デート・ア・ライブ DEAR EL MANA   作:シモツキ

121 / 121
第百二十一話 至福の休息

 食欲、睡眠欲、性欲…この三つを指して、人は三大欲求と呼ぶ。その三つが完全に同格、同じ割合で重要かといえばそうでもなく、そもそもこの三つが生きる上で最も必要な要素なのかといえば、人によって多少答えは変わってくるだろうが、何れにせよ根源的な、多かれ少なかれ誰しも持つであろう欲求である事は間違いない。

 しかし、侑理はこうも思う。異議を唱える…とまでは言わないが、この三大欲求に追い縋る形で、まだ挙げなければいけない欲求があるだろうと。それをなくして、人の生活、営みとは切っても切れない関係にある『欲』を語る事は出来ないだろうと言いたい事がある。そう──入浴もまた、重要な欲求である筈だと。

 

『はふぅ……』

 

 侑理と真那、二人の吐息が同時に漏れる。その吐息と共に、身体の中に溜まっていた疲労が排出されていく……訳ないのだが、そんな気分になる。

 今、侑理達がいるのは、〈フラクシナス〉にある大浴場。しかし勿論、ただのお風呂という訳ではない。

 

「いやほんと、凄いねこれ……」

「全くです…まさかここまで心地良いとは……」

 

 身体に染み込んでいくような温かさと気持ち良さに、侑理はゆっくりと首を揺らす。普段はあまり入浴を好まない(別に入らない訳ではなく、ちゃんと毎日入っているが)真那も、今は表情を緩ませている。本当に、身体から疲労や不調が抜け出て、代わりにエネルギーが入り込んでいくような感覚であり……だがそれもその筈、この湯は顕現装置(リアライザ)で生成された魔力を浴びている、正真正銘『回復』効果のあるお風呂なのだ。温泉ではよく効能が書かれていたりするが、これはその大概を網羅した上で、段違いの効き目と即効性を有しているらしいのだ。まあ、流石に大怪我までは治せないらしく、そういうレベルの治療を行いたい場合は従来の治療ポットを使う必要があるのだが、お風呂という形である為に、とにかくこちらは入っているだけで気持ち良い。精神的にも回復出来るというのは、治療ポットにはない大きなメリットと言えるだろう。

 

「しかし、お湯に魔力を帯びさせるとは、よく考えたものでいやがりますねぇ…開発者は、温泉好きだったりしやがるんでしょうか…」

「かもねぇ…あ、なんか肌ツヤも良くなってる気がする。真那も普段以上に綺麗に…いや、上限突破して綺麗に見えるよっ」

 

 普段から上限に到達しているのだから、と侑理が訂正すると、真那ははいはい、とのんびりした様子で返してくる。本当に今の真那はほっこりとしており…可愛いったらありゃしないのだ。

 やはり、入浴も人が生きる上で大切なのだ。気持ち良いという精神的効果は勿論だが、身体の清潔さを保つというのも、食事や睡眠程生命に直結する訳ではないにしろ、健康の為には必要なのだ。だからここは一つ、入『浴』ではなく入『欲』と呼ぼう…なんて考えたところで、侑理は気が付いた。気分だけではなく、思考までだいぶ緩んでしまっているな、と。

 しかしそれも、この入浴という形での疲労回復が果たされ、癒されているからこそ。休める時にしっかり休むのは大切な事であり……

 

「士道、背中にする?胸元にする?それとも、下・半・身?」

「わぁ、折紙さんなら大胆…それなら私は、お尻の辺りを柔軟に洗ってあげますねー♪」

「ひぃっ!ちょっ、だ、誰か助け──」

「あっはっは、美少女サンドイッチ状態だねぇ少年。それじゃあ私はどこを狙……もとい、洗ってあげようかなー?」

「んなっ…だ、大丈夫だシドー!私はちゃんと洗ってやるぞ!」

「挟撃。この乱戦の中で夕弦達が的確に士道を癒すのに必要な事は一つです」

「いや、あの、皆流石にちょっとは恥じらいとかそういう……あぁもう、八舞が負けて堪るかー!」

「なぁこれ違うよな!?洗ってあげるって、こんな凄まじい勢いで揉みくちゃにされる事じゃないよなぁぁぁぁああああッ!?」

 

……さっきからずっと、ずーっと騒がしい向こうの事は、極力考えないようにしていた。

 

