闇夜に包まれた森の中を、渦巻く霊力を纏いながら、五河士道が行軍する。木々を薙ぎ倒し、地面を抉り、輝かしくも荒々しい光を周囲に放ちながら、どことも知れぬ先へ向けて突き進む。…その有り様は、正に天災。人の形をした
だが、どんなに危険を孕んでいようと、霊力の爆弾そのものと化していても、彼が士道である事に変わりはない。だから…諦めたりは、しないのだ。
「真那、一応訊くけどエレンさんに受けた傷は大丈夫?もし不安があるなら、今回はうちが前に──」
「馬鹿言うんじゃねーです。こんなの擦り傷でいやがりますし…兄様の一大事に後ろへ回るだなんて、世界一の愚行だってんです」
その士道を追う形で、侑理は真那と空を駆ける。左右から挟み込む形で、士道に迫る。勢いは凄まじい士道だが、追い付けない程ではない。今の侑理と、〈ヨルムンガンド〉ならば、追い縋れる。
「…それ、いつも通り後ろに回る予定のうちを悪く言ってない?」
「何を言うかと思えば…私が背中を預けるのは、不満でいやがりましたか?」
「まさか。今後も末永く宜しくねっ!」
ちらりと真那を見ながら笑みを浮かべ、それから士道へ視線を戻す。既にもう、士道を射程に捉えている。動く準備も、覚悟も…万端。
「いくよ、真那!」
「がってんです!」
スラスターを吹かし、更に距離を詰める真那。侑理は速度を維持したまま、〈オルムスファング〉を士道へと向ける。そしてトリガーに指を掛け……引く。
「…ごめんね、士道にぃ」
撃ち込んだのは、偏差射撃。とはいえ勿論、直撃はさせない。狙ったのは士道の進む先、その進路へ落とすような射撃であり…一条の魔力が地面を貫いた瞬間、士道は飛び退く。躱すというよりも、本能的に逃げるように、その動きが横へと逸れる。
「兄様!」
そこへ真那が、素早く肉薄。接近した瞬間、士道の荒れ狂う霊力と、真那の
やはり、霊力の壁を破らなければ今の士道に触れる事は出来ない。
「侑理!」
「うんッ!」
無効化は出来ずとも干渉は出来る。それを示すように、真那は
初撃よりも高威力の、収束率を高め貫通能力を強化した魔力の光線。その一射を、士道が纏う霊力の衣へと撃ち込み…士道自身には当たらない位置、端の端だけを狙って撃ち抜く。
それは、僅かな穴。そのままであれば、数瞬の内に元通りになってしまうような、隙間程度の欠損。だがそれを…真那が、こじ開ける。
「でやぁああぁぁぁぁッ!」
真っ直ぐに突き立てる〈ヴォルフテイル〉。穴へと剣を食い込ませ、抉り、押し込む。そして無数の細かな刃が蠢動する音を響かせながら、一刀の下濃密な霊力の壁を斬り裂く。
「耶倶矢さん!夕弦さん!」
「任せよ!」
「応答。行きます」
嵐の様な渦が斬り裂かれた事で、周囲へ弾けるように霊力が飛散。その瞬間に侑理は声を上げ…二つの暴風が、後方から一気に侑理を追い抜く。
離脱する真那と入れ替わるように、一対の暴風…耶倶矢と夕弦が肉薄する。限定霊装…本来の力には遠く及ばない状態であっても、その速さは風の精霊、最速の八舞の名に偽りなし。斬り裂かれた霊力の衣が直らない内に二人は士道へと迫り…天使を振るう。
「〈
「〈
対となるような手甲と片翼、そして突撃槍とペンデュラム。それぞれが天使を携え、耶倶矢が突貫。突き出した突撃槍は衣の亀裂を更に開き、そこから烈風が霊力の衣を内側から吹き飛ばす。
穴を開け、亀裂へと変え、砕いて内側から瓦解させる。そうして丸腰となった士道へ、間髪入れずに夕弦がペンデュラムを放つ。鎖は士道の手足へと絡み付き、彼をその場に拘束する。
「士道──今、助けてあげる」
「報恩。あの時、士道が夕弦達にしてくれたように」
