平治side
東京で未曾有の大災害が起きてから、3日後。
無事診察を終えて、いよいよ今日退院する事になった。
俺が病院の廊下の自販機で飲み物を選んでいた、その時だった。
「あの…すみません。次、使いたいんですけど…」
「えっ?あっ、ごめんなさ……」
振り向くと、点滴を腕につけた小柄な女の子が、車椅子に乗っていた。
顔以外の全身に包帯を巻いていて、どう見てもボロボロだけど、顔だけは異様に綺麗だった。
漆のような黒髪、長い睫毛に縁取られたつり目、ルビーのような真紅の瞳、陶器のような白い肌、小さな薄桃色の唇。
全てのパーツが完璧なまでに調和の取れた比率で位置している、絶世の美少女がそこにいた。
まるで精巧に作られた人形みたいだと思った。
だけど俺が一番気になっていたのは、そこじゃなかった。
…どうしてかな。
俺はずっと、この子に会いたかったような気がする。
「……えっと、どっかで会った事あったっけ?」
「…?さぁ…」
俺が尋ねると、女の子はきょとんとした様子で首を傾げる。
「というか…その怪我で動いて大丈夫なの?」
「ああ…実は私、脱走してきたんです……病室、戻りたくなくて…」
俺が尋ねると、女の子は苦笑いを浮かべながら語った。
脱走してきたって…
そんなに診察受けたくないのか?
…というか、どう見ても1人で動き回れる怪我じゃないと思うんだが。
「あっ、怪我ならご心配なく!私、身体の丈夫さは父親譲りみたいなので…」
「…………」
やっぱりこの子、どこかで見た事ある気が……
どこで見たんだっけ…?
…あ、思い出した。
「…君の父親って、もしかして朱雀?元格闘家の」
「えっ、父をご存知なんですか…?」
「ご存知も何も、ファンだったからな。だって日本のレジェンドだぜ?何か目元が似てる気がしたからもしかしてって思ったんだけど…君の言葉を聞いてピンと来た」
「はぁ……」
俺が言うと、女の子はぱちくりと瞬きをした。
朱雀といえば、日本人で初めてヘビー級の世界チャンピオンになった、格闘技界のレジェンドだ。
俺も子供の頃は、朱雀のファンだった。
事故で後遺症を負ったせいで引退しちまって、もう14年が経つけどな。
この子には、目の色味とか、どことなく外国人っぽい顔つきとか、何か朱雀と似た要素があるし、この大怪我で病室から脱走してこられたのも、朱雀の娘だというなら納得だ。
朱雀の子供が生まれたのは、朱雀が引退してすぐの事だったし、その子が無事に成長しているのだとしたら、この子くらいの歳のはずだしな。
あの鬼神の如きオーラを纏った巨漢の娘なんて、どんなイカつい女かと思ってたけど…
あの覇王が、こんな可憐な子の父親だったとは、正直意外すぎるな…
「オレ…平治。君は?」
「…火鶴。小鳥遊火鶴です」
俺が尋ねると、女の子は少し恥ずかしそうにはにかみながら名乗った。
火鶴ちゃん…何かいい響きだ。
「火鶴ちゃん…か。何飲みたい?オレ奢るよ」
「えっ?いやいや…私達、初対面ですよ?いきなり奢るって言われても…」
「いいから。せっかくだし、ちょっと話さない?病室に戻るまでの時間稼ぎって事で…」
俺が言うと、火鶴ちゃんは俺を警戒したのか、俺をじっと見つめながら車椅子の車輪を掴む。
……しまった。
そりゃあ、初対面の男にいきなり『奢る』とか『一緒に話そう』とか言われたら、警戒するよな。
「……ごめん。いきなりこんな事言われたら、そりゃあビビるよな」
「いえ…別にそういうわけじゃありません。あなたの事は、信用できそうな気がしますし…何だか今は、あなたの事をよく知りたい気分なんです。ただ、奢っていただくのはやっぱりナシでいいですか?今会ったばかりの人に奢られるのは…その、申し訳ないというか…ちょっとハードルが高いというか…」
そう言って火鶴ちゃんは、小銭入れから100円玉を取り出して、リンゴジュースを買った。
車椅子に座っていて自販機のボタンを押しにくいだろうと思ったから、『押そうか?』って聞いたら、火鶴ちゃんは『大丈夫です』とだけ答えて、車椅子から立ち上がってボタンを押した。
その後、人通りの少ない廊下のベンチに座って、2人で飲み物を飲みながら一緒に話した。
「…あれ?このジュース、『つがる』かな」
火鶴ちゃんは、一口ジュースを飲んでから、ポツリと呟いた。
もしかして、リンゴが好きなのかな?
