異世界スピノ ~恐竜に生まれ変わった私はスローライフを希望する~ 作:SIS
湖から岸にあがる。軽く周囲を見渡してみるが、監視の類の姿は見当たらない。
残念半分、安堵半分。自分でもはっきりしない気持ちのまま水を払って果実をむしりに行く。
今日も大木には大きな木の実が実っている。二つほど失敬し、その場に座り込んで食事を始める。どうにも手持無沙汰なので、視線は自然と大木に向く。
思えば、不思議な木ではある。
このあたりで一番大きい木であるのは違いないのだが、先日北に出向いた時もこれを超える大木はなかった。湖の沖ぐらいからこの木の影が見えるから、全長で言えば100mは軽く超えているのではないか? 葉は面積の大きい広葉樹の特徴をもっているが、広葉樹がここまで大きくなるのは珍しい気がする。木材に使ったりするような大きく育つ木は、大抵針葉樹のイメージがある。いや、クヌギやコナラ、栗なんかも結構大きくなるから、これはただの先入観か?
あとは、そう。ここに出入りするようになって随分たつが、いまだに花を見た覚えが無い。枝にたくさん実が実っているとはいえ、私が頻繁に食べにくるのだから新しい身が生らないなら枯渇してしまうはずだ。だが実際の所、今も枝にはまるまるとしたオレンジ色の実がいくつも垂れ下がっている。よく見れば青い、まだ未成熟の実も確認できるから、やはり新しく実が実っているようなのだが……。
まあ、別に花が咲かない、あるいはわからないほど地味、というのはあり得ない訳ではないか。カカオ豆みたいに何の脈絡もなく枝葉どころか幹に実が生るような植物だってあるのだ。花も咲かさず延々と実を実らせるだけの大木があっても、まあおかしくはない。
むしゃり、と糖度が高くみっちりと詰まった果肉を食い千切る。
スピノサウルスの顎は魚食に向いた形に発展しており、魚をとらえやすい細長くのびた顎と、暴れる獲物を逃さない鋭い牙が特徴的だ。つまりまあ、逆にいうと果実を食べるのには向いていない、本来。だがこの果実はマンゴーのように柔らかいながらもむっちりつまった果肉が特徴で、頬の無い恐竜の口でも食べる端から零れていく、みたいな事にならない。むっちりした果肉が歯にほどよく引っかかってくれるため、とても食べやすい。果汁が多いので、食べた後口のまわりがベタベタするが……。
これで、私以外の生物が食べてもおいしいのだったら、それこそこれだけ作物があればいい、ってレベルじゃないのかなあ、とすら思う。他の生物にはゲロマズらしいのが本当に残念だ。
逆に言うと私がなんでこれを美味しく食べられるのか、という点は確かに疑問に思うが、別に毒があるようでもないし気にしてもしょうがない。
なんせ私の食生活はこの木の実に支えられているといっても過言ではないのだ。
「グエップゥ」
腹を満たし、満足感に身を横たえる。なんだかとてもリラックス。思えば、ここにいる時はだいたい監視の目があった。気にしていないつもりだったが結構ストレスだったのかもしれない。
なんとはなしに、監視員がいつも隠れていた草叢に目を向ける。
その向こうの丘を越えれば、草原と街を一望できる。あの飛竜の襲撃で滅茶苦茶になった街がどれぐらい復旧したのか、気にならないと言えばウソになる。その半分ぐらいは、私が飛竜との闘いで破壊してしまったからだ。
だが街を一望できるという事は、街からもこっちが丸見えという事になる。今現在復旧作業に忙しい彼らに、新しい悩みの種を提供してしまうのはいかがなものか。オルタレーネは私の肩を持ってくれているようだが、他の街の人々が私の事をどう思っているのかはギリギリグレー、といった所だろう。監視の目がない所を見ると敵判定ではないと思いたいが。
「グルル……」
異種族コミュニケーションは難しい。別に同族でもコミュニケーションは難しいが。自分と他人は違う生き物で、相手の興味を引けるような要素を自分が持っているとは限らない。どれだけ親しくしていても、自分の不利益になるようであるならば切られるものであるし、またそれを否定してはならない。何事もまず、自分が大事なのは当然なのだ。
