魔法や異能が存在しても、主人公になれるかどうかは別の話   作:考える人

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拳聖祭と救国の王女 表 第一王子からの刺客 後編

 

「まずはオレを倒せってこった。卑怯女とその手下ども」

 

 背後に控えるチームメイトたちを守るため、己が盾になることを宣言する蛇塚。

 人質の存在により、抵抗することが許されない身でありながら、蛇塚はマリネッタと構成員たちに向かい、獰猛な笑みを浮かべて見せる。

 

 そんな蛇塚の姿を見て、マリネッタはわずかな時間ではあるが、考えを巡らせた。

 なにもバカ正直に蛇塚の相手をしてやる必要はなく、一斉にかからせ、リリアーナの命を狙えばそれでいい。

 しかしいくらリリアーナといえど、いざ己の命に手がかかれば、人質のことなど考慮せず、逃走を選択肢に入れるだろう。学生たちにも、全力で抵抗するよう命じて。

 もちろんそうなった場合の策も用意してあるが、このまたとない絶好の機会で逃走成功(万が一)など許されない。ならばーー

 

「望み通り、その子の相手をしてあげなさい。ただし、殺しはなしよ」

 

 考えをまとめ、マリネッタは構成員たちに指示を出す。

 そこに不殺の条件を追加したのは、彼女の持つ良心ゆえのもの――などではなく、二つの打算的な考えに基づいた最適解。

 学園の学生を殺してしまった場合、『魔導王』への敵対行為だと取られかねないため、それを避けるのがまず一つ。

 そしてもう一つは、蛇塚たちの存在を利用することで、交渉を(・・・)有利に進めるために。

 

 そんなマリネッタからの指示を受け、構成員の一人が蛇塚のもとへと近づいていく。

 

「同情するぜぇ、学生くん。抵抗もできずに殴られろなんて、理不尽極まりねえよなぁ」

 

 構成員のその男は、ニヤケ面を浮かべながら蛇塚の目の前で立ち止まる。

 

「俺たちの目的はあの白髪の女だけだ。お前は逃げてもいいんだぜ? サンドバッグになりたくなきゃ、今すぐ学校で大人しく授業でも受けて――」

 

「ぺっ」

 

 言葉を並べる構成員の男に対し、蛇塚のとったリアクションは拒絶。蛇塚の吐いた唾が、男の服へと付着する。

 

「……いい返事だ」

 

 それだけ告げると、男はニヤケ面を止め、その拳を蛇塚の顔へと振り下ろした。

 それに対し、蛇塚は宣言した通り、一切ガードすることなく、異能で強化されたその拳を受け止める。

 

「ぐっ……!」

 

 周囲に響き渡るほどの鈍い音がなり、口内を切ったことによる血が、二人の足元に降り注ぐ。

 しかし、蛇塚は倒れない。それどころか、さらに鋭い目付きで目の前の男を睨みつける。

 

「はっ! 倒れるまでその威勢が保てたら褒めてやるよ!」

 

 そう言って、男はさらにもう一撃、今度は無防備な腹部にその拳を叩きつける。

 

 その後も、抵抗しようとしない蛇塚に、殴る蹴るといった容赦のない暴力が加えられていく。

 足元には赤が広がり、顔は青紫に。その光景は味方だけでなく、敵ですら同情を禁じ得ない凄惨なもの。

 だからこそ、このタイミングでマリネッタは問いかけた。蛇塚が殴られるたび、その表情が曇っていくリリアーナへと。

 

『リリアーナ様、よろしいのですか? あなたを守りに来た勇敢なご友人が、あなたのせいで傷ついていく。そんな悲劇を、ただ黙って見ているだけで』

 

 どの口が……!――思わずそう叫びかけたリリアーナだったが、なんとかグッと堪え、冷静な態度を取り繕う。

 相手が対話を望むのなら、時間稼ぎが必要なリリアーナにとって乗らない手はない。

 

『……それを止めるため、素直に私の命を差し出せと。そう言いたいのですか?』

 

『いいえ、残念ながらリリアーナ様の死は確定事項です。そのお命は交渉材料になりえません』

 

『ならどうしろと? 今の私に、取引できるようなものは何もありませんよ』

 

