デート・ア・ライブ DEAR EL MANA   作:シモツキ

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第九十六話 反転する希望

 勝利でも、敗北でもなく、引き分け。それが、二亜との勝負の結果となった。これは、完全な予想外。より多く売った方が勝ちというルールなら、双方在庫がなくなってしまった場合の事も考えていただろうが、より早く売り切った方が勝ちというルールで、両者同時に完売する…なんてパターンが発生するなどという事は、誰も想定など出来なかった。勿論、完璧に引き分けかどうかは分からない。完売した、という声が上がったのは〈ラタトスク〉も〈本条堂〉もほぼ同時だったが、最後の一冊が売れた瞬間まで同じだったかどうかは、全くの謎。またそもそも、完売の認定を『売買契約が成立した瞬間』にするか、『完売した事を確認した瞬間』にするか、或いは『完売したと声を上げた瞬間』にするかも決めていなかった為、この引き分け自体、結構曖昧なものであった。文句を付けようと思えば付けられるし、逆に文句を付けられても幾らでもごねられるというような状況だった。

 だからこそ、初めに抱いたのは不安。この結果に対し、二亜は不服の声を上げるのでは…と心配になった。更に言えば、本来の目的である『二亜に士道を題材とした漫画を読んでもらう事』の条件は、売り上げ勝負でこちらが勝つ事。その点を突いて「引き分けな以上、君達は勝っていないから読む理由はない」と言われてしまえば、ここまでの努力が全て水の泡になってしまう可能性もあった。

 だが、そうはならなかった。ここまで出来たご褒美として、二亜は読む事を了承してくれた。もしかするとこれは、プロとしてのプライドがそうさせたのかもしれない。飛び道具乱射の無茶苦茶なやり方とはいえ、プロ相手に素人が引き分けにまで持ち込んだ勝負に対して、言い訳紛いのケチを付けるのは違うと思ってくれたのか…侑理達の目標は、達成された。

 

「うぅ…描いた訳でもないのに緊張する……」

 

 激戦から凡そ一時間。売るべきものがなくなった事でサークルスペースを撤収し、普段着へと着替え直し、侑理達は天宮スクエア裏手の公園へと来ていた。

 現在侑理がいるのは、公園の西側。そこから離れたベンチの一つに、二亜が座っている。じっと、七罪達の作った同人誌を読んでいる。

 

「ですね。描いてねーからこそ、逆に…ってもんでしょうか」

「だ、大丈夫です…!七罪さん達が、一生懸命描いた…素敵な漫画、なんですから……!」

「…心、洗われるよな……」

「うん、めっちゃ洗われる……」

 

 ぎゅっ、と胸の前で右の拳とよしのんの両腕を握って大丈夫だと言う四糸乃。その言葉に、士道は癒されたような表情を浮かべ、七罪が何度も深く頷く。何なら耶倶矢と夕弦も似たような表情をし、折紙ですら微かに頷いていた…気がした。

 

「…けど、驚いたよ。まさか、琴里達があんな衣装を作っていたなんて……」

「打てる手は全部打っておくのが私のモットーなのよ。良いものを作るだけじゃ勝てないのは、はっきり言って分かってた事だし」

「呵呵、流石の彗眼と言ったところか。それに、真那に侑理。お主等の装いも、中々のものであったぞ?」

「同調。まさか夕弦達の作品のコスプレを見れるとは思いませんでした」

 

 良かった、と言ってくれる八舞姉妹の言葉に、いやぁ…と侑理は後頭部を掻く。やはり、誰かに『良い』と言ってもらえるのは嬉しいのだ。同人誌即売会の最中も多くの参加者に注目され、撮ってもらえた訳だが、興奮状態から落ち着いた今改めて言われると、嬉しいし照れるのだ。

 

