「諸君、おはよう」
訓練場には生徒たちが整列していた。教官が前に立ち、厳かな声で説明を始める。
「本日より課外活動を開始する。今回のテーマは『実戦環境下での指揮判断』。小隊単位で指定地域を巡回し、遭遇した脅威に対応する訓練だ。事前に我々で巡回し、諸君らの実力でも対応可能な地域を選んでいる。存分に実力を発揮してくれ」
つまり野外演習ということか。少し緊張してきたな。死ぬ可能性が0ではない。リミネスと目が合う。彼女も少し緊張しているようだ。
「班分けは事前に通達した通りだ。第一班は私に付いて来なさい」
教官の号令と共に生徒たちが動き出す。私はリミネスと同じ第三班。班長はリーガス・スパーダだ。
「レイン。改めてよろしく頼む」
リーガスが手を差し出してきた。その手を握り返す。
「こちらこそ。頼りにしてるよ」
ふっと微笑むリーガス。そんな彼の視線が一瞬だけルメアの方へ向かった。彼女は別の班のようで、今は取り巻きに囲まれている。
「彼女とは別の班でよかった」
リーガスが小声で言った。彼もルメアに相当うんざりしているようだ。
「そうだね。でも彼女のお兄さんは最近話題だし、彼女自身も活躍したがってるかも」
「やれやれ……」
苦笑するリーガス。班編成には他にラミスやリミネス、ナックルを含む計9人。
「では移動開始!」
教官の号令で第三班が動き出す。目的地は北の森。以前からゴブリンの目撃情報がある区域だ。
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「この辺りには洞窟が点在している。どこかにゴブリンの巣があるかもしれん」
リーガスが地形図を広げる。私たちは森の入り口で一旦停止し状況確認を行っていた。
「どこかにではなくて、全部巣の可能性は?」
「その可能性もある。だが……」
リーガスが言葉を紡ごうとした。しかし。
「静かに」
ラミスが突然手を挙げた。彼女の敏感な聴覚が何かを捉えたようだ。静寂が流れる。鳥のさえずり以外何も聞こえない。
「……聞こえる」
その言葉にナックルが顔を上げた。その鋭い瞳が森の奥深くを見据えている。
「ああ、音は聞こえんが、臭うな。血の臭いだ」
ナックルの鼻が微かに動く。野生動物じみた本能的な反応だ。
「リーガス。どうする?」
私が問うと、リーガスは一瞬だけ考える素振りを見せた。
「先遣部隊を送ろう」
彼の指示でラミスとナックルが先行することになった。私とリミネス、リーガス、その他4人の生徒は主力部隊として後方に待機する。
「気をつけてね」
「任せとけ」
ナックルがニヤリと笑い、ラミスと共に森の中へ消えていった。
僅か数分後。短い笛の音が2回聞こえた。ラミスが吹いた合図だ。それが聞こえると、リーガスは残った班のメンバーの顔を見て軽く頷く。それを合図に全員が武器を構えた。私も慌てて蛇行剣を構える。緊張が全身を包む。私達はゆっくりと2人の元へ向かう。
「来たね、リーガス」
ラミスは私達が近付くとすぐに声を掛ける。
「何かあったのか?」
「……」
リーガスが尋ねるも、ラミスは答えずにナックルを見る。ナックルは苦虫を噛み潰したような表情で地面を指差した。
「これは……ゴブリンの死体だな」
そこには3体のゴブリンの死体があった。いずれも即死と思われる致命傷を負っている。
「仲間内の殺し合い?」
「ゴブリンに一撃でこれほどのダメージを負わせられる力はない」
ゴブリンは姑息な魔物。相手が同族だとしても、こんなやり方はしない。それに他にも気になる事がある。
「壁にある深い傷。どう考えてもゴブリンが付けたものではないよね」
洞窟の壁、天井にある傷。高さや深さから見てもゴブリンには無理なもの。その場にいた誰もが息を呑む。この先にいるのは、ゴブリンなんかじゃない。
「どうするリーガス?私は退くべきだと思うけど。判断するのは君だよ」
リーガスは一瞬だけ迷いを見せた。彼の頬を伝う汗が、緊張の度合いを物語っている。
「……引き返すべきだ。予想以上の危険が潜んでいる可能性が高い」
彼の判断に一同が安堵の表情を浮かべた。私もほっと胸を撫で下ろす。リーガスが成績に目を眩ませるアホじゃなくてよかった。しかしその時、リミネスが静かに口を開いた。
「ですがリーガス様。もし敵が私達の接近に気づいているなら、ここで引き返せば追撃を受けるかもしれません」
その言葉にリーガスは一瞬ハッとした表情になる。彼女の言うことは正しい。だが判断の猶予は少ない。
「俺たちだけでやれってか?魔物との戦闘経験なんて皆無だぞ」
「班を分けてさ、先生達を呼びに行こうよ」
ズシンという音と共に床が揺れ、松明の光が震える。それが動くたびに洞窟全体が呻くように唸る。
