今更語るまでもない事だが、十香や耶倶矢、夕弦は士道と同じ来禅高校に通っている。そして全日制の学校である以上、当然十香達は朝早くに起きて学校へ行く。…まあ、歩いて通学出来る距離の学校へ行く為に起きる時間を『朝早く』と言うかどうかは人によって分かれるだろうが…少なくとも、遅い時間でない事は間違いない。
そして今日も、平日という事で十香達は学校へ通う。そんな十香達を見送るべく、侑理と真那はマンションのエントランスに来ていた。
「ではな、真那、侑理。後の事は…任せたぞ」
「信託。二人ならば、心配はありません」
「うん…お二人も、ご武運を」
ぽふん、と侑理の肩に手を置く耶倶矢と、静かに頷く夕弦。その二人へ、侑理は言葉を返し…横から困惑と辟易の声が聞こえてくる。
「む、む…?三人は何の話をしているのだ…?」
「ご武運って…侑理は十香さん達がどこに行くと思っていやがるんですかね……」
「え、学校でしょ?」
「分かっているなら尚更何故って話でいやがるんですけど…」
なんともノリの悪い真那の反応に、侑理は八舞姉妹と肩を竦める。別に難しい事はない。単に侑理は、二人のテンションに乗っただけの事なのだ。
「まあそれはともかく、行ってらっしゃい三人共。今日も寒いけど頑張って」
「うむ!真那と侑理も、戻ったらもっと暖かい格好をするのだぞ!」
「えぇ、そうさせて頂きます。このままだと、身体の芯まで冷えちまいそうですからね」
うんうんと、侑理は真那の言葉に数度頷く。高校の冬服の上に、コートやマフラー等の防寒着をしっかりと着ている十香達に対して、侑理達はパジャマの上から上着を一枚着ただけの格好。季節は完全に冬たる十二月一日の今日は、冷気が骨身に染みる程寒く、屋内の暖房によって暖かかった侑理の身体は現在進行形で急速に冷やされていた。
「では、行くぞ夕弦!」
「承諾。レッツゴーです」
「ふふ、本当に耶倶矢と夕弦は元気だな。…今日の昼餉はなんだろうか……」
正に風が如き勢いで走っていく八舞姉妹をのんびりと眺め、それから十香は隣の家…即ち五河宅へと向かう。士道と共に登校しようという事だろう。そして、三人全員を見送ったところで…侑理と真那は、速攻で外から中へと戻る。
「うぅ〜、寒かったぁ…」
「今日はぐっと冷えていやがりますね…」
どんなに外が寒くとも、暖房の効いている屋内は快適。そんな人類の叡智に感謝をしつつ、侑理はまだ冷えている両手を擦る。幾ら中が暖かくとも、流石に一瞬で温まる訳ではなく──。
…………。
「……えい」
「わひゃあっ!?」
すっ、と侑理は真那の首筋へと手を突っ込んだ。太い血管のある首へ手を当てた事で、真那の熱と滑らかな肌を掌で感じ…悲鳴と共に飛び上がった真那が、キッと侑理を睨み付けてくる。
「な、何をしやがるんですかッ!」
「…悪戯?」
「行為じゃなくて動機を訊いていやがるんですけどねぇ!?」
「びっくりする真那を見たかったっていう、出来心…かな」
「ほうほう、取り敢えず反省する気がねーってのはよーく分かりました……ふんッ!」
額に青筋を浮かべた真那が、次の瞬間突き出す手。掌底が如き一撃が、真っ直ぐ侑理の首元に迫り…しかしそれを、侑理は軽く跳んで回避。
「な……っ!」
「あははっ、この流れでやり返してくるなんて見え見えだからね。そう簡単にはやられないよー?」
「くっ、舐めた真似を…ッ!」
