ルメア・フォラアルド・カリーペンは暗闇の中を慎重に歩いていた。夜風が冷たく肌を刺す。荒れた息遣い。恐怖と不安が彼女の心を支配していたが、それ以上の復讐心が足を前へと進ませていた。
「もうすぐよ」
彼女は自分自身にそう言い聞かせながらも、震える体を抑えきれずにいた。ベイカー・リッキー。兄を殺し、家族を悲しませた憎き男。その男を自らの手で葬るために、彼女は一人夜道を歩いていた。その時、前方から微かな足音が聞こえた。ルメアは一瞬立ち止まり息を潜めた。心臓が激しく鼓動する。しかしすぐにその足音は遠ざかり、再び静寂が訪れた。ホッと胸を撫で下ろし、再び歩き出そうとしたその時。
「あら?こんな夜更けにどちらへ?」
突然の声に振り返ると、そこに立っていたのは彼女が一方的にライバル視しているクラスメイトのリミネス・フォン・アリシアだった。そしてその隣には同じくクラスメイトのレインの姿もある。
「……!どうして貴女達がここに?」
「常に美しく、模範的であるのがカリーペン家の令嬢。いつもそう言ってる君が校則違反とは。悪い事に憧れちゃった?」
冗談交じりのレインの言葉にルメアの肩は大きく揺れた。
「おやおや?図星です?」
「うるさいですわ!関係ありません!さっさとお帰りになって!」
「関係はありますよ。私達は貴女のクラスメイトですから」
ルメアの顔が歪む。復讐を遂げるために誰にも知られず家を抜け出してきた。しかし彼女の計画は既に崩れ始めていた。それでも、彼女は止まれない。
「ルメア、君の目的は察しがついている。善人ぶってそんなの間違っているなんて言わない。ただ、君だって理解しているだろ?これは危険過ぎる」
「常識が通用する相手ではありません。私達と帰りましょう」
「ッ!」
下を向いたまま、拳を強く握るルメア。彼女の心はもうぐちゃぐちゃになっていた。
「兄上は、私の誇りでした」
ルメアの口から溢れた言葉を、2人は黙って聞く。
「兄上は優秀で人望もあり、素晴らしいお方だった。才能に恵まれながらも、日々努力を欠かさず、例え失敗しても、挫けず、前向きで。私はそんな兄上が大好きだった。いつも私に優しくしてくれた。困っている時は必ず助けてくれた。私が泣いていた時にはそばにいて慰めてくれた。お忙しい筈なのに毎月私へ手紙を送ってくれた。私の事を、自慢の妹だって」
ルメアの目からは涙が零れ落ちていく。その涙は怒りによるものなのか悲しみによるものなのか本人さえ分かっていなかった。
「だからこそ許せなかった!私から、兄上を奪ったあの殺人鬼が!!あの殺人鬼を、ベイカーを、この手で八つ裂きに!兄上の苦しみを倍にして返してやると決めた!!」
愛する家族を奪われた少女の嘆きは、夜空に虚しく響いた。数秒の沈黙が流れ、ルメアの手を取ろうとレインが一歩踏み出した瞬間、不気味な声が聞こえた。
「ああ、嬉しいな」
「ッ!!?」
路地から聞こえて来た声に、レインは身構える。状況を理解出来ていないルメアを庇う様にリミネスは彼女の前に出た。
「今日は良い日だ。ああ、良い日だ」
声は近付いてきている。それなのに足音がない。気味の悪さに冷や汗が流れる。ルメアはただその場で立ち竦む事しか出来なかった。
「僕を追ってこんなところまで。ああ、本当に良い日だ」
路地から姿を表したのは燕尾服に身を包み紳士的な振る舞いを見せた仮面の男だった。
「そこの金髪のお嬢さん」
不気味さを隠そうともしない男はルメアを指差した。
「え、私?」
「そうそう貴女です。いやあ先程のスピーチは素晴らしかった!兄を思い、兄を愛し、健気な心で描かれた復讐劇!良い!序章としては満点です!!」
興奮してその場で踊り狂う仮面の男。その異常な行動にレインとリミネスは距離を取った。
