霙 作:散髪どっこいしょ野郎
春。多くの新入生が期待に胸を膨らませ、新たな出逢いに恵まれる季節。
かく言う僕もその一人で、今日から
新しい学び舎がどのような所なのか、クラスメイトはどんな人たちがいるだろうか、そんなことを考えながら通学路を渡っていく。
僕の歩様は期待に染まっていた。なにせ机にかじりつく程に受験勉強を頑張って受かったのだから。過去の努力が今の僕を支えていると言っても過言ではない。
櫨乃美高校は家から歩いて通える距離だ。とはいえ、その道のりは複雑で曲がり角も多い。そのため早いうちから最短ルートを見つけなければならない。これも密かな楽しみだ。
十字路に出た。信号が青になっていることを確認して渡ろうとすると──
「──え?」
──トラックが目の前に現れた。
迫る車体。高速化されていく思考。コンマ一秒にも満たない時間で、意識だけが情報を理解する。
(ああ、僕は轢かれるんだ)
不思議なことに思ったことはそれだけだった。あまりにも非現実的な状況に、死への恐怖も疎らで。
「危ないっ!」
「────ッ?」
瞬間、背中に衝撃が走る。僕はつんのめるようにして倒れ、来るはずだった死は横に流れていった。
悲鳴と鈍い音、僅かな静寂。
恐る恐る瞼を開き、後方に目をやると一人の女の子がタイヤと地面に右腕を潰されて倒れていた。要するに、僕は彼女に助けてもらったということか。
「……警察、いや、救急車だ」
混乱する脳を無理やり稼働し今自分がすべきことを復唱する。今年買ったばかりの携帯電話に手を伸ばした。
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あれから入学式には行けなかったが、肝心なのはそこじゃない。
僕の負った傷は軽い擦過傷程度だったが、重要なのはそこじゃない。
あの事故はトラック側の不備によるものらしいが、留意すべきはそこじゃない。
「…………」
病室前に立ち、呼吸を整える。
眼前にあるのはドア。手を伸ばせばすぐに開けられるが──僕は入り倦ねていた。
僕を庇ってくれた女の子の命に別状は無いらしい。意識も回復したとのこと。だが、あそこまで破壊され尽くした右腕は元には戻らないだろう。
その疑問の答えは、手を伸ばしたすぐ先にある。……ええい、ままよ。
遠慮がちにノックをすると、中から「どうぞ」と返事が返ってきた。
半ば無我夢中で部屋に入る。するとそこには、
「……あっ!よかった、無事だったんだね!」
朗らかに笑う彼女。僕は当惑した。普通なら罵詈雑言を浴びせられようと文句は言えない立場なのに。
視線の先には右腕が欠けた彼女の姿。その表情は半分が火傷の痕で覆われていた。後で聞いた話だが、火傷痕は僕を庇った時よりもずっと前に負ったものらしい。
「……本当に、すみませんでした」
頭を下げる。こんなことしたって自己満足でしかないが、そうする以外の償いを考えられなかった。
「謝らなくていいよ。君は何も悪くないし」
それは諦めだったのか、はたまた寛大な酌量措置なのか。いずれにせよあの場に僕がいなければ成立しなかった事故であることは間違いない。
「あれ、その制服……君、櫨乃美高校の生徒?」
あの事故からは既に数週間が経過している。右腕を失うこと自体はかなりの重傷なのだが、右腕以外の容態は比較的安定しているとのこと。
「はい。今年からそうです」
「そうなんだ。私も新入生。じゃあ遅れちゃった分の勉強、私が入院している間付き合ってくれる?それで貸し借りは無しってことで」
「そんな、ことで」
たったそれだけのことで全てチャラにしてもらえるとは思っていなかった。第一、そんなことが許される筈がない。
「悪いですよ、もっと無理難題を頼んでくれてもいいのに」
「私はいいよ。まあ確かに利き腕が使えなくなっちゃったのは大きいけど。そういえば君……いつまでも君って呼ぶのも変だよね。名前を教えてくれる?」
僕は絶句した。ここまで器の大きい人間に出逢ったことはなかった。こうまで他人を責めようとしない人だとは。
「あ、ちなみに私の名前は
「……僕は、
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「遥ぁ、どうしたんだ?そんな誰もいない席見て」