喉が干上がる。目の前の光景が信じられない。巨大な豚のような姿。赤黒い肌。膨れ上がった筋肉が皮膚を突き破りそうだ。身の丈は大人3人分はある。右手には巨大な棍棒を持ち、左手は血に濡れた丸い何か。理解したくなかった。でもそれは、確かに鎧ごと丸められた人だった。
「オーク……キング……?」
リミネスの声がかすれている。彼女の腕を掴んだままの私の手が震えている。足が動かない。恐怖が脊髄を凍らせる。逃げなければ。でも身体が命令を拒否する。
オークキングが一歩前に踏み出した。足元で小さな岩が砕ける。棍棒を無造作に振り上げると、丸めた人間の塊を地面に叩きつけた。鈍い破裂音。鉄の破片と肉片が飛び散る。
「きゃぁあああああ!!」
叫び声が洞窟に反響する。パニックが波のように広がった。
「皆んな落ち着け!!!陣形を崩してはダメだ!!」
リーガスの叫びが一瞬の静寂を作った。彼は剣を構え、オークキングの前に立ちはだかる。
「ラミス!ナックル!」
名前を呼ばれた2人は挟み込むようにしてオークキングに向かう。訓練された動き。戦術科で学んだ戦法。でも……
「グォオオオオオオ!!!!!」
オークキングの咆哮が耳を劈く。地面が揺れる。松明の炎が激しく揺らめき、影が踊る。ナックルの力強い拳がオークキングの肩に深々と食い込んだ……はずだった。
「硬えぇ!?」
次の瞬間、オークキングの巨拳がナックルの身体に叩き込まれる。文字通り吹き飛ばされ壁に激突し、ナックルは呻き声を漏らす。
「ナックル様!」
リミネスが駆け寄ろうとする。その背中に向かってオークキングの棍棒が振り下ろされる。
「危ない!!」
私は無意識に彼女を押し倒した。棍棒がすぐ側の地面を砕く。風圧で砂煙が舞う。私はリミネスに覆いかぶさるように倒れ、その顔には初めて見る明らかな恐怖が浮かんでいた。
「レイン……!」
彼女の声が震えている。私は彼女を庇いながら、必死に考える。どうすれば生き残れる?どうすれば死なずに済む?こんな所で訳もわからず死にたくない。あのナックルが簡単に吹き飛ばされた。ラミスが必死に引きつけてくれているが、彼女の自慢のスピードも、この洞窟内ではかなり制限される。オークキングは壁に手をかけ、巨体を振り回して襲いかかってくる。リーガスが剣で受け止めようとするが、衝撃で膝をつく。
「くそっ……!」
このままでは全滅する。逃げるしかない。でも、今オークキングに背を向けるのは危険だ。しかも出口までの距離を考えればとても逃げ切れない。考えろ。考えろ。今この場には9人のクラスメイトがいる。
剣術クラストップのリーガスとラミス。2人はオークキングに防戦一方。パワーと格闘術クラストップのナックル。あの衝撃からまだ立ち上がれていない。低位階の魔法なら全属性扱えるリミネス。魔法を当てるには前の2人を下がらせないといけない。それは愚策。後は、ロイドの槍、嫌この洞窟と混乱状態では彼の槍は周りを巻き込みかねない。リリィの魅力魔法。ダメだ。オークキングが一心不乱に彼女を狙ってしまう。
「い、嫌、ど、どうすれば」
「くそお!!何で俺がこんな目に!!」
「ッ!!」
そうだ、あの、2人だ。魔導書を抱えて座り込むボブカットの少女、ベル・リアン・タルマン。悪態を吐きながら頭を抱える黒髪の少年、ニール・アコード・ロアリエンス。私は急いで2人に声を飛ばす。
「ベル!ゴーレムを生成して!!」
「うぇ、でも、私の生成魔法は」
「いいから!数秒で良い!!オークキングを足止めして!!ニール!!ゴーレムがオークキングを足止めしてるうちに、コアを破壊して!!」
「は、はあ!?そんなの、俺には」
「出来る!!」
ベルの生成魔法は、素材があれば何でも生成できる。錬金術に近い。この洞窟内なら、オークキング並みのゴーレムも作れるはず。何より彼女はゴーレムを生成するのが得意だ。思うままに操る事は出来ないようだが、この洞窟内でオークキングサイズのゴーレムがいれば足止めにはなる。それにニール。彼は臆病で傲慢だが、弓の腕はクラス1。彼ならオークキングの額のコアも打ち抜ける。
「ッ!つ、土の精霊よ、集いたまえ。我は願う、新たな存在を。零から生まれし存在を」
「はあ、はあ、は、外しても、俺の責任じゃねえからな」
魔導書を開き詠唱を始めるベル。弓を引き狙いを定めるニール。
「大丈夫、2人なら」
「うぐ!」
「ラミス!!」
ラミスが壁に叩きつけられた。それでも彼女は立ち上がり、血の滲む唇を噛み締める。
「リーガス!私のことは気にするな!ベルとニールを守れ!」
「くそっ……わかった!」
リーガスは剣を握り直す。しかし、その顔は強張っている。このままではラミスが危ない。しかし、今オークキングの注意を惹きつけられるのは、彼女しか