「けど、コスプレっていうなら皆も良かったと思うな。けど、今思うと、あれって良かったのかな…過度な露出は禁止だって公式には書いてあったと思うけど……」

「む?私達がしていた事は不味かったのか?」

「まあ、運営側から止められなかったって事は、最低限即アウトなコスプレではなかったのよ。きっとね」

「……〈ラタトスク〉が裏から手を回して、アウトなのに見逃してもらってた…なーんて事はねーですよね…?」

「……二亜が読んでくれたのは良かったけど、考えてみればこれでやっと可能性が繋がった…ってだけなのよね。まだ油断しないようにしないと…」

『ちょっと……!?』

 

 何故かはぐらかすような事を言った琴里に、全員がぎょっとする。もしそうなら、流石にそれはもう勝負としてもアウトな気がするが…数拍の間を置いて、琴里は「冗談よ」と訂正してくれた。…悪い冗談が過ぎる。

 

「でも、ほんとに真那さんと侑理さんのコスプレも、皆さんのバニーガールも素敵でしたぁー。あの、皆さん。もし良かったら、この後もう一度着てくれたり……」

『駄目です』

「そんなー!」

 

 同じく冗談に聞こえない美九の発言。というかこちらは間違いなく冗談ではないのだろう。…恐らく最大の集客力を発揮した、謂わば宣伝のMVPは美九である為、ちょっと位は着てあげても…と一瞬思った侑理だが、完全プライベートで着たら最後、そのまま自宅へ連れ込まれそうな気もした為、やっぱり考え直す事にした。

 

「…けれど、琴里の言う事は正しい。そしてもしこれで、二亜の心を動かす事が出来なかった場合、いよいよ手詰まりになる」

『それは……』

 

 懸念の表情と共に言葉を発した折紙。士道を題材にした作品ならきっと…そんな思いから始まった作戦であり、四糸乃も先程大丈夫だとは言ってくれたが、絶対の確証がある訳ではない。故に、もしもを懸念する折紙の考えも、決して間違いなどではない。

 だが、ここから…少なくとも今の段階で、出来る事などもうない。漫画は完成し、二亜はもう読んでいる以上、結果を待つしかない。そしてその待つ時間というのは、何とも焦ったいものであり……

 

「……!シドー!」

 

 次の瞬間、十香が不意に声を上げた。一瞬驚いた侑理だったが…すぐに、その理由に気付く。

 

「二亜──」

「くく……来おったか」

「緊張。結果はどうだったのでしょう」

 

 緊迫の面持ちと共に、士道を始めちらほらと上がる声。その声を向けられた相手は……こちらへ向けて、ゆっくりと歩いてきている二亜。

 一見何ともなさそうな、落ち着いた様子の彼女。だが…よく見れば、二亜の目は充血していた。疲労によるものだろうか…と一瞬考えた侑理だが、二亜は十全の力を有した冗談の精霊。その二亜が、大熱狂のイベントだったとはいえ同人誌即売会のみで大きく疲弊するとは思い辛く…同様の事を疑問に思ったのか、士道は二亜に問い掛けるも、二亜には答えをはぐらかされてしまった。結果、数秒の沈黙が訪れ…再び士道が、口を開いた。

 

「で……どうだった、二亜。俺達の本は」

 

 前置きなしの、直球の問い。問われた二亜は、手にしていた漫画をちらりと見やり……肩を竦める。

 

「中々良く出来てたけど、流石にこれ一冊であたしを落とそうなんて、見通しが甘過ぎるんじゃないかなぁ。悪いけど、そこまで安い女になったつもりはないよ」

 

 そうして発された言葉。返された答え。それは、侑理達の望むものではなかった。目指していたゴールには……辿り着けて、いなかった。

 聞こえてくるのは、苦渋と悲壮の織り混ざった声。侑理自身、悔しかった。皆の作った作品が良いものである事は知っていたから、当日も、当日に至るまでも、全身全霊を懸けて突き進んでいたからこそ…悔しくて、堪らなかった。