更に怒る真那の追撃を、ステップを踏むようにして悉く避ける。近接戦闘能力は当然侑理より真那の方が上だが、別にこれは殴り合いでも、ましてや戦闘行為でもない。加えて今の真那は怒りで感情的になっているのであり、そんな状態であれば侑理も真那をあしらう事は難しくない。そんな訳で、どんどんムキになる真那の事を揶揄いながら侑理は逃げ……
「へ?おわっ!?」
「うぇっ!?」
突如、背後から素っ頓狂な声が聞こえてきた。驚いた侑理は咄嗟に止まり、よろけながらも振り向いて…エントランスの自動ドア、その前で同じくびっくりした表情を浮かべた耶倶矢と遭遇する。
「か、耶倶矢さん?高校に行ったんじゃ……?」
「いや、その…ちょっと持っていく物を間違えちゃって……」
「苦笑。こう見えて耶倶矢はドジっ子精霊なのです」
「ど、ドジっ子精霊じゃないし!」
「愕然。耶倶矢は精霊ではなかったのですか…?」
「そっち!?いや分かって言ってるよねぇ!?」
ひょっこりと後ろから顔を出した夕弦と漫才の様なやり取りを交わした後、二人は耶倶矢が本来持っていく予定だったものを取りに事実へと駆けていく。…確かに元気というか、非常に賑やかな姉妹である。尤も彼女達は本来の『八舞』という精霊が何故か二人に分かれた存在である為、姉妹というのはあくまで便宜的な呼び方なのだが。
「あはは…けど、今戻ってきて大丈夫なのかな…?」
「まあ、機動力に長けるお二人なので、遅刻する事はねーんじゃねーでしょうか。それよりも……」
「は……ッ!?」
なんだか気持ちが緩んだ中、再び背後から聞こえた声と強烈な気配。自分が今まで何をしていたかを思い出した侑理は「しまった!」…と慌てて逃げようとするが…時既に遅し。
「ひゃあぁっ!?つ、冷たぁっ!?」
「漸く捕らえましたよ侑理…さぁて、これからどうお返ししてやりましょうか……」
「ちょっ、お、お返しなら今したでしょ!?やられた事以上の報復は駄目だって、ハンムラビ法典にも記されて……」
「いやいやいや。いつも侑理には世話になりやがってますからね。ここはたっぷり、たーっぷりお返しさせてもらいます…よっ!」
「ふひゃああぁぁっっ!?」
首を触られた…というより後ろから首を掴まれ捕えられた侑理の背中に、下から柔らかくも冷たい何かが入ってくる。何かというか、真那の手がパジャマの中へ突っ込まれる。
「は〜、じわじわと手が暖まっていきやがります…」
「その分うちは冷やされてるんだけどねっ!も、もういいでしょ!?」
「まあまあそう遠慮しねーで下さい。まだこの通り、私の手は冷えていやがるんですから。ほらほら、ほーらほら」
「くふっ、ちょぉっ!?そ、そんなわさわさしないで…あ、お、お腹は駄目ぇっ!」
がっちりと首をホールドしていた手が離れたかと思えば、今度は両手で責めてくる真那。余程真那はご立腹だったのか、首や背中から熱を奪うだけでは飽き足らず、脇腹から前へ、お腹へと両の手を回してくる。
真那からのスキンシップ。普段ならそれは嬉しい以外の何物でもない訳だが…とにかく今は冷たい。精神的にではなく物理的に冷たいし、それが地肌…それも服の内側へ直接ぺたぺたと触れてくるとなれば、もう嬉しいなどとは言っていられない。おまけに真那の中で何かスイッチが入ってしまったのか、更にぐいぐいと腕をパジャマの中へと突っ込んできて……
「……何、やってんの…?」
『あっ……』
三度背後、エントランスの奥の方から聞こえてきた、唖然としたような耶倶矢の声に、侑理も真那も固まった。
「い、いや、あの…その、これは……」
「か、勘違いしねーで下さいっ!これにおかしな意図なんて何も……」