「全く……これじゃあおちおち休んでいられないわね」

「士道さん、大丈夫でしょうか……」

「大丈夫でしょ、モッテモテである事は間違いなんだから。というか、あんなところに入っていきたくない……」

「ふふふ、皆が疲れたところで、へろへろになった士道くんを介抱してあげる…そういう事だね、七罪ちゃん?」

「そ、そんな事狙ってないんだけど……!?」

 

 ちゃぽちゃぽ、という音が聞こえてきたのに続いて、琴里、四糸乃、七罪の三人が侑理と真那のところへやってくる。三人の言葉に、侑理は肩を竦めつつ苦笑いをする。

 当初、侑理、真那、折紙の三人と士道は、協議の末一緒に入りはするものの、お互い距離を取った状態で背を向けて入浴しようという事になっていた。なってはいたものの、いつの間にか折紙の姿が見えなくなり、気付けば潜水から士道へとアタックを仕掛けていた。しかもそこへ、琴里を除けば全員既に入っていた筈の精霊達も現れ…結果、あのカオスである。背を向けている為どんな感じになっているかは分からないが、少なくともゆっくりのんびりとはかけ離れた状態になっている事は間違いないだろう。

 

「というか、折紙さんはどうしてあんなに元気なんでいやがりますかね…初使用のCR-ユニットでアルテミシアと一戦交えて、その後も私達と飛び回っていた筈でいやがるんですが……」

「多分、理屈じゃないんだろうね…というか、琴里は士道にぃを助けなくていいの?」

「いや、七罪じゃないけどあのとんでもない場には入っていきたくないというか、何とか出来る気がしないし…。…ところで二人共…その、水着じゃなくて良かったの…?」

「それは勿論。兄妹が一緒にお風呂に入る、それは普通の事でいやがりますから」

「うちも、まぁ…折角のお風呂なのに、水着なのは嫌かなー…って」

 

 そう。琴里達は今、水着を着ている。琴里は赤のビキニ、四糸乃とよしのんは青のワンピース、そして七罪は囚人服(といっても現代では使われていないらしいが)の様な縞々水着を着て湯に入っている。一方で士道を取り合い…もとい、洗ってあげようとしている向こうの面々の内、十香と八舞姉妹はここに来た時点の侑理や真那と同様、バスタオルを一枚巻いただけの姿(湯船に入る際は外していた)であり…折紙、美九、二亜の三人は、初めから躊躇いゼロの全裸だった。

 

「でも、皆でこうやってお風呂に入るのって、なんか良いよね。いつか、温泉も行きたいなー」

「皆で温泉…わ、私は遠慮しておくわ……。私なんかが入ったら、水質が汚染されて営業困難にしそうだし……」

「相変わらず発想が凄いわね…水質汚染させられるとか、最早一種の超能力じゃない……」

「いや、だって、毒とヘドロと廃棄物を混ぜ合わせたようなのが私──」

「七罪さん、私は皆さんと…七罪さんと、温泉に行きたいです。きっと、七罪さんと行ったら……楽しい、です」

「はぅっ……」

 

 魔力を帯びたお湯の癒しすらも通用しない、七罪のネガティヴ思考。そのまま七罪はフェードアウトするかのように、少しずつ湯の中に沈んでいく……と思いきや、その手を四糸乃がきゅっと握った。右手とよしのんの手でしっかりと握り、じっと見つめて自身の思いを伝えていた。その言葉と思いで七罪が浄化されたのは、言うまでもない。

 

「はは…まあでもほんと、今回もお疲れ様。……悪いわね。二人の身体を気遣うような事を言っておきながら、何かあれば毎度当たり前のように当てにしちゃって」

「何言ってるの、琴里。うち等は頼まれたから力を貸してるんじゃなくて、うち等も士道にぃを、皆を守りたいから自分に出来る事をしているだけ。そうでしょ?真那」

「えぇ、侑理の言う通りです。…だからこそ、情けねーです。近くにいたのに、兄様を守る事も、墜ちるのを食い止める事も出来なかった自分が」

 

 気に病む必要はない、と侑理は言い、真那は同意を求める。侑理の言葉に真那は頷き…されど表情を曇らせて、ゆっくりと首を横に振る。

 

「いや、でも…それは仕方ない事だったでしょ?位置的に、攻撃を防ぐのは難しかっただろうし、落下の最中もあんな数のデブリがあったら追い付く事なんて……」

「侑理の言う通りよ。真那の行動に過失があったとは思えないし、海に落ちた士道を見つけたのは貴女じゃない」

「そう言ってくれるのはありがてーですが、そういう事じゃねーんです。確かに兄様は、難を乗り越えてここにいます。けど、それは結果論であって、アルテミシアの攻撃から六喰さんを庇った時も、大気圏内に落ちた時も、そこで命を落としていた可能性はある筈です。そうならねー為に私はいるっていうのに、これじゃあ何の為に真那は……」

