その日は、いつもと変わらないように時間が流れていた。普段通りに起き、普段の様に食事を摂り、第二執行部としての訓練を行い…会話も、模擬戦の結果も、特別な何かがあった訳ではなかった。そんな、よく言えば安心感のある、悪く言えば変わり映えのしない一日を、いつものように侑理は過ごしていた。それでも敢えて挙げるとするなら、せいぜい社内のアナウンスで真那だけが…第二執行部でも上位の三人である、エレンやジェシカと共にではなく、真那一人だけが何やら呼ばれていた事位しかなかった。
だがそれも、おかしいと思う程の事ではない。だから侑理は、試作ユニットである〈ムラクモ〉絡みで何かあったのかな、程度にしか思っていなかった。本当に、何事もない一日だと思っていた。…真那の口から、『それ』を伝えられる瞬間までは。
「ふんふんふ〜ん♪…こうしてると、なんだか妻になった気分かも」
食器を並べ、食事を用意していく。
「あ、でもお婿さんじゃなくて、お嫁さんの真那も良いなぁ…。……はぅ、お嫁さんな真那、素敵過ぎる…」
どんどんと想像が、妄想が加速していき、侑理は自分の肩を抱く。想像するだけでも心が踊りに踊るのだから、もし本当にお嫁さんな真那、彼女のウェディングドレス姿を見たら、一体自分はどうなってしまうのか。それは、侑理本人にも分からなかった。
「…ふぅ、これで準備良し、と。後は真那が来るのを待つだけだけど…目玉焼き位は、作ってみようかな……」
そんな思考をしていたからか、準備を終えたところでふと侑理は思う。目玉焼きといえど、普段殆ど料理をしない自分が上手く作れるだろうか…という不安も同時に湧いたが、どちらにせよ今は待ちの状態。なら試してみるのも良いだろうと考え、侑理は台所へと立つ。
「えと、要は卵を割ってフライパンで焼くだけだよね。だから作り方も何も、って話だけど…一応調べておこう、うん」
取り敢えず気になったら調べる、それが現代の若者というもの。そして自分を若者だと思っている侑理も、携帯で作り方を調べ、それを頭に入れてフライパンを出す。火をかけ、油を引き、冷蔵庫から出した卵を割る。一度別の容器で卵を割ってから、それをフライパンへと移し、二つの目玉焼きを作っていく。
「…あ、結構上手くいった…綺麗な形にはならなかったけど、色は悪くない…!」
開始してから十数分後、無事に完成した二つの目玉焼きを見て侑理は小さくガッツポーズ。そしてその目玉焼きを皿へと移したところで、真那が部屋に戻ってきた。
「あ、お帰り真那。もうご飯の支度出来てるよ」
「あぁ、全部やらせちまって申し訳ねーです。…っと、それは?」
「見ての通り、目玉焼きだよ。時間があったから作ってみたんだ」
「へぇ、中々美味しそうじゃねーですか」
毎日の様に来ている事もあり、真那は自分の部屋に侑理がいる事については何も触れる事なく出来たての目玉焼きに視線を移す。作った理由を侑理が伝えると、真那は小さく笑って美味しそうだと言ってくれる。
とはいえ侑理自身自覚している通り、色はともかく形は歪になっている。にも関わらず、即座に美味しそうという言葉が出る、美味しそうだと言えるのが真那という少女であり…そんな真那に、侑理がじーんときていた事は言うまでもない。
そうして二人で夕食を食べる。侑理も真那も、まずは目玉焼きを口にし…真那は侑理にサムズアップ。実際のところ、目玉焼きの味は特筆する点のない、目玉焼きらしい普通の味だったのだが、やはり出来立てというのはそれだけでも美味しさをプラスしてくれるもの。侑理は今日の様に時間がある時は、また何か作ってみようと心に決めて、それと共に真那へと笑う。
「そうだ真那、今日はなんで呼ばれてたの?…まさか、真那の世界四大ミスコン制覇が正式に認可されたって連絡が……」
「出場すらしてないコンテストの連絡がくる訳ねーでしょう。そもそも制覇の正式認可ってなんでいやがりますか…」
「うち的には真那は、世界一可愛いと思うんだけどなー。…で、実際にはなんだったの?」
「あー…それは……」
「…真那?」
冗談はさておき(無論可愛いと思う気持ちに嘘偽りはないが)、というように改めて訊く侑理。この時侑理は食事中の話題程度の感覚で訊いていたのだが、訊かれた真那は言い辛そうな顔をした後、佇まいを正す。真面目に話すような雰囲気で、侑理を見やる。
「侑理」
「う、うん」
「…私、日本に…日本の対精霊部隊に、出向する事になりました」
「え……?」
静かな、真那の声音。その声で以って伝えられる、真那が呼ばれていた理由。それを聞いた侑理は…一瞬、思考が止まる。何の難解さもない答えながら、理解に数秒を要してしまう。
「驚くのも無理はねーです。私も、最初はぽかんとしちまいましたから。けど、聞くところによると私の出向先、日本の天宮市って所は精霊の現界が多いみてーで…それに何より、〈ナイトメア〉もここのところ日本に出没してるって事らしいんです」
