魔法や異能が存在しても、主人公になれるかどうかは別の話 作:考える人
虚偽世界――それは万物に宿る無属性の魔力を、己のものに塗り替える高等技術。
一時的かつ限定的ながら、世界そのものを欺き、思うがままに改変する力であり、魔法や異能における一種の最奥。
雪春と違い、冬二や茜が『
学生ながら戦闘経験豊富な二人は、虚偽世界を使用する異能者との戦いも、当然のように経験済み。
しかし
「……嘘でしょ?」
視界を白く覆い尽くす、圧倒的な質量の雪に。
技の規模、効果範囲、そして魔力の改変強度。
摩耶の発動したその虚偽世界は、二人が以前に見た
それは正しく、世界を改変する力。
「……っ! 雪春ッ!」
数メートル先の景色すら把握できないその降雪の中で、茜は雪春の名を呼ぶ。
冬二の安否は問題ない。彼が持つ『異能を無効化する力』は、虚偽世界にも有効であることがわかっている。
だからこそ、茜にとって目下の心配事は雪春だった。
「どこにいるのよ……!?」
急激に体温が奪われていくなかで、すぐ隣にいたはずの雪春の姿が見つからない。
真夏の炎天下に発生するホワイトアウト。炎系統の異能を持つ自分とは違い、対抗手段を持たない雪春は無力同然。
茜の脳裏に、最悪の結果がよぎったその時――
「茜さん!」
雪春がその姿を見せたことで、茜は思わず安堵のため息を漏らす。
「よかった、無事だったのね」
「うん、でもこのままじゃまずい。一刻も早く冬二と合流しないと」
「ええ。雪春、私から離れないようついてきて」
そう告げると、茜は自身の周囲に複数の炎を生み出し、既に積もり始めている雪を溶かしつつ、視界の確保を同時に行う。
虚偽世界の効果範囲内にいるため、体外の魔力コントロールが困難を極めるなかで、茜は神経を研ぎ澄ましながら一歩ずつ進んでいく。
「……茜さん! あれ、冬二たちじゃない!?」
「ッ!! よかった……」
しばらく歩くと、二人は無事、冬二のもとへとたどり着く。
するとそこには、冬二を中心とした半径数メートルほどの範囲に、ありのままの世界を保持した空間が広がっていた。
それはもちろん、冬二の力によって生み出されたもの。
その空間の中には、摩耶にやられた学生たちも避難しており、虚偽世界の猛威から逃れている。
しかし、その力を行使する冬二本人は、その場で膝をつき、尋常ではない量の汗を流しながら、一目見てわかるほど顔を青く染めていた。
「冬二!?」
胸を押さえて苦しむ冬二を見て、茜はすぐさまその傍へと駆け寄る。
そして安否を問いかけるも、返事が返ってくることはない。冬二はただ、息を荒くするばかり。
なぜ急に?――そう考えたところで、茜は思い直す。むしろ、今まで平気だったことの方がおかしいのではないかと。
拳聖祭が始まってから、個人戦に団体戦と、冬二はその全てで勝ち上がり、数多くの試合をこなしている。
さらに試合以外でも、とある国の王女を助けたり、
いつ訪れても不思議ではなかった限界の時が、たった今訪れたという、ただそれだけの話。
それでも、冬二が異能の行使を止めないのは、皆を守らなければならないという使命感ゆえに。
やめるよう言ったところで、聞く耳を持たないことはわかっている。だからこそ、茜は悔しくて仕方がない。
茜だけではない。冬二を助けに来たはずが、冬二に助けられている他校の学生たちも、同じ思いを抱いていた。
彼らはみな才能に満ち溢れ、学園を代表する異能者であり、いずれ国を背負うことが期待される、まさに光る原石たち。
しかしたった今、彼らの目の前で猛威を振るうのは、
セーラスのボス、黄楼炎のトップ、冥界王、知喰王、退廃王。
雪でその姿を捉えることはできない。ただ姿を見ずとも、時折弾ける魔力の奔流を感じとるだけで、深く理解してしまう。
目の前で繰り広げられるその戦いは、遥かに次元の違うものであることを。
その場から動くこともできず、冬二に守られながら、茜たちはただ自分たちの無力さを噛み締めていた。
そんな茜たちを守り続ける綿谷冬二の姿を、鋭い目で見つめる渡谷雪春。彼一人を除いて。
――――――
「冬二くんって、異能の使い方が大雑把だよね」
「……え?」
それは、拳聖祭が始まるよりも少し前のこと。
力を付けるため、訓練を行う冬二に対し、指導者である
「大雑把……ですか?」
