全力疾走っ!青春声援物語 グレイブンロード (挿絵無しVer) 作:匿名423371
3章のあらすじ:むかえた練習初日。志積は、メイケイエールの暴走癖を確実に潰す方法があると告げ、二人に特別トレーニングを課すことになる。その過酷さにエールとソング、ソダシまでもが翻弄されることになり……!そして、次のレースまでにエールの暴走癖は治るのか!?
第17話 - 次と、その次と線を引き続けた
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コン……コン
応接室の扉から、ゆっくりとしたノック音。テーブルに並んだこれまでの資料をパラパラ眺めていたアタシは、座っていたソファの上で姿勢を正して“どうぞ”と答えた
「どうもどうも初めまして。ソングラインさん」
「はじめまして」
扉がのっそりと開き、そこから杖をついた笑顔の男がやってきた。男はよれたYシャツを着ていて、どこにでもいる白髪のおじいちゃんのように見えた
落ち着いている、というよりのんびりした声だな。おじいちゃんの方を眺めてそんなことを思う。彼は杖をついた姿で入室し、対面のソファにゆっくりと腰掛けた
その男は、弋孝吉(いぐるみこうきち)と名乗った。受け取った名刺に目を落とせば、見たことも聞いたこともないような珍しい苗字なのがわかる。志積トレーナーよりも年老いているよう見える彼は、本日最後にスカウトに来たトレーナーだった
「………ありゃりゃ。その資料の数。もしや、他にもトレーナーがいらっしゃったのかなぁ」
「そうですね。あなたで七人目のトレーナーになります」
「あはは………流石ソングさん、大人気ですねぇ!それじゃあきっと、私のところには来てくれないなぁ………!」
「わかりませんよ。私の選手生命を預けるトレーナーですもの。全員の話を聞いてから、慎重に決めたいと思っているので」
………アタシが、GIレースのNHKマイルにて二着入線した後日。“野良”と呼ばれる専属トレーナーのいない立場のアタシのもとに、様々なトレーナーがスカウトしにやってきたのだった
弋さんは、か細く頼りない声で話を切り出した。これまでのスカウトとは違い、アタシの才能を褒め称えるのではなく、弋さん自身の身の上話から始めた
「………実績のない学校は、廃校になってしまうんです」
ぽつりぽつりと、まるでにわか雨のようにゆっくりと言葉を並べていく。弋さんの所属する函館校の生徒は、たった7名ぽっちしかいないのだとか。設備も職員もなにもかもが、同じ北海道に位置する札幌校に劣っているため、長い間定員割れが続いているという
各学校の強さを表す競専序列も万年最下位で、そんな環境であるから生徒全体のモチベーションも微妙。所属生徒はGIどころか、10年間一度も重賞に出場できていないのだそう。このままでは、廃校になってしまうのも時間の問題だと、深刻な面持ちで語った
「私はね。私たちが長年築き上げてきた学校を守りたいのです」
切実な思いを語る弋さんに対して、アタシは曖昧に、“はぁ……そうですか………”と言うことしかできなかった。そんなこと言われても、走る事しかできないアタシに一体どうしろってんだ。悪いが、競走雑誌の取材すら来ないアタシにアイドル的動員力はないぞ?
弋さんは続けて、学費や食費、移転費諸々の費用は全て函館校が負担すると主張した。ボンボンだらけの競専生と比較して、かなり貧乏な方であるアタシにとって、全額負担はかなり魅力的。重賞に出場出来るだけの実績は一応持っているアタシに、どうしても函館へ来てもらいたいようだった
「全額負担はすごく助かるのですが………私が函館に転校するメリットというのはあるのでしょうか」
「広大な自然に、広いトレーニングコースが一つあります。まあ、それくらいですな」
「独自のトレーニング方法とかは」
「特にはないですねぇ」
「これだけは負けないと言えるような、他校にはない魅力とかは………」
「はは……!そんなのあったら、私もここまで困っていませんよ!」
「はぁ…………さいですか………」
う、うーむ………つまりは、函館校には何も魅力がないってことじゃないか………
こんなことを思ってしまうのはすごく申し訳ないのだが………ハッキリ言って、論外だ。中京からわざわざ北海道まで転校するメリットがなさすぎる
全額負担というのだから、魅力が一つでもあれば転校も考えたのかもしれない。だが魅力が一つも無しとなれば、中京で自主練した方がマシだ。こっちの方が練習設備がいいし
気まずい沈黙が流れる。応接室の時計の針の音だけが響き渡り、重たい空気が部屋を支配した
弋さんは視線を落とし、手元の杖を静かに握りしめた。アタシも視線を泳がせ、どうにかこの場を収める言葉を探していたが、何も思いつかない
「ソングライン………良い名前ですよね」
沈黙を破ったのは弋さんだった
それは、深い哀愁を帯びた呟き。突然の切り出しに、アタシは“どうも”と答える
「オーストラリア先住民族アボリジニは、旅の途中で出会ったあらゆるものを歌にしてきたとされている。先祖が残した旅の足跡たるその歌は、迷い人に道を示し導いてくれた。後にそれは、“ソングライン”という名前で呼ばれるようになった」
「よくご存知で」
「いやいや、ははは………付け焼き刃の知識ですよ。あなたの口説くためのね」
アタシの名前について触れたのは、このトレーナーが初めてだった。付け焼き刃と言っていたが、それでもアタシは、ほんの少しだけ嬉しいと思ってしまった
「NHKマイルに素質を持った野良のウマがいるという噂を聞いて、私はあなたの存在を知りました。野良でここまで強いウマも珍しい………」
「ありがとうございます」
「私はあなたをスカウトするために、あなたの全レースやプロフィールを調べ上げてきました。中でも印象に残ったのが………紅梅ステークスでの末脚でしたね」
紅梅ステークスは、アタシのたった二度しかない勝利レースの一つ。それに触れたのも、彼が初めてだった
「とても見事でした。まっすぐ芯の通った走り方をしていて」
………未勝利を勝ち上がってもなお、誰からも評価されなかった日々。貧乏な家庭の都合で塾にも入れず、ひたすら孤独に走り続けていた日々。その中でようやく掴んだ、アタシの圧倒的な勝利。三バ身差の快勝劇
だからアタシは、名前のことと同様に、紅梅ステークスは話題に上げてくれるだけで嬉しく思ってしまうのだ。アタシって、なんてちょろいんだろう
もしこの人が、本当にアタシのことを見てくれるのなら───そんな言葉が頭の中をよぎってしまう
………しかし弋さんは目線を上げ、天井に話しかけるようにして、言った
「アレはまるで、見るもの全てに行くべき光の道を示してくれる、まさに“導”(しるべ)のような走りでしたよ」
「………」
「才能、財力、血筋、そして幸運。GI覇者になるためには、それらを全て持っていなくてはならないと言われています。ですがあなたは、そのどれもに頼らずここまで来たのです」
「………………」
そして、アタシの方に向き直り、目を輝かせて言った
「貴女ならきっと………私たちのような、恵まれない人々にとっての、ヒーローのような存在になれる」
「………そうですか」
そんな浮ついた、ポエムみたいなセリフを聞いたアタシの内心は………
心底、ガッカリしていたのだった