World Days(旧版) 作:完結の陽炎
世界は自分の部屋にこもって考え込む。
母の性格は世界が誰よりも知っている。
綺麗事抜きに夢のためならば手段を選ばない。
自己中心な側面があり、娘の事情に対しての配慮がない。
「刹那……ことちゃん……」
どちらかに電話をしようかという選択肢はあった。
だが仮に電話をしてどうなるのだろう?
いくら刹那や言葉でも母が決めたことだ。
どうにか出来るとは思えない。
母の夢を壊したくない。
それは娘として望む所ではない。
刹那の身代わりだと考えてパリへ行こう。
刹那は一見クールに見えても孤独に弱い。
強くありたいと思っているようだが、一人で出来ることは限られる。
人に頼ることを苦手としている節がある。
刹那には支えてくれる人が必要だ。
「刹那にはことちゃんがいる」
小さい頃から仲良しの言葉は今でも得難い存在だ。
絶大な信頼を寄せているから刹那を任せられる。
七海や光、乙女も刹那の友達だ。
世界がいなくなっても、刹那を大切にしてくれる。
世界は覚悟を決めた。
パリで母の夢を邪魔しないようにする。
母の迷惑にならないように気を付けよう。
たとえ体調を崩したとしても、多忙の母の手を煩わせないようにしなければならない。
それは虫の知らせだろうか?
もしかしたら二度と戻ってこれないのかもしれない。
否、弱気になってはいけない。
いつか刹那と再会ができるように頑張る意気込みだ。
別れが辛くなる。
体調の都合もあるので学園には内緒にしてほしい。
知らせるならパリへ引っ越していなくなった後だ。
母を通じて学園の先生から了解を頂く。
手続きの都合で頻繁に休むことが増える。
母に頼んでインフルエンザという嘘をついてもらう。
感染をするからお見舞いは拒否とすれば怪しまれない。
「世界、本当にいいの? お友達にお別れを言わなくて?」
「お母さん、別れって心だけじゃなく体にも負担がかかるんだよ。お母さんの夢のために、私は大切な友達と離れるんだから、多少のワガママは許してよ」
「世界……ごめ――」
「謝らないで。もう決まったことで手続きも終わったよね。後戻りはないってわかってるから」
葛藤はあった。
きっと光たちは怒るだろう。
それでも面と向かっての別れは辛すぎて無理だ。
打たれ弱い世界の精神がもたない。
あとで携帯のメールで謝るつもりである。
しかし……。
「刹那……ことちゃん……」
この二人にはちゃんと言うべきではないか?
さもないと一生後悔するのではないか?
言葉には刹那をよろしく頼まないといけないのに。
それをメールだけで済ませるのは胸が痛む。
言おうと言おうと思っても言いそびれてしまう。
そして時が流れてしまい、パリ行きの空港に立っていた。
「……」
いつもなら帽子を被っているが、今の世界はそこまで頭が回らない。
お馴染みのクセ毛が目立っている。
それが目印となったのは間違いない。
「せっちゃん!! 見つけました!!」
世界は驚きの余りに振り返ってしまう。
幻でも夢でもない。
そこに言葉と刹那が現れたのだ。
「どうして?」
当然の問いである。
刹那の母には世界の母を通じて口止めをしている。
世界を追い詰めるから刹那に伝えないようにと。
だから刹那は知らないはずである。
すると言葉が答えた。
「私のお母さんから世界ちゃんのパリ行きを知りました」
仕事の繋がりがあるため、今回のパリ行きを知ることができた。
これは迂闊である。
言葉の母についてはノーマークだった。
「ひどいです世界ちゃん。いくらお別れが辛いからって、せめてせっちゃんには直接お伝えするべきです」
「ことちゃん、怒ってるよね」
言葉に引っ叩かれても文句は言えない。
それだけのことをしている。
幼馴染に別れの一言も告げずにいなくなろうとしたから。
「お別れを言われなかった側の気持ち、世界ちゃんは考えたことがありますか?」
「ごめん、そこまで考えられなくて。私、自分勝手だなって思う」