「火鶴ちゃん、リンゴ好きなの?」
「え?あ、はい。私、父は青森出身で、母の実家は長野の方にあるんです。どっちもりんごが名産だから、それでなのかな…」
俺が尋ねると、火鶴ちゃんが笑顔を浮かべて答える。
そういえば、沙由に貰ったリンゴがまだあったっけ。
「お見舞いにリンゴ貰ったんだけど、よかったらあげようか?」
「いいんですか?」
「好きな人に食べてもらった方が、リンゴも喜ぶんじゃないかな」
「…ありがとうございます」
俺が言うと、火鶴ちゃんはさらに笑顔になった。
何か…可愛いな。
火鶴ちゃんは、リンゴの話になるといきなり饒舌になった。
アップルパイにするならどの品種がいいかとか、リンゴの皮は眼精疲労や生活習慣病の予防に良いとか、Appleのロゴマークの話とか、色々話してくれた。
リンゴが好きなだけあって、リンゴにメチャクチャ詳しかった。
人見知りなのかなって思ったけど、案外そうでもないらしい。
それどころか、中学生とは思えないくらい頭のいい子だった。
尚の事、どうして病室から逃げたりなんかしたのかが気になってしまった。
「……あのさ。何で病室から逃げ出してきたのかって…聞いてもいい?」
「…………」
俺が尋ねると、火鶴ちゃんは眉間に皺を寄せながら俯く。
「…私、継父が嫌いなんです。あの人、ただでさえ他の患者さんが大勢入院してるのに、私を傷一つ残らず治せって主治医の先生に怒鳴りつけるような人で…でもそれは、決して私に愛情があるからじゃなくて、ただ単に私が傷物になるのを恐れていただけなんです」
「傷物…?」
「継父は、父と母が離婚した後、母と結婚してウチに婿入りしました。あの人は、とにかく自分がNo.1じゃなきゃ気が済まない人で…母と結婚したのも、母の実家の家柄と財産が目当てです。だけど他所者である以上、家督を継げないから、まだ子供の私をお得意の人心掌握で操り人形にして、実権を握ろうって魂胆なんだと思います。あの人にとって、私や母は、ブランド物のバッグみたいなものでしかないんです」
そう語る火鶴ちゃんの表情は、どこか哀しげだった。
「………火鶴ちゃんは、お継父さんのやってる事、正しいと思うの?」
「…そりゃあ、『何で私ばっかり』とか、『こんな事やってて何の意味があるのかな』とか…思う事はありますよ…でも、本人には言いません」
「どうして?」
「そもそも母が父と離婚したのは、私のせいなんです。私が人を傷つけたせいで、父と母が大喧嘩して…私は、大好きだった父が去っていくのを、引き留めませんでした。だからこれは、当然の報いなんです。むしろ、高い学費を払って私立の中学に行かせてくれて、習い事や部活もさせてもらって、曲がりなりにも親としての務めを果たしてくれているから、ちゃんと感謝しないと…」
そう語る火鶴ちゃんを見て、俺は締めつけられるように胸が苦しくなった。
まるで、昔の自分や、父さんを見ているようだったから。
親の支配っていうのは、いつまでも子供の心を蝕み続ける。
火鶴ちゃんは、既に継父に洗脳されかけてる。
『感謝しなきゃいけない』、『労らなきゃいけない』って思い込んで、親の間違いから目を逸らそうとしている。
「死の淵を経験して、同じ病室の人達が私の話を聞いてくれて…見える景色が変わったんです。もう、それで充分だから…もっと、大人にならなきゃな…」
「それは違うよ」
俺は、火鶴ちゃんの言葉に反論した。
すると火鶴ちゃんが、顔を上げて俺の顔を見た。
「え…?」
「親を悲しませたくないからって黙って言う事を聞くなんて、そんなのは『大人』じゃない。それはただの、『聞き分けのいい子供』だよ。君だって、本当はわかってるんだよね?親が間違った事をしてるって事は」
「そ…れは……」