「…え、と…つまり、真那は〈ナイトメア〉専任
「別に私はそんな、某警部みたいな立場ではねーですけど…まあ、つまりはそういう事でいやがります。…だから、その……」
単に日本の部隊に出向するのではなく、対〈ナイトメア〉という事情もあるのだと話す真那は、侑理の返答に肯定をした後、若干目を逸らして口籠る。続く言葉を躊躇うような、そんな珍しい様子を見せる。
初めは理解が追い付かなかった。理解出来るようになってからも、驚きが強かった。だがもう、その驚きも通り過ぎている。ちゃんと受け止められている。だから侑理は、口籠る真那の事を真っ直ぐに見て…言う。
「やったじゃん…やったじゃん真那!日本だよ、日本に行けるんだよ?」
「へ?」
「だってほら、前にも話したけど真那のお兄様が一番いそうな国って日本でしょ?その日本に仕事で、しかも対〈ナイトメア〉案件で行けるなんて、真那からすれば何の気兼ねなく、気にする事なく行けるって事なんだから、嬉しくない訳がない…って、思ったんだけど…えっと、違った?」
「や、違わねーですけど……侑理こそ、喜んでくれやがるんですか…?」
「…真那がどれだけお兄様を思ってるか知ってるうちが、これを聞いて喜ばないと思ったの?」
「それは……」
じっと侑理が見つめれば、真那はまた口籠る。されどそれは、先程のものとは少し雰囲気が違っていて…ふっと次に浮かんだのは、小さくも柔らかな笑み。
「…なんだかんだ言っても、こういう侑理だから信じられるんでいやがりますよね」
「ふぇ?真那?今何か言ったよね?上手く聞こえなかったから、もう一度言ってほしいんだけど…」
「聞こえねーように小声で言ったんでいやがりますよ、だからもう言わねーです」
「えぇ、何それ?ちょっ、気になるよぉ…!」
そんな事を言われてしまえばもっと気になる、と食い下がる侑理だったが、真那に言ってくれるような気配はない。その事に肩を落とせば、真那はまたくすりと笑い、一旦止めていた食事を再開する。
「こほん。…そういう訳で、これから…って言っても、まだすぐにじゃねーですが…暫くの間、私はここから離れます。その間、私の部屋に入るな、とは言わねーですが…変な事はするんじゃねーですよ?」
「んー?真那、変な事って?それって、具体的にはどんな事?」
「うっ…変な事っていうのは……その、悪魔召喚の儀式とか…」
「なんか思ってた方向と違う!?え、そういう事!?真那はそういう事を危惧してたの!?」
これは攻め時!…と仕掛ける侑理であったが、まさかの返しに驚かされ、逆に自分が突っ込む立場となってしまう。やはりと言うべきか、真那は苦し紛れの誤魔化しとして言った訳だが…結果、なんだか変な雰囲気に。気不味さを解消しようと「ま、まあ実際入れるかどうかは、会社が部屋の鍵をどうするか次第だよね」…と取り敢えず侑理は言うが、そんな振りで話が発展する筈もなく…結局二人は、沈黙。
「と、とにかく…そういう事で、いやがります」
「そ、そっか。…まだ、出向までは期間があるんだよね…?」
「それは勿論。軍…もとい自衛隊の部隊への出向って事で、色々手続きも必要になるみてーですし」
「じゃあ…真那が日本に行くまで、これまで以上に色んな事、していこうね!」
「侑理…えぇ、構わねーですよ」
笑って侑理がそう言えば、真那も頬を緩めて頷く。そこから話は発展して、食事をしつつ日本について色々と話す。
恐らく真那が最初に口籠ったのは、侑理の反応を気にしていた…不安や心配があったからなのだろう。だから侑理の返答を聞いてからは、何度も笑みを見せたのだろう。それは侑理も分かっていたし、安心してもらえたのなら嬉しいと、素直に侑理は思っていた。確かにそう思っていた。…それに、偽りはない。心の中には、ある思いもあったけれど…決して、嘘ではない。
*
真那の出向を聞いてからその日が訪れるまでは、あっという間だった。特別な何かがあった訳ではない。ただ、これまで当たり前だった…これからも普通に続くのだろうと思っていた日々に、終わりが訪れるのだという事実が、常に侑里の頭の片隅にはあった。
決して、これまでずっと侑理は真那と共にいた訳ではない。対〈ナイトメア〉関係で真那が国外に行く事はこれまでにもあったし、対〈ナイトメア〉において侑理が同行するのは、基本的にイギリス国内のみ。侑理も任務でイギリスを離れる事はあった。だが、今回の件は一つの任務ではなく、長期となる事も予想される派遣。特に戦力増強という事であれば、真那を当てにしない形でも日本の戦力が充実するか、精霊の現界が少なくなるか、或いは特別な事情でも発生しない限りは短期で戻ってくる事などまあまずない。だからきっと…いや間違いなく、真那とは記憶にある中で一番長い別れとなる。そんな思いが、ずっと頭の端で渦巻いていた。
(…遂に明日、か……)
