甘井凛は、その来たるべき日が訪れるまでは、いわゆる普通の高校生だった。
弱者を人質に強者には逆らわない小物を演じるだけの、無害な一般人。
しかし、10月31日。
そこから世界はめまぐるしく変わり、否応なく甘井も巻き込まれた。それは一般人としてではない。とある男によって呪力・術式を開花させられた呪術師として、死滅回游の泳者としてだ。
とはいえ、甘井の術式は戦闘能力を持たない特殊なもの。
これまで喧嘩や争いごとを敬遠して一切身体を鍛えていなかったことも災いし、死滅回游の開始早々羽場と羽生に絡まれたあげく、下僕としてこき使われる羽目となってしまった。
諦観の心地で、今日も今日とて誘導灯と合図を送り、
「──プリンだあ~!? ふざけてんのかアてめえはよおお!?」
甘井は困惑していた。
それは主に、目の前で激怒している青年のせいだ。
「クソッ! クソがっ! 呪術とか呪霊とかっつーからよお! もっと和風なモンばっかと思ってたら、てめえのプリンといいさっきのジェット機女やヘリコプター野郎といい……どういう世界観なんだよっ!!」
「お、俺に言われても……」
甘井の術式は、体内の糖分を増幅させ、それを出力することができるものだ。
これがパティシエ勤めだったり自身が甘いものが大好きなだけで終わるならともかく、殺すか殺されるかのバトルロワイアルにおいてはハズレの術式なのではないか、と甘井は考えており、実際、羽場と羽生にも大層馬鹿にされた。
その二人があっという間に青年によって下され、甘井が建物内に隠れていたことも見つかり、そうして青年の気迫に観念して知り得る情報を全て明かす繋がりで、甘井の術式も披露する羽目になった。
目の前の青年は、遠目のためよく分かっていないものの『冷気』を操る術式のようで。シンプルだからこそ強力で、恐ろしい。
きっと馬鹿にされたあげく、羽場と羽生のように下僕として扱われるか殺されるかだろうと観念してプリンを出力したところ──
「糖分の増幅はわかる……頭回すには、糖は必要だからなあ……だがッ! なんで過程と材料を吹っ飛ばして、糖分から即プリンが出てくんだよおお!! 呪力っつーのは卵とカラメルにも変換できんのかああ!?」
と、手のひらから出したプリンを見た途端、青年は馬鹿にするどころか、何やら見当違いに怒鳴り散らしはじめたのである。「プリンでどう戦えってんだ! 相手を血糖スパイクにでもさせろっつーのかあ?!」と、それ俺の台詞じゃね?と思うような文句まで言い始める始末。
甘井のそれは他人に直接取り込ませることで、術式運用時に消費される糖分を補わせることもできる。そのため青年の言っている現象も可能だが……追加補足をしたところでさらに明後日の方向にガチギレしそうな勢いのため、そっと口をつぐんだ。
しかしこのまま騒ぎを聞きつけた他の泳者たちに襲われ、巻き込まれても堪らない。
なんとか軌道修正を図りかつ彼の琴線に触れない話題を探ろうとうろうろしていたが、ふと思い出したことがあった。
(色々あったせいで最初ピンとこなかったけど、このギアッチョっていうひと……なんかどっかで見たことあるんだよな……)
どこだっけな……。と記憶の奥底を探ろうとしたところで、青年──もといギアッチョが怒りもそこそこに立ち上がる。
「チッ、じゃあお前はあのふざけた袈裟野郎は、この近辺では見てねえってことか」
「袈裟野郎……ああ、縫い目の……! し、知り合いなんですか!?」
甘井は思わず前のめりになる。
が、「なわけねーだろォが!」とギアッチョがキレ気味に否定をした。
「会ったのは一回だけだ。変な宗教勧誘かと思ってぶん殴ろうとしたらすぐ消えちまったがよお……今ならわかるぜ、あいつだ……あの男が、俺の身体になにかしやがった上、このふざけた殺し合いを始めた張本人だってなああ!!」
苛立ったようにギアッチョが地団太を踏む。
彼もまた覚醒型であり、呪術師・泳者となってしまった経緯は甘井とほとんど同じらしい。
「とはいえ、開催者がのこのこ会場に来るような馬鹿な真似するとも思えねェ。俺の本命は、その男の所在と情報だ……少ない情報でも、あのニヤケ面に辿るための足がかりになりゃあ構わねえし、コガネや外の情報を集めている感じだと、昔いた呪術師ってのも復活してるらしーからなあ。そいつらに聞くのが手っ取り早え……」
「っあ! 過去の術師がいる、っていうのは、羽場たちから聞いたことがあります! 確か──新宿を拠点にしているって」
「新宿だああ!? クソがっ!
「す、滑る? 15分?」
「だが、拠点にしてるってのを軒並み知られてるっつーのは、隠れ潜むこと自体をさほど重要視してねえってことだなあ……メンバー集めか、なんかの罠かってところかあ? 仕方ねえ……おいてめえ、場所はわかるか?」
「あ、はい。大体は。確か案内役の女も、新宿内をうろうろしているって聞いたので」
「ハン、罠で決まりだな──案内しろ」
レジィ・スターは、過去の術師が、現代の器に受肉したタイプの泳者である。
そんな彼は床に並べたレシートや領収書を検分しては、被った簑に一枚一枚丁寧に張り付けていく。それはまるで、カードゲーマーが戦術を考えながらデッキを構築・調整していくよう。
「死滅回游……
傀儡にした女を餌にポイントを稼ぎ、仲間を増やす。
そうして
(そういえば、麗美が新しくやってきた泳者と接触したという連絡がきていたな。巡回をしていた黄櫨折や針千鈞も合流させたが……、っと?)
レジィはおもむろに部屋の中を見渡しながら立ち上がると、廊下奥の玄関を見てニヤリと口角を持ち上げた。
視線の先で、バアン!と扉が勢いよく蹴破られた。そうして大きく足音を鳴らして入ってきた無礼な男をレジィは見る。
「妙に寒いと思ったら……海老で鯛を釣るどころか、やれやれ、南極でも連れてきたか?」
男は、半分凍り付いた黄櫨折をゴミ袋でも掴むように引っ提げていた。
デフォルトで反転術式を扱えるはずの黄櫨折は、爆発を起こすどころか欠損した部位を治せていない。それも仕方ないだろう。「呪力は腹で回すが反転術式は頭で回す」とはいったものだが、極寒の中において、生き物はエネルギー消費を最小限にするため脳や臓器の機能を低下させる。うっかりすれば凍死しかねない状況で頭をフル回転させろなど無理な話だ。
「てめえ、袈裟野郎の知り合いだってなあ?」
男と共に流れ込んできた白く煙る凍気は、まるでスモークのような演出で場を華やがせているが、そんな煌びやかな登場でも空気感でもないことは明らか。
これは交渉の余地すらなさそうだし、とはいえ泳がせておくには危険すぎる──そう考えてからのレジィの判断は早かった。
レシートを剥ぎ取り、呪力でその紙を燃やす。
「『再契象』」
各話のタイトルは、ギアッチョ構文が作れそうなタイトルってだけ。
ソーセージを投げたらベーコンはドイツのことわざで海老鯛と同じ意味らしいんですが、どういう状況!?