『とぼけるのはよくありませんわ。あるじゃないですか。リリアーナ様だけが持つ、とびっきりの交渉材料が。こうしてこの場に現れたのも、それ(・・)で交渉ができると考えたからではないのですか?』

 

『……』

 

 あくまでも、それ(・・)を自分から告げようとしないリリアーナに、マリネッタは笑いながら告げる。

 

 

『――メイルカムイの契約者』

 

 

『っ……』

 

人質(コーネ)が教えてくれましたよ。最近のリリアーナ様の言動を見るにおそらく、既に契約者の目星がついている、と。主人の機微に聡すぎのも、少し考え物ですね』

 

『…………やめなさい。コーネは、私にはもったいない相手です』

 

『なればこそ、契約者の名前をお教えください。今ここで死ぬにもかかわらず、情報を抱え続けることに何の意味がありましょう。もし本当に国や民を思うのであれば、かの大悪魔を討伐する――その手柄が誰のものであっても、問題はないはずです。お教えくださるのであれば、人質(コーネ)の解放を約束しましょう。そこの学生たちにも、これ以上危害は――』

 

 

「おい、ごちゃごちゃうるせえんだよ卑怯女」

 

 

 交渉を進めようとするマリネッタ。そんな彼女の言葉を遮ったのは、まさに交渉のカードとされている蛇塚だった。

 いいようにサンドバッグにされ、ボロボロになりながらも、その鋭い目つきだけは変わらない。

 

「リリアに何か言いたけりゃ……、オレを倒してからだっつってんだろ。オレはまだ立ってるぞ」

 

『……事の重大さもわからぬガキが――』

 

 横やりを入れられたマリネッタは冷たい声でそうぼやくと、構成員たちに指示を送る。暴行再開の無慈悲な指示を。

 

「おらぁ! いい加減、楽になったらどうだ!」

 

「ガッ……!」

 

 もう何度目かもわからない、無防備な顔への殴打。それにより、蛇塚の口から白い歯がこぼれ落ちる。

 そんなあまりにも痛々しい蛇塚の姿に、リリアーナは思わず傍へと駆け寄ろうとするが――

 

「……ナッツ?」

 

 その行く手を遮るように、光華がリリアーナの目の前で腕を伸ばす。

 

「リリア、それ(・・)は許さない」

 

 咎めるような言葉を告げる光華。そんな光華の視線は、言葉を向けるリリアーナにではなく、蛇塚の方へと向いている。

 傷だらけのその姿を、目を逸らすことなく見つめていた。

 

「しかし……ッ!」

 

「ボクたちが蛇塚くんに駆け寄っていいのは、彼が自ら膝をつくと決めた時だけだ」

 

「ッ……!」

 

 有無を言わせぬ光華のその圧は、リリアーナに反論の言葉を紡がせない。

 

 二人がそうしている間にも、蛇塚はさらに傷を負っていく。

 何度も、何度も、何度も。終わることのない理不尽な暴力。

 

 

 しかしそれでも、蛇塚は倒れない。

 

 

「……終わりか?」

 

 大量の血を流し、全身傷だらけになりながらも、両足で力強く立ち続ける。

 むしろ先に限界が来たのは、殴り続けていた構成員の男だった。

 

「くっ、そがぁ……!」

 

 構成員の男はボロボロになった己の両手を震わせ、その場に膝をつく。

 一方的に殴られ続けた男が、一方的に殴り続けた男を見下ろす。そんな異常事態に、マリネッタおよび構成員たちは言葉を失っていた。

 

「どうした……? 次、来いよ。オレはまだ…………立ってるぞ」

 

「……なんなんだ、こいつ」

 

 多くの闇を知り、裏社会を生きる者たちが、たった一人の学生に吞まれていく。

 敵対するものを睨むその目は、眼球全体が黄色く染まり、黒い瞳孔が縦に伸びる(じゃ)の目。

 その目で睨みつけられたマリネッタたちは、まるで体を石に変えられたかのように身動きが取れない。

 

 マリネッタにとってこの状況は完全に想定外であり、こうなってしまえば交渉などは二の次。

 構成員たちの間に広がった恐怖を払拭するため、多少のリスクを無視してでも、蛇塚の存在を消さなければならない。

 そう考え、マリネッタが指示を出そうとしたその時――

 

 

『~♪』

 

 

