侑理は〈ナイトメア〉を追跡するべく、真那と共に各地を回っていた。〈ナイトメア〉を野放しには出来ないと考える真那の、共に来てほしいという思いに応えて、今は戦えない身でありながらも、自分なりに出来る事をしようと思いながら行動してきた。
そこに後悔はない。間違っていたとも思っていない。だが今に至るまで、この瞬間が訪れるまで、侑理は…侑理も真那も、追跡する事しか、追う事しか考えていなかった。だからこそ、想定していなかった。追跡の対象、神出鬼没の存在である〈ナイトメア〉が、自分から姿を現す事を。
「〈ナイトメア〉…!」
左右不揃いで結ばれた黒い髪と、片目が文字盤と針の様になった瞳。目の前にいるのは、間違いなく〈ナイトメア〉。この事実に、戦慄する。ただそれだけで、嫌な汗が全身から滲む。
「お久し振り…という程でもありませんわね。DEM日本支社での戦闘を切り抜けられたようで、何よりですわ」
「…白々しい…そっちから仕掛けてきておいて、何を…!」
何が「何より」だ。そんな怒りが湧き上がり、侑理は〈ナイトメア〉…時崎狂三を睨み付ける。一方狂三はむしろ不思議そうに、軽く首を傾けて返す。
「あら?真那さんと一緒にいるのですから、てっきり貴女もDEMを辞めたのかと思っていましたけれど…その割には、DEMをまだ同胞だと思っているような言い方ですわね」
「うちは別に、辞めた訳じゃない。ちゃんとうち自身で本当の事を確かめる為に、今は離れている…それだけだ…!」
「きひひ、割と正直に話して下さるんですのね。やはり問答無用な真那さんと相対するより、侑理さんと話した方が楽しいですわ」
「ふん、うちは全然楽しくない…!」
思わず話してしまった事と、そうしてしまって自分にも腹立たしさを覚えながら、侑理は狂三を睨み続ける。それと共に、ポケットに入れっ離しの手を握り締める。
だが同時に、侑理の思考をフル回転させる。こうして一対一で遭遇するのは二度目。されど一度目と違い、今の侑理は丸腰。まともにどころか、最低限の戦闘能力すらない状況。つまりは、絶体絶命。ここで、このタイミングでの接触は…あまりにも、致命的。
(今のうちに戦う力はない。逃げるのだって、ただ逃走するだけじゃ確実に追い付かれる。このままじゃ、どうしようもない…!)
幾つか浮かぶ選択肢。しかしその殆どは、とても成功するとは思えない下策。そもそも精霊である狂三に対し、丸腰で遭遇してしまっている時点でほぼほぼ詰んでいるようなもの。
されど当然、諦めるなどという選択肢もない。それは論外、それこそ論外。故に、侑理が取るべき選択肢は一つ。
「…〈ナイトメア〉。どうしてお前は、ここにいる…」
「〈ナイトメア〉ではなく、時崎狂三ですわ。前に直接教えたでしょう?」
「名前なんてどうでもいい、どうしてまた──」
「わたくし、名前もまともに言おうとしない相手とは話したくありませんわ」
突っ撥ねようとした侑理へ被せるように、間接的にきちんと名前で呼ぶよう求める狂三。なんとも分かり易いその要求に乗るのは癪だ、と思う侑理だった…が、ここで意地を張っても何も得るものはない。そう自分に言い聞かせ、侑理は狂三へ言い直す。
「…時崎狂三、ここに来た目的は何?」
「さあ、何でしょう?わたくしへ敵意を向けてきている相手に、素直に教える必要性はあるかどうか、迷いますわ〜」
「な……っ!?」
悪戯っぽく…或いは相手をからかうように口角を上げる狂三の姿に、自分は騙された…名前も呼ばない相手とは話したくはないと言っただけで、ちゃんと呼べば答えてくれると言った訳ではないという姑息な策に嵌められたと気付いた侑理は絶句。一方狂三は侑理の反応が期待した通りのものだったのか、愉快そうに笑みを深める。
「くッ…そんなんだから、うちは呼びたくないんだ…!」
「という事は、その辺りを改めれば今後、貴女は積極的に名前を呼んでくれるのでして?」
「そ、それは……」