教室内にポツンと置かれた席。その空席は、本来だったら彼女──佐藤枝木さんがいたところだ。
「いや……ちょっと戒めをね」
「?」
入学してまだ間もないが、とりあえず友人はできた。僕ばかりが学校生活を満喫していることを申し訳なく思うが、やはり佐藤さんは責めなかった。
教室には既にカーストが築かれている。こういうのは早い内から飛び込むのが肝要だが、佐藤さんはまだ入院中。これもまた申し訳なく思う。
勉強は今のところ問題なく進めている。佐藤さんに教えることで更に学力の向上も見込めるようになった。
「起立、礼」
「「「「ありがとうございました」」」」
昼休みになった。食堂に向かいながら、そういえば、と考える。
彼女は利き腕を失っていた。現在はリハビリである程度慣らしているが、左腕を完全に使いこなせるようになるまでは時間がかかる筈だ。現に勉強の際も中々文字が上手く書けなくて困っているようだった。
昼食でもきっと苦労するだろう。そんな佐藤さんに僕ができることはなんだろうか。
……思えば、僕は彼女の両親に遭遇したことが無い。見知らぬ大人が見舞いに来ることもあるが、対する彼女が敬語を使っていたあたり肉親ではないと思われる。親戚か?それにしては顔つきが違う。
──やめよう。僕が下手に踏み込んでいい内容じゃない。
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「枝木お姉ちゃ~ん!」
「わ!お見舞いに来てくれたの!?ありがとー!」
退院を間近に控えたある日、いつものように勉強をしていると子供たちが部屋に入ってきた。
勉強は一旦中止して、佐藤さんは子供たちの相手をする。お姉ちゃんと呼ばれているということは、妹や弟ということなのか。
しばらく賑やかな病室だったが、随伴していた大人に連れられ子供たちは帰っていった。
「いい子たちですね」
当たり障りのない感想だが、実際にそう思った。家族仲がいいのはいいことだ。
しかし……どうも似てない。家族と呼ぶにはあまりにも──
「うん。孤児院の子たちでね、いつも私と遊んでくれるの」
「──そう、なんですか」
孤児院。それはつまり、佐藤さんは──
「ああごめん、言ってなかったよね。私、両親がいないんだ」
「────」
思考が停止する。だが辻褄が合う。よく見舞いに来ていた大人は職員だったのか。
「ってごめんね。急にこんな話して」
「いや、大丈夫です」
顔半分を覆う火傷痕。それも彼女の出生に関係するものなのだろうか。
「そろそろ退院だねー。ありがとね、今まで教えてくれて」
「──あの」
差し出がましいと言われたら、それまでだ。だが、僕はもっと佐藤さんの役に立ちたい。
負い目は確かにある。だがそれと同等に、彼女の人柄が良いと思った。そんな人を助けたいと思った。
「退院した後も、色々手伝わせてくれませんか」
「え?いいの?」
佐藤さんはキョトンとした顔でこちらを見る。真っ直ぐ見つめ返して、僕は言い放った。
「僕が貴方の腕になります」
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あれから先生に直談判をし、彼女の補助という役割で席を隣にしてもらうこととなった。
佐藤さんは上手くクラスに溶け込んでいるようだ。さりげない懸念点だったが胸をなで下ろす。
新しい席は教室の隅だ。これなら人目を気にせず助けられる。先生と、変わってくれた人には感謝しかない。
「あれ?隣、藤沢くんなんだ!よろしくね!」
「はい。よろしくお願いします」
そんな裏事情を知ってか知らずか、笑みを湛える佐藤さん。できるだけこの笑顔を絶やさずにしていきたいと胸に誓った。
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「佐藤さん」
「ん、どうしたの藤沢くん」
授業が終わり、休み時間に入った。もし彼女がよければだが、一つ提案がある。
「一緒にお弁当食べませんか。作ってきたんです」
「え?私の分も!?」
「はい」
引かれないかと不安に感じるがその時はその時。
「屋上、行きませんか」
