前触れなく現れ、反転精霊としての姿を見せた折紙は、その力を遺憾無く発揮し狂三を討ち滅ぼした。そして次なる標的として、侑理達へと更なる攻撃をしてくる…かと思いきや、狂三撃破の直後に折紙は臨戦態勢を解き……一体全体何がどうなっているのか、たった今屋上に来たばかりであるかのような言葉を口にした。どういう事、と侑理達こそが言いたい反応を見せながら。
「どういう事だよ……こりゃあ……」
「そ、それは私の台詞ですよ!?どうして、ここに……」
目の前の状況を前に、士道は困惑の、折紙は驚愕の声を出す。二人共、何が何だか分からないといった様子であり…勿論それは、侑理とて同じ事。真那も同様に決まっている。
(惚けてる…ようには見えない。けど、だったら一体この反応は何……?)
全員訳が分からず沈黙する中、折紙は不思議そうに周囲を見回し首を傾げる。しかしそれは士道の言葉や侑理達の存在へ対してというより、自分が今いる場所へ対してのもののようで…それからまた、折紙は口を開く。
「もしかして、また……」
『また?』
聞こえた呟きに、今度は侑理達が首を傾げる。どうやら独り言のつもりだったらしい折紙は、侑理達の反応に目を丸くし…膝立ち状態から立ち上がって膝を払うと、その意味を話す。
「実は少し前から、偶に意識が途絶える事があるんです。多分貧血か何かだと思うんですけど……」
折紙からの回答に、侑理は真那達と顔を見合わせる。成る程、さっきまでの様子は全て貧血が原因か…とは、勿論ならない。そもそも貧血というのも、本人が確信を持っていない点含めて疑わしい。
ただ、ここで一つ推測が出来た。今の折紙は、何故か屋上にいる事に対して話していたようだが…当然これは、先程までの行動にも当て嵌められる。即ち、折紙はすっとぼけているのではなく、本当に反転状態の事を覚えていない…あの時は通常の意識がないのかもしれないのだ。
「…こほん。それよりも、どうして真那ちゃんがここに…?貴女もCR-ユニットを纏ってるって事は、
「あー、っと…それは……」
咳払いをし、今度は折紙の方から訊いてくる。それへの返答に困った様子の真那は、ちらりと侑理の方を見てくる。真那から、相棒から助けを求められたら、いつでも力になるのが真那の相棒たる自身、侑理なのだが、これにはどう答えたものか。少なくとも正直に答える訳にはいかないだろう。そう思い、侑理は悩み…それでも何とか捻り出す。
「じ、実はちょっと、精霊絡みでここを調査する必要があったんです。ただ、結果は見ての通りで……」
「あ、そういう…じゃあ、フェンスがボロボロなのは……」
「あっという間にいなくなったって訳でいやがります」
伝えたのは、まるっきり嘘という訳ではない…むしろぼかした表現をしているだけで、事実そのものの言葉。真那もそれに乗り、侑理の話に合わせてくれる。
嘘ではない。その利点は、ボロが出辛い…というより、真実故に出るボロがない事。本当の事を話せばいいだけだからこそ、嘘を重ねるよりも滑らかに話せる事。無論本当にありのまま話しているのではなく、誤魔化す為に真実の取捨選択や表現の湾曲はしている以上、気を抜く訳にはいかないが…狙い通り、一先ず折紙は納得をしてくれた。
「そっか、良かった…じゃあ、貴女は……」
「真那の相棒、侑理・フォグウィステリアです」
「あ、相棒…?…えっと…鳶一折紙、です。…宜しくね?侑理…ちゃん」
この世界でもまずは「相棒」という部分に引っ掛かりを覚えられるのか…いやでも、改変前の世界では、折紙からは何も言われなかったような…などと思いながら、自分としては既に知っている…ようで知らない折紙からの自己紹介を受け取る。
そう。ここにいる折紙は、知っている折紙の様でも実際は違う。髪型の差異は勿論、ここまでのやり取りだけでも、彼女の性格が大きく違う事が見て取れる。