身動きが取れなくなり唸る士道、その側に降り立った二人は頬に触れる。そして耶倶矢と夕弦は顔を近付け…左右から、二人同時にキスを交わす。
その瞬間、一瞬、士道の動きが止まる。八舞姉妹の驚いた声が、恐らく
「……っ!もう一度いくよ、真那!」
絶叫と共に、霊力の衣は復活していた。それが士道の内から発生しているのなら、復活するのも当然の事。ならばと侑理は〈オムルスファング〉を散弾モードへと切り替え、再び士道の前方に撃ち込む。拡散する魔力弾で広範囲を狙う事により、士道の足を完全に止めさせる。
止まったのは、一瞬の事。それでもその一瞬で真那は今一度距離を詰め、再度
「お二人共、大丈夫ですか!?」
「大丈夫…けど、ごめん…!上手く、力が……!」
「不調。変な感じ、です……」
「なッ…それって……」
「いや、恐らく失敗した訳じゃないわ!けど、開いた
まさか、駄目だったのか。一瞬そんな不安が過るも、インカム越しに状況を把握していたらしい琴里がその線を否定してくれる。彼女の見立て通りならば、心配する事はないだろう…が、機動力に長け、風とペンデュラムでの拘束も出来る八舞姉妹が行動不能となると、士道を足止めする難易度はぐっと上がる。
だとしても、状況を嘆いている時間はない。そう意識を切り替え、侑理も
「──〈
一つの声が後方から響き、冷気が吹き抜ける。そこからまず地面が、続けて草木が凍結していき……士道の脚を、霊力の衣や真那の
その冷気を追うように、凍結した地面をスケートリンクの様に滑りながら現れる、巨大な氷獣。その背に跨るのは、レインコートを思わせる限定霊装を纏った四糸乃と、その四糸乃にしがみ付く七罪。そして四糸乃は天使たる〈
「すみません、真那さん……!」
「いいや、それよりも早く兄様に!」
〈
「士道さん……元に戻って下さい」
寄せる顔。触れる唇。次の瞬間、四糸乃の限定霊装が淡く輝く。それは、八舞姉妹の時にもあった光景であり…恐らくは、
これで、四糸乃も正常化は完了。先の例を考えれば、調子が狂う前に素早く離脱するべきだが…四糸乃はすぐには離れず、背後の同行者…七罪へと声を掛けた。既に残った霊力を使い切ってしまっている七罪は、四糸乃に連れてきてもらった形らしく……
「……考えなしに四糸乃に迷惑掛けてごめんなさい、しにます」
「えっ?」
「あ、いや……なんでもない。士道を助けないとね……」
……何とも七罪らしい発言をしてから、四糸乃同様士道の前に降り立った。…が、氷に対する慣れの差か、着地直後に七罪はスリップ。鼻を押さえながら立ち上がると、今度こそ七罪も士道の側に寄り、じっと見つめる。
「じ、じゃあ士道、私が相手で悪いけど……元はといえばあんたが霊力寄越さないからこの姿のままなんだからね。意識がない時にキスされた訴訟とか言っても知らないからね。……するわよ、キス。いいわね?駄目なら駄目って言いなさいよ?」
「あの、七罪さん、あまり時間が……」
「──あぁぁッ!」
「ぐひゃ……!?」
先の発言といい今といい、ここに来てネガティヴ思考全開となる七罪。自分だけが力を発揮出来ず、四糸乃に頼りきり状態だった事を思えば、情けない気持ちになってしまうのも理解は出来るが…今日も今日とて、七罪は七罪だった。
…と、思わず気を抜いてしまった次の瞬間、士道は吠え、無理矢理氷を砕き割る。そしてその事に驚いた七罪が珍妙な悲鳴と共に仰け反る中、士道は襲い掛かろうとする。不味い、と思った侑理だが、今からでは間に合わない。射撃なら間に合うが…今撃てばどちらかが、或いは両方共に怪我を負ってしまう可能性が高い。そして離脱していた真那もまた、今の位置からでは間に合わない……そう、思った時だった。士道の左右に、彼を囲うように銀色の筒が出現し、響く重低音と共に音波が士道を押さえたのは。
