World Days(旧版) 作:完結の陽炎
桂家にある言葉の部屋。
お膳立てに頼んだ映画のチケットを受け取る。
世界の付き添いで刹那がいて、出された無糖のアイスコーヒーをストローで飲んでいた。
「ありがとうことちゃん。これで乙女に伊藤をくっつける作戦が立てられるよ」
「有効期限がありますので、加藤さんにお渡しするのでしたら早めにした方がいいですよ」
「すぐに渡すつもりだけど、乙女が奥手だからね。可憐に協力してもらって上手くやらないと」
可憐という単語に刹那が反応。
チクチクと突き刺さる視線で無言の圧力がかかる。
無視をすると後が怖いので、世界は対応をするしかない。
「刹那、今回の作戦では乙女を奮い立たせるために可憐は必要なの。いないまま乙女に渡しても、勇気が出なくてチケットを無駄にするのがオチだからね」
「……いつ渡すの?」
「今から可憐に電話して、可能なら明日にでも渡してしまうつもり」
「私も行く」
「うーん、私は別にいいけど、可憐はどうだろう?」
「何か問題ある?」
「と、とりあえず電話してみるね」
有無を言わせまいとする刹那。
それに圧倒されながらも電話をかけた。
しかし耳元でコール音が鳴るばかりで出る様子がない。
今は立て込んでいるのかもしれない。
そして留守電サービスとなりメッセージを伝える。
「もしもし可憐、乙女と伊藤のデート作戦で協力してほしいから電話したの。詳細を話したいから、暇になった時にそっちから電話してくれない? という訳でよろしく」
用件を残し、すぐ出れるように携帯をテーブルへ置く。
ストローで砂糖とミルクを混ぜたアイスコーヒーを飲んで一息ついた。
「たまに私思うけど、ことちゃんぐらい長くて綺麗な髪に憧れるときあるんだよね。それぐらい長いと、色々イメチェンできて楽しそうだし。光や乙女、可憐も長くて上手くまとめてるよね」
「世界、ロングは面倒だからってそこまで伸ばさない」
「七海みたいにカッコいい系ならショートでサッパリさせちゃうけど、私にはちょっとハードル高いから。刹那はそれ以上伸ばさないの?」
「私も世界と同じぐらいで丁度いい」
「世界ちゃん、長い髪の体験としてウィッグなんてどうですか?」
「えっと、頭に付けるカツラのこと?」
「あ、はい。そのイメージでいいと思います」
「ことちゃんの苗字と同じだからダジャレに使えるよ。笑えるかどうかは別として。ちなみに刹那もダジャレにできるよ。刹那の思いは切ない、なんてね」
シーンとその場が静かになった。
言葉は反応に困り、刹那は無表情である。
その直後に可憐からの着信。
今の窮地を脱するため、世界はすぐに携帯を取った。
「いやーすみません世界さん。ちょっと離れてました」
「いいよ全然OK。早速だけど本題に入るね。明日の放課後いける?」
「大丈夫ですよ」
「場所はピュアバーガー前。報酬はそこのセットメニュー奢りで」
「わーい、ありがとうございます」
「私と刹那、乙女の可憐の4人で集まるからよろしくね」
「ありゃりゃ、刹那さんも来ちゃいますか?」
「何か問題ある?」
刹那に言われた事を可憐でやり返す。
近くで聞こえている言葉がクスリと笑う。
真似をされたと思った刹那はそっぽを向く。
「い、いえ何か私、刹那さんに嫌われてるかと思いまして」
「気にしない気にしない。別に上映されているホラー映画のゾンビみたいに食べられる訳でもないし」
「ホラーですか? お姉の趣味にはイマイチ合わないような?」
「コメディのアクション映画もあるから、乙女ならそっちが合うんじゃない?」
「そうですね。派手な演出で盛り上がる展開があれば、お姉のテンション上がりますよ。しかし世界さん、お姉の好みをよくわかっていますね」
「フッフッフッ、この世界さんの情報網を甘く見ないように。あ、もし予定が合わなくなったら私に連絡して」
「わかりました」
それから翌日の放課後。
ピュアバーガーの前で可憐が待っていた。
中学のセーラー服でお馴染みのツインテール。
姉と似て明るい活発さが感じられる。
世界・刹那・乙女・可憐で店内へ入ってセットメニューを注文。
それを受け取って空いている席へ移動。
座った世界はおもむろに校外用の帽子を外す。
頑固なアホ毛が強調をする摩訶不思議。
本人が気にしているので、乙女と可憐はあえて触れない。
「世界さんいただきます」