「それでその…二人の装備は、多分だけどASTのものじゃない…よね?それって……」
「あ…そ、それは……」
「…それは、今の鳶一一曹…もとい、元一曹には話せねーです。装備の情報なんて、まんま機密でいやがりますから」
「だ、だよね。ごめんなさい、答えられないような事を訊いちゃって」
そうか、『元』自衛官の折紙にはその返し方があったか、と感心する侑理。ならば仕方ないと折紙も理解してくれたようで、彼女からの質問もそこで終わる。取り敢えずなんとかなった、その事に侑理は安堵し…それから折紙の視線は士道の方へ。
「…五河くん。さっき注意したばかりなのに、早速また精霊に関わるなんて……」
「…すまん。うっかりここで寝ちまったもんで……」
「まあ、事故なら仕方ないですけど……あっ。…それはそれとして…あの、授業中に渡した紙、読んでくれましたか?」
「へ……?あ、ああ……読んだ、けど」
「えっと、そういう事……ですから」
『……?』
一体何の話だろうか。そう思い侑理が首を傾げる中、折紙は背を向け、そのまま早足で屋上を後にする。…本当に、何の話だろうか。はっきりとした言い方をしなかったのは、侑理達には秘密にしたい内容なのか、他者の存在関係なしに口にするのは避けたいような事なのか。それすらも、今のやり取りだけでは分からない。
「……ふぅ。一時はどうなるかと思ったけど、一応乗り切れたね。…色々と、釈然としない状況だけど」
「そう、だな…。…ほんとに、何がどうなってるんだ……」
「まあ、〈デビル〉の正体が分かっただけでも大きな前進と言えるでしょう。その正体を思えば、まるで喜べねーですが。──で、お前はいつまで隠れていやがる気ですか?」
複雑そうな表情を浮かべた後、真那は虚空へと言い放つ。隠れている、その言葉に侑理の心には俄かに緊張感が走り……しかし何も起こらない。屋上は、どこもかしこも静寂のまま。
「…えぇと…真那?いきなり何言ってるの…?」
「あっ、いやっ、これは…もしや本当にあれでやられたとでも!?そんな、まさか……」
「──あらあら真那さん、何をそんなに狼狽えていますの?」
「って、やっぱりいやがるじゃねーですか〈ナイトメア〉ぁッ!」
まさかの妄言…?と心配になる中、真那は慌て始め…次の瞬間、士道
のすぐ側で影が蟠り、そこから狂三が…つい先程絶命した筈の精霊が現れる。
どうやら狂三は、やられる前…恐らくは一瞬影に包まれたあの時に、分身体と入れ替わっていたらしい。そして反応からして、わざと真那からの最初の呼び掛けには応じなかったようである。
「しっかりと死ぬ姿を見せた筈ですのに、よく分かりましたわね」
「はんッ。あれ位で死ぬようなら、とっくの昔に私が殺してるに決まってるじゃねーですか。プラナリア並のしぶとさの癖に、一体何を言ってるのやら」
「プラナリアは綺麗に切ればどの部位でも再生するというだけで、別にしぶとくはない、むしろ弱い生き物ですわよ?真那さん、わたくしの本来の力になす術なく叩きのめされたのが悔しいのは分かりますけれど、戦い以外の事も学ばなくては幼稚な頭から脱却出来ないのではなくて?」
「ご忠告どうも。それなら勉強に専念出来るよう、この場でお前を完全に消して──」
「ま、待て待て二人共!今はそれより折紙の事だ、そうだろ!?」
一触即発の空気の中、泡を食って士道が割って入る。士道に止められた事で、不愉快そうながらも真那は展開していた〈ヴォルフテイル〉を肘側に戻す。…因みに侑理は、戦いになるのなら真那に加勢するつもりだった。少し前には協力関係だったとはいえ、真那と狂三であれば迷う余地など微塵もないのだ。
「士道さんが止めてほしいと言うのであれば、仕方ありませんわ。…しかし、士道さんも案外驚かないんですのね」
「……前にも一回、似たような事があったからな」
