俺には大好きな叔父がいた。
名前は
うちの両親は共働きで、家を長く空けることも多い人たちだった。
そこで、俺が世話になっていたのがショウヤおじさんだった。
おじさんは筋肉ムキムキの強面だが、とにかく俺には優しくしてくれた。
「パンチの瞬間に反転っ! そうだ!」
「せいっ! えいっ! こう? できてる?」
「できてるできてる! すごいぞケンゴ!」
小学生くらいの時から、俺はよくおじさんの家に泊まってボクシングを教えてもらっていた。
庭に置いてあるサンドバックを使って、"個性"を使ったパンチの練習をした。
俺の"個性"は母と同じで、そしてショウヤおじさんともほとんど同じだった。"個性"が分かった時、おじさんは飛び上がるほど喜んでいたのを覚えている。
「俺たちの"個性"は無敵だぞ! 鍛えたら何だってできる」
汗をぬぐって水を飲んでいる俺に、おじさんは楽しそうに話しかけてきた。
「将来は何になるんだケンゴ。最強のヒーローにでもなっちゃうか?」
「うーん、それよりおじさんと同じ仕事がしたいな。"ボクシングパフォーマー"」
「お、そ、そうか? いやでもお前はヒーロー向いてると思うけどな~。パフォーマーなんて地味だし、稼ぎも良くないし……」
「じゃあなんでおじさんはその仕事してるの?」
「それは、まあ成り行きというか……。あ、アイス食べるか? 取ってきてやるよ!」
思えば、この時からおじさんの仕事はパフォーマーなんかじゃないと薄々わかっていた。でもなんとなく踏み込んじゃいけないところなんだと思い、深く追求したことはなかった。
「お、ケンゴ君! こんにちは~」
「あ、あんじょうさん! こんにちは」
庭で座っていた俺に声をかけてきたのは、おじさんの仕事仲間の
おじさんとは正反対の印象の人だった。
「叔父さんはいますか?」
「うん、今中にいるよ」
そんなことを言っている間に、おじさんは会話が聞こえていたのかアイスを持って庭に出てくる。
「暗条! お疲れ! 何か用か?」
「反町さん、お疲れ様です。近くを通ったので寄っただけですよ」
「そうか! ほれ、アイスくってけよ」
「アイスだ! おれゴリゴリ君!」
「アハハ、では私もいただきますね」
俺たちは並んでアイスを食べた。暗条さんは仕事の関係でおじさんの家に来ることがあるようで、俺も今まで何度か顔を合わせたことがある。
しゃべり方が丁寧で優しいし、お菓子を買ってくれたこともあった。
俺の好きな大人の一人だ。
「ケンゴ君、トレーニング頑張っているみたいですね」
「うん!」
「こいつは練習熱心なんだよ。ただ、俺としてはもっと友達と遊んだりしてほしいけどなぁ」
「それよりボクシングの方が楽しいもん」
「学校に仲のいい子はいないんですか?」
「別にいない」
教室でおしゃべりするくらいの同級生はいた。でも放課後に誰かと遊んだりはしなかった。
この頃の俺は、少し背伸びしていたんだと思う。同級生のことを幼稚だと思ってしまっていた。
それよりもおじさんと過ごす時間が楽しくて、ボクシングが上達することが嬉しかった。
「友達はいいぞ! 暗条みたいに頼りになる友達がいると便利だそ~!」
「なんですかそれ、ちょっと失礼ですよ」
二人は楽しそうに笑う。
おじさんは、俺に友達がいないことをだいぶ心配しているようだった。
「そういえば反町さん。次の"仕事"、決まりましたからね。また日程は連絡します」
「お、そうか。了解」
「最近好調ですね。私も鼻が高いですよ」
「お前のおかげだよ!」
「フフッ、光栄です」
子供ながらに二人はいいコンビだろうなと思っていた。
おじさんは努力家だが、頭が良いタイプには見えなかった。逆に暗条さんは控えめな性格だが、物知りで頭が回る大人だ。
俺に内緒の仕事は上手くいっているようで、俺もなんだか嬉しかった。
おじさんが地下格闘をしていることを知ったのは、俺が中学二年生の時だった。
「じゃあ、仕事行ってくるな! おやすみケンゴ」
「うん、いってらっしゃいおじさん」
その日はおじさんの家で泊まる日で、おじさんは夜遅くに仕事に出かけた。
俺はおじさんを見送り、しばらくした後にスマホを確認する。画面には移動するマーカーが表示されていた。
おじさんのカバンにこっそりGPSを仕込んだのだ。必要なものは、近所の電気屋さんで売っていた。
俺はいい加減、おじさんに本当の仕事を教えてもらいたいと思っていた。直接聞いたことも何度もあったが、はぐらかされるばかりだ。
だから俺は自力で確かめることにした。
俺はスマホの位置情報を頼りに、夜の街を歩き始めた。
おじさんに申し訳ない気持ちもあったが、夜の街の雰囲気も相まって正直ワクワクしていた。
GPSで人を追跡するなんて、まるで探偵みたいだ。
人通りも少なくなってきたビル街をしばらく歩くと、スマホのマーカーはとあるビルで止まった。
