夜の空に舞う、無数の羽。闇を固めて形にしたような、無機質な力。その羽から、霊力の光線が降り注ぐ。空に、地に、上から、横から、前から後ろから、縦横無尽に放たれる。
圧倒的な暴威。万物を例外なく、貫き砕く為の矛であると思わせるそれは……正しく、魔王の力。
しかし、負ける訳にはいかない。臆する訳にはいかない。進まなければ、その砲撃の嵐の中を切り開かなければ、未来はないのだから。目指す先は…その向こう側にあるのだから。
「でぇええええぇいッ!」
〈オルムスファング〉の魔力照射で薙ぎ払い、〈オルムススケイル〉の連射で魔力弾をばら撒く。道を阻まんとする羽を吹き飛ばし、立て直そうとする動きを牽制する。
しかし、ただ逃げるだけならともかく、その羽の主…折紙へと向かっていこうとするのなら、侑理一人の力ではとても捌き切れない。すぐに別の羽がその先端を向け、砲撃を放ってくるが……その反撃は、魔力の刃で断ち斬られる。
「ふ……ッ!」
逆袈裟の要領で振り上げられた〈ヴォルフテイル〉により、両断された光線。何も言わずとも、完璧なまでのタイミングでフォローに入ってくれた真那。その真那と侑理は小さく頷き合い…空を見上げて声を飛ばす。
「耶倶矢さん、夕弦さん、こっちは大丈夫ですから〈フラクシナス〉の援護をお願いします!」
「承諾。〈フラクシナス〉に風の加護を」
「安心するが良い!これより闇夜を翔ける風が、空を征く船の航路を護ろう!」
言うが早いか、八舞の二人が〈フラクシナス〉の周囲を飛び回る。その二人に呼応するように、〈フラクシナス〉を中心に竜巻が起こり次々と羽を吹き飛ばす。当然二人も羽の砲撃に襲われるが、彼女等の速度には敵わない。
「こっちは大丈夫とはまた、言ってくれやがりますね侑理…!」
「ごめんね真那!でも……」
「適宜良ければいい私達と違って、街を守る〈フラクシナス〉はひたすら耐えるしかない…そういう事でいやがりましょう?」
そう。この作戦において最も危険なのは、攻撃を浴び続ける〈フラクシナス〉に他ならない。
とはいえ自分達だけならともかく、侑理と真那の背後には士道達がいる。彼等の露払いが侑理達の役目なのだから、避けてばかりもいられない。負担が増えた分は少し無理をしてでも、強引にでも道を切り開いて……そう思っていた時だった。
「お待たせ、皆。私も皆の事、応援するわ♪」
「……!これは……」
耳に届く、七罪の声と高らかな演奏。それと共に感じる、力の漲り。この感覚を、侑理は知っている。多少その効果は劣っているものの…正しくこれは、〈
しかし、その感覚は既にあった。既に美九による天使のサポートを、侑理達は受けていた。即ち、それが意味するところは…一つ。
「あーん!七罪ちゃんったら真似っ子ですー!」
「ふふ、いいじゃないの。これも士道くんの為、よ」
「ぶー。後でちゃーんと著作権使用料払って貰いますよー。アイドルは権利関係厳しいんですからー」
七罪の天使、〈
負担が増えていたところに送られた、絶好の支援。しかも美九、七罪共に折紙や羽へ直接仕掛けている訳ではない為に反撃を受けている様子もなく、二人は無差別攻撃を続けている一部の羽の動きにさえ気を付ければいい状態。その点においても、二人の支援はこの場における百点満点のものであり……
「…これが終わったら、七罪さんは美九さんに一体何を『払う』事になるんでしょうね……」
「お金…では、ないんだろうね……」
後で七罪は大変な事になりそうだ。それだけはどうしても気になって、侑理と真那は苦笑いをするのだった。
「…でも、いける…!これなら、辿り着ける…ッ!」
左右の火器をフル稼働させ、弾幕を形成。更に〈オルムスファング〉を瞬時に連射から照射に切り替え、真那の〈ヴォルフファング〉と同時に薙ぎ払う。拡大した