「なんか悪いわね。私まで奢ってもらって」
「ちょっとした前祝いだよ。それじゃあ、乙女の片想いが実ることを祈って、かんぱーい」
世界のノリに合わせて刹那が乾杯に応じる。
乙女と可憐も紙コップのジュースをコツンと当ててくれた。
一口飲んで喉を潤してから本題の映画チケットを提示する。
乙女はデートを意識して恥じらった
しかしダメなら可憐という煽りもあってチケットを受け取る。
ここで世界は一つ疑問点を口にした。
「ねえ可憐、伊藤が乙女の彼氏になっても平気なの?」
「全然OKですよ。だってそうなれば、センパイが私の義兄になるじゃないですか」
「な、何言ってるの可憐!!」
「なるほどね。可憐は伊藤が彼氏でも義兄でも、どっちでもいいんだね。なんと抜け目がない」
「世界さん、そこは要領がいいと言ってください」
「どっちでもいいでしょ。さて、ここで伊藤に関する情報。妹のいたるちゃんはウチの店のパフェが大好物。でもあの店の客層ってガラが悪いからね。伊藤にはテイクアウトでお勧めした。あと光のケーキ屋もいいと勧めておいた」
「あれ? センパイって黒田さんと仲が悪いですよね?」
「一方的に光が嫌ってるんだけどね。でもそこは大丈夫。いくら光でも、いたるちゃんが一緒なら伊藤を邪険にしないから」
「世界さんってば賢い。もし世界さんが男だったら、私が真っ先に狙ってましたよ」
「私は女だから他を当たってね」
世界はチラッと刹那を見る。
いつもの固い表情でポテトをつまんで食べている。
刹那と目が合った。
ポテトをひとつまみして差し出すので遠慮なく頂く。
「うわあ、今ものすごく自然なあーんを見ましたよ。お姉もセンパイにあんな感じでやれば」
「する訳ないでしょ馬鹿」
「別に難しくないよ。親鳥が雛鳥にあげるイメージでやればいいし。こんな感じで」
世界はそう言ってからポテトをひとつまみ。
刹那の口元へ近付ける。
絶妙なタイミングで口が開きスルッとポテトが消えた。
二人にとってこれぐらいの事は造作もない。
「乙女と可憐だってやろうと思えばできるでしょ姉妹だし」
「いやいや、いくら姉妹でもあーんは恥ずかしいです」
「そもそも私たち、食べさせる事なんてしないから」
「へえー、そういうものなんだ。刹那、これも人それぞれって事になるのかな?」
「うん。自分がこうでも、他がそうなるとは限らない」
教育をするかのような刹那の返答。
素直に人の話を聞く世界の状態をよくわかっている。
勉強嫌いで頭の悪い印象を周りに持たれやすいが、実際はそこまで落ちこぼれではない。
刹那や言葉には及ばないと自虐的になっても、それは比べる相手が悪いだけである。
「ところで世界さん、お姉にとってはデートでも、センパイにとっては友達と遊びに行くノリになって、そこから先の進展はないですよね?」
「確かに。この程度で進展ができたら、とっくの昔に付き合ってると思うよね」
伊藤の男友達に澤永がいることは把握済み。
そこでダブルデートをさせて当てつける作戦もある。
一の矢で仕留められないなら二の矢を放てばいい。
「あ、次も考えてあるんですね。でも黒田さんは物好きですよ。もしかして前衛芸術が好みなんですか?」
「さ、さあどうだろう? 澤永って悪いヤツじゃないけど、女子がホイホイとついていくタイプじゃないよね」
「澤永はエロくてモテないだけ」
「言い方に身も蓋もないよ刹那」
「事実だから」
楽しそうな世界に仏頂面の刹那。
正反対の二人に可憐は不思議そうにしている。
性格が合わない印象を受けるのに仲が良いから。
「乙女とことちゃんって、どっちも姉という共通点があるよね。その辺りで話が合ったりしない?」
「といっても、うちは一つしか違わないから。桂みたいな歳の差がある姉妹とは違うよ」
「そっか。あ、乙女と可憐って、髪型を同じにすると見分けがつかないんじゃない?」
「そうなんですよ。私たち姉妹って年が近くてかなり似てますから、髪型を同じにするとよく間違われるんです」
「なんか実際に間違われた過去がありそうだね」
「ありましたよ。あの時は大変だったねお姉?」
「まあね。だから髪型は同じにしないようにしてあるんだ」
「それで乙女はポニーテール、可憐はツインテールで区別してるんだね」
世界は羨ましく思う。
言葉と乙女は姉として堂々と振る舞える。
世間からも姉として認められている。
なぜ自分だけが違うのだろうか?