「間違いを間違いだって言えるようになる事が、本当の意味で『大人になる』って事だとオレは思うな。本当は、『親の言う事聞いて何の意味があるの?』って思ってるんだろ?だから脱走してきたんだろ?だったらそれを、本人に直接言えばいいんじゃないのかな?」
「………」
俺が言うと、火鶴ちゃんはまた俯いて口篭った。
…ここはひとつ、助け舟を出してやるか。
「大丈夫。『君』は、何も間違ってない」
俺は、火鶴ちゃんの手を取って言った。
「君は、君の正しいと思った道を突き進めばいい。どうしても迷ったり、誰かに圧し潰されそうになった時は、自分にこう言い聞かせろ。『私は、この世の誰よりも強い』」
「………!」
俺が言うと、火鶴ちゃんは僅かに目を見開く。
火鶴ちゃんは、少し俯くと、唇をモゴモゴさせた。
「お継父さんと、ちゃんと話し合えそう?」
俺が尋ねると、火鶴ちゃんはコクリと頷く。
「じゃ、頑張って」
俺は、ベンチから立ち上がって、その場から立ち去ろうとした。
するとだ。
「あの…!」
火鶴ちゃんが、俺を呼び止めた。
振り返ると、火鶴ちゃんが俺に頭を下げながら言った。
「お話聞いてくださって、ありがとうございます。えっと…もし迷惑じゃなかったら…連絡先、聞いてもいいですか?」
「もちろん。これ、オレの連絡先」
俺が連絡先を書いた紙をちぎって渡すと、火鶴ちゃんはパァッと満面の笑みを浮かべる。
火鶴ちゃんは、俺が渡した紙を半分にちぎって、白紙の方の切れ端に自分の連絡先を書いて、俺に返した。
…何だろう。
うまく言えないけど、何だかこの子には、幸せになってほしい。
その為に俺にできる事は、できたかな。
「火鶴ちゃん!!こんな所にいたの!?探したのよ!!」
「お、お母さん…」
後ろから声が聴こえたので振り向くと、火鶴ちゃんと同じ色味の綺麗な黒髪をアップにした中年女性が、火鶴ちゃんに話しかけていた。
きっと火鶴ちゃんの母親だ。
俺は2人から見えない位置から、そっと2人の様子を窺った。
「ダメじゃない、お医者さんに絶対安静って言われてたでしょ!?傷口開いたらどうするの!?」
「…ごめんなさい」
「飲み物が欲しいなら、言ってくれれば買ってあげるから!もう1人で勝手にどっか行っちゃダメよ!」
「……はい」
火鶴ちゃんの母親は、火鶴ちゃんを叱って、火鶴ちゃんの車椅子を押して病室に戻ろうとした。
すると、その次の瞬間だった。
「火鶴!!お前、こんな所で油を売っていたのか!!」
タキシードを着た男が、ズカズカと火鶴ちゃんの前に来た。
男が来ると、火鶴ちゃんの表情が強張る。
「お、お
「よくも私の顔に泥を塗ってくれたな!!この、親不孝のバカ女が!!」
男は、火鶴ちゃんの胸ぐらを掴んで怒鳴りつけた。
…なるほど、あれが火鶴ちゃんの継父か。
「勉強もせずにこんな所で時間を浪費して、人として恥ずかしくないのか!?この大事な時期に隕石なんぞに巻き込まれやがって、おかげで4日も無駄になった!!その上、身体中にこんな傷を残しやがって!!縁談が白紙になったらどうしてくれるんだ!!」
継父が火鶴ちゃんに向かって怒鳴ると、火鶴ちゃんは継父を不満そうな目で見る。
すると継父は、額に青筋を浮かせて火鶴ちゃんを怒鳴る。
「…何だその目は?子が親に逆らっていいとでも思っているのか?誰が学費を払って、お前の為に家庭教師を何人も雇ってやって、何不自由ない暮らしをさせてやってると思ってる!?お前がどれだけ私に迷惑をかけているのか、わかっているのか!?その頭の悪さは、野蛮な父親の遺伝か!?」
継父は、火鶴ちゃんに向かって、親としてあるまじき発言をした。
すると火鶴ちゃんの母親が、継父を止めに入る。
「あなた、もうやめて!火鶴ちゃんは反省してるんだから、もう許してあげて!それにもし、傷に響いたら…」
「お前は一体、何様のつもりだ?」