正面に阻む羽はない。側面や後方から追い縋る光線は、重ねた
「真那!後はうちに任せて、霊力障壁を……」
「──いや、待て!」
貫いてほしい。そう言おうとした瞬間、背後から十香の声が響く。その直後、新たな闇が折紙の周囲に蟠り、羽の姿へ形を変える。
だが、それで終わりではない。これまでは、現れた闇がそのまま羽となっていただけだったが……此度は闇がまるで異空間との門の様に、そこから羽が次々と現れる。現れ続ける。
『ぐぅぅぅぅ…ッ!』
「真那さん…!侑理さん…!」
突然の戦力増大に、順調だった接近が押し留められる。前方からの集中砲火を真那との二重
そんな中、背後から前へ流れる冷気。氷の壁が形成され、
「俺達が近付いた事で、折紙も本気になったって事か…!?」
「いいや、違う。確かに迎撃は激しくなったが、今もこれまでも敵意らしきものは一切感じない。恐らくこれは本能…いや、無意識の反応だ……ッ!」
移動を止められた事で、追い付いてきた羽が横や後ろからも撃ってくる。四糸乃の力も合わせた三重の防御と十香の斬り払いで何とか持ち堪えてはいるものの、このままでは不味い。このまま包囲されて波状攻撃をされ続ければ、侑理は勿論、侑理以上の力を持つ真那とて限界が来る。
加えてもう一つ。もし十香の見立てが正しいのなら、やはり止めるには折紙の下へ士道を送り届けるしかないという事になる。完全に心を閉ざし、意識を沈めてしまっているのなら、どれだけ外から呼び掛けようとも意味はない。そして、増大を続ける羽が他の場所にも向かえば、すぐに全てが瓦解する。
(……っ…迷ってる、暇はない……!)
「…侑理」
「うん。四糸乃、十香さん、士道にぃと障壁の突破をお願い。それからごめん、士道にぃ。うち等、今からちょっと…無理してくる……ッ!」
「なっ……!?」
同じ答えに行き着いたのであろう真那の言葉に頷き、振り向く。四糸乃、十香、士道と順に侑理は見つめ…そして、真那と同時に左右へ飛ぶ。拡大したままの
『はぁぁぁぁぁぁッ!』
更に増した負荷に脳を締め上げられるような痛みを感じながらも、
無論、折紙を助ける事を諦めた訳ではない。そもそも真那の突進はともかく、今の侑理の射撃では霊力障壁を破れない。…だとしても、これは羽を迎撃するよりも遥かに、明確に、『折紙への敵対行動』になる。十香の見立て通り、羽の動きが本能や無意識による『危険の排除』であるのなら……
「行って、士道にぃッ!」
「今の内に、早くッ!」
「真那ッ!侑理ッ!けど、それじゃ二人が……」
「躊躇っている時間はないぞ、シドー!二人を思うなら、尚更一秒でも早くあの転入生を止めるのだッ!」
「……ッ…分かった…!…二人共…頑張れッ!」
四方八方、全方位から殺到する交戦。それに混じって聞こえたのは、躊躇いの声と、発破と……それから、応援。視界の端で、侑理と真那へ攻撃を集中させた分迎撃が薄くなった道を士道達が真っ直ぐ突っ切る。
「ははッ、分かっているじゃねーですか、兄様…!」
「だね。士道にぃに応援されたんだもん、こんなの頑張れない筈がないよね…ッ!」
侑理は避ける。全神経を研ぎ澄まし、迫る攻撃を片っ端から把握し、身体の捻りと各スラスターをフル活用して光線を躱す。避けきれない攻撃の内、不味いものだけは
数は多い。避けても避けてもキリがない。──だが、その動きは甘い。過去の世界で戦った、反転していない折紙が指揮する羽に比べれば、『部隊』としての質は数段劣る。だから何とか、その戦闘経験もあったからこそ、侑理は喰らい付ける。刹那の隙間で折紙をまた撃ち、今の折紙に敵であると認識させる。
