その日は、朝から快晴だった。天気予報でも一日晴れるとなっており、気温的にも出掛けるのには何の文句もない調子。
侑理は手早く朝食を済ませ、服を着替える。身嗜みも最低限整え、携帯で地図と今日のプランをチェック。玄関に向かい、靴を履き、外へと出る。
今日は日本における週末。学生であれば、基本的には休みの日。だからこそ、朝から出掛ける。朝から真那を、探しに行く事が出来る。
「よーっし今日は!……で、出来る限り回るぞー…」
張り切っていってみよう!…と扉を開けつつ声を上げた侑理だったが、思いの外大きな声が出てしまった事で、そこからは一気にボリュームを絞る。朝からマンションの玄関で大声なんて、近所迷惑も良いところである。…基本左も右も同じ出向組が借りている為、近所というか身内迷惑なのだが。
「さてと、まずは……」
マンションから出て、早歩きで繁華街の方へと向かっていく。現在侑理達が借りているマンションは、自衛隊の駐屯地が近くてその点では便利…というか、近さを第一の理由で選ばれた訳だが、当然自衛隊の駐屯地が街中にある筈もなく、その点では正直不便なところ。
とはいえ移動を億劫に感じる程、まだ侑理はおばあちゃんではない。それに真那を探すという目的を思えば、多少距離があったところで何ら侑理には苦ではない。
「やっぱり朝はちょっと空気が澄んでる気がするなぁ。……真那もここ、通ってたのかな…」
早朝という程ではないとはいえ、まだ早い時間帯ならではの空気を味わいながら道を進む。ゆっくりと、ぐるりと周囲を見回して…しかしやはりというべきか、考えてしまうのは真那の事。頭の中が真那で一杯になる事自体は別に構わない侑理だが、果たして自分はこれから何度真那の事を思い浮かべるのだろうか。その疑問に対し、速攻で「数え切れない位かな」…と答えを出した侑理だった。我ながら、本当に真那の事となると制御が効かないものである。
「…けど、少し前までは思いもしなかったなぁ。まさかこうして、日本に来る事になるだなんて……」
いつか行ってみたいとは思っていた。もし真那の出向が長くなるようであれば、自分から日本に行ってみようかとも考えてはいた。だがどちらも何となく、ぼんやりと想像していただけで、実のところ侑理にとって日本は遠い、本当に遠い場所だった。
その日本に、今はいる。しかも真那と同じく、出向という形で訪れている。出向の話を聞くまで、このような事は微塵も想像した事などなかった訳で、世の中とは分からないものだ、と侑理は一人肩を竦める。
そうして軽い足取りで、侑理は天宮市の繁華街にまで辿り着く。…の、だが……
「…あっちゃー…これは初っ端からミスったぁ……」
ゆっくりと繁華街を見回し、自嘲気味に笑いながら後頭部を掻く。侑理は朝から晩まで一日掛けて真那を探すつもりだった。だが、多くの店はある程度の時間にならないと開店しないし、多くの店が空いていなければ街を行き交う人の数も増えない訳で……それをすっかり失念していた侑理を待っていたのは、まだ本格的に動き出す前の、然程賑やかではない繁華街だった。
「うぅん…一旦戻るのも時間が勿体無いし…取り敢えず、開いている店から回ってみる…?」
闇雲に探すのは流石に無理があり過ぎる、と予め今日の計画を立てていた侑理だったが、個々の時間配分はある程度考えていても、営業時間については全く考えていなかった侑理。しかし今それを悔やんでも仕方ない、と24時間営業のコンビニエンスストアや開店が早いホームセンター辺りに目を付け入ってみる。ついでにどんな感じの店舗なのか、時間潰しも兼ねてぐるりと中を見て回る。
(商品も、値札も、案内表示も、全部が日本語…当たり前だけど、やっぱり凄く新鮮かも……)