「うふふー、間一髪でしたねー」
「美九……」
豪奢なドレスを思わせる限定霊装で身を包み、木々の間から舞うように現れた美九が、七罪の前へ軽やかに立つ。そこで二人と四糸乃は言葉を交わし……ぴくっと肩を震わせた七罪は、一瞬の逡巡の後目を閉じ背伸びをして士道にキス。軽く触れ合わせたかと思えばすぐに離れ、真っ赤な顔でキスはキスだと主張する。
そんな七罪に続く形で、美九も顔を近付けていく。背の高い美九は、そのまま真っ直ぐの唇に触れ…そこからたっぷり、たっぷりと唇同士を重ね合わせる。更にキスを終えた後も、舌を出したかと思えば士道の唇をぺろりと舐める。…淫靡だった。とても淫靡な感じだった。恐らくこの場にいる全員が、その光景に赤面していた。
「…ぅ、ぐ…ああああああぁッ!」
叫びと共に、美九による音の拘束も士道は跳ね除け動き出す。四糸乃は〈
だが、侑理はここまでただ眺めていた訳ではない。不味いと思った時点でもう飛び込んでおり、七罪へと手を伸ばす。同じタイミングで、真那は三度士道を
「あ、ありがと……」
「んーん、それより間に合って良かった。……って、七罪?なんか、顔赤くない…?」
「え、あ、いや、その…間接キス……」
「間接キス?」
まださっきの美九の行為が頭から離れていないのだろうか、と思った侑理だったが、どうやら違うらしい。そして七罪が発したのは、間接キスという言葉。恐らくは七罪に続いて美九がキスをした為、美九の方からこれで七罪とは間接キスになる…的な事を言ったのだろう。もしかすると、それに加えて七罪自身も、ならば自分は四糸乃と関節キスになる…と思ったのかもしれない。
(…まあ、うん…それはともかく、これで後は……)
七罪を降ろし、すぐにまた士道を追い掛ける。そして不意に感じた気配、それに反応し、見上げる形で振り向いた侑理の視界に映ったのは、純白の光と深紅の炎。
「侑理!真那!次は私達が行くわ!」
「琴里に折紙さん…!分かった、なら援護を……」
「必要ない。二人共、道を開けて」
翼の様に天使を背後へと展開した折紙と、放つ炎を推進力に変えて駆ける琴里が、一直線に士道へ向かう。流石に八舞姉妹には劣るものの、二人もまたかなり速く…折紙の言葉に確かな自信を感じた侑理は、言われた通りに道を開ける。真那もまた離れ、
援護を断った理由。それは恐らく、どちらの天使も高い破壊力と制圧能力を持つ反面、対多数戦に長けるが故に味方を巻き込み易い欠点も持つ為。折紙の天使は間違いなくその類いで、琴里も『炎』の性質を考えれば、そうである可能性が高い。そして……二人にはあるのだろう。こうして追い付く事さえ出来れば、後はキスまで持っていけるという算段が。
「──〈
更に加速し先行した折紙は、天使の名を呼ぶ。その声に呼応するように、それぞれが独立した羽である〈
当然それは、士道を討つ為のものではない。これまで侑理が行っていたのと同じ、足を止めさせる為の牽制であり…その上で違うのは、士道の前後左右を一度に纏めて撃ち抜いた事。霊力の光芒は、檻の様に士道の移動先を全て潰し……その次の瞬間、士道は飛ぶ。
真っ直ぐに、折紙を迎え討つように跳躍した士道。その手の内にあるのは……〈
「ごぁぁぁぁぁッ!」
「折紙っ!」
雄叫びと共に士道は斬り掛かり、琴里は叫ぶ。限定霊装はあくまで限定的な力。対する士道の〈