 だが、どうしようもない。どうにもならない。二亜は違反をした訳でも、道理の通らない事をした訳でもなく、真っ向から勝負をした。むし、反則スレスレな事をしたのはこちらであり、尚且つ引き分けという突っ撥ねる事も出来るような結果でありながら、二亜は漫画を読んでくれた。その上で駄目だったというのなら、それはもう受け入れるしかない事であり……

 

「……でも、まぁ…見所がない訳でもないみたいだし……なんていうの?もう一回位チャンスをあげてもいいよ?」

「へ……?」

「……だから、もっかいだけデートしてあげるって言ってんのさ。少年も男なら、そこで決めてみなよ」

 

 されど、二亜の言葉には続きがあった。目を逸らしながらも…二亜は、言ってくれた。まだ士道を、侑理達の事を…拒絶は、しないと。

 

「や、やった…やったよ!やったんだようち達!」

 

 駄目だった。一度はそう思ったからこそ、可能性は潰えていなかったのだと示された事で、心の底から興奮と喜びが湧き上がる。なまじ一度落とされてから一気に持ち上がったからこそ、一層の高揚感が包み込む。その喜びのままに、侑理は真那の手を掴み、真那も驚きながらもすぐにその表情を緩ませていく。

 当然、喜んでいるのは侑理達だけではない。士道も、精霊達も、皆がぱぁっと表情を輝かせ…士道へ向けて、皆は飛び付いていた。士道は揉みくちゃにされながらも、嬉しそうに笑っていた。……皆に紛れて折紙と美九は士道の服を脱がそうとしたらしく、途中から士道は悲鳴を上げていたが。

 

(…あれ、でも……)

 

 暫し喜んだところで、ふと侑理は思う。一体何故、二亜はチャンスをあげる、もう一度デートをしてあげる…と、妙に協力的になったのだろうかと疑問を抱く。真っ先に思い付いた理由は、二亜が語った通り見所を感じてくれたから…もしかしたら、士道ならば本当に信じられるのかも、と思ってくれたという可能性だが、それにしては勿体ぶっているというか、ストレートさに欠ける気がするのだ。もし信じられるかもしれない、信じてみたい…そう思ったのなら、そう言えばいいのに、どうして試すような言い方をするのだろうと思うのだ。

 無論それを素直に言うのは、恥ずかしい事だろう。しかし、恥ずかしさを誤魔化す為だけなら、侑理達を一度「駄目だったのか」と思わせる必要などなかった筈。にも関わらず、一度厳しい事を言い、その上で妥協するように、それこそあくまでチャンスをあげる側として振る舞うのは……ひょっとすると、違う意味で恥ずかしいからなのかもしれない。もしかすると、見所があるどころか、もっとずっと心を動かされていて……されどそれを認めるのは恥ずかしいから、クールを装っているのかもしれない。…もしそうなら、やはり…やっぱり二亜という女性は、結構子供っぽくて、意地っ張りなのだろう…そんな風に思う侑理であった。

 

「なんていうか……うん、いいなぁ、キミ達。──ねぇ少年、もしかして、キミなら」

 

 侑理が想像をしている間も、士道と精霊達によるおしくらまんじゅうは続いていた。というか、途中から士道を脱がそうとする折紙&美九に対して、十香達が士道へ引っ付くようにしながら守ろうとするという、珍妙な光景になっていた。そして…それを見ていた二亜は、愉快そうに、面白そうに…楽しそうに、笑っていた。

 もしかして、キミなら。その言葉に籠っていたのは、確かな期待。可能性に、希望に、差し込んだ光に手を伸ばそうとする…そんな思い。そうして二亜は、その先へ続く言葉を紡ごうとし……

 

「え……?あ、あ、あ、ああああああ、ああああああああああああ……ッ!?」

 

──温かな雰囲気は、引き裂かれた。頭を押さえ、肩を震わせ、がくりと膝を突いた二亜の、常軌を逸した叫びによって。

 

(……ッ!?これって……!)