国が違うという事は、当然使われている言葉も違うという事。真那との会話で普段から日本語を使用し、日本語の読み書きも出来る侑理はすんなり日本に対応する事が出来たが、それはそれとしてやはり驚く事も多い。カルチャーショックとかそういうレベルの事ではなく、もっと生活の根底部分から様々な違いを侑理は感じる。
軽く回るのではなく、もっとじっくり見ていけば、他にも驚きや発見があるかもしれない。逆に遠く離れた、歴史も環境も文化も違う地での共通点を探すというのも面白いかもしれない。だが今日の目的はあくまで真那。時間を無駄にする事は出来ない、と侑理は気を引き締めて、店を出る。早い時間からでもやっている店を順に回っている内に時間は立ち、次第に繁華街が賑わっていく。
「…よし、今度こそ本格的に真那探し開始だ…!」
ぺちぺち、と両の頬を軽く叩いて、携帯のメモに入れておいたプランを確認。最初の目的地、武道具店まで現在の場所から最短で行くにはどうすればいいかを同じく携帯のマップで調べて、表示された通りに道を進む。
(…にしても、便利な時代だよね)
メモに、地図に、時計にカメラ。そもそもの用途である電話に、メールや各種メッセージ。その他様々な機能を持つ携帯電話が、ポケットに入るサイズで収まっているのだから、現代の技術というのは凄まじい。人を超常の域に届かせる
「後は、ここを曲がって…わぁ……」
携帯片手に移動を続け、侑理は表示された目的地、武道具屋の前に到着。外観の時点でイギリスにはまずない独特の店舗に、侑理は思わず声を漏らし…好奇心を掻き立てられながら、真っ直ぐ入店。
「いらっしゃいませ。……?」
竹刀に木刀、道着に防具。日本が誇る数々の武道で使われる道具が所狭しと並べられている、やや小規模な店舗に入ると、早速店主らしき人物が声を掛けてくる。声を掛け…一瞬不思議そうな顔をする。
しかしそれも当然の事だろう。日本とイギリスのクォーターである事も含め、侑理は武道をやっていそうな見た目をしていないし、部活や地域の道場で武道をやっている学生も、一人でひょっこり訪れるという事はあまりない筈。加えて武道具屋という看板も出入り口の側に立っている為、別の店と勘違いして入ってくる客もそうそういるとは思えない。そうなれば店主の反応は至って当然の事で、侑理も別にそれをどうこう思ったりはしない。実際問題、侑理も武道具目当てに来た訳ではないのだから。
「あの、すみません…いきなりで申し訳ないんですけど、この子を見た事ありませんか?」
「うん?…うーん、ちょっとこの子は見覚えがないが…迷子、っていう歳でもないよね?」
携帯のフォルダの中から真那の写真(沢山ある内の容姿や背格好が分かり易い一枚)を表示させ、店主に見せる。数秒程考えた後、店主は首を横に振り…怪訝そうな顔を見せる。
その反応は、尤もなもの。店主が言った通り、真那は迷子になりそうな程小さくないし、携帯なり何なりを持っているなら電話を掛ければいい…と考えるのも普通の事。もし行方不明であれば大事、そうでなくとも「連絡の取れない相手を個人的に探している」…というのは、その時点で明らかに穏やかな話ではない。侑理も変に思われる…もっと言えば不審に感じられてしまう可能性は考えており、だからこそ用意しておいた『話』を口にする。
「実はこの子、前は海外の、うちのすっごく近くに住んでいたんです。でも事情で天宮市に来る事になって、色々バタバタしちゃったからか住所とかその辺りがはっきりしてなくて…うちもやっと天宮市に来る事が出来たから、この子を探したくて……」
「そうだったのか…ごめんね、力になれなくて」
「いえ、こっちこそすみません。話を聞いてくれて、ありがとうございました!」
ぺこり、と頭を下げて侑理は店を後にする。店舗からは見えない位置まで移動し…真那の情報を得られなかった残念さと、疑われずに済んだ安心感から、ふぅ…と一つ息を吐く。