出向を前日に控え、侑理はふと思う。ふと思って…それからすぐに気付く。今日は朝から、何度も同じ事を考えていると。我ながら、これは良くないな…と、侑理は自嘲し軽く笑う。
「侑理、ちょっといいですか?」
「あ、はーい」
そんな中で聞こえたノックと、それに続く真那の声。返事をすれば、扉を開けて真那が部屋へと入ってくる。
「…あれ?そういえば、真那がうちの部屋に来るのって久し振り?」
「言われてみると、そうかもしれねーですね。基本いつも、侑理が私の部屋に来てやがりましたし」
「だよね。久し振りのうちの部屋はどう?ドキドキする?」
「あんまり前見た時と変わってねーですね、って思いました」
「…まぁ、それはそうなんだけども」
久し振りとはいえ真那はもう何度も自分の部屋に来ているし、ここ最近は内装を弄ってもいないんだから、真那の反応は至極当然なものだ。…と、思ってしまった侑理は特に返しが思い付かず、ただただ頷く。そしてその侑理の心理を察したのか、真那は「全く…」と軽く肩を竦めていた。
「こほん。それで、どうかしたの?」
「…侑理、今から私に付き合ってくれねーですか?」
付き合う!?そんな、真那、うちとだなんて…でも真那となら、うちは幾らでも!…といういつもの調子の返しが一瞬頭に思い浮かぶ侑理だったが、即座にその思考を、煩悩を振り払う。
理由は簡単。真那は、真剣な顔をしていた。真面目に、侑理に頼んでいた。ならばそれに浮かれた言葉で返すのは失礼というもの。相手が真那でなくとも、そういう返答をするのは…違う。
「…うん、いいよ真那。うちは、どうしたらいい?」
「ありがとうございます。…侑理には、私と模擬戦をしてほしいんです。模擬戦を、してーんです」
「それは……」
感謝と共に伝えられる、真那の頼み。それを聞いた侑理は…困惑した。何故出発を明日に控えた今日なのかという事と、模擬戦ならば普段からよくやっているのに、何故改まって頼みにきたんだろうかという事の、二つの事が気になった。
だがそれは、気になっただけ。侑理の気持ちは、聞く前と変わらず…静かに頷く。
(真那は本気だ。理由は分からないけど…本気で、うちと勝負がしたいんだ)
侑理はすぐに部屋を出て、真那と共に戦闘シミュレーターのある区画へ。私服からワイヤリングスーツへと着替え、シミュレーターの準備を整え、装備を纏う。そして、殺風景な部屋がシミュレーターによって彩られていく中…侑理は真那と、正対する。
「…思えば、侑理とは何度も何度も模擬戦をしてきやがりましたね」
「そうだね。真那と一緒にした事ランキングを作るとしたら、食事に次ぐ回数を誇ってそうな位、何度もやってる気がするよ」
「いつも模擬戦に付き合ってくれる事…心から感謝していやがります。いちいち吹っかけてくるジェシカを除けば、私との模擬戦をいつも受けてくれるのは、侑理だけでいやがりますから」
「あはは…うん、本当にうちと真那とは沢山模擬戦をしてきた。何度も、何度もやって……だけど一度も、うちは真那に勝てなかった」
一度も勝った事がない。その言葉に、真那からの返事はない。気を遣わせるような事を言っちゃったかな、と侑理は少しだけ今の発言を顧みる。顧みつつも、視線は真那から外さない。
とはいえ、全戦全敗は紛れもない事実。第二執行部全体としての訓練で別チームとなった際、それこそ勝利条件が単なる相手の撃破ではない場合や、自チームにエレンが参加している場合などは、流石に勝った事もあるものの、一対一では本当に勝った事がなかった。
「だから、さ…真那。…今日こそ、勝たせてもらうよ」
「それでこそ侑理です。…けど…わりーですけど、私も勝ちを譲る気なんてねーです。出発前最後の模擬戦で負けて日本に…だなんて、真っ平御免でいやがりますからね」
今日こそは、今回こそはと侑理は口にする。これまでも別に、最初から勝ちを諦めていた訳ではなかったが…出発を明日に控えた、最後の模擬戦だからこそ、『勝つ』とはっきり言葉にする。
真那もまた、不敵な笑みを浮かべる。じわじわと、緊張感が侑理と真那を包んでいく。
「さあ、どっからでもかかってきやがれです」
「だったらうちからいかせてもらう…よッ!」
構える事なく余裕の表情で…されど隙のない雰囲気を纏って誘う真那。それに侑理は言葉で答え…行動でも、応える。
前傾姿勢になると共に、スラスターを噴射。倒れるような動きから、流れるように真那へと向けて突っ込んでいく。同時にレイザーカノンとガトリングガンのトリガーを引き、真正面から射撃を掛ける。
「威勢は良し、けどこれだけなら真那には……」
「届かないだろうねッ!」
輝く光芒と唸りを上げる弾丸が、揃って真那に襲い掛かる。…が、真那は眉一つ動かす事なく、
自身の身体を目隠しにした、自分を囮に使ったミサイル攻撃。真那からすれば、いきなり目の前にミサイルの束が現れたようなもの。実際ミサイルは真那が行動を起こすより先に着弾し、爆炎を上げ…次の瞬間、魔力光が爆炎を切り裂く。