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このご時世自由解放されている屋上は珍しい。立ち入り禁止にされてないのはこの学校の格式が高いからかもしれない。
どうしてわざわざ人目のつかない所に来たのか。その理由は食べ方にある。
「はい、口を開けてください」
「……え?い、いいよいいよ!自分で食べられるよ!?」
「片腕だけでは食べづらいでしょうから。大丈夫です。口は付けてない食器を選びました」
「そ、そういうことじゃなくってぇ~……」
まだ彼女は左腕だけの生活に慣れきっていない。授業の際も、僕がサポートする形でノートを取っている。
それに机が無い
最終的に彼女が根負けし、僕が食べさせながら一緒に食事を摂った。こんな風景を人前に晒すわけにはいかない。だから屋上を選んだ。
「……おいしい。おいしいよ藤沢くん!」
「そうですか。ならよかった」
料理は最近始めたばかりで稚拙な部分もあるだろうが、とりあえず美味しいとは言ってもらえた。
「ハァ──ごちそうさまでした」
「お粗末様でした」
昼休みの時間はまだある。教室に戻ってもよかったが、僕たちは自然と休み時間が終わるまで話すことにしていた。
「……いいのかなぁ、こんなに色々してもらって」
「これくらいは当然です」
「じゃあ、お願いしちゃおっかな」
こちらとしても頼ってくれるのは嬉しい。懺悔には程遠いものの少しでも役に立てるのであれば。
「ところで藤沢くん」
「はい」
「君のこと、名前で呼んでいいかな」
「?構いませんが……」
「よかった。じゃあ遥くんも私のこと枝木って呼んでくれる?」
「はい、さと……枝木さん」
「あはは、まだ慣れるまで時間かかりそうだね」
心地よい風が吹き付ける。彼女はやはり、笑っていた。
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部活動。時には汗と涙に、時には勝利と栄光に彩られる、まさに青春を体現したかのようなアクティビティ。
サッカー、テニス、野球など、様々な選択肢がある中で僕が選んだのは──年に数回しか行われない料理部だった。
その理由としてはさと……枝木さんの分の弁当を作るのは疲れて帰った体では十分にこなせないと思ったからだ。それに元々、何か熱中してるスポーツがあったわけでもない。
その点料理部は都合がよかった。仮に拘束時間が増えたとしても料理に関することならばスキルアップにも繋げられる。
枝木さんはどの部活にも所属しなかった。いや、できなかったと言う方が正しい。
本来であれば彼女にもそういったことを楽しむ権利がある。しかしそれを行使するには枝木さんはあまりにも大人びていた。
その権利を奪ったのは僕だ。
申し訳なく思うのは何度目か。あの時僕がいなければ、とうだうだ考えてみても時計の針は戻らない。
「遥くん」
「……っ?はい」
「考え事?」
「いや…………はい、そんなところです」
隣を歩く彼女に目を覗き込まれる。そうしてやっと気づく程に、僕の思考は深まっていた。
僕と枝木さん、並んで帰路につく。孤児院までの道は僕が連れ立つことにしていた。
「私に両親がいないのは言ったよね」
「?はい……」
何故唐突にそんな質問をするのか、真意を測りかねる。
口を挟む暇も与えず彼女は綴った。
「私が小さい頃家が火事になっちゃってね、物心つく前に両親は亡くなって、それでこの痕もできたんだ」
自身の顔を指さす枝木さん。何故か、その表情から目を離せなかった。
「駆け落ち夫婦だったみたいで、親戚の人も頼れなくて。だから孤児院に預けられたんだ。……あっ、孤児院の人たちはみんないい人だよ?同じ孤児の子たちも優しいし」
視線が合う。合ったまま離せない。
「いきなりごめんね。こんな話して。でもなんでかな。遥くんには、知ってほしかったんだ」
何故、と疑問符は尽きない。だがそれが枝木さんの望みなら、甘んじて受け入れよう。
気づけば孤児院に到着していた。僕らは静寂の破り方を測るように、立ち止まっていた。
「じゃあね、また明日」
「はい。また明日」
それだけ言って、僕らは踵を返す。明日の献立は何にしようか。火照った頭の中でそんなことを考えながら僕は歩き出した。
