訓練場の喧騒が耳朶に響く。汗と土埃が入り混じった匂いの中、私は木剣を振るっていた。昨日のリミネスとの会話が尾を引いていたせいか、集中できていない。刃を合わせてもすぐに弾かれてしまう。
「ハァッ!」
ラミスの鋭い掛け声と共に横薙ぎの一撃が迫る。避けきれず右腕が痺れた。
「……痛てっ!」
思わず膝をつくと、ラミスが慌てて駆け寄ってきた。
「ごめん! 大丈夫?」
「平気平気」
立ち上がりながら腕をさする。剣士としては不器用すぎる私の動きに、ラミスが首を傾げた。
「最近ずっと様子が変だよ?」
ちょうどその時だ。
「全員集合だ!」
教官が手を叩き、私たちを整列させた。普段より硬い表情が気になる。
「重大な話がある。君達の担任であったアルファード先生の殺害容疑で、本日早朝に逮捕者が出た」
教官の言葉に訓練場が一瞬静まり返った。すぐさま生徒たちの口から驚嘆の声が漏れる。
「犯人……捕まったんですか!?」
「はあ、良かった」
皆がざわめく中、甲高い笑い声が上がる。振り返ると、ルメアが扇で顔半分を隠しながら嘲笑っていた。
「皆様ご存知?犯人は我が兄率いる部隊が捕縛したのですわ。おーほっほっほ!!」
彼女の高笑いが訓練場に響き渡る。分かりやすいお嬢様の高笑いだ。でもまあ、捕まったんなら安心か。これで不安要素は消えた。
教官は生徒たちの様子を伺いながら続ける。
「犯人は学校の清掃員として潜入していた男だ。詳細は公表されていないが……とにかく、事件は解決した」
事件解決の報告に、訓練場全体の空気が緩んだ。これでようやく安心して日々の主人公探しが出来る。
---
夕食時、食堂の掲示板の前に人だかりができていた。
「事件解決だって!よかったな!」
「犯人は誰なの?」
ざわめく生徒たちの間から掲示板を覗き込む。そこに書かれていたのは、事件解決の公式発表と、「カリーペン侯爵家の活躍」という見出し。
「これ完全にプロパガンダじゃん……」
掲示板を眺めながら呟いた。カリーペン家の名前が大きく掲げられている一方で、逮捕に直接関与したであろう騎士団の名前は小さく添えられていただけ。
「やっぱり貴族社会って怖い……」
掲示板の前から離れると、今度は廊下の奥で話し声が聞こえた。
「ルメアさんのお兄さん……さすがだわ」
「カリーペン家は宰相派でも最大勢力だからな」
「アルファード先生を殺した犯人が捕まってよかった」
事件解決は素直に嬉しい。でも貴族派閥の思惑が透けて見えると、どうも素直に喜べない自分がいる。寮に戻ると、日課の日記を取り出した。
王国暦296年10月10日
担任の先生が殺害された事件が解決した。犯人はカリーペン侯爵家率いる部隊が捕らえたらしい。これでようやく学校に平穏が戻る。良かった。でも、貴族社会の水面下の駆け引きを見せつけられた気がする。
次の日、私はリミネスと共に中庭の東屋にて課題の続きを進めていた。秋の日差しが柔らかく降り注ぐ。池のほとりに立つその東屋は、授業の喧噪からは隔絶された静かな場所だ。白い大理石のテーブルにノートを広げると、二人で作戦図案の修正作業に没頭した。
「ここが問題ですね。左翼を支える戦力を……」
リミネスがペンを動かす。その仕草は流麗で無駄がない。彼女の指先から生まれる作戦図は完璧に計算されているように思えた。さすがは公爵令嬢。戦術考案に関しても天才的とは。
「リミネスってさ……軍略についてやけに詳しいよね」
「ただの趣味です。父の書斎で古い戦史を読むのが好きだっただけですから」
彼女の微笑みに、ふと胸が熱くなった。この貴族社会の中で、彼女は自分の好きなことを貫いている。それは並大抵のことじゃない。
「あら!?リミネスさんでは無いですか!」