「おかしな意図なく、後ろからパジャマに両腕突っ込んで捲り上げるような事なんてする……?」
ご尤も過ぎる耶倶矢の返しに、慌てて弁明しようとしていた真那は言葉に詰まる。実際にはパジャマを捲り上げているのではないが、お腹が見えているのは事実。更に言えば、真那の手は侑理の肌に触れている訳で、状態的には更に不味い。
だが、もしここですぐにこうなった経緯を話せば、まだ誤解は解けたのかもしれない。それはそれで何をやっているんだ、と思われたかもしれないが、それでも軽傷で済んでいた。しかし侑理達がその事を伝えるよりも早く、ここまで黙っていた夕弦は耶倶矢の肩にぽんと手を置き…言う。
「寛容。こういう時は何も言わず、黙って去るものですよ耶倶矢」
「…う、うん…二人がそういう関係だったとしても、それは二人の自由だもんね……」
『むしろ勘違いが加速してる!?』
冷静に状況を理解し、自分達に代わって誤解を解いてくれる…かと思いきや、夕弦も思いっきり勘違いしていた。その上で理解を示し、耶倶矢を納得させるという、一見ありがたいようでその実状況を悪化させるような事を言っていた。勿論勘違いは悪い事ではなく、悪いのは誤解されるような状態の侑理達なのだが…誤解というのは、一度認識が固まってしまうと覆すのは非常に困難。更に運の悪い事に、耶倶矢と夕弦は風の精霊。その性質は…とにかく、俊敏。
「じゃ、じゃあ私達はこれで行くから…!」
「配慮。私達の事は気にせず、後はごゆっくり」
「ちょっ、だから違うってぇええええぇぇぇぇっ!」
「ちげーんですよぉぉぉぉおおおおぉっ!」
脱兎の如くエントランスを抜け、外へと走り去っていく八舞姉妹。揃って叫んだ侑理達の声は、恐らく二人の耳に届く事はなく……まるで取り残されたかのように、侑理も真那もその場に立ち尽くすのだった。
……因みに余談だが、部屋から戻った耶倶矢はそれまで嵌めていた暖かそうな手袋ではなく、ちょっとロックな指抜きグローブを身に付けていた。…どうやら、あれの為に戻ってきたらしい。
*
住まいが〈フラクシナス〉や地下施設からマンションに変わろうとも、侑理の生活は大して変わらない。真那と過ごす…その最も大きく、最も重要な事項については、昨日までと何ら変わりはしない。
とはいえ、新居に移るのを機に仕入れよう、或いは補充しておこうと思った物もそれなりにある。今は丁度、そんな日用品を一通り買って
マンションへと戻ってきたところだった。
「改めて思うけど、ほんと至れり尽くせりだよね」
「同感です。これ程の環境を普通に揃えようとしたら、一体どれだけのお金と苦労がいるのやら」
荷物を抱えて廊下を進み、自室の前へ。そこで一旦真那と別れ、侑理は自分の部屋に入る。
こうして日用品こそ買い出しに出たが、家具類は最初から一通り用意されていた。テーブルやベットといった生活に必須レベルのものは勿論、TVやカーペットなどもばっちり備え付けられていた。…改めて、〈ラタトスク〉とは恐ろしい組織である。
「これでよし、っと。それじゃ、やる事は済んだし真那とお茶でも……」
買った物を仕舞い、菓子の一つを持って侑理は隣にある真那の部屋へ向かおうとし…そこで、携帯がメッセージを受信する。それは琴里を始めとする精霊達のグループ(真那も加入しており、侑理も携帯を取得した際に参加した)でのメッセージで…内容は、機関員が迎えに行くから準備をしてほしいというもの。
(うちと真那、それに四糸乃と七罪を名指ししてのメッセージ…って事は、十香さん達には別途連絡をしてるか、既に知ってる…って事?)