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ある日のこと。枝木さんに弁当を食べてもらった後、教室に戻ると数人の男子グループが猥談を繰り広げていた。
枝木さんがここにいなくてよかった、と安心するも、低俗で下劣な会話は嫌でも耳に入ってくる。
やれ誰の胸がでかいだの誰の腰がエロいだの聞くに堪えない戯れ言を繰り返す男たち。女子が軒並み出払っていることをいいことに話はエスカレートしていく。
まあ、それ自体はいい。男子高校生ともなると性欲が嫌でも湧いてくる時期だ。僕にもそういったことに対する興味が無いわけではない。
だが問題はその話が枝木さんに飛び火することだ。もしそんなことにでもなったら、僕はきっと耐えられない。
「じゃあ佐藤さんはどうよ?」
「あー、佐藤枝木ちゃん?」
黙れ。それ以上囀るな。いくら頭の中で念じてみても男たちは会話をやめない。
「愛想はいいんだけどなー。なにせあの痕と腕じゃ──」
目の前が真っ赤に染まる。僕は拳を握り締め、飛びかかっていった。
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僕はバカだ。本当に彼女のことを思うなら波風立たないように振る舞うべきなのに。
言い渡された処分は一週間の自宅謹慎と反省文提出。まあ軽い方だ。
しかし一週間、僕は枝木さんに弁当を届けられなくなる。
彼女のことだから友人と学食で済ませるかもしれないが、いつも僕が作っていたことを考えるとやはり申し訳なく思う。
僕はバカだ。底無しの大バカ野郎だ。
「アナタがそこまで感情をあらわにするなんて珍しいわね。何があったの?」
「……」
母さんの質問には答えられなかった。(自分で言うのもあれだが)いつも優等生でいた僕がこんな事件を起こしたことを不思議がっているようだった。
「まあ、答えたくないならそれでいいわ」
母さんはそれだけ言って家を出て行く。両親は共働きだ。その合間の僅かな時間を縫って母さんは僕に歩み寄ってくれた。父さんは単身赴任なため、ここにはいない。
……枝木さんは、今回の件をどう思うだろうか。
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「よ、久しぶり。にしてもお前どうしたんだよ」
一週間ぶりに復学した僕を待っていたのは友人だった。
「……やっぱり、話題になってる?」
「おう。校外にまで知れ渡ってるらしいぜ?噂じゃ櫨乃美の狂犬なんて呼ばれてるだとか」
僕は頭を抱えた。こんな大事に彼女を巻き込みかけてしまって、本当に言葉もない。
とりあえずいつも通り席につくことにした。
……誰に何を言われようが特に何も思わない。だが、枝木さんに嫌われないか、それだけが不安で仕方なかった。
「おはよう!遥くん!」
「……おはようございます」
そんな不安を吹き飛ばすように彼女は笑って挨拶してくれた。噂が伝わってないわけでもないだろうに。彼女の器の大きさには感嘆させられるばかりだ。
こうして、紆余曲折ありながらも僕の高校生活一年目は終わった。
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新年を迎え、新学期に入る。
入学したてのあの頃とは違い、学校への最短ルートは熟知している。そして────
「おはようございます、枝木さん」
「うん。おはよう!」
僕たちは一緒に登校するようになっていた。示し合わせたわけでもなく、ただ自然な形で。
彼女は左腕だけの生活に慣れたようで、授業も滞りなく進めている。だからといって僕が補助をしないというわけではないが。
それからまた季節が巡り、時が過ぎ、僕たちは文系か理系かに分かれることとなった。が────
「遥くんはどっちにするの?」
「……そうですね」
現在、二人きりでの勉強会を学校近くの自習室で行っている。
彼女がどちらを選択するのか、それは彼女自身にしか決められない。仮に道を違えたとしても僕が口出しする権限は無い。
「やはり文系……ですかね」
「本当?私もそうなんだ」
……杞憂だったようだ。また先生に直談判でもするか?
