日本の対精霊部隊への出向で真那がイギリスを離れ、大きく変わった侑理の日常。しかしそれは精神的な、気分的な意味でのものであり…実際の生活は、意外にもそこまでは変わらなかった。大きな変化といえば、生活スタイルの変化…二人で食べていた食事が一人での食事となった事や、日常的に行っていた二人での模擬戦がなくなった事だが、それについても『一日の流れ』という意味では、激変という程でもなかった。
だが、一日の流れは対して変わらずとも、それまで当たり前にいた、共に過ごしていた相手がいなくなるというのは、想像した通りに…どころか、想像した以上に響くもの。特に初めの数日は、何気なく真那を呼ぼうと、真那と共に何かをしようとして、その度にいないのだと思い出し、寂しさを感じる事が度々あった。
それでも、時間が経てば慣れ始めるもの。少しずつ、心がそれを受け入れていくもの。まだまだ完全に慣れたとは言えないものの、侑理の心はは今の生活に対応をし始め…そんな状態で数日が経った、ある日の事。
「む、むむ…てい……ッ!」
「また大して得点を稼げなかったわネ、ユーリ。このままじゃ貴女、マナと同じ位の借金を背負う事になっちゃうかもしれないわヨ?」
「そんな訳ないでしょう!?」
狙いを定めて放った筈の手投げの矢が、狙いから逸れ的の端に辛うじて刺さる。その様子を哀れむような声と共に、ジェシカが侑理の肩へと手を置く。そんな訳あるか、と侑理は突っ込み…愉快そうなジェシカの表情を見て、からかわれただけだとがっくり両の肩を落とす。
特に仕事のない、休日のある日。ひょんな事から侑理はこの日…ジェシカ達と、ダーツ対決をする事となっていたのである。
*
事の発端は、その前日の事。いつものように第二執行部としての集団模擬戦を行い、それを終えたところで、侑理は同僚達に呼び止められた。
「え、うちも?」
「そ、どうせ明日は何もないんでしょ?」
「む、訊きもせずに失礼な。うちは明日……」
「明日?」
「……何もなかったです。遊びに連れてって下さい…」
全く、うちの事を何だと思っているのか。…と言い返そうとした侑理だったが、どれだけ考えても明日の予定などない。朝から晩まで、おはようからおやすみまで暇そのもの。それに気付いた侑理はがっくりと肩を落としつつ、同僚達からの誘いを受け入れる。
「何で明日の予定が何もないのに、一回見栄張ったのよ…」
「あると思ったんですー、でもなかっただけですー」
「明日の予定位覚えてなさいよ、というか何もないなら覚えるまでもなく分かるでしょ…」
「ぐうの音も出ない事は言わないで下さい…」
ご尤も過ぎる指摘に、再び肩を落とす侑理。そんな姿に同僚達は呆れ…それはそれとして、と明日の時間を伝えてくる。
「じゃ、そういう事だから。明日になったら今日話した事を忘れてた、なんて事にはならないでよね」
「昨日の今日で忘れる訳ないでしょう。うちをなんだと思ってるんですか」
「数十秒前の自分の醜態すら覚えてなさそうな子がよくそれを言えるわね…いっそ逆に凄いわ。そうはなりたくないけど」
という訳で、同僚数人と明日出掛ける事になった侑理は、シャワーを浴びて自室に戻る。ベットに腰掛け…見つめるのは、真那の部屋がある方の壁。
(真那がいれば、明日も予定あったのかな…)
明日だけに限らず、ここのところDEM社員としての務めを除けば暇な時間が増えている。理由は勿論、真那がいなくなった為。当然毎日何かしら真那との予定が入っていた訳ではなく、二人で何をするでもなくぼーっとTVを見ていたり、暇潰し目的で対戦ゲームをしたりとあまり中身のない時間を過ごす事も多かったが、それでも『二人の時間』と『一人の時間』というのは、気持ちの面で大きな差がある。
と、そこまで考えたところで、これは良くない思考だ、と侑理は頭を軽く振る。こうして後ろ向きになっても何も得られるものはないんだから、気が沈むだけなんだからと自分に言い聞かせ…そこでふと、思う。