「上手いもんじゃねーですか。感心です」
「真那はほんと、そういうとこ無自覚だよね…!」
「……?何を言ってるかは分からねーですが…侑理がその気なら、このまま遠距離戦をしても構わねーですよ?」
難なくミサイルも防いだ真那の
普通に考えればどう見ても皮肉か煽りな発言ながら、真那にその自覚はない。無自覚に言ってしまうからこそ厄介なのであり、真那にぞっこんな侑理と言えど、余裕綽々な様子でそんな事を言われてしまえば面白くはないというもの。
だが、それだけで…それに続く更なる発言だけで頭に血が昇る侑理ではない。面白くはないものの、これまで幾度も模擬戦をしてきた侑理にとって、真那の無自覚発言などは完全に慣れっこ。真那の人となりも、模擬戦も、戦い方も…全てよく知るからこそ、侑理は勝つべく考える。
「それじゃあ真那、今回は
「へっ?い、いやそれは……」
「自分で遠距離戦で構わないって言ったのに?真那ってばもう前言撤か…ぅわ……ッ!」
「…侑理、そう言っておいてただの砲撃でやられたら、恥ずかしいなんてレベルじゃねーですよ」
「い、言われなくても分かってるよ…!」
言葉で、駆け引きで真那の隙を作ろうとした侑理だったが、躱した光芒ががくんと曲がり、再び自身を襲ってくる。それにより、意識を防御へ割かざるを得なくなる。
勿論侑理もただ言葉を発していただけではない。それと偶に、弾丸、光芒、ミサイルと三種の攻撃を代わる代わるぶつけていた。
この、それぞれ威力や速度、その他性質の違う攻撃を次々放つというところにミソがある。通常
(やっぱり、少しずつ削るなんて戦い方は無理か…うん、きっとこれじゃ先にうちが息切れする。勝つなら、勝ちたいなら…一気に破るしかない…!)
侑理もまた真那の砲撃を避けて防いで反撃するが、真那程鮮やかではない。攻撃も防御も真那の方が洗練されている…その差が表情に表れる。
だからこそ、侑理は長期戦の策を全て捨てる。同時にこれまで培ってきた、何度も模擬戦を繰り返してきたからこそ分かる、『真那の戦い方』を踏まえて動く。
「ふッ…はぁああぁぁッ!」
迫る砲撃を、真正面から
当然真那も砲撃を返してくる。だがその脅威度は、近付いたにも関わらずむしろこれまでよりも下がっている。それは真那も理解しているようで、ならばと〈ムラクモ〉を|双剣形態《ソードスタイル〉に切り替えて踏み込んでくるが、それよりも一手早く、侑理は切り替えを視認した時点で一気に下がって真那に距離を詰めさせない。
「く…上手く立ち回ってくれやがりますね、侑理…!」
「うちがどれだけ側で見てきたと思ってるのかな、真那…!」
追えば引き、砲戦に移ろうとすれば近付く。されど近接戦の距離には入らず、中距離からの射撃とミサイルを浴びせ掛ける。依然として真那は有効打を受ける事なく、防御も回避も余裕を持って行っているが、それでも真那の顔は苦々しげに歪む。…〈ムラクモ〉の短所を着実に突く立ち回りに、表情を歪ませる。
遠近両対応且つ器用貧乏ではなく万能と言える性能を有する〈ムラクモ〉だが、決して完全無欠ではない。例えば
親しいからこそ、何度も共に戦い、よく見てきたからこその、相手への把握。それは正しく、真那に対する侑理の強みであり……だが当然、知っているというのは…侑理だけの、強みではなかった。
「ま、それはその通りでいやがりますね。けど…まだまだあめーです。侑理こそ、私がどれだけ一緒に戦ってきたと思っていやがるんですか…ッ!」
暫くの間、侑理は真那を押していた。〈ムラクモ〉の短所を突く事で、本来の性能を活かせないようにしていた。それは間違いなく、有効な戦い方ではあったのだが…〈ムラクモ〉の、真那の強みは、遠近両対応の武器だけではない。
「……ッ…そうだね、機動力は真那の方が上…!だけど、そう簡単に接近させると思ってるなら、甘いのは……」
「──侑理はこういう時、とにかく離れようとする。迎撃はしても、逆に近接武器を抜いて迎え討つ事はまずしない。もしそれに気付いてねーなら、直しやがれ、です」
「……!」
確かに、下手に距離に合わせた戦い方をしようとするのではなく、侑理を上回る機動力で徹底的に追い掛け、無理矢理にでも接近戦に持ち込む方が、侑理の立ち回りに振り回されずに済む。真那の動きはそういうものであり、しかしそれは侑理も想定済み……だったのだが、次なる言葉は違った。自分自身も気付いていなかった、急速に距離を詰められる状況下での『癖』を指摘されて、侑理は思わず息を呑む。
「射撃しかしてこねーなら、してこねーって分かってるなら、こっちも迷わず突っ込めるってもんです…よッ!」
「ぐッ…ぅうぅぅッ!」
その言葉通り、距離を開けようとする侑理へ滑らかな機動で急接近した真那は、加速したままレイザーブレイドを突き出してくる。侑理は
刺突を止め、下がる真那。数発を
「…その形態は……」