舞台は整った。元より侑理と真那の役目は、士道達の露払い。自分達で障壁の突破も出来ればそれに越した事はないが…端から侑理は託しているのだ。士道に。四糸乃に。十香に。
「──四糸乃、シドーを頼む!」
「は、はい……っ!」
いよいよ折紙の目前に迫った事で、また一部の羽が士道達の方へ向かってしまう。瞬時にその動きに反応した十香は士道達の背中を守るように反転すると、〈
そうして最後に残った四糸乃は、巨大な兎の姿となり自身と士道を乗せた〈
いける。これならば突破出来る。侑理はそう思った。恐らく全員がそう考えた。…だが、着実に進んでいた筈の突進が止まる。止まってしまう。
「う……、っうう──っ」
「うぐぉぉぉ!かったいねこりゃー!」
突進を阻む力。それは、また新たに現れ折紙の周囲に展開した羽、それ等を核にする事で一層強固となった霊力障壁だった。四糸乃は必死の声を上げ、〈
…駄目なのか。後一歩で届かないのか。こうなったらもう、もっと無茶を…死を覚悟した賭けに出るしかないのか。そんな考えが、侑理の脳裏を過ぎった時……
「私は……弱虫で、泣き虫だけど……士道さんを、あの人のところに、届ける為に──壁を打ち破る、力を」
聞こえたのは、これまでとは違う四糸乃の声。決意を感じる、澄んだ響き。
それと共に、霊力の糸で操る四糸乃の手の動きへ応じる形で、〈
「〈
強く発されたその声が響いた瞬間、〈
思わず見入ってしまいそうな光景。それは士道も同じようで、〈
「──はい、士道さん」
──先の決意が秘められたようなものとも違う…更にその先、決意が確かな意思となったような、力強さを感じさせる四糸乃の声だった。
四糸乃を包む青の糸は、その姿を変え、糸が編まれていくようにして、白銀の鎧となっていた。鉄とも革とも違う、敢えて言うならばそれこそ『霊的な物質』で構築され、透き通る氷と一つになって四糸乃の霊装を覆っていた。
しかし、それだけではない。四糸乃の見せた姿は、力は、それだけでは終わらない。
「ん……っ!ぁぁああああああああ……っ!」
冷気を纏った四糸乃が両腕を突き出し手を合わせれば、鎧を身に付けた腕を芯とするように霊力の吹雪が渦巻く。円錐状に、或いはドリルの様に吹雪は唸り、四糸乃は吹雪を腕ごと突っ込む。吹雪と障壁、霊力で構成された矛と盾がぶつかり合い、せめぎ合い、ほんの一瞬拮抗し……次の瞬間、吹雪は穿つ。四糸乃は、強固となった折紙の霊力障壁を、真正面からこじ開ける。
「…凄い……」
「ああ、凄いな……」
「大した実力…いや、心の力でいやがりますね…」
糸を手繰り寄せ、四糸乃は士道を送り出す。その姿を視界に捉えていた侑理は…いや、真那や十香も、自然と驚嘆の声を漏らしていた。
勿論、侑理にも突破する手立てはあったかもしれない。美九と七罪、二人の支援の力もある。だからそうではなく、能力の話ではなく…その精神に、心に、感嘆していた。四糸乃…〈ハーミット〉といえば、頑なに攻撃を避ける、戦闘への恐れが一際強い精霊なのだから。その四糸乃が、士道の為に、自分ではなく誰かの為に、恐れを乗り越え突き進む力へと掴み取ったのだから。
「──折紙ッ!」
霊力障壁の内側、折紙の側。遂に士道はそこまで辿り着いた。改変前の世界同様、折紙の周囲は重力が何かしらの干渉を受けているのか、士道は落下する事なく膝を抱えた折紙の前へと立つ。
漸く辿り着いた。しかしまだ終わりではない。改変前の世界でも、一度は同じように辿り着いて…されど完全に心を閉ざした、抜け殻の様になってしまった折紙へ士道の声は、言葉は届かなかった。あの時侑理達は失敗し…多くのものが、失われた。今の世界でもそうなる、そうなってしまう可能性はゼロではない。そしてここからはもう……士道に賭けるしかない。
(だけどまだ、やれる事はある…やるべき事は、ある……!)