そんな妬ましさを胸の内に秘めてしまう。
ふと刹那がテーブルの死角から世界の袖をこっそりと掴む。
私はここにいる。
そうアピールするようにグイグイと軽く引っ張る。
そんなことをすれば世界は当然気付く。
刹那が心配をしているので、アイコンタクトの笑顔で返事をした。
大丈夫だよと安心させるために。
用事が終わって現地解散。
世界と刹那は一緒に帰り道を歩く。
道幅が広い所ではお互いに隣り合わせをする。
利き腕を預けるように世界は刹那の左に立っている。
刹那の機嫌がいい。
些細なことでも世界を守る刹那にとっては大事なことだ。
「可憐は嫌われていると思って刹那に話し掛けない。でも刹那は可憐を別に嫌っていない。ダメな所をダメと言うだけで全否定はしてない、と私はそう分析してみた」
「それで?」
「刹那が可憐の良い所を褒めれば、刹那に嫌われていないとわかってくれるよ」
「ふーん」
世界を守るために可憐と馴れ馴れしくするつもりはない。
刹那の反応がそれを語っている。
無関心でないだけマシだ。
言葉と光みたいに相性が悪いのだろう。
世界はそう思うことにした。
「利用されている事についてはお互い様だね。ことちゃんがクラスで孤立しないために乙女は欠かせないから」
「世界、得がない人とは仲良くしないの?」
「悪い人でなければ誰でもウェルカム」
「損する人になったら捨てるの?」
「助ける」
「うん。世界はそれでいい」
即答をする世界に刹那は嬉しそうだ。
今で変わる所もあれば昔から変わらない所もある。
そんな世界だから傍で支えたくなるのだろう。
別のある休日。
刹那が言葉の部屋に来ていた。
本人がいない所で世界の話をするのが楽しい。
それが唯一出来る相手は言葉である。
「世界が私の恋を応援する? 私にそんな人なんていない」
「気になる人もいませんか?」
「いない」
「七海さん、黒田さん、加藤さんは素敵な恋をしています。いずれせっちゃんもそうなるだろうと、世界ちゃんは考えています」
「余計なお世話。人の心配より自分の心配」
刹那からすれば自分よりも世界が優先である。
世界に彼氏ができて支えてくれる人がいれば安心だ。
黙っていれば可愛いという不名誉な男子の噂はある。
それは刹那の耳にも入っており大変に遺憾だ。
世界のことを何も知らないくせに勝手なことを言うな。
そんな刹那の気持ちをわかってくれているのが言葉だ。
「ことぴーは好きな人いないの? 男の人が苦手って聞いてるけど?」
「いません。私、小学の高学年ぐらいから胸が大きくなって、それでからかわれた事があって」
「私は体が小さいから、それで男子から意地悪を言われた。それで世界が怒ってその相手に大喧嘩」
身体的に大小の違いはあるが、男に対して被害を受けた点では同じ。
全ての男がそんな事をしないのはお互いに分かっている。
それでも嫌な事をされた記憶は根深く残るものだ。
友達が助けてくれた良き思い出も忘れない。
「せっちゃん、いつもリボンをつけていますね」
「暑いときは青、寒いときは赤。その時の状況によって変える」
「きっかけは、やはり世界ちゃんのプレゼントでしょうか?」
「うん。初めて世界にもらった赤いリボン。私の大切な宝物」
「私も初めて世界ちゃんに頂いた四つ葉クローバーのしおり、今でも本を読む時に愛用しています」
この時の世界は一体どこにいるのか?
海水浴場まで遠出の散歩である。
運動不足の解消を狙う。
これというのも体重計で泣かせられたのが原因。
夢でも幻でもない現実と向き合ってのことだ。
海の風で帽子が飛ばされないように気を付ける。
砂浜で伊藤の幼き妹の止を発見。
砂の山作りをしているようだ。
その近くにいるのが伊藤と乙女である。
世界は空気を読んで立ち去ろうとしたが、止が気付いて駆け寄ってしまう。
「せきゃい!!」
世界がプレゼントをした帽子を被っている。
似たような帽子でお揃いの止は無邪気にはしゃいだ。
伊藤と乙女も気付いて世界のほうへやって来る。
「ごめん乙女。邪魔しちゃったね」
「だからそういう変な気遣いはしなくていいってば」
「西園寺、こっちに来るなんて珍しいんじゃないか?」
「確かに滅多に来ないよ。ちょっと運動不足だから海辺まで散歩しに来たの。乙女なら同じ女として、事情わかってくれるよね?」
「あ、うん。私はバスケで運動してるから平気だけど」
「ま、ずっと歩きっぱなしもキツイし。伊藤、止ちゃんと遊んでもいい? 砂遊びを見てると小さい頃が懐かしくなって」
「せきゃい、あそんでくれりゅの?」