「こうすれば、斬撃も砲撃も同時に行える…別に、ここまで手を抜いていたからやってなかった、って訳じゃねーですよ?初めっから、真那は出し惜しみなんて事は考えてねーですから」
第二執行部としての模擬戦でも見せた、左右それぞれで別の形態を取るスタイル。剣を構え、砲を向けた真那が向ける、本気の瞳。じわり、と冷や汗が滲むのを感じながらも、侑理もまた構え直す。
そこからは完全に、互いが手札を次々と切る戦いになった。知識を、経験を、それを元にした策を片っ端から投入していく、侑理にとっては真那とのこれまでの模擬戦の総決算とでも言うべき、息つく間もない駆け引きとなった。互いが互いをよく知るからこそ、動きを読み、短所を突き、それの対抗でもまた知識と経験を総動員する戦いとなり……だからこそ、
「……っ…」
「その様子じゃ、ガトリングもミサイルも弾切れみてーですね。とはいえ、必要な時に惜しまず撃つっていうのも大事な事でいやがりますし……」
「…分かってるよ。実力で劣るうちが喰らい付こうとすれば、盛大に撃つしかないんだから。…そして、それだけやってもまだ、真那には届かない」
虚しく回るだけのガトリングガンと、完全に軽くなってしまったマイクロミサイルポッド。見抜いた真那に対し、侑理はガトリングを降ろしながら返す。
単に、喰らい付く為に出し惜しみなしの攻撃をしていたという訳ではない。短期決戦とする為に、後の事は考えず撃っていたのも、弾切れに追い込まれた理由の一つ。だがそれでも尚、真那の余裕を崩し切れていない。
「…どうしてだろうね。うちだって、いつも真那と一緒に訓練してるのに、今だって目一杯戦ってるのに、こんなにも差があるのは。これが、努力じゃどうにもならない、どうしようもない才能の差…なのかな」
「…それは…そんな事は、ねーと思いますよ?その、私も上手く言えねーですけど、多分侑理はもっと……」
「…なんて、ね。ごめんね、弱音吐いちゃって。…まだ、うちは諦めてないから。まだ、ここから勝ってやろうって思ってるから…最後まで、付き合って」
「…当然じゃねーですか。そもそも今日は…いや、模擬戦はいつも、私が付き合ってもらってるんです。侑理が嫌だって言わねー限り、私の方から投げ出す事なんてしねーですよ」
言うまいと思っていた…けれどつい出てしまった、本心。それを聞いた真那は、悲しそうに表情を曇らせる。
侑理は、そんな顔をさせたい訳ではなかった。そんな顔をしてほしい訳ではなかった。されど、発した言葉は消せない。消せないからこそ…次の言葉で、行動で、塗り替える。侑理はガトリングガンを手放し…普及型のレイザーブレイド、そのDEM仕様である〈ノーペインR〉を抜剣する。
(ここまでは、どれも通用しなかった。だけどまだ、手はある。ここまで通用しなかった事も…無駄じゃない)
持てる手を尽くしてきたのに駄目だったと思うと、辛くなる。だが、毎度の事だと思うと、少しだけ開き直れる。それに凡ゆる手を尽くしてきたからこそ、確かに殆ど使う事のないレイザーブレイドを抜いた今の自分は、真那からすれば最後の悪足掻きにも映っている筈。そこに生まれる、無意識の油断を突く事が出来れば…と、侑理は自分を奮い立たせる。
大きく一つ、深呼吸。真那もまた、二振りの刃を油断なく構える。そして、一瞬の静寂の後…侑理は、飛び出す。
「これで最後だよ、真那ッ!」
「来やがれです、侑理ッ!」
突撃と共に、レイザーカノンを放つ。真っ直ぐ突っ込むと共に、魔力の弾丸を数度放つ。待ち構える真那は、射撃を
乾坤一擲の、気持ちも魔力も思い切り込めた斬撃。それは鋭く真那へと伸び…しかしやはり、真那は対応してみせる。侑理が振り出した斬撃を、左のレイザーブレイドでしっかりと受け、両足で踏ん張り持ち堪えつつ、右のレイザーブレイドでカウンターを放つ。スラスター全開で突っ込んでいた侑理に、それを躱す余裕は…ない。
「これで、終わ……」
「──りじゃないッ!」
「……ッ!」
決着が付く。そう確信したような真那の表情。しかしそれを、侑理は覆す。刃が迫る中、侑理は展開していた
通常なら、
「いッけぇぇぇぇええええええッ!!」
全力を込めて叫ぶ侑理。目を見開く真那。偶然ではない。偶々ではない。初めから侑理はこれを狙っていた。カウンターの斬撃を見越して突っ込み、跳ね返るところまで想定してその斬撃を受けていた。
如何に高度な
身体を捻り、跳ね返りながら真那へと向き直る。目を見開いた真那へ向け、レイザーブレイドを突き出す。見るのは前だけ、狙う先だけ。そして突き出したレイザーブレイド、魔力の刃は真那の無防備な喉元へと迫り……
「こッ…のぉおおおおぉぉッ!」
「ぁぶ……ッ!?」
──侑理は、顔を踏み付けられる。咄嗟の…そして恐るべき反応速度で片脚を上げていた、跳ね返る侑理の身体よりも上をいった真那の脚に、足裏に顔を踏み付けられ…刃を、身体を押し返される。
なまじ限界寸前まで