「うふふ、分かり易いですわねぇ。何だか少し、士道さんに似ていますわ」
「え、そう?」
「あ、今のはむしろ嬉しいんですのね。というかやはり、士道さんの事も知っているんですのね」
完全に手玉に取られている、遊ばれている。しかもそれを自覚させるような事を言ってくるのが尚腹立たしい。
…という心境になっていた中での、何気なく出てきた士道という単語。士道と似ていると言われるのは悪くない、と侑理はちょっとだけ気分が良くなり、逆に狂三は軽く呆気に取られ…数秒会話が停滞する。そして、その空白により侑理は冷静さを取り戻し、息を吐いて気を持ち直す。
「…答える気がないから、それでもいい。どうせうちだって、期待なんてしていないから」
「つれませんのねぇ。ところで、
相変わらずの、余裕に満ちた…それでいて鋭い思考や観察眼を思わせる、狂三の語り。いつかは突かれるだろうと思っていた…何よりも突かれたくはないと思っていた指摘。しかしだからこそ、侑理にとっては予想も出来ていた展開。故に侑理は慌てず…慌てないよう全力で平常心を保ちながら、ポケットに入れたままの手をほんの少しだけ動かし答える。
「…なら、待ってくれる?うちが、お前を倒す準備をするまで」
侑理が手を動かしたのと、狂三が微かに眉を動かしたのは、ほぼ同時。当然、侑理の手の内にあるのは緊急着装デバイスなどではなく、幾ら待ってもらおうともこの場で倒す準備など出来ない。
つまりこれは、単なるハッタリ。見抜かれれば更に状況が悪くなる、それを理解した上で仕掛けた賭け。侑理からの問いに、狂三は黙り……
「まあ、そう殺気立たないで下さいまし。わたくしに、戦うつもりはありませんわ」
それから困ったように、肩を竦めた。戦う気はない、それを示すように両手を軽く上げながら。
「…そんな言葉を、信じろと?」
「信じるかどうかは貴女次第ですわ。わたくし別に、戦うつもりはないというだけで…真那さんの前のオードブルとして、侑理さんを味わっておくというのも悪くはありませんもの」
さあ、どうする?そんな雰囲気を纏い、狂三は侑理を見つめてくる。赤と金、二つの瞳が侑理を見つめる。
オードブル。敵ではなく食事扱いをする狂三だったが、侑理はそれを、微塵も気取っているとは思わなかった。精霊〈ナイトメア〉からすれば、自分は本当にその程度なのだろうと侑理は感じた。そしてそれは今、重要な事ではない。故に、侑理の答えも…決まっている。
「…だったら、いい加減答えて。戦う気もないというなら…何を目的に、ここにいるの?何を狙って、うちの前に現れたの?」
「漸くきちんと話せるようになりましたわね、嬉しいですわ」
「嬉しい…?」
「ええ。だってわたくし、貴女と話す為にここにいるんですもの」
自分と話す為にいる。話す事が目的。それは到底信じられるものではなかった。戦う気はないという言葉以上に、すぐには信じられなかった。
だが、そもそも嘘なら、襲う気なら、もうとっくに襲っている筈。侑理との遭遇が偶然なら、話し掛けずに無視すればいいだけの事。単体で見れば信じられなくても、状況的には確かに侑理と話す事を目的としている…そうとしか思えないのがこの現状。
ならば、本当なのか。本当に話したい事があるというのか。疑いが優勢だった状態から、少しずつ侑理の心境は半信半疑に変わっていき…黙り込む侑理の姿を聞く姿勢有りと判断したのか、狂三は笑う。
「それでは、早速本題に。…と言っても、わたくしからは一つだけですわ」
「一つだけ…?」
「単純な、お願いですわ。…侑理さん、真那さんにわたくしを追うのを止めさせてくれませんかしら」
にこりと更に笑った直後、ふっ…と真面目な面持ちに変わる狂三。突然の変化に侑理は驚き、その表情のまま狂三は続ける。
「勿論、どのような形で止めるかは侑理さんにお任せしますわ。出来る事なら完全に、と言いたいところですけれど、ある程度でも構いませんわ。或いは止めるのが無理であれば、頓珍漢な提案や情報で撹乱する…それでもまあ、妥協致しますわよ」