理由を述べつつ、士道は後頭部を掻く。されどそれは照れ隠しではなく、納得がいかないと言いたげなもので、実際士道はそこから、分身体を使い捨てるやり方は好きじゃないと、その分身体にも命があるのだろうと狂三へ言った。その指摘に対して狂三は再現など容易だから気にする必要はないと返したのだが…士道が言いたいのは、そういう事ではないのだろう。きっと、再現出来るかどうかではなく『命』への考え方、分身体を一人の『人』として見るかどうかという事なのだろう。…人ではなく精霊だ、というのは野暮な話だが。
「まあそれはともかくとして…これでは【
「それは…そうだな」
確かにそうだ、と侑理は二人のやり取りに頷く。折紙が狂三の、精霊の存在に反応して反転した姿になったのなら、やはり接近するのは困難。じゃあ、寝ている時に忍び寄って…とも考えたが、どうやって認識、反応しているか分からない以上、憶測で試すのは危険過ぎる。
ならばどうするか。どうすれば狂三の力に頼らない形で折紙が精霊と化した経緯を知る事が出来るのか。侑理も自分なりに考える中、同意したところで黙っていた士道の表情が、苦々しげなものへと変わる。
「なんで……こんな事に。俺は──俺のした事は、間違ってたのか……?」
納得出来ないという思いと、自分が上手くやれなかったからなのかという後悔にも似た気持ち。それが今の士道の言葉にはあって…気付けば侑理は、口を開いていた。
「そんな事ないよ、士道にぃ」
「そうは思いませんわ」
侑理が発したのは、否定の言葉。ほぼ同時に狂三が発したのも、異を唱える返答。意外な形での被りに思わず侑理が振り向くと、狂三は譲るとばかりに小さく肩を竦めてくる。
「…こ、こほん。うち達の…ううん、士道にぃの選択がなければ、士道にぃが行動していなければ、『今』はなかった。真那も、皆も助けられなかった。だから、完全ではなかったかもしれないけど、完璧な結果ではないのかもしれないけど…士道にぃのした事は、絶対に間違ってない」
「侑理さんの言う通りですわ。折紙さんのご両親を救えなかった、救われなかった世界の事を思えば、今この状況も『最悪』ではない…そうは思いませんこと?」
そう。折紙の精霊化及び反転という事象に対しては覆せていなかったとしても、その果ての『結末』は違う。それは事実であり、侑理が望んだ事。だからこそ、侑理は士道に自分を責めてなどほしくなかった。
二人の言葉で、士道の表情は少し和らぐ。されど納得までは出来ていないらしく…そこでまた狂三が言う。
「まあ、士道さんならばそう考えると思いましたわ。──確かにわたくしも、一つの出来事を変えた際、どのように世界が書き換えられたのかには興味がありますけれど」
「……!なら──」
「でェ、もォ……わたくしもそこまでお人好しではありませんの。ここから先は
理解を示した上での、士道の心を揺さ振るような言葉。士道の唇に人差し指を当てて言葉を止めさせるという、蠱惑的な行為。
次の瞬間、狂三は黙り、士道は目を見開いた。──侑理が頭に銃口を、真那が首元に刃を突き付けた事で。
「ちょっ、二人共……!」
「〈ナイトメア〉の口車に乗せられるんじゃねーです、兄様」
「士道にぃ程お人好しじゃないのは、何もお前だけじゃない。そっちが協力の姿勢を見せるならともかく、士道にぃを喰い物にしようってなら……」
「ふぅ…無粋ですわねぇ、お二人は。であれば貴女達のお望み通り、わたくしはこれで失礼しますわ。──またお会いしましょう、士道さん」
「逃すかッ!」
やれやれと首を振り、肩を竦めた狂三の姿が影に包まれる。直後に真那は刃を振り抜き、影を斬り裂くも、そこにもう狂三の姿はなく…足下で蠢いていた影も、床に吸い込まれるように消えてしまった。
「ちッ…相変わらず逃げ足の速ぇ精霊でいやがります」