つまりコミュニケーションには余裕が必要である。そして現状、街の人々には、そんな余分は存在しない。私の方は余裕がありあまっているのが皮肉極まる。
私は小さくため息をつき、木の実を余分に毟り取る。これだけあれば三日ぐらいは食っちゃ寝できるだろう。流石にこれだけの量を手で持って帰るのは大変なので、そのあたりの繁みを漁って長いツタを用意する。それを使い数珠繋ぎにした木の実を背びれに巻き付ける。
この間のザリガニ戦で風呂敷が消し炭になってしまったのが本当に惜しい。似たようなの、また流れてこないかなあ。そんな事を思いながら、私は神殿の帰路についた。
なお木の実は水に沈まないので、それを大量に括り付けた結果私も潜れなくなった。浮き輪かよ。いやそもそも何で浮力があるんだろうこの木の実。
◆
浮力に翻弄されながらも、なんとか神殿付近まで返ってきた。
いやあ大変だった。
泳げないときに浮き輪は大切な補助輪だったが、逆に凄い泳げるようになってからの浮き輪って思ったように動くのには凄い邪魔であると改めて体感した。無ければほしい、足りていればいらない、人間とは我が儘な生き物である。私はスピノサウルスだけど。
特に波の影響が意外と馬鹿にならない。気が付くと進路が曲がっていて、久しぶりに道に迷う所だった。いくら広いとは言っても平時の湖の波でこれだけ影響があると、海とか大変である。航海士というのは大変な仕事なのだろうなと改めて思った。
そんなとりとめのない事を考えながら進むと、湖上にピラミッドのように聳え立つ我が家が見えてきた。このあたりは異様にでかいザリガニもいないので気を抜いてのんびりだらだら泳ぐ、そんな時だった。
「◆◆●……っ!」
静かな湖面に、聞き覚えのある甲高い悲鳴が耳に入った。
思わず顔を上げて声の出元を探る。
家の方だ。
目を凝らすと、神殿の階段の中腹に、風に靡く金色の髪が小さく見えた。白黒のコントラストの大きい衣服……メイド服?
もしかして、オルタレーネか?
なぜ彼女がここに。そういえば彼女はコウモリ型の獣人であるからして、もしかして飛行能力を持っていてもおかしくはない。それで自力で神殿まで? この広い湖だ、ルートが少し違うだけでニアミスはあり得る話だ。
そんな風に呑気な事を考えられたのはそこまでだった。
オルタレーネの下、神殿の階段が水没しているあたりの水面が大きく盛り上がった。隆起した水面の下から、トゲトゲした何かが浮上してくる。一瞬ザリガニかと思ったが、違う。青白い巨大な物体が、湖面に半身を出しぶるぶると水を振り払い、階段に脚をかけた。
ゴツゴツとした鱗に覆われた体。長く前に突き出した顎に、ずらりと並ぶ鋭い牙。長大な巨体に短く太く地を這うような四肢。
その姿には覚えがある。
氷決のサルッカス。
まさか、復讐のために私を追ってきたのか!?
サルッカスはゆっくりと神殿の階段を這い上る。その先には、座り込んで動けない様子のオルタレーネの姿。薄く開かれたサルッカスの口から冷気の霞が立ち上るのを見て、私は背筋を泡立たせた。
奴の復讐相手はあくまでも私のはず。だが、その匂いを辿ってやってきた先の寝床と思しき場所にいる霊長を、私の関係者だと考えるのはおかしな話ではない。坊主憎ければ袈裟まで憎い、言葉が通じるのならオルタレーネが私と親しい仲なのもすぐに察するだろう。
無関係の者を巻き込むな、というのは部外者からの難癖でしかない。そしてオルタレーネは間違いなく、関係者なのだ。
「グ、グルォッ!」
泳ぐのに邪魔な木の実を振り払い、全速力で神殿に向かう。
サルッカスがゆっくりと追いつめるように階段を上っていくのが見える。オルタレーネはその場を動かない。何故逃げない、突然目の前に現れたサルッカスに腰を抜かしてしまったのか?