何だかちょっと騙したような気分だが、別に嘘は言っていない。ただちょっと、言葉選びや言い方から『昔引越しをしたご近所さん』っぽく聞こえたかもしれないというだけである。それをどう捉えるかは相手次第なのだから、決して侑理は悪くない…筈。
(一件目は空振り…けどまだ一件目だし、そもそも武道具屋自体『真那は行きそう、興味持ちそう』レベルだもんね。まだまだこれから、頑張ろう)
ぽんぽん、と胸を軽く叩いて、気を取り直す。まだスタートしたばかりという事もあるが、仮に中盤だろうと終盤だろうと、落ち込んだところで何も良くならないのは自明の理。ならその時間で一店舗でも多く回り、一人でも多くの人に聞いてみた方が、ずっと真那に繋がる可能性は高い。そう思えば、落ち込もうとも思わないのだ。
そうして気を取り直した侑理は、二件目、三件目と回っていく。イギリスで真那がよく行っていたのと同じ系統の店、イギリスからの出向という形を取る上で、何かと便利そうな店、或いは一件目と同様、真那が行きそうなイメージのある店と、近い所から順に訪れていく。初めから、すぐに手掛かりが得られるなどとは思っていない。だからこそ、一件一件回る事で可能性を潰していき、それによってほんの少しでも真那へと近付いていく…近付いていける筈と、期待しながら。
*
時刻は昼過ぎ。侑理は少し遅めの昼食を取る事にした。昼食については特に決めていなかった為、近くの店を探し…選んだのは、カウンター席主体のラーメン屋。
「はふぅ…これもまた、日本の味…なの、かな?」
麺を啜り、味を堪能し、吐息を漏らす。中華料理として括られる事の多いラーメンではあるが、厳密に言えばこれも日本の料理。今回昼食にラーメンを選んだのは、それが理由の一つであり…もう一つの理由は、ここがカウンター席主体である為。やはり侑理的には、一人でレストランや定食屋に入るのは少し勇気がいるのである。
(…午前中は、収穫無し…落ち込んだって仕方がないって事は分かってるけど、それでも気落ちしちゃうなぁ……)
最後の一件まで可能性は消えない。たった一件だけだったとしても、そこで有力な情報を得られれば調査としては大成功。そんな風に考えれば良いとは分かっているが、始めたばかりの状態と、失敗続きの状態とでは、同じ思考でも心境は大きく変わるもの。この辺りで何か、ほんの些細な事でもいいから手掛かりを…そんな風に思わずはいられない侑理だった。
「…うん?」
とはいえ、足が重くなる程気落ちしている訳ではない。午前中程の勢いこそなくなってしまったが、侑理のやる気は未だ健在。加えて諦めるという選択肢は初めからない以上、食後もひたすら探すのみ。そうして暫し、街を歩き…段々と、制服を着た学生の姿が街に見られるようになる。
(うちより背が高そうだし、多分高校生…だよね。そっか、もう下校の時間……って、待った。そもそも今日、学校ってお休みじゃ…?)
気付けばそんな時間か、と一度は思った侑理だったが、今日は平日ではなく休日である事を思い出し、違和感を抱く。初めは部活から帰るところなのかもしれない…と思ったが、よく見れば制服の種類も様々であり、更に全員が同じ方向へ向かっている。どうやら、学校からの帰宅の最中…という訳でもないらしい。
「…塾?それとも、地域のスポーツクラブ?いやでも、その場合もやっぱり制服を着てるのはおかしいし……」
腕を組み、頭を捻る。色々と考えてはみるものの、どれもしっくり来ない。
そうして考えている内に、段々と気になってくる。一体これは、どういう事なのか。何故違う学校の学生達が、同じ方向へ歩いていっているのか。真那探しの最中ながら、気になる気持ちは大きくなっていき……
「お困りかな、お嬢さん」
「へ?」
突然、声を掛けられた。ここまでは様々な店舗の様々な人に質問をしてきた侑理だが、ここに来て逆に問い掛けられる。
声のした方向へ振り向けば、そこにいたのはブレザーを着た男子高校生…と、思われる人物。一瞬、誰か別の人へ声を掛けたのだろうか、とも思ったが…周囲にそれらしき人物はいない。
