魔法や異能が存在しても、主人公になれるかどうかは別の話 作:考える人
潜入任務の開始から、約二週間ほどが経ち――
深国亜夜は、ひどく焦っていた。
きっかけは、つい先日かかってきた一本の電話。
『潜入任務の件が、上にバレているかもしれない』
断定こそ避ける言い方ではあったものの、電話越しに伝わる上司のその声が、事の深刻さを雄弁に物語っていた。
そして同時に、『少しでも危険を感じたら、すぐに任務を放棄するように』と言い含められたことで、亜夜は強く自覚する。
自分が今、かなり危うい状況にあることを。
もし仮に、ここまでの調査でなんの進展もなければ、迷うことなく『撤退』を選んでいたかもしれない。
しかしながら、一般的な飲食店では絶対に感じられることない、店内に
また、目に見えて怪しいと思える点も、店には数多く存在している。
支離滅裂なクレームが、日に百件以上も発生する客層の悪さ。
店長を始めとし、強者特有のオーラを発する店の関係者たち。
店内から頻繁に漂う、硝煙の匂い。
ホールに行って戻ってくる度に、何故か傷が増えていく従業員。
店の地下に広がる、謎の空間。
働けば働くほど、亜夜の中で店に対する不信感は募っていく。
不正や犯罪行為の証拠に繋がる手がかり――それらをもう少しで掴める、そんな確かな感覚が亜夜にはあった。
そう、もう少しなのだ。しかし、そのもう少しというところで、決定的なものは何も掴めない。
不正や違法行為に関わっているであろう店のスタッフたちは、いっそ清々しいほどに亜夜のことを警戒し、何かを露骨に隠している。
それこそ、働いている最中、背後で何か物音がして振り返ろうとすると、同じ女性スタッフである桜にその顔を両手で掴まれ、力ずくで振り返るのを阻止されたこともあるほど。
それはあまりにも露骨で、しかし露骨過ぎるが故に、どうすることもできない。
少なくとも、すぐさま不正の証拠を掴む自信は、今の亜夜にはなかった。
ただしそれは、あくまでも
「亜夜、どうしたの? 体調でも悪かったりする?」
「…………」
学園の屋上で昼食をとりながら、すぐ隣に座り、心配そうに自身の顔を覗き込む雪春を見て、亜夜は考える。
初めはただの一スタッフであり、学生バイトでしかないと考えていた亜夜の雪春に対する評価は、ここ数日間で大きく変化していた。
ホールスタッフとしての基本的な業務はもちろんのこと。亜夜が働き始めたその時点で、雪春は多くの仕事を店長から任されていた。
それ故に、雪春の業務内容は多岐にわたり、常に忙しなく動いている。しかもその上で、亜夜が雪春に仕事のフォローをしてもらった回数は一度や二度ではない。
クレームへの対応に関しては、もはやベテランの風格すら感じられるほど。
そして決定的だったのは、他のスタッフから寄せられる圧倒的な信頼。
『仕事のやり方は……全部渡谷先輩に、教わったから』
『面倒なクレーマーの対処方? そんなもん殴っ……………………たりするのは論外として、えっと……その、だな………………渡谷とかに聞いてみた方がいいんじゃねえか?』
『Excelが動かない? マクロ組んでるの渡谷だから、渡谷に聞いてくれ』
『座ってた席に忘れ物したって騒いでる客がいる? なら渡谷に頼んで防犯カメラ確認してみたら?』
『わからないことがあったら店長より渡谷に聞いた方がいいぞ』
『渡谷さんを信じなさい』
働き始めてまだ半年ほどの雪春のその働きっぷりに、経験豊富なベテランスタッフですら、惜しみない賞賛の言葉を口にする。
店側からこの上なく信頼され、様々な業務に深く携わっている雪春であれば、不正や違法行為の証拠を難なく掴めるのではないかと。
「……亜夜?」
「…………」
改めて、亜夜は雪春の表情をじっと見つめる。
もし、雪春に証拠探しの協力を願いでるのであれば、ある程度の事情を打ち明けることは必須。
なんの説明もなしに、『働く店の不利益になる情報を探してくれ』と口にしたところで、了承してもらえるはずがない。
潜入任務の際、任務過程で親交を深めた協力者相手に、事情をどこまで説明するかの判断は、現場の人間に委ねられる。
ただもちろんそれは、事情を話すことでさらなる情報が期待でき、なおかつその協力者が絶対に裏切らないという確信を得た上での話。
亜夜にとっての雪春は、出会ってまだ一ヶ月にも満たない相手。
さらに隊長である奥寺からは、『
全面的に信頼し、全てを打ち明けるにはさすがに時期尚早。しかし――
「……その、バイト先のことで不満があるなら言ってね。すぐ改善するよう店長にお願いするから」
――今現在も、黙り込んだ自分のことを案じ、本気で心配そうに声をかけてくる雪春が、悪い人間だとはとても思えなかった。
