〈ラタトスク〉の創設者であるウッドマン、それにカレンの二人は、DEMの発足メンバーでもあった。そしてこの二人にウェストコットとエレンを加えた四人は、原初の精霊の出現にも関わっていた。それは思いもしない、想像を遥かに超える話であった。
ただ、個人的にはそれよりも、カレンがエレンの妹であった事…エレンに妹がいたという事の方が侑理にとっては衝撃的であった為、そちらにばかり意識が向いてしまっていた。
「全く…侑理のエレンへの執心具合は困ったもんです」
「うぅ、ごめんなさい……」
「大丈夫ですよ〜、侑理さん。私もカレンさんがエレンさんの妹だと分かった瞬間から、姉妹丼の想像が捗って仕方ありませんでしたからー」
「あの、それと一緒にされるのは流石に嫌なんですけど……」
申し訳ないと思いつつ、侑理は皆の輪の中に戻る。そうして一拍の間を置き…話は、戻る。
「では、続けようか。……本条二亜の言う通り、私はDEMの発足メンバーだ。最初は、ウェストコット達と同様に、精霊の力を利用する事を考えていた」
妙な緩さのある状態だった雰囲気が、ウッドマンの言葉で一気に引き締まる。元々は精霊を利用するつもりだったという発言で、士道や精霊達はぴくりと肩を震わせる。
精霊ではない侑理にとっても、それは動揺を抱かせるような発言。であれば、侑理以上に強い動揺を皆が抱いている事など、想像に難くない。
「だが──実際、原初の精霊を目の当たりにした時、私は……変わってしまった。それまでの目的を捨て、DEMを出奔し、〈ラタトスク〉という組織を作って、精霊の保護に自分の人生を使う事を決意した。──嘗ての同志に背を向けてでもね」
何故?…ウッドマンの言葉に、士道は問う。誰もがその理由、訳を知ろうと、ウッドマンを見つめる。そしてその視線の中で……彼は言った。──恋を、してしまったと。
「初めて原初の精霊と見えた瞬間、私は彼女に心を奪われてしまった。どうしようもない位に、彼女に焦がれてしまった。──彼女の力を奪い取ろうとしていた自分が、許せなくなってしまった」
だから、彼女と同じ存在である精霊が、辛い思いをしているのが耐えられないと、馬鹿げた理由に思えるかもしれないが、それが全てなのだと、ウッドマンは言い切った。…それも、少年が夢を…或いはそれこそ恋を語るように、その言葉に熱を乗せて。
彼の語りに、全員が沈黙していた。あまりに予想外の理由過ぎて、すぐには整理が付かなかった。ただ、その沈黙の中で、士道は再び肩を震わせ…ゆっくりと、首を横に振る。ウッドマンへ向けて、一歩踏み出す。
「馬鹿げてなんて……いません。むしろ、なんていうか……俺は、貴方が、〈ラタトスク〉を作った人が、そういう人で良かったと思ってます」
「……ありがとう。君は優しいね。私も……霊力を封じる力を持っていたのが、君の様な少年であった事を嬉しく思うよ」
真摯な眼差しで見つめる士道に、ウッドマンは頬を緩める。…侑理の目には、どこか、二人の間には通じ合っているものがあるようにも見えた。
「──では、貴方は一体、何故そんな彼に付いてDEMを離れたの?」
数瞬の間を置いて、今度は折紙がカレンに問う。ウッドマンの理由は分かった。しかしカレンの理由が明らかになっていない以上、カレンもまたDEMの発足メンバーの一人である以上、問い質すのは当然の事。そして、問われたカレンは一切動じる事なく…答える。
「私は、エリオットに惚れていますので」
惚れているから。ウッドマンに負けず劣らずの…いや、ある意味で同系統なその理由に、再び侑理達は仰天した。士道などは咳き込んでいた。
「そ、そうなんですか……?でも、ウッドマンさんはその原初の精霊に……」
「相手に想い人がいるからといって諦めねばならない道理はありません。もしも彼が心変わりをした時、側にいなければ選ばれようがないではありませんか」
(せ、精神が強過ぎる……)
好きな相手に、好きな人がいてもそれは諦める理由にはならない。それは理解出来る事だし、侑理も同じ立場になったら、きっとすぐには諦められないだろうと思いはした。だがカレンの言葉には悲壮な決心も、諦められないのだという切なくも激しい思いも感じられない。カレンはさも当然の事、当たり前の事のように言い切っているのであり…メンタル激強と言う他なかった。