僕はあの日、枝木さんの腕になると誓った。それは────いつまでなのだろうと、ふと考える。
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文化祭の出し物を考える時間がやってきた。僕は基本公序良俗に反していなければなんでもいいが、枝木さんは目を輝かせていた。
クラスメイトたちと考えた結果、お化け屋敷をやることになった。そこで驚いたことなのだが、櫨乃美の狂犬、などという異名を付けられた僕が主体になって賓客を驚かすことになったのだ。
「すごいじゃん。大役だね」
「……そうなんですが……」
僕としてはこの異名に苦い思い出がある。もうあんなことは起こさないと固く決めているが、噂というものは七十五日経っても消えるものではなかった。
まあ何はともあれ、任された以上責任は取る。僕にできる範囲で来客をもてなすことにしよう。
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「お疲れ~。はいこれスポドリ」
「ありがとうございます」
無事お客さんを怖がらせ終え、一区切りついた所で僕は休憩に入った。
スポーツドリンクの塩分が喉から染み渡っていく。被り物を付けていたこともあり体は水分を欲していた。
「ねえ遥くん」
「なんですか?」
彼女はにこやかに微笑みながら僕を見ている。改めてまじまじと見つめられると少し照れる部分もあった。
「楽しいね」
そう言うと、枝木さんは身を翻して彼女の友人の元へ駆けていった。
「…………」
この衝動は何だろうか。彼女の笑みを見てから、心臓が痛いくらいに高鳴っている。
それを誤魔化すようにスポーツドリンクを呷る。そろそろ文化祭も終わりを迎えようとしていた。
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高校生活二年目は特に何の問題も無く進んでいった。枝木さんと共に勉強会を開いている成果もあり、授業に楽々ついていけている。
料理部の方は月に一回活動があればいい方だ。年に数回程度しかない部活であるから、実質帰宅部とほぼ変わりない。
「ねえねえ遥くん」
「はい、どうかしましたか?」
いつも通り二人で勉強をしていると声をかけられた。いつも集中している彼女からすると珍しい。
「今度の休み、空いてる?」
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やけに緊張するのは、プライベートで彼女に会ったことがなかったからだろうか。
そういえば、だ。僕は枝木さんが普段何をして、何を好んでいるのかまるで知らない。付き合いは短くないが、それにしては未知の部分が多かった。
「ごめん、待った?」
「いや、僕も今来たところです」
お決まりのやりとりをしてから僕たちは足並みを揃えて歩き出す。果たして何処へ向かうのだろうか。
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電車とバスを乗り継ぎ向かった先は海だった。
「ね、綺麗でしょ?」
「はい……本当に……綺麗」
嘘偽りない本音だった。確かにこの光景は美しい。
「実はね、私、海に来たの今日が初めてなんだ」
まただ。彼女の声、視線、仕草、全てに心臓が反応する。苦しいくらいに。
「君と行きたかったんだ」
そう言って、眩しく笑う。
「…………」
いい加減、この昂りの正体も突き止めたいところだ。
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あっという間に高校生活二年目は終わり、将来に向けて指針を示す時が来た。
正直言って、僕に夢は無い。何になりたいだとか、何をしたいだとか、そんな目標さえ不明瞭だ。
……枝木さんは、どんな目標を持っている?