夜空を乱舞する無数の羽。幾ら肉薄しているとはいえ、それ等が士道を狙わないとは限らない。もし撃たれても、折紙に呼び掛ける士道は避ける訳にはいかず…そうでなくとも、侑理達の迎撃がなくなれば、羽はどこへ行くか分からない。闇色の凶弾が、街に向かうかもしれない。
だからこそ、侑理は戦う。真那や十香達と共に、羽と光線を打ち払い続ける。
「奪わせはしない…奪われて堪るもんか…ッ!うちの、皆の、今を…未来をッ!」
真正面に躍り出た羽へ、〈オルムスファング〉を振るい向ける。ほぼ同時に、侑理は魔力の、羽は霊力の光芒を放ち…しかし侑理の一撃は、拮抗を許さずそのまま飲み込む。放った羽は勿論、その周囲や後方に浮かんでいた羽も纏めて虚空へ吹き飛ばす。メインスラスターで自分の今いる位置をずらし、CR-ユニット各部のサブスラスターで細かな調整を掛け、降り注ぐ砲撃の間を縫うように躱す。
攻撃にも防御にも回避にも、羽の動きの把握や負傷の止血に至るまで、全力で
──そう。皆で未来を掴むのだ。誰が欠けても、未来を掴む事は出来ず…全員で掴む未来こそが、望みであり願いなのだ。
「士道にぃ!」
「兄様!」
「シドー!」
「士道さん…!」
示し合わせた訳ではない。されど気付けば全員が、士道の名前を呼んでいた。思いを込めて。願いを託して。
士道は手を伸ばす。声と共に、きっと心と共に。即座にキスによる封印を施そうとしないのは、心を閉ざしている今の状態では感情面での条件をクリア出来ないからなのか、それとも士道自身の意思…ただ折紙を止めるのではなく、彼女を助けたいのなら、その心に手を伸ばさなければいけないという思いによるものなのかは分からないが…士道は、懸命だった。必死に、声の限りに、折紙の名を呼んでいた。
夜空に響く、士道の声。士道の叫び。そこには恐らく、過去の世界であの時言葉に出来なかった思いも乗っていて……拒絶を示すような霊力障壁、そこに一筋の綻びが生じる。
『……っ!』
目でも、感覚でも、侑理は気付く。少しずつ、亀裂の向こうから光が差していくように、障壁の綻びは広がっていく。
それだけではない。綻びが生まれるのと共に、羽の動きが狂い出す。これまでも、無差別に攻撃を仕掛ける羽はあったが、綻びが広がっていくのと比例するように、制御を失ったような挙動を見せる羽の数が増えていく。
「…これって、もしや……」
「真那!侑理!皆に、伝えて頂戴!」
ヘッドセットから響く琴里の声。続けて発された言葉に、侑理ははっとする。そして、真那と顔を見合わせ……叫ぶ。
「兄様の言葉は、ちゃんと届いてるみてーですッ!今起きている事が、鳶一一曹…あぁいや、今はもう退職してるんで…えぇい!とにかく彼女の霊波が段々乱れている事がその証拠!だから……」
「だから皆、もう少しだけ頑張って!折紙さんが士道にぃの手を掴むまで、後少しッ!」
張り上げた声へ、返ってくる言葉はない。だが風が、唄が、演奏が、吹雪が、そして研ぎ澄まされた斬撃が、精霊達の答えだった。
もう少し。後少し。それが、一体どれだけ心強い事か。辿り着く先がある事だけを信じて走り続けていた中で、遂に見えたゴールの存在が、どれ程の力と勇気を与えてくれる事か。侑理にとって障壁と羽の変調、それに琴里からの言葉は正しくそれで…されど十香達にとっては、それだけではないのかもしれない。それぞれがそれぞれの形で、自分と重ねて合わせ、今度は自分が士道の力となる番だと、更に心を奮い立たせているのかもしれない。
(届け、届け──届けッ!)
