(なんじゃ、一体、何が起こった……!?)
とある呪術師が考案し、実行した大規模呪術テロ──死滅回游。
羽場は、そのバトルロイヤルに参加を宣誓した泳者であり、侵入時のランダム転送という結界の特性を利用し、東京第1結界付近で初心者狩りを行っている呪術師である。
(結界の法則を知らぬ無知がまた転送されてきたもんだから……儂らはいつもどおり……刈ろうとして……それで……)
指を動かそうとして──その
それどころか、
羽場はいつの間にか、足元から頭の天辺まで、凍り付いていた。
視界の端に、落ちている人差し指が見える。強い寒冷下にさらされたため、羽場の傷口部分も凍結しており、指が千切れたのだという感覚がほとんどなかった。
なんとか凍結を免れたのは顔の半分。
それ以外はなにひとつ動かないし、動けない。吐く息は白く結晶化し、呼吸に含まれる湿気すらも鼻や唇も凍結させそうなほどだ。
寒さはとうに通り越して、もはや何も感じなくなってきている。
雑然としていた都会の街並みも氷の中に閉ざされ、音という音は凍てつくアスファルトに吸い込まれていた。
(一体、なにが……)
当てのない答えを探すように、再び羽場は惑う。
(そうじゃ、羽生は……甘井は……)
パートナーや下僕の姿が脳裏を過ぎったところで、カツンカツンと、妙に苛立ったような足音が前方から響いてくる。
もしや羽生か甘井かと辛うじて動く眼球を奔らせて羽場が視線を動かすと、立ち込める霞の中から歩いてきたのは、ぐるぐるに渦を巻いた水色の髪型に赤眼鏡をかけた、特徴的な風貌の青年だった。
「悪事に手を染める、の『手を染める』……ってよォ~~」
青年は眉間に皺を寄せ、神経質そうに靴を鳴らしながら羽場に近寄ってくる……ように見えるが、羽場の存在にはまったく気が付いていない様子で、ブツブツと何事かを呟いている。
「意味はわかる……スゲーよくわかる。血とか、吐き気を催す邪悪とか、悪いことを始めた手ってのは、赤黒く汚れるイメージがあっからな……」
そこで、青年の足音と言葉が止まる。
再び静けさが灯る周囲。
「──だが『足を洗う』っていう言葉はどういう事だああ~~~っ!?」
青年が目を剝き、激しい怒りを伴って吠える!
その勢いのまま、すぐ傍で凍り付いていた車のフロントドアを殴り始めた!
「ナメやがってこの言葉ァ、超イラつくぜェ~~~ッ!! 手を洗えっつーのよーーーーーッ! 足洗ったところで、手は染まったままじゃあねーか! チクショオーーッ!! どういう事だ! どういう事だよッ! クソッ! 足を洗うって、どういう事だッ! ナメやがってクソッ! クソッ!」
鬱憤を押し付けられてボコボコに凹んでいくフロントドア。
そして青年の脈絡もない豹変に、羽場は凍り付いた喉を「ひっ」と仰け反らせた。
(なんじゃあこいつは……!)
感情の昂ぶりから漏れ出たのか、青年の周囲を冷気のような呪力が漂っている。
術師は感情が振れた時に呪力を無駄遣いしない訓練を行うことから始めるが、これは青年がまだ素人同然の術師ということなのか、
羽場が息を呑んだ瞬間。
「見つけたッ! ダーリン!!」
遥か頭上から響く、聞き慣れた声とジェット音。
羽場が目を凝らすよりも先に、目の前の男が「あ゛あ゛!?」と空を睨みつけるほうが早かったが、遅くもあった。
「人の旦那に手ェ出してんじゃないわよッ!」
超音速からの加速。
怒りを滾らせて地上へ降り注いだ彗星は、目の前の青年に激突する。凄まじい衝撃音と共にアスファルトや氷が砕け、視界は砂煙と白銀に消え失せた。
一瞬見えたのは頭がジェット機のような形の女性。それは、羽場の仲間であり泳者でもある術師・羽生で間違いない。彼女は上空で待機していたからこそ、この低温地獄から逃れることができたのだろう。
パートナーである羽場を救うための彼女の渾身の一撃は──
「なんだァ〜? てめえ……」
いつの間にか異質なスピードスケートスーツに身を包んだ青年によって、受け止められていた。
道路にクレーターが生じるほどの衝撃だというのに、スーツには傷も凹みもない。真正面から羽生ごと受け止めた衝撃から体躯の位置が少し後退した程度で、青年自身もほぼ無傷。
「なっ、コイツ──」
硬い、と呟く前に感じた凍気と呪力。
羽生は生存本能的にジェットを噴射させ、慌ててその場から逃れようとする。
「逃すわけねぇだろ!!」
「──ッ!?」
背中に奔る悪寒。