「…え、っと…貴方は……?」
「おっと、驚かせてしまったかな。たった今俺はここを通り掛かったんだけど、そこで君が何か困っているように見えてね。つい、声を掛けたという訳さ」
「は、はぁ……」
髪を掻き上げ、何やら芝居掛かった様子で答える男子高校生。悪意は感じられない…が、純粋な親切心で声を掛けたという感じでもない。というか、ウインクをしてきている。となるとこれは恐らくあれである、ナンパである。
(どうしよう…)
こんな事になるなど微塵も想像しておらず、侑理は困惑。しかし黙っていたところで状況は変わらず、彼からの爽やかな…感じを演出したいのであろう、何とも言えない空気感を向けられ続けるのもまた、正直勘弁してほしいところ。という訳で、あまり期待は出来そうにない…と思いながらも、侑理は彼からの申し出を受ける事にした。
「…じゃあ…うち、この子を探してるんです。見た事ありませんか?」
「うん?へぇ、この子…この子ね…うーむ……」
「…………」
「…あー、すまない。記憶を探ってみたが、俺の知り合いには恐らくいないようだ。君の力になれなくて、残念だよ」
「そ、そうですか。なら、うちはこれで……」
考えている間は素に戻ったようだったが、それが終わると再び彼は芝居掛かった言動を見せる。まさかこれで最後まで通すつもりなのか…と若干の呆れを侑理は抱き、まあでも仕方ないとその場を離れようとする。だが……
「…けど、なーんか見覚えある気がするんだよなぁ……」
「え…ほ、本当ですか!?見覚えあるんですか!?」
「うおっ…あ、あぁ。この子は知らない筈だけど、なんかどっかで見たような…ってか、こんな可愛い子なら、一度会ったら忘れる筈ないもんな……」
予想外の、そして初めての可能性を感じる言葉。まさかの展開に訊いた侑理自身が仰天するも、そこからすぐさま更に訊く。口振りからして、どこかで見かけたとか、街ですれ違ったとか、そんなレベルかもしれない。それでも大きな一歩になると、侑理は彼へ一歩踏み込む。
対する男子高校生は、動揺気味に一歩後退。芝居を忘れた様子で侑理は一つ頷いた後に、もう一度考える素振りを見せる。うんうん唸りながら、左に右にと首を傾け…十数秒後、何かに気付いたのか「あー…」と言いつつ彼は微妙そうな顔に。
「…ごめん、お嬢さん。なんか見覚えあると思ったら、俺の友達だったわ。俺の男友達と似てるんだったわ」
「…えぇー……」
再度の予想外、それも今度は期待外れ的な意味での想定外に、思わず侑理は目の前で肩を落としてしまう。しかし彼も期待させて申し訳ないと思っているのか、頬を掻きつつ頭を下げる。
「…うん、なんか…ごめん……」
「い、いえ…はい、大丈夫です……」
そうして訪れる、何とも言えない…とにかく微妙過ぎる雰囲気。これならば見覚えゼロの方がまだ良かったかもしれない、そんな風にすら思える状況。だが、彼は結構メンタルがタフなのか、それとも切り替えが早いだけなのか、ぱんっ、と一つ手を叩いて再び髪を掻き上げた。
「本当にすまないね、お嬢さん。期待させておいてこのざまじゃ、紳士失格というものさ。だからお詫びに、どこか喫茶店でも……」
「あ、いた!ちょっとー、自分から付いてきた癖に何仕事放棄してるのよ荷物持ち」
「っていうか今、女の子に話し掛けてなかった?え、文化祭の準備中にナンパ?」
「頼まれてもいないのに女性の後を追った挙句、他の女を見つけたら即乗り換える…シンプルにサイテー」
「あ、やべっ、忘れてた。…お嬢さん、この件はまたいずれという事にしよう!君の様な可愛い子に会えた今日という日を、俺は絶対に忘れないよ!」