そして次の瞬間、目の前の光景は予想した通りのものとなる。振るわれた剣が折紙に触れる寸前、彼女の身体は光の粒子となって消え…直後に光が集結すると、元の折紙の姿となって士道のすぐ側に現れる。
「────」
士道の眼前、その腕の内側で、静かに折紙は士道の頬へと手を添える。一瞬侑理の脳裏には封印前のデートや作戦会議にて彼女が提案したヌーディストビーチの事が浮かび上がり、先の美九と同等…或いはそれ以上に過激なキスをするのではないかとドキドキしたが、その予想に反して折紙が行ったのは普通のキスであった。流石の折紙も…というより、あの折紙だからこそ、今は士道を助ける事しか頭になかったのかもしれない。それかもう一人の折紙…決して消えた訳ではない、改変された後の世界で生きてきた折紙の存在が、何か影響をしたのかもしれない。……外からは普通に見えるだけで、実は…という可能性もなくはないが。
「ぁ──あああああッ!」
そうして唇を重ね、離した折紙へ、再び吠えた士道が〈
これならば琴里もすぐに士道とキスが出来る。そう思った侑理だったが、直後に士道は琴里へ気付いた様子で再度〈
「これは……」
「士道は、理性を取り戻しつつある。だから渦巻いていた霊力も、弱くなってきている」
「あ……」
再び翼の形で天使を展開し直した折紙が、視線を士道へ向けたまま言う。他の面々と違い、折紙はあまり不調になっているようには見えないが…もしかすると、
理性を取り戻しつつある。それは、納得の出来る見解であった。何せ最初は唸りながら突っ走るばかりだった士道が、キスを受ける度に…
「──士道」
迎撃を見切り、巧みに躱しながら接近を続けていた琴里が、いよいよ肉薄。上空から飛来する形の琴里は、士道を前に両腕を広げ、そのまま抱き締めるようにして飛び込む。
対する士道の選択は…斬撃。理性を取り戻しつつあるといってもまだ正常ではなく、琴里の事だからそれも織り込み済みだろうと侑理は思っていた。……だが、琴里は避けない。避ける事も、防ぐ事もなく…振り抜かれた〈
『琴里(さん)!』
反射的に侑理は…否、真那や折紙も、斬られた琴里の姿を見て飛び出そうとする。されど琴里は手をかざし、大丈夫だと…だから来ないでほしいと伝えてくる。
直後、傷跡が燃えるように炎が灯り、琴里の身体を癒していく。それを見て、侑理は士道の命を守ってきた…そして本来は琴里のものである治癒能力の存在を思い出す。成る程確かに再生が出来るのであれば、回避も防御も必要ない。攻撃への対応、という行程を飛ばせるのなら、その選択にも一理ある。……が、再生出来るといっても、治るまでは当然痛いに決まっている。加えて天使による斬撃な以上、即死してしまう可能性もゼロではない筈。勿論琴里がその辺りを考慮していないとは思えないが…考慮しているのなら尚更、凄まじい度胸と覚悟であると言わざるを得ない。
──覚悟。きっと、そうなのだ。一度は一人で全て背負い、諦めようとした…されど今は僅かな可能性でも諦める事なく、皆と共に手を伸ばさんとする、琴里の覚悟の証明なのだ。
「おにーちゃん」
まだ傷の癒えぬ身体で、琴里は士道を抱き留める。顔を近付け、口付けをする。そうして更に何かを伝えた直後、士道は言葉にならない叫びを上げて琴里の腕の中から逃れた。
振り払われた琴里は、霊力が押し寄せた結果の不調に加えて傷の苦痛もあってか、纏った炎を揺らめかせながら落下していく。しかし先の侑理と七罪の様に、今度は真那が墜落直前で琴里を救出。抱えられる形で地上に降りた琴里は、後一人と呟き…通信越しに、侑理は頷く。
(後一人…後一人で、士道にぃは……!)
