをしておくことにした。

 

「具体的に言いますとその知り合いにとある筋から手に入れた『特定の記憶を全て消す薬』を渡して飲ませるようお願いしました。……彼女は自分が助けたことも忘れさせる都合のいい薬だと思っていたようですがそんな都合のいい薬は用意できません」

「……それで全部終わったの?」

「いえ、それでは一時凌ぎにしかなりません。その後我々の方で『電話線』を切断したのでしばらくは大丈夫でしょう。おかげで対処法も確立できました。その点では感謝していますよ」

 

 先生は少しだけ黒服に何か言いたくなったが、これはエイミ1人に任せてしまった自分の責任でもあるので何も言わずに水割りと共に飲み込んだ。助けてくれただけありがたいと思っておく。

 

「……そうか、とにかく助けてくれたなら素直に礼を言っておくよ。ありがとう」

「どういたしまして。あのまま進行していれば世界が滅ぶ……とまでは行きませんが中々厄介な事態になりそうだったので利害の一致という奴ですよ」

「無事ならいいんだ。一応明日も様子を見に行ってくるか……」

 

 

 

 

「結局、電話をかけてきてたのは何だったの?」

「……『外』の何者か、としか言いようがありませんね。なにしろ詳しく知ろうとすれば我々も狂ってしまいますから」

 

 ウイスキーを口に含むと黒服は話を続けた。

 

「本来、この電話はここまでの相手では無いのです」

「……今回は運が悪かった。いえ、良かったのかもしれませんが」

 

「電話からよく分からない雑音しか聞こえない、勝手に電話が鳴る。これだけなら普通は電話が壊れたと思って買い替えるなり捨てるなりします。修理に出しても原因が分からず新品と交換される」

「今まではそれで処理されて終わりでした。しかし今回は違いましたよね?」

 

 酔いが回ってきているのか今日の黒服はやけに喋る。

 

「電話を取った相手がその電話に対して強いこだわりを持っていて、修理に出した相手が不可解な状況を目にしてもそれに対処できそうな人を紹介できてしまい、調査が始まってしまった……本当にただただ運が悪かっただけなのです」

 

「……調査をしたのが『全知』でなかったために我々で対処できたことだけは幸運でしたが」

 

「あの電話から聞こえてくるのはただのノイズでしかありません」

「しかし、受け取り方は自由です。何か規則性を見出そうと思えば規則性が見つかるし、何かの暗号だと思えば何かの暗号になる。何でもないノイズでありながら何にでもなれる……そういうものです」

 

「星が2つ直線で結べるだけで夜空に子犬が見えてくるようにね」

 

「こうして何かしらのありもしない真実に辿り着いてしまえばそれに囚われて彼女のようになってしまうのですよ」

 

 

 

 

 もう少しで日付が変わりそうな時刻、軽食を注文して大人の話し合いは続いていた。

 

「電話、というものは文明の発展に大いに貢献してきたと言えるでしょう」

「しかし、それはどれだけ物理的に離れていようと電話さえあれば他人とのつながりを捨てることができなくなったということでもあります」

 

「“良いこと”ではないか……ふむ、確かにあなたならそう言うと思っていましたよ」

「しかし、休日に連絡してくる上司、友達と電話して眠ることなく朝を迎えてしまう若者、スマホ依存症……便利になる、ということは必ずしも良い方向へと進むことではないのです」

 

「それに古い話ですが『メリーさん』に代表されるように“電話”にまつわる怪異というものはその発展と共にいくつも誕生し成長しています」

「もしかしたら今回の件のように我々は気が付いたら電話に支配されてしまっている……なんてこともあるのかもしれませんね」

 

「……まあ、既にあなたは電話に支配されてしまっているようですが」

 

「おや、そこまで疑問そうな顔をされるとは意外ですね。だって先生(あなた)は……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いつも電話越しに私や生徒のみなさんと接しているじゃないですか」

 

=終=

*1
世間では「音MAD」と呼ばれているジャンルに近い

*2
曲のテンポのこと 例を挙げるとUnwelcome SchoolのBPMは180である

*3
世間では「音MAD」と呼ばれているジャンル




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