全力疾走っ!青春声援物語 グレイブンロード (挿絵無しVer)   作:匿名423371

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第25話① - あなたの手を握ってしまった

 

「やっぱり、ソダシの言う通りだったかもしれないな」

「………? 何の話?」

「いーや。なんでもない」

 

 隣に並ぶ女王様に向けて、アタシは突拍子もなく朗らかに笑う

 七月初旬、小倉レース場。観戦スタンド3階の関係者エリアから、賑わうパドックが見下ろせる

 今日はエールが出場するCBC賞の当日だ。アタシとソダシはエールの登場を、雑談しながら待っていた

 

「断食のやりすぎで幻聴でも聞こえるようになったし?」

「幻聴に返事したんじゃないって。ちょっと言ってみただけ」

「………唐突過ぎて普通に怖いし」

 

 そして、アタシたちが断食持久走を継続して、だいたい2ヶ月が経過した

 ………エールの絶叫があった日から二日後。危険人物と呼ばれる男とのトレーニングなど真っ平御免だと拒絶したのにも関わらず、結局アタシは、志積Tの練習に復帰していたのだった

 

「断食持久走なぁ〜………今日までそれを続けたこと、アタシはぶっちゃけ後悔してるんだよ」

「え、えぇ………?」

「だいぶキッツイトレーニングだったが、断食による栄養不足で走る筋肉も満足につかない。瞬発力が命のアタシには不適合ってところだな」

 

 断食しながら毎日50km走る地獄のトレーニング。その影響で、身体は見るからに痩せ細り、体力も落ちてしまった。試しにターフを走っても、上がりの速度は明らかに鈍っていたのだった

 ソダシは手すりに手をつきながら、呆れたような表情を浮かべる

 

「愚かとしか言いようがないし。私たちはマラソンランナーじゃないんだから、ちゃんと競走選手に即したトレーニングじゃないと」

「まあ………それには同意見っちゃ同意見だ。そのことでアタシも、志積トレーナーに軽く楯突いたしな」

「………わかっていて続けていたってこと?あなたが志積トレーナーと合流した理由が、ますますわからなくなったし」

 

 でも、───彼を擁護するわけではないが───2ヶ月の断食を経た今は、不思議と不快な感じはしないのだ。最初は痛いほど飯をくれと要求していたお腹も、もう何もしてこない。むしろなんだか、感覚が今までよりも機敏になっている気さえするのだ。夜にぐっすり眠れて、朝気持ちよく起きれたあのスッキリした気持ちが、一日の長い間続いている

 もしかしてこれが、志積Tがアタシたちに得てほしいものだったのかもしれない。そう思えるほどの劇的な変化だった

 

「そんなの、ただのプラセボだし。“気のせい”ってやつだし」

 

 そうやってアタシが説明すると、手厳しい返事が返って来た。それを言われたら、こちらはもうなにも言うことができない

 

「んまあ、結局また彼と合流しちゃったけどさ………アタシは今までも、そして今でさえも、あの男を信用していないぞ」

「………じゃあなぜ、あなたはそんな過酷なトレーニングを、ずるずると続けたんだし?あなたの本当の目的は一体何?」

 

 ………うーん。どうやら、本当に疑問を持って訊いているようだ

 普段のソダシならわかっていそうどころか、それを揶揄ってくるはずなんだけどな。まあでも、別にわからないなら、わからないままでいてもらった方がいい。そのほうが、恥ずかしくないし

 アタシは下の階のパドックに目線を戻し、無言で意味ありげにニヤッとしてやった

 

「………………………」

「なにか言うし。黙ってたら何も伝わらないし」

 

 不服そうに睨んだソダシは、諦めたように小さくため息を吐いた

 

「そもそも………断食と持久走を組み合わせたトレーニングなんて前代未聞。科学的根拠もない。どんな考えかは知らないけれど、そんな博打に私のエールちゃんを巻き込んで欲しくなかったし」

 

 まあ、それも正論だな。管理局が認可したトレーナーの元で、正しい知見に基づいたトレーニングをするのが常識だ

 校内に専属トレーナーを配置していない中京校においても、信頼性の高い外部のトレーニング塾と綿密に連携し、生徒たちの身体的発達を慎重にサポートしていた。トレーナーライセンス制度もその一環。間違った指導から生徒を守るためのシステムが存在していたのだ

 でも、家庭が裕福ではないアタシのような子は、追加で費用がかかる塾のトレーナーと契約することができない。それは、特殊な事情を抱えたメイケイエールも同じだった

 