「スピーチ?序章?」
「あれ?ご理解頂けませんでしたか?まあそうですよね。なんせ序章なのですから。これからですよお嬢さん!貴女は復讐を果たせず、血に濡れて最後に涙を流す。貴女の最後のセリフはこうなるでしょう。ごめんなさい、お兄様。それを聞いてベイカー・リッキーは満面の笑みを浮かべる」
「ッ伏せて!!」
レインは2人を庇う様に飛び付く。彼女の頭上を走った謎の斬撃は、後方の建物に深い傷をつけた。
「ッお前」
「おやおやお嬢さん方、自己紹介が遅れていましたね。これは失礼。では改めて。僕はベイカー・リッキーと申します。以後お見知り置きを」
恭しく挨拶をするベイカー。その態度にレインは苛立ちを覚えた。完全にいかれていると。
「ベイカー・リッキー、お前が!!お兄様を!!」
「そうそうそうです!!役にハマってきましたねお嬢さん!素晴らしい!!」
「黙れええ!!」
ルメアが突き出した手から冷たい冷気を感じる。彼女の魔法により放たれた氷の槍は、ベイカー・リッキーには届かなかった。
「消えた?何で!?」
「道化師ですので、手品の1つや2つは持っていますとも」
「ッ氷の精霊よ!我が想いを聞きなさい!!力の化身となりて、歪んだ悪意を斬り捨てよ!!氷上の断罪者!!」
激しい冷気が周囲を包む中、ルメアの前に現れた氷の騎士。行きなさい!とルメアが命令すると、素早い動きで氷の騎士の剣がベイカーの肩を貫く。貫かれたベイカーの肩から夥しい量の血液が流れ始め、地面に滴り落ちる。
「はは、はははは!!素晴らしい!流石はカリーペン家のご令嬢です!素晴らしい!これが痛み!ああ、実に気持ちが良い!こんな素晴らしいものは、共有し合うべきです」
「何を言って、うあぁぁ!!」
突然悲痛な声を上げるルメア。彼女の右足を短剣が突き刺さる。一体どこから飛んできたのか分からないその短剣は、ルメアの動きを止めた。刺さった箇所から血が溢れており、彼女はその場に座り込んだ。
「ルメアさん!!」
リミネスとレインは急いで駆け寄り、ルメアを支える。
「うぐぁ!あがっ!」
「落ち着いてルメア。今回復魔法を」
「傷を塞ぐ為に短剣を抜き取る。辛いけど我慢して」
急ぎルメアの傷を癒す2人。しかし、悪魔の足音が近づいて来た。
「おやおや良いのですかお嬢さん方?僕の相手をせずに?」
ベイカーは不敵に笑いながら三人を見下ろす。レインの背中に流れる冷や汗。オークキングとは訳が違う。明らかな強者。隙がなく、思考が読めない。距離をとってもどこからか短剣が飛んでくる。しかし距離を詰めるのは無謀すぎる。必死に頭を働かせるレインは、蛇行剣を鞘から抜き取り、2人の前に出る。
「れ、レイン?」
「ごめん、リミネス。ルメアをお願い」
「あぐ、ふぅ、ふぅ、お、おやめなさいレインさん。貴女が、戦う、必要は」
「今は傷を癒すべきだよ。あれには勝てない。でも、逃げる事なら」
そういうとレインは、剣を左手で持ち、振りかぶりながら、右手を前に突き出した。
「水の精霊よ。静かなる水面に、写りし醜き悪鬼を飲み込みたまえ。水神の塔!!」
レインの呪文により現れた巨大な水の塊が、ベイカーの周囲を周り始め、天高く登り始めた。まさに水の塔となり、剣による攻撃を警戒していたベイカーは完全に閉じ込められた。
「リミネス!今だよ!逃げよう!」
レインはルメアを抱き抱えて、リミネスとその場を離れる。
「ははは!あはははは!面白い!!面白いよお嬢さん!!まさかこのような手に出るとは!!素晴らしい!!ああ!!素晴らしい!!」
水の塔の中で笑い続けるベイカー。暫くすると飽きたのか、手刀で水の塔を破壊した。
「さてさて追いますか」
暗がり中を静かに歩く紳士的な装いの男は、不気味に笑った。