スラスターを吹かし、空を駆ける。来た道を引き返すように…否、阻むもののない空を一直線に飛び、侑理は街へ広がる大火の発生源…先程までいた公園へと戻る。
「ここで合ってるの?」
「ええ、一度目の時間遡行では、ここで折紙さんが〈ファントム〉を強襲したのですわ」
眼下に見えるのは、泣きじゃくる五年前の琴里と、その近くで倒れた一人の少年の姿。初めて見るようで初めてではない気がする、彼はきっと……
「……っ…!」
「…侑理さん?どうしまして?」
「…何でも、ない。それより、ここに折紙さんが現れて〈ファントム〉を襲ったのは、あくまでここに〈ファントム〉がいたからじゃないの?」
「それはそうでしょうね。されど折紙さんに特別な探知能力や、わたくしの様な人海戦術での探索手段がないのであれば、自ら飛び回り、探していた筈。であればやはり、〈ファントム〉の有無に関わらず、そろそろこの辺りに現れる筈ですわ」
彼の姿を見た瞬間、一瞬頭に走った痛み。頭の中、脳の奥で何かが揺れたような痛みを覚え…しかし侑理はすぐに頭を振って意識を現実へ引き戻す。続けてぐるりと周囲を見回し…発見する。美しく煌びやか、正に天使を思わせる純白の霊装を纏った、その姿で空を駆ける一人の精霊を。
「……折紙、さん…鳶一、折紙…」
何かを探すように、遠くからでも分かる程一心不乱に飛び回る精霊。その姿を、彼女を…折紙を目にした侑理は、小さく息を吐き、身体に力が籠もり……半ば無意識の内に、撃っていた。〈オルムスファング〉による長距離射撃を、折紙の進路を塞ぐ形で撃ち込んでいた。
「……ッ!…な──ッ!?」
空中で急停止を掛けた折紙は、即座に射撃の起点を、侑理のいる方を見る。そして、目を見開く。
されどそれも、当然の事。何せここは五年前、本来ここに侑理はいる筈がないのだから。
「…侑理…どうして、貴女がここに……」
「五年前の天宮市に、いる訳がない。それは、折紙さんも同じでしょう?」
「……そういう事…」
流石と言うべきか、折紙は今の返しだけで理解をした…少なくとも、「自分と同じ手段を使った」という事についてはすぐさま考え付いた様子。されど何故その手段を使えたのか、協力を得られたのかについては訊く事なく、静かな…冷たさすら感じる声で、折紙は言う。
「邪魔をしないで。私には、時間がない」
それは、予想していた通りの反応。既に一度対話は決裂している以上、その延長線上で止めるつもりは侑理もない。
「侑理さん、どうか冷静に。貴女の心配をする訳ではありませんけれど…とにかく時間さえ稼げれば、それで良いのですわ」
「…分かってる」
だから焦るな、不要なリスクを冒すな…そんな声音で、狂三は言う。無論、それも分かっている。分かっているからこそ…侑理はじっと、折紙を見据える。
「…折紙さん。貴女は今、両親の仇を探している…そうですよね?」
「そう。だから……」
「なら、探しても無駄ですよ。どれだけ探しても、見つけられる訳がない。だって──それは、うちの目の前にいるんですから」
「何を、言って……」
目を離す事なく侑理が言えば、折紙は困惑し…それからその意味に気付いて、表情が強張る。これまで見た事ない程の、狼狽の顔になり…次第に呼吸が荒くなっていく。
「これで思い留まってくれれば、御の字ですけれど……」
明らかな動揺を見せる折紙。その様子に、戯言だと切り捨てる気配はなく…されど侑理は油断しない。そしてその判断が正解だったと示すように、少しずつ折紙の呼吸は落ち着いていき…折紙もまた、侑理を見つめる。
「…ありがとう。その助言がなければ、貴女の知る『未来』の通りになっていたかもしれない」
「…分かってもらえて嬉しいです。だったら……」
「──おかげで私は、確実に仇を討つ事が出来る」
「……ッ…!?」
先の言葉だけで確実とは思っていなかった。まず信じてくれるかどうかの問題があると侑理は思っていた。だが、折紙の出した結論は、侑理の想像していたものとは全くの別。完全な、想定外。
「な…なんでそうなるんですか!貴女の両親の仇は……」
「何らかの理由で、私が巻き込んでしまった。そうでしょう?」
「そうです!それが分かっているなら…ッ!」