甲高い声が東屋の静寂を切り裂いた。振り返ると、金髪縦ロールの貴婦人が仁王立ちしている。ルメア・フォラアルド・カリーペンだ。その背後には取り巻きの令嬢たちが控えている。
「ご機嫌よう、本日もお綺麗ですわね」
ルメアは扇子で顔半分を隠し、嫌味たっぷりの笑みを浮かべた。その視線は明らかにリミネスを標的にしている。
「ルメアさん。ご機嫌よう。それで、何か御用ですか?」
リミネスの声は冷静そのものだ。感情の起伏を感じさせない淡々とした口調に、ルメアの眉がピクリと動いた。
「ええ、例の殺害事件。アリシア家が大きく調査に乗り出していたのに、何の手柄も出せず、結果カリーペン家が犯人を捕らえてしまったので、申し訳ないと思い、お詫びを申し上げに来ました」
挑発的な言い方だ。でもリミネスは眉一つ動かさない。
「おめでとうございます。素晴らしい成果でしたわね」
「……!」
ルメアの顔が一瞬歪んだ。しかしすぐに取り繕った笑顔を浮かべる。
「当たり前ですわ!カリーペン家は王国の守護者。当然の責務を果たしただけのこと!」
リミネスはただ静かに作戦図に視線を落とす。彼女にとってはどうでもいい話題なのだろう。
「ところで……」
ルメアが私の方を向いた。その目には明確な軽蔑の色が宿っている。
「レインさん?あなたのような下級貴族が、なぜリミネスさんに近づくのかしら?国を代表するアリシア公爵家のご令嬢に対して、分をわきまえない態度は困りますわ」
突然の矛先変更に驚いた。今の今まで散々馬鹿にしてたのに、よくもまあ国の代表だなんて言えたもんだ。
「別にいいじゃないですか。友達として一緒に課題をしてるだけですよ」
私の言葉にルメアは一層不快そうな表情を浮かべた。取り巻きの令嬢たちがクスクス笑う。
「友達?冗談ではありませんわ!リミネスさんは特別な存在。あなたのような……」
その時だった。
「ルメアさん」
リミネスの声が東屋に響いた。いつもと違って、その声には確かに感情が込められていた。
「私が誰と時間を過ごそうと自由です。あなたに指図される謂れはありません」
「なっ……!」
ルメアが絶句した。その目には怒りと屈辱が混ざっている。
「それに」
リミネスは優雅に立ち上がり、ルメアを真っ直ぐ見据えた。
「私はいつだって自分の意志で行動しています。誰の庇護も必要としていません」
その言葉はあまりにも真っ直ぐで、ルメアでさえ一瞬言葉を失った。私はその瞬間、確信した。
――やっぱりリミネスは違う。彼女は貴族社会という檻の中にいながらも、自分の道を歩んでいる。
「……まあいいですわ!せいぜい楽しく課題をなさいませ!」
ルメアは捨て台詞を吐くと踵を返した。なんだったんだいったい?
「すみません。私が一緒だったばっかりに。ご不快な思いを」
リミネスが申し訳なさそうに言う。だけど私は首を振った。
「全然。リミネスカッコ良かったよ」
彼女は少し照れたように目を伏せた。
「……あの人はいつも私をライバル視してるみたいです。アリシア家とカリーペン家は本来良好な関係なのですが」
そう言えば歴史学の授業でも聞いたことがある。かつて両家は国を支える両翼の様な存在だった。しかし、アリシア家が大きくなっていくにつれて、徐々に格差が出来てきたと。しかし、両家の当主はそんな世間体なんて気にせず良好な関係だ。まあ、恐らくルメアの一方的な敵視だな。あのお嬢様プライド高いし、自分よりも上のお嬢様が気に入らないんだろう。
「課題、続けましょうか」
「うん、そうだね」
静かになった東屋で、私達は再びノートにペンを走らせる。真剣に議論し合いながら、時にふざけてみて、笑い合う。何となく前世に経験した様な青春を感じた。
余談だが、私とリミネスの課題はクラスで最高評価を貰った。それにより益々ルメアの機嫌が悪くなった。