「まあ、仕方ないよ。どうせ真那の姿を見た時点で、いつでも逃げられるように算段を立てていただろうし」
忌々しそうな顔をしながらレイザーエッジを降ろした真那を、軽く宥める。それから士道の方を向き、首を横に振る。
士道からすれば、別料金とやらを払ってでも…と考えていたかもしれない。だが、相手は〈ナイトメア〉時崎狂三。確かに彼女は、ただ殺戮を繰り返すだけの災厄ではないのかもしれないが…だとしても、そういう存在であるという事は忘れてはいけないのだ。
「…え、っと…まだ飲み込めてない部分もあるけど…一先ず、ありがとう二人共。二人が来てくれて、助かったよ」
「ううん、気にしないで。琴里から頼まれた事だし…そうでなくても、士道にぃを守る事はうち等の重要事項だからね」
恐らくは反転した折紙との戦闘について言ったのだろう士道の感謝に、侑理は笑って返す。それなら侑理が視線を送れば、真那はその通りだとばかりに無言で頷く。
今の折紙の状態に関しては前進どころかむしろ謎が増えてしまったレベルだが、だとしても動いた事で得られたものもある。侑理は今の状況をそう捉え……そこで真那が、こほんと咳払いをして言った。
「ところで二人共。俺のした事は間違っていたのか…これは一体、どういう事でいやがりますかねぇ?」
『あっ……』
しまった。その感情と共に、思わず侑理は士道と顔を見合わせる。狂三がそのまま話をした事と、その場で真那はずっと黙っていた事からうっかり失念していたが…あのやり取りは、そのまま時間遡行と世界の書き換えに関わる部分なのだ。
「それに対する侑理と〈ナイトメア〉の返しもそうでいやがりますし、その前の情報収集とやらについてもただ〈デビル〉に関して調べるってんじゃねーようですし…なーんか二人共、私に隠してねーですか?」
「そ、それはその…ねぇ?」
「な、なぁ?」
「…………」
返答に困り、士道に振るも、殆どそのまま返される。そのやり取りのせいで、真那の瞳に浮かぶ疑いの色も強くなってしまう。
どうするべきか。どうしたら真那に納得をしてもらえるか。そう思いながら再び士道を見るも、士道も案など全くないとばかりの表情であり…そこから真那にがっつり問い詰められる事になったのは、言うまでもない。
*
その日の夕暮れ、士道が帰宅したタイミング。玄関から琴里に連れられる形でリビングへと士道が入ったところで、琴里と真那による、侑理と士道への事情聴取が始まった。
「どういう事か、説明してくれるんでしょうね、二人共」
「誤魔化そうったって無駄です。洗いざらい吐いてもらおうじゃねーですか」
揃ってソファで腕を組み、更に脚も組んで圧を掛けてくる真那と琴里。今はもう、士道は自分の公式お兄ちゃんなんだから、と実妹義妹コンビに混ざりたくなる侑理だったが、怒られそうなのでぐっと堪える。
「……よくこんな雰囲気の中で待っていられたな…」
「はは…士道にぃが帰ってくるのが、物凄く待ち遠しかったよ……」
後でちゃんと話す。士道共々そう言って何とかその場を切り抜けた…というより、単に後回しにする事しか出来なかった侑理は、真那が琴里へ経緯を伝えた事により、早々に五河宅に連行された。
今リビングにいるのは、侑理に士道、真那に琴里、そしてそこに令音を加えた五人。隣のマンション(通称精霊マンション)から誰も来ない辺り、十香達には今は駄目だと話が通っているのかもしれない。
「…どうする?」
「どう、って…真那にはもう、ちゃんと話すって言っちゃったし……」
何も言わずに収めるのは不可能、かと言ってそれっぽい話を展開出来る気も全くしない。折紙を誤魔化した時とは、状況も難易度も違い過ぎる。
とはいえどうしたものか。乗りきるプランが依然としてない侑理は、士道と共に口籠もり…それが気に食わなかったのだろう。琴里は不愉快そうに鼻を鳴らす。