「いたるちゃん、最高のお山とトンネルを作ってお兄ちゃんを喜ばせよう」
「うん!! おにいちゃよろこばせりゅの!!」
幼く舌っ足らずな喋り方だが、聞き取りの知能に申し分ない。
砂遊びを通じて世界と止でアイデアを出し合う。
山に模様を描いたり、トンネルの数を増やしたり、大きな山と小さな山で対比したり。
世界は座学嫌いだが、遊びとなれば一生懸命に取り組む。
止が描いてくれた山の模様を世界は大いに褒めた。
お絵描きの才能が止にある。
兄の伊藤に自慢させて褒められたことで止は大いに喜ぶ。
しかし砂遊びの代償として世界と止の服が泥まみれだ。
「世界、どうするの? そんな恰好じゃ電車も乗れないでしょ?」
「まったく考えてなかった。刹那はことちゃんとの時間を楽しんでるから邪魔したくないし」
「私の家で風呂入りなよ。服も洗ってあげるから」
「ありがたいけど替えの服を持ってないよ私」
「私の貸してあげる。サイズ的にいけるでしょ」
「ありがとう助かるよ。なんか乙女って世話焼きのお姉さんみたいだね」
「みたいじゃなくて、可憐の姉だから慣れてるの」
これで話はまとまった。
伊藤のほうも止を家で風呂入れて綺麗にするようだ。
よってお互いにその場で解散となるはずだったが。
「やー!! せきゃいもいっしょ!!」
止が駄々をこねるので加藤家で一緒にお風呂とする。
伊藤には止の着替えを持って来てもらった。
風呂で気を付けることはお湯が熱すぎないこと。
止にシャンプーハットをつけて顔にお湯がかからないようにする。
「いたるちゃん、シャワーはダメ?」
「しゃわ?」
「これ」
「うー、なんかヤなのぉ」
「だよね。私もいたるちゃんぐらいの頃、シャワーはダメだったから気持ちがわかる」
「せきゃいもこわいの?」
「えっへん、大きくなった私は無敵だよ。いたるちゃんも大きくなったら、シャワーなんてへっちゃらになるよ」
「えへー、へっちゃら」
止の頭だけでなく、背中や腋、太ももの裏側や足の間など、細かい所まで丁寧に洗い上げる。
子どもの肌は敏感なのか、とてもくすぐったそうにする。
手早く済ませて世界は自分の体を洗い始める。
すると止がお手伝いすると言い、世界の背中をゴシゴシとスポンジで擦った。
そうこうして一緒に湯舟へと入る。
「いたるちゃんはお兄ちゃんが好きだよね?」
「うん!!」
「一緒にいたお馬の尻尾の髪をしたお姉さんが誰かわかる?」
「きゃとう」
「ありゃりゃ、それだともう一人のダブルお馬尻尾をしたお姉さんと同じになっちゃう」
「きゃとう、ちゅがうの?」
「おーとーめー」
「おーとーね」
「おとめ」
「おとぬえ」
「フフッ、いたるちゃんといると楽しいね」
「いたるもたのしーの」
風呂から出た後でお互いに体を拭き合って着替える。
止は大好物となる桃ジュースを伊藤から受け取って美味しく飲む。
一方、世界は乙女からラフなシャツと短パンを借りて、渡された冷たい麦茶で水分補給をする。
「家には誰もいないの?」
「うん。可憐は友達と遊びに行って、親は仕事で帰り遅いから」
「それじゃあ夕飯は?」
「私一人の時は、いつも適当に買って済ませてる」
「そっか。じゃあお礼に私が夕飯作ってあげるよ」
「い、いいよ。そこまでしなくて」
「服を乾かすのに時間が掛かるでしょ。夕飯ここで済ませてから、夜にのんびり帰ろうかなって思ってるの。乙女が迷惑でなければの話だけど」
「別に迷惑じゃないけど」
食事の用意をしてくれることはありがたいようだ。
わざわざ買いに行くのも面倒ということだろう。
「伊藤といたるちゃんも誘ったら?」
「それは無理。止ちゃんはお父さんの所へ帰さないといけないって」
乙女の表情が暗い。
止に対して同情をしているようだ。
それを目にした世界の直感はピンと来る。
「なるほど、そういうことね」
「世界?」
「伊藤はお母さん、いたるちゃんはお父さん、別々で暮らしてるって推測は合ってる?」
「うん合ってる。両親が離婚しちゃって一緒じゃないから」
「どんな大人の事情かは知らないけど、いたるちゃんぐらいの年齢で家族バラバラって可哀想だね。乙女はそう思わない?」
「思うけど仕方ないよ。私たちではどうにもできない事だから」
「ま、できる範囲で精一杯やるしかないよね。頑張りなよ乙女」
世界の励ましに乙女が頷く。
伊藤が止を連れて帰ろうとする。
お父さん嫌いと言って徹底的に拒否をする止。
客間から出る気がない。
世界は止の目の前でしゃがんで同じ目線に合わせる。
そして優しい口調で話しかけた。
「そっか。いたるちゃんも私と同じお父さん嫌いか」
「せきゃいも?」