「うん。君と似たような異能持ちの人を知ってるけど、その人はもっとグラデーションがあったからさ」
「グラデーションって、この『異能を無効化する力』に?」
「うーん……、その認識からして齟齬があるんだよね。私からすると君の能力って、『無効化』じゃなくて『弱体化』が本質だと思うんだよ」
「……?」
続けられた登坂の言葉に、冬二は思わず首を傾げる。
その異能は『無効化』なのだと、かつて
「分かりやすく例えると、スイッチがオンオフしかない感じかな。出力調整ができないせいで、常に0か100しか出せない……みたいな」
「……100が出せるなら、何の問題もないんじゃ?」
「狙って出せるならね。意図して100を出すのと、100しか出せないは全く違うよ。後者は『自分の異能をコントロールできません』って言ってるようなものだから。繊細なコントロールが可能になれば、出力だけじゃなくて効果範囲や効果対象も、ある程度コントロールできるはずなんだよ」
「…………」
理屈は理解できる。しかし感覚としてはまるで理解できない。
そもそもの話、冬二は自身の『異能を無効化する力』に対し、コントロールするという発想すら持ったことがなかった。
「力を使う時、普段どういったことを意識してる? 感覚的なものでいいから」
「えっと……、こう、扉みたいなものがあって、力を使う時にそれをこじ開ける、みたいな……」
「……扉、か。なんだか封印を解くような感覚だけど……。うーん…………」
登坂はしばらく口を閉じて考え込むが、ふと何かを思い出したように目を見開く。
「そういえば、前に
「はい、入学前と……あと入学してからも何度か」
「その時とかに、何か異能について言及されたりしなかった?」
「……いや、何も。指導自体はめちゃくちゃスパルタなんすけど、無効化能力に関してだけは『そのままでいい』としかいつも言われなくて。……それに、俺の異能が『無効化』だと教えてくれたのも、
その言葉を聞き、登坂はブツブツと小さくつぶやきながら、また深く考え込む。
「……美咲は知ってるはずなんだけど……。もしかして……、敢えて黙ってる?」
「……? すみません、よく聞こえなくて……」
「あ、ううん。なんでもないよ。まあ今日のところは、身体強化の練度を上げていこうか。どちらにせよ、無効化能力は大会での使用が禁止されるって話だし」
「はい! よろしくお願いします!」
――――――
時は戻り、現在――
白く染まる光景を前に、冬二はかつての出来事を後悔する。
なぜあの時、もっと己の力について理解を深めようとしなかったのかと。
能力を無効化できる範囲が、今よりも格段に広ければ。
能力を無効化する対象を、敵だけに細かく設定することができれば。
もっと、もっと、もっと――
『カチャリ』
どこか遠くから、音が鳴る。
「冬二! 大丈夫!? 冬二!」
「冬二くん! 私たちなら大丈夫だから無理しないで!」
「トウジッ!」
茜たちの必死の声も、冬二には届かない。
溜まりに溜まった肉体の疲労に、止まることのない謎の頭痛。
今にも意識を手放しそうになる中で、冬二を支えるたった一つのそれは、友人や仲間を傷つけさせないという鋼の意思。
守る、守る、守る。雪春やみんなを、絶対に――――
『カチャリ』
また、どこか遠くから、音が鳴る。
「ぐっ……! クソッ、また……!」
その音は、もはや聞き慣れたものだった。
ここしばらくの間、冬二はずっとその音を聞き続けている。
まるで、鍵のかかった扉を無理やり開こうとするような、不思議な感覚。
試合や戦いで、限界まで力を振り絞り、さらにそこから先へと進もうとした時、必ずその音は聞こえてくる。
教師である立花からは『気にするな』と言われ、指導者である登坂とは連絡が取れず、音の正体は未だ不明のまま。
しかし、冬二は本能的に理解していた。音の先にある
それが吉と出るか凶と出るかは未知数。ただ、今の冬二は藁にもすがる思いだった。
このまま何もできず、ただ力尽きてしまえば、茜たちは化け物の引き起こす災害に巻き込まれ、命の危険に晒される。それだけは絶対に許されない。
この最悪な状況を、なんとか好転させる一手を――
呼吸が苦しくなる中で、見えざる藁へと必死に手を伸ばす――その時だった。
『なんだか
冬二が思い出したのは、訓練の際に、登坂が発した何気ない一言。
「…………」
もしも、本当に封印なのだとしたら?