このメッセージから推測出来る事は、名指しの部分を除いて二つ。また何か起こったのだという事と…先日、より正確に言えば元の世界にて士道が音信不通となった時の様な、精霊達に知らせる事なく対応したいような事態ではないという事。だが逆に言えばそれだけしか分からない為、一体何事かと侑理は訊こうとし…止める。
メッセージの発信者は琴里。であれば内容を送り忘れるような事はないだろうし、内容を書いていないという事は、簡単には説明出来ない事情である可能性が高い。そう判断して侑理は最低限必要そうな物を準備し、手早く部屋から廊下に出る。
「真那、メッセージ見た?」
「えぇ、また大事になっちまうようなな事がなければいいんですが……」
同じように部屋から出てきた真那と合流し、早足でエントランスへ向かう。到着して待っていると、同じくメッセージを読んだ様子の四糸乃と七罪が現れ…それから数分程したところで、迎えの車と機関員がやって来た。
「何が…あったんでしょう……」
「実は何かのドッキリでした…なんて事は……」
「もしそうなら、ありがてー位ですけどね…」
ドッキリの可能性はない…とまでは言えないものの、冗談で機関員が動くとは考え辛い上、そもそも精霊にとって精神が不安定になる事は封印された霊力の逆流に繋がってしまう以上、こんな不安を煽るようなドッキリを仕掛けるとは中々思えない。侑理は運転をする機関員に何か知らないか訊いてみたものの、その機関員も事情は把握していないらしく…やはり、琴里に直接訊く他ない。
そうして移動した先は、〈ラタトスク〉所有の地下施設の一つ。案内された部屋に入ると、そこには既に十香と八舞姉妹、それに折紙がおり…しかし、来禅高校に通う精霊は全員集まっている一方で、士道の姿はなかった。
「お待たせしました。…えっと…士道にぃは……」
「シドーは…学校で、倒れたのだ」
『え……!?』
十香からの、想定外の返答。表情や様子からして、重篤な状態…という訳ではなさそうだが、だとしても当然侑理達は動揺する。
「倒れた、って…それは一体何が理由でいやがりますか?怪我ですか?病気ですか?それとも誰かに……」
「否定。病気についてはなんとも言えませんが、外的要因でない事は確かです」
「病気についても、あんまりそんな気がしないっていうか…むしろ今日は色々と凄かったっていうか……」
質問に答えつつも、耶倶矢は困惑混じりの表情を見せる。その言葉に、十香や夕弦も頷く。凄かったとは?…恐らくそんな疑問を真那達も抱く中、侑理は首を傾げ……それまで沈黙していた折紙が、言う。
「士道は体調が優れないと認識していたけれど、優れないどころか、今日の士道の様子は常軌を逸していた。あれはまるで──力を制御出来ていない、精霊」
その言葉で、士道がどんな状態なのかを理解する。単に、やたら元気だったとかのレベルでない事は、他でもない『精霊』という単語を折紙が使った事からも容易に想像が付く。
そして、侑理も真那達も、誰も「そんな馬鹿な」とは言わなかった。何故なら、全員知っているのだから。精霊達の封印された霊力…その大部分は今、士道の中にあるという事を。
「……シドーも、精霊だったという事か?」
「分からない。でも、士道が普通の人間だとも、到底思えない。そもしもの問題として、士道は何故精霊の力を封印する事が出来るのか、それさえ私達は説明されていない」
「……それって、士道や〈ラタトスク〉が私達に隠し事をしてるって事?」
精霊としての力かどうかは不明だが、士道に霊力を封印する力があるのは事実。その力で、何人もの精霊の霊力をその身へ宿しているのも事実。だが、封印能力に対する『何故』の部分は知らないまま、分からないままだと折紙は語る。更にその言葉を聞いて、七罪が負担そうに…しかし彼女らしい思考で、意図的に隠されているという可能性を口にする。