隻腕という立場上、未来は嫌でも狭まってくる。もしかしたら、彼女の夢を僕が奪っているのかもしれない。
その責任は取るつもりだ。しかしどうやって?
とりあえず大学には行くつもりだ。将来への明確なビジョンが無いのに行ってどうするつもりだとも考えたが、選択肢は広い方がいい。
勉強は問題ない。僕も枝木さんも校内上位に入っている。この調子を維持していけば合格も夢ではない。
「もぐもぐ……ごちそうさま、今日もおいしかったよ」
「そうですか。ならよかった」
屋上には僕らを除いて誰もいない。いつもならなんでもないような話をするが──
──今か?
「……貴方に、夢はありますか?」
その一歩は、決定的な罅を入れるかもしれない程に強い衝撃を孕んだ踏み込みだった。もしかするとこの関係が解消されるのではないか、との恐怖もあったが、聞かずにはいられなかった。
「夢?うーん、夢って程じゃないけど……やりたいことはあるかな」
「そうですか……。っ、すみません、急にこんな話して」
「?そうだ、遥くん。君に言っておきたいことがあるんだ」
彼女は改めて向き直る。つられて僕も襟を正した。
「私、遥くんが好き。友達としてもそうだけど、異性として」
「────え?」
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気分がいつまで経っても浮ついている。
枝木さんは僕が……恋愛的な意味で好き……とのこと。
あの日、どうやって帰ったかまるで覚えていない。気づけば家に着いていて、気づけば夕食を食べ布団に入っていた。
何故僕を?確かに付き合いはそれなりにあるが、僕のどこに惹かれたのかまるで分からない。
『答えは今じゃなくてもいい』と言ってもらえたが、いつまでも返答をしないのは道理に反する。その不義理は認められない。
なら、僕は枝木さんのことをどう思っている?
彼女のことを思う度鼓動は高鳴り、感情は昂る。彼女のことを思う度この衝動は息巻く。
それを恋と言うのなら、それが恋だと言うのなら、
僕は彼女に恋をしている。
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「ふう、結構形になってきたね」
「はい。後は細かい点を修正すれば完成かと」
夕暮れの日差しが僕らを紅く染めていく。
現在、僕と枝木さんは体育祭で使用するバックボード製作の総仕上げにかかっていた。
体育祭は文化祭に並ぶ大イベント。杜撰な造りは許されない。それなりに完成度は高まっている。後は細部を作り込めば完璧だ。
辺りには不自然なほど誰もいない。つまり──今がチャンスだ。
「枝木さん」
「なに?」
「……答えを、聞いてもらえますか」
「……うん。いいよ」
「僕は、貴方が好きです。友人として、もそうですが、貴方が恋愛的な意味で好きです。…………僕と、付き合ってください」
「──うん!」
枝木さんは笑う。ああ、やはり彼女には笑顔がよく似合う。
こうして、僕たちは正式にお付き合いをすることになった。
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とはいえ、何か明確に変わったというわけではない。
いつも通り一緒に登下校をして、昼食を食べて、話す。休みがあったら何処かへ出かける。
そうして季節を越え、時が過ぎて。僕らは卒業する時間を迎えていた。
「早かったね~。三年間」
「そうですね」
僕らは同じ大学に通うことになった。恋人だからという理由ではなく、純粋に進む道が重なっていることで。
僕はひとり暮らしをすることにした。少しでも自立をしたかったが故に。
これからバイトに学業に忙しくなる。それでも枝木さんの弁当は欠かさず作るつもりだ。
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「なんか、高校の時に戻ったみたいだね」
キャンパス内で弁当を食べさせていると、彼女は微笑みながらそんなことを言った。
確かに今も二人で勉強会を開いているし、こうして昼食も一緒に摂っている。あの頃とまるで変わらない日常だ。
バイトをしていることもあって多忙な日々が続くが、それにもだんだん慣れてきた。
