魔法や異能が存在しても、主人公になれるかどうかは別の話   作:考える人

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冬のルーツ④ / 予言の力

 

 

『ワタガヤ夫妻の下に宿りし新しき命。神へと至る資格を有するものなり。備えよ、備えよ、備えよ。新たなる現人神の誕生である』

 

 

 

「あらひと、がみ……」

 

 冬璃が口にした予言の一部を、冬二は反芻するように声に出す。

 それは冬二が、この異能社会に足を踏み入れてから何度も耳にした言葉。

 冬二のバイト先の雇い主が言うには、『現人神』とは全能の存在であり、人の身でありながら、人を超越した“何か”だという。

 そして、サラを初めとしたセーラスの人間は、『お前こそが現人神なのだ』と、かつて(・・・)冬二に向け、そう口にしていた。

 

 ずっと不可解だったこれまでの出来事が、冬二の中で今ようやく繋がる。

 

「もちろん、今を生きる私たちにとって、現人神なんて存在はおとぎ話のようなもの。普通ならそんな予言、くだらない噂話の一つとして終わるはずだった。でも……、そうはならなかった」

 

 そこまで口にしたところで、ただでさえ悲痛な様子の冬璃の表情が、さらに陰りを増していく。

 そこから告げる言葉は、どこまでも悲しみの記憶でしかないが故に。

 

「……私たちを取り巻くあらゆる物事が、予言を肯定する根拠となってしまった。当時、既に世界有数の実力者として名を馳せていた義兄さんと、歴史ある烏丸家の血を引く姉さん。その二人の間に生まれる子であればもしや……なんて考えが、自然と広まっていったの」

 

「…………」

 

「予言者が立花の高名な巫女であったこと。予言がくだると同時に、ちょうど姉さんが身ごもったこと。神へと手を伸ばそうとする野心家が……、その時代にいてしまったこと。予言の言葉を否定するため、烏丸家や学園が必死に動いても、世論は現人神の誕生を強く押す方へ動いていった。……まるで、誰かがそう仕組んでいたかのように」

 

 冬璃が思い出すのは、毎日のように烏丸家を訪れ、『祝いの言葉』を告げにくる世界の有力者たち。

 もちろん、祝いの言葉はただの建前。その有力者たちの真の目的は、産まれてくる姉の子供を、自分たちの国や組織に取り込むこと。

 

「連日、私たちはその対応でてんてこ舞い。でも当然よね。もし仮に予言が当たっていたとして、現人神を味方につけることができれば、今後百年は世界の覇権を握ることができるのだもの。それに、そういった政治的な付き合いはずっと以前からあったわけだし。……だから本当に問題だったのは、手段を選ばず、強引な方法を取ろうとする組織の方。なかには、姉さんを誘拐しようとする勢力まで出てきてしまった。それも一度や二度ではなく、数多の非合法組織から、幾度となく……」

 

「誘拐……ッ」

 

「そういった日々が続いたことで、出産までの間、姉さんは義兄さんと一緒に姿を隠すことに決めたの。子供が無事生まれたら、また会いましょうなんて……そんな約束をして――」

 

 そう告げながら、冬璃はパラパラとアルバムをめくる。

 開いたそのページは、冬璃と冬那が写る姉妹二人の写真。

 

「でも結局……、これが姉さんと撮った最後の写真になってしまった。姉さんが亡くなったその日、二人がどこにいて、一体何があったのか。姉さんと義兄さんがどんな最後を迎えたのか。私は何も知らない。何も知らなかった。二人の忘れ形見が、生きていてくれたということすらも……」

 

「…………」

 

 冬璃の口から告げられる、自身が生まれる以前の壮絶な過去。それを受け、冬二は自然とうつむいてしまい、何も告げることができない。

 冬二が何よりもショックを受けたのは、母の身を襲ったその危険の理由が、自身の存在を巡ってであること。その事実が、冬二の心に影を差す。

 

 もしかして、父や母が死んだのは自分のせいなのではないか?