「…もしかして…うちが落ち込んでると思って、誘ってくれた…?」
皆が?ちょいちょいうちの事をからかって遊ぶ皆が、そんな気遣いを?…と疑念を抱く気持ちも浮かぶものの、すぐに「やっぱり気遣ってくれたのかも」という思いが上回る。なんだかんだ言っても、第二執行部の皆は自分を仲間だと思ってくれているのだ。確かめたわけではないが、そんな気がする皆なのだ。…そんな風に、侑理は思っているのである。
もしも、その通りならどうするか。…答えは決まっている。暇である事は事実だし…気遣ってくれたのなら、それに応えるのが道理というもの。
「…侑理の道理、なーんて…。……わー、寒…」
我ながらこれはない、と呆れる事数秒。侑理は気を取り直し…食事の準備をする事にした。もう共に食べる真那がいない以上、適当に済ませてしまっても良いのだが…きっと真那ならそういう事はしないだろう、と思いながら。
そうしてその後はのんびりと過ごし、迎えた翌日。侑理は支度を済ませ、時間を確認し、外へと出る。
「んーと、皆は…まぁまだいないか」
待ち合わせ場所に着いた侑理だが、同僚達の姿はない。やたら早く来てしまった訳ではないものの、まだ誰も来ていない。
とはいえ、驚く事はない。真那との生活で『予定の時間より少し早く来る』というスタイルに慣れてはいるものの、基本的にイギリスの人間は…というより、日本人以外は時間にそこまで厳格ではないのである。これは仕事ではない以上、予定の時間になってから来るという事もザラであり…むしろ公私共に厳格な日本人の方が特殊なのだろうと、侑理は思っていた。
「さてと、そろそろ……」
「あら、ユーリ。相変わらず早いわね」
「…わぁ、図ったようなタイミング…」
「はい?」
時間になった事でぐるりと見回す侑理。すると正にそのタイミングで、こちらへ向かって歩いてきていた同僚の一人、アイリーンと目が合った。
更に待つ事数分。他の面々も待ち合わせ場所に集まり、侑理達は出発する。…と、言っても真那と出掛ける時の様なものではなく、単にカフェでお茶をするというだけなのだが。
「今更ですけど、なんでお茶をするだけなら現地集合じゃなかったんです?」
「今日行くのは、最近出来たばかりの店なのよ」
「あー、そういう。ほんとに知らないお店探すの好きですよねー」
暫く前から抱いていた疑問を侑理が口にすれば、アイリーンが答え、更に同僚の一人に目をやる。その動きで侑理は視線を向けられた一人が見つけた店である事を理解し、同時に彼女のフィールドワーク的趣味の事を思い出す。そしてその同僚の案内の下、侑理達は向かうのだが……
「ほんと、ウェストコット様からの勧誘を受けて正解だったわ。実力を、実力だけを真っ当に評価してくれる場所なんて中々ないんだもの」
「分かる分かる、連携なんてその場その場で必要ならやればいい訳で、初めから連携前提に考えるとか、むしろ非効率よねぇ」
「その点第二執行部は本当にやり易いわ。…まぁ、上二人は気付いたら独断専行してたり、そもそも連携なんてやりようのない領域にいたりしてるけど……」
(…わー…会話に入り辛い……)
交わされるのは、愚痴気味の雑談。DEMの
こうなってしまうと、途端に蚊帳の外感が強くなる。今回の面々は全員が凡そ二十代…侑理からすればちょっと年齢が離れていると感じる面子である事も相まって、一緒にいるのに心が置いてけぼりを食らう。そして、こんな時に真那がいたら、と何気なく思い…すぐに真那の事を考えてしまう、まだ真那がいなくなった事を相当引き摺っている自分の現状に、更に肩を落とすのだった。
とまぁ、そんな事がありつつも、侑理達は店へと到着。予約されていた席へと座り、メニューを見て注文し…再び侑理には入り辛い会話が暫く続いた後に、注文した料理が運ばれてくる。
「ん、美味しそ♪頂きまー……はい?」
侑理が注文したのは、イギリス定番料理の一つであるミートパイ。香りに食欲を唆られつつ、早速侑理は食べようとし…しかしそこで、何故か全員の視線が自分に向いている事に気付く。