継父が、母親をギロリと睨みつける。
その目を見て、母親はビクッと身体を跳ね上がらせた。
「お前のような無能なクズでも、名家の血筋だから結婚してやったんだ。娘が他の男との子供で、まだ良かったよ。お前との子供だなんて、考えただけでゾッとする」
継父が言うと、母親は顔面蒼白になって言葉を失う。
するとその時、通りかかった看護師さんが仲裁に入った。
「あの、他の患者さんにご迷惑なので、院内の喧嘩は…」
「うるさい!!」
「キャッ!!」
継父は、仲裁に入った看護師さんの頬を張った。
看護師さんは、カルテを床に落として、その場に倒れ込んだ。
「私は今、家族と大事な話をしているんだ。お前ごとき、私がその気になれば今すぐにでも働けなくしてやれるんだぞ。看護師の分際で、人の家庭事情に首を突っ込むな!!」
継父が怒鳴ると、看護師さんはビクビクと怯えながら、床に落ちたカルテを拾う。
それを見て継父は舌打ちをしてから、再び火鶴ちゃんの方を見た。
「また、くだらない事に時間を浪費した…すぐにでもロスした分を取り戻さねばな。いいか火鶴、今日から、食事と睡眠以外の時間は勉強しろ。こんなくだらない事に使っていい時間なんか、1秒たりともないんだ。お前には、人の上に立つ義務がある。一番、完璧、それ以外に何の価値もない。それだけがお前の存在意義なのだからな」
継父は、火鶴ちゃんの胸ぐらを掴んで、そう言った。
その言葉を聞いた火鶴ちゃんは、僅かに目を見開いた。
◆◆◆
火鶴side
『もう一度チャンスを下さい』、父と母が離婚した後、母はそう言って祖父に泣きついていた。
その後母が連れてきたのが、今の私の継父だった。
私の家は、それなりに歴史のある名家だ。
兄妹の中で一番立場が低かった母は、兄と姉にいじめられ、弟にもバカにされ、家には居場所がなかったと言っていた。
だけど14年前の事故で、私達次女一家以外の3家族が全員死んで、父も後に遺る程の重傷を負った。
結局生き残りは、それまで相続権とは無縁だった母と、当時生まれてすらいなかった私だけになってしまった。
その私がいじめっ子に重傷を負わせたから、祖父は、そもそも母が父と結婚したのが間違いだったとか、伯父に家督を継がせるつもりでいたからあんな男でも結婚を許しただの、父の名を出して母を非難した。
母が父に離婚を切り出したのは、祖父に圧力をかけられたのもあったんだと思う。
母は、自分の監督不行届を祖父に許してもらう為に、継父と結婚した。
そこからが、地獄の始まりだった。
継父に勝手に結婚相手を決められた時、あの人はこう言っていた。
『もしお前が私の本当の娘だったら、あんな奴を婿にするのを躊躇っていた。お前が実の子じゃなくて、本当に助かるよ』…親としてあるまじき発言だと思う。
あの人は、私の事を本当の意味で娘として見た事なんて、多分一度もなかった。
母の事は、嫌いになった事もあったけど、それでも恨む事はできなかった。
母も、自分の人生を壊された被害者だったから。
きっと祖父も、そうだったんだと思う。
だけど継父の事は、どうしても受け入れられなかった。
継父に恨みはないけれど、世界で一番、大嫌いだ。
それでも、継父の言う事は正しい。
継父のおかげで、私は何不自由ない暮らしができている。
今まで受けた恩に、報いなきゃいけない。
嫌いだし間違ってると思うけど、お継父さんを裏切りたくない。
…私は、どうしたらいいんだろう。
――どうしても迷ったり、誰かに圧し潰されそうになった時は、自分にこう言い聞かせろ。『私は、この世の誰よりも強い』。
ふと、平治さんが言ってくれた言葉を思い出した。
平治さんが言ってくれた言葉は、昔父が言っていた言葉と同じだった。
――パパは、自分より強い人とも戦ってたんだよね?怖くなかったの?