 

 そんな最悪の考えが、冬二の頭をよぎったその時――

 

「いけません。冬二さん」

 

「えっ……?」

 

 自身を咎める声に、ふと冬二が顔を上げると、そこにあったのは姿勢を正し、表情から嘆きと悲痛を消し去った冬璃の姿。

 凛としたその振る舞いは、叔母としてではなく、烏丸家を背負う者としての顔を覗かせていた。

 

「私がこの話を冬二さんにしたのは、そのような辛い顔をさせるためではありません。もちろん、罪の意識を与えるためでも。ただ知ってほしかったのです。姉さんと義兄さんの、その想いを」

 

「……想い?」

 

「ええ。二人が身を隠す前、姉さんの身に何度も危険が及んだことで、周囲から生むのを反対する声まで出ました。しかしそれでも……姉さんと義兄さんは、あなたを生むと決めたのです。生まれてきてほしいと、願ったのです。だから、どうか忘れないで。冬二さん……あなたは、心優しき両親から望まれて、この世に生まれてきたことを」

 

「ッ……!」

 

「先ほども言ったように、冬二さんが生まれた日のことは、私は何も知りません。でも、生まれるよりもずっと前から、姉さんたちがお腹の中の冬二さんに、愛情を注ぎ続けていたことは知っています。その愛情が噓偽りでないことは、誰よりも近くで姉さんを見てきた私が保障します。二人は、間違いなくあなたを愛していたわ」

 

「あ……ッ! その、俺は――」

 

 冬璃の言葉を受け、冬二は再び顔をうつむかせる。しかしその理由は、先ほどとはまったく逆のもの。

 自分にも、愛してくれた親がいた――その事実によって、胸の奥からあふれ出る熱は、次第に全身へと広がっていく。

 何もできず、何も言えず。油断するとこぼれ落ちそうになるその涙を、冬二はしばらくの間、ただ耐えることしかできなかった。

 

 

 

 

「すみません、話を止めてしまって……」

 

 涙を拭い、ようやく感情を落ち着かせることができた冬二は、恥ずかしそうに冬璃へと謝罪の言葉を口にする。

 冬二が落ち着くその間に、冬璃の纏う雰囲気も、すっかり元の穏やかなものへと変わっていた。

 

「いいのよ、冬二さんが謝ることなんて何もないわ。それで、えっと……次は何を話そうかしら……………」

 

「……その、両親が亡くなった日のことについて教えてもらえませんか? 本当に些細なことでもいいんです」

 

 冬二が問いかけたのは、両親の死の真相。それは、理事長が求める『両親のことを理解しろ』という条件からは逸脱した内容にほかならない。

 しかし、『自分を愛してくれた両親が、なぜ死ななければならなかったのか』――その答えを知ることが、今の冬二にとっては何よりも優先すべき事柄だった。

 

 ただ、それを尋ねられた冬璃の表情は少し暗い。

 

「……ごめんなさい。教えてあげたいのは山々なんだけど、情報漏洩を避ける目的もあって、冬二さんの出産当時……二人がどこにいたのかも私は知らないの。大まかな事情を知ったのも、全てが終わった後。十七年前の五月三十一日……、学園関係者から二人が亡くなったと告げられたあの時のショックは、今でも鮮明に覚えてる。二人の遺体もなく、学園に問いかけても“詳細は不明”としか伝えられなかった……。逆に冬二さんの方はどうかしら? 生まれた日や両親のこと、何か聞いていたりしない? そういえば、冬二さんの誕生日はいつ?」

 

「えっと……、誕生日は五月三十一日です」

 

「姉さんたちが亡くなった当日……。確か姉さんの出産予定日は六月頭ごろだったはずだから、少し予定より早かったのね。もしかして、そのおかげで冬二さんは助かったのかしら……? その辺りのことも、何か聞いてない?」

 

 冬璃は矢継ぎ早に、冬二へと質問の言葉を浴びせかける。

 質問者と回答者、その立場はいつの間にか逆転してしまっていた。

 

「何か……何か…………あっ」

 

 自身の記憶を手繰り寄せ、必死に頭を悩ませていたその時、ふと冬二が思い出したのは、かつて祖父から告げられた言葉。

 それは小学校の宿題か何かで、自身の名前の由来について尋ねた時のことだった。

 

「……そういえば、じいちゃん……俺を育ててくれた人なんですけど、その人が昔、俺の名前に“冬”の文字があるのは『生まれたその日に季節外れの雪が降っていたからだ』って言ってて……」

 

「あら……、それは変ね。妊娠中、冬二さんの名前はかなり早い段階で決まっていて、“冬”の文字は私たち姉妹から取った名前のはずだもの。これは姉さんから直接聞いた話だから、間違いないと思うけど」

 