「……ふん。何よ、この後に及んで話せないって言うの?それとも、私が貴方達の話を理解出来るかどうか不安?見くびってくれるじゃない。二人から見て私は、そんなに頼りない司令官かしら?」
「いや、そんなつもりは」
「その、理解出来るかっていうより、理解してもらえるかっていうか……」
そうではない、と侑理も士道も首を横に振る。琴里達が問い詰めようとする気持ちも分かる為、強く突っ撥ねる事は出来ず…そんな中、琴里の表情がふっ…と変わる。
「……もうちょっと頼ってくれたっていいじゃない……おにーちゃん」
それは、司令官ではない、一人の妹としての顔。妹として、家族として、信じてほしいという思い。それを見た士道はハッとした顔になり…頭を掻きつつ嘆息した。まるで、自分自身に呆れるように。
「……そうだな。悪かったよ、琴里。…変な話と思うかもしれないが、今から俺が…俺達が話すのは全部本当の事だ。──聞いてくれるか?」
「……!…ええ、勿論よ」
謝罪し、真っ直ぐに琴里を見つめ、士道は言う。その言葉に、琴里はぱぁっと表情を明るくし…しかしすぐに我に返る。そんな一連の反応は、何とも可愛らしく…侑理達は、思わず苦笑をしてしまった。
「琴里ったら…。…真那も『もうちょっと頼ってくれたっていいじゃねーですか……相棒』とか言っていいんだよ?」
「え、嫌でいやがりますけど?」
「むぅ、真那ったらつれないんだからー」
残念ではあるものの、冷たくあしらわれるのは予想の範疇。だから侑理も軽く流し…士道と頷き合う。そして二人で、語る。元は今よりもずっと前に出会っていた折紙の存在を皮切りに、歴史が変わる前の事を。そこであった事を、戦いを、絶望を…それを覆す為の、時間遡行を。そうして未来が変わった結果が今の世界であり…にも関わらず、折紙は変わらず精霊に、それも反転状態になっている事を。
それは、当人でなければ間違いなく荒唐無稽に感じるであろう話。夢か妄想ではないのか、と思われても仕方のないような事。されど真那も琴里も令音も、聞く最中にそんな言葉を言う事は、そんな表情を浮かべる事は、一度もなかった。三人共、静かに真剣に話を聞き…侑理は士道と、話を締め括る。
「──世界の書き換え……、成る程ね。昨日から士道の様子がおかしかった理由が漸く分かったわ」
「同感でいやがります。朝から妙な言動を、と思っていやがりましたが…まさか、そんな事が…いや、そんな世界があったとは」
数拍の後、琴里と真那はそれぞれに言う。話を受け止めると共に、しっかりと自分の中で噛み砕く…二人からは伝わってくるのは、そんな雰囲気。
「…信じてくれるの?」
「そりゃ、素直に『なんだ、そうだったのか』とは思えないわよ?だけど、二人が嘘を吐くとも思えないし…何より本当に、鳶一折紙は〈デビル〉だった。事実に裏打ちされた部分のある言葉を、悪戯に疑う気なんてないわ」
「そっか…ありがと、琴里。真那もそういう事なの?」
「おかしな事を訊きやがりますね。私が侑理と兄様の言葉を信じるのに、わざわざ理由を説明する必要なんてねーでしょう?」
「む……」
ふっ、と自信を帯びた笑みを浮かべる真那に、琴里が面白くなさそうな顔をする。自分はちゃんとした理由を挙げたのに、と言いたげな表情だったが、それについて突っ込むつもりはないらしく、咳払いの後琴里は表情を引き締める。
「鳶一折紙が〈デビル〉である事は間違いない。でも、本人にその自覚はない。……実際、彼女のパラメータも令音に解析してもらったけど、嘘を吐いている様子はないわ」
「じゃあ、やっぱり……」
「ええ。鳶一折紙は、自分が精霊になっている事に気付いていない可能性があるわ」
士道の言葉に琴里は頷くも、そんな事があるのだろうか…という雰囲気がリビングに漂う。侑理自身は精霊でない為分からないが、精霊になった事を、身体の感覚で気付く…或いは精霊とは分からずとも、何か違和感を抱くといった事はないのだろうか。