どの階も電気が消えていて、何かに使われているようには見えなかった。
さてどうしたものかとビルの前でうろうろとしていると……
「おい君、何やってるの」
「え?! あ、いや」
低い声で俺に声をかけてきたのは、スーツ姿のガタイのいい男だった。
サングラスをかけていて、よく見ると胸元にマイクのようなものもついている。
「ちょっと道に迷っちゃって……」
「どこ行くとこだったの」
「それは、そのぉ」
「……」
かなり怪しまれている。
怖い。
こんな人気のないところで、子供にこんな高圧的な話しかけ方をしてくるなんてきっと普通の人では無い。そう思った。
俺が身の危険を感じ始めたその時、聞き覚えのある声がした。
「あれ、ケンゴ君?」
「あ、暗条さん!」
現れたのは、眼鏡をかけた見知った顔だった。
「あ、すんません。暗条さんのお知り合いでしたか」
「そうです。私が案内しますのでご心配なく」
「はいっ!」
最初の男はきびきびと返事をする。どうやら暗条さんの部下のようだ。
一気に安心した俺は、暗条さんに正直にショウヤおじさんをつけてきたことを話した。
「アハハ、まったく。大胆なところは反町さんに似ていますね。怖かったでしょう」
暗条さんは優しく笑ってくれた。そして話をしてくれた。
どうやら暗条さんは、以前から俺に本当の仕事を教えた方がいいとおじさんに言ってくれていたらしい。
きちんと話せばわかってくれる、隠し事が一番よくないと。
「では見に行きましょうか。叔父さんの仕事ぶりを」
「お、お願いします!」
俺は暗条さんに連れられて、ビルの階段を下って行った。
『
その空間は異様な熱狂に包まれていた。
この時が、俺とファイトクラブの初めての出会いだった。
感想は「怖い」。
薄暗くて怖い。
怒鳴り散らしている大人たちがたくさんいて怖い。
殴り合いを楽しんでいるのが怖い。
真ん中のガラスで囲まれたリングの中では血の流れる殴り合いだ。
痛々しくてあまり見る気になれない。
しかし、そのリングをよく見るとあることに気が付いた。
「あの人って……」
「はいそうです。叔父さんですよ」
先ほどBreakerと呼ばれていた選手は、マスクをしていたがよく見るとショウヤおじさんだった。ボクサーの格好をして拳を構えている。
対戦相手は全身が鱗のような、異形系の"個性"のようだ。
『おっとLizard、組み付いて寝技に持ち込んだ! これにはBreaker返せない!』
おじさんが鱗の身体の下敷きになる。俺やおじさんの"個性"は、パンチやキックの「瞬間的な攻撃」に対してはめっぽう強い。
逆に掴まれたり締められたりするような、「持続的な攻撃」にはあまり効果を発揮しない。
これは相手の戦い方が上手かった。
「まずい……これはピンチですね」
「おじさん……」
『Lizardの鋭利な「スケイルメイル」が押し付けられている! フロアにBreakerの血が流れる!!』
「おじさん!!!! 頑張れ!!!!」
「――っ!?」
我慢できず、俺は大声で声援を送った。他の観客の声もあり届くとは思わなかったが、おじさんには聞こえたようだった。
地面に押し倒されながらも、仮面越しに俺の方を見た。
「俺たちの"個性"は最強だろ!!」
Breakerが動いた。
『おぉっとBreaker! ステージ床を思い切り殴りつけて割ったぁ! しかしLizard離さない!!』
おじさんは組み付かれながらも、"個性"を使って床を殴った。
そして割れたステージの"破片"を掴み、ガラスの壁に向かって投げる。
「かっこ悪いとこはぁ……見せらんねぇんだ!」
腕の可動域が限られた中で投げた破片は、壁に軽くぶつかる。
その瞬間。
「『衝撃反転』……!」
俺とおじさんの"個性"は少しだけ違う。おじさんは少し離れた場所にあるモノに対しても『衝撃反転』を使える。
壁に軽く当たったはずの破片は、予想を上回るスピードで跳ね返る。
それは組み付いている対戦相手の顔面に吸い込まれるように飛んで行った。
「イってぇ! クソッ!」
一瞬の怯みのスキを突き、おじさんは組み付きを振りほどき立ち上がった。
『これはトリックプレー! 反射を使った目つぶしで難を逃れた! あの脳筋Breakerが一体どうした!!』
この時の俺は、もう恐怖は感じていなかった。
ただ見入っていた。
Lizardがもう一度組み付こうと迫ってくる。
それを軽やかなステップで避けるBreaker。
スタミナの限界が先に来たのは相手の方だった。
呼吸を整えるため動きを止めたところに、一気に距離を詰める。
「終わりだっ!!!!」
響き渡る衝撃音。
"個性"を使った渾身の拳が鱗を突き破る。
白目をむいて倒れるLizard。
『ノックダウン!! 勝者は
「勝った……ショウヤおじさん……!」