「世界ちゃん、せっちゃんは私が連れてきました。そうしなければ、一生後悔すると思ったからです」
「……」
終始無言で俯いたままの刹那。
世界も視界に入れないようにしている。
お互いに目を合わせない気まずい空気だ。
言葉が刹那の背中をそっと押す。
その後押しで前へと踏み出した。
居合の名残りで世界が間合いを意識する。
すなわち両者が見つめる形になった。
「……」
お互いに動かない。
頭が真っ白になる表現は言い得て妙だ。
この均衡は長く続かない。
先に刹那から反応があったからだ。
それは……。
「……ぅ……くっ……ひっ……」
両手で目を覆いながらの嗚咽。
刹那を泣かせたのは他でもない世界だ。
「……」
世界の中で何かが変わった。
目の前の大切な存在を蔑ろにした事実。
そこから逃げることは許されない。
ゆっくりと間合いを縮める。
手の届く距離になって足を止めた。
刹那と向き合う。
まるで居合をするかのごとく真剣な目付きで。
「刹那」
たった一言の呼び掛け。
そこには今までにない力強さがあった。
ビクッと刹那の体が反応する。
「二つお願いがあるの。刹那にしかできないお願い、聞いてくれる?」
刹那が腕でゴシゴシと目元をこする。
涙でグシャグシャになりながらも頷く。
「刹那がつけている赤いリボン、借りていきたい」
これに刹那はぐすっと声詰まり。
何でと疑問を向けると世界が返答をした。
「覚えてる? 刹那のリボンをつけて居合した時のこと」
刹那は頷く。
忘れるはずもない。
その時の美しい居合は目に焼き付いている。
「御守りに貸して。刹那のリボンがあれば、私はとっても強くなれちゃうから」
あの時のように世界が頭を差し出す。
つけてほしいという合図だ。
そして赤いリボンが刹那の手によって着けられた。
「再会の約束。必ずこのリボンを返しに戻って来るから」
世界は本気である。
何年先になるかわからない。
それでもリボンの返却を理由に刹那と会う約束をした。
ここまでされたら刹那も喜んで応じてくれる。
「じゃあ最後のお願い。おまじないするから、目を閉じてそのまま動かないで」
世界に言われるまま目を閉じる。
おまじないとは何なのか?
それは間もなく明らかとなる。
刹那の前髪をかきわけて広がったおでこ。
そこに世界が堂々と口付けをした。
「あっ……」
目を開けると世界が離れていた。
赤いリボンをつけた状態での笑顔が眩しい。
「また会おうね。私の大切な親友、そして大切な……私の妹」
刹那の目が見開く。
世界は背を向けて片手をヒラヒラ上げて歩き出す。
だが後ろから刹那に抱きつかれてしまう。
「……やだ」
「刹那」
「いか……ないで……」
「ダメだよ」
「なんで……家族なのに……いかないで」
「くっ……ことちゃん!!」
「は、はい!!」
「刹那を……私の妹をお願い!!」
こうなっては言葉も動かない訳にはいかない。
刹那を後ろから抱きしめて世界から引き離す。
「は、離して。離してよことぴー」
「ごめんなさいせっちゃん。でもこれ以上は世界ちゃんが耐えられません。だから引き留めないであげてください」
「やだ……いっちゃやだ……いかないで……っ……おねえちゃん!!」
背を向けて歩く世界の足が止まった。
でも振り返らない。
既に世界の顔は涙でボロボロだ。
迷いを振り切るため、懸命に足を動かして去っていく。
その場で刹那は泣き崩れ、言葉が抱きしめた。
こうして空港での別れと再会の約束が交わされたのである。
西園寺世界のパリへの引っ越しと転校。
榊野学園1年3組の担任から知らされた。
その後の休み時間に澤永と伊藤が話をする。
「まさか西園寺が転校なんてな。ここしばらく休みだったのはそういう事だったのか」
「……」
「どうした誠? お前まさか西園寺のこと――」
「いや違う誤解すんな!! 別に泰介が思ってる事じゃなくて」