正体不明の何かが、自分の力を押さえ込んでいるのだとしたら?
根拠はない。しかし、心のどこかで確信している自分がいる。
その封印を解ければ、きっと――
「
「……え?」
誰かの人差し指が、冬二の心臓付近に添えられる。
顔を上げ、指差した人物を確認する余裕すら、今の冬二には残っていない。
冬二はただ、ほんのわずかに残った力を振り絞り、能力を発動する。
もっと、効果範囲を絞るように。
誰かの指が指し示すその場所を、ピンポイントで。
『ゼロ式――』
その瞬間、冬二の意識は暗転する。
「……雪春?」
完全に意識を手放すその直前、戸惑うような茜の声が、聞こえた気がした。
――――――
「……ここは?」
気がつくと、冬二は真っ暗な空間に立っていた。
そこは、ただ暗く、ひたすらに黒い。
そして目の前には、『黒い女』が立っており、こちらと向き合っている。
「誰だ……?」
「…………」
黒い女から、返事が返ってくることはない。
ふと、冷静になって辺りを見渡せば、大勢の者たちが、向かい合う自分と黒い女を囲んでいる。
そちらは黒い女のように、顔が見えないわけではなかった。
人種も、性別も、年齢すらも関係なく、多様な容姿の人物たちが、冬二にその視線を向けている。
ここが一体どこなのか、彼らが一体誰なのか。自分がなぜ、ここにいるのか。何一つとしてわからない。
「…………」
「…………」
しかしそれでも、かけるべき言葉だけはわかっていた。
求めるべきものだけは、忘れていなかった。
冬二はゆっくりと口を開き、力強い目で『黒い女』へと告げる。
「みんなを守るための、力が欲しい」
「…………」
カッテニ、ツカイナサイ――
そんな言葉が聞こえた次の瞬間、目の前にいた黒い女は、忽然と姿を消していた。
そしてそれと同時に、冬二の立つその足元が崩れ落ちていく。
足場をなくし、自由落下を始める冬二。
そんな冬二の姿を、一人の男がじっと見つめていた。
どこか悲しげで、どこか嬉しそうな、複雑な表情を浮かべながら。
――――――
「………………なに?」
命がけの戦いに身を投じていたその時、摩耶が感じ取ったのは、爆発的に膨れ上がる濃密な魔力。
そして同時に湧き上がる、吐き気を催すほどの嫌悪。
次の瞬間、世界に貼り付けられた摩耶の嘘が、急速に剥がされていく。
「ッ!?」
激しい降雪がピタリと止み、視界はクリアに。
その突然の異常事態に、摩耶だけでなく、戦いに身を投じていた全ての者たちの動きが止まる。
そして彼ら全員が瞳に映したのは、虚ろな表情で立ち上がる綿谷冬二の姿。
「まさか……!?」
全てが、揃っていた。
周囲の想定を超える成長速度。
異能の核心を見抜く指導者。
『白い女』を視界に捉えたこと。
手本となるべき到達者たちの存在。
なぜか懐かしさを感じた雪景色。
そしてさらに、摩耶の慣らし、および偶発的な事故によって生み出された、過剰なほど
全てが、整えられていた。
『黒』が完全顕現する、その道筋が。
綿谷冬二の左半身が、黒い何かに覆われていく。
「あ、アア……、ガッ…………あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ!!!!」
冬二の叫びに、摩耶を含めた強者たちは身構える。
彼らは知っていたのだ。今の綿谷冬二は、取るに足らない学生などではなく、自分たちの命に手をかけるほどの、明確な脅威であると。
「やってくれたね、レイさん……」
そして同時に、彼らは一つの真実へとたどり着く。
魔導王によって秘匿され続けた、全ての前提が裏返る事実、それは――
――綿谷冬二は、現人神ではないということ。
継承者により引き出される百パーセントの黒が、到達者たちを地へと堕とす。