 リリアーナとマリネッタの持つ携帯から、ほぼ同時に着信音が鳴り始める。緊張感が漂うその場において、あまりにも場違いな機械音。

 だからこそ、内容はわざわざ確認するまでもない。その着信音こそが、明確なメッセージが込められた合図。

 

 リリアーナにとってそれは、『人質救出』のメッセージ。

 マリネッタにとってそれは、『人質逃走』のメッセージ。

 

 マリネッタにとっては予想だにしなかった、リリアーナにとっては待ちに待った瞬間だった。

 

『バカな……!』

 

 焦燥にかられながら、マリネッタはリリアーナへと視線を向けると、そこに浮かぶのは不敵な笑み。

 してやられたのだと、初めからこれを待っていたのだと、語らずとも理解させられてしまう。

 

『なぜ……』

 

 殺されると知りながら、リリアーナが素直に現れたのは、初めから人質救出のための時間稼ぎが目的。

 それ自体は理解できたマリネッタだが、まだ彼女にはわからないことがあった。

 リリアーナ陣営が人質を取り返しに来ることなど、当然百も承知。

 人質の隠し場所がバレたのは、おそらく“霊犬(れいけん)”の力を使ったのだろう――本国から受けた、『一体所在不明』の情報をもとに、マリネッタはそう判断する。

 彼女がわからないのは、“どうやって厳重な警備から人質を取り返したのか”だった。

 本国に残ったリリアーナ直属の部下の数から、リリアーナが今動かすことのできる戦力はおおよそ予想できる。仮にその全戦力を差し向けられたとしても、対処できる数の人員を人質の傍に置いてきた。

 にもかかわらず、人質を奪還されたという事実が、マリネッタには腑に落ちない。

 

 そんな困惑するマリネッタとは対照的に、リリアーナは喜びを隠しきれない声で告げる。

 

「今っ! 私の部下が使用人(コーネ)を救出しました!」

 

 リリアーナのその言葉により、蛇塚と光華は時間稼ぎをしていた意味を理解し、そして笑った。

 

「ようやく、か。……よお、無抵抗なやつ殴るのは、楽しかったか?」

 

「ひっ……や、やめろ! 来るなっ!」

 

 鎖から解放され、これまで散々自分を痛めつけてくれた相手に、蛇塚はじりじりと歩み寄る。

 しかしそんな蛇塚の歩みを、止めようとする人物が一人。それはマリネッタや構成員たちではなく、チームメイトである光華だった。

 彼女は遮るというよりも、体を支えるような形で蛇塚の歩みを止める。

 

「……駆け寄るのは、膝をつく時だけじゃねえのかよ」

 

「そのつもりだったんだけどね。君が膝をつくのは見たくなかった」

 

「おいしいとこだけ持ってくつもりか?」

 

「まさか。これからボクがどれほど華麗に舞おうとも、君の放った今日の輝きは越えられないさ。だから、後は譲ってくれ(・・・・・・・)

 

「……ちっ、しゃあねえな」

 

「リリア、蛇塚くんを頼む」

 

「え、ええ……」

 

 光華は蛇塚をリリアへと任せると、マリネッタたちに向かって一歩踏み出す。

 人質が解放されたため、隙を見て逃げ出す――それも間違いなく選択肢にあるなか、光華の行動に迷いはない。

 

「烏丸さん、二人をミカエルで守っておいてくれ」

 

「う、うん。わかった」

 

 こと異能の実力においては、誰よりも信頼できるチームメイトに後ろを任せた光華。

 これにより、彼女の憂いはなくなった。

 

「さあ、これで対等だ。全員まとめてかかってきな。みな等しく沈めてあげようじゃないか」

 

 図式はほぼ“100対1”。しかし光華は躊躇いなく、構成員たちのもとへと走り出していく。

 

 そこからの戦いは、光華の独壇場だった。

 ただでさえ数は圧倒的に不利。そのうえ構成員たちの中には、武器を所持する者もいれば、得意の異能で遠距離攻撃を仕掛けてくる者もいる。

 それでも、光華は構成員たちを相手に圧倒する。鬼気迫る表情で、目の前の相手を殴り倒し、背後の相手を蹴り飛ばす。

 その体一つで戦う光華に対し、構成員たちは誰一人として善戦することすらできない。

 

「ガッ……!?」

 

「げほっ!?」

 