「…今のは、正直ヒヤリとしました…やるじゃねーですか、侑理……」
安堵と感嘆の混じった、真那の声。その言葉通り、真那の表情から余裕は消えていた。後一歩遅かったら…そんな思いが、浮かんでいた。
だが…それでも、結果は明白。どれだけ喉元に近付こうと、限りなく近付いていようとも、それによって動きを止められた真那と、止められなかった…その前に対応されてしまった侑理との差は歴然。届いたと届かなかったの間にあるのは、明確な勝敗の差。刃と共にその事実を、届かなかった現実を突き付けられた侑理は、真那を見上げて…言う。
「…むぐ、むぐふぐ……」
「あっ…も、申し訳ねーです…」
出てきたのは、うまく言葉にならないくぐもった声。だが当然である。真那は刃を突き付けた後も、侑理の顔を踏み付けたままだったのだから。
思わず踏んでいる事も失念する程驚きだったという事なのか、気付いて慌てて足を退かす真那。ワイヤリングスーツの足裏から解放された侑理は、離れていく真那の脚を軽くまだ追いながら…今度こそ、言った。
「…これはこれで、有りかも……」
「…………」
見下ろす真那の、心底呆れたような視線。だが侑理はそんな事なと気にせず、ゆっくりと起き上がる。
これでも…つい思った事を口にしてしまった侑理でも、内心では色々な思いが渦巻いているのである。これまでで一番、真那に届きそうだった事。それでも届かなかった事。結局最後も、負けてしまった事。そんな思いは表情に出ていたのか、暫しの間半眼を向けていた真那の方から小さな吐息が一つ聞こえ……手が、差し出される。
「…いい勝負でいやがりました。最後まで真那と…最後まで全力で模擬戦をしてくれて、ありがとうございます」
「…うちこそ、ありがとね。いつもうちと、本気で戦ってくれて。最後まで…全力で向き合ってくれて」
その手を掴み、侑理は立ち上がる。勿論悔しい。凄く悔しい。しかし同時に、清々しさもあった。悔しさに負けない位、さっぱりとした気分もあった。
「…さ、戻るとしようじゃねーですか。今日もこの後は、シャワーを浴びつつ反省会でいやがりますよ。…あぁいや、今日はゆっくり入浴しながらでもいいかもしれねーですね」
「え、もしかして一緒にお風呂入ろうって事?真那ったら、もしかして最後の日はうちと少しでも長く一緒に……」
表情を緩めて肩を竦める真那に対し、侑理はすかさずアプローチを掛ける。食事は一緒に取るが、入浴は基本個々で…というのがこれまでの普通であった為、真那の珍しい発言を侑理は掘り下げ……ようとしたところで、侑理も真那も何の操作もしていないにも関わらず、不意にシミュレーターの機能が止まる。それと共に、外から一人の女性が現れる。
「中々良い模擬戦でした。評価出来る点も改善すべき点も見える、次に繋がる内容だったと言えるでしょう」
「へ?」
「エレンさん?」
入ってきたのは、仲間にして上司でもあるエレン。開口一番の感想に侑理達は目を丸くし、続けて「何故ここに?」と当然の疑問をぶつけようとする。だがそれよりも早く、次なる言葉をエレンは紡ぐ。
「しかし、シミュレーターの無断使用は頂けませんね。使用時は申請をするよう常々言っている筈ですが?」
「あぇ?…真那、申請してないの…?」
「してないの?…も何も、普段は侑理がしてるじゃねーですか。むしろ侑理こそ、どうして今日は申請してねーんですか?」
「いや…そりゃ、普段はそうだよ?そうだけど、今日の真那の口振りだったら、普通は真那がするって思っちゃうって」
「だったら確認はしてくれねーと困るってもんです。確かに私も、勝手な思い込みはせず毎回確認をするべきではいやがりますけど、それでも……」
「…ほぅ。注意をまともに受け止めないどころか、責任の擦り付け合いですか。私は貴女達二人を、評価していたつもりでしたが…どうやら上司として、指導をする必要があるようですね」
『え…?』
想定外の指摘を受け、真那と話していた侑理だったが、そんな侑理の本能が突如として危機を訴える。反射的に、肩が震え…真那と共に、ゆっくりと振り向く。
「そういえば、日本には古来から反省を示す座法があるとか。確か、正座…でしたか」
「あ…はい、そう…ですね。正座は別に反省の為だけの座り方じゃなくて、改まった場で使ったり、武道での基本の座り方だったりもしますけど……」
「ちょっ、そこで正直に答えたら……」
「説明ありがとうございます。では、そこに正座なさい」
「…こうなるじゃねーですか……」
肩を落とす真那だったが、時既に遅し。うっかり素直に答えてしまった侑理も、すぐにそのミスに気付きはしたが、言った後に気付いたところでどうにもならない。
「あの…うち、模擬戦の後で疲れてて…全力出したから、結構疲労してて……」
「相手が真那であれば仕方のない事ですね。正座しなさい」
「あー…そういえば私、まだちょっと荷造りが残っていやがりました。明日には出発でいやがりますし、私はこの辺で……」