どちらにせよ、残された時間はわずか。信じられる、ではなく、信じたい。その気持ちに賭け、亜夜は意を決して口を開く。
「雪春……ッ! その、実は私――!」
亜夜は、雪春に全てを打ち明けた。
部隊を休隊中というのは、建前であること。
潜入任務のために、雪春へと近づいたこと。
店の不正や犯罪行為の証拠を掴もうとしていること。
そして、雪春にも協力してほしいという、その旨を。
「…………」
「…………」
全てを告げ終えると、訪れる静寂の時間。
亜夜は顔を上げることができず、雪春が今どんな表情をしているのか確認することができない。
しばらくすると、雪春はゆっくりとベンチから立ち上がり、何も告げることなく、その場から立ち去ってしまう。
「……ダメ、か」
それは、任務への協力を拒否され、友人としても拒絶されたことに他ならない。
そして、今回の潜入任務が失敗したも同義。
「ッ……」
それにより、亜夜は気づく。
任務が失敗したのはもちろんのこと。雪春に拒絶されたというその事実にも、かなりのショックを受けているのだと。
思えば、任務という建前があったとはいえ、亜夜が同世代の誰かと、それも自分から、これほどまでに親交を深めたのは初めてのことだった。
もしかすると、初めて心の底から“友人”だと思えた相手だったのかもしれない。
そんな、今となってはどうにもならないことを思い浮かべたその時――
「……え?」
雪春が再び、屋上の、亜夜の座るベンチの隣へと戻ってくる。
その手に、いくつかの紙の束を抱えて。
「……雪春?」
「
そう言って、雪春は亜夜に紙の束を手渡す。
亜夜は不思議に思いながらも、その紙束に目を通すと、それは武器売買のリストだった。それも、明らかに届出のない違法なもの。
「ッ! これは……!?」
「それと、こっちが仕入れてる違法食材のリストで、こっちが取引先企業一覧。これはスタッフが客に暴力を振るう瞬間の証拠写真で――」
「ま、待ってくれ! どうしたんだ雪春!? なんで急にこんな……!?」
「え? だって、さっき亜夜が協力してほしいって……」
「い、いや……! それはそうなんだが……!! ……でも、私は……雪春を騙すようなマネをして…………」
あまりにも協力的な態度の雪春に驚きながら、亜夜はその罪悪感により、二の句が継げなくなる。
しかしそんな亜夜に対し、雪春は笑った。
「亜夜、ありがとう」
「……? なに、を…………」
「……実は僕、ずっと前からあの店の違法行為に気づいてたんだ」
「っ……」
雪春のその言葉に、それほど大きな驚きはなかった。
店の業務にあれほど深く携わっていれば、不正や違法行為に気づいてもおかしくはないだろうと、ある程度予想していたが故に。
「その違法行為を裏付ける証拠も、必要になればすぐに出せるよう常に持ってたんだ。ただ下手なところに証拠を提出すれば、そのまま握り潰されてしまう可能性もある。だから、ずっと証拠を持て余してて……そんな時に、亜夜が来てくれた」
「え……?」
「関係を築いた後で真実を告げるの、すごく勇気が必要だったと思う。それでも、亜夜が本当のことを話してくれたおかげで、僕はこの証拠を渡すことができた。だから、“ありがとう”って言わせてほしい。亜夜の出した勇気のおかげで、僕は抱えてた秘密を打ち明けることができたんだから」
「雪春……」
「それにさ、騙したことで罪悪感を覚えてるなら、僕は全然なんとも思ってないから気にしないで。どこぞの元スパイの方がもっとひどかったし」
「……元スパイ?」
「あ、今のなし」
腕でバツを作りながら、雪春はどこまでも優しげな笑みを浮かべる。
感謝したいのは、むしろ亜夜の方だった。
任務のために近づき、騙していたにもかかわらず、快く協力を受け入れ、早速いくつかの不正の証拠まで。
信じてよかったと、亜夜は心の底からそう思えた。
「雪春……これまで騙していてすまない。それに、本当にありがとう……!」
「ほんと気にしないで。それよりどう? 後でデータでも渡しておくけど、その証拠だけであの店潰せる?」
「つぶっ……ま、まあ十分だとは思う。部隊が動く理由にもなるし……。ただ欲を言うなら、もう一押し何かほしい。一時的にだったり、一回限りといった話ではなく、常習的に不正を働いているという証拠があれば文句なしだ」
「…………となると、
「アレ?」
「店の店長室に、店長以外使用禁止のパソコンがあるんだ。そのパソコンになら、長年の不正や違法行為の証拠が全部データとして残されてるはず」
「本当か? なら、なんとかそのパソコンのパスワードさえわかれば……」