遂にここまできた。後一人、後一歩…本来の士道を、彼との日々を取り戻す瞬間は、もう目前にまで迫っている。
そして最後の一人──十香は既に、己が〈
「シドー!?くッ……!」
「待って下さい、十香さん!」
「ここは、私達にお任せを!」
攻撃どころか接近すらしない内から向かう先を変えてしまった士道。それを慌てて追おうとする十香を、侑理達は制止する。そこから反転し、上昇を掛けて士道を追う。理由は単純。僅かな霊力しかない十香が追えば、その行為だけで霊力が尽きてしまう可能性が高い。接近しても尚抵抗がある事は明白な以上、十香には力を温存しておいてもらわないと困るのだ。
「全く、琴里さんに続き私達にまで攻撃とは…けれどそんな兄様を正気に戻してやるのも、妹の役目ってもんですッ!」
逃げる士道が放つ、斬撃の乱舞。剣閃の乱射。それを侑理達が互いの位置取りを意識しながら軽く躱せば、更に士道は天使を行使。火炎を、烈風を、音波を広範囲へと叩き付け、続けて羽を出現させる。一拍の間を置き、翼はコピーされたようにその数が倍増し…一斉掃射で薙ぎ払う。
幾つもの天使を同時に使う、士道にしか出来ない芸当。瞬間的な攻撃力ならば明らかにフルスペックの精霊を超える、人智を超えた暴威そのもの。…だが、一撃たりとも侑理と真那には当たらない。光景そのものには圧倒されるが、全く以って怖くない。
「そんな雑な狙いじゃ当たらないよ、士道にぃッ!」
侑理は、そして恐らくは真那も、早々に気付いていた。今の士道の攻撃には、偏差射撃…即ち、『相手の動きを予想し、その先に攻撃を置く』という意識や技術がまるでないと。そんな攻撃では、幾度も戦闘を経験し、強者ともぶつかってきた侑理達にとって、何の脅威にもなりはしない。範囲攻撃を重ね合わせれば、その技術がなくとも無理矢理当てにいく事は出来る筈だが、現状では使える力を片っ端から行使しているだけにしか見えない。それならば、急加減速と細かな方向転換を組み合わせるだけで、容易に躱し、或いは振り切れてしまう。
だがそれも当然の事。士道は戦場の経験こそそれなりにあるだろうが、戦闘訓練を受けている訳ではないのだから。理性が戻りつつあるようだが、まだまともな思考は出来ていない…先読みや読み合いが充分出来る状態には、まだ程遠いのだから。そういう意味では、頭の回転が早い琴里や折紙にとって理性を取り戻しつつある今の士道の方が、むしろ対処は容易だったのかもしれない。
「兄様!」
「士道にぃ!」
巧みに躱し、数十秒足らずで距離を詰める。迎撃は困難だと判断したのか、迫る真那に対し士道は氷の壁を作り出し構える…が、そこで真那は後方宙返り。一度士道の正面から離れ……その背後を飛んでいた、真那の背に隠れていた侑理が、狙い定めた一撃を撃ち込む。狙い違わず、十分に魔力を込めた光芒は氷の壁に穴を穿ち…同じタイミングで宙返りから再び士道の眼前に戻った真那が、〈ヴォルフテイル〉を振り上げる。追い払わんとする士道の〈
『はぁああああぁぁぁぁッ!』
がら空きとなった士道の胴。そこへ侑理は真那と飛び込み、侑理は〈オルムススケイル〉を手放した左腕で、真那は〈ヴォルフテイル〉の柄を放した右腕で腹部をがっちりとホールドし、二人掛かりで一気に地上へ向けて押し込む。当然士道は抵抗するが、重ね合わせた二重の
「後は!」
「頼みます!」
地面激突の直前に離脱し、真那に続けて声を上げる。露払いは出来る。お膳立ても出来る。支援も援護も、場を整える事なら幾らでも出来るが……士道を正気に戻す事だけは、侑理には出来ない。精霊達を…最後の一人たる、十香を信じて任せる事しか出来ない。だからその思いを、願いを込めて、声を上げた。そして十香は…力強く、頼もしく頷き、士道に向けて地面を蹴った。
「でぁぁぁッ!」
十香の存在を再度認識した様子の士道が〈
左から右から、上から下から、幾度も剣は振るわれ、受け止められる。防ぎ、避け、隙を突いて次なる斬撃を、刺突を打ち込む。状態の差から、一撃一撃の重さは言うまでもなく士道が有利。されど十香はまるで負けていない。重い斬撃は剣の腹で受け流し、フェイントや誘いも織り交ぜて、力で押されながらも攻防のペースを完全に掴む。