「準備の時間はこれまでにも十分あった筈ですよ。正座しなさい」
『うっ…せめて、お風呂に入ってからで……』
「正座、しなさい」
『……はい…』
世界最強の
……因みに、後一歩で侑理が届かなかったその刃を、僅かにとはいえ届かせるに至ったとある
*
出向の前日、模擬戦(とエレンによるその後の説教)を終えた侑理は、真那と共に入浴し、二人での時間を過ごした。最後まで、いつも通りの、二人の時間を送った。そして、最後の日も終わり…遂に、その時が訪れる。真那の、出発の時間が。真那との、別れの時間が。
「侑理、わざわざ見送りにまで来させて申し訳ねーです」
「何言ってるの真那、見送りはするに決まってるじゃん。というか仕事がなければ、このまま行けるところまで着いていきたい位だし」
冗談ではなく大真面目に返す侑理に、真那は軽く苦笑いを零す。それから真那は、侑理の肩越しにその背後を見る。…侑理と同じように、本社の前まで見送りに来た、数人の同僚達や関わりのあった整備部門のスタッフを見やる。
「しかし、まさか数人とはいえ見送りに来るとは…。私はてっきり侑理しか来ないものと思っていやがりました」
「だから、そういうの良くないからね真那。友達なくすよ?」
「じゃあ、このままだと侑理も愛想を尽かすと?」
「そんな訳ないでしょ?うちを舐めないでよね」
「えぇー…主張は一貫させてくれねーと困ります……」
全く、分かってないなぁとばかりに侑理が腰に手を当てれば、真那は「どうしろと…?」と肩を落とす。しかし、愛想のない事を言いつつも、見送りに来てくれた同僚の存在には思うところがあったのか、少しの間頬を掻いてから真那は言う。
「…まぁ、正直見送りに来てくれたのは…嬉しくねー事もねーです。…ありがとう、ございます」
『マナ…。……ほんと、余計な事を言わなければ可愛いのにねぇ』
「おう喧嘩を売っていやがるんですか?壮行式として模擬戦をやるってなら、全員纏めて相手してやりますよ?」
ぺこり、と真那が下げた頭。それを見た同僚達は、顔を見合わせ…ちょっぴり笑いながら肩を竦める。何とも容赦ないその返しに真那はファイティングポーズを取り、そのやり取りを見て侑理は笑う。
今の言葉に、悪意はなかった。からかってやろうという意図は感じられたが、それも仲間であるからこそだ、と侑理は感じていた。
「冗談よ冗談。あぁそうだ、いつ帰ってくるのか知らないけど、帰ってくる時はお土産宜しくね?私、前から食べてみたい日本のお土産があったのよ。確か英語にもなってた…えーっと…そう、エイトブリッジってやつ」
「エイトブリッジ?…あぁ、八ツ橋でいやがりますか。それだとお笑いの二人組になっちまいますね」
「お笑い?お笑いといえば、日本ってなんで脱いだ状態で芸をする人が多いの?最近だって、ほぼ何も着てない芸人がうちの国の番組に出てたじゃない」
「いやそれを私に聞かれても…というか別に、日本は裸芸ばっかりって訳じゃ……」
「…水着一枚で関係ないって言う人とか、スパッツ一枚で暴走する人とか、お盆一枚で隠してる人とか、物凄く誇張してる人とか…意外と、多くない……?」
「…言われてみると、そうでいやがりました…日本人って、なんなんでいやがるんでしょうね……」
気付いてしまった妙な事実(?)に、二人して何とも言えない気持ちとなる侑理と真那。その様子に、今度は周りが苦笑を漏らし…再び顔を見合わせる。
「さてと、それじゃあ私達はそろそろ戻るわね。じゃ、日本でも頑張りなさい」
「え、もう戻っちゃうんですか?」
「まあ、一応見送りには来たけど、特別何か伝えたい訳じゃないしね」
「それに、ユーリも二人の方が話し易い事とかあるでしょ?」
「あ……」
ひらひらと軽く手を振って、数人のみとはいえ来てくれた同僚達は本社の中へと戻っていく。特別話す事もない、というのも恐らく事実ではあるのだろうが、同時に気遣いでもあったのだと知った侑理は、そんな同僚達を見送った後真那の方へと視線を戻す。
「…えっと、じゃあ…真那、向こうでも元気でね?ご飯はちゃんと食べるんだよ?一人だからって適当にしちゃ駄目だからね?」
「なんでそんな、母親か祖母みてーな事を……」
「寂しくなったら、いつでも連絡していいからね?ちょっとした事でも、話す事がなくても気にしなくていいんだよ?」
「だから何故保護者目線…というかそれは、侑理がしたいだけじゃねーですか?」
「う、バレたか……あぁそうだ、エレンさんからも伝言を預かってるよ。『真那、貴女が日本でもDEMの
「それはまた、エレンらしい伝言でいやがりますね…やれる事はやる、と返しておいて下さい」
伝言に対する返答、お返しの伝言を侑理は受け取る。受け取り…そこで、会話が途切れる。