気体は液体に、液体は固体に。過冷却されたそれらは羽生の髪を覆いつくし、一気に凍結させていく。
羽生はガソリン代わりの呪力を練り上げ、噴射口から高温の熱を発生させながら青年を吹き飛ばし、なおかつ機体である全身を温めて氷を溶かそうとする。
「ンなもん無駄なんだよォ~!!」
「なっ!」
青年が両翼の髪の毛を両手でそれぞれ掴むと、熱はあっという間に吸収され、噴射口から結露した水蒸気はみるみるうちに凍り付いていく。
「『直』は素早いんだぜ……パワー全開だぁ~~~!! 『ホワイト・アルバム』の『直』ざわりはよおおおお!!」
青年の脚はあの頑丈なスーツごと地面にしっかりと凍結・固定されており、そうして拘束された羽生はもはや飛翔することはおろか、その場から動くことすら不可能であった。
「こいつッ、ただ氷を生み出す術式じゃあないっ……!」
直接触れた羽生だからこそ分かった、青年の能力。
それに応じるかのように青年は口角を持ち上げて、腹の底から喉もとへ突き上げるように吠えた。
「俺が操るのは超低温ッ!! 低温世界で動ける物質はなにもなくなる……全てを止められる!! 爆走する機関車だろうと止められる! 荒巻く海だろうと止められる! その気になりゃあなあ──ッ!!」
「が、ぎっ──!」
羽生の叫びは停止する世界に吞み込まれ、訪れる静けさとともに、陽の光を反射した氷の塵がきらきらと煌めく。
そこはまさしく氷葬地獄だというのに、一方で絵本の中の一幕のように美しく、静謐で幻想的な光景でもあった。
(ああ……そうだな、『足を洗おう』……こんな化け物どもが本格的にうようよし始めれば、もうわしらの奇襲では、どうしようもない……)
パートナーが美しい氷像に移り変わる光景を目に焼き付け、羽場は意識を手放した。
青年が
すると、停止したままだった低温の世界もみるみるうちに融けて、元の廃墟の街並みが戻ってきた。
「……あ゛あ? んだよこいつら、気絶してんじゃねえか! 死なねえ程度に
拘束が融けて地面に倒れ伏した男女を見た青年は、その二人が
「──おいコガネぇ!!!」
『よおギアッチョ、呼んだか?』
宙に向かって叫ぶと、ポンッ!とかわいらしい効果音を伴って髑髏に羽が生えたような珍妙な生き物が現れた。
コガネ。それはこの死滅回游に参加する全泳者に与えられる式神であり、いわゆるナビゲーションAIだ。
「俺の近く、半径200……いや、100メートルでいい。人がいるかどうか調べられっかあ?」
『
「急げよ! 逃げられたらめんどくせーからな」
『あわてるなよ。まったくしょうがない野郎だぜ……まだ検索は途中だっていうのに……』
AIゆえに統一され、見た目も口調も基本的に他の泳者と同じはず……なのだが、なぜかこのコガネは他のものとかなりビジュアルが異なり、骨はうっすらと薄紫色、片目だけ開いている透けたマスクを着けており、胴体から尻尾はなんとも形容し難い派手に露出した衣装に身を包んでいる。
それは、初めてこの式神を見た青年もといギアッチョが当時まだ呪いも何も知らなかったために、本物のエイリアンかゴーストかと驚いて
『
統一されているはずの気前のいい江戸っ子口調どころか、妙にイタリア訛りの口調でコガネが告げる。
「あ? 逃げ遅れた……って感じでもねーなあ~? こいつらの仲間かァ~? わざわざ別行動で、加勢にも来ず、逃げもせず、じっとしているってのは……──わかったぜ。攻撃向きの能力じゃあねえからこいつらにコキ使われてる下っ端で、なおかつこの場を隠れてやり過ごそうとする奴ってところか……。聞き出すにはちょうどいいな」
チンピラのごとく足を踏み鳴らし、そうして彼は再び、逸脱した殺し合いの世界に踏み入れていく。
そこは、宛てのない平和が取り払われ、終わりのない呪いが廻る領域。
呪い呪われ、祓い殺されを強制と課された、悪意と怨念と陰謀が渦巻く闇の世界。
その領域に躊躇いなく踏み込んだ彼の目的はただ一つ。
この出鱈目で無茶苦茶なルールで縛り付けられた殺し合いに参加を強制してきた原因をブチのめすこと。
自分の意のままに空気も生命も、全てを凍結させる
・ギアッチョ
現地産。イタリアと日本のハーフってことで。
術式はまんまホワイトアルバム。どう呪術に落とし込むか悩み中。
・コガネ
機能は普通のコガネと同じだが、初手でギアッチョに間違えてボコボコにされたため、バグでAIが進化・適応し、ギアッチョと相性のいい専用モーションに変わった。たまに人の健康状態を確認してくる。