「そうとまでは言わない。士道の能力の正体や、それが備わっている理由に関しては、本人も〈ラタトスク〉も完全には把握していない可能性がある。──でも、それを別にしたとしても、〈ラタトスク〉という組織には謎が多過ぎる」
知らせようがないだけ、という可能性に触れつつも、折紙は〈ラタトスク〉への疑念を言葉にする。そこから一拍置き、淡々と言葉を重ねていく。自分を救ってくれた事には、言葉もない程感謝している…その上で、何故〈ラタトスク〉は精霊を保護しようとするのかと。こんな危険な活動へ、何の見返りもなく莫大な費用を投じているとは思えないと。
そうして折紙は言葉を切り…ちらり、と侑理、それに真那を見る。その視線の意味は…考えるまでもない。
「…そうですね。資金力や組織規模は勿論ですけど、どうして精霊について詳しいのか、どういう経緯で精霊に対して『保護』なんて発想をするようになったのか、それに何よりDEMが独占している筈の
「私と侑理への好待遇も気になるっちゃ気になりますね。…まあ、全部かどうかは分からないにせよ、その理由の一つは『戦力』になるからでいやがりましょうが」
疑いたい訳ではない。むしろ侑理は、エレンを信じたいように、お世話になっている琴里や令音、それに機関員の皆を信じたい。しかし折紙の言う通り、自分自身でも思った通り、〈ラタトスク〉には腑に落ちない点があまりに多く…そうでなくとも、組織というのは大きくなればなる程、様々な者の思惑が絡み合うものなのだという事位は、侑理も分かっている。
そして、疑念が生み出したのは沈黙。分からないという事に対する、気の重い沈黙が部屋の中を包み…しかしそれは、扉の開かれる音によって破られた。
「──琴里!」
「ハイ、十香。悪いわね、うちの士道が迷惑を掛けちゃって」
「…うちの、士道……」
「貴女前にもそれ言ったわね…普通の言い回しに反応されても困るんだけど……」
何とも心地良い響きに思わず呟いてしまった侑理へ、琴里が半眼を向けてくる。それから琴里は、共に部屋へ入ってきた令音の前で部屋内を見回し、空気感に対して首を傾げつつ疑問を呈したが、それには折紙が何でもないと返答。流石にそれだけでは納得出来ない様子だったが、事が事だからか、追求はせずふっと表情を引き締める。
「じゃあ、今の士道について説明するけど……美九がまだみたいね」
そう。ここには精霊達が集まっているが、まだ美九の姿はない。そして令音曰く、今はアイドルとしての仕事で関西に行っているらしい。まだ高校生の身でありながら、平日から遠方へ仕事に出ている辺り、彼女は本当に凄いものである。……近くにいると、ただの女の子大好きお姉さん(?)でしかないのだが。
「それじゃ仕方ないわね。まあ、今日中に来てくれれば何とかなるでしょ。じゃあ先に皆に──」
待っていたら時間が掛かり過ぎると判断し、話を始めようとした琴里。だがその直後、廊下から猛烈な速度で走っているかのような音が聞こえ……次の瞬間、長髪の影が部屋の中へと現れる。
「──だぁぁぁぁぁぁぁぁりぃぃぃぃぃぃぃぃぃんっ!!」
「えっ?」
「へっ?」
綺麗な声を響かせながら現れた影、素材の良さを活かすメイクに煌びやかな衣装と、暖かそうなコートという出立ちをしたその存在は、不在であった美九その人。突進するように開きっ放しだった扉から入ってきた美九は、勢いそのままに琴里を腕の中へ収め、更に琴里をホールドしたまま真那にも迫り、そのまま二人を大事そうに抱き締める。その豊満な胸を押し付けながら、二人へ同時に頬擦りを行う。