侑理も、もう話す事がない…という訳ではない。むしろ話したい事なら、幾らでもある。あるのだが、何故か出てこない。言いたい事は多いのに、どうしてか冗談を言ってしまう。それのせいで、中々次の言葉が見つからず…それをどう思ったのか、今度は真那から口を開く。
「…侑理こそ、体調には気を付けやがって下さい。ジェシカ達にいびられたら、その時は私が聞いてやりますから、遠慮なんてせず連絡しやがって下さい。…私も、遠慮なく連絡するつもりでいやがりますから」
「真那…」
冗談めかした侑理とは違う、真心が感じられる真那の気遣い。それに侑理が見つめ返せば、真那は一度黙り…そして、言う。
「…やっぱり…少し、寂しいでいやがりますね……」
「……っ…!」
呟くような、寂しいという真那の言葉。発されたその言葉に、気遣いから続く本心を感じさせるその思いに、侑理は息を詰まらせる。そうして自分でも気付かない内に…声を、漏らす。
「うちは…少しどころじゃないよ…うちは、凄く寂しいよ…だって、だって…これまでずっと、一緒にいたのに……っ!」
「侑理……」
分かっていた。この思いは、初めからずっと…出向の事を聞いた時からずっと、胸の中にあった。だが、それを言えば、意識すれば、真那に気遣いを、心配をさせてしまうと、自分自身気付かないフリをしていた。日本で兄を探す事も出来る、と伝えた思いも確かに心に浮かんだ事だったから、それに水を差したくもなかった。されどそれでも心に在り続けた思いが、遂に溢れ出し、零れる。
侑理とて、もう別れ一つで泣きじゃくるような歳ではない。更に言うなら、遠い地へ離れるのは真那の方であり、本来より辛いのは真那の方な筈。それも分かってはいるが、それでも侑理は寂しかった。寂しく、辛く…どうしてここまで辛く思うのか、自分でもよく分からない位に、心が痛んでいた。
「…全く…侑理はほんとに泣き虫でいやがりますね」
「な、泣いてないでしょ…!?っていうか、ほんとにって言われる程真那の前で泣いた事…あったっけ……?」
「…言われてみると、それもそうでいやがりますね…。…けど、今泣いていないっていうのは…ちげーみてーですよ?」
すっ…と触れる真那の指。その指が掬うのは、侑理自身気付いていなかった一筋の涙。自分でも分かっていなかった涙を指摘した真那は、小さく笑い…それから真剣な眼差しで、侑理を見つめる。
「泣いてる場合なんかじゃねーですよ、侑理。私がいなくなるって事は、私が鍛錬に付き合えなくなるって事でいやがります。私程のつえー特訓相手がいなくなっても、今より強くなれるってんですか?」
「…強く、って……」
「私達は
そして、真那は続ける。再び表情を柔らかなものに戻して、侑理の事を見つめ続けながら。
「侑理。侑理は私にとって、大切な相手です。だから絶対に、死なねーで下さい。そして私は、日本に行っている間も強くなります。もっともっと、強くなってみせます。だから…侑理ももっと、強くてなりやがって下さい。私が驚く位に、強くなってみせて下さい。そうしてまた…私と、組んでほしいんです。唯一無二の…私の、相棒として」
「……──っ!…勿論、だよ…うちはもっと強くなる、絶対強くなって…真那を、驚かせてみせる…!だから…約束だよ、真那…っ!」
それは、真那からのエール。鼓舞であり、応援であり…心からの、期待。その思いを受け取った侑理は、応える。言葉で、思いで。
どんな言葉を受け取ろうとも、寂しい気持ちは変わらない。寂しさは消えてくれない。だが…それ以上に今は、真那の気持ちに応えたかった。友達として、仲間として、親友として……真那が『相棒』と呼んでくれる自分であろうと、心で思いが燃え上がる。
「ふふっ。それじゃあ…行ってきやがります、侑理」
「…ぁ…うん…!…行ってらっしゃい、真那」
いつの間にか、侑理の顔に浮かんでいた笑顔。それに安心したのか、真那も笑い…侑理を、抱き締める。包むように両手を背中へと回して、侑理の事を感じるように触れて、行ってきますと伝える。
侑理もまた、抱擁を返す。侑理は真那と抱き締め合い…行ってらっしゃいと伝える。互いに側で相手を感じ、少しだけ顔を離して笑い合う。そうしてどちらからともなく振った手、その手首でブレスレットが…侑理が真那に、真那が侑理に贈った、対のブレスレットが陽の光を浴びて煌めき……そして、真那は日本へと向かっていった。
抗う事の出来ない別れ。これから始まるのは、真那のいない日常。しかし、侑理には新たな目的が…真那との、約束がある。それに…どれだけ離れていようと、この繋がりは消えない。思い合う気持ちは、消えたりしない。それを確信した侑理は、笑顔で真那を送り出し…また、日々を重ねていく。真那と再会する、その日へ向けて歩んでいく。
「……あ、真那空港に着いたんだ。んー、返信はどうしよっかなー」
…まあ、今のご時世電話であれメールであれ各種メッセージサービスであれ、やり取りをする手段は色々とあるのだが…まあそれはそれとして、それぞれの日々を重ねるのである。