……というのは、なんとまだ序の口の事。ここからカレンは生殖行為が可能な内に胤を頂きたいだとか、彼の血を後世に残さないのは世界の損失だとか、物凄い事を言っていた。恋は盲目と言うが、これはもうそういう次元ではない感じであり……侑理達が変な圧倒をされる中、不意に、無言で折紙はカレンの下へ歩み寄る。そして、すっと片手を差し出す。
「──深く理解した。貴女の気高い決意に、賞賛と喝采を」
「こちらこそ、感謝を。私の考えに賛同を示してくれたのは貴女が三人目です」
カレンがその手に応え、二人は固く握手を交わす。…なんだか、これまた凄い事になっていた。というか、雰囲気といいスタンスといい、折紙とカレンは凄く似ているような気がする。だとすれば、この光景はある種必然なのかもしれない。……後、折紙の他に二人も賛同を示していたらしいが…それについては、誰も訊かなかった。
「…けどまぁ、賛同まではしねーにしても、そこまで自分を貫けるってのは、天晴れなもんでいやがります」
「それはうちも思う…かな。好きをとことん諦めないのって、きっと凄い事だから」
「えっ、
『いやいやいや……』
流石に同じ領域ではない、と七罪の言葉に侑理と真那は手を横に振って否定する。
と、気付けば再び緩くなっていた雰囲気。そんな中で、ウッドマンは掛けている眼鏡の位置を直し、続いて士道の方を見やる。
「すまないが、五河士道。──顔を、よく見せてはくれないかな。最近、視力の衰えが激しくてね」
頼まれた士道は、何の気なしに…といった様子でウッドマンの方へと寄る。その士道の顔をまじまじと見つめたウッドマンさんは、今一度真剣な面持ちになり…小さく呟く。
「……成る程。やはり、似ているな。──あの時の少年に」
「え?…あの時のって、一体──」
侑理の耳には微かに聞こえるかどうか位の、小声の言葉。それに士道は困惑したような声を出し、続けてその言葉の意味を問おうとした。だが、続く言葉が士道の口から出てくる事はなかった。──正にその瞬間、激しい震動が巻き起こった事で。
「つぁ……ッ!?」
「な……ッ!?」
強い地震…或いは何らかの爆発を思わせる衝撃に、侑理も真那も、全員が驚く。部屋全体が揺れ、棚の本が次々と落ちる。
時間にすれば、それは数秒の震動。収まると同時に士道が大丈夫かと声を上げ、真っ先に十香が言葉を返す。一体何事なのかと、答えながら周囲を見回し…次に聞こえてきたのは、怯えたような四糸乃の声。
「まさか……六喰さん……ですか?」
「えぇッ、ここに隕石を落とされちゃったって事ー?」
ガーン!…という擬音が頭上に浮かび上がっていそうなリアクションを取りながら、四糸乃に続いてよしのんも言う。ある意味で自問自答なそのやり取りは、しかし真っ先に可能性として浮かび上がるものであり…されどそれに対し、琴里は懐疑的な反応を見せる。更にその直後、壁に備え付けられたスピーカーから声が響く。
「ウッドマン卿!緊急事態です!」
「落ち着き給え。一体何があったのだね」
「し──襲撃です!基地上空に空中艦の反応を確認!これは……DEMです!」
焦燥の色合いを帯びた声が、ノイズ混じりで聞こえてくる。その内容に、誰もが驚き息を呑む。
「嘘でしょ…!?この基地が見つかるなんて……」
誰よりも狼狽していたのは琴里。それは恐らく、彼女が侑理達とは違いこの基地の秘匿性をよく知っているからこその反応であり…次の瞬間、はっとした表情に変わった琴里は言う。──〈
「……多分そうね。目一杯検索の邪魔はしといたけど、それはあくまで時間稼ぎだし。ジャミング掛ける前に調べられていた事に関してはどうにもならないしね」
「く……やってくれるじゃないの。わざわざこの場所を調べて襲撃してきたって事は、敵の目的は改修を終えた〈フラクシナス〉か──」
二亜の言葉を受け、可能性を口にした琴里は、途中で一度言葉を区切る。そこから視線をウッドマン…間違いなく〈ラタトスク〉の中核であろう彼へと向け、ウッドマンもまた、分かっているとばかりに無言で頷く。
「──とにかく、行動に移ろう。この場所が相手に知られた以上、ただ座しているのは死を待つようなものだ。五河司令、君は精霊達を連れて〈フラクシナス〉へ急いでくれ。そして、一刻も早く〈ゾディアック〉のところへ」
