初手ホテル未遂という、波乱の幕開けとなった士道と折紙…反転精霊〈デビル〉とのデート。色々と疑問の残る展開はあったものの、僅かに好感度は上がっているようにも見えるという、結果的には悪くない滑り出しで攻略作戦は始まった。
そうして次に…ではなく、改めての目的として選ばれたショッピング。無難な選択肢である買い物、それに対する「何を買いに?」という質問を折紙がすると、そこでまた〈フラクシナス〉のメインモニターに選択肢が表れ……それが再び、波乱を巻き起こす事になるのだった。
「…ねぇ、さっきのは何が起きたの…?」
「それは私に訊かないで…私も訊きたいんだから……」
ある店の入った雑居ビルを士道と折紙が後にする中、侑理は琴里と言葉を交わす。〈フラクシナス〉の艦橋内を包むのは、微妙な雰囲気。しかしそれは、士道が何かやらかしたとか、折紙が攻略対象として予想以上に難敵だとか、そういう理由によるものではない。
先程出たのは、買い物先の選択肢。セレクトショップで服を、ペットショップで動物との時間をというまともな選択肢が二つと、裏通りの薬屋で如何わしい薬をという、だから未成年に勧める内容じゃないよと突っ込みたくなるものが一つ。無難なセレクトショップが有力視される中、何故かまた士道は最後の選択肢を推し(しかも折紙といえば精力剤、精力剤といえば折紙みたいなところがあるとまで断言)…ホテル直行で好感度が若干上がった気配がある事から、琴里はそれで行こうと承認した。…そこまではいい。常識的には全然良くないが、まあまだ頑張ればそういうものだと飲み込める範囲。
しかし問題はここからだった。裏通りに逆戻りした士道と折紙が薬屋へ入ったところ(因みに士道は案内無しでその店に辿り着いていた。正直その理由は知りたくない)、折紙は浮かない様子で自分にはよく分からないと言った…のだが、その手にはいつの間にか買い物籠があり、更にその中には店内でも特に強力そうな精力剤やら媚薬やらが大量に投入されていた。しかも本人の反応を見る限り、自分でもその理由がよく分かっていないようなのである。
「あの後頭を押さえてふらついてたし、まさか眠ってる元の世界の記憶が関係してる…とかかな…?」
「だから私に訊かないでって…。…でも、考えられるとしたらそれしかないわね…士道の発言からしても、その線はありそうだし……」
気になって仕方がない事態だったが、今はデートを進めねばならない。よろめく折紙に士道が触れて支えた瞬間、感情値が凄まじい波を見せた事もあり、その後は速攻で雑居ビルから退出したのだ。
(あれ、けど…どうして籠とその中の薬に気付いた時点じゃなくて、支えてもらった時に感情値が激動したんだろう…薬とは別の理由があるって事…?)
二人が服屋に向かう中、そして道中のやり取りでさらっと士道が「今日の服とか、可愛いぞ?」と不意打ちのように褒めたりする中、侑理は考える。同様に琴里も気になっていたようで、士道に注意するよう通信で伝える。
そうして二人はやや戻る形で駅前のツインビルまで歩き、その三階にあるセレクトショップへ。そこでも士道は恐らく意図する事なくデート相手の心を掴むような事を言い、なんだかちょっと良い雰囲気に。侑理が士道にぃ凄いかも、と思う一方、琴里はそんな士道をからかい…そんなこんなをしていたら、「五河くんが喜ぶような服を」と言って店内を物色していた筈の折紙の姿を、士道も侑理達も見失ってしまった。
「令音、折紙の位置は?」
「……ん、シンがいる場所から凡そ二◯メートル後方だ」
「すみません、ありがとうございます」
しっかりとその辺りを気を付けてくれていた令音の言葉を受け、士道はそちらへ歩いていく。するとそこには試着室があり、だから姿が見えなくなっていたのかと全員が納得。同時にこれでは待つしかないと、侑理はもし自分がこの店に士道と行ったらの場合を考え始め……
「──きゃぁぁぁぁぁぁっ!?」
……ていた、その時だった。突如として、試着室から折紙の悲鳴が響いたのは。
「ど、どうした、折紙っ!」
「わ、私、なんでこんな……」
「よくない予感がする…すまん折紙!開けるぞ!」
「え……っ?あ、だ、駄目、五河く──」