「だから、そうならないように立ち回る。ただ、それだけ」
予想と違うその結論に動揺する侑理だったが、続く言葉で気付く。折紙は自らの誤射で両親を殺めてしまう事については確かに理解をしてくれた。だがそれとは別に、恐らくこう考えているのだ。自分が何もしなければ、その場にいた精霊──〈ファントム〉が両親を殺すと。或いは物語における歴史の修正力の様に、何もしなければ〈ファントム〉が、何も知らずに行動すれば自分が殺めてしまうのだと。
「違います、違うんですよ折紙さん!最初から、折紙さんだったんです!折紙さんの知る五年前の出来事は、過去を変えようとする今の折紙さんの行動も組み込まれたものだったって言ってるんですよッ!」
「…なら、あの時いた〈イフリート〉とは別の精霊は、何も関係がないと?」
「そういう事です!少なくとも、折紙さんの両親に関しては……」
「──その、根拠は?」
「え……?」
認識の齟齬を解消しようと食い下がる侑理。されど折紙の『根拠』を求める返しで、言葉に詰まる。その瞬間、自分自身でも気付いてしまう。自分の主張、自分達の考えにおける一つの『穴』に。
「あの精霊が、私の両親を殺さないという根拠は?貴女の言う通りにすれば、お母さんとお父さんを救えるという根拠はあるの?」
「そ、それは……」
「ないなら、私が行動を変える理由にはならない。私は過去を変える為に来た。何が何でも、何があっても、絶対に二人を殺させない、助けてみせる。それを、根拠もなしに止めるつもりなんて…今なら守れる力が、守れる可能性があるのに何もしないなんて事は、私には出来ない」
そう。〈ファントム〉が人に、折紙の両親に危害を加えない根拠は何もない。むしろ琴里や美九、そして折紙を精霊にしてしまう事で、直接的にせよ間接的にせよ、人に害を及ぼしてきた過去(尤も五年前の時点では、折紙は勿論美九も精霊化していないだろうが)しかない。あくまで折紙の両親という一点に限っては、〈ファントム〉が直接の原因ではないのだが…それを折紙に信じろというのは土台無理な話。何せ侑理自身、ここで折紙を止めれば本当に大丈夫なのか、〈ファントム〉は何もしないのかと疑念を抱いてしまったのだから。
(……っ、けど……ッ!)
だが、侑理に折紙を通すという選択肢はない。折紙の言う事は尤もだとしても…自らの手で両親を殺めてしまい、絶望する未来にだけは、させられない。
「…止める気は、ないと言うんですか…」
「ない。私は……」
「なら、それが…真那の命を奪う事になったとしても?」
「……どういう、事…?」
再び折紙の顔に浮かぶ動揺。出来ればこれは、言いたくなかった。言ってしまえば、仮に踏み留まってくれたとしても、折紙の心の中に「自分が未来で誰かの命を奪っていたかもしれない」という、罪の意識を残してしまうかもしれなかったから。
されどもう、そんな事を言ってはいられない。そんな配慮をしていて止まる折紙ではない。そう思わされたからこそ、侑理は続ける。
「真那だけじゃないです。自分のした事に、自分の怒りと悲しみの行き着いた結末に絶望した貴女は、人も、街も、何もかも壊していった。多分心を閉ざして、士道にぃの事も拒絶した。…だから、止めなきゃいけないんです…折紙さんが絶望してしまう可能性だけは、それだけは、絶対に……!」
拳を握り締め、言う。折紙を糾弾したい訳ではない。むしろ侑理は、縋る思いだった。折紙の為ではなく、折紙の情に訴えるという、ある種卑怯な手を使うしかなかったのだから。そんな卑怯な手を、折紙の意に沿わない主張をぶつけてでも、侑理は止めねばならない。何が何でも果たさなければいけないのは、侑理も同じ。
侑理の言葉に、折紙は沈黙する。どこか不気味にすら思える沈黙を見せ…それから再び、口を開く。
「…貴女も、絶対に譲れないというのは分かった。だけど…だとしても、私が止める理由にはならない」
「……ッ…どうして…ッ!」
「それも、私が失敗しなければいいだけの事。どうしてもと言うなら、むしろ侑理が協力してくれればいい。貴女の支援があれば、確実性が増す」
「だからッ、そうじゃないんです…ッ!仇だと思っているのが、その行為の先にあるのが、貴女の絶望なんですよッ!」