「こんなものかあ!? これなら蛇塚くん一人の方がよっぽど手ごわいぞ!!!」

 

 構成員たちは一人、また一人と倒されていき、およそ十分後――

 

 

 

「――さあ、後は君だけだ」

 

 その場に立っているのは、返り血に染まった光華とチームメイトたち、そして後方に控えていたマリネッタのみ。

 構成員たちは漏れなく全員が無力化され、地面に転がされている。一方でその光景を生み出した光華は、まだ余裕があるようにマリネッタには見えた。

 

『っ……』

 

 ほんの少し前まで全て上手くいっていたはずの作戦が、突如現れた二人――蛇塚と光華により、めちゃくちゃにされてしまっている。

 この状況を言葉で言い表すのなら、“最悪”という言葉以外はありえない。

 マリネッタは大きく息を吐きだすと、一度リリアーナへと視線を向け、そして覚悟を決める(・・・・・・)

 

 かけていた保険は全てダメになった。故に、その身を切る覚悟を。

 

『痕跡は隠しきれないでしょうが、仕方ありませんわ』

 

 そうつぶやくと、マリネッタは身に着けている衣服を唐突に脱ぎ始める。

 

「……は?」「なっ!?」「ち、痴女……!」

 

 光華たちが突然の行動に狼狽える中、その行動の意味を正しく理解できたのは、マリネッタの力(・・・・・・・)を知るリリアーナただ一人。

 

「ナッツ! 気を付けてください! 彼女は獣人(セリアンスロープ)です!」

 

「は?」

 

 リリアーナの言葉を受けても、光華はまだ困惑したまま。

 その間に、マリネッタは衣服を全て脱ぎ捨て、生まれたままの姿になると、次の瞬間――

 

『アォォォォォン!!!』

 

 叫び声と共に、マリネッタの体が肥大化(・・・)し始めた。

 

「嘘だろ……?」

 

 その全体的に華奢な体が倍以上に膨れ上がり、光華の視線も自然と上向きになっていく。

 さらに全身から灰色の体毛が伸び始め、その皮膚を覆い隠してしまう。

 

『ふぅ……』

 

 ようやく急激な体の変化が終了すると、先ほどまでのマリネッタの面影は完全に失われていた。

 その姿は巨大な二足歩行の()であり、しかしわずかながら人間の特徴も残している。

 

 狼の獣人――それこそが、マリネッタ・シャーロウスの持つ特別な力。

 

 灰色の獣へと姿を変えたマリネッタは、リリアーナを守るように立つ光華にその視線を向ける。

 すると次の瞬間、目にもとまらぬは速さで光華の目の前に移動し、その丸太のような腕を振り下ろした。

 

「しまっ! ぐっ……!」

 

 光華はなんとかガードを間に合わせたものの、上から押さえつけられるその力は、全身が砕け散るのではないかと錯覚するほど。

 このままではまずい――数秒後には押し負け、膝が折れる未来を想像したその時、チームメイトによる助けが入る。

 

「こ、光華さんから離れて!」

 

 烏丸がミカエルをけしかけたことで、マリネッタは光華との力比べを解き、一度距離を取った。

 その間に光華はなんとか体勢を立て直し、そして即座に判断を下す――

 

 ――今すぐ逃げるべきだ、と。

 

 光華が受けたのはたった一撃。しかしその一撃は、全ての体力気力を根こそぎ使い切ってしまうほどの衝撃だった。

 それもパワーだけでなく、その巨体に見合わぬスピードまで兼ね備えている。

 自分一人なら話は別だが、後ろに守らなければならない存在がいる今、危険を冒すことはできない。

 そう考え、チームメイトたちに“逃げろ”と伝えようとしたその時、距離を取ったマリネッタが遠吠えを始める。

 

「……なんだ?」

 

 当然、光華にその遠吠えの意味が理解できるはずもない。

 しかしその遠吠えを耳にした光華は、本能的な恐怖を覚える。光華だけでなく、蛇塚たちも同様に。

 そしてそれは現実のものとなった。

 

 遠吠えから十秒も経たぬうちに、光華たちの周囲に何か(・・)が降り立つ。

 降り立ったのは、マリネッタとまったく同じ姿をした存在。

 マリネッタを含め、計五人の獣人が光華たちを囲んでいた。

 

「獣人部隊……ッ!」

 