「そうだよな。お前は加藤と付き合い始めたし。俺も黒田――じゃなくて光と付き合ってるからな」
「あのな、俺は止が泣くだろうから、それで頭を悩ませてるんだよ」
「あー、そいつは大変だな。止ちゃん、西園寺にとてもよく懐いてるって聞いたぜ」
「次会う時に、お絵描きを一緒にやるって楽しみにしてるんだよ。ああいう時の止は絶対忘れないから、他でごまかすこともできなくてさ」
そんな男二人とは別の位置で、光と七海も愚痴をこぼす。
世界がパリへ行った後、お詫びを込めて別れのメールを受け取っていた。
「ホント世界って勝手だよ。散々お節介焼いて何も言わずにいなくなって。私たち友達なのに」
「光の気持ちはわかるけど、世界も辛かったんだよ。メールで謝ってるんだから勘弁してやりな」
「わかってる。本当は文句の一つでも言ってやりたいけど、それで世界を苦しめたくないから」
「だね。今は海外の新しい生活で大変だろうし。しばらく様子見るしかないよ。ま、落ち着いたら世界から連絡あるかもしれないね」
乙女や可憐にもお別れの受信があった。
学校から帰った後、乙女と可憐で互いにテンションが低い。
自宅の客間にいるのは、世界との思い出を振り返ってのことだ。
「ちょっと可憐、その辛気臭い顔やめて。空気悪くなるでしょ」
「それはお姉のほうじゃん。鏡見てみなよ。はぁー」
「人前でため息つくんじゃない。まったくもう」
「こっちに当たらないでよ。それでお姉のメールはどんな内容だった?」
「なんでアンタに教えないといけないのよ?」
「だって私の内容と違うだろうから気になるじゃん」
「なによ。アンタのはどうせ叱られるような内容でしょ」
「お姉を支える立派な妹として逆に褒めてるよ。ま、お姉のは間違いなく、センパイとお幸せにで祝福する内容に決まってるね」
「……別にいいでしょ」
「やっぱり。でもパリかぁ、一度でいいから海外に行ってみたいなぁー」
「アンタね、遊びの旅行と引越しでは全然違うんだから」
一方、桂家でも影響を受けていた。
いつもの元気な心の姿はない。
世界からお別れの挨拶がなかった事実。
心のことなんてどうでもいいんだ。
そんな悔しい気持ちで部屋にこもりがちとなる。
言葉の説得に耳を貸さない。
世界を見送ることができた姉の言うことなんて聞けない。
「もういいもん!! 世界さんなんて大嫌い!!」
姉への反発もあって心は言ってしまった。
世界の辛い気持ちを知っている言葉。
とても看過できるものではない。
「心!!」
室内に響く平手打ちの破裂音。
頬を引っ叩かれた心。
泣きながらお姉ちゃん大嫌いと叫び散らした直後、部屋のドアを乱暴に閉じて出て行った。
すぐに母が来て今はそっとしておくように言葉を慰める。
大切な妹に手を出した苦悩を抱えて母に従うしかない。
それから数日が経過をして、世界から心宛に国際の郵便物が届く。
心は携帯を持っていないため、別れのメールが送れなかった。
そのことに対して、お詫びの手紙と左右用に髪飾りとなる小型の赤いリボン二つが入っていた。
世界が心をどうでもいいとは思っていない。
その証拠を受け取った心。
母と姉が見ている前で耐えきれずに泣き崩れる。
何度も涙声でごめんなさいと謝ってしまう。
言葉は静かに涙を流し、母も目元を拭った。
髪飾りの左右リボンをつけてからの心は変わった。
以前よりも明るく元気に、そして前向きに日常を過ごしていく。
乙女の家にも世界から国際の郵便物が届く。
伊藤の彼女となった乙女に依頼の手紙。
同封している止宛と田中宛を伊藤を通じて渡してほしい。
止のはお別れの手紙とおしゃれなベレー帽。
田中にはメッセージカードを添えたパリのお菓子詰め合わせ。
乙女はすぐに連絡をとり、それぞれの荷物を伊藤に手渡した。
「止の贈り物は今度来た時に渡すよ。手紙は俺が止に読み聞かせて大丈夫か?」
「うん大丈夫。世界の依頼にも、伊藤に読んでもらってって書いてあったから」
「わかった。それで田中のほうは、学校に復帰した時に渡せばいいのか?」