話しながら、少しずつ狂三の表情はこれまでのそれに戻っていく。言い切ったところで、どうでして?…と髪を揺らして小首を傾げる。
詰まるところ、狂三の要求は真那への妨害。それならば確かに、侑理に接触してくるのは頷ける。もし前々からタイミングを伺っていたのなら、一人になったところで声を掛けたのも当然の事。
「どうでして?これは命令ではなくあくまでお願い。もし貴女が応じてくれるのなら…その結果、真那さんがこれまでのように追ってくる事がなくなったのであれば、わたくしも貴女達に危害を加えないと約束しますわ。…勿論、正当防衛は別ですけども」
「…何を、言い出すかと思えば……」
当然見返りもあるとばかりに、狂三は締め括る。侑理は狂三の言った事を、頭の中で纏め上げる。そして、ぽつりと呟き…いつの間にか肩へと入っていた、力を抜く。
「…ふん、語るに落ちたね時崎狂三。危害を加えないと約束する?約束も何も、むしろ危害を加えられたくないからうちに提案してきたんでしょう?うちはともかく、お前にとって真那は間違いなく脅威。自分を脅かす存在。余裕ぶって提案しているつもりのようだけど、実際のところ追われて窮地に陥っているのは貴女の方だ。違う?」
確かに単純な話だ、と侑理は心の中で息を吐く。至極単純な話として、追われたところで問題ないなら、軽くあしらえるなり簡単に撒けるなりが出来るのなら、そもそもこんなお願いをする必要がない。けれど実際には、直接現れて提案をしてきた。もう遠く離れた地にいたのに、わざわざここに戻って提案をしにきた…というのも考え辛い以上、侑理達は着実に狂三へと近付いていたという事でもある。ならば、何を恐れる事があるのか。本当に切羽詰まっているのはどちらのか。そんな思いを抱きながら、侑理は目の前の精霊を見据える。…だが……
「…きひっ、きひひひひ!あぁ、ああ、そう捉えるんですのね。これは恐れの裏返しだと、本当は逆なのだと…そう思っているんですのね」
「…何がおかしいの」
「いえ、いえいえ構いませんわ。そういえば貴女は、あの時あの場にいませんでしたものね。真那さんが訳も分からないままに倒れ伏す姿を、見てはいないんですものね。百聞は一見に如かずとは、正にこの事…きちんと知らず、真那さんの方が強いなどと信じ込んでいるだなんて、侑理さんは可愛らしいですわ」
侑理の言葉に、狂三は目を丸くしていた。明らかに驚いた様子を見せ…それから愉快そうに笑う。それでいて、不愉快そうな雰囲気をその佇まいから滲ませる。
「信じ込んでいる?はっ、もし違うっていうなら、そもそも提案なんて……」
「分かっていませんのねぇ。確かに真那さんはわたくしにとって面倒な相手、されど面倒なだけですわ。その気になれば倒せる相手でも、その為のコストがそれなり以上に掛かるのなら、それを『割に合わない』と感じるのなら、避けようとするのは当然の事でしてよ?」
「コスト…?」
「聞いていませんの?わたくしの天使には、霊力に加えて『時間』も必要ですの。その存在が持つ、生まれてから死ぬまでの時間…謂わば寿命もコストとして求められるからこそ、〈時喰みの城〉で人間から頂かなければならない…つまり、真那さんがわたくしを追い掛け、仕掛けてくる限り、わたくしは対応すべく時間を消費し、その消費分を補う為に、無辜の民は寿命を削られるという事ですわ。ああ、なんと可哀想な事でしょう。貴女達が安直にわたくしを追うが為に、無関係な多くの方が未来を奪われてしまうとは…!」
「……ッ…時崎、狂三…ッ!」
大仰な仕草で語る狂三、その姿と言葉に侑理の中で再び怒りが湧き上がる。一体どの口がそれを言うのかと、散々人を襲っておいて、今度はそれを真那に責任転嫁するつもりかと、もし今CR-ユニットがあれば即座に仕掛けていたかも知れない程の憤怒に駆られる。