「ま、事情は違うと思うけど似たようなものだね」
「いたる、おにーちゃのこどもになる」
「お兄ちゃんと一緒にいるためにそうしたいの?」
「うん。おにーちゃといっしょがいい。おとーさんきらい」
「わかった」
世界が大きく頷いてからゆっくりと立ち上がる。
急に動くと止が驚いて怖がるかもしれないから。
余計な刺激を与えないように気を付ける。
「乙女、いたるちゃんの事で伊藤と話をするから、少し間だけいたるちゃんをお願い」
「あ、うんわかった」
部屋を出て伊藤と一緒に玄関近くへ移動をする。
人の家庭事情に首を突っ込むのは良くない。
世界もそれは重々にわかっている。
それでも止の悲しむ顔を見かねて言わずにいられない。
「いたるちゃんを見てると、どうにも他人事に思えないんだよね。こっちの家庭事情とは違うけど、同じお父さん嫌いとして言わせて」
「西園寺……」
「親に頼らないと生きていけないからね私たち。だから親の権力に子は勝てない」
「そう……だな」
止を助けられないことが兄として情けない。
その無力さが悔しくて伊藤が拳を握り締めた。
やり場のない怒りを抱えているのは一目でわかる。
「根本的な解決は無理だけど、いたるちゃんに楽しみを作ることはできるよ」
「楽しみを作るって?」
「いたるちゃん、お絵かきの才能がありそうだから、それを宿題にしてさ、次に会ったときにお兄ちゃんである伊藤に見せるようにしたらいいんじゃない? それでお兄ちゃんが喜んでくれると思えば、いたるちゃんは家に帰っても頑張れるんじゃないかな?」
「……それいいな」
「絵描き用具は伊藤が用意してあげて。そのほうがいたるちゃんは喜ぶよ」
「ああ、ありがとう西園寺」
世界の提案を伊藤は呑む。
次に会う時まで止は色々な絵を描く。
それで兄に見せて褒めてもらおうと張り切る。
おかげで止を玄関まで出すことができた。
「悪い加藤。止がワガママ言って迷惑かけた」
「ううん大丈夫。伊藤と離れたくない止ちゃんの気持ち、よくわかるから」
「西園寺、アドバイスしてくれてマジでサンキュー」
「いたるちゃんのためだからね。いたるちゃん、お絵描きの宿題頑張れ。そしてお兄ちゃんに褒めてもらおうね」
「うん!!」
「ほら止、電車まで見送ってやるから行くぞ」
「うぅー」
止が世界の服を握って離さない。
ぎゃん泣きをしないだけマシである。
それでも帰りたくない気持ちが拭えていない。
「乙女、伊藤と一緒に見送ってあげたら? その間、私はここの留守番するから」
「それを言うなら世界が見送ってやりなよ。止ちゃんが指名してるんだから」
「帽子まだ乾いてないよね? 外に出る時はクセ毛を隠すために帽子被ってるんだけど」
「可憐が野球帽もってるから、それを使いなよ」
「本人の許可なく勝手に使うのは流石に……ちょっと電話してみるね」
可憐に電話をして経緯を説明する。
事情を理解して野球帽の使用を認めてくれた。
今ちょうど友達と別れた所らしい。
そして電車の見送りに加わってくれるとの事。
「可憐が見送りに参加するって。乙女はどうするの?」
「行くよ。可憐を放っておくと伊藤に迷惑かけそうだし」
「という訳で伊藤、私と可憐、乙女もいたるちゃんの見送りするね」
「マジで助かる」
「いたるちゃん、お外に行ったらお兄ちゃんからお絵かきセット買ってくれるよ」
「おそといく!!」
こうして止を外に出すことができた。
駅へ行く途中で画材屋に立ち寄る。
そこで止に試し書きをしてもらった。
握りやすく折れにくい極太軸のクレヨン。
低年齢の子どもにありがちな棒握りでお絵かきをしている。
楽しく描くために使いやすさは重要だ。
「いたるちゃんが大きくなったら、偉い画家になれるかもね」
何気ない世界の一言である。
止は将来の夢ができたことを喜んだ。
未来に希望があればそれが支えになる。
今は辛い事であっても我慢ができるから。
使いやすいお絵かきセットを選ばせて伊藤が支払う。
そして画材屋を出て駅前で可憐と合流をした。
「いたるちゃん、あの馬のダブル尻尾が可憐だよ。かーれーん」
「きゃーれーん」
「ちょっと世界さーん、それはあんまりな言い方ですよ」
「仕方ないでしょ。髪の特徴がないと見た目の区別がつかないんだから」
「まあいいです。それにしても今の世界さんっていいですね」
「何が?」
「お姉のラフな服に私の野球帽でボーイッシュな感じが似合っています」
「褒め言葉だよね?」
「もちろんです」
その後も時間は掛かったが止の見送りを完了させる。
伊藤が兄としてお礼を言ってから家へ帰る。