「うおおおおらあああ!!!」
力強い叫び声と共に、オークキングへ突っ込む筋肉質の男。倒れていたはずのナックルが、オークキング目掛けて拳を振り上げていた。
「さっきは随分良い拳くれたなあ!!豚野郎があああ!!」
オークキングの顔に拳を叩き込むナックル。先程とは違い、僅かに目を細めた。効いてはいないようだが、それでも彼に注意が向く。その隙に私はリミネスの手を引いて後方へ下がる。ベルは両手で魔導書を広げ、呪文を唱え続けている。彼女の周囲には淡い紫色の光が渦巻き始めた。
「大地の力を借りて、屈強なる守護者を生み出せし時、神々の笛の音が、祝福を奏でる!!大地に感謝を!精霊に感謝を!神々に感謝を!!この守護者の誕生に感謝を!!祝福を受け、願われ生まれし巨人よ!!立ちはだかりなさい!!」
ベルの詠唱が終わると同時に、洞窟内の岩や土砂が蠢き始める。それらが集合し始め巨大な人型へと形成されていく。オークキングと同じほどの大きさの土の巨人が現れた。
「ゴーレム生成……成功しま、した」
ベルが息を切らす。額には冷や汗が浮かび、目は焦点が定まらない。生成魔法は精神力を極端に消耗する。
「ぶもおおおお!!!」
今までとは違う明らかに動揺しているオークキングはゴーレムに向かって棍棒を振り下ろした。土の巨人がそれを受け止め、オークキングの動きを封じた。ゴーレムに意思はない。だが、生成魔法によって生まれた存在は、術者の願いが宿ると聞いた。もしかしたらと思ったが、これは。
「止まったぞ!!」
「ニール!!」
動きが止まった事を確認したラミスは直ぐにニールへと声を飛ばす。私もニールの方へ目を向けた。視線の先にいたのはいつもの傲慢な少年ではなかった。
「……いくぞ」
ニール。彼はうるさい男だが、以前から弓を射る姿勢は、美しかった。幼い頃から叩き込まれたんだろう。傲慢でも誇り高い佇まい。オークキングを見つめるその目は、凛々しく、恐怖心なんてものはとっくに消えていた。
「ッふ!」
ニールの放った矢はブレることなく、真っ直ぐオークキングの額のコアを撃ち抜いた。
「ぶもおおおおお!!!ぶお!!ぶおおお!!」
オークキングは悶絶しながら膝をつく。その隙に私たちも動いた。
「今なら斬れる!」
「はああああ!!」
リーガスとラミスの素早い一閃により、オークキングの両腕は切断された。
「さっきのお返しだごらあああ!!」
「ぶこおおおっ!?」
ナックルの繰り出した正拳一発により、オークキングは顎を打ち砕かれた。それでも動こうとするオークキングの腹をロイドが槍で貫き、リリィが魅力魔法をかけて混乱させる。
「見てるだけってわけにもなあ」
「今なら動きたくてもそう簡単に動かないっしょ」
「2人ともナイス!リミネス!仕上げだよ!」
私はリミネスの背中を押す。彼女は一瞬ためらったが、すぐに頷き杖を構えた。青白い光が杖先に集まっていく。彼女の詠唱が始まると、空気が冷たく震えだした。
「雷の精霊よ。我が願いに応えたまえ。我が友を守る為、稲妻の剣となりて敵を貫け!トールスレイヴ!!」
リミネスの杖から放たれた無数の雷の剣は、オークキングの身体を貫く。苦しそうに声を上げる巨大な体は、残された力を振り絞るように、両足を揃えて地面を蹴った。
「まだそんな力が残ってんのかよ!?」
「リミネス!気を付けろ!!」
リミネスへ向かって最後の突進をするオークキング。それを止めようと走り出すリーガスやナックル。
「ッ!!」
「リミネス」
私は無心でリミネスの前に出た。剣を握り直し、突進してくるオークキングへ剣先を向ける。この世界でも、前世でも、人どころか、動物であっても、剣で斬った事なんかなかった。でも、この世界は魔物から身を守る為に戦う必要がある。だから何とか努力して来た。
「ぶるおおおお!!!」
勢いよく向かってくるオークキング。ああ、やっぱり怖い。心臓の音がうるさい。剣を握る手が震えてしまう。
「レイン」
私を呼ぶリミネスの声は小さかった。でもはっきりと聞こえた。
『一歩でいい。一歩踏み出せ。そして後は流れに身を任せろ』
前世でそんな事を言われたな。誰だっけ?誰か分かんないけど無責任な言葉だと感じた。でも、今まさに、そう言う事なんだろう。なら、乗ってみよう。無責任な言葉に。
「一歩」
肩の力を抜き、優しく剣を握る。
「一歩」
身体を前に倒し、剣を低く構える。
「ぶるるおおおあああ!!」
「前に」
踏み出した一歩に体重を乗せる。乱れる事ないように、剣を斜め上に斬りあげた。手に残る感覚に思わず顔を歪める。私の後方に落ちる大きな何か。降り注ぐ生暖かく、嫌な雨。
私はこの日、魔物の首を斬った。