「ユーリ、昼間からよく食べるわねぇ…」
「そうです?うち的には、これ位普通かと…大盛りとかでもない一人前ですし」
「ま、子供は食欲旺盛だものね」
「あー分かる分かる。あたしも小さい頃は沢山食べてたし」
「む…子供じゃないですー、皆さんより若々しいだけです〜。皆さんが肌のハリとかたるみとかを気にするようになっても、うちはまだ余裕なんです〜」
確かにミートパイは中々のボリュームがあり、食べ応えも恐らく十分。だがそれを理由に子供扱いされた事が納得いかず、侑理は口を尖らせ言い返す。ついでにがっつり切り返す。
からかわれっ放しは癪だ。そんな思いで返した侑理。その結果、アイリーン達はぽかんとなり…ぴくり、と小さく口角が歪む。
「へぇ…言ってくれるじゃないユーリ。ところで皆、ミートパイどう?一口食べる?」
「あ、貰うわ。見てたらなんか食べたくなってきたし」
「あたしもー」
「なんだ、うちの事どうこう言いつつ皆も食べたくなって…ってアイリーンさん!?貴女が今切り分けてるの、うちのミートパイなんですけどー!?」
「そうよ?」
「平然と返された!?いや、ちょっ…あぁしかも食べられた!誰一人として躊躇う事なく食べてるぅ!?」
あまりにも自然な調子で自分のミートパイを切り分けられ、侑理は愕然とする。当然抗議をする侑理だが、その主張は聞き入れられず、ミートパイはさらっと共有されてしまう。
「酷い…うちの、うちのミートパイ……」
「まだ大半残ってるでしょ、まるで全部食べたみたいに言うんじゃないの」
「でも、うちの…一方的に、勝手に……」
「あー、はいはい。ほら、口開けなさい」
「え?…むぐっ…」
流石に酷い、理不尽だ、と侑理は落ち込む。確かに全員一口食べただけであり、ミートパイの大部分は残っているが、そういう事ではない。量ではなく、扱いの…自分の扱いの話である。
…と、しょんぼりしていた侑理だったが、呆れたような声と共に横から呼ばれる。反射的に、侑理はそちらへと振り向き…次の瞬間、侑理は一口サイズに切られたサンドイッチを口に向けて突っ込まれる。
「ん、ん…い、いきなり何を…むぐぐっ……」
驚きつつも受け入れ咀嚼し、「あ、美味しい」なんて思いつつ飲み込む。それから何故、と訊こうとした侑理だが、その後も全員から次々と食べ物を突っ込まれ、なんだか強引に餌付けをされているみたいな状況となってしまう。
「なんか、ハムスターみたいになってるわね」
「つ、次々突っ込まれたら…こうも、なりますって…!」
「まあいいじゃない、やんちゃな愛玩動物みたいで可愛いわよ」
「それ褒めてます…!?」
おまけとばかりにスープまで飲まされ、漸く謎の行為は終了。今度こそ理由を求めたいところの侑理ではあったが、落ち着いた時にはもう全員普通に食事を始めており、更に雑談も始まってしまう。その、理由を話す気なんてないとばかりの態度に、また侑理はちょっぴり落ち込み…だが実際のところ、理由は何となく分かっていた。
要は、お返しなのである。食べた分は返すという、彼女等なりの誠実さなのである。…許可も取らずに勝手に食べ、求めてもいないのにお返しとして口に突っ込んでくる辺り、かなり一方的な誠実さではあるのだが。
「んもう……って、あ。真那からだ」
「うん?何か届いたの?」
「勿論!お風呂上がりの真那の、生返信ですよー?いいでしょう?」
「何がいいのかさっぱり分からないし、冗談抜きにちょっと気持ち悪いわ」
「……まぁ、それはともかく、皆と食事中って写真付きで返してもいいです?」
携帯の画面に映った真那の名前とメッセージの内容を見て、それだけでちょっと嬉しくなる侑理。全員からの引いた表情には流石に堪えるものもあったが、気を取り直して写真を撮り、それと共にメッセージを返す。
「…普段からそうやってやり取りしてる訳?」
「それはもう、毎日欠かさず確実に」