平行線だというのは感じている。自分がヒートアップしている自覚もある。だが止められない。折紙が踏み留まってくれない気配を感じれば感じる程、心が焦燥感に包まれる。
「…なら、私に諦めろと?ここまで来て、後少しで仇を討てるところまで来て、何もせずにいろと?何もしなければ、未来は変わらないかもしれないのに…救えたかもしれないお母さんとお父さんを、見殺しにする事になるかもしれないのに」
「そ、れは…信じて下さい、折紙さん…!折紙さんの仇が折紙さん自身な事だけは間違いないんです…!だから……」
それは、あまりにも重い言葉。〈ファントム〉の事がまだ殆ど分からない以上、本当に折紙の言う通りに…自分の行いが、死なずに済んだかもしれない折紙の両親を死に追いやる結果になるかもしれない。そう思うと、怖かった。恐ろしかった。
故に、折紙を説得する為の言葉は、自分へ言い聞かせる為の言葉でもあったように思う。止める事は正しいのだと、それこそが皆を救う方法だと、そうすれば真那も琴里達も助けられる筈だと、望みを懸けるように侑理は訴え……
「──仇なら、討てばいい」
「……折紙、さん…?」
「何を言われようと、止める気はない。五年前のあの日から、私の人生はきっと、今日の為にあった。その為だけに、今の『私』は存在している。この思いを果たせるのなら、お母さんとお父さんを取り戻せるなら……私は何を犠牲にしても、構わない。私が貴女の『仇』になるのなら…私が思いを遂げた後に、殺せばいい。私はそれを、受け入れる」
折紙が、あまりにも真っ直ぐ過ぎる瞳の少女が発したのは、同じ
だが、否、されど……そんな事は、どうでもいい。今やそれは、最早それは、侑理にとっては道端の小石程度の価値もない。
言った、確かに言ったのだ。何を犠牲にしてもいいと。殺せばいいと。受け入れると。折紙は、未来の悲劇を、蹂躙を、闇に飲み込まれていく世界を──真那を、自分の思いの為に切り捨てたのだ。死を呼ぶ可能性を理解していながら、それを避ける道があるにも関わらず…あろう事か、その結末を許容したのだ。…ならばもう、これ以上話す事に意味はない。話すだけの……価値がない。
「…ふざけるな…ふざけるなふざけるなふざけるなぁああああああッ!!」
心の中で、感情が爆ぜる。真那を助けたい、失いたくないという思いが裏返り、怒りへ、憎しみへ変貌していく。
「仇なら討てばいい?受け入れる?そんな事をして、何になる…そんな事をしても真那は助けられないのにっ、そうならない為にうちはここにいるのにっ、この苦しさは折紙さんだって知ってる筈なのに…なのにッ!」
頭の中で、落ち着けという狂三の声が響く。だが頭の中で響いても、それが入ってはこない。理解は出来ても、湧き上がる怒りの前では容易く跳ね除けられ、消えていく。
そうだ。この苦しみは、辛さは、他でもない折紙自身がよく分かっている筈のものなのだ。だからこそ、侑理は折紙の思いを、覚悟を、全否定はしなくなかった。言葉では止まらないと思った後も、戦う中でも、対話を諦めたくはなかった。矛を向け合うのではなく、嘗て共に戦った時の様に、また手を取り合える道がある筈だと、信じていた。
……されどもう、そんな道はない。折紙は、踏み越えてはならない一線を犯した。侑理にとって何よりも大事な存在を…真那を切り捨て、その命と未来を踏み躙った。だからもう、目の前にいるのは、仲間でも、友でも、何でもない。彼女は、ただの──。
「真那は、未来の折紙さんに撃たれた…勝手に全部捨てて、勝手に絶望した、貴女に、お前に…ッ!たとえ未来が変わろうと、救われようと、あの時、あの瞬間、真那が苦しんでいたって事は変わらない…ッ!それすらも、自分の望みの為に蹴り付けるというなら、それで良いと思っているなら──お前はうちの敵だ、鳶一折紙ッ!!」
怒号を響かせ、侑理は吠える。腕を振り上げ、怒りのままに充填していた魔力を〈オルムスファング〉の砲口から放つ。威嚇ではない、牽制でもない、無力化する為ですらない…ただ憎い敵を討ち滅ぼす為だけに、己が力を叩き付ける。そして、侑理はこの時……恐らく初めて、『憎悪』の為に戦っていた。