 

 直後、膝を突いた二亜の身体から、漆黒の霊力が溢れ出す。霊力は地面へと落ち、黒く染めていく。侵食は、瞬く間に広がっていく。

 一体何が起きたのか。二亜の身に、突然何があったのか。それは全く分からない。だが…この光景には、この霊力の色と広がり方には、既視感があった。

 

「……なんですって!?どういう事よ!?」

「琴里!何が起こってるんだ!?二亜は……」

 

 霊力を検知したのか、空間震警報が鳴り響く中、琴里が声を上げ、士道が問う。そして、士道が、侑理が、全員が琴里へと視線を送る中…琴里は、言う。

 

「……霊力値、カテゴリー・E。──二亜が、反転しようとしているわ……!」

 

 その瞬間、琴里が答えた瞬間…誰もが言葉を失った。侑理も、自らの耳を疑った。それ程までに……反転という単語には、侑理達を絶句させるだけの力があった。

 

 

 

 

 嘗て見たのは、空を闇に染め、飲み込んでいくような光景。今目の前に広がりつつあるのは、地を闇が喰らい、堕としていくような光景。嘗て見たのは、両親の死の真実を知ってしまった折紙が、絶望の果てに至った姿。そして、今二亜が変容していくその姿も……正しく、反転のそれ。

 

(何が…なんで……)

 

 どろりと吐き出されるようにして溢れ出た闇色の霊力が、触れた地面を溶かしていく。折紙が反転した時は、蜘蛛の巣が広がるように、絶望に染まった霊力が空間を絡め取っていくように噴出していたが、今の光景はまるで違う。

 しかも、それだけではない。霊力が溢れ出す共に、二亜は傷付いていく。顔に、胴に、腕に、脚に…全身を覆っていくように、夥しい傷が生まれ、血が流れていく。だが、二亜は何かに外傷を与えられた訳ではない。二亜に攻撃をしようとしている者など、誰もいない。にも関わらず、まるで傷口は生み出されるように……或いは古傷が蘇り、一つ一つ開いていくように、二亜は無惨で凄惨な姿へと変えられていった。

 理解が出来ない。想像が及ばない。こんなにも唐突に、二亜が反転してしまった事が。その反転と共に、二亜が傷だらけとなっていった事が。

 

「二、亜……」

 

 茫然としたような、士道の声。闇色の霊力と、痛ましい無数の傷…いつしか二亜を覆うそれ等が混ざり合うように、反転精霊の霊装へと変わっていく。一見すれば修道女の様な…されどその信仰対象は清浄なる神ではなく、地獄の悪魔か邪神であるかのような、禍々しい気配を霊装が放つ。

 

「あ、あああああああああ」

 

 ほんの少し前まで上手くいっていた。二亜は心を開こうとしてくれていた。その筈だったのに、今や絶望の極致たる反転精霊へと変貌した二亜に、二亜の氾濫させる霊力波に、動揺や焦燥の声が次々と上がる。

 そんな声も届いていないような二亜が浮かべるのは、苦悶の表情。全身の傷が生む痛みだけとは思えないような、あまりに深い悲しみをも内包したような叫びを漏らす二亜は、血に染まった顔を上げ…掠れる声で、その名を紡ぐ。

 

「──〈神……蝕、篇……帙(ベルゼバブ)〉──」

 

 それは、天使と対になる存在。反転精霊の矛たる、魔王の名。呼び声に呼応するように、二亜の前に巨大な本が現れ…凄まじい勢いで、ページが捲れていく。そして紙が千切れるように、或いは花吹雪が舞うように、ページは本から外れて宙を漂う。

 何かの手品、或いは大道芸の様な光景は小気味の良いものにも見えたが、侑理の本能は、魔術師(ウィザード)として戦ってきた経験は、警戒せよと示していた。その直後、反転した折紙が従えていた〈救世魔王(サタン)〉の羽を思わせるように二亜の周囲へ広がっていた無数のページが、暗い霊力の光を灯す。その光は、まるで扉が開いた合図であるかのように、ページからは形容し難い異形の怪物が次々と這い出る。