「あ、そう…まるで遠距離恋愛ね…」
「そ、そんな…うちと真那とで恋愛だなんて……」
頬がほんのりと熱を帯びるのを感じ、侑理は両手を頬へと当てる。何かこう、上手く言葉に出来ない気持ちが湧き上がってきて、思わず身体をくねらせてしまう。そしてそんな侑理を前にして、さらりと小声で交わされるやり取り。
「…ユーリって、マナが絡むと本当に正気を失うわよね」
「さっきみたいに偶に生意気な事も言うし、普段は良い子のフリをしてるだけで、こっちが本性なんじゃないかしら」
「ちょっとー?聞こえてるんですけどー?」
「同僚のよしみで忠告してあげるけど、悪い性格は治した方がいいわよ、ユーリ」
「聞こえていた事実をものともしていない…!?」
遠慮の欠片もない返しに、またまた侑理は肩を落とす。本当に、自分を気遣って誘ってくれたのか。単にからかう相手を連れて行った方が面白そうだと思われただけなんじゃないのか。…一瞬ではあるが、そんな風にも思ってしまった侑理だった。
そんな、侑理的にはあまり面白くない会話をしつつ、侑理は改めてミートパイを口にする。食事をしながらの会話というのは弾み易いもので、初めは受け身ばかりであった侑理も食べ進める内に段々と自分から話を振るようになり、ちょいちょい侑理をからかいつつも、アイリーン達は侑理の話に乗ってくれる。勿論聞き手に回る事もあり、何か問われればその都度答え…なんだかんだで、侑理は賑やかな時間を同僚と過ごす。
「はふぅ…ご馳走様でした」
「え、今何か言った?」
「あぁ、日本式の食後の…挨拶?…です。英語にも料理人への感謝の言葉はありますけど、日本式だとそれに加えて食材とか、その食材を作った人への感謝も含めた言葉になるんですよー」
「ふぅん…」
「…興味なさそうですね」
「そりゃ、何か言ったか訊いただけで、その内容まで訊いた訳じゃ……あ」
『……?』
食べ終えた侑理が普段の調子で言った言葉。その説明に対して素っ気ない反応を見せたアイリーンだったが、彼女は視線を窓の外に向けた状態でふと止まる。何事かと侑理や同僚達は彼女と同じ方向を見やり…外にいた数人の女性、これまた同僚であるジェシカ達を発見した。
「あっちも買い物か何かかしら」
「さぁ?…あ、向こうも気付いたみたいだし訊いてみる?」
という事で、一行は支払いを済ませて店の外へ。出てくる事を察して待っていたジェシカ達と合流し、彼女達はあるダーツバーへ行くつもりだったという事を侑理は知る。
「面白そうですねぇ、ダーツバーなんて」
「あら、じゃあ貴女達も来ル?」
「え、いいんですか?」
「それじゃあご一緒します。いいわよね?」
「良いんじゃない?どうせこの後の予定なんて、何もないし」
「じゃ、行こ?」
あれよあれよと、ダーツバーへの同行をする流れとなっていく一行。侑理がどうするか答える前に、ジェシカが率いる形で全員が歩き出し…数秒後、その内一人がくるりと振り向く。
「え、何突っ立ってんのよ。早く来なさいよ」
「…あの、うちに選択権は…?」
「別に来たくなければ来なくたっていいわヨ?」
冷ややかな、ジェシカからの言葉。その返しにむぐ…となりつつも、侑理は先を行く彼女等を追う。自分の扱いに関しては非常に不満な、不服な侑理ではあったが…置いていかれるのは、それはそれで嫌だったのである。
(なんていうか…もー……)
最後尾を歩きながら、侑理が向ける視線。その先にいるのは、最前列を歩くジェシカ。
別格且つ独自行動を取る事も多いエレンと、外見国籍それに態度と様々な面から反感を買いがちな真那に代わって第二執行部のまとめ役を担う事が多いジェシカだが、彼女は第二執行部の中でも割と尖った性格をしている方な為か、彼女がいると全体的な雰囲気も彼女寄りのものとなってしまう。実際今も、侑理は雑に扱われた訳で…そんなジェシカの事を侑理は嫌いではなかったが、渦巻く不満は拭えなかった。
「…まぁでも、ダーツバー自体は面白そうだしいっか……」