一瞬虫か何かが試着室に出たのか、と思った侑理だったが、折紙の戦慄したような声音とその内容から何か違うと感じ取る。現場の士道も同じように思ったようで、よくない予感がすると呟いた後、断りを入れて試着室のカーテンを掴む。
何があったのか、何が起きたのか。〈フラクシナス〉内にも緊張が走る中、士道はカーテンを開ける。外と中を隔てる仕切りを開き……そして、固まる。
『……へ?』
その場の士道と〈フラクシナス〉内の侑理、二人の声が完全に重なる。だがそれも当然の事。何せ試着室の中の折紙はもう十一月だというのにスクール水着を身に纏い、犬耳のカチューシャと尻尾のアクセサリーを身に付け、更に首には革製の首輪を装着しているという、しかもその状態でへたり込んでいるという、とんでもなくとんでもない格好をしていたのだから。
「お、折紙……?その格好……ってまさか、俺が喜ぶような服って……」
「ご、誤解しないで!私、こんな──こんな……!」
衝撃的な光景に琴里達もぽかんとし、男性クルーが目を逸らす中、折紙は首を激しく横に振って否定。誤解するなと言うのなら、一体これにどんな意図があるというのか、というかそもそもなんでこのセレクトショップはスクール水着や首輪を置いてあるのか、と疑問ばかりが侑理の頭にぽんぽん浮かぶが、誰より動揺している様子の折紙は更に続ける。
「こんな服、手に取った覚えもないのに、いつの間にか……!なんで私、スクール水着なんか──」
思いきり狼狽えて弁明する折紙。だがその途中で折紙はまた頭を押さえ、苦しそうにしながらぶつぶつと何かを呟く。更にその直後、また感情値の激変が発生し、士道は着替えて別の場所に行こうと言いつつ慌てて試着室のカーテンを閉める。
一体全体何が起きているのだろうか。侑理にはさっぱり分からない。というか多分、誰にも分からない。
「こ、琴里…念の為、念の為訊くんだけど、現代日本の十代少女にはああいうファッションが流行ってるとか、士道にぃに実はそういう趣味があるとか……」
「な訳ないでしょ!?」
「いや、でも…前者はともかく、ケモ耳も水着も最近七罪関係であったよね…?その七罪は士道にぃの動向を見ていた訳だし、ひょっとしたら……」
「だからないって!うちの士道はそんな変態じゃないからね!?」
「…うちの士道……」
「そんなところに反応しないでくれる!?」
最後はちょっと琴線に触れてしまったものの、とにかく謎過ぎる。先程から、侑理の中の折紙像が凄まじい勢いで崩れていっている。…本当に、何がどうなっているのだろうか…。
「全くもう…何よこの、順調に行きそうなのに変な方向にすっ飛ぶデートは……」
「…なあ、琴里。ちょっと話したい事があるんだが」
「話したい事?……一刻を争う事でないなら、後にしなさい。元の服に着替えるだけならそう時間は掛からないだろうし、まずは折紙に落ち着いてもらわないと」
「それは…確かに、そうだな。分かった」
何か思うところがある様子の士道は琴里の返答に頷き、試着室から出てきた折紙をフォローしつつ店を出る。何かもう買い物は危ない気がする、と次の目的を時間的にも丁度良い昼食に決め、同じビルにあるレストランへと二人は移る。そこに入り、席に座る頃には折紙もある程度落ち着いてきていたが、薬屋から続けて奇行に走ってしまったのが流石に堪えているのか、完全に肩を落としていた。
そんな折紙を士道は励まし、雑談をし、それぞれ注文をした料理が来たところで食べ始める。今のところは特に問題もないという事で、〈フラクシナス〉クルーはここまでのデータの確認とここからのプランについて言葉を交わし…ある程度したところで、琴里が士道を呼ぶ。
「士道。今ならお手洗いを理由に離れても大丈夫だと思うわよ」
だからさっき言っていた話を、という旨の言葉を受けて、士道は断りを入れつつ席を立つ。そさくさとお手洗いに移動し、誰もいない事を確認した後彼から切り出す。
「また馬鹿な話を、と思うかもしれないけど、俺はここまでの折紙の言動に、心当たりがあるんだ」
「また馬鹿な話を…」
「そういうノリの良さは要らないっての…」
「はいはい。…で、心当たりっていうのはどういう事?」
「……実際あったんだよ、改変前の世界でも折紙がさっきみたいな格好をした事が」
『え……』