*
未来を変える為、兄たる士道を手助けする為、何より大切な人達と明日を歩む為に、真那は侑理へと賭け、託した。きっともう風前の灯たる自分の命を、残った最後の力を捧げて…侑理と士道が何もかも覆してくれる事を、信じた。
後悔はない。何もない。むしろ死を、終わりを目前にした真那の心は、酷く穏やかにその事実を受け入れていた。もうどうしようもないと、受け入れるしかないと諦観するように。或いは最後に可能性を託す事が出来て、安心したように。
(…もう少し、劇的な最後を迎えるもんかと思っていやがりましたが…案外、呆気ねーもんですね……)
もし自分が戦いの中で命を落とすとすれば、それはきっと〈ナイトメア〉との戦いで、彼女が世界へ齎す文字通りの『悪夢』を終わらせる為の、相討ちだろう…漠然とだが、真那はそんな風に思っていた。少々癪だが、強大にして凶悪な『最悪の精霊』を完全に滅ぼすには、きっと自分の命を投げ出す位の覚悟が必要だ、と。
だが、実際そうはならなかった。元仲間であるエレンに手傷を負わされ、そこからまさか精霊化、更には反転した折紙に撃たれて致命傷を負うなど、夢にも思わなかった。中々思い通りにならないのが世の常であり、士道を守ろうとした結果なのだから、悔やむ事など微塵もないが…挙句〈ナイトメア〉を討つどころか、間接的に協力する事になってしまったのは、皮肉が利き過ぎているというもの。
されどそれも、それすらも、まあ仕方ないか、と真那は受け入れていた。まるで他人事のように、受け入れてしまっていた。
「…ゆう、り……」
なんだかもう、これで良い気がする。他でもない兄、焦がれていた実の兄妹と再開し、絆を結び直した末に、その兄を守って命尽きるのなら、妹としてはこれ以上なく本望。その上で心に残る思い、まだ皆との…大切な相手との日々を失いたくないという願いも、相棒に託せたのだから、それで良いと、思えていた。
ただ一つ、その上で唯一、真那に心残りがあるとすれば…士道の事ではなく、侑理の事。どちらも真那からすれば危なっかしいのだが、今は全てを託してしまった…ある意味で自分の命も未来も背負わせてしまったからか、侑理の方がより心配だった。信頼していない訳ではないが、むしろ全幅の信頼を寄せてはいるが…それでもどうしても、不安だった。
まだ、未来を歩みたい。明日を迎えたい。死にたくは、ない。だがそれよりも…侑理に無事でいてほしい。最悪諦めても良いから、自分と同じようになる事や、折紙の様になってしまう事にだけは、なってほしくない。段々と朧げになっていく意識の中、最後に残ったのはその思いで…そんな中でふと、薄っすらと、真那は気付く。
(…これ、は…この、音は……)
もうまともに聞こえない、それでも騒がしいという事だけは分かる音が聞こえてくる。何かあったのだろうか。例えば、侑理や士道が過去から戻ってきたのか…或いは、『羽』が自分や〈ナイトメア〉を標的に定めたのか。しかし何にせよ、もう自分にはどうでもいい事。指一本動かせない今の真那には、どうしようもない事。今はただ休みたい。ゆっくりと、身体を休めたい。そしてそんな欲求と呼べるかどうかも分からない感覚の中、真那は意識を手放し……
「──【
その時だった。上手く聞こえない誰かの声が、爆ぜるような何かの音が耳に届き…直後に意識が、クリアになったのは。何感じなくなっていた身体が冷たくなり、熱くなり、痛みを覚え…それから全て収まったのは。
「…こ、れは……」
目を開き、身体を起こす。一瞬絶命して楽になったかとも思ったが、まだちゃんと足はある。今はもう完全に意識もはっきりしていて、
「…何のつもりでいやがりますか──〈ナイトメア〉」
抱いたのは、安堵ではなく困惑と疑念。それをはっきりさせる為に、真那は立ち上がり…宿敵へと、目を向ける。
「あらあら。死の淵から救って差し上げた相手に、随分な物言いですわね」
「はッ、頼んだ覚えもなければ、仮に救われたとしても初夏の件でトントンにしかならねーってもんですが?」
「それで言うのなら、『わたくし』は一体何度貴女に殺されたのやら。それを清算する為には、何度貴女を再生し、殺し直さなければいけないか分かりませんわ」