「ねえねえ遥くん」
彼女がこう切り出すのは何か提案か頼み事がある時だ。僕にできることならなんでもするつもりだが、はてさて何を言われるのか。
「遥くんの部屋、行っていい?」
「……大したものはありませんよ」
「いいよ、それでも」
……女性を部屋に上げるのは初めてだ。なんとも言えない緊張感が走る。
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「お邪魔しま~す……」
「…………」
彼女を玄関に上げる時も、内心動揺と緊張で一杯一杯だった。
掃除はいつも以上に徹底したし、人に見せられないものも無い。だというのになんなんだろう、この背徳感は。
暇になったら映画館にでも行こうかとも思っていたが、存外に話が弾み気づけば夜になるまで会話は途切れなかった。
「高校の時さ」
「?」
「やりたいことがある、って言ったよね」
「ああ……そうですね」
ゆっくりと思い出す。あの時の記憶は中々消えていなかった。
「それはね遥くん。誰かを好きになることだったんだ」
「…………」
視線が絡みつく。どこか蠱惑的なソレに、僕は飲まれかけていた。
「遥くん」
「…………」
「いい?」
言葉は不要だった。彼女の火傷痕に手を添える。そして──
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「…………」
「…………」
今回ばかりは沈黙するほかなかった。
僕たちは一線を越えた。事が終わってから省みると、強烈に恥ずかしいことをしたと思う。
互いに貪り、愛の言葉を囁き合い──これ以上はやめておこう。
とにかく、僕たちの思いはより一層深いものとなった。それに間違いはない。
今日は大学が休日だ。しかしバイトがある。それまでには彼女を孤児院に帰さなければならないが──
……バレるだろうな。昨日の内に帰せなかったのだから。そこは申し訳なく思う。
「……合鍵、作っておきます」
「……うん」
頬を赤らめながら枕を抱く枝木さん。そういったところもまた愛おしく思った。
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「は……?」
「……いいですか、もう一度言います。落ち着いて聞いてください。──あなたの病名は、膵臓ガンです」
冷や水を被せられたように、頭の中が真っ白になる。
ガン。僕が、ガンになったと。そう言っているのかこの医師は。
基礎疾患は無いにも関わらず余命は一年。後は投薬治療や放射線治療などによってどれだけ寿命を伸ばせるか。そのレベルの問題だった。
初めに感じたのは、背中の痛みだった。すぐに治るだろうと思って放置していたが中々元通りにはならず、病院で検査をした。その結果が膵臓ガン。
最早手術で治せるものではないらしい。
……父さん、母さん。そして枝木さんの顔が過る。
混乱しきった頭の中で、どこか冷静に状況を飲み込んでいる自分がいた。
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「ごちそうさまでした。今日もおいしかったよ」
「……そうですか。なら、よかった」
「……遥くん、どうしたの?」
「え?」
「最近ずっと顔色悪いよ?何か悩み事でもあるの?私でよければ相談に乗るけど……」
いつか言わなければいけないことだと、分かっている。分かってはいても、彼女にそれを伝えるのはあまりにも残酷なことだと思って言えなかった。
生者必滅会者定離。出会いがあれば必ず別れが来る。だからって今じゃなくたっていいだろう。
そう、運命に唾を吐きたくもなるがこれが現実。覆せようのない絶対。
「…………聞いて、くれますか」
僕はとうとう口火を切った。
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父さんと母さんにも同様のことを伝えた。二人とも驚いてはいたが理解を示してくれた。
ただ、枝木さんは酷く動揺していた。
僕が死ぬ。その未来をどうしても受け入れられず、ただひたすらに涙を流して現実を拒絶していた。