「大丈夫ですかだーりん!だーりんが倒れたって聞いていても立ってもいられず、ヘリをチャーターして戻ってきた貴方の美九ですよぉぉ!」
「ちょっ……落ち着きなさいって──」
「ああっ、おいたわしやだーりん!こんなに小さくなってしまって……!腕とか足とかぷにぷにじゃないですかー!かと思えばお肌すっべすべで二の腕も太腿もしなやかで、まるで琴里さんと真那さんみたいですよー!」
「まるでどころか私達でいやがりますけど!?」
真那に抱き着き頬擦りをするという、非常に羨ましい…もとい、突然で訳の分からない展開に、侑理達はぽかんとする。抱き締められた二人は突っ込む形で叫びを上げ…それでやっと気付いた様子の美九は、はっとした顔で二人を見やる。
「あらー、琴里さんに真那さん。こんなところで何やってるんですかー?私の知らない間に私の手の中に収まるだなんて、くふふ、お二人も甘えんぼですねぇ」
「わざとやってんでしょ貴女!ていうかその手をもぞもぞ動かすの止めてくれる!?」
「というか、二人の時点でなんで兄様ではねーと気付かねーんですかねぇ…!」
「ああん、いけずぅ」
体格の差があろうとも二対一では押し負けるのか、美九の拘束から二人は逃れる。何とも名残惜しそうに美九は口を尖らせるも、二人はふん、と鼻を鳴らす。
「…あの、美九さん。手をもぞもぞっていうのは、具体的には何をどうしてたんですか…?」
「知りたいですかー?それなら侑理さんにも直接……」
「馬鹿な事訊いてんじゃねーです」
「ぐぇっ…!」
つい気になって訊こうとした直後、真那の手が背後から侑理の服の襟を引っ張る。シチュエーション的には朝のそれと似ているが…今回は普通に苦しかった。
「こほん。でも、私が琴里さんと真那さんをだーりんと間違えてしまったのには、ちゃんと理由があるんですよぉ?」
「…一応聞いておくけど、理由って?」
「だって、お二人からだーりんの匂いがしたんですもん」
『匂いって……』
「…成る程。確かに二人からは、微かに士道と同じ匂いが感じられる」
「む、む?…言われてみると、そのような気も……」
「嗅がないでくれる!?しかも十香まで!?」
「私も琴里さんも女なんでいやがりますから、そういう言い方も止めてくれねーですかね……」
あっけらかんと言う美九に二人が呆れる中、折紙と十香が二人へ近付き匂いを嗅ぐという暴挙に出る。まさかの行為に二人は目を白黒させ…それから揃ってげんなりしていた。……因みに匂いに関しては、侑理も真那の匂いだけは分かる…と、思う。多分。
「はぁ…こんな下らない話をしてる場合じゃないの。全員、席に着いて頂戴。士道の容態を説明するわよ」
『はーい』
再び琴里が表情を引き締めた事で、各々手近な椅子へと座る。偶々美九と四糸乃と七罪は近い席に座ろうとしたが…彼女と近い事に気付いた七罪は一瞬で四糸乃の後ろに隠れ、更にその後これでは四糸乃が危ないと思ったのか、服の裾を引っ張って四糸乃を部屋の端まで連れて行っていた。
(…なんか、雰囲気ががらっと変わったけど…これはこれで、良かったのかも)
真面目な話をするのにはそぐわない空気感になってしまったが、真面目な話だからといって、重苦しい雰囲気であれば良いという事ではない。ましてやその重苦しさは〈ラタトスク〉への疑念によるものなのだから、それを引き摺ったまま…というのは宜しくない。それを思えば、美九が引っ掻き回したのも、怪我の功名と言えるだろう。…主に被害者たる真那と琴里は可哀想だが。
ともかく、空気をリセット出来たのは良い事だと侑理は捉えた。後ろ向きな気持ちを残したまま話すというのは、望ましくないのだから。たとえそれが〈ラタトスク〉、そして士道自身への疑念だとしても……これから話すのは、きっと士道の身に、これからに直結する、大事な話なのだから。