一方、頭の端では反省もしていた。狂三の語りからして、昏睡の正体は、〈時喰みの城〉という力によるもの…その力で時間を吸い上げられた影響によるものだと見て間違いない。そしてそれを、過去にも誰かに話した事がある…狂三の口振りからは、そんな風にも感じられる。つまり、自分達でばかり考えず、昏睡についてももっとラタトスク側と話しておけば良かったと、怒りながらも頭の片隅ではそんな思考が回っていた。
「侑理さん、貴女もわたくしの言う事がまるで分からないという事はないでしょう?負けた真那さんを信じて提案を蹴るか、それともわたくしよ提案に乗るか…強要は致しませんわ。どうぞ好きなようにお選び下さいまし」
「…語った言葉が真実だっていう保証は?」
「信じるか否かも貴女次第ですわ。貴女の言う通り、本当はわたくしが真那さんを恐れているかもしれませんし、危害を加えないというのは心にもない嘘かもしれない…けれど世の中、そういうものでしょう?信じられるかどうかを決めるのは自分自身、保証も根拠もそれ自体を信用出来なければ全くの無意味…さあ、教えて下さいまし侑理さん。貴女が一体、何を信じるのかを」
揺さぶるように、わざと迷わせるように、狂三は語る。その上で、侑理に答えを求めてくる。…そして、侑理は感じさせられる。強大にして凶悪な精霊〈ナイトメア〉、その強さは戦闘能力だけでなく、心理戦や駆け引きにおける強かさも要因の一つなのだと。戦いにおいて強いのは勿論、戦い以外でも強いのが時崎狂三という精霊なのだと。
もし何か状況が違えば、侑理はもっと焦っていた。狂三の狙い通り、今以上に心を揺さぶられていた。だが、今は違う。違う状況、条件であればそうだったかもしれないが…今は、そうではない。
落ち着いた様子で、感情の読めない表情で見つめる狂三の前で、ゆっくりと侑理は息を吐く。それから狂三を、真っ向から見つめ返し…はっきりと、言ってのける。
「うちが、何を信じるか?そんなの、決まってる。──うちが信じるのは、真那だ。もう、迷ったりなんてしない。いつだってうちは…真那を、信じ続ける」
その答えに、躊躇いはなかった。躊躇う理由も、必要もなかった。…更に言えば、考えるまでもなかった。侑理にとって、真那を信じるのは当然の事…呼吸をするのと同じ位、意識するまでもない事なのだから。そして、答えを聞いた狂三は…薄い笑みを浮かべると共に、肩を揺らす。
「本当に、真那さんは良いお友達をお持ちですのねぇ。こうも信じてもらえるのなら、さぞや幸せな事でしょう」
「勘違いしないで、時崎狂三。友達じゃなくて親友だ。真那よりももっと…真那の親友になれたうちの方が、幸せだ」
「そういうの、嫌いではありませんわよ。それに、律儀にちゃんと名前を呼び続けてくれる貴女とは、こうして話すのもそう悪いものではない気がしてきましたわ」
「うちは全く、全然良いとは思わないけどね」
「それは残念ですわ。…で、もォ…侑理さんが話に乗ってくれないというのなら、別の手を打つしかありませんわねぇ」
「……っ!?ぁぐ…ッ!」
ぐにゃり、と狂三が口元を邪悪に歪めた次の瞬間、背後に気配が現れる。反射的に、侑理は振り向こうとし…けれどそれよりも早く、背後に現れた存在に腕を締め上げられる。肩に強い痛みが走り…ポケットより抜けた手から、ペンが落ちる。
「これは……」
「その手の内にあるのは、武器か何かかと思っていましたけれど…どうやらまんまと騙されてしまったようですわ」
後ろからは軽い驚きの声が、前からは嘆息混じりの声が聞こえる。前と後ろ、その両方から狂三の声が聞こえてくる。
恐らく背後にいるのは分身体。とはいえ分身だろうと精霊は精霊。今の侑理に振り解く術はなく…ゆっくりと、侑然と狂三は侑理へ近付く。
「そう身構える必要はありませんわ。心配せずとも、貴女を殺したりはしませんもの。…まあ、死なない程度に痛め付けて、真那さんにお見せするつもりではありますけども」
「そして、理解して頂きますわ。これからも追ってくるようであれば、その度に侑理さんが傷付くと。その内うっかり、侑理さんを殺めてしまうかもしれない、と」