侑理は信じる。折紙もまた、その心の中でまた、士道に手を伸ばしている事を。詳しくは知らない、されど士道の為なら幾らでも命を差し出す程に彼を思う過去の世界の折紙と、今日一日側で同じ時を過ごした、確かに心を通わせていた今の世界の折紙…その両方が、差し出された手を握る事を。そして……
「……!夕弦!羽の動きが……」
「認識。間違いありません、これは士道が……」
上空から聞こえた、二人の言葉。同じ時、侑理の目にも映っていた。〈オルムススケイル〉の射撃で弾いた羽が、戻ってくる動きの途中でふっ…と停止した姿が。その羽だけでなく、波紋が広がるように次々と羽が動きを止めていく様子が。
「士道にぃ!…ぁ……」
その意味、可能性を理解し、反射的に侑理は士道の名前を呼ぶ。羽への警戒は維持しながらも、飛んで士道の下へと向かおうとする。その為に振り向いて…気付いた。これまでは、魂なき人形の様になっていた折紙…その目に光が戻っていた事に。その瞳は、士道へ向けられていた事に。
「皆さーん!ひょっとして、だーりんが…折紙さん?…を……」
「…ううん、まだみたいよ」
当然変化は地上からも見えていたようで、美九と七罪も空中へと昇ってくる。先んじて近付こうとした美九を、七罪が警戒の…或いは恐れの帯びた声で制止する。
そう。羽は止まった。もう攻撃も止んでいる。しかし、まだ折紙は常闇を思わせる霊装を纏ったまま。反転状態のまま。つまり……まだ、終わってはいない。
「士、道……。ありが……とう。……私を、呼んでくれて」
喉を震わせ、初めは押し殺したような声で名前を呼んだ折紙を、士道は抱き締める。その士道へと、折紙は告げる。自分を止めてくれた事、この世界でも自分が再び災厄を振り撒くのを阻止してくれた事への感謝と……例え世界が改変されたとしても、過去の世界が『なかった』事になったとしても、自分が多くの人を…そして両親を手にかけてしまった罪は消えないと。
それに対して、士道は言った。それは、折紙が背負わなければいけない罪だと。仕方ない、気に病む事はない、そもそもの原因は〈ファントム〉だろう…恐らくはあったそんな言葉を一切言う事なく、真っ直ぐにそう返した。これは、偽ってはいけない事。目を逸らしてはいけない事。…そう、伝えるように。
折紙がそれを理解していない筈がない。しかし折紙は士道の言葉に肩を震わせ…泣き崩れる。抱き締める士道にしがみ付き、嗚咽を上げる。自分ではなく、他者に…士道に指摘される事による苦しみや、湧き上がる罪悪感も勿論あるのだろう。だがそれ以上に、侑理にはその涙が、折紙がこれまで抱えてきたもの…心の中に封じ込めていたもの全てが、溢れ出しているように見えた。
(…うち、本当に知らないんだな…折紙さんの事を……)
来禅高校の生徒で、ASTの
それは、悪い事?…いいや、違う。理由はどうあれ、過去や心情がどうあろうと、折紙の行いは止めねばならなかった。過去の世界における二度の戦いは、初めから矛を向けたのではなく、どちらも対話を試みた上でだった。しかし、それでも…もっと折紙の事を知っていれば良かった。そんな風に、侑理は思ったのだ。
「……士道。貴方にも、謝らないと」
「俺に……?何をだ」
「きっと……私が士道に抱いていた感情は──愛でも、恋でも……なかった」