そんな侑理や同様に考えていたらしい士道達の思考を察したのか、理由は不明でも事実は事実だと琴里が言う。そしてそこで、ここまでは基本やり取りを静観していた令音が口を開く。
「……少し、いいだろうか」
「ん、どうしたのよ令音」
「……ん。そもそもの話として、一つ疑問があってね」
「疑問……?なんですか?」
なんだろうか。そんな風に士道が訊けば、令音はこくりと頷き、それから続ける。
「……ああ。シンと侑理は世界改変を成功させた。そして、元の世界の事は君達以外覚えていない……だったね?」
「はい。元の世界を知っているのは、俺達と狂三だけでした」
「……それだよ。何故二人にだけ、元の記憶があるのだろうかと思ってね」
それだという言葉と共に、指を一本立てた令音。その問いに侑理は士道と顔を見合わせる。真那と琴里も、確かに…と気になる様子で腕を組み直す。
「それは…うち達が時間遡行をして、世界改変をした当本人だから…じゃないですか?」
「ああ、初めは私もそう思った。けれどそれだと、どうも腑に落ちない点が幾つかあったね。まず、それを理由だとした場合、同じく時間遡行をしているらしい折紙も記憶を保持していなければおかしい上、逆に直接時間遡行をした訳ではない狂三が記憶を保持しているのもおかしくなる。狂三に関しては、時を操作する天使を有するから…と例外的に考える事も出来るが、だとしても折紙の件には説明が付かないだろう?」
「言われてみると、確かに…。えぇと…なら、時間遡行っていうより、歴史を変える行為をしたかどうか…とかはどうです?折紙さんの時間遡行については、それも含めて『元々の歴史』になってた感じがありますし」
「ふむ…それも正直、あり得るとは言えないね。根本的な話として、歴史改変をすると記憶が保持される…というのは、おかしな話だと思わないかな?」
「それもそうでいやがりますね。よく考えたら、『歴史を変えた』と『記憶が残る』とに、直接の因果関係があるようには思えねーですし」
「加えて、歴史を変えたと判断する基準の問題もある。例えば折紙の両親を助けたシンは、正に歴史を変えた人物と言えるだろうが、侑理はどうだろうか。君の行動を否定するつもりはないが、侑理がいなくても似たような結果に行き着いていた可能性はあるだろう?そして更に言えば、侑理の存在も歴史改変に必要不可欠だったのなら、侑理の時間遡行に力を貸した真那もまた、間接的に歴史改変に関わったという事になり、記憶が保持されている筈だと私は思う」
静かな、落ち着いた物腰で語る令音の言葉にあるのは確かな説得力。これまでは何となく受け入れていた、自分の記憶の保持に関する部分が、侑理も段々と気になってくる。何故?と自分に対して疑問が浮かぶ。
「それにもう一つ。これは逆の視点なのだが…二人は今の世界の、これまでの出来事について覚えているかい?」
「へ?…あ……」
「…うち、覚えてないです……」
「だと思ったよ。君達は異なる世界…所謂『並行世界』からやってきた訳ではない以上、私達は一昨日以前からも『この世界の』シンや侑理と日々を重ねてきた以上、君達にも今の世界の記憶があって然るべきなのに、それがない。もっと言えば、歴史改変により君達の元いた世界は存在しない未来になった筈なのだから、その記憶自体あるのがおかしい訳だ。ここまでくると、時や世界の概念にまで踏み込む話となってしまうが…ともかくこれ等の事から、私は別の理由があると思っている。別の、それも複数の理由がね」
『複数の?』
四人揃って、侑理達は首を傾げる。これが令音からどう見えていたのかは少し気になるが…今はそれよりもと、令音の次の言葉を待つ。
「ああ。あくまで推測に過ぎないが、まずは狂三は例外だと考えた上で、条件が『狂三によって【