より直接的なナンパに切り込んできた彼だったが、その更に背後から三人の声が、今度は女性の声が聞こえてきて、彼ははっとした顔をする。続けてその表情は、焦りのものへと変わり…取り繕うようににっと歯を見せて笑うと、速攻で彼は走り去っていった。そして、一人取り残された侑理はといえば……
「…えぇぇぇぇー……」
…なんというか、余計に何とも言えない気持ちになるのだった。結局、徹頭徹尾振り回される形となった侑理だった。
因みにその後、やり取りこそ聞こえなかったが、女性三人と合流した彼は…物凄く責められていた。侑理から見える彼の背中は、何とも小さくなっていた。…自業自得ではあるが、ご愁傷様である。
「…あ、でもそっか…文化祭だったんだ…」
数秒後、聞こえてきた言葉から疑問の解消に至った侑理。そういえば、先日の模擬戦前に美紀恵も文化祭の事を言っていた。更に言えば、美紀恵や折紙の着ていた制服と、今いた三人のブレザーは同じデザインだったように思う。という事はやはり、休日にも文化祭の準備をしてる…という事なのだろう。違う制服を着た人達が同じ方向に…というのは気になるが、そもそも侑理は日本の文化祭に詳しくない。ならそういう事もあるのだろうと侑理は納得し…気を取り直す。
(…にしても、真那に似た男友達、か…中性的なのかな?それとも真那が女の子らしくないとでも?だとしたら、失礼しちゃうよね。あー、でも可愛いって言ってたし、やっぱり前者?…けどまぁ、どっちにしろ真那は可愛いだけじゃない、格好良さもある女の子な訳だけど。ばっちり女の子らしい上で、格好良くもあるんだけどねっ!)
ふふん、と腰に手を当てて胸を張る。落ち着いて考えれば、何で自分の事じゃないのに自慢気なのか、そもそも誰に対して胸を張っているのか、と我ながら色々突っ込みたくはなるが、それはそれ、これはこれ。真那が可愛さと格好良さを兼ね備えているのは事実であり真実なのだから、それは誇っていい事なのだ。…侑理ではなく、真那が、だが。
なんて事を思いながら、また侑理は歩き始める。結局のところ収穫はなかったが、良くも悪くも気分転換にはなった、と前向きに考え、残りの場所を回っていく。最後まで諦めずに探そう、そう思いながら回っては声を掛け、問い掛けては空振りで終わりを繰り返し……気付けば空は、暗くなり始めていた。
「…そうだ、食事を買っておかないと……」
もうそんな時間なのか、と気付くと同時に侑理は冷蔵庫の中身がもう碌にない事も思い出し、近くにあったスーパーへ寄る。買うと言っても、食材ではない。少し位は自分で料理をしてみたりもするが、基本はDEM本社の社員寮に住んでいた時と同様、出来合いの物を食べているのだ。
(…今日は、駄目かな……)
買い物籠を片手に惣菜コーナーへと行き、揚げ物を見ながら侑理はぼんやり考える。もう今の時点で、今日予定していた場所は全て回ってしまったが、やはり情報は無し。一応「ここまで一日では回るのは無理だ」と別日にする事にした店もそこそこあるが、何れにせよもう今日は無理そうである。諦めはしないが、そろそろ完全空振りの覚悟はしておいた方がいいかもしれない。
…と、考えていると、気持ちも沈んでしまう。目の前には美味しそうな揚げ物が並んでいるが、いまいち食指が動かない。とはいえ食べない訳にもいかないし、取り敢えず何か…そう思っていたところで、近くから若い声が聞こえてきた。
「うむ、やはりすーぱーまーけっとは良いものだな!ずらりと食べ物が並んでいるのを見ると、ただそれだけで幸せな気持ちになれるというものだ!」
「はは…まあ確かに、見てるだけでも食欲を唆られるよな」
「うむ!だが、先日行った商店街というものも捨て難い。特に肉屋…そこで売っているコロッケは絶品なのだぞ…!」
「分かる、肉屋のコロッケは外れなしだよな。…よし、今日はコロッケにするか。肉屋のコロッケには及ばないだろうけど、美味しくなるよう頑張ってみるよ」
「おぉ、良いのか!それは楽しみだ!」
