異世界スピノ ~恐竜に生まれ変わった私はスローライフを希望する~ 作:SIS
私の見ている前で、ゆっくりと花弁が開いていく。
透き通るようなピンク色の花弁がほつれるようにして花開き、その向こうからは黒ずんだ醜悪な花芯と、ぎょろりとした無数の眼球がその顔を覗かせる。
思わず、内心うげ、と呻きを漏らす。
その本性を露にした本体は、およそこの世のものとは思えない下劣で醜悪な怪物だった。一見すると巨大な花のそれに準拠しているようで、花芯にあたる部分は十字に裂けた口を持つ巨大な爬虫類の頭らしきもの。その四つの顎にそれぞれ、ぎょろぎょろとした目が複眼を思わせるようにびっしりと生えそろっている。その目は信じがたい事に一つ一つ色合いが違い、見ていると正気を喪うステンドグラスのようだった。口内には鋭い剃刀のような歯がびっしりと生え揃い、先が三つに裂けた舌が蛇のそれのようにチロチロとゆすられている。それでいて、首回りを彩る花弁だけは、最初の印象通り繊細なガラス細工のような美しさで、醜悪な素顔とのコントラストに見ていると頭がくらくらしてくる。
現実の生物とは思えない、いっそ前世の外宇宙由来の神話生物と言われた方がまだ納得がいく、おぞましい姿だった。というか、複眼のように見える目、それぞれ独立して動いているように見えるんだけどあれ内部構造どうなってるんだ。どことなく、放射線等により遺伝子異常を引き起こした奇形の魚を見ているようで、不安が掻き立てられる。
そりゃあまあ勿論、あんな性根の腐ったような戦略を取る相手の正体が美しいとか、そうそうあるもんじゃないとは思っていたが、いざ目の当たりにするとその醜悪さにドン引きする。ただ単純にキモい外見ならともかく、半比例するように美しい花弁を持ち合わせているのが逆にタチが悪い。人の美意識を嘲笑う悪意のようなものすら感じる。
なんていうか、もう、意思疎通の意思があるとかそういうレベルの存在ではない。見た目で判断するのは偏見というけれど、コイツはもう見た目からして、この世界そのものに迎合する気がまるでない。自分が歪んでいるのを分かった上で、道理を捻じ曲げて世界を食い荒らす類の怪物だ。
戦場からいくつかの悲鳴が上がった。
怪物の正体を目の当たりにした兵士のうち何割かが、狂乱して戦意を失い逃亡を始めている。見た所怪物から遠い、外縁に近い場所にいた兵士ほど逃亡率が高いようだ。気持ちは分かる。距離があると奴の醜悪な全身が良く見えてしまうからだろう。それは、単純な敵意や害意とはまた違う、捻じ曲がった脅威だ。
この世界は優しくも美しくもない、剥き出しの敵意や脅威が存在する。生きていく上で肉や血を目の当たりにするのは避けられない。遊牧民がその実、家畜の解体に手慣れている事から他者を害するのに抵抗がないように、牧歌的である事と残虐性にはむしろ強い関連性がある。
だからこそ、異質な存在に受ける衝撃は大きな物があるだろう。前世においてホラーや異質な存在、おおよそ現実にはあり得ない生理的嫌悪を齎す概念に経験があった私と違い、この世界の住人からすれば初めて触れる概念ですらあるかもしれない。屈強な兵士とて、SAN値チェックに失敗するものがでてくるのはおかしくもなんともない。
しかし残念ながら、もはやこの場は奴の狩場と化している。すぐに周囲を取り囲む根の檻に阻まれて逃走は叶わない。乗り越えるのも不可能な高さのそれに絶望した彼らを、素早くのびた根が絡めとる。助ける暇もなく、タコの脚のようにからみついた根が、現地住民達を巻き取ったまま再び壁へと戻っていく。
趣味の悪い事に、奴は捕らえた住民達をすぐには殺さなかった。まるで晒し者にするかのように、彼らの顔だけを表に出して壁に生き埋めにする。泣き叫ぶ住人達の苦悶の顔が壁面に並び、踏みとどまった兵士達の間に明らかな動揺が走る。
そんな彼らを見下ろして、怪物がぐにゃぐにゃと顎を歪ませる。
嗤っているのだ。
「グルルルゥ……」
いくらなんでも趣味が悪すぎる。不快極まりない。
喉を鳴らして不機嫌を露にする私に、傍らのオルタレーネが身を寄せてくる。小刻みに震えている彼女の背中に優しく手をやり、そっと抱きしめる。
心優しい彼女にはあまりにも目に毒だろう。教育に悪すぎる、この変態趣味野郎には即刻この世からご退場願う他なさそうだ。
幸い、多少は休めたので体力は回復している。この肉体の頑強さに感謝しながら、私は腰を入れて雄叫びを上げた。
「グルゥアアア!!」
空気をビリビリと震わせて咆哮する。
流石にスピノサウルスの存在は無視できないようで、怪物は首をもたげるようにして身を竦めた。空気の衝撃でビリビリと奴の花弁が震えているのが見える。
私の咆哮を耳にして、浮足立っていた兵士達が我に返るのが見えた。即座に戦意を取り戻し、各々隊列を組んで怪物に向かい合う。今更現地住民への過干渉がどうこうとかいうつもりは無い、この場において私は明確に彼らの味方となろう。その意思を込めて前に出て、兵士達と肩を並べる。
『旦那、スピノの旦那。やる気ですかい』
「グルルル……」
傍らにサルッカスが寄ってくる。口では問いかけるようではあるが、彼は既に氷の鎧を身にまとい、戦意を漲らせている。ほかならぬ彼自身、やる気満々のようだ。