 

 結果はあくまで結果でしかないと、真那は俯き水面を見つめる。湯の中からゆっくりと手を出し、握り締める。その手はまるで、不甲斐なさが滲むかのように微かに震えていて……

 

「──そんな事、あるもんかよ!」

 

 その時だった。背後から大きな水音が聞こえ、それと共に士道の声が…芯のある声が、大浴場へと響いたのは。

 

「そんな事、あるもんか。そもそもの話として、六喰を庇ったのは俺の判断だ。だから撃たれたのも俺の自業自得に過ぎねぇし…真那は、俺を助けようと必死になってくれてたじゃねぇか。あの時俺は、〈氷結傀儡(サドキエル)〉の氷壁と〈颶風騎士(ラファエル)〉の風で身を守るのに必死で、周りの事なんて全然分からなかったけど、真那の声は聞こえてた。真那が呼び掛けてくれてなきゃ、もっと早くに気絶して、天使での防護も出来ていなかったかもしれない。だから、俺が大気圏で燃え尽きずに済んだのは、きっと真那のおかげなんだよ」

「…兄様……」

「だからさ、何の為に…なんて言うなよ。真那はこれまでも、今回も、俺の事を助けてくれてるし……そうでなくたって、俺達は兄妹だろ?だから、いいんだよ。兄妹に、家族に、必要も不要も…あるもんか」

 

 士道は語った。はっきりとした声で、確かに真那は助けてくれていたのだと言い…穏やかな声で、その思いを締め括った。

 別段士道は、特別な事を言った訳ではない。されどそれでいい、それが良いのだろうと、侑理は思った。きっと、士道が求めているのは、大切にしているのは、力でも価値でもなく、ただの『兄妹』である事。真那に対してだけではなく、精霊達に対しても…恐らくは侑理に対しても、一人の人として見てくれている。思ってくれている。そんな士道の言葉だからこそ…伝わってくる、ものがある。

 

「…だってさ、真那。士道にぃはああ言ってるけど…まだ、納得出来ない?」

「…そんなの…ある訳ねーじゃねーですか。兄様が、私を思ってくれている。他でもない兄様が、そう言ってくれる。それなのに、一人でうじうじしてるなんて…私らしくねーってもんですから」

 

 自分もまだまだだな、とばかりに真那は肩を竦め、それから口角を上げる。

 やはり心底慕われている兄と言うべきか、士道の言葉はてきめんだった。真那の表情に明るさが戻った事は嬉しい反面、少しだけジェラシーも抱き、その上で「やっぱり士道にぃは流石だなぁ…」と尊敬の念も同時に抱いた。そして真那は、自信を気に掛けてくれていた士道へと振り向き、つられるように侑理もまた湯船の中で反転し……

 

『──あ』

 

 この時、侑理は……否、真那や士道も忘れていた。何なら精霊達も失念していた。士道が、立ち上がっていた事に。上半身は勿論、腰回りもお湯の中から出ていた事に。その結果、大浴場は一瞬にして静寂に包まれ……ある存在が、侑理の記憶に焼き付いてしまうのだった。

 

 

*

 

 

 翌日、侑理と真那は六喰攻略の為のデートを支援…というより、有事に備えた戦力として待機するべく、再び〈フラクシナス〉の艦橋へと訪れた。

 魔力を帯びた湯のおかげで、今日の侑理は絶好調。こんな疲労回復の手段があるなら、普段の入浴でも随意領域(テリトリー)を展開し、湯に魔力を流し込んで同様の効果を得られないか試してみたい…割と本気でそう思う位には、身体の調子が整っていた。…まあ、現実的に言えば、随意領域(テリトリー)の展開もその運用も脳に負荷が掛かる上、全裸…即ちワイヤリングスーツなしでやろうとすると更に負荷が増大する為、休む為に脳を酷使するという本末転倒な結果になってしまうだけなのだが。

 

「士道?聞いてるの?」

「……!あ、ああ、ごめん。勿論だ」

「あのねぇ……もっとしゃんとして頂戴。今日の相手が誰か分かってるの?」

 