「うん。伊藤は田中の代理でクラス委員をしているから、それで渡しやすいだろうって。田中の住所を知らないのもあって、面倒をかけちゃうけどよろしくだって」
「律儀だな。田中を推薦したのは西園寺だから気にしてるのか?」
「世界は清浦さんが大事なんだよ。だから同じ委員として、田中に清浦さんを支えてほしいみたい」
「えっ? あの二人ってそういう関係なのか?」
「そこまではわからないけど、世界の事だから二人をくっつけようとしてるんじゃない?」
「あり得る。けど、あの清浦に彼氏って……ちょっと想像できないな」
後日に学校へ復帰を果たした田中。
迷惑をかけてしまった伊藤に頭を下げる。
伊藤は気にせずに世界の贈り物を渡した。
メッセージカードには復帰のお祝いと田中の応援が込められている。
刹那を振り向かせるのは難攻不落。
しかし諦めたらその時点で一本負けだ。
勝利のピースサインの絵付きで、いかにも柔道部の田中をやる気にさせる内容であった。
伊藤が暮らすマンションに止が待っていた。
ついに覚悟を決めなければならない。
伊藤は別れの手紙を止に見せて読み聞かせた。
将来の夢に向かって頑張る止をパリで応援している。
おしゃれなベレー帽は画家に似合うデザインだ。
今にも泣きそうな顔で止は問う。
「おにちゃ、せきゃいともうあえないの?」
「ああ、遠い外国に行っちゃったんだ」
「やー!! せきゃいとおえかきすりゅの!!」
「いつかきっと会えるよ。お絵描きなら兄ちゃんが一緒にするから」
「うー!! やー!!」
この時の止はいくら慰めても泣き続けて止まらない。
もう二度と世界と会えない。
止の中にある勘がそのように感じ取った。
やがて泣き疲れて眠る止。
伊藤は改めて世界の存在感が大きいことを知った。
そして止が帰る時、贈られたベレー帽を被っての決意表明。
偉い画家になって世界に会いに行く。
幼い止が一生懸命に考えた答えである。
それに感動をした伊藤は兄として応援をすることにした。
榊野学園の生活。
いつも通りを振る舞うのは意外にも刹那だ。
今までと違うのはトレードマークの大きなリボンをしていないこと。
世界が返すまではリボンを身に着けない。
刹那が自分で立てた誓いである。
「ことぴー、お昼食べよう。屋上で」
「わ、わかりました」
言葉の態度はぎこちない。
それは無理もない。
まだ世界が海外へ発ってから日が浅いので引きずっている。
刹那の次に付き合いが長かったのは言葉だから。
いなくなって気付く大きな存在。
胸の内がポッカリと穴が空いたような虚無感が拭えない。
「ことぴー、しばらくはおね――世界に連絡はしないように」
秘密を共有している言葉が相手だからだろう。
うっかり姉呼びをしそうになってすぐに訂正をする。
「パリの新たな生活を邪魔しないようにするためですね。わかりました」
「光たちにも伝えた。引っ越しと転校で色々大変。邪魔をしたらいけない」
「そうですね。世界ちゃんが落ち着くまで静かに見守りましよう」
「うん」
刹那の頭部がどことなく寂しい。
それだけでも喪失感を意識せざるを得ない。
だからこそ世界のことを忘れたりしない。
しかしこの時の刹那たちは知る由もなかった。
その後の悲劇を。
取り返しのつかない未来が待っていることを。
雪が舞う冬の季節に突然の訃報。
西園寺世界が亡くなった。
体調不良で倒れた際の転落事故である。
遺品の日記に心身ともに疲弊する過程が書かれていた。
どれだけ具合が悪くなっても必死で耐え続けた日々を。
母の仕事を邪魔しないため。
決して足を引っ張ることがないように。
孤独感に蝕まれながらも頑張ってきた。
刹那との約束を支えとして。
この事実を知った世界の母は心中察するに余りある。
あまりの絶望感で放心状態に陥ってしまう。
パリまで駆けつけてくれたのは刹那の母と言葉の母。
生存をしている刹那および世界の父親は?