ここでもやはり、技術と経験の差が如実に表れていた。武道や武術の達人は老齢であっても若者を圧倒出来るように、近接戦における技量の差は、単純な力の差を覆していた。真那に対してもそうだったが、士道が十香に剣の勝負を挑んだ時点で…それも十香の天使たる〈
「シドー、今──助けてやるからな」
激しい激突の末、十香は渾身の剣撃を放つ。それは誰でもいつかは必ず見せてしまう隙、攻撃と攻撃の間にある僅かな緩みの瞬間を正確に捉え、士道の〈
勝敗は決した。弾かれた〈
「……ッ!ぐ、あ……!?」
突如呻き声を上げ、胸を押さえて苦しみ出す十香。その腕からは〈
その直後、丸腰の士道が腕を振り抜く。ただそれだけの事で十香は吹っ飛ばされ、後方の木に背中から叩き付けられる。これは不味い。これではキスをするどころか、十香の命が危ない。琴里達が声を上げる中、一瞬でそう判断した侑理は、真那と共に救援に入ろうとし……しかしそれを、先の琴里の様に十香は止める。待ってほしいと、手を出さないでほしいと…私がやらねばならない気がするのだと、自らの足で立ち上がる。
「──────ッ!」
轟かせるように、士道は吠える。力に突き動かされるように…或いは苦しむように、身を捩る。その士道へ向けて、十香は身体を引き摺りながら向かっていく。…見るからに、辛そうだった。大きなダメージを負った上で、霊力の重圧を受けている。きっと今十香は、全身に痛みが走っている事だろう。身体を焼かれるような苦痛に苛まれている事だろう。…されど、歩みを止める事はない。一歩一歩、士道へ向けて近付いていく。
侑理は知らない。十香と士道がどのように出会い、どんな言葉や日々を交わし、どのように絆を結んでいったのかを、日本に来て以降の事しか分からないし…知っている範囲も、限定的なもの。だから、士道への恩返しだとか、皆の頑張りを無駄には出来ないだとか、士道を失いたくないだとか、皆に共通する…侑理自身も抱いている思いの部分で想像する事は出来ても、もっと深い場所…十香の心の奥、想いの底にある気持ちは、知らないし分からない。……それでも、分かる事はあった。気持ちの内容は分からなくても、その想いの強さは一目で分かった。でなければ、決して折れない想いがなければ…進み続ける事など出来る筈がないから。
「──シドー」
一歩、また一歩と歩み続けた先で、再び十香は士道の前に立つ。万が一に備えて動く準備は整えつつも、信じる事を決めた侑理達が見つめる中で、十香は士道と向かい合う。辿り着くまでに、士道が攻撃も逃走もしなかったのは、十香が既に自らの脅威にならない状態だと判断したのか、それとも暴走しながらもどこかで士道自身が踏み留まっているのか、はたまた別の理由があるのかは皆目見当も付かないが…どこか十香を待っているようにも見えた士道のネクタイを、十香は再び掴む。
そして引き寄せた十香が交わすキス。唇が触れ合い、重なり…士道が纏っていた霊力の渦が、周囲へ解けていくように消える。唸るばかりだった士道の吐息は落ち着いていき、言葉では言い表せないプレッシャーも消え…獣の様だった瞳に、意思の光が戻る。同時に肩をびくりと震わせ……口を開く。
「……ッ!?と、十香!?一体何してるんだ……!?」
それは、待っていた…ずっと願っていた、いつもの士道の声。その声が聞こえた事に、『士道』が戻ってきた事に、歓喜の声が沸き立ち…十香もまた、唇を緩ませる。
「──教えてやらん。ばーか……ばーか」
安堵に満ちた、十香の声。緊張の糸が解けたように、十香は士道へともたれ掛かり、琴里達も士道と十香のいる場所へ飛び込む。勿論、侑理とて例外ではない。
時間にしてみれば、実は一日も経っていない出来事。一件落着と言うには、あまりに色々とあり過ぎた事柄。されどそれでも、だけど確かに、いつもの彼へと戻った士道がそこにはいて……随分と長かった気がする今日という日は、漸く終わりを迎えるのだった。