「……?それは……」
「あっ……!そうか、もし複数の条件が必要だとしたら……鳶一折紙は〈ファントム〉によって精霊になった瞬間、元の世界であった事を思い出してしまう可能性がある。それまでこの世界の記憶を持っていたにも拘わらず……!」
一度は困惑の表情を浮かべていた士道が、琴里の言葉で目を見開く。あくまで推測だからか、「思い出してしまう可能性が」と琴里は言ったが、もしその通りであったのなら、折紙は精霊となった時に、思い出してしまったのだろう。そして、そうなると恐らく……
「ちょ、ちょっと待って下さい令音さん。って事は……あの反転した折紙は、『元の世界の記憶を取り戻してしまった折紙』だって言うんですか……!?」
「……言っただろう。これはあくまで仮説だ。可能性の話に過ぎない。だが……そう考えると、筋が通るのも事実だ」
「で、でも……学校に来た時の折紙は普通──っていうか、この世界の記憶を持った折紙でしたよ?」
だとしても、と食い下がる士道へ、令音は更に私見を述べる。侑理や士道達と違い、この世界の記憶を持った状態で元の世界の記憶が突然、そして強制的に流し込まれた折紙は、自己防衛の為にこの世界の記憶を持つ折紙と、元の世界の記憶を持つ折紙に精神を分離したのではないだろうか、と。
それもまた、一理ある見解。記憶はその人間の歩み、思考や性格を構築する大きな要因である以上、異なる世界の記憶…それも膨大な量を突然流し込まれるというのは、二つの精神が一つに融合するのに等しい…のかもしれない。下手をすれば精神がおかしくなってしまうような事なのだから、脳が自衛の為に、折紙自身にも分からない内に多重人格が如き状態を作り出したとしても、それは何もおかしくないのだ。
「そして、元の世界の記憶を持つ折紙を呼び起こすスイッチとして考えられるのは──」
「──精霊の存在……って訳ね」
「……恐らくね。教室にいた十香に反応しなかったところを見ると、霊力に反応を示しているのかもしれない。だとしたら……彼女の前で限定霊装を顕現させるのは非常に危険だね」
何に折紙が反応しているのか。それは屋上でも気になった事。仮に霊力に反応しているのだとしたら、今日折紙が屋上に現れたのも、何かしらの理由で、偶々屋上にいる狂三の姿が目に入ったから…という事なのだろう。
「…そうかも、しれません。俺も、令音さんの話には筋が通っていると思います。けど、それなら…俺と侑理はどうなるんです?俺達だって別に、精霊って訳じゃ……」
「そうだね。だが、精霊の霊力を封印する事が出来る、更にはその力を天使として引き出す事が出来るシンもまた、精霊ではなくとも特殊な存在である事には間違いない。そして、侑理は……」
「──今の侑理は、もう私が自信を持ってつえーと言えるだけの
「そ、それでいい…のか?多分『それに近い』って、そういう意味で言った訳じゃ……」
「けど、現実として侑理は覚えてるじゃねーですか」
「…まあ、それはそうだが……」
釈然とはしないが、という雰囲気を出しつつも、一応は納得してくれた様子の士道。それを見た真那は、小さく…本当に小さくではあったが、安堵したように吐息を漏らす。
その理由が、侑理には分かった。分からない筈がなかった。──何故ならきっと、令音の言う『精霊に近い』とは、そのままの意味だろうから。真那共々壊された、という表現が出る程の魔力処置をDEMで受けた侑理は、人よりも精霊に近い状態…そういう事なのだろうから。そしてそれを、侑理も真那も、誰も士道には伝えていない。だからこそ、真那は誤魔化してくれたのであり…改めて見れば、琴里も安堵の顔を、令音は微かに感謝の表情を浮かべていた。
(……あれ?でも…けどそれなら、うちがその条件に合致したのって……)