「一人で何を言ってるのヨ、貴女ハ」
「独り言です」
「…まぁ、それはそうネ…」
そうこうしている内に、ダーツバーへと到着。煉瓦造りの外観を持つ、中々の雰囲気を持つ店舗にジェシカ達は入っていき、普段は立ち寄るどころか近付く事もないような場所への入店に若干の緊張を抱きながらも、侑理も一行の後に続く。どうやらジェシカはよくこのバーへと訪れているらしく、軽い挨拶だけして奥のスペースへと進んでいく。
「さて、今日は軽くやるだけのつもりだったけど…これだけ人がいるなら、勝負をするのも面白そうネ」
「多人数でただダーツをするだけっていうのも味気ないですもんね。あたし賛成でーす」
「あのー…うちは殆どやった事ないので、勝負はちょっと……」
「仮にも私より上の数字を貰ってる癖に、何言ってるのよユーリ。というか見てるだけなんて、ユーリも詰まらないでしょ?」
「いや、今符牒は関係ない気が…それにほんと、うちはちゃんとした投げ方も知らないし…」
「ふぅん…だったら…そうネ、ユーリは最初に100点持った状態からでいいワ。それならどウ?」
どうも自分以外は多少なりとも経験がある様子。そんな中で勝負をしても負けるだけだ、と辞退しようとした侑理だったが、意外にも皆に、それこそジェシカにも引き止められる。
経験者達の中に初心者が一人入ったところで、ゲームとしては何も面白くならない筈。むしろ雰囲気としては盛り下がる筈。にも関わらず、参加させようとするのは何故か。その理由を侑理は考え、自分を見つめる同僚達の顔を見て…そして一つの答えを、導き出す。
(…そっか…やっぱりなんだかんだ言っても皆、うちの事を気遣ってくれてるんだ…)
じーんとした気持ちに包まれる侑理。そう…侑理はこういう時、仲間と思っている相手に対しては、割とほいほい肯定的に捉えてしまう少女なのである。
「そういう事なら…えと、お手柔らかにお願いします」
という事で、全員でのダーツを開始。各々飲み物を(勿論侑理はソフトドリンク)注文し、順番にダーツを放っていく。
ダーツのルールも色々とあるのだが、今回行われているのは単純に刺さった場所に応じた点数を得て、最終的に持ち点が最も多い者が勝利となる、カウント・アップという方式。まるでデモンストレーションをするかのように、的の中央へと当てた(因みにダーツではど真ん中が一番高得点…という訳ではない)ジェシカを皮切りに、一人ずつダーツを投げていく。全員が慣れた様子でダーツを投げ放ち、ポイントを得て…一巡目の最後、侑理の番がやってきた。
「よーし…」
自分の番が来るまでに携帯で投げ方のコツを調べていた侑理は、その通りに構える。遊びとはいえ、ハンデがあっても勝ち目は恐らく薄いとはいえ、やる以上は頑張りたい。少しでも良い点を取ってみたい。そんな思いで、的を見据える。シンプルに、的の中央へと狙いを定める。そして一周毎に投げる三本のダーツの内、最初の一本を真っ直ぐ投げ……
「あ、因みに最下位は全員分の代金を支払うって事デ。これはアデプタス3としての言葉ヨ」
「うへぇ!?」
……ようとした瞬間に、ジェシカが発したとんでもない提案。完全に気を取られた、というか仰天してしまった侑理の手からはダーツがすっぽ抜け、明後日の方向にすっ飛んでしまう。当然その場合は無得点となり……茫然とする中で、侑理はジェシカに嵌められた事を漸く理解するのだった。
*
ダーツは順当に進んでいった。遊びという事もあり、時折軽食を注文し摘みつつではあったが、各々得点を重ねていき、勝負は盛り上がる展開となった。……ある一名を、除いては。
「う、うぅぅ…なんでこんな、こんな……」
完全に賭け事で負けが込んだ人間の表情と雰囲気になってしまった侑理。一方同僚達は楽しそうに談笑をしながら、或いは飲食をしながら、お気楽な調子で時折適当なエールを送る。侑理が断トツでビリな為だろう、最下位になる事を恐れる様子は誰にもなかった。