 

『──!』

 

 そうして響く、怪物の咆哮。泥の様な闇を塗り固めたような怪物達は、一斉にこちらへと飛び掛かろうとし、視界の端にいた士道や一部の精霊達は身を竦め……だが次の瞬間、怪物達は光芒によって貫かれ、蹴散らされた。──侑理のレイザーカノンと真那と魔力砲、それに折紙の天使によって。

 

「……ッ!折紙!真那!侑理!」

「真那、貴女は私と共に突撃を。侑理は士道を退避させつつ、可能な範囲で支援を」

『了解!』

 

 〈オルムスファング〉を構えながら、真那と共に折紙の言葉に答える。怪物が動き出すよりも前に、侑理は自らの直感に従い、〈ヨルムンガンド〉を装着していた。真那も折紙も同じように判断し、侑理達は怪物を遠隔攻撃で蹴散らしながら士道の前に立っていた。

 生半可な攻撃では弾く事しか出来なかった〈救世魔王(サタン)〉の羽と違い、怪物は撃破が出来る。それは撃ち抜かれた個体が崩れていく様子から確認出来たが、宙を舞うページからは新たな怪物達が這い出てきている。しかし折紙の言葉で我に返ったのか、十香達も折紙同様限定礼装を顕現させ、臨戦態勢を取っていた。これならば、士道を退避させる事は難しくない。そう思っていた侑理だが、唯一霊装を纏っていない琴里が待ったを掛ける。

 

「駄目よ。それじゃあ、二亜を止められない。士道が逃げたら…二亜を、助けられる人間がいなくなるわ」

 

 その言葉で、はっとする。確かにそれは、その通り。〈ラタトスク〉は精霊を守る為の組織であり…侑理達がこれまで頑張ってきたのも、二亜の霊力を封印する為。決して、二亜という精霊を打破する為などではない。

 

「その通りだ!事情はよく分からぬが……放っておけない事だけは分かった!」

「周りの邪魔な子達は任せて下さいー!だーりんは二亜さんを!」

 

 それぞれの天使を携え、構えながら、十香達も前に出てくる。士道を逃がすのではなく、士道が二亜に近付く為の、霊力封印を行う為の道を作る。それに、侑理は異存などなかった。士道がそのつもりならば、支えるのが侑理なのだから。そしてそれは真那や折紙も同じなようで、ちらりと士道へ視線を送る。士道からの、言葉を待つ。

 この時侑理の心にあったのは、きっと士道なら、という信頼。恐らくそれは、真那や精霊達も抱いていたもの。だが……

 

「……俺がキスをしたとして、二亜を正常な状態に戻す事が出来るのか……?」

 

 皆からの視線を受けた士道が漏らしたのは、不安を滲ませた声。何を情けない事を…と、真那辺りが言うかもしれないと侑理は一瞬思うも、そんな声は上がらない。

 されどそれも、士道の不安も、当然の事だろう。侑理達は十一月の一件で反転した折紙の正気を取り戻し、霊力封印を施した訳だが、あれは決してただ折紙へとキスをした訳ではなく、言葉を重ね、思いを紡ぎ、その手を伸ばし続けた事で、漸く折紙の心を取り戻す事が出来た。あの時折紙の中では、改変された世界の折紙…『もう一人の折紙』もまた、絶望していた折紙と対話していたからこそ、『自分』を取り戻す事が出来たのだと、後に折紙は言っていた。