士道の言葉に、琴里共々侑理は固まる。元の世界でもそういう事があったというのも、勿論驚きではある。だがそれ以上に驚いたのは、士道がそれを知っている事…しかも口振り的に、直接見た経験があるっぽい事である。
「格好だけじゃねぇ。折紙の家に行った時は、精力剤やら何やらを煮詰めたような液体を飲まされた事もあったし、それ以外にも色々あった。おんぶした時に首筋を舐められたり、水を口移しで飲ませようとしてきたり、挙句トイレに行きたいと行ったら…うんまあこれ以上は言わないでおくけども…。…そういや折紙の家、逃亡防止用のトラップもあったな…なんかもう、懐かしいや……」
「し、士道にぃ…?なんか声音が変だけど大丈夫……?」
遠い目をしてそうな声で語る士道に、侑理達は唖然となる。最早突飛とかのレベルではない。もしそれが本当ならば、そして士道と男女が逆だったら、完全に事案である。いや、士道が通報をしていれば、性別そのままでも警察沙汰間違いなしではないだろうか。
「…こ、こほん。まあとにかくそういう事があって、今日折紙の感情が大きく揺れ動いたタイミングも、二度目三度目はそれぞれ過去にあった事…いや、『過去の世界』で折紙が触れてきた事だった。これは、偶然…なんかじゃないよな?」
「偶然も三度続けば…ってやつね。ただそうなると、最初の一回が気になるわ。心当たりある?」
「いや、流石に折紙とホテルに行った事はない…と、思うけど……」
『……?』
「…俺の記憶にないだけで、っていうか記憶から抹消されてるだけで、実は…なんて事ない…よな……?」
段々と不安そうになっていく士道の声。…誰も、何も言えなかった。掛ける言葉が見つからなかった。
「…こ、こほん。士道の推測が正しいとするなら、今後の行動において『元の世界の折紙』が経験しているような事には注意が必要ね。現状だと感情が大きく揺れるだけで済んでるけど、精神への大きな負荷で精霊としての人格が引き摺り出される…なんて事もないとは言い切れないし」
「…でも、それって難しくない?人生なんて常に何かしらの経験をしてる訳だし、士道にぃが知ってる折紙さんの経験なんて、全体からすれば極一部に過ぎない筈だし……」
「そうね。けどここまでの結果から、何となくの傾向は見えてるでしょ?それに多分、士道が知ってる範囲だけでも十分だとは思うわ」
肩を竦めた琴里の言葉に、確かにそうかもと侑理は片手の親指と人差し指を顎へと当てる。裏通りのホテルに、怪しい薬屋に、スク水ケモ耳尻尾に首輪の四点セット。具体的にこう、という部分は口にしたくないが、どういう展開で反応しているかはざっくりと見えているし、それが全て「士道に」や「士道と」という形で発生しているのであれば、士道の分かる範囲へ全て帰結している可能性すら十分ある。
「士道。注意が必要と言ったけど、それに気付けるのは貴方だけよ。先手を打てればその分危険を避けられるんだし、これまで以上に気張りなさい」
「分かってる。…けど、なんつーか…ちょっと、安心したよ」
『安心?』
「俺が今いるのは歴史の変わった世界で、この世界の折紙は俺の知ってる折紙じゃない。…けど、元の世界の折紙が完全に消えちまった、存在しなくなっちまった訳じゃないっていうのを、これまでの折紙の行動で感じてさ」
「ふぅん…まぁ、感傷的になれる余裕があるならいいわ。気を付ける事に一杯で、デートがおざなりになるんじゃ本末転倒だし」
その通りだな、と士道は軽く笑う。場所が場所である為現在映像は出ていないが、声音から緊張は感じられない。これならきっと大丈夫。声がそんな風に思わせてくれる。
それから士道はお手洗いを出て、折紙のいる席に戻る。ここまでも色々あったが、まだ昼の時間。デートに費やせる時間はまだまだある訳で、士道だけでなく侑理達も気を抜いてはいられない。そう思い侑理が気を引き締める中、士道に合わせる形で自律カメラが折紙を映し出し……
「お、折紙……?」
……再び士道は、今度は士道も侑理達も、全員揃って固まった。折紙が士道の使っていたスプーンを手に取り(士道側の席にスプーンがなく、折紙のものは彼女の皿に置かれている為間違いない)、それを口元へ近付け、なんかもう発情してるとしか思えない表情で舌を伸ばしていた事で。
「ち、違うの!これは……違うの!」
「い、いや、大丈夫だから……慣れてるし」
(慣れてる……?)