依存だったと、折紙は話す。失った両親の代わりとして、偶々五年前そこにいた…勿論本当は偶々ではないのだが…士道を拠り所にして、縋っていただけだと。そんな自分勝手な思いで振り回して、ごめんなさいと。
自らの心へ対するその理解が、正しいのかどうかは分からない。されどそれは、これまでの自分の思いを、歩みを否定するのと同じ事。きっと、恐ろしい事。されど認め、明かした折紙に対し……息を吐いた士道は、言う。
「──そいつは、光栄だ」
「え……?」
口角を上げた士道。目を丸くした折紙。驚き固まる折紙へ向けて、士道は更に言葉を紡ぐ。
「少なくとも俺は……折紙、お前に出会えてよかったと……心から思っている。そりゃあ迷惑を被った事もあるけど……もしお前が俺を頼ってくれたのがその感情によるものだとするなら、それに感謝したい位だ」
「士道……」
じわり、と再び目尻に涙を浮かべる折紙への、士道からの言葉。返さなければいけないものがある、預かっていたのは涙だけではない筈…その意味は、分からない。もしかすると、五年前に両親を失った直後の折紙…未来からやってきたのではなく、その時代における本来の折紙の心が潰れてしまう事を避ける為に、士道が送った言葉…守ると共に、依存の切っ掛けにもなったのであろうやり取りの内容を知っていれば、どういう事か分かったのかもしれない。しかし侑理に詮索する気はない。それは、士道と折紙…二人が知っていれば、それで良い事だろうから。
そして、言葉を受け取った折紙は思い出したような顔をする。士道が折紙を見据えて名を呼ぶと、折紙は肩を震わせ、恥ずかしそうに頬を染め……──そして、笑った。見るからに不慣れな、ぎこちない…されど心からのものであると分かる、柔らかな笑みを浮かべていた。
「あ……」
それまで黙っていた侑理だが、思わず声を漏らしてしまう。だがそれも仕方のない事。何せ折紙が笑みを浮かべた次の瞬間、憑き物が落ちたように、闇が浄化されるように、折紙の漆黒の霊装が、純白の霊装へと変わっていったのだから。まるで喪服が花嫁衣装に変わるように、闇は光へと移り変わっていき…停止していた無数の羽も、消滅していく。折紙の周囲には、霊装同様白い本来の天使だけが残る。
「士道……私」
やっと、終わった。侑理がそう感じる中、折紙は笑みを深める。これまでは無表情か、険しい表情ばかりを見てきた折紙の、侑理にとって…いやもしかすると、士道達にとっても初めて見るのかもしれない笑顔は、取り戻した表情は、同性たる侑理からしても息を飲んでしまう程可憐なもので……士道は再度、更に折紙を抱き寄せる。そしてそのまま、意外そうな顔をする折紙を見つめて…唇を、重ねる。一瞬折紙はその身を震わせるが、すぐに士道へ身を委ねる。
霊力の封印。精霊が、人として…少女として日々を歩めるようにするべく、士道が望んでいた事。愛でも恋でもなかったと告げられた事実、それがまるで気にならないかのように、迷いなく士道は口付けをし、数秒の時が流れ…折紙の霊装が、天使が、光の粒子となって消え始める。ただの霊力となって消えていく。
きっとそれは、たとえ折紙自身が依存心だったと認識していても尚、確かにあった士道への想いの証拠であり…空へ昇っていくという向きこそ逆ではあったものの、まだその季節には少しだけ早いものの、霊力の光はまるで宙を舞う雪の様だった。