きっと彼女を救ってくれ。そう締め括り、ウッドマンからの指示は終わる。琴里はそれに、必ずやと返し…しかしウッドマン自身はどうするのかと問う。その問いに対し、この施設をそのまま押さえられてしまわないよう『後始末』をした上でカレンと共に別ルートで脱出する事、共に逃げるのではどうしても自分が…車椅子の老人が足手纏いになってしまうだろうという事をウッドマンは返すも、琴里は「ですが!」と食い下がる。
司令としてはいつも自信満々、何ならちょっと傲慢不遜でもある琴里らしからぬ、心配を前面に出した反応。それはきっと、ウッドマンに対する敬意と信頼の裏返し。考えてみれば…否、考えるまでもなく、琴里はまだ中学生に過ぎない身でありながら大人に囲まれた状態で重責を背負い、更に小さい頃から司令官となるべく訓練を受けてきた少女。どう考えても、まともな少女なら耐え切れる筈がなく…そして琴里は、まともさを失ってしまっている訳でもない。だからきっと、そんな琴里を支えてくれていたのは、導いてくれていたのが、彼…ウッドマンなのだろう。
「ウッドマン卿、貴方は〈ラタトスク〉になくてはならない方です!もし同行して頂けないというのなら……せめて、真那と侑理を護衛に付けさせて下さい!二人の実力は申し分ありませんし、二人なら出航後の〈フラクシナス〉にも十分追い付いてこられる筈です!」
言い切ってから、琴里はちらりと侑理達を見る。その瞳に、侑理も真那も頷いて返す。確認もなしに名前を挙げられた形ではあるが…琴里の思いは十分に伝わってきている。その上で不合理な事を言っている訳でもないのだから、侑理に拒否する理由はない。…だが、ウッドマンは首を横に振る。
「いいや。──侑理。崇宮真那。君達二人は、彼の側にいるべきだ」
「それは、どうして……」
「折角の別ルートも、人数が多くては発見され易くなるものだ。加えて彼女達の実力を疑うつもりはないが…多くのCR-ユニットと同様、〈ヴァナルガンド〉と〈ヨルムンガンド〉も屋外戦闘を主眼に置いて開発されている。ここのように閉所且つ、動きの鈍い護衛対象がいる状況では、彼女達こそ大きな危険に晒されかねないのだよ」
じっと…先程士道に顔を近付けた時と同じような面持ちで侑理と真那を見つめたウッドマンは、琴里に視線を戻して答える。それは理路整然とした返答であり……黙り込んだ琴里を、安心させるように更に言う。
「大丈夫。脱出ルートは確保してあるから心配は要らないさ。この首、そう易々とくれてやるつもりもない。死ぬ時は、愛する女の腕に抱かれながらと決めているんだ」
その言葉と共に、冗談めかしてウッドマンはウインク。言い方こそ軽いものの、彼の言葉には強い意思が込められており…その直後、カレンが「私の腕ならいつでも空いていますが」と純度100%の真顔で言っていた。それに対する答えとしては、優秀な君を死出の旅の供にする訳にはいかない、だから一層死なないというものだったのだが、言われたカレンは優秀という評価に喜んでいるような、共に死ぬ事を拒否された事を悲しんでいるような、上手く言葉に出来ない面持ちをしていた。
「行ってくれ、五河司令。──武運を祈る」
「……、了解しました。どうかご無事で、卿」
逡巡と躊躇いの末、琴里は敬礼と共に応える。くるりと振り向き、〈フラクシナス〉の司令官としての表情と言葉を見せる。…ただ、その手は、強く握られた拳だけは震えていて……
「──琴里さん」
「何かし……えっ、ちょっ、何!?」
そんな琴里の肩を、真那は後ろから叩いていた。叩かれた琴里は当然ぎょっとしており…されどそれが真那からのエールだと、この状況でも精霊達を不安がらせないよう『司令官』として振る舞う琴里への闘魂注入的なものだと理解したのか、肩を竦め…それから笑った。
そうして士道と琴里を先頭に、扉を開き外へと出ていく。出る前に士道が頭を下げていたのに倣い、侑理もウッドマンとカレンへと頭を下げたのだが…頭を上げ、走り出そうとした刹那。その時見えた二人は、どこか遠くを、ここではない何かを見ているような面持ちだった。
「もう大分戦闘が広がっていやがりますね…私も前に出ます、侑理は後方を」
「任せて!」
断続的に聞こえる、銃撃や爆発の音。時折身体に響く振動。侑理は真那の言葉に答え、最後尾へ移ると共にCR-ユニットを展開。続けて