侮蔑を込めて真那が睨めば、〈ナイトメア〉はせせら笑う。いつ見ても、何度見ても不愉快な、〈ナイトメア〉の笑み。それをどう消してやろうかと、真那は一瞬考え…小さく一つ、息を吐く。
「…で、何を狙ってやがるんですか、お前は」
「そんな滅茶苦茶な口調の貴女に教えてあげる事はない、と言いたいところですけれど……」
「今はそうも言っていられない状況、ですものね」
今すぐ黙らせてやりたいのは事実。されど、〈ナイトメア〉がただの善意から誰かを助ける訳がない。特に彼女自身が言った通り、何度も〈ナイトメア〉を討っている真那を理由もなく助ける筈がない。
裏を返せば、それは何か理由があるという事。真那の問いに、本体と分身体、二人の〈ナイトメア〉は肩を竦め…言う。
「真那さんには、侑理さんに変わってわたくしのボディーガードをして頂きたいのですわ」
発されたのは、驚きではない言葉。今の状況を考えれば、妥当な要求。故に真那は黙って聞き…声を返す。
「…私が後ろから首を落とす可能性は考えねーので?」
「別に構いませんわよ?時間遡行の術者である私が死んだ場合、時間遡行をしている士道さんや侑理さんがどうなるかは全くの未知数ですけれど」
「…ちッ」
構わないと言いつつ、明らかに〈ナイトメア〉はこう言えば真那が手出し出来なくなる事を理解している。分かった上で、敢えて構わないと言っている。そんな態度が真那は気に食わず…それでも断る事は出来ない。今挙げられた可能性は勿論、現状〈ナイトメア〉が二人のサポートをしている以上、彼女の援護が二人への間接的な支援になる事は間違いない。
「それに、言ったでしょう?…今は、本当にそうも言っていられない状況だ、と」
「…それは一体、何の事を言って──」
本体に続く形で再び口を開く、もう一人の〈ナイトメア〉…その表情に浮かんでいるのは、焦燥。分身体とはいえ、最悪の精霊がそうそう浮かべるとは思えない、余裕など微塵も感じない様子。
一体何が、〈ナイトメア〉にそんな表情をさせているのか。反射的に、真那はそれを問おうとし──次の瞬間、答えが向こうからやってくる。
「──これで終わりですか?〈ナイトメア〉。私を止めるのであれば、数が一桁…いえ、二桁は足りないようですが」
「エレン……!」
まるでそれ自体が質量攻撃であるかのように、真那の眼前を吹き飛んでいく複数の分身体。一拍の後聞こえてくる、静かな…それでいて威圧感のある女性の声。
見やればそこには、いつの間にか地上に降りていたエレンが、多数の分身体と対峙していた。…そう。しているではなく、していた。ほんの少し前までは、そうだったのかもしれないが…今は死屍累々が転がっているだけ。
「…堕ちたものですね、真那。まさか貴女が、仇敵〈ナイトメア〉と手を組むとは」
「勘違いするんじゃねーです。なんで私がこいつと…。…ほんとに、なんでこいつなんかと……」
「…では、呉越同舟という事で〈ナイトメア〉の退路を絶って頂けますか?貴女の力など借りずとも勝つのは容易ですが、分身体を犠牲にして逃げられるのは面倒ですので」
「はんッ、そっちもお断りだってんです。元々事情があって一旦斬らずにいるだけ、それだけでいやがるんですから」
〈ヴォルフテイル〉の刃を展開し、エレンに向ける。側から見れば〈ナイトメア〉と組んでいるように見える事実は本当に嫌だったが…今は仕方ない。自分のプライドと、士道や侑理を天秤に掛ければ、後者の方が大事に決まっている。
(十香さん達は…まだ何とか踏ん張っていやがるようですね…)
エレンが降りてきているのは、自分が抜けた結果十香達が倒されてしまったからでは…と不安になった真那だったが、ちらりと見回してみれば、今も彼女達は羽を相手に立ち回っている。恐らくエレンは十香達が羽の迎撃で手一杯なのを見て、更に地上に〈ナイトメア〉の存在を確認して、何か企んでいる…反転した折紙を確保する上での障害になり得ると判断した結果、こちらに来たのだろう。
ともかく、〈ナイトメア〉の考えは分かった。成る程確かにエレンが相手では、彼女といえどなりふり構ってはいられないのだろう。そしてエレンも真那の態度が気になったのか、瞳の動きだけで周囲を見回し…ぴくり、と眉を震わせた。