そこでふと浮かぶ疑問。情報からして、折紙が精霊となったのは少し前で、その時元の世界の記憶が流れ込んだ…と考えられる。士道の特殊性が先天的なものならば、初めから条件の一つを満たしていたと予想出来る。だが当然、侑理は違う。仮に歴史改変の起点となった五年前を基準に、それ以前から精霊ないしはそれに近い存在であった者は初めから記憶を保持し、それ以降の者は条件を満たした時点で記憶が流れ込むという事なら、記憶の状態が士道と同じである侑理もまた、魔力処置を受けたのは五年前より更に過去という事になるのだが、今でも中学生の琴里とスタイル面で大して変わらない侑理が五年よりも前の時点で異常なレベルの魔力処置を受けるなど……
「何を怯えてるのよ士道。確かに相手は最凶最悪の反転精霊〈デビル〉よ。でも、裏を返せば強大な霊力を有していながら、特殊な条件を満たさない限り精霊化しないという事にもなる」
「それは……」
「──イレギュラーなケースではあるけど、鳶一折紙が〈デビル〉と分かった以上、〈ラタトスク〉がやる事は一つよ」
強い気持ちの籠った琴里の言葉で、侑理は我に返る。どうやら今の折紙の状態を前にどうすれば、と漏らしていた士道へ喝を入れていたらしい。
それと共に、侑理は〈ラタトスク〉の理念を思い出す。精霊の霊力を封印する事で、平和的に無力化、保護を行う。それによって、精霊も世界も、どっちも守る。そんな夢想的な…しかし士道の存在によって成立しているのが、〈ラタトスク〉という組織。それはこの世界でも変わらないのであり…喝を入れられた士道は、しっかりと頷く。その士道を見て、琴里は咥えていたチュッパチャップスを指で挟むと、ぴっと飴玉部分を士道へと向けて言う。
「……と、いう訳で、そうと決まったら早速明日から動くわよ。士道、どうにか折紙とコンタクトを取って、デートに誘って頂戴。遅くとも今週中にね」
「ああ……そうだな。……あ」
「……?どうかした?」
「もうしてたわ……デートの約束。今週の土曜なら空いてるって……」
『はぁ!?』
そういえば、と驚きの報告を発した士道に、令音を除く侑理達三人は仰天する。士道からすれば折紙は知っている存在、それも未来を変えた筈がこの世界でも精霊化と反転をしていた少女なのだから、一体何故、と接触を図るのは理解出来るが…だとしても、流石に早過ぎる。折紙視点では初めましてである筈なのに、その日の内にデートの約束など、最近の高校生は進んでいるにも程がある。
「ど、どういう事よ。屋上での出来事がある前に口説いたって訳?士道が?」
「い、いや……別に口説いたって訳じゃ……」
「……じゃあなんでデートって話になるのよ」
「それは、その……」
何故か口籠る士道に対し、琴里はじとーっとした視線を向ける。同じく真那からも、動揺気味の視線が侑理へと向く。
「ゆ、侑理…まさか侑理の元いた世界の兄様は、気になった女性に片っ端から声を掛けるような人間だった訳じゃねーですよね…?」
「ま、まさか…。けど、うん…ほんとなんでだろう…元の世界を知ってるうち的にも、この展開は予想外過ぎるっていうか……」
「つまり、侑理にも知らない何かが二人にはあったかもしれないって事か。ふぅん……元の世界で士道と鳶一折紙がどんな関係だったのか、ちょーっと聞く必要がありそうね」
「な、何を……」
立ち上がった琴里は士道の前まで行き、片手で士道の顎を撫でる。それも単なるスキンシップというより(いや今のタイミングでスキンシップをする時点で変だが)、子猫が追い詰め捕らえた鼠をこれから甚振ってやろうとするような、何か危険な香りのする手付きであり……助けを求めるような目で士道がこちらを見てくる中、思わず侑理は言うのだった。
「こ、琴里……まさか今から、士道にぃにイケナイ感じの事するの!?過激な事をしちゃうの!?」
「しないわよッ!?」