別行動となったウッドマン達の事も気になるが、まずは自分達が成すべき事を成す。その思いで廊下を駆けていく侑理達だったが、ある時不意に進行方向の壁が爆ぜる。
『……ッ!』
砕けた破片が飛び散り煙が巻き起こる中、侑理は更なる崩壊を警戒。幸い連鎖的に崩れるという事態にはならなかったが…その煙の奥から、爆ぜた壁の向こう側から、逆関節の無人兵器が姿を現す。
「……〈バンダースナッチ〉!」
先頭に立つ士道の声。その声に反応するように、DEMの兵器〈バンダースナッチ〉はゆらりと頭部をこちらに向ける。その中心の単眼が、こちらを見据える。
反射的に、侑理は横に跳んで射線を確保しつつ〈オルムススケイル〉の銃口を向ける。しかし侑理がトリガーを引こうとした時にはもう、別方向からの光線が…折紙の天使、〈
「あ、ありがとう、折紙」
「流石、瞬時の判断力と冷静さはピカイチでいやがりますね」
士道と真那、二人の言葉に折紙は頷く。士道からの感謝だからか、折紙の背からはそこはかとなく得意気な雰囲気が漂っていた。
しかし、安堵などしていられない。ここに〈バンダースナッチ〉が侵入しているというのなら、まだ近くに別の機体が…或いはDEMの
それを士道も分かっているのか、彼は急ごうと言った。恐らく時間がない、とも言おうとした。だが聞こえたのは、時間が、という声までしか聞こえなかった。その士道が、口を閉ざした事で。そして、まるで発言権を奪ったかのように…別の声が響いてきた事で。
「──おや、これはこれは。まさか君達までいるとはね」
「な……!?」
聞こえたその声に引き寄せられるように、侑理は視線を前方へと送る。先の壁の炸裂により発生した、今もまだ残る白煙…その奥から、〈バンダースナッチ〉とは別の、三つの影が現れる。
内二つはCR-ユニットを纏った
「ウェストコット!?」
叫びを上げた士道の声に、空気が一層緊迫する。警戒と驚き、それ等二つが混ざり合う。
理由は当然、相手がDEMのトップである為。相手陣営の総大将が目の前に現れれば警戒しない筈がなく…そんな相手と、戦場となった場所で遭遇するという事自体も、驚くには十分過ぎる事態だった。
(どうして、ウェストコットさんが直接ここに……)
年末の一件でもウェストコットは直接現れた訳だが、その際は
しかし今は、理由を考えている場合ではない。それを示すように、再び濃密な霊力の砲撃が放たれる。躊躇いを微塵も感じさせないその一撃は、真っ直ぐにウェストコットへと伸び…されど直撃の寸前で、彼の前に古びた紙の様な、本のページの様な物が現れ、放たれた光芒を…折紙の攻撃を受け止め静かに消滅。
「素晴らしい。迷いのない、そして正確な一撃だ。だが、残念だな。今の私には、限定された天使の力程度では傷を付けられない」
容易く塞がれた事に折紙が舌打ちする中、余裕に満ちた様子でウェストコットは頷き、賛辞を送る。その上で、折紙の攻撃を力不足だと断じ…片腕を掲げる。直後、周囲の空間が歪むように、虚空から闇が生まれるように、禍々しい色合いの霊力が渦巻き……本の形をした魔王が、〈
「……ッ!折紙さん!」
「十香さん!」
「……!」
「応ッ!」
その瞬間、ウェストコットが全知の魔王を…臨戦態勢を見せた瞬間、侑理と真那は殆ど同時に叫んだ。叫ぶと同時に侑理は〈オルムスファング〉を跳ね上げトリガーを引き、真那はスラスターを噴かして床を蹴った。
〈オルムスファング〉の銃口から、フルオートの魔力弾をウェストコットへ向けて叩き込む。折紙も自身の周囲に〈
無論、闇雲に撃っている訳ではない。そうではなく、侑理が折紙と共に行っているのはウェストコットの足止め。彼に防御をさせる事、他の行動を取らせない事が目的であり…その間に、真那と十香がウェストコットの護衛であろう
「ナイスよ四人共!四糸乃は氷で
次に飛んだのは琴里の指示。まだ立っているウェストコットだけではなく、
ウェストコットが従えているのは魔王。その言葉通り、十全の力を発揮出来ない精霊が真正面から立ち向かうのは間違いなく無謀。だからこそ、侑理達は数で対抗する。卑怯だとしても、出来る事をするのが最善というもの。
(どうしてエレンさんがいないのかは分からないけど、別で動いているなら尚更一気に……!)