こんな奇っ怪な状況に慣れているというのはどういう事なのか。もう何となく察しは付くが、実は侑理の知っている折紙と、士道の知っている折紙は同姓同名の別人なんじゃないだろうか。そんな風にすら思う中、折紙は席を立とうとした拍子に士道のスプーンを落としてしまい、自分はそれを拾っただけだと主張する。明らかに言い訳を考えながらの言い方であり、仮にそれが真実だとしても、なら一体どこに舐める必要があるのか、汚れを舐め取ろうとでも言うのだろうか…と思う訳だが、とにかく折紙は全力で言う。
と、そこで縋るように折紙が立ち上がった瞬間、彼女はテーブルに接触し、その衝撃で士道の飲みかけのコップが倒れる。結果水が飛び散り、士道の服が濡れてしまう。
「あっ!ご、ごめんなさい、私、慌てちゃって──」
「はは、これ位大丈夫だって。すぐ乾くだろうし」
自らの失態ですまなそうにする折紙へ、士道は笑ってみせる。それから濡れた裾を摘み、水を切る。
なんて事ない、特筆する点も着目するべき要素もないような、普通の反応。だがその直後、折紙はガンマンの早撃ちが如く一瞬でポケットから携帯を抜き放ったかと思えば、その勢いのままカメラのレンズを士道に向けて、高速でシャッターを切り始める。そしてレンズが向けられた先……そこにあるのは、裾を絞る際にちらりと見えた士道の臍。
「えっ?」
「はっ!」
驚きが二つ。突然撮られた士道と、突然撮り始めた折紙が、揃って驚愕の表情を見せる。士道は当然だとしても、折紙も信じられないような…まるで身体が勝手に動いているかのような反応を示す。
「──なんで!?なんでぇぇぇぇっ!?」
信じてほしいと、自分の意思ではないと涙目で訴える折紙だが、その間もシャッター音は鳴り響いている。遂には折紙自身も混乱した顔で叫びを響かせ……最早カオスだった。とにかくもう、カオスであった。
「…ねぇ琴里。ずっと思ってた事、言ってもいい?」
「…えぇ、何かしら」
「折紙さんって…実は、変態なのかな……」
侑理からの言葉に、琴里は何も言わなかった。言わなかった…が、それは沈黙という名の肯定であるような、そんな気がした。……というか、彼女のこういう一面について、美紀恵辺りは知っているのだろうか。もし知らないのであれば…そのままでいてほしいものである。
「…うん、ほんとに何なんだろう…不意に見えたお臍を撮りたくなる気持ちは分かるけど、流石に出会って数日でそれをやるのは早過ぎるというか……」
「え、待って。何しれっと理解示してるの?」
「え、だって理解は出来るし。もし同じ状況で相手が真那なら、うちやってると思うし」
「…貴女、絶対人の事言えないからね…?」
大事にしていた真那の写真コレクションが手元にない以上、シャッターチャンスがあれば見逃せないのは必然の事。そんな事を思いつつ答えていると、侑理は琴里から心底呆れた目で見られてしまった。
「…まあ、それはそれとして…これ、どうするの…?」
これとは即ち、士道が裾から手を離し、素肌が見えなくなってからもシャッター音を響かせ続けている折紙の事。後から分かったが、この時は服が濡れて薄っすらと透ける形で見えるようになったお腹を撮っていたらしい。流石にここまでは侑理も理解出来ない。
そして、この状況をどうするか。お客や店員からも変な目で見られているこの場をどう切り抜けるのか。それを尋ねる侑理に対し、琴里ははぁ…と溜め息を吐き、言う。
「…信じましょ。士道の、ポテンシャルを」
「いやそれ俺に丸投げって事じゃねぇか!?」
インカムへのマイクをオンにしたままだったのか、分かっていてわざとやったのか謎な、琴里の発言。結果、本当に士道は一人で切り抜ける事となったのだが…何とかなっていた。目一杯あたふたしながらも、その場を切り抜けちゃんと支払いも済ませていた。それは、多くの経験を…きっとこれまでも精霊とのデートで散々大変な目に遭ってきたんだろうなという事を感じさせる処理能力であり……そんな士道に、侑理は同情を禁じ得なかった。
*
昼食の後も、士道は折紙を連れて様々な場所へと行った。行く先々で折紙は奇行を見せ、その度に感情値が大変な事になるわ周囲に人がいる場合はレストランの時と同じような目で見られるわで、侑理はデートを見ているのか芸人の体当たりロケを見ているのか分からなくなってしまいそうだったが…何度も折紙がぶっ飛んだ行動を見せても士道がフォローし、慰め、離れようとはしなかった事で、事なきを得ていた。むしろそんな士道の優しさや懸命さは、折紙の心に染み渡っているような…そんな風に、侑理には見えた。