「ほらほら、早く投げなさいよユーリ。貴女が投げれば、それで終わりなんだから」
「諦めちゃ駄目よー、まだ逆転の可能性は残ってるんだから、最後まで頑張って〜」
「逆転の目って…それ三投全部で最高得点を取った場合だけでしょう…?無理ですって……」
一応とはいえ送られるエールも、今の侑理の心には全く響かない。何せその逆転というのは、尤も狙い辛い…ここまで一度も刺さっていない場所に、三本全てを連続で入れなければ成立しないという、普通に考えたら不可能なレベルでの話であり、それがほぼ無理である事は侑理自身が一番分かっていた。というか、ハンデを得ていたにも関わらず最下位にまで落ちてしまった時点で、初心者の侑理はしょげてしまっていた。
それに、最下位は全員分の支払いという、とんでもない話もある。それがほぼほぼ避けられないという状況下で元気を出すなど、出来る訳がないのである。
(…もういっそ、適当に投げようかな…)
心の中にあるのは、諦めの感情。勝てる訳がない、罰ゲームに首まで浸かっているという中で、一体どうやってやる気を出せと言うのか。そんな思いから、侑理は適当に勝負を終えてしまおうと思い…しかしそこで、意外な人物が意外過ぎる行動を取った。
「はぁ…見苦し過ぎて見ていられないわネ」
「え、じぇ、ジェシカさん…?」
「ほら、こうよこウ。貴女は基礎が全くなってないのヨ」
ドリンクの入ったグラスを置いたかと思えば、おもむろに侑理のすぐ側にまで歩いてきたジェシカ。一体何か、更に最下位への仕打ちを増やされるのか…と身構える侑理だったが、そこからジェシカは侑理の背後に立つと、なんと侑理の手と肩を掴む。掴んで、投げるフォームの指導に入る。
「基礎がなってないも何も、うちは初心者……」
「つべこべ言うんじゃないわヨ。手はこう、足もこう…これで投げてみなさイ」
言い方こそ上からなものの、意外にも…本当に意外にも、丁寧に行ってくれる指導。そしてジェシカに促されるまま、侑理はダーツを投げ放ち…直後に感じる、これまでとは明らかに違うすんなり感。ダーツは綺麗な軌道で飛び、吸い込まれるようにすとんと円形の的に刺さる。誰が見ても良くなったその一投に、同僚達もにわかに沸く。
「…じぇ、ジェシカさん……」
「どうかしラ?貴女みたいな素人でも、私の手解きがあればこれ位は……」
「…思いっ切り胸が当たってたんですけど…当てつけです?当てつけで当ててたんです?」
「……そうだったとしたら、どうなるのヨ」
「内心ちょっと羨みます。うち、見ての通りなので」
「あ、そウ…」
ある意味丁寧に指導してくれた事以上に気になって仕方がなかった、大人の貫禄あるジェシカの圧力。視線を下げると、どうしても悲しくなってしまう格差。だが悲しいかな、ジェシカは心底呆れた視線を侑理に送るだけだった。
「…ま、まあそれはそれとして…ジェシカさん、ご指導ありがとうございます。…その…出来れば、残りの二投も手解きしてもらっても…?」
「残りモ?…ふぅン…ま、いいワ」
値踏みするような目で見たかと思えば、気分が良いのか再びジェシカは侑理に手解きをしてくれる。今度は侑理もその指導だけに集中し、尚且つジェシカに身を委ねる事で、身体から余計な力を抜く。そうして二本目も投げ放ち……
「あ…真ん中!真ん中に刺さりましたよジェシカさん!…凄い…ジェシカさんの指導が、ここまで凄かったなんて……!」
「漸くユーリも私の力を理解出来たようネ。普段からそういう態度でいれば、
「……?ジェシカさんの実力が凄い事は、前から理解してますよ?実際うち達の中でアデプタス3に相応しいのは誰かって言えば、間違いなくジェシカさんですし」
「…へ、へェ…普段からそう思っていたのなら、別にそれはそれでいいワ…」