 現在環境には司令官の琴里を始めいつものクルーが揃っており、更に士道もいるのだが…何やら士道の様子は少しおかしかった。もしやまだ身体の調子が戻っていないのかと琴里は訊くも、そういう事ではないらしく……そこでふと、侑理は思い付いた事を言ってみた。

 

「もしかして…士道にぃ、昨日の仁王立ちの件をまだ気にしてる?」

「うっ…そ、それについては言うな…!…言わないでくれ……」

 

 一応冗談として言った侑理の言葉に、士道は顔を赤くし顔を背ける。かくいう侑理自身も、あの時の事をしっかり思い出そうとすると何だか落ち着かないのだが、やはり士道も相当恥ずかしかったらしく…それはそれとして、侑理の発言に琴里がびくっと肩を揺らす。

 

「に、仁王立ちって…いや、流石にそこまでの状態じゃ……」

「……?そこまでも何も、湯船から完全に立ち上がってたよね?」

「へっ?あ、そ、そうね!そうだったわねっ!」

「えぇ……?」

 

 士道と同じかそれ以上に顔を赤くしていた琴里だったが、今度は妙な勢いでそうだったと返してくる。…琴里の中で、一体何があったのだろうか。

 

「こ、こほんっ。とにかく大丈夫なのね?始まってから実は…じゃ遅いわよ?」

「いや、大丈夫だ。ちょっと、昨日見た変な夢を思い出してただけだから」

「夢?一体どんな」

「うーん……なんか、昔の事のような、そうでないような……?」

 

 いまいち釈然としない士道の答えに、侑理は真那と顔を見合わせる。因みに黙っていた真那も、先のやり取りの際は少し肩を赤くしていた。

 

「まあ、それはそうと……琴里」

「何よ、士道」

「……六喰って、どこに行けば会えるんだ?」

『…………』

 

 再び六喰と対峙する。今度こそ、自分の思いを届けてみせる。その決意を固めてからの士道は揺らぐ事なく、六喰の心の鍵を開くに至った。たった一日とはいえ、攻略の為の準備時間を取る事も出来た上、侑理達のコンディションもばっちり整っている。状況としては、十分満足のいくものであり……しかし侑理達は今、根本的な部分で大問題を抱えていた。どんなに準備が万端でも、デートの相手がいないのなら話にならない。

 

「ま、まさか、体よく逃げられた……って事はないですよね?」

「……いや、それならば昨日、シン達の前に姿を現す事もなかった筈だ。何らかのコンタクトがあると考えておいた方がいいだろう。それこそ、またシンの背後の空間に『扉』が開いて──」

 

 明日という日程の話だけしてどこかに行ってしまったのだから仕方ない事ではあるが、一体これでどうデートをしろというのか。そんな状況で、頬を掻きながらクルーの一人である椎崎が言葉を漏らし、それに対して令音が答えるという、クルー間でのやり取りが行われ、更に令音は例えのように可能性を一つ口にした……その時だった。

 

「へっ!?」

『な……ッ!?』

 

 ぐにゃり、と突如歪んだ士道の背後の空間。歪みは渦巻き、昨日も見た『扉』となり……次の瞬間、その奥から一対の細腕が伸びてくる。更にその腕は後ろから士道を掴み、一息で『扉』の中に引き摺り込む。

 

「士道にぃッ!」

「兄様ッ!」

 

 考えるよりも早く、反射的に侑理は随意領域(テリトリー)を展開。CR-ユニットを纏いながら、同時に床を蹴って士道へと手を伸ばす。

 思い出すのは、ウェストコットの持つ〈神蝕篇帙(ベルゼバブ)〉の力によって士道達が巨大な本に…物語の世界に飲み込まれてしまった瞬間。あの時も、侑理は手を伸ばしており……あの時と同じように、今もまた、侑理の手は届かなかった。

 

「……ッ!琴里さん、艦外へ転送を!」

「やられた……六喰はこっちの油断を狙ってたのか…ッ!」

 

 同じようにCR-ユニットを装着し、飛び出していた真那の手も空を切る。初めからこれが狙いだったのか、軟化した態度や具体的な約束を碌にしていなかったのもこうして奇襲を仕掛ける為の布石だったのかと、激しい感情に苛まれながら侑理は琴里を見やり…ぴっ、と琴里は侑理達へ向けて掌を見せる。

 

「落ち着きなさい。士道にはもう、インカムを付けてもらっているわ。

各員、範囲全開でインカムの反応を探して!観測機と自律カメラも各々の判断で使っていいわ!」

『了解!』

 