「…侑理の姿が見えないようですね」
「それがなんだってんで?お前の相手は、私一人で……」
問いの色を帯びた言葉に、何気なく真那は返そうとする。だがある事が頭に浮かび…訊き返す。
「…前々から思っちゃいましたが…やたらと侑理にご執心じゃねーですか、エレン。ま、人手不足ではあるんでしょうが……まさかそれだけじゃねーんでしょう?」
「侑理は私が直接鍛えた
「そんな『それっぽい』理由だけとは思えねーから言ってるんです。私からすれば、自分を慕ってくれる侑理に未練たらたらの、情けねー女にしか見えねーですから」
「…未練?言うに事欠いて未練と?他でもない貴女がそれを、侑理に対してその言葉を使いますか。…分かったような口を…知ったような口を…そもそも貴女が、貴女達がいなければ……」
挑発と時間稼ぎ、それに本当に気になるという思いを込めた言葉。それに対してエレンは、一瞬表情が強張り…元々冷ややかだった声音が、更に冷たくなる。凍て付くような、凍えるような…それでいてその奥には底知れない『何か』があるような、思わずたじろいでしまう程の気配を見せ……だが次の瞬間、それは霧散する。
「…貴女に答える事などありません。少なくとも、
「…まあ、答える気がねーってんならそれでもいいです。エレンがどう思おうと…今、侑理の隣にいるのは、この私でいやがりますから」
「…今現在に関しては、隣にいるのは〈ナイトメア〉のようですけどね」
「よ、余計な事を……ッ!」
もう一つ煽ってやろうと軽く胸を張ってみせた真那だったが、結果むしろエレンに煽られ、つい悔しくなってしまう。完全に、完璧なまでの意趣返しは、真那に謎の敗北感を味わわせ…しかし今はそんな事を気にしている場合ではないと、気を引き締める。
〈ナイトメア〉の能力で戦えるようになったとはいえ、再生に使ったのであろう【
「まさか真那さんに守って頂ける日が来るとは…うふふ、期待していますわ」
「〈ナイトメア〉も勘違いしてんじゃねーです!これは侑理と兄様の為であって、決してお前の為なんかじゃ……!」
「…意外ですわ、真那さんがそんなツンデレ的台詞を口にするとは……」
「冗談でもデレとか言ってんじゃねーです!はっ倒されてーんでッ!?」
「それだとツンの部分は良いみたいに聞こえますわよ…?…まあ、冗談はこの位にして…今回ばかりはお互い、私情は抜きでいきますわよ」
その言葉と共に、〈ナイトメア〉の足下の影が広がる。そこから反響するように幾つもの笑い声が聞こえ…這い出すように、無数の分身体が現れていく。
数は、屠られたと思われるエレンの周囲の分身体以上。出し惜しみなしという事なのか、それとも二桁足りないと言われたのが腹立たしかったのかは分からないが…どれだけ現れようと、安心は出来ない。相手はあのエレンな以上、どれだけの準備、戦力を整えようと、十分と呼べる事はない。
故に真那も気を引き締める。〈ナイトメア〉と共闘するなど…という不満な気持ちも今は頭から追い出し、目の前の相手に意識を注ぐ。
「…ああ、それからもう一つ。【
「…この戦いがどうなろうと、もうすぐ私の命は尽きるって訳でいやがりますか。…構わねーですよ。過去は…未来は、侑理達が変えてくれると信じていやがりますから」
「…真那さん、命は大切にしなくてはいけませんわよ。その命を懸けてでも、託す事の出来る…信じる事の出来る友がいるのならば、尚更命を、自分を大切にしなくては…そんなもの、友達失格ですもの」
「……ふんっ」
一体何を思ったのか、〈ナイトメア〉が発したのは穏やかな…同時にどこか寂しそうでもある、柔らかな声。散々人の命を奪ってきておいて何を、と一蹴したかった真那だが、その声には重みがあり、されどただ同意するのも何か嫌だった為、肯定も否定もせず、ただ一つ鼻を鳴らした。
この戦いの先に未来はない。元より尽きかけた命、仮に勝ってもこの絶望的な状況は何も変わらない。だからこそ、これは未来を掴む為の戦いではなく、繋ぐ戦い。守る戦い。真那が託した侑理と士道、二人が未来を掴んでくれると信じて…闇の広がる天の下、真那は戦う。