異世界スピノ ~恐竜に生まれ変わった私はスローライフを希望する~ 作:SIS
翌朝。
霧が色濃く立ち込める湖を、サルッカスの案内で私はこっそりと移動していた。私の存在を誰かに確認される訳にはいかない。霧に紛れるようにして、静かに湖畔に上陸する。
こういう時、氷を操るサルッカスの力は便利だ。冷え込まなくとも彼の力で、周囲には濃い霧が立ち込めている。
『こっちですぜ、旦那』
サルッカスが先導する後ろをついて、陸路をいく。
私の住処から見ておよそ北西。草原地帯と森林地帯の境界線に近い場所。周辺は地形が複雑に隆起しており、私とサルッカスの巨体を隠すに十分な障害物が無数の存在していた。流石というか、サルッカスはこのあたりの地理について非常に精通していた。私一人ではこうもいかない。
身を隠しながら、顔だけだして周辺を確認する。
300m程先、地形の隆起が収まった向こうは、広い広い草原が広がっている。しかし右手側、北東から浸食するように森の一部が草原に進出しつつある。これを森が欠けた先を草原が埋めているのか、草原に森の木々が進出しつつあるのか、立場によって見方は分かれるだろう。
その、森と草原の境界線から少し草原に出た所に、無数のテントが設置されていた。周辺には見張りと思わしき鎧を守ったリスっぽい霊長の姿。
明らかに軍の兵員キャンプだった。
それに対し、西側、草原の只中にも無数のテントが張られている。だがこちらは仕様が統一されておらず、雑多に大小さまざまなキャンプが展開されている。ちらほら見える歩哨の姿も、装備が統一されていない。
こちらは兵士ではなく、街の冒険者だ。軍は動かすのに時間と手間がいる、急な事態にとりあえずフットワークが軽く戦闘力の高い冒険者が駆り出されているらしい。正面衝突になれば数と連携の差で押し切られるのは目に見えているが、それでもカカシを立てておくよりはよっぽど恣意効果があるだろう。それに冒険者もピンからキリまである、質がバラついているからこそ威嚇効果が大きいのかもしれない。
しかし、これは。
草原で睨み合う二つの陣営。
状況を確認する限り、開戦一歩手前、戦争の最前線といった様子だ。
見つからない内に頭を引っ込み、物陰に隠れてサルッカスと顔を合わせる。一体どうしてこんなことに。
『森の近くに布陣してんのは、俺っちの縄張りの近くに住んでる連中です。確か、ウォールランド王国? つったっけな。俺を崇めてる少数部族とも仲が良くて、長年あのあたりを仕切って林業を営んでる奴らです』
サルッカスが物を知らない私に説明してくれる。国家の名前だとか専門用語は初出のものばかりだ。だが、概ね私が想像していたどおりのようだ。
『安定して品質の良い木材を供給する事で成り立ってきた国っす。そのせいで周辺の連中からちょっかいだされる事も多くて、一時期はウォールランド王国を押さえた奴が一帯を制する、みたいに言われてた事もあります。なんで外敵に備えて兵力はかなり整えてあって、穏健な武闘派ってやつです。逆に言うと、こんな風にイチャモンつけて他の領土に侵攻する事なんてなかったんすが』
そこである。大事なのは。国の来歴とか正直優先度は低い。
イチャモン。
霊長同士がただ揉めているだけなら看過もできる。だが、イチャモンに私が理由になっているのは一体どういう事なのだ。
「グルルル……」
『いやしかし、ちょっと無理があるっすよね。スピノの旦那が自国の領土を侵犯したからって、その責任をセルヴェの街に対して求めるとか』
サルッカスが己の信奉者から説明された話によると、湖近くの街、セルヴェというらしい……が、守護竜と崇めている私が、ウォールランド王国の軍艦を襲い、さらに領土を横断してサルッカスの縄張りを侵犯した。件の守護竜、スピノはセルヴェの管理下にあり、これは明確にセルヴェによるウォールランド王国の主権侵害であり、それに抗議する……という話らしかった。
見事なまでの言い掛かりである。
要はお前んとこのペットが俺んちの庭に入ってきたからお前の庭を分捕りに行くわ、そういう事である。
正直マトモに相手にする方が馬鹿を見る低レベルな言い掛かりなのだが、問題はこれを主権国家が、それも武力を持ち合わせた国家が実際に兵を動かして言ってきた事である。
本当にセルヴェに非があるとか、責任がどうとかはこの際問題ではないのだ。
国家間において、真偽を判断し罰則を支払わせる権限を持った上位組織は存在しない。裁くものも居ない国家同士の争いは、結局のところ義や道理ではなく暴力こそが正義なのだ。理由や正当性など後からどうとでもできる。なんなら、流血を以って黙らせてしまうというのも往々にしてありふれた話だ。
勿論、そんな事ばかりしていたら周辺国家に敵認定され、逆に身をもって力こそ正義を証明される事になる。だが、一度や二度程度なら見逃されるのも常だ。国家間に真の友人はいない。他人の流血は他人事であり、いかに利用するかを考えるのが常道だ。
とはいえ、倫理的に許されない事もまた事実である。力によって罷り通ったとして、悪が許される道理もまた無い。
何より今回最大の問題は、よりによって私自身が言い掛かりの理由、その主体にされている事である。
「グルルル……」
いやさて、どうしたものか。