――…そりゃあ、怖かったさ。自分よりデカい奴を相手にしてるとな、怖くて、負けるかもって弱気になっちまう事もあった。その度に、自分にこう言い聞かせてたんだ。『オレは、この世の誰よりも強い』。
私は…
私は……
「お前のような無能なクズでも、名家の血筋だから結婚してやったんだ。娘が他の男との子供で、まだ良かったよ。お前との子供だなんて、考えただけでゾッとする」
継父は、母を否定した。
「私は今、家族と大事な話をしているんだ。お前ごとき、私がその気になれば今すぐにでも働けなくしてやれるんだぞ。看護師の分際で、人の家庭事情に首を突っ込むな!!」
あろう事か、私達の為に朝早くから夜遅くまで働いてる看護師さんに手を上げて、医療従事者を軽んじる発言をした。
――あたしね、大きくなったらヒーローになるんだ!そしたら敵からパパとママを守ってあげる!
――敵って?どんな人?
――んーっとね、パパとママとタッくんを傷つける奴とか、お外にゴミをポイする奴とか、あとはすぐ怒鳴る奴とか、かな。
お継父さんは…
お継父さんは……
“敵”じゃねぇか!!
「また、くだらない事に時間を浪費した…すぐにでもロスした分を取り戻さねばな。いいか火鶴、今日から、食事と睡眠以外の時間は勉強しろ。こんなくだらない事に使っていい時間なんか、1秒たりともないんだ。お前には、人の上に立つ義務がある。一番、完璧、それ以外に何の価値もない。それだけがお前の存在意義なのだからな」
そういってお継父さんは、私の胸ぐらを掴んだ。
その瞬間、私の中で何かが切れた。
――その猫被り、いい加減見ててイライラするからさ。一回全部ブッ壊してみたら?
――死にかけて、見える世界が変わったんだろ…?この期に及んで…まだ、親が怖ぇのかよ。
――大丈夫。『君』は、何も間違ってない。君は、君の正しいと思った道を突き進めばいい。
苣屋さん、韮木さん…平治さん。
今だけでいいから、ほんの少しだけ…私に勇気を下さい。
このクソ野郎を、思いっきりぶっ飛ばす勇気を!!
「くだらないのはお前だモラハラ野郎!!」
「がはっ…!!」
私は、お継父さんの首と腕を掴んで、背負い投げを喰らわせた。
私が背負い投げをすると、お継父さんは目を見開いて息を吐く。
「大丈夫ですか?」
「えっ、あ…はい…」
私は、さっきクソ野郎に叩かれた看護師さんの心配をした。
クソ野郎が、私を睨んでくる。
こうなったらもう、言いたい事全部言ってやる。
…大丈夫。
私は1人じゃない。
私は…この世の誰よりも、強い。
「お
「何……?」
「確かに、あなたが私に学費を払って、教育をして、何不自由ない暮らしをさせてくれている事には感謝してる。だけどそれは、あなたが望んでやった事だよね?私の父親になるのを、あなた自身が納得して、お母さんと結婚したんでしょ?私が一度でも、習い事や部活をさせてくれって言った事があった?あなたが私に、無理矢理やらせたんだよね?望む結果にならなかったからって、自分の意志で選んだ行動を私やお母さんのせいにするのは、都合が良すぎるんじゃないの?自分の行動にくらい、自分で責任持とうよ。もう
「貴様…子が親に楯突いていいと思ってるのか!?」
「私の事を娘だと思った事なんか一度もないくせに、都合が悪くなったら父親ヅラするの?それってさ、要は『財産と権力は欲しいけど、責任は負いたくありません』って事だよね?あとさ、やれ感謝しろだの恩を忘れるなだの、私には恩着せがましく言うくせに、私達の為に働いてくれてる主治医の先生や看護師さんには感謝しなくていいの?ダブスタもいいところだね」
私が理路整然と継父の間違いを指摘すると、継父は顔を歪ませる。
………あれっ?