そして今は、十八時三十分。十一月のこの時間ともなればもう完全に暗く…夜闇の中で士道と折紙がいるのは、市内を一望出来る高台の公園。
「色々あったけど、良い雰囲気じゃない。今回は情報収集と、彼女に士道を意識させる事が出来れば十分だと思ってたけど…この調子なら、今日中に片を付けられるかもしれないわ」
「…そう、だね」
琴里の言う通り、本当に今は良い雰囲気。というか少し前から、既に付き合っている男女のデートと言われても違和感のないレベルであった。
そして今も、手袋を持ってくれば良かったかもと言った折紙に対し、琴里にけしかけられた士道は彼女の手を握る。その行為に折紙は驚き顔を赤くするも、嫌がる事なく士道からの手を受け入れる。
このままいけば、本当に琴里の言う通りになるかもしれない。そうなれば解決であり、この作戦は大成功で終わる事になる。…だが……
「……琴里。念の為、うちも外で待機しておくよ」
「え?…まあ、〈ラタトスク〉のやり方はもう分かってもらえたと思うし、別に構わないけど……どうして今なの?」
「取り敢えず、理由の一つとしては流石に真那も疲れてるだろうし、って事で…後は、何となく…本当に何となくだけど、心がざわつくから…で納得してくれる?」
「ざわつくから、ね…。…えぇ、いいわよ。戦場の場数でいえば、私より貴女の方が上だもの。その貴女の直感で何か感じるものがあるのなら、それを蔑ろにする気はないわ」
「ありがと、琴里。…けど、あんまり期待しないでね?うちの直感なんて、どこまで当てになるか分からないんだから」
「大丈夫よ、私もそこまで期待してないし。というか、取り越し苦労で終わってくれた方がいい事だし」
「それはそれでちょっと不服なんだけど……」
さらりと期待してないと言われれば、自分から切り出した事であってもちょっと傷付く。しかしきっと、これは琴里なりに「変に気負うな」と思って言ってくれた事なのだろう。侑理はそう捉える事にし…艦橋を出る。〈フラクシナス〉の中から外へ移り……〈ヨルムンガンド〉を纏うと共に、夜空へ飛び立つ。
「真那、聞こえる?今からうちも万が一に備えるから、真那はもう休んでていいよ」
「へ?…いやまぁ、それはありがてーですけど…何故今になってそれを…?」
「あはは、琴里にも同じ事言われたよ」
デートが始まってからずっと、緊急事態に備えて外にいた真那。その真那と軽く言葉を躱し、侑理は地上へ降下を掛ける。士道達がいる高台の公園、そこより更に高い山の崖へと静かに降りる。
(…琴里。今日一日、ここで士道にぃのやっている事と、その為の〈ラタトスク〉の支援を見て、思ったよ。全ての精霊を、こういう形で無力化出来るなら…それで皆が、精霊自身すらも悲しんだりせずに済むなら、戦うしかないうち達よりも、ずっといいって)
右腕の〈オルムスファング〉を展開する。長距離狙撃に適した状態へと切り替え、スコープを覗く。そうして望遠レンズに映るのは…士道と折紙、二人の姿。
分かっている。ここにいる折紙は…否、元の世界の折紙も悪人ではないと。むしろ善良な、人の為に戦える少女だと。──それでも。
「力だけじゃ解決出来ない事は沢山あるけど、力がなくちゃ守れないものもある。手が届かないのは…もう、こりごりだ」
ゆっくりと息を吐き、引き金に指を掛ける。勿論、士道が封印を果たせるのなら、それで良い。むしろそうなってくれるのがベスト。だがもし、そうならなかったら…万が一にも、絶望の凶刃が士道に向く事があれば……。
「……うん?」
と、そこで不意に折紙が見上げたかと思うと、公園の外縁部に備えられた木製の手すりから身を乗り出す。一瞬飛び降りるつもりか、とぎょっとした侑理だったが、どうやらそういう事ではないらしい。しかし今は会話が全く聞こえない為、何故そんな事をしたのか、今二人はどんな会話をしているのかが全く分からず…その折紙が指差している空をなんとなしに見上げた事で、侑理は気付く。
「あ……」
星の煌めく夜空を駆ける、一筋の光。それは、流れ星だった。折紙が気付いたのであろうタイミングと、侑理が見るまでのタイムラグからして、複数の流れ星があったのかもしれないが、侑理が目にしたのは一条だけ、それも消えかけの流れ星だった。
不意に流れ星が見えたとなれば、身を乗り出したくなるのも分かる。そしてデートの締めに流れ星が見えたとなれば、それはもうこの上なくロマンチック。
これは本当に、ひょっとするとひょっとするかもしれない。そんな思いを抱きながら、侑理が視線を二人へと戻した……その時だった。
(え、落ちた……ッ!?)