そして世界は加藤家へ戻り、夕飯のカレーライスを作って乙女と可憐に振る舞った。
「美味いです世界さん。お姉は料理できないからマジありがたいですよ」
「なによ。そういう可憐だって料理しないでしょ」
「だってセンパイが料理上手すぎて、私の出る幕なんてないよ。お姉もそう思ってるでしょ?」
「うっ……」
伊藤の手料理は評判がいいようである。
それは世界の情報網でも榊野学園の調理実習で把握済みだ。
クオリティは刹那と互角かそれ以上のレベルといっていい。
「もし二人がその気なら、料理を教えてもらえるよう刹那に頼んであげるよ」
「えー、刹那さんってスパルタなイメージで正直怖いんですが?」
「悪ふざけしなければ別に怒られないってば。乙女も刹那に対してそんなイメージだったりするの?」
「怖いかどうかはよくわからないよ。あんまり喋らないし」
「まあ、刹那は自分から話すタイプじゃないからね。でもちゃんと人の話をよく聞いてくれて、困った時には助けてくれる頼もしい親友だよ」
「あれ? 親友って刹那さんと桂さんだと聞きましたけど?」
「あの二人は大親友なの。上には上がいるんだよ可憐」
刹那にとって言葉への信頼は絶大。
世界のいない所で直接会ったり連絡ができる唯一無二の相手だ。
世界にとっては悔しくもあり嬉しくもあるだろう。
譲る気持ちの経験をしたからこそ素直に認める。
刹那と言葉の相性の良さで右に出るものはいない。
「マジですか? 世界さんよりも仲良しって想像できません」
「そこは実際に見てみないとわからないものだよ。口で説明できることじゃないし」
「へえーそうなんだ。あ、お姉は見たことあるよね? 桂さんとは同じクラスで友達やってるんでしょ?」
「うんまあ、確かに桂とは一緒にお昼して話もするけど……」
煮え切らない乙女の態度に不思議そうにしている可憐。
言いにくい事を察した世界がフォローに入った。
「無理しなくていいよ乙女。刹那は乙女のことを名前で呼べるけど、乙女は刹那の名前を呼ぶのを聞いたことがない。その時点で察しているから」
「まあ、お姉と刹那さんでは合わないですね。私なら刹那さんに叱られても上手く流せますけど、お姉はマジでへこみますから。うちのお姉ってビビり屋で精神的に打たれ弱いんです」
「う、うるさい」
「でもお姉はいいですよ。刹那さんに名前で呼ばれて。私なんてその子呼ばわりですよ」
「ちょ、ちょっと可憐!! アンタ一体なにやらかしたの!?」
「えっと……なんか私が世界さんを都合よく利用していると、刹那さんに誤解されちゃって」
「ことちゃんの件で乙女には世話になってるからお互い様なんだけどね。ま、もしそれがなかったら、刹那の性格的にヤバかったかも。命拾いしたね可憐」
「あわわ、世界さん脅かさないでくださいよ!!」
「うふふ、冗談よ冗談。可憐のビビった顔が見たくて。かわいかったよ」
「もうからかわないでください!! 心臓に悪いですマジで」
乙女からすれば笑えない冗談である。
これまでも妹の不始末で尻拭いをした過去があるから。
今回も姉として謝らないといけないと思った。
だが世界は気にしなくていいと気を遣う。
過ぎた事はもういいと刹那が言っていたので、わざわざ蒸し返すものではない。
「乙女、もし刹那って呼ぶのが無理なら清浦でいいんじゃない?」
「で、でも私のこと乙女って呼んでるんだよね? それなのに私からは苗字なんて……」
「バランス取るために刹那に加藤呼びさせる? でもそれだと可憐と区別がつかなくなるからね」
「ですよねー。お姉はビビりすぎ、名前ぐらい呼べばいいのに」
「あ、加藤姉と加藤妹ならどう? あるいは加藤1号2号とか?」
「さすがに嫌ですよそんなの」
「だよねー。私は乙女が呼びたいように呼べばいいと思うよ。刹那は別に苗字だろうが名前だろうが気にしないから、乙女に好きにすればいいって」
「う、うん……えっとそれじゃあ……き、清浦さんで」
「えー? お姉と同い年なのにさん付けってどうなの?」
「中学の祭りで甘露寺さんって呼んだ事があったね乙女って。七海が呼び捨てでいいと言ってくれたから呼び捨てしてるけど、そうでないなら敬称使うのが基本だからいいんじゃない?」
「まあ、私もさん付けしてますし」
「いやアンタは年下なんだから呼び捨てなんて失礼でしょ」
「それぐらいわかってるってば」
世界は加藤姉妹と気が合うので仲良くなれる。
これが刹那になると苦手意識を持たれて距離を置かれてしまう。
わざと刹那は嫌われ役に徹しているのかもしれない。
世界を守って舐められないようにするために。