下手っぴそのものだった自分が、指導ありきとはいえ真ん中に刺す事が出来た。その喜びで、侑理はテンションが上がっていた。そのまま侑理は思ったままの言葉を口にし…するとジェシカは、普段はあまり見ないような、何とも彼女らしからぬ表情を見せていた。…因みにこの時、「こういうとこ、ユーリは可愛いのよねぇ」やら、「ほんと、マナが関わらなきゃねぇ?」やら聞こえていたが、既に三投目へ意識を向けていた侑理の耳には届いていなかった。更に実のところ、侑理の言う「アダプタス3に相応しいのはジェシカ」というのは、それより上にはエレンや真那といった最高峰クラスの
(よし、もう一度…力を抜いて、ジェシカさんの言う通りに、伝えようとしている事通りに……)
そんなこんなで三投目。先の二投を踏まえてのより細かい指導を反映させ、ゆっくりと侑理はフォームを作る。落ち着いて、狙いを定めて、腕の力だけで投げるのではなく全身で送り出すつもりでダーツを手放し……最後の一投も、的へと突き刺す。
「…あっちゃー……」
「まぁ、初心者なんてこんなものヨ」
感覚的にはほぼ同じ。しかし若干左に逸れ、二連続ど真ん中は逃してしまった。
しかし侑理の気持ちはもう沈んでいない。上手くいかなかった事は残念だが、気持ち良く投げる事は出来た。一度だけだが、真ん中に刺す事も出来た。ダーツバーでの、同僚との初めてのダーツである事を考えれば、それだけでも十分楽しめて……
「…って、うち普通に最下位じゃん!一投目の時点で逆転の可能性消えてるし、何なら一回も最高得点は取れてないじゃん!」
「あ、すみませーん。これもう一つもらえますかー?」
「あたしももう一杯お願いしまーす」
「追加注文しないで下さいよぉぉぉぉっ!?」
結局最下位から抜け出せていない事に気付いた侑理は一人で突っ込んだ後、がっくりと膝から崩れ落ちた。
完全に吹き飛ぶ、十数秒前までの楽しい気持ち。今の侑理の心を締めるのは、全員分の支払いという重い出費。
「…お金、足りるかな…銀行で降ろしてこなくちゃってなったら、その間待ってくれるのかな……」
元から出掛けるつもりだったとはいえ、当然こんな形での出費など想定していない。支払えるかどうかという不安もあるし、もし仮に手持ちの金が足りず、そのせいで一悶着起きた…などという事になれば、自分の信用にも大きく響く。曲がりなりにも真っ当に生きてきたつもりの侑理にとっては、それも出費同様に痛い。
しかし、負けたのは他でもない侑理自身。雰囲気に流された面もあるとはいえ、ちゃんと断る事も、勝負から降りる事もせず、最後までやってしまったのもまた自分自身。だからこれは仕方ないのだと、しょんぼりしながらも侑理は支払いをするべく財布を出し……
「じゃあ、これでお開きネ。この場は一旦私が払っておくから、全員後で返すようニ。踏み倒しは許さないワ」
「え、え…?え……?」
……ジェシカによる、鶴の一声が発される。その言葉に、全員が同意をし、すぐにジェシカは支払いに行く。そして支払いが済み…各々バーを出ていく中、物理的にも精神的にも侑理だけが取り残される。
「…あ、あの…ジェシカ、さん…?」
「何かしラ?」
「支払いは、最下位がって……」
「はァ?この私が、貴女みたいな小娘に全員分支払わせるとでモ?まさか、さっきの冗談を信じちゃったノ?」
「じょ、冗談…?最下位か支払いは、冗談……?」
驚き半分、小馬鹿にする雰囲気半分で返ってくるジェシカの言葉。初めから最下位が支払うなんてルールは…侑理に支払わせるつもりはないのだとはっきり言い、肩を竦めてジェシカもまたバーから出ていく。
勿論それは、ありがたい事。ありがたいというか、自分の支払いは自分でという、至極当然の話。しかし完全に自分が払うものだと、払わなければいけないものだと思っていた侑理にとっては、完全に寝耳に水の展開であり……ジェシカがバーを出たのとほぼ同時に、その場でへなへなと座り込んでしまうのだった。
因みにこの事を真那にメッセージで伝えたところ、「侑理、一日中ずっと弄ばれてるじゃねーですか」…と、素気無く返されてしまった。…ご尤も過ぎて、何も返せない侑理であった。