「さすがですね」
俺と暗条さんは安堵して顔を合わせる。
本当に安心した。そしてかっこよかった。おじさんは本当に強いんだ。
『みんな聞いてくれ!』
気が付くと、おじさんはマイクを手にしていた。運営から受け取ったようだ。
『俺は、今日。ファイトクラブを引退する!!』
どよめき。
『俺は地下で学んだし、育ってきた。でもこれからは、甥っ子のためにまっとうに働こうと思う』
今度は静寂。のちに、拍手。
どうやらおじさんは、この地下の人たちに愛されていたようだ。引退宣言も受け入れられている。
暖かく送り出されている。
おじさんがこっちを見て手を振っている。
俺は嬉しかった。
俺のために決断してくれたことが嬉しかった。
おじさんは強いから、今からでもヒーローを目指すのも悪くないと思った。
「楽しませてもらったぞ!」 「お疲れ様!」 「元気でやれよ!!」
飛んでくる声も暖かいものばかりだ。
「……なにを、勝手なことを……」
ふと隣を見ると、暗条さんが見たことのない表情をしていた。
「だから! そういうことは私に相談してくれないと――」
「ま、まぁ落ち着けって」
俺は暗条さんに連れられ、選手控室のような場所へ入った。
暗条さんはおじさんを見るなり、すごい勢いで詰め寄っていった。
勝手に引退宣言をしたことがよっぽど許せないようだ。
「私はどうなるんですか! ここまでやってきて!」
「あ、もちろん暗条が良ければ一緒にやめようぜ!」
「……は?」
「まだ次は具体的には決めてないけど、やっぱ俺には暗条がいねぇとな!」
おじさんは、当然暗条さんも誘うつもりだったようだ。
「そうだよ暗条さん! おじさんと一緒に新しいこと始めればいいんだよ!」
「俺たち三人で、まっとうな、楽しいことやろうぜ! ヒーロー目指しちゃおうかな~」
「いいじゃんおじさん!」
「……本当にバカですね」
暗条さんは低い声でつぶやいた後、どこかに電話をかけ始めた。
「迎えをお願いできますか? はい、はいそうです。『衝撃反転』が勝手に引退宣言を……。はい」
「……おい、暗条?」
連絡を終えた暗条さんは、眼鏡を直しながらこちらを向く。
「何から話しましょうか。まずその
暗条さんの後ろに"黒いモヤ"が現れた。
「その
「……それは俺の自由だろ」
「そうはいきません。あなたはボスの"お気に入り"なんです」
後ろのモヤから人の姿が出てきた。
「反町さん、あなたが取れる選択肢は二つです。ボスに"個性"を渡して自由になるか、土下座して選手を続けさせてもらうか」
「何だと?」
……"個性"を渡す? 何を言っているのかわからない。
突然豹変した暗条さんが、怖い。
誰なんだこの人は。俺が知っている暗条さんじゃない。
暗条さんは後ろを向き、現れた人物に声をかける。
「すみません黒霧さん。お手を煩わせてしまって」
「お喋りは結構です。あなたの仕事をしなさい」
黒霧と呼ばれた男は、その名の通り頭部が黒いモヤになっていた。
いきなり現れたところを見るに、ワープゲートのような"個性"なのだろうか。
「では反町さん。どちらにせよ、一度私のボスに会う必要があります。こちらへ」
「……断ったら?」
「そうですねぇ」
暗条さんがちらりと、俺の方を見る。
「ケンゴ君……100%の『衝撃反転』でしたねぇ。反町さんは使い勝手が良い代わりに80%の反転……」
暗条さんが、にやりと不気味に笑った。
「ケンゴ君を連れて行った方が、ボスが喜ぶかもしれませんねぇ!」
「ケンゴに手ぇ出すな!」
おじさんが声を荒げる。
「……では、どうぞこちらへ」
「……わかった」
黒霧とかいうやつに連れられ、おじさんは黒いモヤの方に歩いていく。
怖い。
怖い。
足が震える。
目が潤んでくる。
何が起きているのか理解できない。
暗条さんは悪い人だった?
黒い人はボスとの仲介役?
おじさんは俺を守るために……"個性"を奪われる?
「おじさん待って!!」
おじさんはこちらを振り向いた。
その表情は悲しくもあり、優しくもあった。
「ケンゴ……巻き込んで悪かった」
俺の目をまっすぐ見る。
「……友達、作れよ」
「では、ケンゴ君は私が家まで送りましょうかねぇ」
「……バカ言え」
こちらに近づこうとした暗条さんを、突然おじさんが首元を掴んで止める。
「カハッ……な、にを」
「お前なんかケンゴのそばに残しておけるか」
おじさんは笑っていた。
「一緒に行こうぜ、親友!!」
二人はお互いにつかみ合い、押し合い、もつれるようにしながら黒いモヤの中に消えていった。
静かな部屋、俺だけが残された。
その後の記憶はおぼろげだ。
長い間その場でたたずんだ後、なんとかおじさんの家まで帰った。
暗い部屋でもうおじさんが帰ってこない気がして、恐怖で泣いていた。
そしてその日の三日後。
おじさんは死体で発見された。