浮気性で入籍をしておらず認知もしていない。
娘と認識をしているのは刹那ぐらいで世界は含まれていない。
刹那の母が連絡を入れても、病気を理由に欠席を表明。
本当に病気か疑わしいが、そんなことに構っているヒマはない。
桂家が全面的な支援をして、清浦家は手続きの処理を行なう。
世界の母でないと出来ない所はやってもらい、それ以外は全て両家の連携で手伝う。
エンバーミングという防腐処置を施して国内への搬送。
桂家のコネで葬儀場の安置室まで世界の遺体が運ばれた。
「……」
刹那の手元に約束のリボンだけが戻ってきた。
赤黒い血に染まって落ちることがない。
それが失った世界の命を表していた。
刹那は認めない。
まだ約束を果たしていない。
もう一度世界に会って、その手でリボンを返してほしい。
そうしないと無効だ。
こんな形で受け取りたくない。
その際、世界の母へ刹那が迫った。
頭に鮮血のリボンを付けて。
「世界を返してください」
「やめなさい刹那。もう世界ちゃんは帰ってこないの」
刹那の母が娘を強く抱きしめて止める。
それでも刹那はやめない。
悲痛にも世界の母を責めた。
自分の夢のために娘を犠牲にした。
その罪深さが許せなくて我慢ができない。
「返して……返してよおばさん……私の……っ……おねえちゃん返して!!」
異母姉妹のことは禁忌として互いに触れなかった。
娘に隠していても当人たちは知っている。
実際に口に出されてしまうと重みが違う。
両家の母が受けた衝撃は如何ともし難いものであった。
世界の日記には心残りが書かれていた。
それは一度も刹那に対して、愛称のせっちゃんで呼んであげなかったこと。
唯一、刹那と本気で喧嘩をしたあだ名事件。
言葉を紹介してせっちゃんを譲ったあの日を忘れない。
空港で見送られた時に呼んであげればよかった。
だから次に再会して二人っきりの時に呼んでみよう。
それで刹那が幸せに感じてくれることを願って。
故人の心残りを叶えるため通夜の寝ずの番がある。
置き型の渦巻線香で長時間に焚き続ける。
世界と最も関係が深い親族は、腹違いの妹となる刹那に他ならない。
二人っきりで最後の時間を過ごしてもらうため刹那が寝ずの番をする。
実際には徹夜でやる必要はなく、眠りたい時は寝て構わない。
「……」
棺桶で永眠をしている世界の傍から離れない。
遺品となった世界の日記を最初から目を通す。
ページの所々で涙の跡があり、世界がどれだけ独りで我慢をしたかが伝わる。
ホームシックに耐えるためか、回想日記になっている所もあった。
それぞれの出会いが書かれて、刹那も懐かしく思い出す。
いずれも世界の傍で見てきたので記憶の共有がされている。
「……っ」
刹那の表情が曇る。
体が弱いことを精神で耐えるには限界があった。
悪い夢を見ることが増えて不眠症に悩まされていく。
どこかで命を落とすかもしれないという弱音が垣間見える。
そのたびに刹那のリボンを返す約束で奮い立たせた。
「無茶はダメって……あれほど言ったのに……」
文字の筆圧と乱れから世界の辛さが嫌というほど伝わった。
刹那が傍にいたら間違いなく止めている。
もういい休めと叱り飛ばしてでも休ませている所だ。
母が今まで以上に多忙で世界を見ていなかった。
世界も母の邪魔をしないように気を遣い続けた。
そして空白のページが続き、最後のページに遺言が書かれていた。
『刹那との約束は守りたい。もし果たせずに私が死んじゃったら、借りてる刹那のリボン、刹那の所へ返してほしい』
日記を落として棺桶に両手をつける。
力がこもってしまって打撃音が響いた。
ギュッと拳を握り、顔色が真っ青に染まる。
「私のせい……私が世界を……おねえちゃんを……」
世界がパリの生活が落ち着くまで連絡をしないように皆に言った。
その配慮が裏目となり、逆に世界を追い詰めてしまった。
もし連絡をしていれば、世界は助けを求めてくれたかもしれない。
仮に強がりで嘘をついても、刹那なら声だけですぐにわかる。
そうすればパリまで助けに行けたかもしれないのに。
「あぁ……ぁっ……っ」
半身をもがれるような精神的な痛み。
喪った存在があまりにも大きすぎる。
かけがえのない親友であり家族を、己の判断ミスで死なせた。
殺したも同然という自責の念に耐えきれない。
母がどれだけ刹那は悪くないと言っても効果はない。
世界が体調を崩して危険なことになるぐらいは予想ができたはず。それが出来ないほど、刹那の視野は狭くなっていた。
無理もない。
空港での別れがそれほどまでに辛く悲しかったから。
ささやかな葬式が始まる。
親しい身内や友人が参列をしていた。
頼れる親戚がいない浮気の子ども。
そんな辛い立場にいながらも明るく振る舞い、周囲への気配りを欠かさなかった。
呆然とする者、涙を流す者、落ち込み下を向く者など反応は様々。