さっきまであんなに怖かったはずの継父が、全く怖くない。
というかむしろ…自分が一番偉いと思い込んで威張り散らしてる子供に見える。
私は今まで、こんな奴の顔色を窺ってたんだ…
「私は、筋の通らない事が大っ嫌いなんだよ。この際だからハッキリ言わせてもらう」
私は、頭を下げて継父に言った。
「お継父さん、
私は、ハッキリと自分の意見を継父に伝えた。
私は、お継父さんの都合のいい操り人形じゃない。
こんな子供大人に、私の家の財産も、権力も、鐚一文もくれてやる筋合いはない。
「うるさい!!黙れ黙れ黙れ!!お前は黙って私の言う事を聞いていればいいんだ!!何の能もない操り人形が、私に楯突くな!!」
……そっか、お継父さん。
あなたも、そうだったんだね。
あなたも、愛情を与えられずに育ったんだよね。
正してくれる人が、いなかったんだね。
だからこんな簡単な間違いにさえ、気付かないんだね。
「母娘揃って、本当に救いようのないバカだな!!口で言ってもわからないなら、身体に教えて───」
そう言ってお継父さんが私の頬を張ろうとした、その瞬間だった。
誰かが、お継父さんの手首を掴んだ。
お継父さんの後ろに、190cmくらいはある大柄な男の人の影が見える。
お継父さんが振り向くと、そこには、私の本当のお父さんが立っていた。
「なっ…!?貴様…何故ここに…!?」
「火鶴が災害に巻き込まれて心肺停止したと聞いて、ここへ来たんだ」
お継父さんが狼狽えていると、お父さんが答える。
昔の事故で足を悪くしたお父さんは、もう片方の手で杖をついていた。
お父さんがお継父さんを止めると、お継父さんはお父さんをバカにし始めた。
「火鶴だと…?娘を碌に制御できずに家を追い出された無能の分際で、今更父親面しに来たのか?」
「……確かに、オレにはもう、䴇子と火鶴の家族を名乗る資格はない。だが、火鶴を授かったあの日からオレは、この子を守る為なら、たとえ火の中へでも飛び込むと誓った。お前がもし2人を傷つけるつもりなら、オレはお前を許さない」
そう言ってお父さんは、お継父さんを威圧した。
居心地が悪くなったのか、お継父さんは、捨て台詞を吐きながら去っていった。
お母さんは、いきなり現れたお父さんを、驚きの表情で見ていた。
「あ、あなた……」
お父さんは、お母さんを一瞥したかと思うと、今度は私の方に歩み寄ってきた。
そして私の身体を、優しく抱きしめてくれた。
「苦しい時、そばにいてやれなくてすまなかった。今まで、よく一人で戦ったな」
お父さんは、私を抱きしめて、頭を撫でてくれた。
こうやって抱きしめ合ったのは、いつ以来だっただろうか。
大好きなお父さんが戻ってきてくれた。
涙が、溢れて止まらなかった。
◇◇◇
「………で、その後、主治医の先生にお説教を受けました、と?」
「やっぱお前バカだろ」
「…そう言われると思ってました」
その日の夜、事の顛末を聞いた苣屋さんと韮木さんが、私を詰ってきた。
そりゃあ、3日前までトリアージ赤だった重傷者が、勝手に病室を脱走して大の大人に背負い投げかましたりなんかしたから…当然の帰結。
主治医の先生には、『次やらかしたら拘束帯つけるからね』ってやんわりと笑顔でお説教された。
…まあ、お継父さ…あのクソ野郎も、今回の件で病院を出禁になったから、脱走する必要もなくなったわけだけれど。
お説教を受けた後、私はある事をふと思い出した。
ずっと思い出そうとする機会すらなかった、遠い昔の記憶。
「…そういえば、韮木さん。私達、どこかで会った事あるって言いましたけど…思い出しました」