「ガ、グゥ……ッ」
駄目だ、このままでは間に合わない。すでに私の遊泳速度は限界に突っ込んでいるが、焦る気持ちに到底追いつかない。
かといって電気の力では加速にならない。いや、確か電気推進とかそういうのを前世で聞いた事があるのでやりようはあるのだろうが、原理をよく知らない上にそこまで精密なコントロールができる代物ではない。
ないか、何かもっと別の手段が。
焦りに脳が煮え立ち、集中する意識が境界線を越える。
飛竜との闘いの時に似た、明鏡止水だか無我の境地だか、そんな世界に少しだけ触れる。瞬間、自分のうちにある可能性、その一つに僅かに手が触れた気がした。
俄かに周囲の水温が上昇する。私の後方の水中がごぼごぼと泡立ち、急激な温度差によって対流が生まれる。疑似的な熱的ハイドロジェットの加速を得て、遊泳速度が限界の先を越えた。
「……グァアアアアオゥ!!」
間に合った。
神殿の麓まで辿りついた私は、海底の瓦礫を大きく蹴って跳躍。海の底から海上にジャンプするクジラのように、勢いをつけて湖上に飛び出した。
眼下には、オルタレーネとその眼前まで迫ったサルッカスの姿。その両者の間を阻むように落下軌道を調整する。幸いにも巨大な背びれはこういう時、空気抵抗の調整に役立つ。実際のスピノサウルスがこんな大ジャンプしたかはよくしらないが。
「スピノ◆?!」
『えっ』
そのまま勢いよく着地。思わず仰け反る様に距離を置くサルッカスに、渾身の威嚇咆哮を叩きつける。
「グァアアアアア!!」
『わっぷ、ちょ、まっ。待ってくれ、そんなつもりじゃ……』
ええい何が待ってくれだ。オルタレーネを虐めておいて今更何を言う。
何やらもたもたしているサルッカスに突進し、腹の下に頭を潜り込ませてそのままカチ上げる。半回転してカエルのような姿勢で吹っ飛ばされ、仰向けのままサルッカスの巨体が湖に落ちた。派手な水柱が上がり、体を横にして背後のオルタレーネに水しぶきが掛からないよう、背びれを傘にして守る。
水中に叩き落されたサルッカスはというと、妙に緩慢な仕草で体勢を立て直そうとしている。先制の一撃は奪ったが、奴の力は侮れるものではない。このまま一気に畳みかけて勝負を決める。
「グルルルルゥ……」
タービンを回転させ大電圧を生成。サルッカスが水中にいる今のうちに、最大出力のライトニングブレードを叩き込んで仕留める。両足を軽く開いてかまえ、前足が床に触れるほどの極端な前傾姿勢で背びれをサルッカスに向ける。
これで終わりだ。
雷霆を放とうとしたその時、ふわりと金色が私の眼前を舞った。
『駄目ですっ!』
オルタレーネ。彼女が翼を広げ、私の眼前に立ちはだかっていた。その端正な美貌は、焦燥に彩られている。
何故。
『落ち着いてください、スピノ様! 私はなんともありませんから……サルッカス様! ご無事ですか!?』
『あ、ああ……助かったぜオルタレーネ嬢ちゃん』
のそのそと這い上がってくるサルッカスに、何事か叫ぶオルタレーネ。その彼女に返したであろうサルッカスの答えを聞いて、私はさらなる混乱に見舞われた。
オルタレーネ……嬢ちゃん? 名前を知っているだけではなく、妙に親し気な呼称である。
もしかして、もしかしなくても……。
私。
やらかした?
「グ、ググゥル……」
『あー、スピノの旦那。落ち着いたみたいだし、ちょっと弁護させてもらえやしないですかね……?』