そんな中、遺族以上に声をあげて泣き叫ぶ者がいた。
桂心と伊藤止。
故人の世界が国際便で贈り物をするほどに気に掛けてくれた。
知らせない訳にはいかず、弔いの場は慟哭と化してしまう。
そんな出来事があっても時間は残酷にも流れていく。
いつもの日常として社会人は職場、学生は学校の生活を送らなければならない。
寒い冬でも屋上で一人のお昼休みをする言葉。
天文部の思い出が忘れられなくて部長を引き継いだ。
あれから刹那は学校に来ていない。
部屋にひきこもって登校拒否を続けている。
刹那の母または見舞い代表の言葉が食事を出しても全く手をつけない。
無理に食べても吐き出す拒食症に陥っている。
空港での別れが言葉の脳裏によぎる。
大切な親友を、妹を託されたあの日を。
その場限りの事だとは思わない。
世界の遺志を継ぐため刹那を見捨てたりはしない。
この日も欠かさずに言葉は見舞いへ行く。
刹那の母から受け取っている合鍵を使ってマンションの部屋へ入る。
ふと胸騒ぎがして急いで刹那の部屋をノック。
いつも通りに反応がないので扉を開けた次の瞬間。
「っ!!」
ベランダまで一気に駆け出し、刹那を引き寄せての平手打ち。
いわゆる火事場の馬鹿力で、刹那の飛び降りを阻止した。
刹那の頬が赤く腫れたのに痛がる様子がない。
目が虚ろで倒れたまま動かない。
「二度と……二度とこんな事しないでください……お願い……します」
悲しみを押し殺して声掛けをする。
腫れた頬を優しく撫でても無反応だ。
言葉はあらゆることを考える。
刹那が自らの命を絶とうした事実。
このまま放っておくと次こそ命が危ない。
だからといって施設入院をさせても解決できるとは思えない。
生ける屍となってしまい二度と会えなくなる。
それは言葉にとって受け入れ難いことだ。
だがここで閃く。
もしかしたら刹那の意思を取り戻せるかもしれない。
たとえ仮初のものであっても構わない。
精神的に限界を迎えつつある言葉に選択の余地はなかった。
「なにボーとしてるの刹那。もしかして夢でも見てるの?」
それは世界のモノマネ。
幼馴染としてずっと見てきた言葉。
喋り方や仕草のクセを再現する。
たとえ死者への冒涜だとわかっていても。
「せ…ぃ…っ……」
刹那から反応があった。
ハッキリとは聞こえないが微かな声が漏れる。
刹那を救えるなら何でもやる。
これまでの思い出を糧として世界の喋り方を続けた。
刹那は幼児退行を起こしているのか、せっちゃん呼びを求める。
そして世界のことをおねえちゃんと呼びたいようだ。
今まで溜めていた願望が溢れているのだろう。
言葉は受け入れる。
亡くなった世界への罪悪感を抱えながらも実行する。
刹那まで喪いたくない。
そうなったら言葉の精神が壊れてしまう。
否、もうすでに壊れているのかもしれない。
世界の墓にお供えするための贈り物を作る。
桂心と伊藤止が協力をして絵を描いた。
天使の世界を止が描き、天国の背景を心が描く。
二人のメッセージも世界宛に書いた。
止は立派な画家になる。
天国の世界に喜んでもらいたいから。
心はお母さんの手伝いをしてお姉ちゃんを支える。
天国の世界が言葉のことで心配をしなくてもいいように。
喪った世界の繋がりで、止と心は大親友となった。
世界の髪型・色・長さを調整。
触覚のように逆立つ毛まで言葉は再現をする。
胸を小さくする手術もするほどの徹底ぶり。
たとえ周りが何と言おうとも突き進む。
刹那のために西園寺世界を演じるのをやめない。
当然ながら両親の猛反対があった。
そこに介入をしたのが気丈に振る舞う心。
こころの命を引き換えにしてもいい。
お姉ちゃんのやりたいようにやらせて。
自己犠牲で一生分のお願いをする愛娘の健気さ。
もはや父は無力感の余りに何も言えなかった。
一方で母は我慢の限界を超える。
世界の母が喪に服すため、桂家が与えた別荘に引きこもった。
そこへ向かい、掴みかかって烈火のごとく責めたのだ。
なぜ相談をしてくれなかったのか。
桂家に世界を預ければこんな事にはならなかった。
その瞬間、世界の母は精神崩壊となる。
今まで仕事のために仕方がなかった。
そんな言い訳をして現実逃避をしていた。
しかし解決策があったのならば、後悔が一気に押し寄せてしまうのは必然。
その後、世界の母は精神病院へ入ってしまい、もう二度と社会復帰をすることはない。
「えへへ、おねえちゃん」
「なによ。もうせっちゃんって甘えん坊だね」
刹那が思い出の公園で散歩できるほどになった。
世界になりきる言葉の腕にしがみついて歩く。
実に歪んだ関係。
狂っていると言われればその通りだろう。
いつまで続くのかは誰にもわからない。
まるで世界とひとつになれたような気がしている。
刹那の頭にある鮮血のリボンが悲哀するように風になびいていた。
【END】