「あ?何がだよ」
「覚えてませんか?昔、河川敷で会いましたよね。10年くらい前だったかな…」
確か韮木さんが中学生か高校生くらいで、私が2歳か3歳か、それくらいの頃だったと思う。
私はあの時、河川敷でボロボロの韮木さんを見つけて、ハンカチを渡したんだった。
ちょうどあの頃、河川敷には、ボロボロで痩せ細った黒猫がいた。
あの頃の私は、ハンカチを渡したら怒鳴ってきた韮木さんに、ごはんをあげようとしても毛を逆立てて威嚇してきた猫を重ねて、猫が韮木さんになっちゃったんだと思ってたんだっけ。
「心停止したショックからかな…急に思い出したんです。私、あの時、てっきり韮木さんの事、いっつも河川敷にいた猫が人間になっちゃったのかな?って思ってたんです。真っ黒な服着てたし、素直じゃないところもそっくりだったから」
「何それ」
「今思えば、子供の発想ですよね」
私が言うと、苣屋さんが呆れるように笑ったものだから、私もつられて笑った。
すると韮木さんは、私から目を逸らしながら言った。
「…何の話、してんだお前…オレは…お前に会った事なんか、ねぇよ」
「声が一緒!」
韮木さんがとぼけるものだから、私が笑顔で指摘すると、韮木さんは『チッ』と舌打ちをした。
まるで別人のように見た目が変わった…というか全身を火傷してもはや誰だかわからない顔になった韮木さんだけど、昔と声の特徴が何となく似てる気がしたから、喋ってるうちにピンと来た。
私が韮木さんと話していると、苣屋さんが話しかけてくる。
「そういえば君、明日移動するんだってね」
「…看護師さんに聞いたんですね」
軽傷の患者さんは全員今日のうちに退院して病室に空きが出たから、私は別室に移る事になった。
最初は男2人に挟まれて気まずかったけど、何だかいざ2人と離れるとなると、寂しいような気がしなくもない。
「……あの、私達、退院するのまだまだ先ですよね。もし院内を自由に移動できるようになったら、またここに来てもいいですか?」
「別にいいけど…ここに来てどうするの?」
「苣屋さんって医大生なんですよね。もし迷惑じゃなければ、勉強を教えてもらえないかなって…」
私は、お継父さんが持ってきた参考書を、カバンの中から取り出しながら言った。
まだ傷も癒えていないって時に、既に高校生レベル…数学と英語に至っては、大学受験レベルの参考書を買い与えられて、今日から毎日10時間以上やれ、だなんて言われた時は、流石に頭おかしいんじゃないかと思った。
すると韮木さんが呆れたように口を開く。
「お前…モンペを追い出したんじゃなかったのか?まーたアイツの言いなりになってんのかよ…」
「あはは、違いますよ。これは、自分の為の勉強です。今まで何の為に生きてるのかわからない人生だったけど、ある人のおかげで、やっと自分の生き方を見つけられたんです」
「ある人って…?」
私が言うと、苣屋さんが尋ねる。
私は、早速携帯に入れた平治さんの連絡先を眺める。
初めて出会った時から、どういうわけか、ずっと平治さんに会いたかったような気がしていた。
あの人が私の背中を押してくれたから、私は変われた。
あの瞬間、私はあの人に恋をした。
何度目の恋かはわからないけど、平治さんを好きになった時、これが運命なんだと思った。
あんな気持ちは、生まれて初めてだった。
「私に、変わるきっかけを与えてくれた人です。私、思ったんです。あの人が、私の王子様で、神様で、ヒーローなんだって。こんな気持ち、初めてだから…また、どこかで会えるといいなぁ…」