ここで怒りにまかせて戦場に乱入し、ウォールランド王国とやらを蹴散らしてもよい。だがそれは根本的な解決にはならない。
私が加勢したとウォールランド王国が認識すれば、根も葉もない言い掛かりが実を持ってしまう。そうなればただの小競り合いから、本格的な戦争に発展する、その口火を私が切ってしまう事になる。流石にそれは避けたい。その先にあるのは、どちらかが負けを認めるまで続く闘争であり、そして流された血の量だけ決断は難しくなる。うかつに介入した結果、百日戦争の開幕とか本当に勘弁してほしい。
それにこれでも私は元善良なサラリーマンだ。あくまで襲ってくる獣の撃退とか、食糧確保のための殺傷ならまだ言い訳が利くが、己の意思で、社会性を持った霊長を殺傷するのは流石に覚悟が持てない。きつすぎる。獣の本能にひっぱられつつある今、実際に戦いが始まったら気兼ねなく暴れられるとしても、だからこそ終わった後絶対引きずるという確信がある。
なんとか、こう、穏便に終わらせる方法はないものか。
さらに言えば、今の私は街で過ごした日々がある事もあって、大分心はセルヴェよりだ。これがなければ、双方に適当に攻撃して、私はセルヴェの守護竜でも誰の味方でもねーよ! と行動で示す事もできたのだが……。流石に、今、それはちょっと……。
オルタレーネの哀しそうな顔が脳裏に浮かび、ぎゅぅ、と胃が痛くなる。
「グ、グルゥ……」
『……大丈夫っすか、旦那? 今にも胃袋ひっくり返しそうな顔してますけど……』
「グッ、グアォ。グル……」
『いやまあ、でも旦那がブチ切れて粛清に出るとかしなくて俺っちは感心しましたよ。あいつらも中々複雑な事情で生きてるんで、旦那がそのあたり考慮できる社会性の持ち主で安心しました。三百年ぐらい前は、気に入らなかったら暴れれば御仕舞、連中から頭を下げてくる感じで楽だったんすけどねー。いや、マジで楽だった。あの頃はよかったなあ……』
何やらしみじみと暴力の時代を思い返しているらしいサルッカス。しかしさらっと出てくるが三百年? 神獣ってそんなに長命なの??
『暴力はいいっすよ旦那。弱っちい奴らをぶちのめして暴れてれば、向こうの方からお静まりくだせえー、ってご馳走持ってくるし、かわいこちゃん差し出してくるし、住処とか整理してくるし。一度暴れれば向こう数十年はおとなしくしてくれるからコスパいいですし。あー、でも最近はなー。なんかやたらと徒党を組んでくるし、多少の被害じゃ後退しないから後味悪いしー。変に意固地が悪いっていうかさー』
「グルル……」
いやお前、最初、暴れなくてよかったとかいってなかった? なんでシームレスに暴力賛美に入ってるの??
じっと見つめ返すと、サルッカスは失言に気が付いたのか、ちょっと目を逸らした。
『おっと、失礼。まああくまで昔の話っす。最近はいかに実際に暴力振るうんじゃなくて、ビビらせて譲歩を引き出すか、ってのがスマートなやり方っすね。旦那は見た所、そっちの方が好きっぽいですし。……それとも暴力ります? 旦那のあの電撃なら、ウォールランド王国の全兵力が束になってかかってきてもイチコロだと思うっすけど。うん。それがいい。話が早いしあと腐れもないですし』
「グラララ……」
嫌だよ流石に。お前理性的なのかそうでないのかはっきりしてくれる?
最終的に鼻息荒く暴力を推奨してきたサルッカスの鼻面をむぎゅ、と前足で押さえる。顔が近い。
言葉を喋ったり超常の力を操ったり長い事生きてても結局本質はケダモノじゃなかろうか……。神獣ってもしかして皆こんな感じなの? まさかね。
とはいえ、彼の意見が全く無駄だったわけではない。建設的な意見は拾うべきだ。
「グルゥ……」
サルッカスの鼻面を押さえたまま、空いた片手で顎を支えながら考える。
威嚇というか、警告。実際にウォールランド王国の兵士をぶちのめさなくとも、戦うのは損だ、と思わせる。
悪くない案だとは思う。
そこで犠牲者を出してしまえば向こうも下がれなくなるが、被害はなく、ただし前に進めば確実に大変な事になる、と理解した上でそれでも軍としての規律を維持するのは難しい。
そもそも兵士も人間なのだ、いいがかりみたいな理由で隣国に侵攻を命じられて内心納得しているかは怪しい。そのうえで、口実でしかなかった巨大怪物が実際に現れ、怒りを露にしてくれば、士気を維持できるはずがない。その上で、こっから先に踏み込まなければ何もされない、という確信があればどうだ?
……いや、これは楽観か? この手の理屈が通じるのは人権意識のある繊細な現代人の話であって、ヒャッハー暴力最高ダゼー! みたいな価値観の兵士には通じない可能性が高い。私はチラリとサルッカスを見てため息をついた。
『? 何か?』
何でもないよ。
まあ何にせよしばらく様子を見た方がいいだろう。相手の狙いがはっきりしない以上、ここの戦線が陽動だとか、あるいは街の増援を見て引き返すとかもあり得る。外交戦略の一環でここに兵を派遣した段階で目的を達している、という事だって考えられる。兵士を並べたら必ず戦争しなければならない訳でもあるまい。
『ま、しばらくは様子見がいいでしょうね。俺っちの知る限りウォールランド王国の臣民はそこまで短気でも考えなしでもない。何か思惑があるんでしょうよ』
本当にそうだといいのだが。