 そして、もう一つ。なんでも十香も、過去に一度…あのDEM日本支社での戦闘で、反転してしまったらしい。その時は士道のキスによって正気を取り戻したとの事ではあるが、それについてはそもそも反転した理由が『士道が殺されかけたから』というもの…即ち士道が生きていた時点で反転の、絶望の理由が否定されていた点を考慮しなければならないと、折紙の件が解決した後に侑理が反転について訊いた際、この話を教えてくれた琴里は分析していた。──反転とは、絶望によって引き起こされるもの。故に、反転から正気を、心を取り戻すのは、単純でも、ましてや簡単でもないのだ。士道もそれを分かっているからこそ、間違いなく侑理以上に理解しているからこそ、きっと不安を抱いたのであり……しかしそんな士道に、隣へと立った琴里ははっきりと言い切る。

 

「分からないわよ、そんなの。──でも、他に方法がない以上、やるしかないでしょ。今まで私達が積んできた事を信じて、二亜に声が届くのを信じる他ないわ」

 

 迷いも躊躇いもない、琴里の言葉。ともすればそれは厳しい、突き放すような言い方であり…されどその言葉で、士道の面持ちは変わる。強張っていた表情が、決意を帯びたように引き締まる。

 その士道が二亜を見据え、発した言葉。協力してほしいという、士道の意思。その思いへの答えは…一つ。

 

「士道にぃ、準備はいい?」

「あの時みてーに、また私が…私達が、兄様を送り届けます!」

 

 十香達がそれぞれの言葉で士道に応える中、侑理もにっ、と笑みを返す。〈ヴォルフテイル〉の斬っ先を持ち上げた真那と共に、〈オルムスファング〉の銃口を怪物へ…その向こう側にいる二亜へと向ける。憤怒でも、憎しみでもない……血に濡れた顔で、どこか悲しそうな表情を作る二亜への道を切り開いてみせると、揃って示す。

 

(二亜さんの心を取り戻せるかどうかは、士道にぃ次第。士道にぃがその可能性を掴みにいけるかどうかは…うち等次第……!)

 

 不安を振り払った士道と違い、侑理には初めから恐れなどなかった。何せ、それこそ同様に反転していた折紙の下へ士道を送り届ける事を、既に一度成功させているのだから。今は折紙も味方にいて、現状ではまだ街への被害を抑える動きをする必要もなくて、条件的にはあの時よりも優しいと考えられなくもないのだから。それにまだ二亜の魔王、〈神蝕篇帙(ベルゼバブ)〉の力の全容は見えてはいないが、いかにも戦闘能力に特化しているような〈絶滅天使(メタトロン)〉と比較して、〈囁告篇秩(ラジエル)〉はその本領が直接戦闘とは別のところにあるからか、正対した場合の魔王としての脅威度も〈救世魔王(サタン)〉程ではないように思える。決して楽観視する訳ではないが、勝機はある。

 

「行くぞ、皆!」

 

 足を一歩踏み出し、先陣を切るような体勢と共に十香が声を上げる。侑理はそれに声を返しながら、より視界を広く取り、上から支援射撃を行うべく、スラスターを駆動させて宙へ浮かぶ。そして、二亜への道を開く為、増殖を続ける怪物を掃討しようとした……その時だった。

 

「──残念ですが、それは叶いません」

 

 空から、侑理が今いる場所より更に上空から聞こえた、凛とした声。その声と共に、一人の女性が……その身に白金の装いを纏い、淡いノルディックブロンドの髪を靡かせた魔術師(ウィザード)が、二亜の向こう側へと降り立つ。

 

「何故なら、私がいるからです」

「……ッ、エレンさん…!」

 

 自分がいるから。あまりに高慢な発言とも思える…されどそこに微塵も疑いを持っていないような、深い自信に満ちた態度。

 しかしそれを、その発言を、馬鹿な事をと一蹴出来る者などこの場にはいない。この場どころか、この世界に存在するとも侑理には思えない。それ程までの実力者が…名実共に最強たる人間が、この場に降り立っていた。二亜を助けようとする侑理達へ横槍を入れたのは、世界最強の魔術師(ウィザード)、エレン・ミラ・メイザースだった。

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