「じゃあ……、雪が降ったとかもじいちゃんが咄嗟についた嘘か……」

 

 ヒントになるかと思われた記憶が空振りに終わり、冬二は思わず肩を落とす。

 

「そういえば……、立花さんなら何か知ってるかも」

 

「え、立花先生ですか?」

 

「ええ。彼女……姉さんの葬式の時、私に頭を下げにきたの。姉さんと義兄さん、二人が死んだのは自分のせいだって」

 

「なんで、そんな……」

 

「もちろん詳細を尋ねたけど、彼女はただひたすら頭を下げて謝るだけで、それ以外何も言ってくれなかった。だから……彼女が姉さんたちの死とどう関わって、何に責任を感じているのかは、まるでわからないの」

 

「……でも、立花先生なら――」

 

 両親の死を追求するなか、出てきたのは両親のかつての教え子であり、自身の担任教師の名。

 依然として真相は深い闇の中。そのうえで、立花の存在は確かな光明だった。

 

「……さて、名残惜しいけど、今日はこのくらいにしておきましょう。雪春さんたちも待たせていますし、あまり遅くなりすぎるとよくありませんから。他にも姉さんたちについて知りたいことがあれば、いつでも聞きに来てくれてかまいませんよ」

 

 そう告げながら、ゆっくりと立ち上がる冬璃に対し、冬二は頭を下げる。

 

「冬璃さん、その……改めてありがとうございました! こんな……いきなり訪ねてきながら、両親の子供を名乗る自分の言葉を、信じてくださって……ッ!」

 

「……『冬二』の名はね、妊娠中の姉さんが私にだけコッソリ教えてくれたの。もう子供の名は決めてあるんだって。それに……、最初にあなたの頬に触れた時、呪いに対する耐性の強さが感じ取れた。姉さんも、呪いを『扱う』力は持ってなかったけど、呪いに『抗う』力は誰よりも強かったから。名前に、姉さんと同じ力に、その上で顔もそっくりなんだもの。……疑う余地なんて、まるでなかったわ」

 

 冬璃が浮かべるのは、慈しみのこもったどこまでも穏やかな笑み。

 それを受け、冬二は再び感謝の言葉を告げるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゲームをしながら、冬二を待つこと数時間。

 

「……なあ雪春。俺のキャラ、HPゼロなのにずっと攻撃されてんだけど……。なあ、雪春……聞いてる? 雪春?」

 

「…………」

 

 格ゲーで宗助のプレイキャラに無限死体蹴りコンボを決めていたちょうどその時、部屋の(ふすま)が開かれる。

 

「みんな、待たせて悪い」

 

 現れたのは、話を終えたであろう冬二と冬璃さん。

 冬二の目元は少し赤くなっているが、表情から察するに、どうやら悪くない時間を過ごせたらしい。

 

「みんな、今日は来てくれてありがとう。私は仕事があるから戻るけど、この後もゆっくりしていってね」

 

 冬璃さんはそう告げながら、その場を離れる前に冬二の姿を見つめ、そして口を開く。

 

「冬二さん。姉さんの息子であるあなたは、紛れもなく烏丸家の一員です。もし何か困りごとがあれば、遠慮なく烏丸家を頼ってくださいね」

 

「……ありがとうございます」

 

 見つめ合う冬二と冬璃さんの間には、今日が初対面であるにもかかわらず、確かな信頼が感じられる。

 それは二人きりで話し合った故か、それとも叔母と甥という血の繋がり故か、もしくはその両方か。

 そんな二人の様子を眺めながら、僕は――

 

 

 

 ――『冬璃さん、さっき僕にも同じようなこと言ってたな』という言葉が頭に浮かんだが、僕は空気が読めるので、ちゃんと口をつぐんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 その後、烏丸家で晩御飯までご馳走になり(強面(こわもて)のお兄さんたちに囲まれながら)、すっかり日も暮れるなか、僕は帰宅の徒についていた。

 

「……はあ」

 

 羨ましい――などとは、口が裂けても言えるはずがない。

 僕の両親は健在で、それは間違いなく幸せなことなのだから。

 

 ただやはり、冬二との違いを実感したのも事実で。僕と冬二は、初めから同じ立場なんかじゃなかったのだ。

 詳しくはわからないが、どうやら冬二の両親は異能社会の出身だったらしい。つまり、冬二のルーツは元々異能社会にあるということ。

 