「博打ったってなぁ。メイケイエールにはそもそも、浮浪者中年男性の志積トレーナーしか選択肢が無かったんだぞ?それは白雪の人間が、トレーナー契約禁止という謎ルールを押し付けたせいだ」

 

 エールが抱えていたしがらみを、代わりにアタシが不満の形にして出力する。志積トレーナーとの関係を結ぼうとした時、彼女はそんな事を言っていた

 これを受けたソダシの、パドックを見下ろす目線はキツくなった

 

「………結論から言うと、私以外の白雪家は、エールちゃんに競走選手活動をさせたくなかったんだし」

「当時から危険人物扱いだったのか」

「複雑な事情があったんだし。そのことで私は、あらゆる手を使って抵抗し、エールちゃんの競走選手の道を守ろうとした。私vs白雪のいざこざの中で産まれた“トレーナーと契約しない”という約束は、白雪側の精一杯の譲歩だったんだし」

「………なんだよそれ。彼女の過去に何が───」

 

 アタシがさらに深く聞こうとしたその瞬間、周りの観客が突如として沸き立った。パドックに目を向けると、一人、また一人と、華やかな衣装をまとった選手たちが入場している

 パドックの時間が始まったのだ。入場する選手たちはそれぞれ観客に向かって手を振り、自分の存在をアピールしている。アタシはアイツを探すように視線を巡らせていると、最後の方にその姿を見つけた

 黄緑を基調としたチアリーダー風の勝負服。豊満な胸に“Meikei”の文字が入ったデザイン。彼女こそがメイケイエールだ。しかし、華やかな服に着られているその少女は、どこか申し訳なさそうに縮こまっていたのだった

 

「おいおいどうしたんだアイツ………あんな調子でレース走れるのか?」

 

 心配になるアタシの隣で、もう一つため息の音が聞こえる

 

「………いつもこうなの」

「いつも?」

「パドックの時間になると、彼女はいつも、どこか具合の悪そうな姿を見せるの」

 

 ………自分も見覚えがある。以前の競専余興レースやNHKマイルの時も緊張しい感じだった

 NHKマイルの時のアタシは、妙に静かだった彼女を“上品でお淑やか”と表現していた。しかし振り返ってみれば、それは緊張や不安でいっぱいになって、強張っているとも表現できた

 

「───ねぇ、ソングちゃん」

「なんだ」

「今から私が言うこと、エールちゃんには絶対に秘密ね」

 

 俯くエールを見守りながら、複雑そうな表情を浮かべるソダシ。彼女の口から、一見穏やかな絹糸のような声が発せられる。だがその繊細さゆえに、彼女の秘めたる感情が露わになっていた

 

「パドックでの、エールちゃんの気まずそうなあの姿を見ると………私はいつも後悔してしまうの」

 

 それは、震え。じっと耳をすませばわかる程度の、細やかな振動だ

 

「彼女にレースを続けさせてしまったのは、実はほとんどが私のエゴなの。私の醜いエゴの押し付け。だから、彼女はずっと、辛く苦しい思いをしているのかなって」

 

 悔恨と、苦しみと───そして、怒り。エールに向けられたものではなく、何かもっと大きなものへ向けた………あるいは、ソダシ自身に向けられた感情のようだった

 

「だからずっとエールちゃんは、何かに押しつぶされそうに、しているのかなって」

 

 静かでありながら、確かな熱を帯びたその怒りが、彼女の声に滲んでいるよう。そんなソダシの感情の正体を問いただすことなど、今のアタシには到底できなかった

 

「エールなら即座に否定しそうだな。その上でまた、自分で気を病みそうだ。ソダシちゃんにご心配を………とかなんとか言って」

「きっとそうね。だから秘密」

 

 パドックの時間が終わり、一人、また一人と、会場から選手が姿を消す。パドック出口へと続くその列にぼんやりと追従するメイケイエールの背中を、静かに追っていたソダシの眼差しは、次の瞬間ゆっくりと閉じられた

 ………そして一呼吸置いてから、意を決したようにアタシへと向けられた。まっすぐな瞳が、迷いを断ち切るようにアタシを射抜く

 

「………………ソングちゃん。行ってきて」

「………えっ?」

「いいから行ってきて。いますぐ。エールちゃんの控室に」

「えっちょっ………」

 