「おうよ。けどそうなると、今うちにあるパン粉だけじゃ足りなくなるかもしれないな…それにコロッケを作るなら、他にも……」
明るくハキハキとした女性の声と、優しげな男性の声。聞いていただけだった為外見は分からないが、声音からして十代か二十代の前半位なのだろう。そしてどうやら、料理を作るのは男性の方らしい。口振り的に、かなり料理慣れしてそうである。
それに、随分と仲が良さそうだった。彼女と彼氏だろうか。姉弟や兄妹かもしれない。或いは…もう結婚しているのだとしたら、なんだか微笑ましいものである。……と、そこまで考えて、侑理は苦笑した。これでは買い物に来た近所のおばちゃんである。おばちゃんに対する完全な偏見だが、とにかくそんな気がしたのだ。
「…うちも、コロッケにしようかな」
もう行ってしまった今の二人に影響され、自分もコロッケが食べたくなった侑理は、牛肉コロッケを選んで籠へ。さっきまでは食欲も減退気味だったというのに、聞こえた会話一つで食べたくなる辺り、我ながらなんともまあ単純なものである。
しかし、おかげで食べたいものが出来たのも事実。だから侑理は心の中で先程の二人に感謝を述べて、冷凍食品やインスタント食品、その他諸々も籠に入れるとレジへ向かう。購入し、店を出て、まだ回っていない最後の場所へと歩いていく。残り物には福がある…自分で残していた
だけだが、それはともかく最後の逆転を願ってその店舗でも聞き込みを行い……この日の侑理の真那探しは、幕を閉じた。…成果なしという、望まぬ形で終わるのだった。
*
名目としては、上からの命令を受けての出向。気持ちとしては、真那を探す為の渡日。しかし実際には…侑理は日本での生活を、楽しんでいた。日本での生活が、楽しかった。
元々日本に行ってみたかった気持ちがあったから…というのは、勿論ある。和食を初め、心踊るものが色々あったというのもある。だが一番の理由はやはり、折紙や美紀恵やミルドレッド、それにASTの面々と親睦を深める事が出来たからだろう。決して長い間ではなかったとはいえ、確かに仲良くなる事が出来た…侑理は、そう思っていた。そしてだからこそ…悲しかった。そんな日々が、唐突に終わってしまう事が。
(…精霊〈プリンセス〉及び、重要目標の捕獲作戦……)
天宮駐屯地のブリーフィングルームを包む、嫌な緊張感。一方に並んだ侑理達第二執行部…第三戦闘分隊の面々と、もう一方に並んだASTの面々。中央で顔を見合わせる、ジェシカと燎子。今行われているのは、ジェシカ…DEM側からの、作戦説明であり…その内容が、DEMとASTの対立を決定的なものにしていた。ASTの面々は、DEMの面々の正気を疑い…怒りを、抱いていた。
侑理自身、その気持ちは理解出来る。何せこの作戦は、はっきりと第二執行部の本来の目的…〈プリンセス〉に加え、現状ではただの一般人に過ぎない『という事になっている』少年をも目標にしたものであり、しかもそれを空間震警報によって人払いがされた中ではなく、天宮市の大きなイベントの一つとなっている合同文化祭、通称天宮祭の真っ只中で行おうというのだから、それを素直に飲み込める筈がない。
しかし、第二執行部の…DEMの一員である侑理には、それを止める事など出来ない。何かの間違いではと思い、自分に出来る範囲で確かめもしたが、何一つ間違いなどなかった。それにそもそも、実行の場所やタイミングはともかく、目標自体は出向の時点で決まっていたものなのだから、覆る可能性など初めから殆どゼロのようなもの。…だから、止められない。止めようがない。そしてこの作戦を実行してしまえば…もうきっと、ASTの面々は自分とこれまでのように接してはくれない。成功すれば自分達もイギリスに戻る事になるだろうし、そのまま皆との関係も終わってしまうかもしれない。辛く、悲しく……されど、どうしようもない。それが今目の前にある…侑理が置かれている、現実だった。