琴里からの指示を受け、四糸乃達が動く。これはエレン一人の参戦で崩れてしまうような状況。だからこそ出し惜しみなく、このまま琴里の言う通り封殺を…そう、思った時だった。
「ふっ…精霊、
「ふざけるな、逃がすと思うか!」
「はは、そんなつもりは毛頭ないよ。君達を放置していたら、何かと厄介そうだしね」
集中砲火に烈風と衝撃波が加わり、いよいよ本のページがウェストコットの全身を覆う事で彼の姿が見えなくなる。
その防壁の向こう側から聞こえる、ウェストコットの声。そこには依然としてまだ余裕があり…同時に何かを感じさせる。今、何かをしようとしている事が伝わってくる。
「くっ、だったらもっと……!」
〈オルムススケイル〉のトリガーも引き、更に火力を集中させる。十字砲火でウェストコットの姿が見えなくなっているのは悪手だったかもしれない…そんな思考を今は無駄なものだと振り払い、防御に専念しなければいけない状況を作ろうとする。──だが。
「さぁ、君の力を見せてくれ。〈
「……ッ、十香!」
まるで呪文を唱えるような声が聞こえた直後、士道は叫んでいた。理由は分からない。ただ士道は、何かを感じ取ったかのように叫びを上げ……その直後、いつでもウェストコットに斬り込めるよう構えていた十香の足下に空間が歪み、床が変質したかの如く巨大な本が現れる。
「な──」
恐らくそれが危険なものであると、十香は本能的に理解したのだろう。即座に本から逃れようとするが…時既に遅し。十香が飛び退こうとする動きより早く、本は大きく開けた口で喰らい付くかのようにその身を閉じ……飲み込まれた十香の姿が消える。
再び士道が叫ぶ、十香の名前。だが、それに答える声はない。同時に士道は床を蹴り、手を伸ばしていたが…士道の手が触れる寸前に、閉じた本は宙を舞うページと同じように消えてしまう。
「一体、何が……、──ッ!」
明らかにただの攻撃ではないそれに、一瞬意識を引き寄せられる侑理。されど次の瞬間、
その動きを取ったのと、周囲から動揺混じりの悲鳴が聞こえたのはほぼ同時。気付けば十香を消し去ったのと同様の本が琴里達の周囲にも、更には侑理が一瞬前までいた場所の真下にも現れ、先程と同じように精霊達を飲み込んでいく。
「く……!」
「ち──〈
「こんな、事で……ッ!」
音を立てて、本が閉じていく。一冊、また一冊と閉じられていき、その度に精霊達の姿が消えていく。間一髪、精霊達と同様本に襲われていた真那は身を捩るような後方宙返りで躱していたものの、安堵など出来ない。侑理の背後にも再び本が現れ、迫ってくる。
「皆!逃げ──」
三度士道は叫ぶ。されどその声が発されている間にも、精霊達は飲み込まれる。無慈悲に、一方的に、精霊の姿は消失していき……残ったのは、置き去りにされた彼女等の声だけ。
「くそ……ッ!てめぇ、皆をどこにやった!」
「はは。そう鼻息を荒くしなくても大丈夫だよ。──すぐに、会える」
最早攻撃出来る状況ではなくなった事で、ウェストコットが防壁を解く中、愕然としていた士道は激しい敵意を帯びた怒号を上げる。対するウェストコットは変わらずの余裕に満ちた面持ちを見せ……また一つ、巨大な本が出現する。
「……!?う、うわぁ!?」
「君達は、エリオットの後に相手をしてあげよう。それまでは、惑っているといい。──幻想の、世界の中で」
「──!兄様!」
「士道にぃ!」
新たに現れた本、その出現地点は士道の真下。やはり訓練や戦場での経験が足りないからか、士道は現れた本に対して回避行動を取る事も出来ず…ほんの一瞬の内に、巨大な本は勢い良く閉じる。
侑理も真那も、既に飛んでいた。考えるより先に、士道を助けようと飛び込んでいた。されど、十香を救う事が出来なかった士道の様に、侑理達の手が届く事もなく……目の前で、後ほんの少しの距離で、閉じた本は虚空に消える。もう、士道の姿も、精霊達の姿もなく……残ったのは、侑理と真那だけだった。