 いきなりぐいっと食い気味に頼んできた彼女に、アタシは少し怯んでしまった

 体調がすぐれ無さそうなエールのことが心配なのはわかる。だが、アイツの控室にアタシが行ってどうするんだよ。アタシに何ができるっていうのだ

 

「ソダシが行って励ました方が絶対にいいだろ」

「ダメなの。私じゃ」

「ダメって………何言ってんだよ。お前ら二人とも、お互い一番信頼し合ってる仲なんだろう?」

 

 やれやれ、わかっていない。そう言いたげに首を振る女王様は、次のセリフを続けた

 

「信頼し合ってるのはその通りだけど………前にも言ったじゃない。私の気持ちなんて、ずっとずっとずぅーっとエールちゃんに伝えてきたんだって。だから今更、私が何か伝えたところで変わらないのよ」

「………なら、アタシだと尚更無理だろ」

「違うの、あなただからこそなの。あなたこそが、エールちゃんをきっと変えられる存在の」

「えぇ………??」

 

 全く意味がわからなかった。アタシなんて、ただエールと一緒に練習していただけのサラブレッドだ。そんなアタシに、エールの何を変えられるっていうのだ

 

「いい?エールちゃんに足りないのは、あなたの気持ち。のべ2ヶ月を共にしたあなただからこそ投げかけられる言葉を、エールちゃんにそのままぶつけて欲しいの」

「は、はぁ………」

「………もしかして。あんまり納得できてないのかしら」

「そりゃ、まあ」

 

 どうして彼女はそこまで、アタシを過大評価できるのか。以前もソダシと似たような話をしたが、正直なところ今日まで全く納得ができなかった

 そもそもエールを励ます言葉なんて、アタシの頭には何一つ浮かばないのに………それでも、ソダシの目は真剣だった

 

「そこまで言うなら、改めて教えてくれ。なぜそこまで、アタシならエールを変えられるって、ソダシは期待できるのだ」

 

 ソダシは一瞬アタシを見つめた後、ふっと小さく笑った。その笑みはどこか寂しげで、それでいてどこか暖かかった

 

「ふふ………なぜって、決まっているじゃない。あなたは、あなた自身の加害者であるはずのエールちゃんを、今日まで放っておくことができなかった」

「………………」

「私は、エールちゃんをずっと気にかけてくれたあなたの事を………エールちゃんの次の次の次くらいには信じてるんだし」

 

 いや。そうだ………そうだった

 アタシの初GIをめちゃくちゃにしやがったメイケイエールのことを、今日まで気にかけなかったことはなかった。むしろ、そんなアタシが友人としてそばにいれば、エールに何かしらの変化が生まれるかもしれないと考えたことすらあった

 

 ああそうだ。通話したあの夜、ソダシが言いかけたこと、その通りだったな

 ひまわりが咲くような満天の笑顔。邪気を吹き飛ばすほどの快活な大声。そして、一生懸命に努力するその姿。エールのことを知れば知るほど、単にほっとけないやつという評価から、少しずつ違うような感情に変わっていったのだった

 ライバルとして、練習仲間として、そして友人として。アタシはエールに、好感のような物を持ち合わせてしまったのだ。そんなアイツが心配だったからこそ、アタシはあんなに警戒していた志積トレーナーとの練習にも我慢して復帰したんだ

 

 それだけではない。アタシが彼女のことをほっとけなかった理由が、もう一つだけある

 食べ物もろくに口にせず、50km走を毎日こなす断食持久走。それを毎日毎日休まず、苦しげな息をつきながらも、歯を食いしばって必死にこなすエールの姿を覚えている

 汗で濡れた髪が肌に張りつき、たとえ地獄のような苦痛が表情に色濃く滲もうと………瞳に燃ゆる炎は絶対に消えない。頑固とすら呼べるほどの不撓不屈の精神

 そんな姿が、まるで………憎くき宿敵シュネルマイスターの背に追いつくため、必死に踠くように努力していた昔の自分自身の姿に重なって

 一緒なんだって………アタシとエールは一緒なんだって。そう強く共感、共鳴してしまったのだった

 

 ───丁度いい。仕返しの時だ

 何を言おうかはまだ決まっていないが、アタシもアイツに思いっきりぶつかってやることにした

 ふーっ、と大きく息をつき、気持ちを整える。そしてアタシは、真剣な面持ちで対面するソダシに対して………まるで初めから決めていたかのように、淡々と言ってやったのだった

 

「………行ってくる。やるだけ、やってみるぞ」

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