 リリアーナがその正体を口にするが、その必要もなく光華は冷や汗を流す。

 一人でも持て余す相手が五人。さすがの光華も笑みを浮かべることができず、本気で危機感を抱く。一人を除き、チームメイトたちの抱いた思いも全く同じだった。

 

 そう、たった一人を除いて(・・・・・・・・・)

 

「あ、その……」

 

 その少女だけは、ただ一人この状況に危機感を覚えることなく、おずおずとした様子で光華に声をかける。

 

「ワタシがやろっか?」

 

「……烏丸さん?」

 

 まるでなんでもないことのように提案する烏丸冬歌。

 彼女のその表情は、普段日常で見せるものとなんら変わりない。

 

「なんとか、できる自信があるのかい……?」

 

「うん。さっきちょうどいいものが見れたから。調整に時間かかっちゃったけど、いけると思う。後は効果が強まる範囲を外側に設定すれば…………」

 

 ブツブツとつぶやきながら、烏丸は両手を絡ませるように合わせ、異能を発動する。

 世界を欺き、全てを呪い殺す最悪の異能を。

 

 

『虚偽世界・禍羅愚(からぐ)呪転(じゅてん)曇迦(どんか)

 

 

 その瞬間、廃工場一帯が烏丸の魔力により支配される。

 そしてそれと同時に、五人の獣人全員が膝をつき、苦痛の声と共にその場で苦しみ始めた。

 

「おいおい、マジかよ……」

 

「これは一体……」

 

 烏丸の手によって引き起こされたその状況に、チームメイトである蛇塚と光華が困惑するなか、付き合いの浅いリリアーナだけが、烏丸の使用する異能を正しく理解していた。

 “さっきちょうどいいものが見れたから”――先ほど烏丸が告げた言葉を思い出し、リリアーナは驚愕する。

 

「一目見ただけで……、『虚偽世界』を習得したというんですか? しかも、かなりのアレンジまで加えて……」

 

 “まあ烏丸だしな”――そう考え、現状をすぐに受け入れた蛇塚と光華とは対照的に、リリアーナは冷静さを保つことができない。

 味方であるはずの烏丸を見て、リリアーナは敵であるマリネッタ以上の恐怖を覚えていた。

 

 そしてその恐怖を加速させるように、獣人たちは呪いに蝕まれていく。

 体の末端から、肌が徐々にドス黒く変色していき、痛みでまともに立ち上がることすらできない。口からは血を吐き出し、一人ずつ意識を失っていく。

 強靭な獣人の体も、内部からの破壊には意味をなさない。

 そうして五人中四人が意識を失うなか、マリネッタだけはなんとかギリギリ意識を保ちながら、ぶれる視界で烏丸をとらえ、そして改めて実感する。

 

 やはり烏丸(アレ)は、危険な存在だったと。

 

 リリアーナが恐怖し、マリネッタが危険視する通り、烏丸が持つ異能の才は飛び抜けている。

 特にこの数ヵ月、能力の伸びが顕著なこともあり、その力は同年代と比べると異様な領域に達していた。

 あらゆる方面で隙のない烏丸の異能の才。もし彼女に弱点があるとすれば、それは――

 

「…………あれ?」

 

 ――本来、人間が限界を感じた際、無意識にかけるはずのブレーキが、完全に壊れてしまっていることである。

 

「烏丸さん!?」

 

 それは突然の異変だった。それまで平気な顔をしていた烏丸が、いきなりその場に膝をつき、鼻から少なくない量の血を流し始めたのだ。

 明らかに、体に異常をきたし始めている。しかし何よりも問題なのは、その状態でも異能が発動し続けていること。

 

「烏丸さん! 今すぐ異能を止めるんだ!」

 

「え? でも……」

 

「いいから早くッ!」

 

 光華に言われ、烏丸はようやく異能を停止する。

 それにより、廃工場一体の魔力支配が解除され、世界は元の形を取り戻す。

 そして同時に、マリネッタを苦しめていた呪いの侵食も止まるが、それまでに受けたダメージが大きく、すぐに動き出せるような様子ではない。

 なんとか四つん這いの状態で意識を保ち、肩で息をするマリネッタを見て、光華はリリアーナに問いかける。

 

「どうする?」

 

 逃げることを優先するのか、それともこのままマリネッタを無力化させてしまうのか。

 その二択を問われ、リリアーナが選んだのは前者。

 