「あ、パスワードなら知ってるから大丈夫。前に店長から『パソコンが何もしてないのに壊れた』って相談を受けて、その時に覗き見たから」
「それなら話が早い。ちなみにそのパスワードって――」
「『123456』だよ」
「危険なパスワードの代表格」
あまりにも雑なセキュリティ管理に思わず愕然とするが、任務にとって好都合なのは確か。
残された時間も少ないため、亜夜はさっそく動くことを決意し、その意思を雪春へと伝える。
「……雪春。私は今日のバイト中に、店長室に忍び込んでそのパソコンを調べようと思う。もし良ければ、雪春にも協力してほしい」
「もちろん。じゃあ亜夜が調べてる間、店長は僕が引き付けておくね。多分大丈夫だとは思うけど、他のスタッフが店長室に入ってきてバレた場合、僕の名前を出してみて。『渡谷から頼まれたんだ』って感じで。そうすれば、多分納得してもらえるはずだから」
「わかった。……その、危険な任務に付き合わせながら、こんなことしか言えなくてすまないが……本当にありがとう」
「さっきも言ったけど、気にしないで。なんならもっと頼ってくれていいんだよ。僕は、亜夜の味方だから」
「雪春……」
「二人で絶対に、あの店を潰そうね! あの店は……、存在しちゃいけない店だから……!!」
「あ、ああ……」
なぜか自分よりも気合いの入る雪春に、少し戸惑いながらも、亜夜も同じように気合い入れる。
隊長から託された、任務を果たすため。そして――
「頑張ろう、亜夜」
「ああ……!」
――心優しき協力者の、その思いに報いるために。
そんな二人が気合を入れるその裏で、店のスタッフたちは、
雪春がこれまで丁寧に積み上げてきたものを、全てひっくり返してしまうような。
そして、亜夜にとって人生の大きな転機となるような、そんな策を、
――――――
つい先ほど、潜入任務中の部下から送られてきたいくつかのデータ。
それは、調査対象の店が不正を働いているという、疑いようのない証拠だった。
そしてその証拠は、信じて送り込んだ部下が、無事役目を果たしたことに他ならない。
にもかかわらず、隊長室の椅子に座る奥寺の表情はどこか暗い。
「……水谷隊長」
店の不正が確かになったということは、敬愛するかつての隊長が、不正に関わっていることも確かになったということ。
疑いながらも、間違いであってほしかった真実。いっそのこと、握りつぶしてしまいたい――その気持ちが全くないと言ってしまえば、嘘になる。
それでも、奥寺は一度大きく息を吐き、元隊長へ刃を向けることを決意する。
部下であったのはかつてのこと。今の自分は、多くの部下を持ち、正義のためにその身を捧げる、北鎮部隊の隊長なのだから。
そしてその決意を、行動へと移そうとしたまさにその時だった。
コンコンと、自身の隊長室の扉がノックされる。それは事前の予定にはない、奥寺にとって予期せぬ訪問。
奥寺は慌ててデータの入った端末を机の中にしまうと、来訪者を部屋の中へと招き入れる。
「失礼します。……隊長会議ぶりですね、奥寺さん」
「立花さん……」
奥寺の隊長室を訪れたのは、こちらもまたかつての上司であり、現第0分隊の副隊長である立花
現在は所属する部隊も違い、プライベートでの親交もない相手が、よりにもよってこのタイミングで。
奥寺その表情と体に、思わず緊張が走る。
しかし立花は、そんな奥寺の内心を見透かすように語りかけた。
表情は普段通り険しいながらも、その口調はどこまでも柔らかく。
「楽にしてください、奥寺さん。私がここに来たのは仕事ではなく、ただの個人的なお誘いですから」
「……え? 立花さんが、私にですか?」
「ええ、そうですよ。そんなにおかしなことですか?」
「はい。……あ、違っ……そのッ!」
「冗談です。らしくないことは自覚してますから」
建前をかなぐり捨て、思わず本音を口にしてしまった奥寺だが、立花がそれを咎めるような様子はない。
表情だけは相も変わらず固定され、ピクリとも動かないものの。
「ほら、隊長会議の時に約束したじゃないですか」
「隊長会議? …………あ」
立花の告げた約束――その言葉に、奥寺がしばらくピンとこなかったのは、それを別の意味として捉えていたため。
そう、
その言葉を、立花は改めて告げる。
「今日の夜、水谷くんのお店にご飯を食べに行きませんか?」
「ッ……!」
それが、どんな意図を持って告げられた言葉なのか。
立花の浮かべるその表情からは、まるで読み取ることができない。
そのため、隊長会議の時にも抱いた感情を、奥寺は再び思い出す。
店の情報を抜き取ったハッカーから届いたメール
『お金払うんで見なかったことにさせてください』