 まあ薄々そうだろうなとは予想していたものの、その事実が明らかになったことで、改めて強く感じさせられる。

 僕のいるべき場所は、異能社会(ここ)ではないのだろうなと。

 

「やっぱり、普通に一般社会で進学かなぁ……」

 

 今日、学園で配られた『進路希望調査』の紙を眺めながら、僕は一人つぶや――

 

 

 

「雪春ッ!!」

 

 

 

「……え?」

 

 突然、誰かが僕の名を呼び、力強く肩を掴む。

 振り返ると、そこには息を切らし、汗を流す茜の姿があった。

 

「ど、どうしたの? 茜さん」

 

「はぁ……! はぁ……! さっき……、冬二と帰りながら、はぁ……少し話を聞いたの……ッ!」

 

 冬二や茜とは帰宅方向が違ったため、烏丸家を出た時点で分かれている。そこからそれなりに時間が経っており、ここまでかなり距離もあったはずだが、その距離をどうやら全力で走ってきたらしい。

 茜は呼吸が整うのを待つことなく、僕の目を真っすぐ捉えて語りだす。

 

「雪春ッ!」

 

「はい」

 

「私は、あんたにどんな秘密があっても……! あんたと冬二が以前私にそうしてくれたように、私はあんたの味方になるから! それを絶対に忘れないで! …………それだけッ!」

 

「…………」

 

 本当にそれだけ告げると、茜はきびすを返し、もと来た道をまた走って帰る。

 

 …………マジでなに?

 

「……メイルカムイの件、バレてないよね?」

 

 あまりにも不可解な茜のその行動を、僕はまるで理解することができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

「……今日はこのくらいにしておきましょうか」

 

 夜も更け、切りのいい箇所まで進めたところで、烏丸冬璃はその日の仕事を終える。

 仕事机の上を整えながら、今日一日を振り返り思い出すのは、今は亡き姉のこと。

 

『――うん、私の方は大丈夫。まさに順調そのものよ。…………ええ、もうすぐでハジメと血の繋がった家族を生んであげられる……。あっ、そうそう! 今日病院で友達ができたの。同姓の妊婦さんでさ、出産予定日も近くて、これがまたすぐに仲良くなれて――!』

 

 世間からその身を隠した冬璃の姉――冬奈(とうな)は、一度だけ冬璃に対し電話をかけたことがあった。もちろん、身元が割れることのないよう、万全の対策を施したうえで。

 会話内容は、お互いの無事を確認し、最近の出来事を語っただけの他愛ないもの。それが、冬璃が姉と交わした最後の会話。

 

「もっと、話したいことがあったのにな……」

 

 かつて、学園から姉の死を告げられた時、不思議とそれを疑うことはなかった。

 意外なほどあっさりと姉の死は受け入れたのは、おそらく双子ゆえの繋がりが消えたことを、心のどこかで察知していたからなのかもしれない。

 

「まさか……十七年も経った今になって、姉さんの死と再び向き合うことになるなんてね……」

 

 当時は冬璃も妊娠中の身であり、出産後も、就任した烏丸家当主の引継ぎ業務であったりと、それはもう目まぐるしい毎日。前に進むだけで、彼女は精一杯だった。

 もちろん、姉の死の真相を完全に放置していたわけではない。ただ、烏丸家がどれだけ異能社会の伝手(つて)をたどろうと、当時姉のいた場所は割り出せず。

 

 さらに、姉の死について学園側は間違いなく何かを隠しており、烏丸家は長年にわたって追求してきたが、何があったかを学園側が語ることはなかった。

 そんな学園の態度に、怒りを覚えたのは一度や二度ではない。しかし、姉の息子――綿谷冬二が生きていたとなれば、その見方も違ったものになる。

 現人神であると予言された冬二の存在が公になれば、確実に世界中からその身を狙われるだろう。

 

 学園が頑なに口を閉ざしていたのは、冬二()を守るためだったのかもしれない――

 

「……なんて、都合よく考えすぎかしら」

 

 生きていた甥の存在が、止まったままの時間を動かした。

 その甥が姉の死を追うというのなら、自分も協力しないわけにはいかない。

 

「立花家にも詳しく話を聞いてみましょうか。事の発端になったあの予言、も…………」

 

 

 

『ワタガヤ夫妻の下に宿りし新しき命。神へと至る資格を有するものなり。備えよ、備えよ、備えよ。新たなる現人神の誕生である』

 

