「ここがトレーナー室ですか」
契約の翌日、私は横島トレーナーの部屋に来ていた。横島トレーナーの担当は私だけなので大きな部屋ではないものの、2人で使うのなら問題ない程度の広さだ。
何より素晴らしいのは私物を置くスペースがあることだ。寮の部屋は狭いせいでマンガやゲームを持ち込もうとも本棚一つ分などすぐに埋まってしまうだろう。それに、こっちならテレビにつないで大画面でのゲームが可能だ。
私がトレーナー室大改造計画を考えていると
「なかなかいい部屋だと思わないかい。前に使っていたトレーナーがもっと大きい部屋に移ったんだけど、その際にそれまで使っていたテレビとか小型冷蔵庫なんかを置いていってくれたんだよ。室内で使うモノとかあればそこの棚とか空いているから自由に使ってくれて構わないよ。」
というありがたいお言葉をいただいた。あとで寮に持ってこれなかったゲーム機をとりに帰ろう。
冷蔵庫の横の壁には大きなカレンダーが貼られている。それも1か月ではなく1年分の予定が収まるものだ。
「ああ、それは今後のレースやトレーニングの予定なんかが一目で分かるように貼っているんだ。もちろん正式なデビューは来年だから一年以上ある。それまではレースはお預けだけどね。」
私がカレンダーを見ているのを察して説明してくれる。
トレーニングか……レースは実際に走っている時間では5分に満たないのでそこまで嫌ではないのだがトレーニングとなると別だ。数時間に及ぶ持続した運動、こんなに恐ろしい言葉があるだろうか。
小学校の体育の授業ですらいかにバレずにさぼるかを考えていた私にとってまさしく恐怖である。
昨日配られた資料には授業の一環として教官によるトレーニングがあると書いてあった。
しかし、これはトレーナーがついていないウマ娘の場合であり、私の場合は横島トレーナーのさじ加減でどんなトレーニングをするかが決められる。放課後に行われるトレーニングと合わせてこのトレーナーとの交渉次第なのだ。
そんな私の決意と裏腹にトレーナーはいそいそと話題を振ってくる。
「出走するレースについてだけど、ウィーは何か希望するレースとかあるかな。私はウィーのトレーナーだから可能な限り希望をかなえてみせるよ。」
「えーっと」
うーん、急に言われても困る。
大きいレースというとダービーとか有馬記念とかいう知識はあるものの、目指す理由とか聞かれると答えようがない。
「まだ距離適性も完全には分かってないしゆっくり決めていけばいいと思うよ。小学生のときのデータはいろんな意味であてにならないからね。ただ、ウィーの才能ならどんなレース選択もできるってことだけは覚えておいて欲しいんだ。だからどんな希望をだしても問題ない!」
うーん。正直言えば推薦で入って恥ずかしくない程度の成績が残せればどこのレースであろうと大きな拘りはない。ただ、なんでもいいと言われたら一つだけ、一つだけ大きな希望がある。それは.....
「遠征はあんまりしたくないですね。」
「遠征?海外には行きたくないということ?」
「いえ、日帰りにならないレース、関西圏でのレースはできるだけ避けたいです。移動が体の負担になるので...」
考えてみて欲しい。レースがあるのは大体が土日だ。
従ってレースの前日もしくは翌日は普通に学校に通っているのだ。よってレースが終わってその日のうちに移動する、もしくは授業後に移動するかのどちらかが必要になる。
正直勘弁してほしいというのが素直な感想だ。
年に一回とかならギリギリ許容範囲かもしれないが、年に何回もそんな移動を繰り返すのは勘弁していただきたい。移動あり1回よりも移動なしの東京レース場で3回走った方がまだ楽だろう。
「……………………分かった。ウィーがそれを望むなら叶えるのがトレーナーの役目というやつだからね。」
「ありがとうございます。その他についてはトレーナーさんにお任せします。」
考えてみるとトレーナーとは実にありがたい存在だ。
どのレースにでるかだとかどのレースに出るためにはこのレースに勝つ必要があるだとかそういったことを全てやってくれるのだ。なんとか路線とかの説明はぼーっとしか聞いていなかったが、年齢、距離、路線ごとに取るべき方針の違いがあるみたいだ。
トレーナーの熱弁に押されてとりあえずの目標距離は中間くらいで東京でのレースが多いマイルから中距離ということになり、そうなると大目標のレースはダービーになるらしい。