突然壊れる手すりと、大きく前のめりになる折紙。反射的に侑理は飛び上がり、助けに行こうとする。
しかし不幸中の幸いと言うべきか、折紙は士道と手を繋いだままだった。おかげで士道も引っ張られるも、ギリギリのところで踏み留まる。そして身体全体で勢いを付けるようにして、落ちかけた折紙を引っ張り上げる。
「よ、良かったぁ……って、やば…!」
手すりの内側へ戻った勢いのまま折紙は士道の胸へ飛び込む形となり、そのまま二人は倒れる。士道は仰向けになり、その上に折紙が覆い被さる。ひやりとした数秒間だったが、取り敢えず危機を脱した事に侑理は安堵し…しかし自分が大分近くまで来てしまった事、丁度仰向けになった士道の視界の中に、自分が映っていそうな位置にいる事に気付いて慌てて離れる。士道であれば、仮に見つかっても問題はないが…だとしても、精霊攻略の為のデートに水を差すのは良くない。今はそれどころじゃないのかもしれないが、とにかく下がる。
そして急いで退避する中、士道は折紙を見つめていた。今の二人は、互いの息遣いが聞こえるであろう程の距離で…考えてみれば、今の展開も
「え……?」
不意に、ゆらりと起き上がる折紙の身体。それもただ起き上がったのではない。まるで引っ張られるように、操り糸に持ち上げられるマリオネットの様に、不自然な動きでゆっくりと立つ。
これまでと明らかに違う動きを前に、侑理は空中で静止をしつつ再びスコープを覗く。そうして気付く。──折紙の顔に、表情がない事に。虚な瞳をしている事に。つい先日、来禅高校で折紙が狂三と遭遇した時と、同じ面持ちである事に。
一体何故?…その理由は、すぐに分かった。恐らくは老朽化が原因で壊れた手摺り、そこから落ちそうになった折紙を引っ張り上げた際に引っ掛けてしまったのだろう左腕へ、青紫の炎が揺らめいていた。詳細は分からないが、とにかくその炎が士道の腕の傷を舐め、炎に焼かれた傷は段々と治り始めていた。通常ならそれはありえない光景であり…しかしそれが、士道の身に宿る『封印した精霊の力』であれば、合点がいく。霊力の炎が癒しているのであれば、治る事も……それを見た折紙の反応も、全て辻褄が合ってしまう。
「……ッ…どうして、こんな…後少しだったのに、なんで今…ッ!」
虚ろな瞳で、折紙は空を見上げる。慌てた様子で立ち上がった士道は、折紙に声を掛けるような素振りを見せ…されど次の瞬間、霊力のベールで弾き飛ばされる。
理解は出来る。精霊や霊力に反応して反転する事はもう、仮説として上がっているのだから。だが、相手は士道なのだ。今日一日、デートをした…折紙が何度ぶっ飛んだ行動をしても側にいてくれた、本人が知っているかどうかは分からないが折紙にとっては両親の恩人でもある…ずっと折紙を危険な存在ではなく、助けたい相手として力を尽くしてきた、優しい少年なのだ。なのに士道の事も、他の精霊と一緒くたにするのか。同じと見て、その絶望した顔を、破滅の力を振るわんとするのか。……また、怒りが湧き上がる。心の奥から、憤怒の情動が染み出していく。
「鳶一、折紙……ッ!」
折紙が放つ霊力は、色を得ていく。光を失っていく。蜘蛛の巣の様に広がり、折紙の身体を包み…喪服を思わせる、闇色の霊装となる。
そうして折紙は、反転精霊と化した。元の世界で街を蹂躙し、空を闇で飲み込んでいった……絶望の化身が、顕現した。