ああ。僕は彼女を傷つけてばかりだ。右腕だけに飽き足らず心まで浸食させるとは。
必死に受験勉強を頑張って受かった大学は退学した。これ以上通っても意味が無いと判断したから。
僕の未来は、暗く閉ざされることになった。
「……母さん」
「なに?」
「……頼みがあるんだ」
僕はもうすぐ死ぬ。その前に、一つだけ頼みたいことがあった。
──────────────────────
私には好きな人がいる。
藤沢遥くん。大切な大切な、私の恋人。
今まで誰にも期待はしなかったし、何も求めなかった。右腕が無くなった時も仕方ないな、とどこか諦めの気持ちがあった。
勿論、私の周りにいる人たちはみんないい人だと思う。私にも分け隔てなく接してくれて、いつも感謝している。
だけど遥くんは違う。
私は遥くんが好き。だから、求めてしまった。彼との未来を欲してしまった。
そんなことも、現実は許してくれなかった。
遥くんは死んでしまう。
お父さんとお母さんが亡くなった時はまだ物心がついてなかったから、そこまで大きなショックは無かった。
でも遥くんは死んでしまう。
お願い。お願いだから神様、私から遥くんも奪わないで。
いくら願っても現実は変わらない。残酷な程に。
私は笑わなくなった。向ける相手がいなくなったから。
ご飯を食べなくなった。周囲を心配させているのは知っていても、どうしても食べる気にならなかった。だけど生きていく上で必要最低限の分は摂っている辺り、私はまだ死にきれていない。
「…………」
そしてとうとう、彼は死んだ。
病室内、亡骸を前に、私は泣き崩れた。どれだけ泣いても泣いても、胸の穴は広がるばかりで。
「アナタが佐藤枝木さんね」
「……あなたは……」
私はその人を知っていた。彼を庇って入院した時、一度謝罪に来た人。
──遥くんのお母さん。
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「え……?今、なんて……?」
「言った通りよ。アナタ、遥の右腕を移植する気はない?」
突拍子もない提案に私は久しく忘れていた困惑を取り戻した。
彼の右腕を、私に移植する。聞けば彼の体は奇跡的に右腕だけガンが転移していないようで、手続きを済ませばすぐにでも移せるらしい。
……確かに、そうすれば彼を忘れずにいられ──じゃなくて、
「で、でも……遥くんの気持ちは……」
「これは彼が頼んできたことよ、佐藤さん。遥はね、アナタに腕を移植してほしいと言ってきたの」
……そんなの、本当にいいの?
私は遥くんに何も返せてない。それなのに私だけがまた元に戻るなんて──
「それと、これ、渡しておくわね。遥の遺言書よ」
「ゆいごん……?」
手渡された一通の手紙。そこには簡素な文字がしたためられていた。
《こうして気持ちを伝えられるのはこれが最後になりそうなので、ここに書くことにします。
どうか、幸せになってください。それだけが僕の望みです。
そしてありがとうございました。僕は貴方と出遭えて、幸せでした。
その右腕は僕からの最後の贈り物です。どうか受け取ってください。
愛しています。 藤沢遥》
「つ、うぅ……っ」
枯れた筈の目から涙が溢れ出る。
──分かった。分かったよ遥くん。それが君の望みなら──
「……でも、本当にいいんですか?お母さん。息子さんの腕を私が受け取ってしまうなんて……」
「いいのよ。……私はね、遥にあまり構ってあげられなかった。だから最後の頼みくらいは聞いてあげたいの」
簡単に移植すると言っても、大変な手続きが必要になるだろう。私も手伝おうかと思ったけど──
「任せなさい。それをどうにかしてこその親ってものよ」
そう言われて、今度こそ私は閉口した。
──────────────────────
拒絶反応は勿論あった。だけどそれも彼のくれたものだと思うと愛おしく感じて。
やがてそれもなくなって。私は本当に独りになった。
でも、私は前を向くことにした。
これから先の旅路は私一人きり。誰に頼ることも、縋ることもできない。
それでも、いつかの笑顔を取り戻せるように。
私は歩く。歩き続ける。
空を見上げると、あの頃の色が宙を染め上げていた。
ねえ、遥くん。君は今も、私の腕だよ。