「今のうちに逃げましょう。手負いの獣を相手にすべきではありません」

 

「よし、じゃあ追跡妨害くらいはしておこうか。野生動物のように鼻が利くなら、効果は薄い気もするけど」

 

 “目をつぶってな”――リリアーナたちだけに聞こえるようそう告げると、光華は落ちていた手ごろな石を拾い、マリネッタへと投げつける。

 その速度は大したものではなく、呪いに侵されたマリネッタの体でも、簡単に避けられる程度のもの。

 しかしマリネッタが避けようとしたその瞬間、何の変哲もないはずの石が強烈な光を放ち始めた。

 

『グッ……! 閃光弾(スタン)!?』

 

 光華の異能により、光を放つただの石。その石をしっかりと直視してしまったマリネッタは、一時的に視力を奪われる。

 

「よし、今だ。リリアは蛇塚くんを頼む。ボクが烏丸さんを背負うから」

 

「わかりました」

 

「そういうことだから。烏丸さん、逃げるよ」

 

「目があぁぁぁぁ……」

 

「目をつぶれって言っただろ!」

 

 忠告されたにもかかわらず、石を凝視してしまった烏丸。

 そんな姿にあきれつつ、光華は烏丸を背負い、その場から離脱する。

 幸いにも、マリネッタがすぐに追いかけてくる様子はなかった。

 

「それで、どこに向かう?」

 

「とりあえず学園に向かいましょう。『魔導王』のお膝元であれば、彼女たちも手を出してこないはずです」

 

 リリアーナの提案を採用し、四人は学園へと向かう。

 その道中、肩を借りながら走る蛇塚が、肩を貸すリリアーナへと小さな声で尋ねた。

 

「お前……、オレらが助けに入らなかったらどうするつもりだったんだよ。いつもの護衛はどうした」

 

「……相手がマリネッタ(獣人)だとわかっていましたから、むしろ危険だと思ったんです。近くで待機させておけば、臭いでバレてしまいますので。……ならば、コーネの救出に全戦力を投入すべきだと判断しました」

 

「じゃあお前、ガチで護衛も付けずにあそこにいたのかよ。いくら人質を取られてたとはいえ……」

 

「とにかく時間がありませんでしたから、ほとんど出たとこ勝負の作戦でした。なんとかして一人で時間を稼ぐつもりでしたが、想定が甘かったですね。あなた方が助けに入ってくださらなければ、今ごろ私は殺されていたでしょう。また後で、改めてお礼を言わせてください」

 

「いや……、別にそれはいいけどよ……」

 

「人の上に立つものとして、最悪の判断であることは認めます。しかしコーネを見捨てることは、私にはできませんでした。……私は、王になるべき人間ではないのでしょうね」

 

「……」

 

 それはいつも自信に満ち溢れたリリアーナが、初めて蛇塚たちに漏らした弱音。

 その弱音を聞き、なんとか気の利いた言葉をかけようとした蛇塚だが、すぐに諦める。

 そこで蛇塚が発したのは、なぐさめの言葉や励ましの言葉などではなく、同意の言葉だった。

 

「そうだな」

 

「……」

 

 あまりにも素直すぎる返しに、リリアーナは反応に困り、思わず苦笑いを浮かべてしまう。

 そんなリリアーナに対し、蛇塚は言葉の続きを告げる。気を利かせるつもりなど微塵もなく、本心からの素直な言葉を。

 

「まあ、王族としては見捨てるのが正しいかもしれねえけどよ……。少なくともオレは、そんなやつを友人(ダチ)だなんて呼ぶのはまっぴらごめんだ。大切な相手のために、後先考えずに動いちまう――そんなバカじゃねえと、オレは友人(ダチ)と呼ぶ気はねえよ。たとえ“役”であろうともな」

 

「もちろん、ボクも同じだよ」

 

 二人の会話に聞き耳を立てていた光華も、蛇塚の言葉に同意する。

 

「アキー、ナッツ……」

 

 そんな二人の言葉を受け、リリアーナはまた苦笑いを浮かべた。

 

 

 もしここに、主人の機微を正確に把握できる優秀な使用人がいれば、きっと即座に看破していただろう。

 リリアーナのその笑みが、心の奥底からあふれ出したものであることを。

 

 

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