軽い調子で、前後それぞれの狂三は言う。まるで雑談の様に…されど脅しでも何でもなく、本当にそうするつもりなのだと感じる声音で、狂三は言い切る。
対する侑理は黙ったまま。無言のまま、狂三を睨み…そこでふと、狂三は思い出したように足を止める。
「そういえば、前にもこのような事がありましたわね」
「……っ…」
「あら?その表情…もしかして、真那さんがまた来てくれる事を期待しているんですの?信じているというのは、そういう事ですの?だとすれば、随分と楽観的な──」
底意地の悪さを感じさせる声音で狂三は問い、楽観的だと断ずる。断じようとする。
だが、言い切る言葉が出てこない。それまでは余裕に満ちていた狂三の顔が、その表情のまま固まる。そして、彼女の視線の先にあるのは、今し方侑理が落としたペン。一見何の変哲もない…今は先端が、何かを発信しているが如く点滅しているペン。
「まさか、これは……」
直後、目を見開き、侑理の顔を見やる狂三。しかしこの時、侑理はもう狂三を見ていなかった。見ているのは、その背後で…その事に気付いた狂三は、反転しながらその場を飛び退く。床を蹴り、横に跳び……
「──散れよ、〈ナイトメア〉」
一閃が、斬り裂く。振り抜かれた刃が、魔力を帯びたレイザーエッジが…真那の一撃が、狂三の鮮血を宙に舞わせる。
「ちッ……」
「そんな、もう…!」
「侑理!」
脇腹を押さえながら侑理の目の前にいた狂三は更に下がり、もう一人の狂三は狼狽。ほぼ同時に真那は、侑理の名を呼び…直後、真那の姿が消える。否、一瞬で真那はもう一人の狂三の最後に回り込む。
魔力による強化すらしていない今の侑理には、本当に消えたようにしか見えなかった。だが侑理は呼び掛け一つで全て理解し、身体を捻る。狼狽しているところへの抵抗により、もう一人の狂三の拘束は解け…侑理が転がって退避する中、もう一人の狂三は苦渋の表情を浮かべながらも侑理の事は追わずに振り向く。短銃を抜きながら、振り向き真那を撃とうとするが……遅い。振り向いた時点ではもう放たれていた真那の斬撃が、腕ごと短銃を斬り飛ばし、更に真那は左腕を、〈ヴォルフファング〉を狂三へと突き出す。顎門を思わせる装備は開き、狂三の頭部を挟み込み…圧殺。肉が潰れ、骨の砕ける嫌な音が響き…首から先を失ったもう一人の狂三は、力無く倒れた。
「真那!」
「遅くなって申し訳ねーです。…って、こんな事が前にもあったような……」
立ち上がった侑理が駆け寄れば、真那は絶命した狂三を侮蔑するように一瞥した後振り返る。それから狂三と似たような事を言い…続けて視線を鋭くさせると、致命傷は避けた狂三を睨む。
「〈
背後に現れる巨大な文字盤。円を描く十二の数字の内、Ⅳの文字から影が狂三の短銃に流れ込むと、狂三は引き金へと指を掛け…撃つ。侑理でも真那でもなく…自分自身を、撃つ。
当然侑理は唖然とする。狂三のしている事の意味が分からず…されどすぐに、理解する。真那の与えた脇腹の傷、それが流れ出る血諸共
「天使を使った…という事は、どうやらお前が本体の様でいやがりますね」
「ご明答ですわ。わたくしのエスコートは如何だったかしら?」
「最低でいやがりましたね。あそこまで品のねーエスコートは初めてでした」
「…エスコート…?」
「さっきの音は、〈ナイトメア〉の分身体が立てたものでいやがったんです。まあ恐らくは、私を侑理から引き離す為だったんでしょう」
既に知っているという事なのか、驚く侑理とは対照的に状況からの推理をする真那。その真那からの言葉で、聞こえていた音が偶然ぶつかったものではなく、やはり意図的に起こしていた…真那を誘い出す為のものだったのだと侑理は理解。
だが、完全に予想通りという訳でもない。侑理は真那を誘き寄せ襲う為のものだと思っていたが、目的は逆だった。何せ、実際には真那を分断し、自身に接触する為の策だったのだから。