次の日、榊野学園に登校をして教室へ入る。
隣の席である伊藤に声を掛けられた。
妹の止のことで感謝をしているようだ。
「どういたしまして。画家となるいたるちゃんが楽しみね」
「その時は西園寺も来てくれよ」
「ヒマがあればね。あ、そうだ」
「なんだ?」
「いたるちゃん、乙女のことを加藤って呼んでたけど、それだと可憐と被るよ。下の名前で呼ばせたほうが後で混乱しないと思うけど?」
「それもそうか」
「ちなみに伊藤は二人をどうやって区別して呼んでるの?」
「加藤と可憐だけど?」
「あー、乙女が可哀想」
「か、かわいそう?」
鈍感な伊藤に呆れ果ててしまう。
わざわざ説明をしないとわからないようだ。
「乙女の気持ちを考えなよ。なんで妹は可憐なのに、私は加藤なのってなるじゃない」
「いや、だって可憐は一つ下で加藤の妹だし」
「だったら平等に加藤は乙女で呼んであげなよ。そういう差別って、兄弟姉妹では関係を悪化させるから良くないって聞くよ」
「そ、そうなのか?」
「裏付けがほしいなら、私から乙女に確認してあげるけど?」
「いいよ別に。西園寺の言ったことを疑ってないから」
「疑ってくれていいよ。むしろ用心するぐらいが丁度いい。刹那みたいに刹那みたいに」
「なんで二回言ったんだ?」
「大事なことは二回言うのがお約束らしいよ」
「そんな約束聞いた事ないぞ」
「とにかく可憐と同じように乙女って呼んであげなよ」
「わ、わかった」
確かにそうだと納得をしたのだろう。
妹の可憐が呼べるなら姉の乙女も普通に呼べるはずだ。
これにより伊藤は乙女と呼ぶことになる。
感激をした乙女はその流れを無駄にしない。
以降は伊藤の下の名前である誠と呼ぶようにした。
そうなるようにしてくれた世界に感謝しかない。
学園生活で世界はある決意を固める。
そのためには刹那の協力が不可欠。
休み時間に刹那が座ってる席へ向かう。
周りの私語でうるさいので距離があると会話が聞き取りにくい。
大きな声を出さない刹那の話を聞き取るために近付く。
わざとドアップで迫っても、刹那は平然としたままである。
「世界、私に何か用?」
「そろそろ榊野学園にある秘密の場所を手に入れようかと思って」
「まったく話が見えない。唐突に何?」
ありのままにやりたいことを伝える。
気持ちがリフレッシュできる特別な場所を得たい。
そのために学園の屋上をターゲットにしている。
広々とした青空やフェンス越しの絶景。
誰もいない特別な場所で息抜きという贅沢を味わいたい。
「世界、屋上は立ち入り禁止」
「わかってるって。そこで廃部になった天文部を私が復活させるの。そうすれば屋上の使用許可が出るじゃない」
「それで、私に何をさせたいの?」
「メンバー集めないと正式な部として認められないから入って」
「私一人だけ入っても意味がない」
「刹那、ことちゃん、七海、光、乙女が入ってくれたら万事OK」
「私やことぴーはともかく、七海と乙女は女子バスケ部、光はバイト」
「名義だけ貸してくれたらいいの。幽霊部員なら掛け持ちしても何の問題もないでしょ」
「それで天文部が成り立つの? あとで後悔しない?」
「なるなる。とにかく秘密の屋上を手に入れたいから、私に協力して刹那」
「別にいいけど。あとでどうなっても、世界がちゃんと責任取らないとダメだよ」
名義を貸すだけで他に迷惑をかけない。
それならと他のメンバーも入部をする。
顧問の先生を確保して天文部の部長となった世界。
こうして屋上へ出入り可能となる。
ある日の放課後。
顧問の先生からの職員室へ呼び出された世界。
委員の活動がない刹那と言葉は屋上で待っている。
そのままフェンス越しの景色を二人で眺めていた。
「ことぴー、このあとで世界は私たちに泣きついて来る」
「え?」
「天文部、何もしていない。だから世界は顧問の先生に呼び出された」
「世界ちゃん、何も活動していないのですか?」
「うん。世界はただ屋上を使いたいだけ。活動をする気が全くない」
「さすがにそれはどうかと……」
その直後に屋上の扉が開く。
血相を変えた世界が二人の前に駆け込んできた。
刹那は予想通りだと言わんばかりに落ち着いている。
「ヤバいヤバい!! 緊急事態だよ!!」
「世界、何があったの?」
「天文部の危機!! 顧問の先生から真面目に活動しないと、屋上の使用許可を取り下げるって!!」
刹那の言っていたことが見事に的中する。
それは凄いと素直に感心をする言葉。
何も驚くことはない。
刹那にとって容易にわかることだった。
「だから忠告をした。何も活動しないのはダメに決まってる」