 あくまで冷静な琴里の指示を受け、クルー達がそれぞれのコンソールに指を走らせる。艦橋のメインモニタには天宮市の地図が表示され、次々と情報が上がっていく。

 そんな琴里とクルー達の言動を見て、侑理は自省した。感情のままに行動するのと、今の状況を正確に把握し、最善の手を打つ事、どちらがより必要であるかなど明白。それを思えば、やはり侑理はまだ未熟であり…琴里や、大人であるクルー達の存在は、頼もしかった。

 そして同時に、侑理は気付いてもいた。言動こそ冷静ながら、琴里の表情は決して余裕のあるものではないと。指揮官として冷静に振る舞ってはいるものの、琴里とて心配なのは同じ…それが分かったからこそ、侑理は自身の頬を両手で軽く叩き、気持ちを切り替える。

 

「司令、士道君の居場所が特定出来ました!通信可能範囲内です!」

「良かった、そう遠くには連れていかれてなかったのね…!士道、無事!?」

 

 クルーからの報告を受け、琴里はインカムへ通信を掛ける。するとすぐに士道からの返答が聞こえ、艦橋内はほっとした雰囲気に包まれる。どうやら連れ去られた先は、市内の街中だったらしく…好意的に考えるならば、移動の手間を省いただけ…という事なのかもしれない。

 

「ふぅ…いきなりヒヤヒヤさせられたけど、六喰の好感度はちゃんと変動が確認出来てるし、悲観する必要はなさそうね」

「という事は、やっぱり兄様は〈贋造魔女(ハニエル)〉で模倣した〈封解主(ミカエル)〉で心の鍵を開く事が出来ていた訳でいやがりますね。今考えても脱帽の方法というか、流石は兄様ってもんです」

「だよねぇ。…けど、よく考えたら凄くない?士道にぃは七罪程の観察眼や再現力がある訳でもないのに、数度見ただけで本物の〈封解主(ミカエル)〉に対抗し得る模倣が出来るだなんて」

「……その機能や得手不得手は違えど、天使の原動力は等しく霊力であり、シンはその身に幾人もの精霊の霊力を備えている、更には複数の天使を何度も使用してきた経験のある人間だ。だから恐らく、シンの中で『天使とはこういうもの』というイメージが、感覚としてあるんじゃないかな」

 

 ふと抱いた感想を口にすれば、令音が彼女の見解を話してくれる。それが正しいのかどうかは分からないが、令音の見立ては一理ある内容であり…そうこうしている内に、六喰は移動を開始。そして攻略の為の、デートが始まる。……と、思ったのだが、歩き出して早々に六喰は自身の髪に足を取られ、軽く蹌踉めく。

 

「むん……?」

「っと、大丈夫か?」

「久方振りの地上じゃからの。むむん……少し汚れてしまったのじゃ」

 

 そう言って、六喰は髪を持ち上げ、路面に触れた部分を払う。その所作は、まるで宝石を手入れするかのようなもので…思えば確かに、六喰の髪は長い。左右でお団子を作ってはいるものの、明らかに生活に支障を来たすレベル。宇宙空間なら問題なくとも、重力のある地球上でデートをするならば、不都合になるのは間違いない。

 

「どこに行くにしろ、まずは髪を何とした方がいいかもしれないな。──なあ六喰、その髪、少し切ってさっぱりと──」

「──ならぬ」

 

 侑理と同様にこのままでは問題だと思ったのか、何気なく士道が口にした提案。だが次の瞬間、先程までの懐っこさを覚える六喰の声音が豹変し…更にそこから、六喰は言う。切るのは嫌だと。それは士道であっても許さないと。

 更に、艦橋内に精霊の感情値が大きく乱れた…怒りや深い悲しみが生じた際の警報音が鳴り響く。慌てて琴里がフォローするように言うも、突然の事態だからか士道もすぐには動けず…されど士道が何か言うよりも早く、六喰はハッとしたような顔になった。

 

「……すまぬの。何故かは思い出せぬが……それは、嫌なのじゃ」

 

 しゅんとした様子で謝罪した六喰へ対し、士道もこっちこそごめん、と謝罪で返す。一先ず怒りは収まったのか、警報音も止まり、映像上の士道も琴里もほっとしたような顔をする。

 詳しい事は分からないが、今の怒りは反射的なものだったのだろう。六喰自身、何故かは思い出せないと言っている辺り、怒りの根拠が不明瞭だからこそ、沈静化も早かったのかもしれない。

 