 

 

「…………」

 

『ワタガヤ夫妻の下に宿りし新しき命――』

 

「…………」

 

ワタガヤ夫妻(・・・・・・)の下に――』

『今日病院で友達ができたの。同性の妊婦さんでさ、出産予定日も近くて――』

『生まれたその日に季節外れの雪が降っていた――』

 

「……いや、そんなはず――」

 

 冬璃は青ざめた表情で、机の引き出しの中から書類を取り出す。

 それは以前、とある人物を調べてもらった際の調査報告書。そこに書かれているのは――

 

 

『渡谷雪春』『誕生日:五月三十一日』『一般社会出身』

 

 

「……まさか、ね」

 

 ありえない。ありえるはずがないのだ。

 

 立花家が代々受け継ぐ力――『巫女の予言』。

 その能力の性質上(・・・・・・)、人違いだなんてことは、絶対に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 タバコは、あまり好きじゃない。

 

 ただ、タバコを吸っているあの人(・・・)の姿を見るのが、好きだった。

 

 

 

 まだ、喫煙のルールがそれほど厳格ではなかったころ。

 昼休みになると、中庭の一角――今はなき学園内の喫煙スペースに、必ずその人はいた。

 

「メンター」

 

「ん……こんにちは、立花さん」

 

 私が呼びかけると、その人は咥えていたタバコを手に持ち、優しい笑みをこちらに向ける。

 

「今日はどうしたの?」

 

「別に、何も」

 

「そっか」

 

 その人は、私の口下手を笑わない。

 私が何も言わず、その人の隣に立つのを、ただ困ったように笑うだけ。

 

「立花さん。そこにいると煙、吸っちゃうよ」

 

「私は気にしない」

 

「いや、僕が気にするから…………せめてこっちの風上の方に」

 

「…………」

 

 別に、いいのに。

 

 タバコの煙は、好きじゃない。でも、この人の吐いた煙に触れるのは、嫌いじゃない。

 昨日、そのことを明海(あけみ)に話すと、『へぇ、性癖歪んでんね』と言われたので殴った。

 

「ほら、こっち」

 

「…………」

 

 言われるがまま、私は反対側へと移動する。

 そこからは無言の時間。私はなんでもない青空をじっと見つめ、時折、タバコを吸いながら何かの資料を読み込むその人を横目で見る。

 会話はほとんどない。それでも、静かで、時間がゆっくりと流れていくこの時間が、私は好きだった。

 

 しかし――

 

『立花ァ! 登坂ァ! 水谷ィィィ!!!』

 

 慎ましさの欠片(かけら)もない叫び声が、少し離れた校舎の方から響き渡る。

 

『お前らまた久保田先生の授業サボっただろッ! 後でどやされるのは私なんだぞ! 今すぐ出てこいッ!!!』

 

「……アハハ」

 

「…………チッ」

 

 大切な時間を邪魔されたことで、口からは自然と舌打ちが漏れる。

 

「冬奈……烏丸先生呼んでるよ。行った方がいいんじゃない?」

 

「…………」

 

「まあ、サボりたくなる気持ちもわかるけど。久保田先生、授業中すごく怖いもんね。僕が学生のころなんて、『閻魔の久保田』なんてあだ名で恐れられてたし」

 

「今も呼ばれてる」

 

「あ、やっぱりそうなんだ」

 

 そう言って、圧を全く感じさせることのない表情でその人は笑う。

 今現在、大声で自分を探す担任教師とは大違い。

 

 そんなこの人の笑顔が、私は好きだった。

 

 

 

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

「……ふーっ」

 

 少し曇りがかった夜空に向かい、立花はタバコの煙を吐きかける。

 教職員寮、そのベランダから見えるのは、学生時代から二十年以上通い続ける学園の姿。

 

「全部、終わらせよう……摩耶」

 

 立花がタバコを吸うのは、決まって自身の感情を整理する時。

 つい先ほど、彼女は未来を見た。

 

 未来視――それは文字通り、いずれ訪れる可能性の一つを、映像として(・・・・・)見る力。

 

 

 その巫女は、未来を見て、過去を思う。

 

 




倫理アドベンチャーは全クリ済み。


五月三十一日に投稿するぜ!と意気込みながら、一周とばした大馬鹿者は私です。(戒め)
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