「機材もないのにできる訳ないよ!! あくまで屋上使いたいだけだもん!!」
「諦めて廃部する」
「やだやだ!! せっかくの屋上手放したくない!!」
ワガママな世界に呆れる刹那。
別に今に始まったことではない。
今後もこういった事は続くだろう。
ひとまず機材については言葉が介入をしてくれる。
「世界ちゃん、機材ならお父さんに頼めば手に入るかもしれません」
「マジ? ことちゃんのお父さん、ホント色々とスゴイんだね。不動産業に携わってるんだっけ?」
「はい。仕事関係で色々な人たちとの交流があり、とっても顔が広いと聞いています」
「そっか。んーでも機材があってもね。天文なんて私サッパリわかんないし」
天文部を全く何も知らない素人。
仮に機材があっても使い方がわからない。
上手く活かせる自信も全くなかった。
「世界、天文部の活動、先生から何か言われてない?」
「定期的に活動のレポートを出さないといけないみたい」
「それなら実際に活動をして、それでレポートを書くしかない」
「そんなの無理だよ無理!! 刹那やことちゃんみたいに難しいレポート書けるほど、私の頭は良くないもん!!」
「じゃあ諦める?」
首を素早く横に振ってイヤイヤモード。
ここで諦めるという選択肢は世界にない。
二人に向かって拝み、ひたすらお願いをする。
「刹那、ことちゃん!! レポート書いて!!」
「却下。これは世界が始めたこと。私たちに甘えては世界のためにならない」
「あ、あのせっちゃん。私たちも部員ですし、何かしらのお手伝いをしたほうが――」
「だよねだよね!! これは部長命令だよ!!」
「世界、名義だけって約束を破るの?」
「そ、それはその……や、約束は守らないとダメだよね、うん」
「世界は約束を守るって信じている。そんな世界を私は応援したい」
約束を破っては刹那に嫌われる。
そんな嘘つきになりたくない。
世界にとってあってはならないことだ。
刹那が寄せてくれる期待を裏切りたくもない。
「わかった。こうなったら覚悟を決めるよ私」
真剣な顔立ちで腹をくくる。
これに嫌な予感がする刹那と言葉。
それを確信させることを世界は口にした。
「ことちゃん、私に何かあったら刹那をお願い」
「待ってください世界ちゃん。一体なにをするつもりですか?」
「私、天文部のこと何にも知らないから。毎日徹夜で勉強する」
「早まってはいけません。そんな無茶をして世界ちゃんが倒れたら本末転倒です」
「でも私、二人と違って物覚え悪いから。たくさん時間かけないと」
「世界それはダメ。あとことぴーに私を押し付けない」
誰もそこまでしろとは言っていない。
世界の暴走を止めなければならない。
調子に乗らせるのはいけないが、無理をさせてもいけない。
その匙加減が難しいのである。
「せっちゃん、私たちも手伝いましょう。世界ちゃんだけでさせるのはあまりにも酷です」
「だったら私が副部長をする。世界を見張るためにも必要」
「私は機材提供も含めてサポートします。一緒に天文部を支えましょう」
「それって私は徹夜で勉強しなくていいってこと?」
「世界、徹夜は禁止。ちゃんと寝て休む」
「世界ちゃん、時間は長ければいいという訳ではありません。効率よく使いこなすことが肝心です。私はそうして多くの習い事をこなしてきたのですから任せてください」
「名義だけ貸して幽霊部員という約束は?」
「私たちに頼んできたくせに、今更なにを言ってるの?」
「約束を守ることは大切ですが、それが世界ちゃんの健康に損なうことなら無効です。先ほども話した通り、本末転倒となってしまいますから」
優れた頭脳コンビが相手では世界も形無し。
瞬く間に説き伏せられてしまう。
そうは言っても天文部の未経験者であることに変わりはない。
ここで世界は思いつく。
他校の天文部から学べばいいのではないかと。
見学による交流をすれば少しはマシになるだろう。
要はバイトの下見をするようなものだ。
この方針に刹那と言葉が賛同をする。
「ことぴー、あとで顧問の先生に相談。私は他校の天文部を調べる」
「わかりました」
「刹那、私は?」
「世界はアイデア担当」
「アイデアって?」
「やりたい事、こうしたらいい事、そういった目標や対策、改善など思いつきでいい。それらを出して私に相談すること」
世界が概要を考えて、刹那と言葉で詳細を煮詰める。
テキパキと刹那が仕切ってくれるので時間を無駄にしない。
そのスケジュールの管理は言葉が得意ということで任せる。
こうして役割を分担して天文部の下準備となった。