「でも、そのままじゃ歩き辛いだろ。た、例えば……縛ったりするのも嫌なのか?」

 

 とはいえ、今のままでは支障がある、という事で恐る恐る士道が別の提案をすると、切らないならばいい、と六喰は承諾してくれる。そして、どうするのかという話になり…そこで恒例の選択肢が発生。内容は、

 

①美容室に行ってプロに任せる

②士道が綺麗に纏めてあげる

③六喰の後ろを歩きウェディングドレスの裾の様に持ちながら、時折愛おしげに頬擦りする。偶に舐める。

 

……という、いつもの一個明らかに変なのがあるパターンだった。各クルーが選択を行った結果、②が最多、時点が①、③を選んだのは神奈月だけだった。琴里がそんな神奈月へ『ご褒美』として三十分間の空気椅子をさ(・)せ(・)て(・)あ(・)げ(・)る(・)と言うと、神奈月は嬉々として綺麗な空気椅子の姿勢を取った。…今日も今日とて、長身美形が台無しだった。

 

「真那、この場合真那だったらどれがいい?」

「私だったら、②でいやがりますかね。兄様がやってくれるってなら、どんな髪型でも嬉しいですし」

「あ、やっぱり?でも、うち的には①も捨て難いと思うんだよねー。折角のデートなら、より綺麗な髪型にしたいじゃん?」

「確かに、綺麗さに拘るか、士道がってところに重点を置くかがこの場合の焦点よね。…っていうか…マリア。前から気になってたんだけど、必ず一つはリスキーというか、思い切ったのが入ってない?」

 

 ヤバめな選択肢の存在は琴里も気になっていたのか、〈フラクシナス〉のAI…即ち、選択肢を出す側であるマリアへと問う。選択肢そのものはその時点での感情値や好感度、それに過去のデータから自動で生成される為、マリアが決めているとも言い難いらしいのだが…そのマリアが推察するに、選択肢は本命、対抗、大穴という形で基本決められているんだとか。何故賭け事みたいな表現をしたのかは分からないが、似たような傾向の選択肢ばかりでは、そもそも三択にする意味がない…と付け加えたマリアの解釈は、一理ある。一理あるが……

 

「まあ確かにそれはそうだし、冒険した選択肢に助けられた事もあるけど……流石にこれは気持ち悪過ぎない?」

「大丈夫です。一度負けても倍々で賭けていけば、一度の勝ちで全部チャラです」

「誰かマリアの演算機能使って競馬予想とかしてないでしょうね!?」

 

 何だか大分ギャンブル的思考になっているマリアだった。しかもよりにもよって、途中で資金が尽きる可能性を一切考慮していないような、破滅への思考をしていた。…AIなのにそんな思考になってしまうのは、それだけマリアが高性能…人らしい思考を出来るからこそなのか、精霊の力を封印する為にデートしてデレさせるという、大分トンチキな行為を大真面目にやってる組織のAIだからなのかは、全く以って謎である。

 

「にしても…そういえばさっき、六喰は妙な表現をしてたよね」

「もしかして、何故かは思い出せない…って言った事?」

「そう、それ。一瞬であんなに様子が変わる程嫌な事なのに、思い出せないってどういう事なんだろう?」

「幼少期のトラウマ…とかでいやがりますかね。記憶…頭には残っていなくても、心には残ってるみたいな」

「その辺りも気にしておいた方がいいかもしれないわね。ところで、二人共……取り敢えず今は、CR-ユニットを解除してもいいんじゃない?」

『あ……』

 

 先程侑理と真那は、『扉』を介して一方的に士道が連れ出された瞬間に、CR-ユニットを纏って飛び出した。結果として伸ばした手は間に合わず、しかし割と近場に移動しただけだった為、その場では安堵したのだが、あれよあれよと状況が変化していったからか、CR-ユニットを装着している事をすっかり忘れており…琴里からの指摘を受けて、二人揃ってそこで漸く思い出した。

 CR-ユニットは武器にしろ装甲にしろかなりの重量があり、それを纏う上で随意領域(テリトリー)の重量軽減効果は欠かせない…即ち纏っているだけで常に脳へ負荷が掛かるのだが、卓越した魔術師(ウィザード)である真那は勿論、侑理もそれ位なら苦もなく長時間行える。しかしだからこそ、今は纏っている事を忘れてしまっていたのであり…その事に気付いた侑理は、真那と苦笑をするのであった。もしこの光景をASTの美紀恵やミルドレッド、燎子辺りが見ていたら、さぞ呆れていた事だろう。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。