ダービーと言ったら私でもすごさが分かるレースだし、そこを走れれば推薦入学としても十分だろう。両親も喜んでくれるに違いない。
三日目にもなるとトレセン学園の制服にもすっかり慣れてきた。ワンピースは女の子を意識しすぎるのもあってこれまで避けてきていたのだが、意外にも着やすくて気に入りつつある。まあ着やすいのは、体各部の膨らみが小さいためかもしれないが。
授業をぼーっとして過ごすと放課後に一旦帰宅し、一通りのゲームハードとソフト数種類、コントローラーの類をまとめる。いきなりの帰宅に母は驚いていたが、入学翌日にトレーナーがついたことを話したら非常に喜んでくれた。それはそうとしてゲーム機を持ち出すことには指摘が飛んできたが……
「今日からトレーニングを始めようと思うんだけど…… とりあえずジャージに着替えてこようか」
トレーナー室に向かうと制服から着替えていないことを指摘された。そういえばトレーニング時はジャージに着替えるんだった。普段から運動をしないのでこういう基本的なところが抜けている。
それにしてもトレーニングかーと憂鬱な気分で着替え始めると……
「ウィトルムペデス!!! あっ あの...」
トレーナーが顔を逸らしながらドアの方を指さした。ああそうか……こういうところも面倒だなと思いながら更衣室で着替えを済ませて部屋に戻る。
「よしっ、じゃあ今日のトレーニングなんだけど……とその前に一つ守ってほしいことがある。疲労や痛みを感じたら絶対に私に伝えて欲しいんだ。どんな場合でもそれらを感じたらトレーニングは中止にするからね。」
「はいっ」
なんと素晴らしいトレーナーであろうか、先ほどまでの憂鬱は一瞬で晴れてしまった。流石は私のトレーナーである。たった二日の関係でここまで最適解を出してくれるとは……要するに疲れたらやめていいよということだ。こんないいトレーニングがあるだろうか……。ほくほく顔でほころぶ私に向かってトレーナーが今日の分のメニューを書いていく。どれも漢字カナ混じりのよくわからない、もしくは脳が理解を拒むような文字列だがそれらは今は重要ではない。どうせ前半一つ二つで疲れることになるのだから。
トレーナーに促されるまま外に出てグラウンドに向かう。グラウンドにはトレセン学園が誇る大小多くのコースがあり、既にあちらこちらでウマ娘がトレーニングに励んでいる。明るい4月の太陽に照らされて若きウマ娘たちが切磋琢磨し、汗を流す。うん、私のいるべきところでないことだけは確かなようだ。
軽いストレッチをあまりにも柔軟な自分の体に驚きながら終えると、次は軽いランニングらしい。トレーナーの合図と共にスタートを切ると内ラチにそって走る。
こうして走るのはいつぶりだろうか。走りながら受ける風はそこいらの扇風機よりかは強力ではあるものの、それ以上に運動による発熱で熱い。
相変わらず意識しなくてもスムーズに動く手足から意識をそらし、車やバイク、電車から飛行機まで移動手段が充実している現代に走るだけの競技がどうして存在するのかという哲学的問題と向き合い始めたころようやくトレーナーの姿が見えてきた。
徐々に減速して近寄ると呆然とした表情から瞬時に心配の情を帯びた表情に変わる。何があったかは分からないがとりあえずはそれ以上の重大事項について報告する必要がある。
「トレーナーさん、ちょっと脚が疲れました。今日のトレーニングはこの辺で終わりでいいですか?」
そういうと勿論だとあっさりトレーニング終了の許可が出る。ただし、トレーナー室に帰ってからマッサージをすることも同時に決まった。それに関してはもちろん私も異論はない。運動から解放された後に、マッサージを受けながら遊ぶゲームほど素晴らしいものは存在しないだろう。ここにコーラかサイダーがあるとさらにいい。次からはトレーナー室の冷蔵庫に常備しておこう。
私はトレーニングに向かうときとは真逆のルンルン気分でトレーナー室へと向かうのだった。
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次回はトレーナー視点でも入れるかなあ。あともう少し進んだら登場人物紹介を入れようかと思います。
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