『今更なんですが、奴の姿には見覚えがあります。変な小細工を使ってくるのは知りませんでしたが……あの趣味の悪い見た目は流石に忘れませんぜ。奴は“唯一咲き誇る者”、ずっと昔に最終戦争で禁則地に追いやられた魔獣の一角です。何でそんな名前かは、もうみりゃ分かると思うんですが』
サルッカスからの情報に深く納得。確かに、もう見た感じ、自分以外の存在を全部踏みつける対象にしか思ってなさそうだ。周りの全部を食らって、自分一人だけが咲き誇る、最悪最低の外来植物のようなものか。前世風に言うならば、“ジ・オンリー・ワン”、略してザ・ワンといった所か。個人的経験からいうと、スーパーセイダカアワダチソウとでも呼んでやりたいが、あれと一緒にされたらあの黄色い外来種の方が私を名誉棄損で訴えてくるかもしれない。
で、戦闘力とかそういうの、情報ないの? 根から毒を出すとかさ。
『何か有力な情報を期待されてるみたいで申し訳ないんですが、これ以上俺っちから言える情報はないっすね。変な分身使うのは知ってましたが、あれだけの数を同時に操れるなんてのは聞いたことがなかったっす。多分、禁則地に閉じこもっている間に能力のレパートリーを増やしたんです。変な先入観は危険ですわ。ただ、奴は病的なまでに臆病な性格でした。それがこうして俺達の目の前に出てきたという事は間違いなく能力の口封じのつもりで、さらに言うと俺っちとスピノの旦那を敵に回して勝つ自信があるという事です。警戒を』
ううむ。あまり有益な情報はサルッカスも持ってないらしい。
ただ、病的に臆病、とまで言われる奴が必勝を期して出てきた、というのは注意すべき情報かもしれない。見た所ただのデカイお化け花だが、何かとっておきがあるという事か。
了解、と唸り声を返し、私は眼前の怪物に視線を戻した。
奴はこちらに視線を向けながらも、余裕綽々といった体でこちらを見下ろしている。そんな怪物に対し、現地住民達の戦意に満ちた掛け声が響いた。
私とサルッカスが情報交換をしている間に、兵士達はすでに隊列を整え、攻撃態勢を整えていた。二つの勢力の混合部隊であるにも関わらず彼らの動きに大きな乱れはない、まるで長年軍事訓練を共にしてきたかのような動きだ。あるいは、今も私の傍らで何事か呟いているオルタレーネの手腕によるものだろうか。彼女が天然トランシーバーみたいな能力を持っているのはもう知っているが、もしかして私が思うよりも遥かに応用の利く能力だったりする、これ?
「ヤーー!!!!」
言葉のわからない私でもはっきりとそれとわかる掛け声と共に、騎馬隊が進撃した。王国軍の誇る騎獣が楔型の隊列を組み、ザ・ワンに突撃を開始する。体格差はあるが、彼らの突撃は強力だ。それに私達と違い、奴の本体は複数の茨が絡み合って形成されている。突撃はそれらの茨を数本破壊するぐらいの威力はあるので、案外痛打になるかもしれない。
期待を込めて彼らの攻撃を見守っていた私だが、微動だにしないザ・ワンの仕草に不安を覚えた。まるで彼らの攻撃を脅威に思っていないかのような……。
「◆●!?」
「★●◆!」
騎馬兵達の間から悲鳴があがる。彼らは突撃を停止し、何かに文字通り足を取られて多くが騎獣ごと転倒し、大地に身を投げ出されていた。
見れば、草の間に、無数の細い根のようなものがアーチを描くように張り巡らされている。それに騎獣が脚をひっかけ転倒したのだ。
せこい。が効率的な罠だ。
文字通り足を絡めとられ身動きが取れない騎馬隊に、ザ・ワンが触手の一つを振り上げた。太さ2m近いその触腕は、表面にびっしりとするどいトゲが生えている。あんなもの、叩きつけられたらいくら兵士達が金属の鎧をまとっていてもひとたまりもない。
「グォオオッ!!」
今から走っては間に合わない。私は咄嗟に狙いを定めてライトニングブレードを放った。束ねられた幾筋もの雷撃が、兵士達に向けて振り下ろされる触腕へと殺到する。表面に無数の棘があるせいか、雷は想定よりも多く収束し、茨の半ばでそれを粉砕した。雷撃によって焼けこげた破片が降り注ぎ、兵士達の鎧に当たってカンカンと音を立てる。数拍遅れて、半ばから粉砕された触腕の先がその近くに地響きを立てて落下した。
きゃあきゃあ悲鳴を上げて後退する兵士達と入れ替わるように、氷の鎧をまとった巨獣が前にでる。サルッカスだ。私と違って遠距離攻撃手段を持たない彼は、早々に前に出ていた。あるいは、私が何かあれば雷撃で支援してくれると踏んだのかもしれない。
『相手が古来の魔王級だってんなら、俺達神獣の仕事さぁ! ちっせえのは引っ込んでな!』
氷を纏ったサルッカスが大口を開いてザ・ワンに向かっていく。
一度サルッカスと交戦した身からすれば、彼の突撃をいなすのは極めて厄介というのを知っている。氷の鎧をまとった彼に生半可な攻撃は通じず、超低温を纏う彼を受け止めるのは極めて難しい。だから、私はその背中を信頼して見守るべきである。だが、理屈では心配ないと分かっていても、心の奥では一抹の不安を拭えないでいた。
なんだか嫌な予感がする。
その不安を証明するかのように、ザ・ワンが動いた。