「もう少しだったというのに、残念ですわ。…いえ、残念ではなく、わたくしの考えが甘かったと反省するべきですわね」
不意打ちとはいえ、再生したとはいえ、つい先程脇腹を斬り裂かれたばかりとは思えない程落ち着いた様子を見せながら、狂三は軽く肩を竦める。その狂三を、侑理は真那と共に真っ直ぐ見返す。
戦う事も逃げる事も叶わない侑理が狂三を前に選んだ道。それは真那が駆け付けてくれるまで、何とか時間を稼ぐ事だった。そしてその為の鍵となったのが、例のペン。ペンにはノックする事で信号を発し、真那に緊急事態を知らせる機能が備わっており、狂三と遭遇した時点で侑理はそれを押していた。ポケットに手を入れてから押すのでは、手を入れるという行為の時点で怪しまれる…その可能性を考えていたからこそ、万が一の自体に備えて侑理はずっと、初めから手を入れっ放しにしていた。…追跡に出る前、ペン型発信機なんてスパイ作品っぽいよね、と軽く真那と盛り上がったりもしたのだが、それはわざわざ語るまでもないような事。
「反省?反省ってなら、これまでの所業と、自分が生まれてきた事への反省を真っ先にしろってんです」
「ご冗談を。…今のわたくしに後悔はあっても、反省などはありませんわ」
「開き直りとは、これまた最低でいやがりますね。まあ、端から反省するとも思っちゃいねーですが」
「相変わらず手厳しいですわねぇ。けれどそれも、キャンキャン吠える子犬の様なものと思えば可愛らしいですわ。子犬というには、あまりに粗暴ですけれど」
抜き身の刃の様な敵意を真那はぶつけ、それに狂三は動じる事なく慣れた様子で言葉を返す。底意地悪く狂三が口角を吊り上げれば、真那の視線も更に鋭く、剣呑になる。
いつ次の一手が、攻撃が仕掛けられてもおかしくない状況。戦えない自分は、せめて真那の邪魔にならないようにしようと、侑理も神経を張り詰める。ほんの僅かでも動きがあれば、すぐさま離れようと、二人に意識を集中させる。…だが……
「さて、それでは五月蝿い子犬を大人しいわんこにして差し上げたいところですけど、生憎わたくしは『時間』を無駄にはしたくありませんの。目的は失敗に終わってしまいましたし、今回はこの辺りでお暇させて頂きますわ」
「はッ、私がそれをただ眺めてるとでも?逃げたきゃその首を置いてけってんですよ」
「逃げるのではなく、見逃してあげるんですのよ?折角二人共無事で済みそうなのに、そのチャンスを取り零してしまうのは、お二人があまりにも可哀想なんですもの」
「減らず口もいい加減に──」
わざとらしく同情するように言う狂三の態度に痺れを切らし、床を蹴る動きと共にスラスターを全開にする真那。一気にトップスピードまで跳ね上がった真那は一瞬で肉薄し、狂三をその間合いに捉える。そして後は振り抜くだけ、斬り裂くだけ、確かにそんな状態となっていたが……軽いステップで後ろへと跳んだ狂三は、おどけた表情を浮かべて言った。
「あぁ、そうそう。どうやら士道さん、また精霊絡みで大変な事になっているようですわよ?」
『な……ッ!?』
発されたその言葉に、情報に、侑理も真那も息を呑む。バックステップにより〈ヴォルフテイル〉の斬撃を紙一重で躱した狂三は、更に大きく後ろへ跳び…着地と同時に、床に広がった影へと入っていく。沈むように、影の中へ消えていく。当然追い掛ける真那だったが、先の言葉…士道が大変な事になっているという発言で一度動きが止まってしまったロスは大きく、寸前のところで間に合わない。突進と共に突き出された斬っ先は、一瞬前まで狂三のいた場所を虚しく貫く。
そうして静寂の戻る、デパート内。侑理達の追跡は、確かに狂三へと近付いていた。接触にまで至り、一度は窮地に陥った侑理もこうして危機を脱する事が出来た。…だが、それだけ。結果から言えば、狂三に接触し、多少の消耗を与えただけ。侑理達が望むような成果は得られず……残ったのは、真偽も不明な士道に纏わる情報だけだった。